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地図を読む楽しみ


■いつの間にか

 昨年(2001年)の夏に、「FS2000:アメリカ50州ー州都の旅」という飛行レポートものを終えました。ひょんなことからはじめた飛行日誌でしたが、このとき使った地図が勤務先の高校で拾った『標準高等社会科地図』帝国書院(多分生徒が捨てていったのでしょうね)と自分で購入した野村正七編『エアリアマップ アメリカ合衆国』昭文社という2つの地図でした。

 地図を見るのは子供のときから好きでしたが、寝床で見るほどではなく、必要があれば見るという程度でした。好きな山歩きのときには自分の命がかかっていることもあり、5万分1の地図(や2万5千分の1)をよく読みこんではいました。それも、最近では山用の便利な地図が多く出版されるようになったためか、そちらを購入することが多くなってしまいました。しかし、この「アメリカ50州ー州都の旅」では、飛行ルートの確認や州都の近くの空港を探すためにアメリカ合衆国という大きな国全体の地図を丹念に調べることになり、気がつくと寝床でも地図を見ているということがあったのです。今まで、アメリカなど興味もあまりなかったのに、地図を見ていると聞いたこともない地名に出会い、気の遠くなるような想いにとらわれることもありました。一生行くこともない場所が地球上に果てなくあることを感じて…。

 日本国内なら、ほぼ全県を旅行しており、細かい場所を問わなければ、地名を聞けばおおよそのようすはわかるのですが、外国となると本当には何も知らないことを再認識しました。同じ時代を生きているにも関わらず、自分が出会っている人の数など高が知れていると思い知ったのです。さらに衝撃的だったのは、アメリカ合衆国の北にある「カナダ」の広大さでした。大小の島々が北極圏まで広がり、その寒冷さにも関わらず町までできているのには驚いてしまいました。「人間が生活しているんだ…」という何とも形容しがたい感慨がわきおこってきたのです。そして、今まで気がつかなかったグリーンランドの大きさ…。

 いつしか、いろいろな場所が気になりだして、本屋さんで『グローバルアクセス 世界地図帳』昭文社を買い求めていました。この地図は、ただ眺めているだけでも楽しいので、よく寝床で見ることが多くなりました。それで感じてきたのは「地球は狭くなった」というような言い方があまりに軽く言われすぎているという印象です。考えてみれば、どんなに時代が進もうが、地球の全部の場所にすべてゆくなどということは不可能なことです。当然、昔は無理でしたでしょうが、現在だって無理なのです。人間の有限な時間を使って回れるだけ回っても無理でしょう。それに、そのようにして旅をしても何の意味があるのかはよくわかりません。少なくとも私には地図を見て、空想しているのが精一杯です。

 このようにしながら、地図を見るようになったら、今までわかっていたと思っていたことにもいろいろな疑問が次々と出てくるようになっていました。父が敗戦を迎えたミンダナオ島周辺を調べてみて愕然としました。その島の数の何と多いことか。あの島々へ旧日本軍は向って行ったのです。俗に「太平洋戦争」といわれる戦争があのような数限りない島々での戦闘の繰り返しだったことを今にして知ったのです。有名なラバウルなどもおおよその位置は知ってはいましたが、この地図帳を広げ、その中で見ると、今までとはちがった印象をもつようになりました。ゼロ戦のエースパイロット坂井三郎氏(2001年9月逝去)などが米英軍と戦ったラエ(Lae)やポートモレスビーなどは現在ではパプアニューギニア領になっています。この地は赤道直下でもあり、そこでの戦闘の厳しさはヨーロッパ戦線とはまたちがっていただろうこともよくわかります。ヨーロッパでの戦闘が高さの戦いであるのに対して、太平洋のそれは広さとの戦いであるといわれるのを実感しました。

■地球は丸い

 今更ながら、こんなことを書くのも可笑しいのかもしれませんが、「地球は丸い」のです。ですから、その表面は球面になっており、自分を中心におくと四方はゆるい勾配をもって曲がってゆきます。私たちが、飛行機に乗ろうがその事情は同じです。飛行機は直進しているように見えても、ゆるい曲線(円の円周上)を描いて飛んでいます。飛んでいるという表現は正確ではなく、本当は地上にはぶつからないようにしながら落下しているのです。これは、地球の周辺を回っている人工衛星にしても同じことです。飛ぶということが、空気による浮力(揚力という)と自由落下との微妙なバランスの上で実現する不可思議さに驚くばかりです。それも、今では当たり前になってしまっているのですから、言葉もありません。

 地図の話にもどると、球面を平面に正確に書き換えることは当然のことながらできません。しかし、近似的にはある程度の誤差内でできるので、「〜図法」などと呼ばれるいろいろな描画法が確立しています(『新詳高等地図』帝国書院には14種の図法が紹介されている)。それらの図法はそれぞれ用途に応じて使い分けられているようです。私は、地理学の専門家ではないため詳しいことはわかりませんが、学生の頃「球面三角法」という数学を学んだときに、えらく計算が面倒だったことを覚えています。まだ、関数電卓が発売されたばかりの頃で、なかなか手に入らず、計算尺と数表とそろばんを元に計算した思い出があります。

 丸い地球も、人間サイズでみれば、ほぼ平坦に見えます。今では、とくに珍しくもない気象衛星「ひまわり」からの画像を見ると、たしかに地球が丸いことはわかります。でも、それと日常の感覚が一致するわけではありませんね。地上10000mくらいのところを飛ぶジェット旅客機に乗っても、地球が丸いというような感じはあまりしません。やはり、昔の人と同じで、日常生活の範囲内では地球は平坦だといってもいいようです。厳密に話をすれば、それがいいとは一概に言えないこともあるものです。

■地図を読む

 地図はふつう見るものです。でも、地図上のいろいろな場所をじっくりと見ていると、そこに住んでいるであろう同時代人の姿や自然・動植物・景観などがそれとなく想像できるような感覚に捕らわれます。極地に近いところであれば、その寒さを感じてしまうし、赤道近くであればほんわか気分になったりします。こうなると、地図を見ているというより、ふつうの本を読んで、想像力をたくましくしているときと同じです。

 山に登れば、地図では読み取れなかった実際の山肌を感じ取れます。そして、そういう経験を何度もすると、今度は、地図を読んだだけでその山肌を現実に近いほどに想像することができるようになります。たとえ、それがまだ行ったことのない未知の場所であったとしても…。たしかに現在では、TVなどで世界中のようすをほぼリアルタイムで知ることができるようになってはいます。しかし、それとて、どんな場所でもとはいきません。寝床で地図を眺めながら、いつしかその中のある場所に注意が行き、想像をたくましくするというのも実にいいものです。

 大抵の家には、何らかの地図はあるものです。観光マップからロードマップのようなものまで。それらは、日常的にもよく使うものですが、世界地図というのはあまり利用されているようには思えません。私の家にも平凡社の「世界大百科事典」の中に付いてきた「世界地図・日本地図」というのも含めて、5冊ほどの世界地図帳があります。けれど寝床でも読んで楽しい地図というのは、上記に書いた新しく購入した地図くらいです。世界情勢がどんどん変わっているためか、もう古い地図では国名も違っていたりして現状に追い付いて行けないのですね。それでも、読んで楽しめる地図というのがあれば、また購入してみたいと思っています。高校生の頃、読んだ記憶のある堀淳一さん(当時、北海道大学の物理学科の助教授だったように思う)の『地図の??』(すみません、どうしても?の部分が思い出せません)という本の中にあったスイスなどのヨーロッパの国々で出版された地図の一部が印象に残っています。

 中年にもなって、地図の見方・読み方などに気付くとは、不勉強であったと思うのですが、何事も「気付いたときが出発点」ですから、これからはこういう楽しみも十分に堪能していきたいと考えています。

 2002/01/14(月) 10:29

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