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パソコンの故障の原因は?


■きょうもまたパソコンが故障?

 パソコンを毎日のように使っていると、当然のようにパソコンの故障に悩まされます。パソコンの機械的な故障は年数が立てば自然に起こってくるものなので、ある程度は予想できます。しかし、突然起こるソフト上の問題のほうが遭遇する確率は高いのではないでしょうか。先日も友人のパソコンの調子が悪くなったとの連絡を受けて、早速彼の自宅まで出かけて行きました。こういうときはいつもそうなのですが、直せるかどうかはそのときのパソコンの故障の程度とぼくの知識や技術とのバランスの問題なのです。行きの電車の中でいろいろ方策を考えたりはしますが、実際にパソコンのようすを見ない限りはどうなるのかぼくも本当は見当もつかないのです。今回の故障は電源関係とモニターへの表示関係のトラブルのようです。

■他人のパソコンは異質のもの

 故障などの際に他人のパソコンに触れると、同じパソコンなのにどうしてこれほど違うのか?と感じることが多いものです。Macなどはあらかじめ違うことがわかっているので、それなりの対処ができるのですが、同じWindows(3.1、95、98、98SE、2000、Me、NTなど)を使っていても、パソコンの中身は千差万別です。使っている環境も単体での使用か、ネットワークの1つとしての使用か、などなど使用環境も実にさまざまです。その上、周辺機器の接続状況などを考えると、状況をよくつかんでから取り付かないと大変なことになってしまいます。自分のパソコン以外は全く違うものなのだと割り切ったほうがいいのかもしれませんね。

 パソコンに入れられているソフトが違えば、環境が違うのは当然ですが、周辺機器などがいろいろ付いていると、それだけで環境はガラッと変わってしまいます。特に、最近ではMOドライブやらスキャナー、CD-RWなどなど切りがありませんから、最初の面影などきれいになくなっていることがふつうです。ぼくにとって他人のパソコンを覗くのは、その使用者の心の中に触れるようであまり気持ちのいいものではありません。しかし、友人や知り合いの人がパソコンの故障などで困っているのをみると、自分の技術力も省みず、何とか直してあげたい!とおもってしまうのです。これは、ぼくのパソコンの”師匠”でもある友人の佐々木君がぼくのパソコンの修行時代以来、いつも親身になって教えてくれたためではないか?と自分では考えています。

 話がそれてしまいましたが、パソコンは使っているうちに(会社や職場で仕事で使っている共用のパソコンなどは別でしょうが)、その使い手の”癖(くせ)”が次第次第についてしまうものです。よく”カスタマイズ”とか英語でいわれていることです。自分の使いやすいように少しずつアレンジして使うようになるのですね。そういう、ぼくのパソコンも相当にカスタマイズされていますから、いつも使っているソフトなどはほとんどキー操作だけで使うようになっています。キーに割り当てのできるものは、どんどん割り当ててしまうのです。マウスを使うために右手をキーボードから離すのがどうも嫌なのですね。ほとんどのソフトはキーボードだけで(ゲームは別)操作できるのですから、ぼくは必要以上にマウスを使うことはありません。これも「好み」以外の意味はないのですが、その人のパソコンにつく癖のようなものでしょう。

 以上のような状況にあるそれぞれのパソコンは異質のものと化しており、故障時などにまずはそれらの状況を確認しておかねばなりません。故障をおこしている本人は「自分はふつうに使っている」と思い込んでいるものなのです。

■パソコンの故障は中級者に多く発生する

 車でもそうですが、初心者といわれる人は思いの外「事故」は少ないようです。本人も「自分は初心者であるから、気をつけねば…」と自覚しているためではないかと想像されます。同じことはパソコンの初心者にも言えて、ビクビクしながら操作しているせいか、返って操作上のミス(電源を直接切ってしまう等々はあるでしょうが…)は少ないようにおもえます。また、故障が起こったときにすぐにそこで操作をやめ、助けを求めることが多いので、直すのも比較的簡単です。それに、まだ初心者のうちはそれほどパソコンの内部に関係するような部分に手をつけることはないため、ソフトの表面上の問題が主なトラブルになるようです。

 パソコンも1,2年続けていれば、中級者のレベルになるのでしょう。ソフトの操作にもほぼ慣れて、自分流の使い方が少しずつできるようになる時期です。そして、むずかしい故障に出会ってくるのもこの時期です。「基本が大事」とはよく言われますが、基本(何が基本なのか?定義はむずかしいですが)を忠実に守っている人は、じつは本当に稀です。自分でも知らない(自覚がない)うちに、基本からどんどん離れていってしまうのがふつうでしょう。基本を常に忘れずに、しかもその上に自分なりの応用を付け加えている人はそうは多くないです。自分の知識と技量を冷静に見極め、パソコンを使いきっている人が少ない理由もこれに尽きます。当然、「もう十分に使い慣れた」という意識も生まれますから、故障も多くなってくるはずです。ソフトの操作上のことも、パソコンにいろいろな新たな周辺機器を接続する際のトラブルもふえてきます。この時期に、果敢な挑戦とともにパソコンに関する知識の吸収(本や雑誌等も含め)を意識的におこない、故障時に対応できる技術力も身につけておくのが大切です。

 話は少し反れますが、よく子供はパソコンの操作を覚えるのが早いとかおもわれています。しかし、現場で生徒のパソコン操作のようすを見ていると、そうとばかりは言えないようです。というのも、操作上のことでもかなり偏った使い方が多いのと、パソコンの調子がいいときしか対処できないからです。パソコン本体の調子がおかしくなったときに対処できる生徒は稀です。つまり、ゲーム機の操作はうまいけれど、故障したら終わり、というのと全く同じ現象です。パソコンも単なる機械ですから、故障はよくおこりますが、そういうときには対処できないのです。きめられた枠の中での操作テクニックなどを覚えるのが早いというだけなのです。パソコン本体の故障などには、それ相応の知識と技術をもってないと対処できませんから、ふつうの子供は「ブラックボックス」としてのパソコンに慣れるのが早いだけなのでしょう。そこへゆくと、理屈を知らないとなかなか慣れようとしない中年の親父さんたち(おばさんたちもそうかな?)などは、操作を覚えるのはたしかに遅いけれど、理屈を知りたがるということが幸いするようにおもいます。

 繰り返しになりますが、故障が起こりはじめたら「パソコン中級者」に近づいているといっていいでしょう。さらに、自分で直せたら中級になったといえるとおもいます。さらに、いろいろな故障のおこる原因をあらかじめ予想して、そういう故障をまねかないように対処しておくことができれば、中級を脱したともいえるとおもいます。これ以上は、中級者以上にはとても行っていないと自覚している自分自身にはわかりません。おそらく、「これでいい」という限界はないのでは?とぼくは考えています。
 
■Windowsそのものも不安定

 今年、とうとう21世紀になりました。今までWindowsにも7年ほど付き合ってきましたが、一昨年末のWindows2000につづき、昨年はWindows Me(Millemium editionの略)が発売され、新世紀に向けての希望を予感させました。がしかし、この新しいOSになってもWindowsは相変わらず不安定です(これは、Macも同じですが…)。やはり安定性となると、業務用に使われるOS(いろいろある)やUNIX系のOSなどにはかなわないようです。私の職場では職員用の情報処理室で、WindowsNTを用いたLANを使っていますが(といってもほとんどプリンター共有と成績処理がほとんどですが)、フリーズや故障はけっこうあります。使い方が悪いと誰かを責める前に、ふつうに使っている状態でいろいろなトラブルを起こすOSの方に問題があると言っていいでしょう。

 パソコンには比較的強いとおもわれている理数系の人などは、「機械は壊れるもの」と割り切っていることが多いのですが、それ以外の人はやはりエラーメッセージが出たり、突然フリーズしたりすると慌てふためていしまうのは、仕方のないことです。もともと、パソコンが万人に簡単に安全に使えるようになっている段階までは行っていないからです(いつになってもそうは行かないとはおもいますが…)。ふつうのワープロ機能…これなどもうふつうの機能ですが…さえ、自分で何かを考えなければ文章をつくることはできないのですから、最低でも「文章を考える」能力は必要になるわけです。ワープロソフトが勝手に文章を作ってくれるようなことは、いくら未来に託しても無理というものでしょう。

 今後もWindowsやその他のOSも改良が加えられてゆくことでしょうが、どういう方向へ変わってゆくのかは、とてもぼくには予想できません。ただ、今の形態を踏襲してゆくとしたら、Windowsの不安定さはいつになっても解消されないだろうとは、考えています。欠陥は避けられなのはわかっていますが、いかにも新しい機能を充実させたようなポーズを取りつつ、欠陥をアップデートとか称して少しづつ修正して行くやり方はあまり公正なやり方とはおもえません。欠陥は欠陥でしかないのです。ぼくが、Windowsには不満を持ちながらも、しぶしぶ使っているのは、Flight Simulatorなどの飛行機シミュレーションソフトがWindows以外ではほとんどできない現状があるためです。フリーのOSであるLinuxなどの上でこれらのソフトが動くようになったら、当然そちらのOSに切り替えようとおもっています。そのための勉強ももう始めています。

■故障は突然おこるのか?

 これは、むずかしい質問ですが、確かに「突然おこる故障」はあります。ぼくも、トイレに行ってもどってきたら、故障していたということが実際にありました。Windowsではメモリ関係のエラーメッセージがときどき出ますが、別にメモリが足りないなどということがないにも関わらず、「不正な処理をしたので、このソフトを強制的に閉じます」のようなのがよく出ます。これなどは、搭載メモリ容量の大きさに関係なく、Windows自体で使うメモリはある決まった場所からと指定されているようで、ここのメモリが一杯になれば、上記のようなエラーがでるようです。メモリというのは、これまた1つの周辺機器ですから、大きくすればその管理にまた容量を食うという自己矛盾的な要素がさけられないのです。ですから、大きければいいと単純にはいえないのですね。

 ただ、パソコンは機械ですから、故障の前には何らかの兆候があることは確かです。この兆候を感じ取れるかどうかは使う人の知識と技術と経験がものをいうのでしょう。物理的な(機械的な)故障は、ある程度、目に付きますからわかりやすいのですが、ソフトの故障はどういうしくみでそうなるのかは表面的には掴めないです。ですから、OSをふくめ、ソフトがどういうしくみになっているのかをある程度は知っておく必要があるとおもいます。こんなところに、「オープンソース」といって、プログラムのもとの内容を公開してしまおうという運動がおこっている背景があるのです。「知的財産」などとあまりに自分の殻に閉じ込もることで、返ってユーザーが見放してしまう結果になることが今後起こってくる可能性は十分にあります。あきらかにソフトのバグであることがわかるものは、Internet上のHPなどで修正版が出て、それをインストールするとそのバグが直るということは実際にもあります。しかし、実際にパソコンを使っている人の大半はそこまでして、自分のパソコンのソフトをチェックしているかといえば、そんなことはまず考えられません。自分の操作ミスだとおもってしまうのがふつうでしょう。

■故障の大半は使う人の操作・設定ミス

 上で、OSやソフト(アプリケーションの)のバグなどのことを言って、それが故障の原因だと考えられた方もいるかとおもいますが、よく調べてみると、故障の大半はどうも使う人の操作ミスや設定ミスが多いようにおもえます。もちろん、操作&設定ミスをしたくらいで、壊れるソフトも情けないのですが、ソフトはデリケートなもので、ほんのちょっとしたことで壊れることのあるものなのだとの認識は大切なことだと考えます。とくに、現在、使われているソフトの大半は、まだ発展途上にあるもので、完成品など1つもないと言っていいでしょう。ですから、操作にあたっては、細心の注意は必要なのです。

 パソコンの機械的な故障であれば、部品の交換等で直るでしょう。困るのは、パソコンが故障したときに、それが機械的な故障なのか、ソフト上の故障なのかの判断です。これがほぼ的確にできるようになれば、あとは対処法をかんがえればすむことなので、そう騒ぐこともないですね。しかし、この見極めは言葉でいうほど簡単ではありません。パソコンが火でも吹いているようなら、故障の原因などだれでもわかります。そうではなくて「突然パタッと止まってしまう」パソコンの故障の仕方を見ていると、怒ると完全に無口になってしまう女性(もちろん男性にもいますが…)に似ていて、対処法がなかなかおもいつかないのです。

 パソコンの故障には、しばらく黙ってようすをみるというのが、まず最初にやってみる方法のようにおもえます。病状をみるのと同じです。焦っていろいろいじくりまわすと自分でやった操作や設定がどういうものであったかを忘れてしまうこともあるからです。そして、次に身近にパソコンに詳しい人がいれば(これが理想的ですが…)、その人に相談にのってもらうのが一番です。でも、そういう人は少ないでしょうから、電話でパソコンのメーカーのサポートセンターへ連絡して相談するのがふつうでしょう。このとき、理想的には電話がパソコンのそばにあって画面を見ながら相談できると解決が早いです。というのも、パソコンのサポートセンターの方も目の前にパソコンを置いてそれを見ながら相談に応じているのが一般的だからです。これで直れば、もうけものです。上手な質問の仕方をすれば、的確な回答をえられるのは、どんな場合でも同じです。質問を上手にするためには、パソコンについてのある程度の基礎知識と基礎技術がどうしても必要になりますから、普段から疑問をもったらパソコン辞典などで調べる習慣をつけておくと、イザというときに役立つものです。私自身は、興味の赴くままにパソコンを使っているうちに覚えてしまったようです。FlightSimulatorをするために、のめり込んでいましたから、そのついでにそういう知識や技能を覚えこんで行ったのだとおもいます。ですから、自分の好きなことをパソコンに持ち込むのが、長続きするための方法かもしれません。 
 
■いつも初心者の気持ちがあれば…
 
 パソコンに慣れてくると、ほとんど文房具やゲーム機と同じ感覚で使えます。キーボードやマウスもはじめのうちは意識して触ることが多いでしょうが、慣れてしまえばほとんど何も感じないで鉛筆やボールペンのように感じてきます。今、この文章を自宅のパソコンで打ち込んでいますが、モニターの文字を見ているだけでキーボードはほとんど見ていません。別に特別な練習をしたわけではないのです。偶然に学生の頃、英文のタイプライターを使っていたせいで、キーの配列は指が勝手に覚えているみたいで、返ってキーボードを見ると気になって打てなくなってしまうのです。これなど、たまたまアルファベットの配列がタイプライターとキーボードで同じだったというだけで、学生の頃はそんなことは予想もしませんでした。先見の明があったわけではないのです。ローマ字入力にしているためこの恩恵を受けていますが、それ以外の入力(あいうえお…)は全くできません。おそらく、それでやったらこのような長めの文章など打てるはずもありません。現在のキーボードのアルファベット配列がたまたま、私が学生の頃に使っていたタイプライターと同じだった!というだけのことです。

 慣れてくるとどうしても「奢り(おごり)」がおこるのは、ふつうのことのようです。車でも慣れてくる頃が一番事故が多いのはよく知られています。パソコンでも同じ事が言えます。パソコンの一般的な操作にも慣れ、ある程度のソフトも使いこなせるようになると、いろいろなことをやってみたくなります。このときに、一つのギャップがあるのです。応用分野というのは、単なる基礎の積み重ねではなく、ある程度の飛躍を必要とします。この飛躍を容易にするのは何かといえば、それは「失敗の意識的な反省に基づいた反復」としか言えないようにおもいます。よく「初心忘るべからず」とかいいますが、これほどむずかしい要求はないのです。初心などいつまでも持っていることなどできるはずもないですし、その必要もないのです。初心を忘れて意識できないくらいに慣れてしまうことが大切なのでしょう。

 しかし、そうは言っても「あの頃はよく失敗したよな…」などとときおりおもい起こすことは、大切なことです。そういう余裕をもってこそ、いろんな困難な事態にもある程度落ち着いて対処できるからです。私自身がパソコンに関してどれくらいの知識と技術があるのかは自信がありません。私のパソコンの「師匠」である友人の佐々木くんなどから見れば、赤子のようなものかもしれません。でも、それでいいのです。あの家族が寝静まったマンションの一室で夜中に一人でパソコンと苦闘していた自分が今の私のパソコンの原点なのですから。あれからどれくらい上達したのかは自分でもよくわからないのです。そのときの気持ちは今でも持ちつづけています。パソコンのことで、「師匠」に聞くこともめっきりなくなってしまいました。これが、上達というのか怠慢というのかは自分でも判断はできません。

■故障がパソコンの知識と技術をアップする

 すでに述べましたが、パソコンの故障をどれくらい克服するかで、その人のパソコンの生きた知識や技術の程度が決まってしまいます。何のトラブルもなく、トラブルが起これば誰かに頼って直してもらう、というようなことばかりしていては、パソコンに嫌われてしまうのは仕方のないことです。パソコンに限らず、故障や失敗を自分の力で(もちろん周囲の援助を受けてもいいのです。実際にやるのは自分ですから。)直したときには、知識だけでなく技術的にもそこでググーンと伸びるように感じます。今まで見えていなかった世界が見えてくるような錯覚すら覚えます。それまでに、本や雑誌で読んでいたことでも、まるで自分の一部になったように確実に納得が行きます。これが、「実力がついた!」ということなのかもしれません。

 毎日、パソコンを使っている私にも未だにわからないことも直せない故障も数多くあります。でも、それを恥ずかしいことだとは全くおもっていません。直す気になれば、少し時間はかかっても直せるという不思議な確信があるからです。パソコンにはいつも興味がありますし、それらの新しい知識や技術を学ぶことも苦になりません。私にはパソコンはなくてはならないものなので、とても大切にしています。車の好きな人が絶えず車を磨き、エンジンを点検したりしている気持ちもよくわかります。あれとまったく同じ気持ちです。ですから、「パソコンは道具だ!」などと簡単には言えないような気がしています。普段から知識や技術を磨き、大切に使いつづけて初めてパソコンが自分の身体の一部のような道具として、その威力を発揮してくれるのだろうとかんがえています。文章を書くときでも、思考の補助としても素晴らしい可能性を持ったパソコンを使い切るためには、やはり普段の鍛錬が必要なのだ(それもできれば、自分の好きなことに活用しながら)とつくづくおもうのです。

 最後に、パソコンもこれからどんどん変化してゆくでしょう。どういう風に変わるかはおそらく予測はむずかしいとおもいます。機械のパソコンに入れ込んでしまった私は「いい出会いができた」と素直によろこんでいます。もちろん、どんなものにも使い方次第ではよくもわるくもなります。両面をいつも意識しながら、これからも「故障」や「失敗」と付き合いながらも、パソコンと仲良くやってゆきたいと願っています。

 2001/06/17(日) 12:51

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