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ゼロ戦エースパイロット
坂井三郎氏を偲ぶ


坂井三郎氏が搭乗したゼロ戦21型機の勇姿

坂井三郎氏がもっとも優れたゼロ戦であったという21型機。ペイントは坂井機のもの。

富士山上空を飛ぶゼロ戦21型機(坂井氏搭乗機)

キャノピーを開けて富士山上空を飛ぶゼロ戦21型機(坂井三郎氏搭乗)

■FS2002の世界をゼロ戦(坂井機)で飛ぶ

 FS2002(日本語版)では、機体の種類はディフォルトで17機入っています。いろいろな情報を仕入れているときに、同じMicrosoft社から出ている「Combat FlightSimulator 2(CFS2)」に入っている機体はすぐにコピーをすれば使えるというのを聞いたので、早速一番好きなゼロ戦21型機(ペイントは坂井機…作者の方をどうしても思い出せない。すみません。)をFS2002のaircraftフォルダにコピーしてみました。すると、本当にそのまま使えるようになりました。それを使って、最初にシカゴのMeigs空港から飛び立ち、もどって来て撮ったスナップが上に載せたものです。下のスナップは厚木飛行場から飛び立ち、富士山を周回してきたときのスナップです。下のスナップでは、キャノピー(風防)が開いていますが、これは朝妻さん(いつもお世話になっています!)というFSの愛好家の方から「Shift+E」キー操作で昇降口の開閉ができるという情報を教えて頂いたのでやってみたら、見事に開いたところです。操縦しているのは私ですが、スナップで操縦席に座っているのは、誰あろうゼロ戦のエースパイロットであられる坂井三郎氏です。機体番号が「V-107」となっているので、この道に詳しい人なら「まちがいではないの?」と思われるかもしれませんね。その通りです。台南海軍航空隊時代の愛機は「V-103」でしたし、ニューブリテン島のガスマタに残して戦後オーストラリアで復元された坂井氏の愛機は機体番号が「V-173」だからです。ただし、坂井氏の書かれた本によれば、前線基地では「この機体は誰の」と決まっているようなことはなくて、身近にある機体に駆け乗って出撃することも多かったとのことです。しかし、通常使用する機体という意味では上に載せたペイントは確かにニューギニア・ラエ基地時代の坂井機(写真に残っている)です。それで、私はCFS2をするときにはこの機体を使って、激しい空中戦をしています。

 坂井三郎氏は昨年(2001年)の9月に急逝されましたが、それまでは旧海軍航空隊の中で生存するゼロ戦エースパイロットとして貴重な実戦での資料を残されていました。私も小さい頃にその名前を知って以来、尊敬するパイロットとして心に刻み込んでいました。『大空のサムライ』などの多くの著書も残され、本当の最前線で戦ってこられた経験を誠実に語っておられました。戦地においても指揮官連中がいかに無能であったかなど、きちんと書かれてあります。自分に与えられた環境の中で厳しい自己鍛錬を怠ることなく、精一杯生き抜いてきた姿に私は何度も涙しました。私の父と同じ歳であったことも、親近感を覚えた理由でしょう。父は陸軍でしたが、やはり外地を転戦して敗戦はフィリピンのミンダナオ島で迎えています。80歳で脳梗塞に倒れましたが、何とか一命を取り止めて、現在も元気にしてくれています。そんなこともあり、昨年の氏の急逝には驚きと無念さを禁じえませんでした。父よりはるかに元気に活動されていたからです。しかし、彼にしてみれば、多くの戦友はすでにあの最前線で亡くなっており、ようやくお迎えが来たのだという安堵の念もあったのかもしれませんね。まさに「昭和のサムライ」そのものでした。その潔さは、あの大戦で多くのミスを犯した大本営の指揮官たちの見苦しさを浮き彫りにするのに大きく貢献したと思います。敵であった米国のパイロットたちからも格別の尊敬を受けていたという事実は、彼の生き方そのものがエースパイロットとしての風格を感じさせたためであったと思うのです。亡くなってもう半年近くが経ちますが、おそらく彼の魂はあの靖国神社にはいないことでしょう。きっと、台南航空隊の戦友たちと共に今も大空を飛びまわっているにちがいありません。

 私は坂井三郎氏を英雄と称える気持ちはありません。ただ、戦争というのっぴきならない状況の中で精一杯生き抜いた一人の人間として尊敬しています。彼の書いた本は、私にとってはどんな教育書よりも現場でそのまま通用する指針を与えてくれます。「リーダーとはなにか?」「人を育てるとはどういうことか?」「極限状態で人はどのように行動すべきか?」などなど、それこそ現在にも立派に通用することは言うまでもありません。

 これを書いているパソコンの横には、ゼロ戦21型機の1/48スケールのずっしりとした金属製の模型が置いてあります。「ゼロ戦か…、もし自分があの大戦時に若者だったらどうしているかな?」と考えることがときどきあります。生き物は自分の生まれる時代を自分で選ぶことはできません。坂井氏も偶然にあの時代に出くわしたのです。その中で、自分の可能性を最大に発揮すべく努力されたのだと思うのです。時代こそちがえ、私も私でこの時代を精一杯生きてゆくしかないのでしょう。いつの時代も…。

 2002/02/23 (土) 20:48:19

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