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2006年夏山山行記

南アルプス:鳳凰三山縦走

<厳しい気象の夏山>

大竹 一弥


■異常気象に複数計画で対処

 きょう(2006/07/26(水) 07:20)現在も、西日本や長野県のあたりで大雨の被害がつづいている。関東地方は、昨夜は曇りであったが、今朝はめずらしく少し薄日がさしてきた。とにかく、例年ならすでに梅雨明けしている時期なのだが、今年はまだ梅雨明け宣言がなされている地方もすくない。わたしの住んでいる関東地方でも、まだだ。

 今年度の夏山は当初「南アルプス:聖岳〜光岳縦走」と決まっていた。南アルプス南部の奥深い山域である。梅雨が平年なみに終わっていれば、車でのアクセスが多少たいへんではあるが、それほど問題になるとはかんがえていなかった。しかし、どうも梅雨の末期になり、河川の氾濫や洪水・土石流の被害などが報道されるようになると、どうにも落ち着かない。というのは、この山域に入るためには、狭い沢沿いの道を渡渉しながら登る箇所があるからだ。そこで、もし万が一、この地域への山行が無理なときの代案として、おなじ南アルプスの「甲斐駒ケ岳〜鳳凰三山縦走」をだれにも話さないで、勝手につくっておいた。この山域は、南アルプスの中ではよく踏まれており、山道もしっかりしていて、安心なためである(これとて、自然がそのきびしい面を出せば、あっという間にくずれてしまうのだが…)。

 いずれの山域も、わたしは学生時代(大昔である)に踏破しており、その記憶もすこしはのこっているが、実際にはもうまったくのはじめてと大差ない。とにかくも、メンバーの忙しいスケジュールをなんとか合わせ、貴重な日にちを確保した。それを、無駄にすることはできない。所期の目標がダメでも、それに変わるだけの価値ある山行を用意しておくのは、当然であろう。こういう計画は立てるのはそれほど気苦労の多いことではない。何事も代案を用意しておけば、機転がきく。

 今年は、6月頃から暑い日が多く、どうも数年前にあった「梅雨明けなし」の天気に似ているような感じがしていたのも、不思議である。「もし、聖岳の方が無理だったら、すぐに甲斐駒に切り換えよう…」とおもっていた。しかし、現実に夏山がおわってみると、その機転さえ、自然の前にはほとんどむなしいものだと感じさせられることになる。

■出発延期と目的地変更

 7/21(金)の深夜に、東京のJR蒲田駅から車で出発の予定である。しかし、われわれの予定している「聖岳・光岳」は、大雨で洪水が発生している天竜川沿いであり、すでに中央道も駒ヶ根周辺は土砂くずれで通行止めになっていた。易老渡という登リ口まで行くには、天竜川から山一つ奥にはいった県道152号線というのを利用する予定でいた。しかし、山峡の道であり、おそらく行けても、出て来れるかは不安であった。それ以前からのニュースなどを聞いていたので、これは万が一にもこの方面への山行が無理なときには、他の地域への変更も計画しておいた方が無難だろうと、並行して「甲斐駒ケ岳〜鳳凰三山縦走」の案も立てておいたことはすでい書いた。北アルプスは今年は遠慮したかったからだ。この山々もわたし自身はすでに登頂して久しいが、山岳会としてはまだ未踏の山であったため、比較的交通の便もいいこの辺ならいいかな、とかんがえてみたのだ(結果、これまた甘い認識であったことは後にわかる)。結局、21日出発は延期になった。そうせざるを得ない状況が多すぎた。

 21日出発を1週間遅らせて28日出発ではどうだろうか、とメンバーに問い合わせてみたが、山路さん以外はダメらしい。それなら2人で…、ともおもったが、せっかくこの山行にあわせて時間を空けてくれているメンバーに申し訳ない。もう1度みんなの意思を確認しようと、急遽21日夜に横浜で打合せをもつことにして、連絡をいれた。21日夜は当初の出発日であり、みんな時間は空いていることは知っていたから。今回は、第2案の「甲斐駒ケ岳〜鳳凰三山縦走」を提案して、できれば翌22日早朝には出発したかった。休みの時間が減ってしまうのはもったいない。今回は、飲むのもきっちり抑えようと決めて出かけた。ほぼ全員が定刻にそろい、軽くビールで乾杯して、早々に相談にはいる。甲地さんはどうも22日出発にはすこし抵抗があるようにおもえた。23日では云々といっていた。しかし、もう出発はいつでもできる態勢になっているはずなので、強引に翌22日の出発にしてしまった。コース変更も全員一致で、快く承認してもらった。

 この夜は、翌朝に出発と決まったため、飲み会も早々に終了。各自、家路についた。わたしは、すでに山の用意はすんでいたため、家にもどると再度飲みなおして、いつもと同じ時間には床についた。「天気にめぐまれることは到底望めないが、メンバーと登れるだけで十分だろう…」などとかんがえながら。

■出発

 7/22(土)の4:00定刻に起きた。少し散歩してから、いつものように居合刀を出して30分ほど型の練習をした。一汗でるころに終えて、コーヒータイムにした。朝食は摂らないため、いつもコーヒー一杯だけだ。成長期ならいざしらず、中年に朝食はいらない。山にいったときだけ、きつい登りに備えてちょっとだけ食べる。今朝は、どっちみち、蒲田の駅でソバでも食べるかなとおもっていたため、出発の準備ができると6:00前には家をでて、蒲田にむかった。本当は、ひとつだけ、準備を忘れていた。登山靴のカカトの部分にロウを塗ってくることだ。いつもやっているのに、この日はわすれた。これが後で後悔のもとになった。

 乗り継ぎがよかったせいか、7:00過ぎには蒲田駅についた。駅をでるとトイレも遠いので、しっかり出すべきものは出した。そのあと、山路さんとおなじように駅構内の立ちソバを食べた。かき揚げソバにしたが、ちょっともの足りない味かな。まァ、駅の立ちソバとはこれでいいのだが。わたし自身は、高級なソバよりこういうふつうのソバの方が好きである。わたしには高級なソバは似合わない。

 集合時間の8:00になると、わたし、そして山路さん、指原さんもそろってきたが、時間にはちと甘い甲地さんがまだ。出発時間の8:30ちょっと過ぎにようやく姿をあらわした。原因は、寝坊にちがいない。本人もそういっていたが…。宵っ張りの彼には早朝からの行動はきついだろう。わたしや山路さん、そして最近では指原さんまで朝は早い。それぞれの事情でそうなっているのだが、わたしの場合は、小さい頃からの習慣である。4:00頃には目が覚めてしまうため、仕方なく起きている。人に起こされるというのもやってみたいものだが、とんと経験がない。

 全員がそろったところで、ザックの積み込みも終わり、早々に出発する。蒲田から中央道に乗るために、延々、府中の辺までタラタラと走っていく。隣で運転する指原さんもあとで言っていたが、「多摩川の堰堤を飛ばした方が速かったかな…」たしかにそうである。しかし、そう急いでみても、現地にいってみないことにはどういう状況になっているかもわからないのだから、のんびり行けばいい。とにもかくにも、昨夜のバタバタした会合から一気に立ち上がり、無事出発したことはすごい。

■現地に着いてみると…

 7/22(土)の昼前に南アルプス市の芦安に着いて、そこから広河原行きのバスに乗る予定でいた。ところが、ゲートのところで、係のおじさんに聞いたら、夜叉神峠まで行っても大丈夫だという。一般車は芦安止まりだと前日に調べたばかりであったので、これまたおどろいた。しかし、これはおおいに助かる。いわれた通りに夜叉神峠まで上がる。そこにある駐車場はガラ空きで、一番便利そうなところに駐車した。ここのバス停留所にいた夫婦の方に聞いたところ、山の上はなんとか天気はもっていて、周囲の景色も見えたという。梅雨時の高い稜線はそういうものだ、なんて勝手におもいこんで、これからの山行に多少の期待をいだく。

 ここからは、バスで広河原まで入り、そのあと、そこから北沢峠までマイクロバスで上がるつもりだった。広河原までのバスが停留所にあらわれて、バスの運賃表を見てびっくり。何とそこには「広河原〜北沢峠運休」と大きく書いてあった。なぜかわからなかったが、どうも先日の豪雨で、土砂崩れと土石流があったようで、途中の橋が流されたらしいこともわかってきた。とにかく、広河原までは行けるので、バスの座席で出発をまつ。この頃から、もう眠くなってしまった。バスが動きはじめると、それがまたいいリズムとなって、いつの間にかウトウトして寝入ってしまった。広河原について、山路さんたちが話したところでは、途中にも路肩が崩れているところがあり、「ありゃ、もう少し雨が降れば、完全に通れなくなるな」などといっていた。わたしは寝ていたので、何も見ていない。

 広河原で訊いたところでは、やはり道が寸断されていて、歩いても北沢峠まで行くことはできないとのこと。これで、今夜の宿は自動的に「広河原ロッジ」に決まってしまった。濁流うずまく川にかかったつり橋をわたり、ロッジに今夜の宿泊の申し込みをした。ほとんどの客はキャンセルだという。まずは寝床を決めようと荷物を運び上げる。どこでも好きなところを使っていいという。このあとも、登山者はほとんど来なくて、ガラガラ空きであった。

 荷物をおくと、もう宴会の準備である。各自自分のもってきたアルコール類やツマミをだす。ロッジの主人にジョッキの生ビールを注文して、そろったところで、まずは乾杯。しかし、明日からの行程をどうしようかと、わたしはあれこれ頭をひねっていた。「甲斐駒ケ岳はまず無理だから、せめて鳳凰三山だけでも登っていこう」とおもったが、稜線に上がるには、広河原峠入口から広河原峠にあがるコースと白鳳峠入口から白鳳峠にあがるコースの2つしかかんがえられない。ロッジの人の話では、白鳳峠に上がるコースのほうが、最初の入口付近は少し荒廃していてわかりずらいが、沢筋を登るわけではないので、安全ではないかという。そこで、そのコースをとって稜線に上がることにした。高度差は1200mである。一気に早川尾根に上がるため、急登である。ちなみに広河原の高度は上高地などと同じ1500mである。コースが決まれば、あとは、少しでも天気にめぐまれることをねがって飲むしかない。夕食の時間までには相当に飲んでしまい、夕食が何だったのかはおぼえていない(情けない)。

 みんな、寝る前にまた飲むみたいな話をしていたが、寝床でゴロっとしてちょっと一息入れてから…などといっていたら、全員完全に寝入ってしまっていた。わたしも同じで、深夜の1:00頃に一度目が覚めたが、そのあとまた寝て、3:00過ぎにはもう目が覚めてしまった。みんなが起きるまでには、まだまだ時間がある。山路さんは「眠れなかった、1時間ごとに起きてしまった」といつもいうが、このとき、大きないびきをかいてしっかりと寝ていた。4:00ぐらいから、ガサガサと行動がはじまった。

■白鳳峠への急登

 広河原ロッジで朝食をとり、朝のトイレなどがすんだところで、弁当をうけとって、白鳳峠入口まで15分ほどかけて歩いた。天気は曇り空で、登りにはちょうどいい。それまでの天気で、完全に雨の中での行動になると覚悟していただけに、気持ちはずいぶんと楽になった。

 地図に書いてあるのとまったく同じ時間で、白鳳峠入口へ到着。ここから、峠までの1200mの急登になる。ロッジの人の話では、この入口からしばらくは道が荒れていてあちこちに迷いそうなところがある、という情報を得ていた。先頭を行くわたしの判断だけでは不安なので、次につづく山路さんにおかしいときはすぐに指摘してもらう態勢でのぞんだ。いよいよ、入口から樹木帯に入っていく。すでに、かなりの登りになっており、15分ほどいったところで1本つけた。いつもなら、最初40分くらい歩いて体調をみるのだが、この急登では、それは無理。足の具合はとくに問題はなかった。一時ふえた体重もここ3ヶ月ほどでかなり減っていたので、足への負担はほとんど感じなかった。ただ、しばらく歩いてみると、左の登山靴のかかとの辺に何か違和感があった。今の登山靴にしてから靴擦れなどは一度もなかった。それで、すっかり油断して、出発前に靴の内部にロウをぬってくるのを怠ったのがいけなかった。

 樹木帯の中の急登の半ばあたりで、とうとう左足かかとの辺に靴擦れがおこっているのが、自覚できた。早めの手当てが必要と判断。休憩をいれて、靴を脱いでみた。すると、まだ皮はむけていなかったが立派な靴擦れがおきていた。山路さんのもってきた救急用品から大き目のカットバンを2枚もらい、その部分に貼った。これで、すこしは楽になった。いつもなら、かならずロウをぬっておくまさにその箇所であった。「おこる可能性のあることは、おこる」というマーフィーの法則の例である。あとはしかたないので、だましだまし行動するしかない。まあ、歩いてるかぎりはそれほどの痛みはないので、大丈夫だろう。

 ほぼコースタイム通りに登っていた。樹木帯が終わると視界もひらけ、北岳などが目に飛び込んできた。幸い、曇り空で雨は降っていない。ゴーロとよばれるガレキ帯にでると、視界も大きくひらけ、周囲の山々も見えてきた。この上に、白鳳峠がある。高度は2700mほどある。なかなか着かないのでしんどいが、たゆまず足を動かしていると、ついに鞍部らしいところが確認できた。そこが白鳳峠であった。標識もしっかりと立っていた。30数年前にこの場所を通ったはずだが、記憶にはのこっていない。それは、南部の茶臼岳から登り始め、延々と半月以上も登りつづけた最終章の頃だった。甲斐駒ケ岳から早川尾根を通って、鳳凰三山にむかっていたときだ。そのときの記憶では、たいした起伏もない尾根で、スイスイと登ってきたような印象であったが、こうして年を経て登ってみると、相当なアップダウンがあり、きびしい尾根であった。やはり若いときのパワーで見ている光景とはちがうものが、目の前にあった。

 白鳳峠の分岐で休憩をとり、ここで昼食にした。ロッジでつくってもらった弁当は、意外においしく、わたしは残さずきれいに食べた。甲地さんはまだ食欲がないといって、あとで食べることにしたようだ。ここまで上がると、気分的にはずいぶんと楽である。稜線上に多少のアップダウンはあるものの、それは大きな負担のあるほどではない。100m以内での上下であり、これは山では「平」なほうである。

■鳳凰三山縦走へ

 食事がすむと、まずは地蔵岳のオベリスクを目指して登りはじめる。途中、あちこちに岩場もあるが、それもたいして気にはならない。曇り空の中ではあるが、地蔵岳(オベリスク)が見えてくると、気持ちも盛り上がってくる。本当になつかしい。ようやく、地蔵岳との分岐まできたところで、みんなはあのチューリップのような岩峰である地蔵岳の頂上に登るべく、空身で出かけていった。わたしは、左足のかかとの皮が完全にむけてしまっていたので、その治療もあり、その場で待機することにした。学生時代にすでにあの岩峰には登っているから、無理はするつもりはなかった。遠くにみえるメンバーは盛んにオベリスクといわれる岩峰にアタックしているが、最後の20mくらいの直立した大岩のところで苦労しているようだ。この岩にはなかなか登れない。岩登りをある程度やっていてもむずかしいから、おそらく諦めるだろうとおもっていたら、案の定、断念して降りてきた。でも、あそこまでいけば、立派に地蔵岳登頂であろう。遠くから見た感じなので、確かなことはいえないが、学生時代に来たときには、あの直立した2つの大岩の間がだいぶ広くなっているようにおもえた。いずれ時がくれば、あの大岩も落下してしまうのではないか。それが自然のながれでもあるのだが。

 みんなが分岐のところにもどってくる頃には、雲もだいぶ沸き立って、いつ降りだしてもおかしくない状況になってきた。急がねば…。次に、観音岳に向かう。この三山の中でもっとも標高のあるのが、この山で2840mある。この山を「日本百名山」などでは「鳳凰山」という名称で紹介している。わたしの感覚では、地蔵岳・観音岳・薬師岳の三山をあわせて1つの山とおもえる。3つ登って、鳳凰山なのではないか。まァ、そんなことをツラツラかんがえながら足を進める。ここを登りきれば、薬師岳まではあとはゆるい下りだけになる。すでに、午後の2:00頃になっていたため、疲れもでてきた。雨の降り出す前に、今夜の宿である「薬師岳小屋」に着きたいものだ。ほどなく、観音岳の山頂に着いたときはホッとした。ここで、写真を何枚か撮ってもらった。わたし自身もデジカメは持ってきたが、なにせ他のメンバーは毎年のように高価なデジカメにバージョンアップしており、もうわたしのデジカメの出番はない。

 写真を撮り終えると、ほとんど休むことなく、薬師岳に向けて出発する。花崗岩が風化して砂状になった白い稜線である。この稜線は、本当に気持ちがいい。もう、いつ雨に降られてもいい、という安心感もあって、おだやかな気分で薬師岳に着けた。この1日を雨に降られずに登りきれたのは幸運であった。当初から、雨に降られる覚悟で出かけてきただけに、山の神さまに感謝するのみである。

 薬師岳の標識から、薬師岳小屋まではほんの数分である。白いザラメの砂地を下り、樹木帯の中にはいっていくと、そこに昔風の山小屋があらわれる。今は立派な山小屋が多いから、こういうさびれた感じの山小屋はなんとなく懐かしい。小屋の前で作業をしていた2人の人が管理人であった。小屋の中は薄暗く、まったく派手さはない。

 泊まりの手続きをして、荷物を寝床にはこんだ。時間的にもうそれほどの人がくることはかんがえられなかったせいか、どこでも好きなところに寝ていい、という。しかし、それほど広い小屋でもないので、おのずと場所は決まってしまう。荷物をおくと、やることはあれしかない。各自がまたまた持参したアルコールとツマミを出して、まずは小屋から買ったアサヒスーパードライで乾杯!天気がもったことを祝う。それからは、自分のもってきたアルコールをどんどん人に勧め、自分の荷物を軽くすることをかんがえる。わたしのもってきた「おとこの冷酒」もようやく陽の目を見て、すこしずつ減っていく。甲地さんのもってきた「菊水」はわたしの大好物なので、自分の酒もそっちのけで、まずはそちらに飛びついた。夕食がはじまる頃には、相当にできあがっており、前夜と同様に夕食で何が出たのかはおぼえていない。ただ、じつに質素なものだった記憶はある。みんな「あれで\7800かよ」とか文句をいっていた。人間の不平にはキリがないものだ。

■雨、雨、そして、下山

 夜中には、甲地さんの寝床に雨漏りがあったようで、ゴソゴソと寝床を移動していた。わたしもそれほど寝心地はよくなかったのか、熟睡できたわけではない。外は雨、雨、…で、しかも布団もあまり乾せなかったのか、じつに湿っぽい。ベターと肌に張り付くようで、なんとも気持ちはよくなかった。

 翌朝、雨はますます勢いをましていた。こういう天気は当然予想していたので、雨具やザックカバー、スパッツなど身支度はほぼ完璧だ。早い朝食(これまた質素)を終えると、早々に小屋を出ることにした。夜叉神峠登山口までは距離にして10km以上もあり、しかも標高差は1400mである。風雨の中での行動なので、けっこうきびしい。小屋をでると、ほとんど休みをとることもなく、もくもくと下っていく。その中で、おどろいたことは、こんな悪天の中を登ってくるパーティーが何組かいたことだ。これから数日はまた天気の回復はないということだったので、果たして何をめざして登ってくるのか、わからん人たちもいるものだ(とかいいながらわれらも同じだが…)。今回も足の靴擦れなどあるにはあったが、不思議とコースタイムとほぼ同じくらで行動してきた。下りはわたしにとっては得意(だれでも同じか)なので、雨でもなんでもしっかりコースタイム通りに下っている。この雨では止まって休むのは返ってしんどい。ゆっくりでも歩きつづけたほうが楽である。ときおり、後ろをくる山路さんから「一本つけようか」と声がかかり、少しだけ休む。わたしたちは、このとき、まだ勘違いしていることに気づかなかった。

 とにかく長い行程である。傾斜はゆるいが、歩いても歩いてもゴールは近づいてこない。子どもなら「あとどれ位?まだ?」などとぐずるところであるが、山でさんざん苦渋を味わっている我がメンバーの中にそういうものはいない。ただ機械的に足を動かしていれば、いずれゴールが自然にくることを知っている。それでも、地図にある「夜叉神峠」の文字は待ちどおしかった。そこまでだ…とおもいつつ足を急ぐ。あと、40分ほどでその夜叉神峠に着く、という標識がでてきたときはホッとした。最近、下りのときに右足の裏がしびれた感じになる。これがでてきたのだ。できるだけ時計は見ないで、ただひたすら同じペースで下っていく。そして、ついに「夜叉神峠」に着いた。

 しかし、(?_?)あれれ…、小屋はあるけど道路も車もない。あわてて地図で確認すると、われわれが車をおいたところは「夜叉神峠登山口」または「夜叉神の森」というところで、そこからまた40分も下ったところだったのだ。もう、ゴールについたものとおもい、精力の約80%は使い尽くしていた。気持ちは萎えてしまった。しかし、この雨の中で休んでいるわけにもいかず、もうやる気のなくなった足を仕方なく動かしてダラダラと降りていった。この40分はほんとうに長く感じられた。やがて、車の動いている音が聞こえはじめ、ほどなく登山口に到着した。見慣れたお店も見えた。その道路に降りる手前に休憩所があり、そこにみんなで駆け込んだ。「あ〜ぁ、やっと着いた」ザックを降ろすと、がっくり力がぬけた。雨具やザックカバーなどをはずす。雨具の中は蒸れて、返って雨にぬれたよりひどいほどだった。でも、車に放り込むだけなので、気分は爽快である。山路さんは早々に短パン・Tシャツに着替えてしまっていた。わたしは、今回は着替えのTシャツも短パンも持ってこなかった。ま、なんとかなる。

 着替えがすむと、車にザック類を積み込み、「夜叉神の森」というお店に場所をかえた。ちょうど昼食の時間でもあったので、「ソバでも食べよう」とお店に寄ってみることにした。乾きのいいはずの下着を着てきたはずのわたしはまだ冷え切っていた。そこで、頼んだソバができてくる間にお店のお土産を見ていると、ちょうどいいTシャツが売っていた。あまり出費はしたくなかったが、風邪でもひくといけないので、色合いのいいのを\1980で買って着替えた。いやはや、このときは本当に生きた心地がした。その後、このシャツはけっこう気にいって、ときどき着ている。ソバを食べると、わたしたちは「とりあえず」ということで、芦安まで降りて、今夜の旅館を探すことになった。芦安まで行くと、宿はほどなく見つかった。いい宿であった。

■あやうく中止になるところが…

 今年の夏山は、こうして終わった。しかし、梅雨明けもしていなく、まだ梅雨末期の大雨の時期に山に行くことになり、きびしい夏山になった。メンバーの日程調節は年々むずかしくなっている。それぞれの職場で、もっとも忙しい立場になっているためもある。それと、山の時期を早めに決めておかないと他の予定がはいらなくなってしまうため、一旦決めてしまうとなかなか変更がきかなくなってしまう。

 今回も目的地が大雨などの影響で変更になったため、日程変更もかんがえ、メンバーで日程調整をおこなったが、結果的には日程枠をうごかすことはできず、やむなく当初の日程内での計画を実行することになった。自然災害もあり、メインであった甲斐駒ケ岳へのアプローチはならなかったが、またの機会もあるので、それは良しとしたい。臨機応変に対応して、かろうじて鳳凰三山縦走ができた(天気はまずまずであった)のは、幸いであった。中止にならずにほんとうによかった、とおもっている。

 山路さんの山行記はすでに送付されてきた。いつもながらじつに早い。わたしは1日延ばしにしてきたために、かなり遅くなってしまった。何気なく調べてみたら、なんと昨年の夏山山行記が完成したのも、きょうと1日ちがいだった。

 いつもながら、いろいろな人の助けをうけて山登りをつづけることができている。それらの方々に心から感謝しながら、この山行記をおわりにしたい。詳しい内容については例によって山路さんの山行記をごらん頂きたい。

 2006/08/09(水) 14:50 昨年より1日遅れの山行記完成

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