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2007年夏山山行記

北アルプス:薬師岳〜黒部五郎岳〜三俣蓮華岳縦走

<快晴の中のダイヤモンドコース>

大竹 一弥


■今年も梅雨明けが遅れて

 きょう現在(2007/08/06(月) 08:24)では、すでに30℃近くで強い陽射しの盛夏になっているが、昨年同様に今年も梅雨明けが遅れた。関東・甲信越の梅雨明けは8月1日だったとのこと。すでにその前に、登山口から縦走を開始しようとしていたわたしたちには、そんな発表もほとんど無意味ではあったが…。メンバーの日程を調整した上での出発だっただけに、梅雨明けがどうだろうが、もうその日程内で何とか山行を成功にもっていくことだけをかんがえていた。

 こういう気象になると、すぐに「地球温暖化」を持ち出すひとがいるものだが、こんな経年変化にそれほどおおげさに惑わされる必要はない。過去30年ほどの山行記録を見ても、こういう変な天気はザラにある。大体の人は、その年の天気の記録などとってはいないから、自分の感覚でものをいっているのだろう。自分の現在が標準ではないことなど、だれでも知っている。が、どうしても人はフィルターをかけて物事を見てしまう傾向がある。年中、気象観測をしていると、気温や気圧、雲量、湿度なども日々波打っており、上昇・下降を繰り返している。ある程度の法則性はあるが、それも長い統計をとったときに少しだけ垣間見られるものである。現在の天気予報の精度は翌日までである。精度70%というところか。週間天気予報などほとんど当てにならない。まァ、台風のように比較的はっきりした天気などは扱いやすい。しかし、われわれが山で利用する天気などは、昔ながらの観天望気が一番精確である。「夏の天気は馬の背を分ける」の天気ことわざがそのまま通用する。尾根を境に天気がちがうことなど当たり前だ。まァ、いろいろごちゃごちゃいったが、ようするに、今回のメンバーでの会話では、気象庁の発表より1週間前にすでに梅雨明けはしていた、というのが結論だった。わたしも、まさしくそう判断していた。だから、山にはいれば、かならず天気はよくなることはあっても、悪くなることはないとおもっていた。まさにそのようになった。気象庁もいろいろな気づかいがあるのだろう…、わかる。

 今回のメインの山は、北アルプスでももっとも深い位置にある(どうもこれは関東地方に住むわれわれからの話だったようだ。中部・関西地方からはそれほどでもない)といわれている、「薬師岳」「黒部五郎岳」だ。いずれも秀峰であり、その山懐には日本でも有数の圏谷カールがみられる。わたし自身も、何度か立山からの縦走を企画したが、機が熟さなかったせいか、未踏破のまま現在まで来てしまっていた。昨年来、機は至れりと、この計画を実行することにした。昨年の梅雨明け遅れを反省して、従来の7月最下旬から8月上旬のもっとも山の天気が安定する時期にでかけることにした。これで、天気が悪ければ、おそらく”日頃のおこない”がわるかったのであろうから、あきらめもつくというものである。それでは、出発としたい。

■7/28(土)曇り 選挙戦の渦巻く池袋にて

 富山県側にある「折立(おりたて)」という登山口から入山することにした。それで、乗り継ぎの多い電車はやめにして、高速バスで富山まで行く計画に。池袋駅東口に高速バスの乗り場がある。東口をでて、ビル群の上の看板をみると、「Soft Bank」が見える。その下に乗り場がある。ここに、夜の22:00に集合の予定になっていた。しかし、よくかんがえてみると、夜行の高速バスの中では雰囲気からいって、飲めない。これはじつに深刻な問題だ。そこで、出発の数日前に連絡をまわして、池袋駅東口高速バス停留所20:00集合に変えてしまったf^^;)。飲むだけ飲んで、あとは、バスの中で静かに寝ていようという魂胆だった。

 山の準備はすでにすませていたし、家でブラブラしていても健康によくない。山路さんとは18:30に小田急海老名駅改札口で待ち合わせしていた。遅刻を絶対にしない彼は、おそらく30分くらい前には来ているだろう、とこちらも少し早めに所定の場所に行った。この夜は、じつに蒸し暑かった。少し厚めの登山着にしたために、改札口前についた時には、すでに汗びっしょり。彼はまだ来ていなかった。少し待っていると、やはり定刻よりかなり前にやって来た。新宿までの急行を待って、乗車。いざ、出発!

 新宿までは1時間5分、そこから山手線で10分ほどで池袋へ。集合の時間よりかなり早く池袋へ到着。池袋駅はかなり変わってしまっていて、わかりづらい。表示板を見ながら、東口出口をさがす。階段をのぼって東口にでると、ものすごい選挙戦。公明党と共産党、そして女性党などがお互いにののしりあうような演説。それを取り巻く「サクラ」の群集。こういうのに興味のある人は多いのだろう。わたしは、正直なところ全くの無関心である。すでに期日前選挙はしてきたし、今はバス停の確認とその後の飲み場所のことが、頭の中心話題。高速バスの停留所は勘でわかった。案の定、そこにあった。いろいろな方面への高速バスが次々にくるようで、けっこう待っている人もおおい。周囲を見渡すと、何とすぐ近くにビールの「ライオン」が、そして、ちょっと行ったところには、おなじみの居酒屋「天狗」が…。さすが池袋。指原さんに電話をいれたら、「今、鶯谷の辺だよ」という。それでは、彼が着いたらさっそく、と彼の着くのを待つ。ほどなくして、彼も到着。もうひとりのメンバーの甲地さんは、仕事が長引いたようで、集合時間にはおくれそうだぁー、という悲鳴にも似た声。まァ、出発まで来てくれればいい。「ライオンは高い!」という山路さんの一言で、おきまりの「天狗」コースへ。気がつくと、19:59に公明党の、20:00ちょうどに共産党の演説が終わっていた。女性党は締め切りの時間がすぎても、踊りなどおどっていた。おめでたい…。喧騒に満ちた池袋の東口もようやく静かになった。が、熱気はさらに増していた。

 天狗に移動して何とか場所も確保し、待ちにまったビールでの乾杯。ここのメニューは知り尽くしている。適当につまみなども注文して、かなり速いペースで飲みを深めていく。ただし、どうもここのビールもお酒も水っぽい。あまり疑いたくはないが、何か細工でもしているのではないかな。この居酒屋さんでも、リストラの影響か、従業員が少ない。そのため、なかなか注文を受けにやってこない。どうも、今の成果主義に基づく人員配置はどこかおかしい。適正な人数いて、はじめて仕事に張りがでてくる。人件費の節約でやる気など起きる人間がいたら、それはおかしなことだ。それが今、この日本を席捲している。いつか、破綻するだろう。それはそうと、一通り飲むと、もう無理に飲む必要もなくなる。予定よりは早かったが、お開きにして、もとのバス停にもどることにした。甲地さんからはまだ連絡がない。自宅にも電話してみたが、家はでているみたいだ。ギリギリには来るのはわかっている。それが、彼のいつものパタンである。その間にも、次々とバスは来る。主に、中部地方への便がおおいようにおもえた。「明日の朝食と昼食を買っておかないと…」という山路さんの言葉に、近くにあるコンビニにおにぎりとお茶を買いに行く。パスの出発時刻の30分ほど前に、ようやく甲地さんが姿をあらわした。「これで予定通りに出発できるな」とホッと一息ついた。

 バスは定刻の5分ほど前に来た。ザック類など大きな荷物は、側面にある荷物専用箇所に積み、ほとんど空身でバスに乗り込んだ。「オォー、いいんでないかい。一人座席だ!」それも、前後との間も十分にとってある。リクライニングシートにすると、それなりに寝れそうな席だ。まずまずの満足。もう、窓のカーテンはきちんと光が入らないように閉めてある。乗り込んで5分ほどすると、バスは静かに走り出した。ここで、記憶は一旦切れる。多分、おそらく多分、静かに寝ていたのだろう。そうとしか、いいようがない。一路、富山駅へ。

■7/29(日)曇り いざ、太郎平小屋へ

 富山駅には早朝5:30前に着いた。途中3箇所の休憩があったようだが、2箇所しか覚えがない。おそらく、最初の休憩箇所では熟睡していたのだろう。バスでは寝れないとおもっていたが、それなりに工夫されたリクライニングシートで多少は眠れたらしい。山路さんは、いつものように「眠れなかった。ほとんど起きていた。」と言い張るだろう。それが、彼らしくていい。

 さて、ここから折立までどうするか、である。予定では6:00頃に折立までの直行バスが出る予定になっており、そこを目指す人はもう所定のバス停に並んでいる。折立までのバス料金は3500円ほど。それに、荷物料金がつく。シメテ4000円ほどのようだ。われわれは4名なので、タクシーで16000円ほどなら、それで行ったほうが、時間的にも気分的にも効率がいい。なにせ、バスでは途中でトイレタイムなど頼みにくい。そこで、山路さんにタクシーと交渉してもらった。なんといっても、こういう交渉は彼にかなう人はいない。まさに「交渉人 山路 博」である。彼がもどってくると、14000円で行ってくれるという。決まりだ。トイレに行く時間をもらい、急いでもどると、もうタクシーが待機していた。ザックを後ろのトランクに入れ、われら4名は早朝の富山市内を走りだした。このタクシーの運ちゃんはなかなかおもしろい人で、途中で、かけていた曲の話からか、「ジェットストリーム」という番組のことに話が及ぶと、城達也ナレーターのCDをかけてくれた。いい気分になり、お腹の調子も気にならずに、目指す折立まで飛ばしてくれた。もちろん、バスよりははるかに早く現地に着けた。ここで、おどろいたのは、ものすごい数のマイカーが道路わきに止めてあることだった。「なんじゃ、こりゃ!」というところだ。終点のところで、タクシーをおりた。

 立派な休憩所とトイレが完備されていた。ここで、いよいよ山にはいる。準備体操をして、靴の紐をしめなおし、7:30に海抜1300m地点にあるこの登山口から登りにかかった。ゆるい傾斜を登っていくので、何とか大丈夫だろうが、きょうの行程はそれなりに長丁場だ。登山地図では、休憩時間をいれないで、登り5時間とでている。あと5kgの減量に成功していれば、出ないはずの息切れがときどきする。しっかり減量してきた山路さんには、この息切れは気合の足りなさと映るかもしれない。まァ、足の故障さえなければ、登りきれるだろうから、無理にスピード上げたりのおろかなマネはしないで、自分のペースでしっかり登っていく。ほぼ30分歩いて5分休憩のパタンをまもりながら、ゆっくりと進む。足さえ動かしていれば、いずれは目的地に着くのが山である。早く着いてもだれもほめてはくれない。安全に登ればいいだけである。子供などを山に連れて行くと、「あとどれくらい?」とよく訊くものだが、そんな無意味なことを訊いてもしかたない。かかる時間は人それぞれだからだ。ただ、動いていさえすれば、かならず着く。そんなことは、もう百も承知のメンバーからはそうした声は聞いたこともない。だから、こちらもマイペースで安心して登れる。ありがたいことである。これがうるさければ、おそらく単独行で登っているはずだ。

 この登りの山道は、じつによく整備されており、本当に歩きやすい。適度なところには休み場所もあるし、ゴミなどひとつも落ちていない。山小屋の人、地元の人たちの手入れの努力をしみじみと感じる。登山道はすべて人力で作られている。道がいいだの悪いだの、とても文句をいえる立場にない。作ってくれた人たちの善意をだまって受け取りながら登るのがいい。森林限界を越して、涼風が肌を冷やしてくれるときになってもまだ、小屋は遠い。木道の草原状の箇所を何度か上り下りして、ようやくもうかなりのぼったな、と感じた14:00前に、ガスが取れて目の前に小屋が見えてきた。ちょうど広い鞍部になったところに小屋は建っていた。おもった以上におおきな小屋で、ここでわれわれは2泊する予定である。寝不足ぎみの初日にしては、まずまずの登りで、何とか無事にほぼ予定時刻につけて、気持ちも落ちついてきた。小屋への受付は甲地さんにお願いして、われわれは靴を解き、ザックを今夜の寝場所に運ぶべく受付の横で、案内の女性の指示をまっていた。甲地さんが受付と代金をすませると、案内の人に今夜の寝床まで連れて行ってもらった。「今夜は大変混み合っておりますので、1畳(布団1枚)に2人ずつでお願いします」といわれた。まァ、これはしかたない。まァ、そばに寝るのは長年連れ合っているメンバーだし、いいか。これがうら若き女性でもあったら、とても寝付けないだろう。いくら半畳とはいえ、テント生活をおもえば、平らな床で寝れるだけで助かる。

 用具をおいて、まだまだ夕食までは時間がある。やることはもう決まっている。さっそく、みんなザックの中から「ツマミ」を出してきて、食堂を借りて酒宴のはじまり。まずは、小屋で買ったビールを片手に乾杯。それから、各自のもってきた日本酒・ウィスキー・焼酎を好きな順に飲んでいく。わたしも、この日のために、ペットボトルに小分けした「無濾過生純米吟醸酒 いづみ橋 恵(赤ラベル)」を持参した。全部で1升(1.8L)ある。だれしもが、はやく荷を軽くしたいために、みんなに振舞のことばをかける。だが、きびしく律して、必然性の高いものから飲んでいく。これぞ、まさに酒飲みのわざ。冷やしておかねばならない酒ははやく飲むにかぎる。焼酎やウィスキーは高濃度の割りに、容量はちいさい。まずは、かさ張る薄めない酒からだ。小屋にはいった安心感から、お酒はほんとうにうまい。本当にへとへとのときは飲めないから、きょうの登りはまずは大丈夫だったことを教えてくれる。宴会は激しく、そして的確に終了した。

 17:00から夕食だった(3回に分けてある)。下界のように豪華とはいかないが、それでも最近の山小屋の食事はそこそこにいい。わたしは好き嫌いはないから、出されたものは、梅漬け1つまで残さないで食べた。これも体調がいいからだ。中央アルプスに登った際は、どの食事もほとんど喉を通らなかった。残さず食べれる元気さに感謝する。ほぼ5分ほどで食事を終えて、寝床にもどる。今夜は、明日の薬師岳登頂に向けてゆっくり休まねばならぬ。ただ、それにしてはまだまだ寝る時間ではない。が、そうこうしている間に、19:00頃にはみんな床についた。「まだまだ早いよなー」などとうつらうつらおもっている間に、寝入ってしまったみたいだ。山路さんは「昨夜も1時間ごとにおきていた」ときっと言うに決まっている、とおもいつつ…(-_-)zzz。

■7/30(月)小雨・曇り いま、薬師岳の山頂に立つ

 おそらく2:00頃に一度目をさました記憶がある。が、あまりに早すぎるので、再度寝たがうつらうつら状態。日常的にも睡眠時間は6時間なので、山に来たからといって、それほど長時間眠れるわけもない。一応4:00起床ということにしてあるので、その少し前に起きる。口をすすぎ(わたしは山では歯は磨かない)、顔を洗って、トイレへ。もう、早い人は小屋を出て行くようだ。われわれは、5:00からの第1回目の食事を取ってから、出発する予定だ。

 この太郎平小屋は、薬師岳と黒部五郎岳へのアタック的な場所になっているためか、じつに登山客がおおい。折立周辺にマイカーを置いてきた人は、この小屋を基地として、薬師岳・黒部五郎岳に登頂しに行く。そのためか、連泊する人がふつうのようだ。当初の夏山計画では、立山から入山して、そこから縦走をしながら新穂高温泉までをかんがえた。が、メンバーが取れる日程はかぎられている。そこで、日数を短くするために、太郎平小屋に2泊してまずは薬師岳に登頂し、その後、黒部五郎岳を登頂しながら、新穂高温泉に下山するという計画にかえた。これだと、日数が2日ほど短縮できるからだ。学生時代のように時間的束縛が少ないならば、日数をかけてじっくりと登りたいところだが、仕事をしている現在ではそうもいかない。ま、できる範囲で登るのがいい。

 食事の時間が来て、並んで食卓につく。ふだんは朝食を摂ったりはしないが、これから山に登るというときには、そうもいかぬ。すばやく何も残さずきれいに食べた。外は、小雨のようである。朝食を終えると、荷物をまとめ、一旦小屋の人に預ける。連泊のときでも、同じところに場所が確保できるようにはなっていないみたいで、必要な用具(サブザックに水や弁当など)を準備すると、大ザックは受付で係の人にお願いした。5:45出発。小雨になっているので、メンバー全員雨具をつけて、20分ほどかけて、テント場のある薬師峠まで。雨具をつけていると中から蒸れるので、気持ちはよくない。そこから薬師平までは、石のゴロゴロした沢筋の悪路。沢をつめるような形で上部にあがる。そのころには小雨もほとんど止んだので、雨具は脱ぐことにした。その上が薬師平だった。ここからは展望もひらけ、次第に高山にきた感じがしてくる。ハイマツ帯のつづく登りを黙々と登っていく。やがて、薬師岳山荘が見えてきた。砦のように周囲を石積みしてある。小さな山小屋である。ここから見える祠らしいものの見えるところが山頂か、とみんなおもっていた。

 薬師岳山荘から砂礫の急登がはじまる。おそらく200m前後の高度差だとおもうが、けっこうきつい。こういうときは、何もかんがえずにただ機械的に足を動かすにかぎる。どんなに小さなステップでも、上に登りさえすれば、かならず頂上につく。高度をあげるにつれ、どうもわれわれが頂上だとおもった場所はいわゆる「偽ピーク」だったようだ。その奥にもう少し高度のあるようなところが見えてきたからだ。偽ピークに達すると、案の定、奥に立派な祠のある本物の頂上が見えた。ただ、それほどの高度差はなくて、ほぼ水平に歩いていくだけで行けそうだった。ゆっくり登っていくと、ついに大きな石積みの上に祠のある薬師岳山頂についた。8:40だった。この頃には、ガスも切れてきて、なんと山頂では、ほぼ360度を見渡せるほどに雲はあがっていた。ただ、青空はのぞめず、高層雲が頭の上をおおっていた。でも、これだけの眺望は期待していなかったから、うれしさは増した。眼下には、有名な金作谷カールが圧倒的な迫力で広がっている。山頂でのつめたい風をさけながら、ここでお弁当タイム。小屋で作ってもらった弁当をひらく。ちいさな茅巻きご飯3個とウーロン茶がはいっている。あとで、下山後、甲地さんに訊いたら1000円だったという。けっこう高いな。味はまずまずだったので、わたしは2個だけ食べた。

 9:00下山開始。登りより下山のほうが楽なのは、重力ポテンシャルの差をかんがえれば理の当然。だが、この楽さは、気のゆるみももたらす。山での事故のほとんどは下山時におこっている。気をゆるめず、確実に足を進める。薬師岳山荘まで降りて、一本つけた。左の靴下がよじれている感覚があったので、靴を脱いで靴下をなおした。こまめの修正がおおきなケガを防いでくれる。少し休んで、また行動開始。登ってくるときは、雨具をつけていたためか、沢筋にはいると、「エェ!こんなところ登ってきたの…」というくらいにけっこうきびしい道だった。

 薬師峠へもどるとホッと一息。おおきな石のところで一本つけた。ここからだと、太郎平小屋までは、20分ほどだ。山にくると、小さな凹凸があり、最初はけっこうしんどいが、慣れればこれがまた山の楽しみにもなる。ここから山頂のほうを眺めると、もうガスがかかっていた。わたしたちは、ちょうどいいときに山頂につけたことを幸運におもう。少し休むと、小屋にむかってまた歩きはじめた。ほどなく、小屋が見えてきて、小屋前の広場へ。きょうは、夜行高速バスで来たときの疲れをとる日でもあるので、行動はこれでおしまいだ。夕食までの時間はたっぷりとある。

 小屋にもどると、荷物のザックを出してもらい、再度受付で今夜の宿泊の手続きをしてもらう。また、寝床が変わるのだが、案内してもらうと、何のことはない昨夜の対面の狭いところであった。今夜も混みあっているとかで、同じく布団1枚に2名とのこと。今夜もきびしいなー。まァ、飲むだけ飲んで、一気に寝るだけだ。用具の移動が終わると、みんな外のベンチに集合。今度は2Lの樽生ビールを買い込んで、乾杯。だがしかし、吹きつける風は寒い。結局、食堂を借りて宴会のつづきをやることにする。今回も全員、もってきたツマミ類を積極的にだしまくり、自分の荷を軽くすることをねらっていた。なにを話したのかはよくおぼえていない。どうせ、酒飲み話だし、楽しく飲めればそれが一番だ。ほどよいところで、お開きに。だが、ここで昼寝などしてしまうと、夜に眠れなくなる。わたしはとくにそうだ。こういうこともあるだろうと、読みたい本を1冊ザックの中にいれてきたが、お酒を飲んでしまうと、この取り出す作業もおっくうになる。結局何もしないで、ボーッとしていた。夕食までちょっと間があるというときに、甲地さんと近くにある太郎山に行ってみようとなった。明日の行程の下見もかねて。木道を登っていくと、ガスも切れてきて、登頂してきた薬師岳も見えたり、見えなくなったり。目指す太郎山はすぐにあった。山頂は、木道からはずれたところにあり、どう見ても、木道の辺のあたりのほうが高度が高い。でも、まァ、静かないいところであった。山でこうしたのんびりした時間を過ごせるのは意外にすくない。貴重な時間であった。

 夕食は17:00から。一番先頭に並び、定刻5分前に食卓へ。ふだんのわたしは夕食はほとんど飲んで終わりだが、時間順に食べるため、早飯食いだ。ほとんど5分少々で食べ終えてしまう。今回も完食だ。明日もきっと大丈夫だろう。

 寝床は、悲惨だった。布団と布団の間に身体が落ち込んでしまう態勢で、毛布や布団も両脇の強者に奪い取られ、少し風邪気味になるほどだった。が、それはいうまい。山小屋に泊まれるだけでも幸せであることは、イヤというほど知っている。ウツラウツラしながらも何とか眠りについていた。明日は長丁場である。

■7/31(火)晴れ 黒部五郎岳への長い縦走

 4:00前には起床していた。ザックの整理といってもほとんど入れてあり、時間はかからない。トイレに2度ほど行ったが、どうも出がわるい。10分くらい歩けば、お腹の調子が良くなり、グッと圧もかかることは日常からわかっているが、外を歩いてくるほどの時間はない。食事がすめば、ひとりでに出やすくなることは何度も経験して知っている。だから、それほどの焦りはない。

 この日も食事は5:00だ。30名ほどの団体さんもいるので、できるだけ早くとおもい、ほぼ先頭の位置につける。食事券をもっていないと割り込みされるため、食事券をもつ甲地さんにも並んでもらう。外の天気は、見事な晴れ。早々に食事をすませたら、長い縦走に出発だ。時間が来て、食堂へ突入。すぐに、ご飯、味噌汁、お茶の分担をしてあっという間に準備OK。この日もおいしくいただき、完食。すぐに、食堂を出て、トイレにむかう。この時間は空いている。圧も十分にかかりほぼ全出。だが、まだ油断はできない。出掛けにもう1度と決める。全員がそろい、予定の時間よりも30分ほど早い5:35にいざ出発。出発前にもトイレに行ったが、不発に終わったのが気になる。

 前日の夕刻に、甲地さんと登った太郎山へのコースが、きょうの縦走路のはじめになる。ゆっくりと歩いていく。登りといってもゆるい傾斜。草原状になったようなところを朝のすっきりした空気を吸いながら、進んでいく。ほぼ、50分ほど歩いたところで一本つける。さっそく、山路さんがなにやら周囲を見渡し、そそくさと道を離れて大雉打ちに出かけた。わたしは、まだ大丈夫とおもっていたが、どうも圧のかかりが大きくなってきて不安。山路さんがもどったところで、またまた周囲を警戒してから、さらに奥地をめざして道をはずれる。だれからも見えない良地が見つかったので、そこで風景を眺めながらの大雉打ち。しっかりすっきりすばやく終わり、これでお腹の調子も完全によくなった。

 気分がよくなり、再度、出発。太郎平小屋から黒部五郎岳までは9.6Kmの距離がある。これは、山ではかなりの距離である。とりあえずは、北ノ俣岳をめざして歩く。登山道の周囲はお花畑がつづき、このコースが「ダイヤモンドコース」といわれるゆえんである。黒部五郎岳はスクッと前方に見えていて、はっきりわかるのだが、なかなか距離は縮まらない。ま、ゆっくりいくしかない。2時間ちょい歩いて、7:30ようやく北ノ俣岳に到着した。

 ここから、黒部五郎岳まではほぼ4時間ほどかかる。徐々に高度をあげていく。黒部五郎岳は2840mある。北ノ俣岳からの途中で中俣乗越という鞍部に下ってから、また登り返すので、けっこうきつそうだ。山では当たり前のことだが、現場でのアップダウンはそれなりにつらい。傾斜がきつくなってからは30分に一本つけるペースで、ぐんぐん高度をあげていく。ようやく、前方に登山者が休憩を取っている肩の部分が見えたときは、「ついに来たか」と疲れもしばしわすれた。肩の分岐に着くと、そこにザックをおいて、いよいよ黒部五郎岳の山頂へアタック。空身ではあるが、それなりにきつい。でも、しばらく登るとようやく山頂に到着した。11:30であった。頂上からは日本一の圏谷カールがおおきく末広がりに見えた。雪がおもった以上に多く、すばらしい眺めにしばし見とれる。全員で写真を撮ったあと、しばらく360度の大パノラマを楽しむ。いい天気に恵まれ、北アルプスのほぼすべての山々がはっきりと見える。カールの向こうには今夜の宿になる「黒部五郎小舎」が赤い屋根を見せて小さく見える。

 さて、頂上で長居は無用。登頂のよろこびは胸にしっかりしまい、ザックのおいてある分岐まで一気におりる。ここまでは、ほぼコースタイム通りに来ている。この分岐からは圏谷カールへ降りて、小舎へむかう。道は、一気にカール内に落ちている。ひざを痛めないようにゆっくりとしかし確実に高度をさげる。カール内にはいると、いまほど登頂してきた山頂が黒い岩岩の上にスクッと立っている。雪渓も多く、すこし下っていくと、雪渓の末端から冷たい水がこんこんと流れ出している。黒部川の源流である。手を入れると、冷たさで痛いほどだ。その水をマグカップにとり、飲む。うまい。まさに、黒部をひと飲みした感じだ。いままで持ってきたペットボトルの水は、ぜんぶ捨てて、この水と入れ換えた。小舎に着いてからの水割りが楽しみだ。

 この圏谷カールはじつにおおきく、頂上から見た小舎への道は、思いのほか長かった。なかなかきつい下りで、ようやくにして小舎に着いたときは14:00になっており、かなりへとへとになっていた。なにせ、15km近く歩いたことになるから、山では長距離だ。小舎はこじんまりとしていて、いい雰囲気のところだった。受付をすませて、荷物を運び入れると、なんと今夜は一人布団1枚である。「あーぁ、やっと本当に眠れる…」と歓喜した。用具の片づけが終わると、小舎の前のベンチに陣取り、各自ツマミ類を全開した。何せ、明日はもう下山の日。きょうが、山での最後になるため、荷の重さを1gでも軽くという、切実な思いがあるのだ。わたしの持ってきたおいしい日本酒はほぼここでなくなる。雪渓から流れ出る水は、この小舎にもひかれており、ビールなどを冷たくひやしてくれている。料金を払い、勝手にその冷水の中からビールなどの飲み物を取り出すシステム。なんともおおらかでいい。天気は雲もほとんどなく、真っ青な空に、何年か前に苦労して登った笠ヶ岳が見事な形で見える。そして、いま降りてきた黒部五郎岳が全面に圏谷カールをひろげながら、見事な山容を見せている。右奥には、昨日登頂した薬師岳も遠く見える。あそこからの長い道のりをおもうと、よくぞ…としばし感慨をおぼえる。

 宴会はすぐにはじまった。隣のベンチに席を空けてくれた年配の方は、昨夜、太郎平小屋で布団を共にした人だった。友人らしき人と交わす会話から、どこかの大学の先生らしかった。「山では肩書きなんて、意味ないですから…」とポツリといっていた。まさしく、その通り。おそらくわれわれ山岳会のメンバーもそういう世間でのわずらわしい肩書きなどをしばし忘れるために、山に登っているのかもしれない。一般的社会生活に浸りながら一生を終えるのも人生。ときに、そういう生活をはなれてみて、べつの世界を見るのも人生。ひとそれぞれだろう。周囲はすべて山に囲まれたこの奥深い黒部五郎小舎のせまい広場で気分よく飲み、歓談していると、雲上の世界にいるようで、何ともふしぎな気持ちになる。聞こえてくるのは、流れる水の音、鳥の声、そして、静寂…。人声がなくなれば、すぐに音はきえる。深い緑色が山の奥深さを静かに感じさせている。

 宴会もすみ、しばし、休憩の時間。キャンプ地までの少しの距離を歩いてみる。ここに来るためには、どのコースから登っても、最低2日はかかる。北アルプスの中でももっとも深い位置にあたるのだろう。大きな小舎ではないせいか、大人数のツアー客のような登山客もいない。いい雰囲気だ。また、来たい小舎であるが、はたしてその機会があるのかは、自分にはわからない。

 17:00からの夕食も、較べる必要などないが、家庭的なおいしい食事だった。小舎の雰囲気でこうも変わるのかとおもう。食事が終われば、あとは明日の行動に向けて、ゆっくり休むだけだ。今夜は、ようやくにしてゆったりと寝れる場所が確保されている。久しぶりに腰を思い切り伸ばして寝よう。ズボンもカッターシャツも脱いで、パンツと登山用丸首シャツだけで寝れる。明日は、いよいよ、下山だ。天気は心配ない。が、行動時間はこの山行でもっとも長くなりそうだ。双六小屋まで着いて、そこから新穂高温泉までがじつに長い。これは、裏銀座コースを縦走したときもそうだった。何とか陽のあるうちに着きたいものである…、などなどかんがえながらいつの間にか寝入ってしまっていた。

■8/1(水)晴れ やはり長かった

 3:30起床。おもった通り、よく眠れた。寝床ひとつでこうも変わるものなのだ。同じ大部屋に寝ていた他のグループの人たちは、3:00過ぎくらいからバタバタ準備をして出て行ったのは、うっすらと覚えている。が、ほとんど気にはならなかった。朝食は4:30からあるようで、何とも凄まじい時間帯だ。みんなぐっすり眠れたかな?山路さんは「10:00くらいに起きてからは、ずっと起きていた」というに決まっている。彼は、山にいるときはほとんど眠らないようなのだ。やはり気合のはいり方がちがうのだろう。口をすすいで、顔を洗うと、もうその朝食に備えて食事室の前の廊下でならんでいる人がいる。ものすごい気合。こちらも負けずに並ぶ。この山行中、体調がいいのか、食事はじつにうまい。すべて完食している。今回も食欲はあるので、完璧である。時間が来て、突入。席につくと、分担にしたがって、ご飯、味噌汁、お茶などセッティング。準備がすむと、食事にかかる。今朝もうまい。おかず類もすべて食べて、これまた完食。おかわりがあるようだが、そこまでは遠慮する。この年齢になれば、それほど食べなくても死にはしない。淡々と食事をすますと、部屋にもどり、出発の準備にかかる。

 5:25小舎を出発。まずは尾根に取り付き、三俣蓮華岳をめざす。「ゆっくりコース」と「直登コース」が並行してあるが、もちろんわれわれは「直登コース」を選ぶ。朝の一本目にしてはきついが、きょうで終わりだとおもうと多少はがんばれる。白砂の台地というちょうど半分くらいのところまでは、ほぼ1時間で登りきった。小舎のあったところが海抜2340m。これから行く三俣蓮華岳が2841mだ。ほぼ500mの登りである。コースタイムでは、2時間くらいになっているが、どうもそれほど簡単ではない。この白砂の台地を過ぎて少し登ったところで、大きな雪渓がでてきた。ここには分岐があり、雪渓をトラバースして三俣山荘に直接行くコースと三俣蓮華岳に登るコースに分かれる。ここで、わたしは、よく踏まれている三俣蓮華岳のコースをとることに進むと、みんなが「標識ではこっちだよ」という。見ると、木で作られた標識は、微妙な方角を指している。そして、三俣蓮華岳を示す方角がわたしの選んだ道と雪渓コースのちょうど間の辺を指している。しかも、そこに一応人の登ったあとがある。何か不安はあったが、みんなの指示にしたがって、その道を登ってみる。が、しばらく行くと、目の前にどうかんがえても迂回できそうにない大きな岩がそびえている。しかも、その辺で道は切れていた。「やられた!けもの道だ」「この道はちがうよ。引き返します」とみんなに指示をだして、もとの場所にもどる。けっこうあぶない箇所のある道だったので、早くきづいてよかった。こんなたわいもないところで、道をまちがえては末代までの恥となる。が、もしガスっていたら…と気持ちを引き締めなおした。ナビゲーターであるわたしの責務はおおきい。判断ミスをしそうになったことをおおいに反省した。

 もとの場所にもどると、道は至って平凡なものだった。どんどん高度はあがり、ほぼコースタイムくらいで7:50頂上へ達した。いつもこの頂上は巻いて通っていたので、今回が頂上に立つのははじめてである。じつに眺望もいいし、この時期にしては、雪渓もおおく残っている。ここからは、双六岳への稜線コースとお花畑の広がる巻き道コースがある。われわれは、巻き道が好きなので、そちらを選ぶ。登山客もほとんどいなくて、のんびりとこのコースを歩きながら、双六小屋をめざした。途中で、高山植物の撮影に打ち込んでいたのは、甲地さんと指原さんだった。わたしはといえば、一応デジカメは持ってきてはいたが、ほとんど撮らなかった。自分のホームページに載せるための最小限しか撮影しないことにしていたからだ。だいぶゆっくりと歩いてきたせいか、双六小屋についたのは10:10だった。ここで、あと1泊してもいいのだろうが、そうすると、さらに次の日の行程であまりに早く新穂高温泉についてしまう。それでは、温泉に泊まらずに帰れてしまうではないか。それは、じつに困る。よって、今日中に何としても新穂高温泉まで下山するのだ!そして、温泉だ。迷うことなく下山を続行することする。

 かなり強い風が吹いてはいたが、空は晴天で暑い。双六小屋で軽く昼食を摂り、それからまた行動を開始したのは10:30だった。ここから新穂高温泉まではコースタイムで5時間かかる。弓折岳の手前で鏡平山荘への道をとるのだが、弓折岳まではタラタラした道を歩いていく。多少のアップダウンはあるが、この程度はほとんど気にならない。ほぼ1時間ほど歩いて、眼下に鏡平小屋が見えてきた。もうすぐ、分岐である。途中に雪田とお花畑がある。そこはちょうど花が満開の時期できれいだった。ちょっと休み、写真を撮った。分岐からは、鏡平に向けて急激に高度をさげる。足の裏はギンギンしびれだすし、休みたいが時間も気になる。12:45にようやく鏡平小屋に着いた。ここで、休憩。この小屋にも一度は泊まってみたい誘惑を感じていたが、きょうは封印だ。

 少しの休憩のあと、また下りはじめる。鏡平分岐をすぎて、秩父沢出会がもうすぐというところであったとおもうが、山路さんの登山靴に異変が発生した。何と、ビブラム底のゴムが靴の前方からはずれて口を開けた状態になってしまったのだ。山路さんも驚いただろうが、甲地さんや指原さんもはじめて見る光景に動揺しているようだった。わたしは、以前、これと似たケースを経験したことがあり、多少は冷静だった。というのも、こういうときのためにいつもザックには丈夫な「細引き紐」をかなり持っていたからだ。すぐにピーンときたので、ザックを降ろし、中を調べると、ちょうどいい太さと長さの細引き紐が数本あった。それを出して、甲地さんと指原さんに靴とゴム底をつけるように縛ってもらった。そして、しばらくそれで歩いてもらったら、また紐がはずれてしまい、困った状態に。どうも紐の結び方に問題があるようなので、アイゼンなどをつけるときに縛る方法を思い出し、今度はわたしがそのやり方でしばってみた。以前は、これで、成功したはずだった。ちょうど冬山でつかう輪かんじきの縛り方である。変なことを覚えているようで、これが役立つとはおもっていなかった。やってみると、今度は大丈夫らしく、どんどんふつうに下れる。山路さんもとくに異常を訴えないので、これでいけるか、と多少ホッとする。ザイルワークはこういうときに役立つのだなーと大学時代にいろいろ工夫したことがムダでなかったことを実感した。

 川音がはっきりと聞こえるようになり、しかも、川にかかる橋も見えてきた。左俣林道出合である。かなり急激に降りてきたので、足はもう限界ギリギリであったが、ここまでくれば、何とかがんばれる。30分1本のペースをできる限り守り、高度をどんどん下げていく。大きな石のゴロゴロする沢を抜けて、川筋に着いたときは気持ちもずいぶんと楽になった。あとは、あまり好きではないが、林道歩きをしていけば、2時間ほどで着く。通行止めのコンクリート橋の辺りは、今にも落石がありそうなところで、逃げるように通過した。そこを過ぎると、道幅も広がり、もう隊列をつくって歩く必要などない。勝手気ままに列を乱し、雑談しながらのんびりと歩く。ほどなくわさび平小屋の前を通過。けっこう人が来ている。あとで、わかったことだが、新穂高のキャンプ場は閉鎖になり、そこを当てにして来た人はみな、ここまで移動して来ているとのこと。車は入れないから、1時間ほどもかけてここまでくるのをおもうと、憐れである。われわれにはゆるい下りの道なので、なんてことはない。

 もう、歩くのに飽きてきたなーとおもった頃に、記憶にある新穂高の建物が目に入ってきた。「もうすぐだ!」新穂高のホテルの前を通ったが、どうも寂れているみたいで、部屋のほとんどはカーテンがしたまま。この温泉地はあまり流行っていないなと直感した。ダラダラ歩いて、ようやくのこと、新穂高バスターミナルに着いた。ちょうど17:00頃だった。早朝5:30頃に黒部五郎小舎を出発したから、ほぼ11時間30分歩いたことになる。まァ、これではヘロヘロになるのも当然。でも、何とか、陽のあるうちにここに着けてホッとした。さきほどの直感もあり、温泉は栃尾温泉か平湯あたりだな、とかんがえた。ただ、タクシーを呼ばないと移動もできない。とりあえず、指原さんに携帯でタクシーを呼んでもらった。宿の交渉は、ネゴシエーターの山路さんの係である。タクシーの運ちゃんは本当はいろいろなホテルや旅館と密接なネットワークをもっているのだが、どこの運ちゃんも最初はそ知らぬふりをする。あくまでも、お客から執拗に尋ねられてから、小出しに出してくる。その辺は山路さんの領域だ。運ちゃんと本社の無線をつかったやり取りで、次第に宿が確定していく。こちらの要望は、10000円〜12000円以内。しっかりその要望にあった宿があった。しかも、平湯温泉でも老舗中の老舗「岡田旅館」。タクシーが宿について、荷物が下ろされて、立派な玄関前に降り立った。これから、われわれの最後のフィナーレがはじまる。だが、もうここは山ではない。

 山行記はここまでである。これ以降は、山路さんの記録にまかせたい。わたし個人としては、北アルプスのほぼ全域の山の最終として、この山行ができたことだけで、もう十分に目的は達せられた。この夏もいい山行ができた。仲間に感謝したい。

 2007/08/08(水) 11:33 32℃の蒸し蒸しする物理準備室にて

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