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ノーベル賞受賞おめでとう!


■ノーベル賞受賞おめでとう!

 すでにマスコミなどで大きく報道されているので、私がどうのこうの言う必要は全くないのですが、自然科学を教えている者として大変うれしい受賞なので、祝福したいと思います。「小柴さん、田中さん、ノーベル賞受賞おめでとう!」心からお祝いします。日本人ではじめての2人同時受賞、聞いたときは驚きました。そして、本当にうれしくなってしまいました。とくに、私より年下にあたる田中さんの受賞にはジーンとくるものがありました。同じ自然科学を学ぶものとして、こんなにうれしいことはありません。自然科学を研究する人にとって、ノーベル賞は大きな名誉でもあります。自分の研究してきたことが世界中の研究者仲間や一般の方に評価された証でもあり、賞金にまさる名誉は得がたいものです。この受賞は、私にとっては、マスコミで報道される内容以上に大きなインパクトをもって感じられました。

 ご存知のように、ノーベル賞には6つの分野(物理学・化学・医学生理学・文学・平和・経済学)がありますが、ノーベルの遺言では経済学を除く5つの賞でした。後に、経済学の賞ができました。科学分野(技術も含む)以外のものには、思想的・政治的な意味合いもかなり入っていることは注意しておかないといけないでしょう。科学分野に関しては、当たり外れは当然あるもののここ100年以上の歴史を見ても、大きく的をはずした受賞はないと私は思っています。ちなみに1901年の第1回の受賞は、物理学賞がW.レントゲン(X線の発見)、化学賞がJ.ファント・ホッフ(化学熱力学の法則および溶液の浸透圧の発見)、医学生理学賞がE.フォン・ベーリング(ジフテリアに対する血清療法)でした。このあと、歴史に残るそうそうたる人物が受賞しています。詳しくは、私も参考にさせて頂いた三浦賢一氏の『ノーベル賞の発想』朝日新聞社をご覧ください(この本はとてもいい本です)。

 この両人の受賞内容については、専門分野のことゆえ門外漢である私が詳しく知る由もないのですが、物理学者であられる小柴さんの報道と、一般会社の研究員であられる田中さんの場合では、報道のされ方がかなりちがっているように感じているのは私だけではないでしょう。目だった地位にもなかった田中さんが、一躍世界のトップレベルの評価を受けたことによるショック症状がマスコミにも勤務されている会社自体にもあるようです。というのも、今後の田中さんの待遇を巡っての成り行きがどうなるかというような、世間的な話題も含まれた形での報道がつづいているからです。

■受賞後の待遇を考える

 小柴さんの場合と田中さんの場合では、はっきりと今後のことはわけて考えることができると思います。小柴さんの場合は、すでに大学も退官して、功なり名を遂げているところへの受賞ですから、今までの業績を讃えるという意味で、どなたも納得されると思います。これに対して、田中さんの場合は、現役の研究者であり、現在も研究に没頭されているという環境です。本人も語っておられるように、研究に集中したいという気持ちが伝わってきます。一方、会社としては、ノーベル賞を受賞するほどのトップレベルの研究者を単なる一研究員としておくのは、社会的に立場がないというわけで、いろいろな待遇改善を計画しているようです。こういう場合、どうしたらいいのかはとてもむずかしい問題です。

 ただ、私の印象では、田中さんを昇進させて研究から遠ざけるようなことがあれば、それは返って、田中さんの能力を研究以外の諸事で押しつぶしてしまうのではないかと危惧しています。「ピーターの法則」を持ち出すまでもなく、すべての面で能力を持った人などはいないのです。専門での研究ですばらしい能力を発揮される人でも、事務的な能力はとても苦手ということは、あの有名なアインシュタインを例に挙げるまでもなく、ごくふつうに見られることです。一般的に階層社会のより上位の地位へと昇進させることがその人を評価する方法として取られることが多いのですが、それが決していいことばかりではないことは頻繁にあります。新聞などの報道を読むと、どうも田中さんは意識的にか無意識的にかこのことを知っておられるようで、安心しました。会社の方でも無理に昇進させるよりも、田中さんに研究上の自由度を増すような方策を検討しているという報道を聞いて、やはり創造的な仕事を重視してきた島津製作所だけのことはあるとうれしく思っています。というのも、私も職場で島津製の実験器具をときどき使っており、お世話になっているからです。こういう会社が日本で頑張っていることに誇りを感じています。立派な会社です。創造的な研究を日常から重視している会社は、このような不況をも乗り切って、きっと次世代を切り拓いて行ってくれるものと期待しています。

 こんな話しをするのも、じつは以前から疑問に思っていたことがあるからです。ご存知のように江崎玲於奈氏はノーベル物理学賞を受賞されたすばらしい業績をもった方です。それでというのかはわかりませんが、旧文部省が「教育改革国民会議」の座長として担ぎ出されて、その任にあたりました。そして、そのときの議事録を読むと、やはり心配したように、あれだけの業績のある人でもやはり自分の専門分野で活躍されていた方が良かったという印象を濃くしました。以前、江崎氏の講演会を聞きに行ったことがあり、そのときもじつは要領の得ない話で内容がよくわからなかったのです。私の理解不足もあったのかもしれませんが、話は物理のことですから、全くわからないというようなことは、めったにはありません。そのとき一緒に講演された米国の有名な物理学者ホイーラー氏(有名なファインマン氏の恩師)の話は英語でしたが大変よくわかりました。そのときの印象があったので、どうも話のプレゼンテーションがあまり得意ではないのかもしれないなと感じていたのです。そこにきてこの会議での議事録です。読んで、その発言にがっくりきました。現在の日本の小中高の実態が全く見えてないトンチンカンな認識(知ろうと思えば、彼の立場だったらいくらでもできるにもかかわらず…)ばかりで、こういう方面では「無能レベル」に達してしまっていることを露呈してしまっていたからです。日本には悪いことわざがあって「一芸に秀でた者はすべてに通じる」みたいに言われます。が、これは全くあてにはなりません。そういう人も稀にはいますが、大抵はそううまくはいかないのです。現代の細分化されたそれぞれの専門分野の専門家には、すべてに通じている暇などないからです。ノーベル賞を受賞したからといって人生万事に通じているわけではないのです。この例は、江崎氏の功績を「教育」の分野で利用しようとしたわけですが、どうもこの分野では彼の有能さは発揮できなかったようです。旧文部省にとっては、権威の担ぎ出しに成功したのですから、思惑どおりだったと思います。このように、現役の研究者でなくて、過去の栄光を背負っているケースの場合は、社会に与える影響も大きいので、その担ぎ出しには気をつけなければなりません。それを受け取るマスコミや一般社会でもその発言には注意が必要だと思うのです。

 欧米などでは、ノーベル賞を受賞した有名な科学者などでもその人の専門分野以外のところに担ぎ出す傾向は少ないようです。あくまでも、その分野で優れた業績をあげたと人というように少し醒めた見方をしていると聞いたことがあります。国のリーダーに当たる人が「ノーベル賞を取るぞ!」などと掛け声を出している国では、まだまだこういう醒めた視点はもてないのかもしれません。残念ながら、わが国では、スポーツにしても同じような傾向があり、実際に動き回っている選手よりも監督の方が騒がれるなどといった本末転倒した現象が見られるのも同じ共同幻想があるからなのでしょう。ある分野で優れた業績をあげたからといって、その人たちがみんな「人生の達人」であるわけなどないのです。こういう観点から見ると、世の中の「偉い人」たちの中にもずいぶんと似たような人がいるのに気づきます。

 小柴さんや田中さんに同じような誘いがかからないことを願いつつ、静かにご両人の今後の活躍を祈りたいと思います。

 2002/11/03(日) 12:30

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