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2001年夏山山行記
<北海道:雌阿寒岳→羅臼岳→斜里岳>

大竹 一弥


■はじめに

 我が上飯田山岳会で北海道の山へ登りにゆくのは今回が4回目である。今考えるとずいぶん無駄足を運んでいるような気もするが、過去「利尻岳」を除いて天候にまったく恵まれずに、途中断念などのむなしさを味わってきている。高い費用をかけて、念入りに計画して行っても天候の悪さだけはどうしようもない。何とか、天気の安定している時期にと考え、夏休み早々に出発した北海道であったが、今回またしても天気には恵まれなかった。最後に登った斜里岳山頂でつかの間の晴天に出会えたのがせめてもの救いであった。
 
 例によって山路さんの詳細な山行記録が出るはずなので、ぼくは大雑把に記憶に残っているところを(といっても最近は物忘れがひどいが…)書いておこうとおもう。なお、今回の会計は指原さんに、記録と食料計画は山路さんにお願いした。ぼくは、山行計画全体を担当した。
 
■■山行計画

 あくまでも計画段階でのものであるが、できる限りこの計画(食料計画は山路さんが担当してくれたが、ここには載せない)に沿って行動するように努めた。天候等による変更は、現地にて臨機応変に判断することとした。
 
◆目的
(1)前回の大雪山縦走で登頂を断念したトムラウシ山の頂上に立つ。
(2)天候に恵まれれば、羅臼岳・斜里岳へも足跡を残す。
(3)上飯田山岳会の親睦をはかる。
(4)中年の体力に応じた無理のない山登りを実践する。
(5)網走の田島君との友好を深める。
(6)とにかく楽しく安全に、思い出に残る登山にする。

◆日 時:2001年7月23日(月)〜2001年7月30日(月)(含む予備日)

◆目的地:大雪山系 トムラウシ山  知床山系 羅臼岳・斜里岳

◆行 程:
7/23(月) 羽田空港7:00集合!(絶対に遅れない)
 羽田(7:30)―→ ―→帯広空港(9:00)―→トムラウシ野営場(泊)
7/24(火)
 トムラウシ野営場(3:30)→短縮登山口(4:00)→カムイ天上(6:00)
→前トム平(9:00)→トムラウシ山(12:00)→南沼キャンプ場(12:30)(泊)
7/25(水)
 南沼キャンプ場(4:00)→前トム平(5:30)→カムイ天上(7:30)―→
→短縮登山口(8:30)…※車に荷物を積んで着替える。
短縮登山口出発(9:00)→241号線→弟子屈→391号線→斜里→岩尾別(泊)
7/26(木)
 岩尾別・木下小屋(4:00)→長官山(6:30)→羅臼平(9:00)→羅臼岳(10:30)
→羅臼平(11:30)→長官山(13:00)→岩尾別・木下小屋(14:30)(泊)
7/27(金)
岩尾別・木下小屋(8:00)→知床五湖→カムイワッカの滝→(種々見学)→
斜里→清里→清岳莊(泊)
7/28(土)
清岳莊(4:00)→下二股(5:00)→上二段(7:00)→斜里岳(8:30)→
上二段(9:40)→能見峠(10:20)→下二股(11:00)→清岳莊(11:30)→→
→川湯温泉にでも泊まりましょうか?
7/29(日)予備日
7/30(月)
 観光の後、女満別空港より羽田へ

■■山行記

■トムラウシ山から雌阿寒岳への変更

 当初の計画では、最初にトムラウシ山に登るのが今回の夏山のメインであった。しかし、現地に行ってみると登る前から激しい雨が降りつづいていた。北海道に梅雨はないなどと言う人もいるが、それは間違っている。関東地方が猛暑のときほど、北海道付近には前線が停滞しやすく、これこそムシムシ感はないものの北海道の遅れた梅雨なのである。今回もまさしくこのパタンにはまり込んでしまった。
 
 トムラウシ温泉から登るコースは標高差は1100mほどであるが、なにせ登山道が良くない(ドロドロした箇所が多い)のと、ダラダラ尾根になっていて歩く距離が長いのだ。途中にあるカムイ天上の上部にはこまどり沢という渡渉をしなければいけない箇所もあり、増水時には渡れなくなることもある。ちょうど、私たちがトムラウシ温泉(東大雪荘にある)に入りにいったときも、現地の警察官たちが来ており、登ったパーティーがまだもどってきていないと騒いでいた。登ったのはいいが、帰りの渡渉が増水でできなくなっているようだとの情報であった。なるほど、露天風呂のあるすぐ下を流れているこまどり沢からの川水はゴーゴーと音を立てて猛烈な勢いで流れていた。キャンプ場の近くにある小さな滝ももうあふれんばかりに増水していた。この状態ではたして登れるか、正直不安があった。登る当日にこの状態であれば、停滞して天候の回復を待つか、それとも登る山を変えるしかない、とかんがえていた。それにしても、トムラウシ山は私たちとはどうも相性がよくない。こういうときには、やはり距離をおいてみるのがいいのかもしれない。
 
 7/23(月)の登山当日も結局雨は降りつづけており、私は寝入っていて気づかなかったが山路さんの話では山の上のほうでは雷がなっていたとの話もあった。これは、明らかにこまどり沢の渡渉は困難なことを教えてくれている。山は逃げないし、ここで停滞をしても登山道が回復するにはあと何日かかるかわからない。残る方法は、一つしかない。それが、登山計画を立てていたときからかんがえていた、雌阿寒岳へ変更することであった。
 
 帯広に一旦もどり、同行した湯上さんには申し訳ないが、電車で旭川→層雲峡回りで大雪山に入ってもらうことにして、私たち3名はそこから雌阿寒岳を登りに行くという計画である。雌阿寒岳はちょうど次にめざす知床連山の羅臼岳・斜里岳へ行く途中に位置しており、レンタカーで移動している私たちにとってはそれほど移動に手間取るところにあるわけではなかった。雌阿寒岳の登頂に必要な時間は長くて5時間ほど。午前10時までに登りにかかれば、明るいうちに降りて来れると予想した。朝5:00にトムラウシ温泉キャンプ場を出れば、2時間ほどで帯広へ、そこから3時間ほどで雌阿寒岳の登山口には着けるだろうとかんがえ、湯上さんにも了承してもらい、その計画に変更することにした。日にちはたっぷりあるが、時間を有効に活用することは大切であり、「とにかく北海道の山を3つ登って帰る」という当初の決意を実行に移すことにした。
 
 以下、それぞれの山でのようすだけにしぼり、個別に書いておくつもりである。
 
■雌阿寒岳 1499m(2001/08/24 曇りときどき雨)

 湯上さんを帯広駅に送り届けたあと、すぐにその足で雌阿寒岳に登るべく一路「雌阿寒温泉」を目指し、車を飛ばす。9:00ちょうどに雌阿寒温泉に着く。車のナビ通りに運転してドンピシャリだった。温泉といっても宿は1軒しかなく、そこで雌阿寒岳の登り口を聞いた。登リ口は宿から100mほど離れた今来た道路沿いにあった。そこには、すでに2台の車が置いてあり、ぼくらも車を移動し空いているスペースのところに突っ込んだ。そして、5時間ほどの登山に必要なものをサブザックにつめこんで急いで準備をした。天気は今にも泣き出しそうな曇り空でときおりパラついているが、まだ本格的に降りだしそうではなかった。念のため、雨具と折りたたみ傘はザックにいれた。さらに足場の悪さも予想して、山路さんとぼくは短スパッツを、指原さんは冬用のスパッツをつけて準備を終えた。
 
 9:30出発。登リ口にあるしめ縄の下をくぐり、ゆるい登りがはじまった。朝早く登りもう下山してくる人に数人会った。天気を聞くと、上はガスでほとんど視界は効かないとのことで、「まあ、大雨でないだけで助かる」とおもい、ゆっくりと登ってゆく。一昨年の北ア:笠ヶ岳で痛めた左太ももの筋肉痛は今でもピクつくことがあるため、登りのときはかなり神経質になるのが自分でもわかる。今年は、この対策のために毎早朝のウォーキングと腕立て・腹筋・背筋・太ももの筋力トレーニングを欠かさなかったので、多少自信は取り戻しつつあったが、山では何がおこるかわからないので、最初の登りはかなり慎重にゆっくりしたペースで登って行った。
 
 昨年までのペースでは、20〜30分に一本つけるペースであったが、今回は荷物が少ない上に、天気が曇り空で気温も低いためか、それほど疲れも出てこないので、50分歩いて5分休憩の以前のペースで登れるかなと試してみることにした。とにかく、ゆっくりでも歩きつづけるほうが、急いで歩いて休んでばかりいるよりははるかに早く進めるのは経験上わかっているので、そのペースに徹してみた。1本目の30分も過ぎると汗が出始めてきたがこういうのは気にならない。新陳代謝の激しいぼくにとって汗が出始めないとエンジンがかかってこないのは自分が一番よく知っているからだ。
 
 2本目の休憩で軽い朝食をとることにしたが、ぼくはあまり食欲もなかったため、パンを少しとポカリスウェットなどで喉を潤す程度にした。雲は多かったが幸いなことに雨には降っておらず、雨具をつけない分快適に登れていた。ときおり、雲の切れ間から下の風景も見えてきたが、阿寒湖や雄阿寒岳を臨むことはできない。深田久弥『日本百名山』新潮文庫を読むと、深田氏は昭和34年にこの地に登山に来たが、ちょうど雌阿寒岳は噴火で登山禁止になっており、阿寒湖のすぐ脇にそびえる雄阿寒岳に登られたことが記してある。山の形としては雄阿寒岳のほうが円錐形ですっきりとしており、すばらしいのだが、登りやすさがそうさせるのか、現在では「百名山」登山では雌阿寒岳を登るのが一般的になってしまっている。標高で雌阿寒岳のほうが少し高いせいもあるのだろうが、やはり原著に忠実に登るならば雄阿寒岳に登るのがスジというものだろう。
 
 登っている途中でも気づいたことであるが、登っている人はほとんど中高年の人で若い人は見かけなかった。もはや、登山は若者には無縁のものになってしまったのかと少し残念な気もした。森の中をぬけ、ハイマツ帯をぬけると火山特有のガレ場が現れる。疲れも少しはでてきたが、風があたるようになり返って登り易くはなってきた。今のところ、心配していた左太ももの痛みも出ていないので、ペースも落ちずに50分1本休みのペースで登ってゆく。
 
 今年の登山に備え、4万円近くを出して購入した皮製の本格的な登山靴も重量は重いものの足のバランスをしっかり取ってくれるせいか、とても登りやすい。もともとぼくは皮製の登山靴しか持っていなかったのだが、10年ほど前に山岳部の顧問をした際にイタリア製の軽登山靴(それでも3万円以上はした)にして以来、その軽さに慣れてしまっていたが、最近登るたびに足の爪に血豆ができるトラブルに悩まされていて(原因はこの靴の足首をしめる力が弱ってきていたせいだ)、何とか今年こそは以前のような「豆知らず」の登山靴をと考えていた。運良く登山用品店でそれらしい靴を見つけ、やっとのおもいで購入した。そして、ウォーキングのときに履いて足慣らしをしたりして、かなり足になじみ始めた頃であった。「今年の夏山では、大丈夫かな」という感じがでてきたのである。その靴を履いてのはじめての登山がこの雌阿寒岳であった。全体の作りが頑丈なので、山肌に思い切り足を押し付けると、絶対にすべらないという安心感があった。学生時代から履いていたドイツ製のLangkoffeという靴と似た感じがした。
 
 足はこれで大丈夫なので、あとは心肺(心配?)機能だけだ。タバコを辞めて1年半近く経つので、だいぶ息切れはなくなっているが、年齢的に衰えは隠せない。しかし、きょうはそれほどの息切れ感はまだない。息も上がっているようには自分でもかんじなかった。一番気になっているのは、何と言っても「肥満」である。太り易い体質の上に、あまり節制をしているわけでもないため、自分の体重で自滅しないようにしないとあとあとみんなに何を言われるかわかったものでない。それだけが心配だった。
 
 ガレ場がでてきて、頂上の近いのを教えてくれる。山頂はガスに隠れていてまったくわからない。石などに記された赤い矢印と危険地帯を示すロープの沿ってグングン高度をあげてゆく。暑くないというよりちょっと休むと寒いくらいなので、ゴーゴーと音のする噴火口とおぼしきところの淵をたどるようにしてゆるい傾斜を登ってゆく。ときおり、薄ぼんやりとガスの中に頂上らしい突起の影をみるのだが、それは頂上ではなかった。火山特有のスコリア状の砂地をゆっくりたどってゆくと、石でできた頂上を示す標識がひょっこり現れた。頂上である。ちょうど時間は12:00であった。何とも達成感のない頂上到達であったが、晴れていればまた印象もちがっていただろう。しかし、天気に文句を言ってもしかたない。荷物を降ろし、記念撮影をした。ガスの中なので、ただの標識しか写らなかったが…。
 
 頂上は風と低温で寒かったので、10分ほどで退散することにした。登ってきた道を今度は降りてゆくだけだ。しかし、ぼくにとってはこれが試金石になる下山でもある。ここ数年この下山で足の爪の下にうっ血を起こして1年がかりで治すことがつづいていたのだ。この下山で足に何も症状が出なかったら、この靴ははじめて合格なのだ。下山開始。下山はぼくのもっとも得意とするところである。しかし、油断はできない。山の事故の大半はこの下山で起こっているのだから。それに、新しい靴ではまだ感覚がつかめていないから岩にひっかけることもあり、十分に注意はしていた。それでも、いつものようにほとんど休みも取らず、ガンガン高度を下げてゆく。山では、ゆっくりした下山は返って危険である。膝にかかる負担も増えるし、下を向いての姿勢は高度感を返って感じ、つい足がつっばって腰が引けるような姿勢になりがちなのだ。下りこそ、スピード感とリズム感をもって頭から突っ込んでゆくようにしたほうが安全だとぼくは体験上おもっている。スキーで斜面を下り降りるときと同じ要領なのだ。腰が引けては靴底が斜面に平行にならず、返って滑る原因にもなる。何事も速攻が大切だとおもう。
 
 下山し終えたのは13:40であった。下山途中で足のつま先に何の痛みもなかったし、足首はしっかりガードされていたので、足は大丈夫と確信した。登山口のところにある水道で喉を潤し、靴を洗ったりしてから、ザックを車に放り込んで近くにある「オンネトー国設野営場」へ向った。今日の宿泊は昨日につづいて雨の中のテントである。しかし、思い切って登る山を変更したのは正解であった。あのまま、停滞していてもあと数日は登ることはできなかったであろうし、計画を立てる段階で「もし、トムラウシに登れないときは…」と多少は腹案を考えておいたのが良かったのかもしれない。
 
 それにしても、ぼくらが下山してきて車の置いてある登山口にもどる頃になって雨がまた本格的に降り出してきたときには、何という幸運に恵まれたことかと天気に感謝した。それと足を守ってくれた登山靴には強い安心感をもった。「あと2つの山でもよろしく」と心の中で祈念した。

 今夜の宿になる「オンネトー国設野営場」はあまり使われていないようで、利用している人は少ない。ぼくたちはテントを設営すると、登山口の近くにある雌阿寒温泉(といっても昔ユースホステルだったのを改装したような1軒の温泉だけ)に汗を落としにでかけた。そこで硫化ガスの強烈な温泉につかり、入浴後に缶ビールを買ってささやかな登頂祝いをした。あと、2つの山に想いを寄せながら…。
 
 2001/08/20(月) 16:20
 
■羅臼岳 1661m(2001/07/26 曇りのち一時晴れ)

 前日の移動日には曇りや小雨がつづいており、天候が心配されたが、木下小屋に投宿して露天風呂などにつかりながら、小屋番の阿久津さんという人にこのところの天気を聞いてみた。今年はさっぱりで特に7月に入っての天気は最悪であるとのことであった。その人が「もう明日当たりは少しよくなるんじゃないかな」と言ってくれたのを信じて、当日の朝を迎えた。
 
 ぼくの朝は早い。いつも3時前には独りでに目が覚めてしまうので、しかたなく山の準備などしているとすかさず山路さんが、そのあと迷惑そうに指原さんが目を覚まして、これまた嫌々そうに準備をはじめる。テントでないので、それほど早起きしなくてもいいのかもしれないが、山に関しては天気が良かろうが悪かろうが早立ちは原則である。早く行動していれば何か不測の事態が起こった場合でも、時間的にあわてずに行動できるからだ。
 
 この日も「雨でも降っているのかな?」とおもいつつ、早めに目が覚めてしまった。ヘッドランプを着けて、朝食を取り、他の宿泊者の迷惑にならないように静かに洗面・トイレなどをすました。トイレは快調とまではいかなかったが、もし途中でもようしたら何とかできる(?)とおもっていたので、それほど気にはかけなかった。早く出発することの中にはそういう時間的な意味も含まれているのである。
 
 木下小屋のすぐ前にある登山届に山路さんに記帳してもらい、4:05いよいよ登山開始である。天気は雨は降ってはいないが曇りと霧でいつ降り出してもおかしくないような具合である。いつ降ってきてもいいように雨具・ザックカバーなどはしっかり用意してある。なお、ヒグマの出没が多いというので、特に鈴などは音があからさまに聞こえるように一番はげしく揺れるザックの横につけて、自分でもうるさいなーと感じるほどに音を立てて歩きはじめた。もう取っ付きから尾根への急斜面である。ゆっくりと同じテンポで登ってゆくが、心配した左太ももは一昨日の雌阿寒岳登山がいいトレーニングになったのか、かなり落ち着いており、50分1本のかなりいいペースでどんどん高度をあげて行った。きょうの行程は、木下小屋(230m)から標高差1430mを往復してくるのである。上部での野営は予定していないため、何が何でも登頂して、そして安全に小屋にもどることが最大の目標である。出発時点での天気では、何とか持ちそうな雰囲気はあったが、こればかりは知床半島という海の近くの山では予想はつかない。
 
 木立の中を2時間ほど登り、さらに30分ほどゆくと雪渓の上に砂利がおおっているような沢筋にでた。ここが大沢であった。沢の上部は鞍部になっており、その一帯が羅臼平といわれるところらしかった。ここの基部で、腹ごしらへをしてから登りにかかった。下から見上げると、上までは相当に距離がありそうに見えるが、これは錯覚であることは当然わかっていた。山での沢筋は遠近画法にもあるようにV字に切れ込んで上部に上がっているために、ぼくらの目には距離的に遠く、さらに高度が高く見えてしまうのだ。だから、焦らずに一歩一歩上り詰めてゆくとおもった以上に短時間で登り切ってしまうものなのである。ただし、足場は悪いところもあるのは雪渓という場所を考えても当たり前なので、もう足にだいぶ慣れてきた登山靴のフリクションを十分に効かせて慎重に高度を上げて行った。この沢は30分ほどで登り切り、そのあとのハイマツ帯をのんびりと歩いて木下三弥吉氏(木下小屋の創始者でこの岩尾別コースを切り拓いた)のリリーフのある羅臼平に着いた。しかし、天気はガスが猛烈な勢いで流れる強風状態でとてものんびり休む気にもならない。
 
 ここから、頂上までは1kmと表示されていた。しかし、この羅臼平が標高1340mで頂上は1661mであるから320mの標高差を1kmで登ることになるのだ。ガスで見えないからいいようなものの最後のほうはかなりの傾斜になることは少し歩き始めてすぐに想像が着いた。ハイマツ帯の中を少しずつ高度を上げてゆくと、もう登頂をすませた登山者が何人か降りてきた。挨拶はするが「頂上までどれくらいですか?」などと馬鹿なことは聞かない。そんなことは知った上で登りに来ているのだから、山頂のようすだけを聞いた。山頂は強風で視界はきかないとのことであった。
 
 しばらくゆくと、岩場が出てきていよいよこれから最後の詰めに近づいていることを感じさせた。それまで、手にしていたストックは岩場では危険なこともあるので、短くしてザックと背中の間に背負い込んだ。忍者の刀スタイルである。岩場はどんどん厳しくなり、次第に岩登りのようすを呈してきた。といっても岩盤に張り付くのではなく、大きな岩を乗り越えるながら登るタイプである。危険というほどではないが、ガスで周囲が見えないため目標となる山頂が見えず、登りづらかったのは確かである。上に行けが行くほど風は猛烈になるし、息があがって眼鏡は曇るしで、参った。しかし、まだ時間は9:00前なのだ。登頂目前は、風もとくにひどかった。そんな中をとうとう8:55登頂した。山頂は岩場で、とてもこの強風では3人並んで記念写真というわけにもいかず、2人ずつ交代に写真を撮った。山頂ではとてもくつろげる状態ではないので、少し山頂から降りたところで、一息入れた。晴れていれば、360度の大パノラマを見れるところであったが、山はいつもこちらのおもい通りには晴れてくれない。『日本百名山』の著者、深田久弥氏も羅臼岳ではガスの中での登頂しか経験していない。
 
 下山する頃には、ぼくらの後に登ってきた人たちが次第に登頂にかかって岩場に取り付きはじめた。岩場の取り付きの風のあたらないところで休憩していると、ときおりガスが切れて知床連山の山々が見えはじめた。「こりゃ、時間的に少し早かったかな?」ともおもったが、後悔はしなかった。雨に降られなかっただけでももうけものだし、ちょっとは風景も見れたし、高原植物を眺める時間も取れたのは、やはり早立ちの結果だとおもっていたからだ。
 
 帰りは1時間に1本も休まずにどんどん高度を下げていった。もう足の血豆の心配はないので、思い切り飛ばした。大沢ではオホーツクの海が雲の下に群青色に見え、慌ててデジカメのシャッターを切ったが、再生してみたらもう雲に隠れていた。雲の動きのなんと早いことか。ヒグマも追い付けないようなスピードで尾根を下り、気がつくとあの木下小屋の前にヒョコンと出て登山は終わった。12:55無事下山で山路さんに再度、登山届に記帳してもらった。4:05に登り始めて8時間50分の行程であった。天気に恵まれればもう少しいい景色を…とおもうが、雨に降られなかっただけでもラッキーだったのだろう。このあとも羅臼岳の山頂の雲は取れなかったようだ。
 
 2001/08/20(月) 17:57
 
■斜里岳 1547m(2001/07/27 曇りのち晴れ)

 斜里岳に登る日は当初の計画では7/28になっていた。しかし、天気が不安定なのと、早く山の日程を終えて「遊びモード」に切り替えたいという3人の口に出さざる欲望に負けて、あっという間に予定より1日早めての登山となった。これまた、予定では一旦斜里岳の麓にある「清岳荘」に移動してそこに泊まるかして、登る計画でいたが、木下小屋は自炊ながら1泊\1500の上に、露天風呂が3つもあり、経済的に居心地満点なので、さらに1泊して、ここから斜里岳を登ってまたここに戻ってこようと決まった。木下小屋には結果的に3泊することになったのだ。でも経費は一人\4500だし、毎日熱い温泉に入れるのだからまるで天国である。難点は登山者に欠かせないビールや酒・つまみなどの飲食物は一切置いてなく、電気もないのでランプ生活であることだけだ。でも、ぼくらはこれらはレンタカーという文明の利器をフルに活用して難なくクリアしてしまった。近くの町(といっても10km以上はあるのだが)のコンビニへ毎日買出しに出かけていたのである。
 
 斜里岳登山の当日、例によってぼくは3時前には目が覚めていた。というより、別に無理をしているわけではなく、普段の生活からして朝が早いのだ。これは、もう長い習慣なのでもう変えられないような気がする。起きて、お湯を沸かしインスタントの五目御飯の袋にお湯を入れて蒸しあがるのを待った。これは、ぼくが学生時代の頃は「ジフィーズ」という名前で売っていたもので、一種の乾燥食品である。味はむかしよりアルミ臭さがなくて美味しかった。あとは、出すものを出せば荷物の準備はできているので、早速出発である。こういうとき、テントの撤収などないことのありがたさがしみじみとわかる。しかも帰ってくればまた温泉だ。まったく天国、天国…。
 
 4:15車に乗り込み、カーナビの設定をする。これはいつの間にかぼくの役目になっており、「清岳荘」と行き先を打ち込んでも出るわけはないので、「清里駅(八ヶ岳のと同じ)」と打ち込んで、ルートを確定する。後は、山路さんが運転する車(トヨタ:ヴィッツ1300cc)に乗り込んで、起きている振りをしながら助手席で寝込む。指原さんは、後ろの席でかなり大胆にしっかり寝ている。彼はいつも寝れなかったなどと言っている。これはウソである。彼はいつもしっかり寝ている。車は信号のない道を、早朝ということもあって山路さんのペースでしっかり飛ばしている。本人は安全運転と言っているが、けっしてそんなことはない。ぼくと較べてもけっこう飛ばす。ぼくは、運転席に着くと飛行機のコックピットをおもい出す悪い習性があるため、運転席ではジェット戦闘機のパイロットと化してしまう。前に走る車や追い越してゆく車は撃墜することにしている。車にミサイルや機銃がついていれば本当にやってしまいそうで、自分でも恐ろしい習性だと恐れている。
 
 そうこうしていると、予定時刻より相当早く6:00に「清岳荘」に到着した。すでに駐車場はかなりの車で埋まっていたが、空いているところをねらって、ぼくらの愛車ヴィッツをもぐりこませた。きょうは、沢登りがあるため、スパッツなどで完全装備である。山路さんに登山届を記帳してもらい、6:10にぼくの先導で沢筋に入っていった。沢の水は少な目のようで、それほど危険を感じることはなかったが、沢登りには尾根の登りと違って、同じペースで登るということはできないため、けっこう息切れするので注意した。こんなこともあるだろうと、ザックの中にはしっかり「救心(粒剤)」を持ってきているので、心配はない。なんといっても動悸・息切れには「救心」である。でも、まだ使うほどには至っていないが…。
 
 天気は回復傾向で徐々に雲が切れかけているが、油断はできない。とくに沢筋では天気の判断はむずかしいので、ときどき空を見上げてチェックはしていた。渡渉を何回も繰り返しながら、滝の脇をクサリで登ったりとなかなか忙しい。しかし、沢登りの利点は尾根に較べて短時間で高度を稼げることである。物理でいう「仕事の原理」でいえば、登った道筋によらず、仕事の量は同じなのだが、人間が感じる印象がちがうのは生物としての筋肉の疲労感、沢の水が次第に少なくなってゆくことにより登っているということを実感できることなどの意識の差が関係しているのではないかとおもう。
 
 沢を登りつめ、鞍部の「馬の背」に着いたのは、9:00頃であった。もう天気は回復しており、このままの状態がつづけば、頂上で360度のパノラマを望めるかもしれない。気持ちは焦るが、まだピークを1つ越えてそれから最後の登りで頂上だ。テンポを尾根歩きのテンポに戻し、ゆっくりと頂上をめざす。高いとおもっていたピークもゆっくり確実に足を進めればかならず登り切れる。それを登り切ると頂上に何人かの登山者がくつろいでいるのがすぐそこに見える。ゆっくり足を進め、とうとう頂上に立った。時計を見ると9:30であった。雲は切れて、360度の大パノラマ。知床連山も羅臼岳の頂上に雲をのせてはっきりと見える。ロシア領になっている国後島も見える。遠く大雪山系・日高山系も…。そして、真下にはサッカーのコートのように仕切られた牧草地が緑色・茶色・黄色と色とりどりに色分けされてきれいだ。雲が山頂と下界の中間くらいのところにまだらのようにプカプカ浮いている。オホーツクの海もきれいに弧を描いた海岸線の北に広がっている。いつまでも見ていたい光景だが、山での長居は禁物だ。このとき、網走にいる友人田島くんに携帯でかかるか試してみようと指原さんから借りて電話してみた。ちょうど自宅にいて「今どこにいるとおもう?」「どこからかけているの?」「へへへ、今斜里岳の山頂だよ」と短い会話をした。彼に学生時代から何度も聞かされた彼の故郷の山「斜里岳」の山頂にそのときぼくらはたしかに立っていた。

 30分の雲上の景色を楽しみ、10:00に下山をはじめた。おそらく二度と登れないかもしれないこの山を何度も振り返りながら、登ってきた沢筋の旧道とはちがう新道コースで降りることにした。この道は、正直なところあまり好きにはなれない道だった。尾根から登りで使った沢筋まで降りる箇所は、道も悪く、疲れるだけであった。いつものように飛ばして下山することもできず、木の根に足を取られたり、グジュグジュ道で滑ったりと散々であった。元の沢筋にもどったときはホッとした。後は、沢の水で靴を洗いながら気分良く「清岳荘」までの道をもどり、12:50にやっと下山することができた。水道の水で靴を洗いなおし、スパッツを取り、サンダル履きになるともう「遊びモード」に入ろうとしていた。そのとき、「清岳荘」の主人が出てきて会話して知ったことは、「きょうはこの夏はじめての晴天だ」ということだった。なんという幸運。最後の最後についに晴れてくれたことに心底感謝した。この山をもって2001年度夏山は終わった。
 
 2001/08/20(月) 20:05

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