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2003年夏山山行記
南アルプス:荒川三山〜赤石岳縦走
<山ドックとしての夏山>

大竹 一弥

松田さんのスケッチ部屋へ


■今年の夏山に向けて

 今年は久しぶりにお盆の帰省をした。この4月に亡くなった父親の新盆でもあり、故郷会津にある両親の墓参りをするためである。毎日何かの雑事がありゆっくりもできなかったが、それなりに充実した日々であった。帰省からもどり、自宅の郵便物を見ると、やっぱりあった!例年と同じように山路さんからの大きな封筒が。早速開けて中を見ると、A4用紙9枚にわたる今年の夏山の山行記だ。いつもながら、仕事が早い。山を降りたのが8/6だったから、1週間もかからないうちに書いてしまったことになる。わたしはというと、さっぱりやる気がおこらず、帰省からもどってのんびりと書こうなどと考えていた。ただ、山行記の構想は練ってはいて、山路さんが詳細な行動時間などは書いていてくれるはずであったので、わたしは自分の今年の課題であった「減量と夏山での体験」を主に書いてみるつもりでいた。

 わたしにとって、今年の夏山は自分の体調を測る「人間ドック」みたいなものであった。昨年の夏山で両足の故障を起こし、登る予定であった空木岳を断念して下山するという失態を演じ、みんなに迷惑をかけてしまった。原因はわからないが、おそらく体重の負荷が多大にかかり、両足をいためてしまったのではないかと自分では判断した。そこで、ちょうど1年前の8/19(これを書きはじめたのも2003/08/19(火) 11:17)から、車通勤をやめて、電車通勤に換え、さらに帰宅時に1駅前で下車して徒歩で帰るという生活をはじめた。山路さんがわたしの生活を変える「18の提言」という厳しい掟を作ってくれたので、基本的にそれに沿って生活改善をしてみようとおもった。その時点で体重が80kgもあったので、それを何とか72kgくらいに落とすことを、この1年間の一番の目標においた。そのために他の血圧とか糖の項目などはすべて無視した。体重だけをきちんと落とせば、きっとそれらの項目は自然に改善されてくるものと勝手におもいこむことにした。山に登るときに、とにかく体重だけは落とした状態で臨めるようにということが主眼であった。

 減量の経過については、他のレポートに書いたものを参考にしてもらうことにして、結果はどうだったかをまず書くと、大成功であった。体重は、山に登る時点で69kgまで落とすことができ、10数年ぶりで60kg台に突入することができた。そのおかげか、山に登るときにも足の痛みは全くなくて、息の切れることもなかった。山を降りた時点での体重も測ってみたら(下山時の温泉で)、69kgで山での飲み食いはほとんど行動で消費されていたことがわかった。みんなにも迷惑をかけることなく下山できたことが、やはり一番うれしかった。

 それでは、山でのようすを上で述べた減量の効果を念頭において書いておきたい。

■夏山前夜

 今年度(2003年)の夏山は、年度当初にすでに南アルプスの荒川三山〜赤石岳の縦走に決まっていた。これらの山は、わたしは学生時代の南アルプス全山縦走(17日間で達成)時にすでに登っており、まさかまた登ることになるとは想像していなかった。学生時代の印象では、非常に奥深くて、アプローチも長く、若いときはいざ知らず、この年齢で挑戦するには厳しいなと内心おもっていた。しかし、山路さんのやる気はすごく、どうしてもお付き合いをしないといけないような殺気を感じたので、しぶしぶ登ることにした。といっても、わたしは足を痛めた前科者。あの状態で、この奥深い高峰に挑むことには、正直怖さもあった。「はたして、1年間であの大きな山々に登るだけの体力と筋力と持久力を回復できるか?」という不安は口にはできなかったが絶えず念頭にあった。そのため、よほどの風雨でもない限りは、毎日歩いたし、休日は早朝から1時間以上は歩き通した。腹筋・背筋・腕立てなどの筋力トレーニングをできる限り欠かさないようにした。若いときのようにランニングも考えたが、これでまた足を痛めてはお笑い種だと、あくまでも歩くだけにした。そして、減量の方もこれと並行して進めた。出発前日の体重は69kgになっていた。

 出発前夜は、山路さんのマンションに泊めてもらうことにした。わたしの自宅からでは、出発時間の早朝5:00には電車がなくて、集合に間に合わないことは明白だったからだ。出発時間を5:00に設定したのは、畑薙第一ダムから椹島ロッジ(荒川三山や赤石岳の登山口)まで登山者を運んでくれるマイクロバスの時間が決まっており、遅くても12:30発のバスには乗りたかったためである。これを逃すと、最終の15:00までバスはない。ロッジに入り、ゆっくりするためには、朝の出だしを早めるしか方法はなかった。何せ、自家用車でなければ、静岡から畑薙第一ダムまではバスで3時間半も時間がかかる。そして、そこから椹島ロッジまでは、さらにマイクロバスで1時間かかるという奥深さなのだ。

 山路さんのマンションに向かうときは、ザックを背負ってもじつに身体が軽く、自宅近くの駅の陸橋を登るときも2段昇りで軽快だった。ただし、山に登るのはこれとは全く別。長時間の上り下りで、いつ古傷が痛み出すかもしれない。どんなに減量したり、歩きに慣れていても、こればかりは予断を許さない。しかし、こればかりは心配してもどうなるものでもなし、「絶対に大丈夫だ」と何度も何度も自分の頭に沁み込むように暗示をかけていた。靴は愛用のIBS石井の「チョーオユー」の皮製でじつに重い。登山口で履くことにしていたので、靴を手に持ってサンダル履きという情けない格好での出発である。この点、山路さんはいつも出発時から山用のスタイルでビシッと決めていて立派である。

 マンションに着くと、早速のビールでの乾杯。夜には、近くの居酒屋で前夜祭をする予定(?)になっているのだが、まだ人数が揃わないため、練習というところだ。まもなく、指原さんも到着。駅近くの居酒屋で甲地さんを待つことにして、移動。居酒屋さんに入ると、すぐに生ビールの注文。何といっても、日常「発泡酒」でガマンしている身としては、こういうときこそは「生」である。それに、一日一食を実践しているため、夜の飲食はじつに待ち遠しい。食べ過ぎないように気はつけているが、飲む方はほとんど遠慮していない。つまみもバンバン頼み、もう本格的にはじめてしまった。甲地さんがかなり遅れて到着したときには、相当に飲んでいたが、これで車を出してくれる松田さん(飲めないので、この会には不参加)以外は全員揃ったので、再度明日からの山に向けて気合を入れるために盛大なる乾杯!明日は、ロッジに入るだけで登りはしないが、気持ちはすでに南アルプスに飛んでいる。その後、どのように寝たのかはよく覚えていないが、一応おとなしく寝たようだ。

■いざ椹島ロッジへ

 8/2(土)の初日は、早朝4:50には出発できた。松田さんの車がマンションの前に着いたときには、こちらの準備も整っていたので、すぐに荷物を詰め込み出発。天気は7月からずーと続いていた曇天・雨天がウソのような晴れ。横浜町田ICから東名に乗り、快調に飛ばして富士川SAに6:10に到着して、朝食タイム。各自好きなものを食べたが、わたしはいつものように暖かいコーヒーを一杯飲んで済ませた。できる限り通常の習慣を崩さないようにした。明日からの行動日には、当然それなりの食事をしなければ山は登れないから、まだ登らないうちは胃を休めておこうとおもった。

 車は途中、道を間違えたかなとおもうような場面もあったが、とにかく安倍川沿いに上流に登っていけばいいので、適当に走っていたら、安倍川の傍の道に出て、そこを北上して、井川をめざす。途中で昼の弁当を買うことになっていたが、最後の最後に立ち寄ったコンビニで弁当を買った。ここが本当に最後のコンビニだった。わたしは、シャケと梅干しのおにぎりを2個買った。昼を食べるのは、ほぼ2ヵ月半ぶりであったが、空腹感はなかったので、食べたくなければ椹島ロッジに着いてから食べようとおもっていた。畑薙第一ダムには10:00に着いた。どうも駐車するスペースがないので、近くに駐在している人たちに聞くと、ダムの下流の少しもどったところに駐車場があるとのこと。そこが、沼平というところらしかった。そこへもどって10:10無事駐車を完了した。マイクロバスの時間を確認すると、11:30発というのがあった。それまでに時間はたっぷりあるし、それに予定していたバスより1時間早く乗れる、ラッキー!荷物を車から出して、山用のスタイルに変身。靴紐も締めてビシッと決める。久しぶりの革靴は多少重くも感じたが、それ以上に鍛えた足に「頑張ってくれよ」と無言で声をかけた。もう、あとにはもどれない。天気はどんどん好天の兆しを示しているし、明日からは厳しい行程が待っている。さきほど買ってきたおにぎりを出して、珍しく早い昼食とした。ご飯は本当にうまい。よく噛んでじっくり食べた。

 11:15頃、マイクロバスが到着したので、もう準備の済んでいるわれわれ5名は早々とバスに乗り込んだ。このバスに乗るには\3000かかる!といっても、椹島ロッジに泊まる人は、この料金が宿泊料金から引かれるため、実質はただである。しかし、ロッジに泊まらないと乗れないようになっており、なかなかうまいシステムである。このロッジまで道を歩けば、3時間以上はかかるから、助かる。わたしは、学生時代にこの畑薙第一ダムまでバスで来て(途中までは大井川鉄道利用)、そこから歩いて茶臼岳に登るためにダム湖にかかる恐怖の「つり橋」を渡って対岸の取り付きに向かったことがある。あのときは、一人50kgほどの大キスリングを背負い、つり橋を大きく揺らしながら、もう気絶寸前という状態で渡り切った記憶がある。あのときの記憶は、もうかなりうっすらとしたものになってしまっている。バスに乗り込み、しばらくすると、予定より5分早く車が動き出した。この辺は、ふつうのバスと違うため、かなりラフ。ロッジまでの道は、山路さんの記録にあるように、じつにすごかった。この奥に本当にロッジなどと呼べるようなものがあるのかな?と疑念も沸いてきたが、ちょうど1時間ほど揺られていると、何と本当に「ロッジ」といえるようなのどかな建物群が現れた。いやはや、人間というものはすごいものである。こんな悪路の奥にこれだけの施設を作ってしまうのだから。

 ロッジに着いて、荷物を部屋に置くと、もうやることは一つしかない。自販機コーナーとかいう部屋を貸しきり状態にして、昼から早々と宴会開始。わたしの自制心は「アルコール」ということばを聞くと、すぐにスイッチが切れる。宴会もひと盛り上がりした頃、16:00から風呂に入った。しかし、あっという間に大勢の男が押し寄せたため、一浸かりして、すぐに上がった。山では風呂は厳禁である。登り切ってからにすればよかったと、少し後悔した。そのあと17:00から夕食があり、これは朝から飢えていたためか、とても旨かった。出されたものはきれいに食べた。山でも、食欲がないときは、食べないのが一番いいことがわかる。本当に食べたいときに「食欲不振」はない。一気に食べて、翌日の弁当を甲地さんに受け取ってもらい、夕食もすんだ。夕食がすめば、山では寝るしかない。といっても、まだ18:00前後では無理である。わたしも日常は21:00(夜9:00)前後になると寝るが、その時間まではたっぷり時間がある。何かしていたとおもうのだが、おもい出せない。いつの間にか寝てしまったようだ。ただ、夕方のTVのニュースで関東地方が「梅雨明け」したといっていたのは覚えている。天気はしばらくもつだろう。あとは、自分の足だけだ。

■千枚小屋へ

 8/3(日)いよいよ登山開始の日。早朝5:00からの朝食も旨かった。本当に久しぶりだと何でも旨い。5:35に椹島ロッジ(1123m)を出発。登山口まで少し登る。足の痛み、息切れは今のところない。登山口までみんなでダラダラ歩き、そのまま登りにかかる。1本目が勝負だとおもったので、最低でも45分はきちんと歩いてみようと決めた。もし、調子が悪ければ、この時間の中でほとんどの症状は出てくるとおもった。そういう意味では山は自然の「人間ドック(山ドックと命名した)」だ。一汗出てきてはじめて身体が山に慣れ始めるので、それをじっくりと待った。足の動きがおかしいときは、頭で「一、二、三、四」と四拍子で数えながら足を進めた。足に不安があったので、この段階ではみんなには悪かったが、全く自分のペースで歩かせてもらった。あとで、迷惑をかけるより、自分のペースをきちんとつくり、一番負担のないペースを身体におもい出すことに集中した。きょうは、1日で約1500mほど高度を上げる。若いときならいざ知らず、現在では標準時間の約1.5倍の計算でちょうど合うようなペースになっている。とにかく、どんなにゆっくりでも歩きつづけていれば、かならず着くのが山なのだ。休む時間をできる限り少なくし、ゆっくり歩きつづけるのが一番いい。今回の目標としては、50分歩いて10分休むというペースを考えていた。このペースなら、どんなにゆっくりでも、計画とそれほど違わないで登れると試算した。この通りには行かなかったが、「1本目6:20」とことばで発して、きちんとリズムをつけることにした。予定では10本目くらいにきょうの目的地である千枚小屋に着く予定である。

 小石下(1586m)には出発時間が予定より35分遅れたのを換算してみると、計画した時間より10分早い7:55に着いた。ここまで3本で来た。足のひざ・太ももあたりも異常なし。息切れもなし。汗は適度に出ており、のどが渇くほどではない。そのため、ここまで水分の補給もせずに高度を上げていた。2時間20分で高度差約400mしか上がっていないが、このコースは傾斜はきつくないため、歩いた距離を考えるといいペースだ。長い尾根なので、ゆっくり行くしかない。足の調子はおもった以上によく、ほとんどペースを乱すこともなく、次第に高度が上がっているのが実感できる頃には、ほぼ心配ないことが自分でもわかった。この頃から、みんなと冗談などをいいながらの登りができてきた。休み時間も清水平で取った昼食の時間以外は、長くて10分を厳守した。というより、ザックのない背中は意外に冷えやすく、ちょっとはずしていると背中が冷たくなるのが嫌なので、冷える前に「それでは、出発します」というと、ちょうど10分くらいだった。本当は、わたしは立ったまま休むのが一番好きなのだが、今回はそれはやらなかった。次第に高度が上がり、左前方の尾根に千枚小屋が見えはじめた。ここまでで8本目。あと2本くらいで小屋に着くだろうと予想した。あと高度差200mほどである。調子は安定しており、このまま小屋まで着けるだろうと確信した。9本目の休みを終えて、歩きつづけると眼前が開け、千枚小屋に着いていた。時間は12:55で計画でみたときの13:35より40分早く着けた。それほどの疲れも出なかったし、まずまずの出来で、ホッとした。行動時間は7時間20分で高度差1500mを登ったことになる。ここまでで9本の休みと20分ほどの昼食を取ったので、1時間50分は休憩したことになり、実質行動時間は5時間30分。平均して約1時間で300mの高度差を稼いだことになる。若いときほどではないが(若いときは1時間で高度差400m)、そこそこの登高力を示したことがはっきりとわかった。

 千枚小屋に着くと、今回の会計の甲地さんに手続きをしてもらい、われわれは宴会の準備。わたしも持参した日本酒を出して、きょうの疲れを癒すことにした。とにかく、初日の足の調子を一番心配していただけに、無事千枚小屋まで登ってこれたことが嬉しかった。この調子なら、最後まで登り切れるかなと希望が湧いてきた。この日の宴会は、盛り上がった。調子が悪いと、とても飲む元気もなくなってしまうのだが、わたしの場合、とてもいいかげんで、調子がいいとものすごく飲む。ビール、日本酒、ウイスキーと飲みまくってしまったf^^;)。それほど、足のトラブルもなく登り切れたことが嬉しかったのだとおもう。この先、まだまだ難関は控えているが、きょうのペースを忘れずに登ってゆけば、3000m級の高峰がつづくこのコースも登り切れるだろうという気持ちが強くなっていた。万が一という不安もあったことは確かだが、そのときはそのとき、とむしろ居直ってしまった。もうここまで来たら、後には戻れないし、これからの行程を毎日1つずつこなしてゆくしかない。われわれが飲み続けている間に、松田氏は冷静にスケッチを描いていた。やはり本物の画家である。

 夜、トイレに起きて、小屋の外に出ると、久しく見たこともない満天の星空だった。これほどの星空は、めったに見れない。小屋の主人の話では、7月以来午後まで晴れたのは、この日が最初ということであった。

■荒川三山そして懐かしの小屋へ

 8/4(月)二日目である。きょうは、荒川小屋までのコース。ふつうのガイドブックでは、このコースは一気に赤石小屋まで行ってしまう。しかし、計画を立てるときに、ここで無理をするとかなりのハードワークになり、下山時に苦労するだろうと予想して、のんびりと昼前には小屋に入って、休養するような感じで、荒川小屋までの行程にした。本当に偶然にも天気には恵まれて安定しているから、この行程通りでいいと判断した。そうなると、気分は相当に楽である。

 早朝の日の出をおがみ、朝食を5:00から摂り、5:40に小屋を出発した。この日のアップダウンをこなせれば、足は完全に回復したと考えていいだろう。休憩も入れずに一気に千枚岳(2880m)まで登った。ちょうど45分かかった。息切れのしないペースでゆっくりと高度を上げていったので、それほどの疲労感はない。昨年のあのみじめな状態のときは、歩いて5分ほどでもうバテ始めていたから、自分でも不思議なくらいだった。足腰にはきちんと適度の力が入り、しかも「力の溜め」がしっかりとできている。靴の重さも全く気にならない。もう、完全に視界をさえぎるものはないので、富士山やどっしりとした赤石岳が雄大である。さらに、高度を上げてゆくと、今回はじめての3000m峰になる丸山。学生時代にも来たはずだが、記憶にない。悪沢岳への稜線上にあるちょっとしたピークなので、あまり頂上というような感じがしない。山路さんの記録では、わたしはこの山をばかにして、とあるがそうではない。自分の記憶があまりにいいかげんなので、おどろいて写真などを撮るという気持ちがしなかっただけである。つづけて岩稜帯を登りつづけると、まもなく今回の縦走での最高峰である悪沢岳(荒川東岳とも呼んでいる)3141mに登りつめた。時間は8:30で登りはじめて2時間50分ほどかかった。わたしの立てた計画とドンぴしゃりの時間であったが、出発時間が40分遅れであったから、予想よりも40分ほど早く登ることができたことになる。満足(^^)v。この頂上からの眺めは最高であった。360度の大パノラマで、夏には霞がかかってまず見えない北アルプスの槍・穂高連峰も見え、ついみんなに山の解説などしてしまった(能書きはきらいなのだが…)。ここから見える山々はそのほとんどを登ってしまっているから、正直なところ山の名前が次から次へと浮かんでしまったのがいけない。こんなことは自慢することではないのだが、事実だから仕方ない。

 この頂上からはまた一気に稜線を下降して、鞍部まで急激に落ちる。山では、このアップダウンは当たり前のことなのだが、何度やっても嫌なものである。ま、人生も同じようなものかもしれないが、登ったら次へ移動するには一旦降りるという当たり前のことなのだ。最低鞍部に着いて、ここからまた登りなおしで、中岳をめざす。ここでも、鞍部から1本も休みを入れずに、一気に登りつめた。中岳避難小屋の前でのんびりと休んでいたので、ちょっと離れたところにある中岳には、10:20頃に着いた。もう、この稜線は下りが主で、しかもゆったりとしたところなので、気持ちは本当に雲上の散歩である。雲も少しずつ湧いてきているが、これは夏山特有のものであり、全く心配はいらない。前岳にピストンして縦走路との分岐にもどる頃には、11:00も過ぎていた。予定では、12:00には荒川小屋に着くことになっていたが、この天気だし、あとは小屋まで降りて行くだけなので、きれいなお花畑を見ながら、のんびりと下って行った。500m近くの下りなので、途中で右足の裏がしびれたように熱くなり、ちょっと不快になった。しかし、ちょうどいい場所にちょろちょろ流れる清水発見。これが、冷たくて最高の甘露水。その上部には水は出ていないから、ここが沢筋に流れる源流にあたるのだろう。みんなで替わるがわるおいしい水をいただく。この縦走路を登ってきた学生時代の頃のことは、おもい出せない。でも、たしかに登ったことはまちがいないのだ。眼下には青い屋根と赤い屋根の小屋が見える。大きい赤い屋根の方が今夜の宿:荒川小屋のはず。学生時代にはこの小屋はなかった。

 ダラダラ下って行き、12:20に荒川小屋に着いた。きょうは、もう歩かないとおもうと本当に気持ちもゆったりとする。身体と荷物しか持ってきていないので、もうやることは何もない。不思議なもので、ふだんあれほど読みたがる本もべつに読みたいともおもわないし、読んでも字面を読むだけで頭には入ってこない。寝床の確保ができると早速、ビールを買い込み、まずは乾杯。そのあとは、担ぎ上げた酒類・ツマミを出して、さらにアルコールに浸ってゆく。松田さんは、強い意志でお酒は避けて、ジュースなどで済ませていた。立派である。わたしは、もうベロベロ。夕食は、4:30からであったが、おいしそうなカレーライス。おかわり自由というので、みんなおかわりしていた。わたしは、少なく盛ったカレーライスをゆっくり味わって食べ、一杯で終わりにした。胃が小さくなってしまったか、意外に少ない量でも満腹するようになってしまった。夕食のあと、外のベンチで再度2次会。しかし、われわれはよく飲む。この日は、やはり疲れが出てきたのか、寝床に入ると早々に寝てしまった。

■思い出の赤石へ再び

 8/5(火)も朝早くから目が覚めてしまった。まだ、外はくらいのに、朝日を見ようと、デジカメを手にあっちへ行ったりこっちへ行ったり。トイレも、2度ほど訪問したが、どうも山に入ってから出が悪い。かといって、それほど多く食べているわけでもないせいか、腹が張ったりはしなかった。「一日一食断食減量道」は山では一時中断しているが、もう身体がそれに慣れてしまっているせいか、それほどの量は食べられなくなっていた。ただ、飲むほうはべつである。今回気をつけていたのは、脱水症状であるが、おもったほど汗をかくこともなかったせいか、ふつうに水を飲む程度であった。

 この日は、小屋に着いたときの話では、朝食4:30といわれたが、用意が早くできたためか、4:10には朝食になった。この朝食もおいしくいただいた。その後、トイレに再度挑戦したが、ダメなものはダメであった。何とかもってくれればいいが、赤石岳の頂上にある避難小屋にはトイレがあるはずなので、べつだん気にしなかった。それに、どうしても我慢できない場合でも、大いなる自然のトイレがどこにでもある。環境問題などをうるさくいう人もいるが、そんな人は山など登らないほうがいい。生理現象はトイレにあわせてはくれない。そういうときは、感謝しながら自然に任せたほうがいい。ただし、自然に還元されるものだけにすべきことはいうまでもない。ほぼ計画通りの5:05に小屋を出発して、赤石岳登頂に向かう。およそ500mの登りであるが、最初の大聖寺平までは、気持ちのいいゆったりとした登りで、休みも入れずに分岐まで稼いだ。ここで1本取る。山路さんは、何やらそ知らぬふりをして、広河原の方へと姿を消した。だれも、何もいわない。もどってきても、べつだん話題にもしない。それが山のルールである。彼と自然だけが知っている。5:45頃のことである。

 大聖寺平の分岐から小赤石岳の肩へは急登がつづく。ハイマツ帯を少し歩くと、すぐに肩へ急登がはじまり、みっちり汗をしぼらされる。昨日までの登り降りで、今年は何とか足のほうは大丈夫みたいだという確信が得られたので、できる限り今の自分に可能な力を試してみようと、ほとんど休みも入れないで、一歩一歩高度を稼いで行った。わたしは、先頭を歩くので、みんなのピッチを考えて歩かなければならないのだが、わがメンバーの足はしっかりしているのは知っている。遠慮しないで、どんどん登りつづけた。本当にしんどいときは、立ったままちょっと休めば回復する。途中、1・2本の休みを入れたが、かなり速いペースで登り切り、小赤石岳の頂上に7:05に着いた。行動計画よりほぼ1時間半ほど早かった。

 さらに歩きつづけ、小赤石岳と赤石岳の鞍部にある分岐に着くと、ここでザックを置いて、カメラ・水などの最小限のものだけを持ち、今回の夏山のフィナーレを飾る赤石岳の山頂を目指した。わたしは、この登りは休みを入れずに1本で登りきろうとおもっていた。というのも、鞍部に着いた頃に、いよいよそれまでジワリジワリとお腹の中を下りはじめていたある物体が出口を求めてウゴメキを開始したのを察知したからである。頂上までなら、まだ持つ。だが、それ以上は緊急事態だ。この登りの斜面にはとても受け入れてくれる自然はない。そうおもうと、頂上へ向かう気持ちに余裕はなくなっていた。本当に懐かしい山頂であるが、それを味わうのは、すべてすっきりしてからである。急げ!山頂へ。一歩一歩登りつめて、7:40登頂。その余韻を味わうまもなく、わたしは頂上のすぐ下にある避難小屋のトイレに直行した。\100のチップ制であった。焦ってはいたが、一応紳士であるわたしは、静かに財布を取り出し、箱に入れた。きれいなトイレであった。出口を求めていたものは、本当に流れるように去って行った。そして、冷静な自分がまたもどってきた。用事を済ませ、外に出ると山路さんが近づいてきた。彼も、まだ残務処理が残っていたらしい。山頂にもどると、今度は冷静に周囲の景色も目に入ってきた。あの全山縦走のときに、夕闇迫る中、苦労して登りきった中盛丸山が目を引いた。17日間を共にした田中くん・西野さんの顔が浮かんだ。あれからもう30年近くの年月が経っている。今、こうして赤石岳の山頂に立っているのが、信じられなかった。あの縦走のとき、もう二度とこの山の頂上を踏むことはないとおもっていたから。未練はつきない。さっと気持ちを入れ替え、下山にかかる。20分ほどで分岐までもどり、そこから赤石小屋までの長い下りにかかった。まだ時間は8:20前後で、これなら椹島まで一気に降りることも可能であったが、せっかくのんびりした行程を組み、せかされない登山をと考えてきたので、無理をせずに赤石小屋まででいいだろうとおもった。天候もすでに下り坂に入りつつあることが、空を流れるほうき雲のようすでわかる。

 途中、いい水が飲める岩棚の辺で早い昼食を摂った。といっても、今朝の朝食は4:10からであり、もう時間的には昼食の時間帯なのだ。わたしは、食が細くなっているのか、弁当を全部食べきることができず、少し残した。「ま、あとで食べよう」と。本当にお腹が空いていれば、放っておいても食べるもの。まだ、それほどお腹が空いているわけではなかったのだろう。それに、頂上でやっと出すものを出したばかりだったことをおもえば、何も不思議はない。まだ、ゆっくりしたそうなみんなに声をかけて出発することを告げた。どうも、天気が急変しそうな雰囲気が感じられたので、早いうちに小屋に入ったほうがいいだろうと考えた。この下りもけっこうきびしい箇所があちこちにあり、手間取った。もし、雨でも降って濡れていれば、滑りそうな鉄の渡しなどが連続してあり、まだ天気のいい間に通過できるのは助かった。雲はどんどん出てきて、いつしか周囲の景色もあまり見えなくなっていた。ひたすら小屋を目指し、10:55に赤石小屋に無事到着した。学生時代の縦走でも、午前中で行動は終わるようにしていた。午後、雷雨が多かったからだ。そのときの体験があったので、午前中で行動が終わるのなら、早ければ早いほうが安全とおもっていた。だから、この時間に小屋に着けたのはじつに満足だった。足の裏も大部痛いし、きょうはこれ以上行動する気もさらさらなかったので、そのまま小屋にはいることに決定した。きょうは、小屋へ1番乗りなので、広いスペースの寝床が確保できた。荷物の片付け、寝床の準備が済むと、早々に宴会の準備。最初、小屋の外にあるベンチで飲み始めたが、ヘリコプターが荷物を運んでくるというので、小屋の主人が食堂を使ってもいいといってくれて、場所移動。そこで、残っているアルコール類をすべて出し切って、しっかり飲んだ。体重のことが気にならないではなかったが、お腹の周囲を触ってもそれほど増えた形跡なし。ふだんの運動量とはくらべものにならないほど動いているので、返って減量しているだろうと予想した。

 夕方5:00から夕食があり、これも旨かった。そのあと、外は予想通り、激しい雷雨になり、小屋にも雨が叩きつけられた。でも、小屋の中は天国である。あの長かった縦走のときは、これらの雷雨をしょぼくれたテントですべてしのいだのだ。広い寝床でうつらうつら当時のことをおもい出していた。いよいよ、明日は下山の日。心配していた足も何とかここまで持ちこたえてくれた。この小屋にある本棚のそばに張り紙がしてあった。文部省の登山研修所で出したもののコピーで「山でのルール」が書いてあった。「山では下界での役職や地位は関係ないこと」「山では体重は軽ければ軽いほどいいこと」などなどが書いてあり、笑ってしまった。でも、確かにいえている。わたしも「減量」と「歩きまくること」で、こうして何とか大きな山々を登りきってきた。「遭難やケガは下山時にその大部分が起きる」というのも当たっている。明日は、慎重に下山しよう。ロッジに無事着くまでは油断はできない。松田さんは、本棚にあったダニエル・キースの『アルジャーノンに花束を』出版社不明を熱心に読んでいる。彼は、このコースを2年前にもお兄さんと来ているのだが、今回はのんびりした登山だったせいか、スケッチをしたりして、わたしたちの目を楽しませてくれた。こうして、山の仲間とゆったりと過ごせる時間はわたしにとっても幸福なときである。

■もう下山か

 8/6(水)いよいよ下山の日である。昨夕の雷雨がうそのような快晴だ。山では朝食は早い。この日も5:00だった。おいしくいただいた。下界に降りれば、また「一日一食断食減量道」の再開で、朝食ともお別れになる。そして、昨年まで何度か故障をおこしているわたしの足が本当に回復しているかが問われる最終日でもある。トイレは、一度しか行かなかった。それも無駄足だった。しかし、それも気にはならない。

 5:30に小屋を出た。大倉尾根という長い尾根を一気に1400m下る。昨日の下りからちょっと気になっていた左足の小指が靴の側面と擦れる感じが本格的になってきた。豆ができるほどではないが、当たると痛い。無理に制動をかけると靴に当たりキリキリする。こうなると、もう止まるわけにはいかない。下る足の動きは勢いを増し、どんどん高度を下げてゆく。ほぼ1時間に1回ほどの休みを取りながら、頭を無にして下りつづける。もう、思考はない。全員が同じように1回ずつ木の根で滑ってスッテンコロリ。自分でもおどろくほどのスピードで落下してゆく。3本目の休憩を取ろうと考えていたときに、川音が大きくなり、ロッジの屋根が見えてきた。こうなると、休憩はない。ジグザグの山道を何度も行ったり来たりしながら繰り返していると、ようやく、木々の間から道路が見え、そこに鉄の梯子があった。「もうすぐだよ」とみんなに声をかけて、鉄の梯子をゆっくりと降りてゆく。道路に足を着けて、みんなが揃うのを待つ。「どうもお疲れさん」と自分に、そしてみんなに。椹島ロッジ8:15到着。2時間45分のスピード下山であった。

 ロッジのベンチにザックを置いて、バスの手続きをする。この時間だと、10:00発のバスに乗れそうだ。おもってもいなかったほどの時間的余裕。水道の水で顔を洗い、靴の汚れも落とした。そして、みんなで待合所にある食事コーナーで無事下山を祝しての生ビールを飲むことにした。下山時、ほとんど水も摂らなかったのは、これがあるからだ。みんな揃ったところで、乾杯!冷たいビールが腹に滲みてくる。「やっと終わった…」という何ともいいがたい気持ち。1年間このときのために減量し、歩いてきたことが何だか夢のようにおもえる。ビールを飲み終えると、ロッジのそばのキャンプ場の芝生上でくつろぐ。バスの時間まではまだたっぷり時間がある。松田さんは早々にスケッチ帖を出して、本当におどろくほど手早く水彩画を描いていく。わたしたちは、上半身裸になり、濡れたカッターシャツや下着をベンチなどにかけて乾かしている。こんなにのんびりした気分になるのは、いつ以来なのかおもい出せない。

■残念!温泉なしの帰宅、そして反省

 バスに乗り、数日前ガタガタ揺られて登ってきた道をきょうは降りてゆく。バスの中ではボーとしていた。1時間ほど揺られて、車の置いてある沼平に着く。さーて、これからが本来なら、温泉目指して一目散というところだが、今回はちがった。というのも、まだ本命の宿が決まっていなかった。いつもなら、すぐ近くの温泉に駆け込むところだが、この辺にはほとんどそれらしいものがない。計画を考えたときには、ちょっと足を伸ばすが、寸又峡温泉を候補に上げたが、これがみんなにはさっぱり受けない。それでは、べつのところとおもうのだが、ここぞというところがない。着替えを済まし、荷物を整理して、車に乗り込むと、仕方なく動き出した。とりあえず、井川辺りで聞いてみようということで…。

 みんなでソバを食べたお店の人に聞くと、近くに接阻峡温泉とかいうのがあるとのこと。さっそくそこまで細い山道を走って行ってみる。ところが、ここの宿はどこもやる気なし。いくら呼び鈴を押してもだれも出てこない。いいかげん疲れたので、近くにある共同温泉で、汗を流してそのまま横浜までもどることになってしまった。「エー!温泉ないの…、山岳会の恒例なのに…」とおもったが、止むを得ない。計画したわたしが、本当ならそこまできちんと手配しておく必要があったのだ。しかし、山に登るときに、下界の宿に予約などどう考えてもできないよなーとブツブツいってみても、あとの祭り。こうして、「温泉なし」という汚点を残して、われわれは横浜目指して、車を飛ばした。一応、横浜についてから少しは反省会をしたけれど…。でも、どうもスッキリしないのは、山路さんと同じ。この件は、いまだくすぶっている。

 山から降りて、この山行記を書き終えるまでは、山は終わらない。「これは山行記ではなくて、感想文だな」などと独り言をいいながら、キーボードを叩いている。きょうは、夏がもどって来たのか、じつに暑い。部屋の中でも34℃ある。汗が滴り落ちるのは山のときと同じだ。ちょっとだけだが、夏が味わえてよかったかな。今年の夏山での「山ドック」の結果は、一応良好と出たが、体重はまだ標準の63kgまでは減量したい。脚力はまずまずではあったが、下山時の指先の痛みは何とか対策を考えておきたい。いつまでも登りつづけるためにも…。いい夏山だった。

18の提言>をしてくれた山路さんに感謝しつつ、そして山の仲間にも。

 2003/08/24(日) 13:24

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