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2008年夏山山行記

南アルプス:千丈岳〜甲斐駒ケ岳

懐かしの山ふたたび

大竹 一弥


 ■天気は最高、しかし、ハプニングの連続

 今年は、年度当初に8/2に夏山にでかけることが決まっていたので、すべてのスケジュールをこれにあわせて、仕事も進めて来た。おそらく最後になるであろう3年生の担任としての仕事も多々あり、仕事は夏休みにはいっても通常どおりにこなしていた。幸いにして、今年は、梅雨入りが早かったせいか、梅雨明けはほぼ例年通りの17日前後に明けて、夏山には絶好の状況にはなっていた。夏休みに入ると気温も一気に上がり、もういつ出かけてもいいような天気がつづいた。気持ちは焦るが、みんなのスケジュールを合わせて計画をつくったので、予定通りにでかけるだけだ。

 夏休みにはいると、すぐに進路関係(指定校推薦、AO入試など)の三者面談をした。最近の大学入試は、とにかく青田買いのようにいろいろな入試が入り乱れており、今までやってきた経験はあまり当てにならない。キャリアグループ(以前の進路指導部)の先生に新しい情報を教えてもらいながらの面談で、こちらもミスのないように必死である。それがおわると、次の週からは大学進学に向けての講習会。わたしの担当する物理も講習会をおこなった。予備校などと同じようなテキスト冊子を作り、9:00〜10:30の限られた時間であったが、5日間びっちりやった。問題数は33題用意したが、ちと多すぎたようで、できたのは25題ほどであった。残りは、9月からの自主講習会で取り扱うことにした。こんな状態であったので、夏山の準備をする時間もほとんど取れない。それで、出発前の前日だけ、休日出勤(PTA関係の)の振替を午後もらい、ようやくのこと準備にかかった。山路さんからの割りあてにあった日本酒(「いづみ橋純米無濾過原酒・恵・赤ラベル」)を1升買って、ペットボトルに全部移し変えた。あとは、つまみを5000円近く買い込んだが、これは多すぎたようで、ザックに入りきれず、厳選してもって行くことした。

 この段階で、何の心配もしていなかった。まさか、南アルプスの宿泊状況があのようになっているなどとは…。ここでも、過去の経験はまったく役立たなかった。数年前に出かけた南アルプス中部の山でも、そんな状況にはなかったため、完全に大丈夫だと思い込んでしまっていた。それが原因で、ハプニングの多い山行になってしまったが、今おもうと、それなりに楽しく充実したものであった。それでは、わたし個人の山行記を書きつづっておきたい。

■8月2日(土)広河原ふたたび、そして急激な計画変更

 6:40新宿駅中央本線ホーム集合だったので、早朝4:00にはいつものように起きて、出発の準備にかかった。近くの小田急の駅までカミさんに車で送ってもらうことにしておいたのは、正解だった。5:07発の電車は各駅停車だ。相模大野で急行に変わるようなので、何とか集合時間には間に合うだろう。いつもよりは軽めのザックを背負い、短パン・Tシャツというラフな恰好ででかけることした。登山靴は手に持ち、現地に着いたら履く予定。予定通りの電車に乗り、新宿に向かう。6:00頃に新宿に着き、JR構内に入る前に、切符売り場の係員に「甲府まではSuicaが使えますか?」と訊いた。すると、しばらく調べていて「まだ対応していないですね」という。仕方ないので、乗車券を買い、構内にはいる。電車に乗車して山路さんに訊いたら、Suicaが使えるという。まったく勉強していないJR職員もいるものだ。構内に入り、中央本線のホームに登りかけたときに、山路さんと松田さん、湯上さんと運良くはちあわせ。みんなやる気まんまんのようで、出足が早い。3人とも登山靴をきちんと履き、ビシッと決めている。このときも、「まァ、きょうは、北沢峠の長衛荘に泊まるだけだから、そうりきむ必要はないな」と気楽にかんがえていた。今おもうとまったくのお気楽極楽である。

 計画を作っているときは、新宿7:00はちとつらいな…、とおもっていたが、メンバーの集合はまったく問題がなかった。乗車する電車は、7:00発「あずさ1号」。ひさしぶりに乗る。定刻前には全員そろい、無事全員乗車。今回は、元会員で現在も親しく付き合いをしてもらっている湯上さんも参加してくれることになり、総勢6名での出発だ。ふつうのタクシーでは2台になるので、甲府から広河原までは、ジャンボタクシーを1台予約しておいた。これだけ準備すれば、山では十分?のはずであった。列車が出発すると、今回は恒例のビールでの乾杯はなし。指定席は満席で、座席もバラバラのためやむを得ない。それでも、きょうはほとんど登らないというおもいが、気持ちを楽にしてくれていた。

 甲府までは、1時間半ほどで着き、タクシーが待っていてくれる南口武田信玄像の前に行く。タクシーの運転手らしき人が近づいてきて、むこうから声をかけてくれる。名前を告げるとまちがいない。全員手早く荷物をつみこみ、ワゴン車より少し大きめのジャンボタクシーに乗り込む。広河原までは1時間20分くらいのようだ。バスに乗っても、料金はほとんど変わらないから、タクシーの方が気楽でいい。2年前に来たときは、大雨で、ほとんど人はいなかった。今年は、天気も上々、登山客もじつに多い。前回のときは、夜叉神峠からは寝入ってしまっていて、何も覚えていないが、今回はまだ午前中で眠さもないため、しっかり起きていた。山道は道幅もせまく、トンネルも細く長い。こんな道をよくもバスや大型ダンプなどが走り回っているのを見ると、おどろく。タクシーは飛ばしに飛ばし、予定時間通りに、10:00近く広河原に着いた。そこで、人の多さにちょっと唖然とした。これだけの登山客がはいっているとは…、「今夜の小屋は混雑しているだろうな」などとまだのん気なことをおもっていた。

 次の北沢峠までのマイクロバスの時間は12:20で、それまで2時間以上もある。バス停の先頭に並び、みんなでくつろぐ。何もすることはないが貴重な時間だ。こういう時間は日常ではほとんどとれない。山路さんがザックを開けて何か調べていた。どうも、持って来たウィスキーが少し漏れているらしい。調べたら確かに外側のビニール袋のところに漏れ出ている。捨てるなどもったいないので、ぼくと指原さんが少し頂いた。わたしの好きな「オールモルト」でいい味であった。ここでも、今夜は長衛荘に泊まるだけ…という気楽な気持ちのままである。

 2時間半近くものんびりとくつろぐと、そろそろバス乗車の時間。バス停のテントにもおおぜいの登山客が集まっている。「これだけの人では、小屋はひどいだろうな」と相変わらずおもっていた。広河原から北沢峠までの市営バスがやってきて、その1号車にわれわれは乗車をはじめた。ひとり、勘違いしているような登山者がいて、割り込むようなそぶりを見せたので、「みんな並んでいるよ」とたしなめた。人数をカウントして乗車するので、補助席をだしても全員すわれるようになっている。バスは合計3台でるようだ。わたしは、一人がけのシートに座り、ザックはひざの上にのせておいた。前回は、このバスが動かなかった。北沢峠までの途中で大雨のために土砂くずれがあり、運行が不可能になっていたからだ。どこで聞いたのかわすれたが、この道では、そんなことはよくあるとのこと。動きはじめたバスの右斜面を見ていると、たしかに、いつ崩れててもおかしくないような箇所がいたるところにあった。バスを直撃されたら、みんなお陀仏だ。乗っている人は、だれもそんなことは気にしていないみたいで、これまた度胸がすわっている。自分などそういうことがじつに気になる。バスの乗車時間は25分ほどだ。歩くと3時間ほどかかる。文明の利器さまさまである。これがなかったら、ほとんどの中高年の登山者など登りに来ないだろう。

 ほどなく、北沢峠に近づいてきた。ものすごい人数が来ているようだ。わたしなど、この時点になっても、山小屋の心配などしていなかった。山小屋は、基本的に下界の旅館やホテルとちがい、宿泊を希望する登山者は原則、どんなことがあっても泊めなければいけない、という昔からのルールが生きているとおもっていた。終点の北沢峠のバス停で、バスを降りて、目の前のある長衛荘への石の階段の入り口のところにあった看板を見て、「エェ!―」となった。「本日は予約のお客様以外はお断りします!」とか、書いてある。オイオイ、ふざけんじゃないよ。山小屋に予約などいるのかよ!と頭に来た。山路さんたちに確認して来てもらうと、7月20日くらいからず〜と予約で一杯で、とても入る余地はないとのこと。それと、この南アルプス北部の山小屋は10年ほど前から「予約制」になっているという。わたしが山行計画を立てるときに使っている山のガイドブックは2001年頃のものだが、そんなことは1行も出ていない。現に、南アルプス中部の赤石岳・荒川三山を縦走した何年か前にも、予約などまったく不要であった。北アルプスでも同じだ。昨年の薬師岳・黒部五郎岳縦走の際も、山小屋の予約などまったくしなかった。それが、当然でもある。予約のために、山道を急いだりして、事故があれば、大変なことになる。そのための、山でのルールとして、自然にできたのが、「来たものは泊める」だった。この看板に、ショック!の一語である。しばらくは、思考停止。やむを得ないので、ショックを隠せないまま、次善の策をかんがえるしかない。気を取り直し、まずは、この近辺にある他の3つの小屋にあたってみることした。駒仙小屋にむかってみようと、10分ほど下って、小屋への分岐の辺までくると、またしても、「予約客以外はダメ」のような表示。おそらく、その上にある小さい仙水小屋はもっとダメだろう。仕方なく、また長衛荘の前にもどり、どうするか、思案する。夏だし、気温も高いが、夜になれば別。ここは、2000mの高所だ。冷え込みはすごいのだ。中央アルプスで、わたしの足の不調のためにみんなに迷惑をかけながら泊まった避難小屋でも、シュラフなしでは、とても夜ねむれるような状態ではなかった。あのときは、歯をガチガチさせて朝まで眠れなかった。それも、真夏で山でのことなのだ。それにしても、今夜をどう過ごすか?

 長衛荘であちこちに連絡をとってもらったが、全部ダメ。そのときに、にっくき長衛荘の女主人が「藪沢小屋なら泊まれるかもしれないよ」と言っていたとのこと。その小屋は、千丈岳に登る途中にあり、「素泊まり」の小屋だ。われわれは、食事付の山小屋を想定して計画を立て準備してきたので、酒やつまみは豊富にあるが、メインの食事の用意はしてきていない。素泊まりの小屋があっても食事をどうするか?だ。ところが、どうもあやしいことに、小屋で食事のことを聞いてもらうと、2回分の弁当がすぐに出てきたという。合計12個の弁当が…(計12000円也)。すでに時間は13:00を少しまわっている。当初の計画では、明日、この長衛荘からまずは甲斐駒ケ岳を、そして明後日に、千丈岳を登る予定にしていた。これでは、計画が総崩れである。しかし、事態は、緊急を要す。そこは、臨機応変に計画を見直さざるを得ない。時間は刻々と進み、決断をせまる。残された道はほとんどない。藪沢小屋に泊まれることを願い、とにかく登っていくしかない、と決まった。そうと決まれば、やるしかない。

 短パン・Tシャツ・サンダルの軽装から、サンダルだけ登山靴にはき替えて、急激に登山モードに変身する。もう、強い陽射しもなくなっているので、それほどの日焼けはしないだろうと(わたしは色白なので、すぐ赤焼けしてしまう)、上はそのままだ。地図で確認すると、藪沢小屋までの標高差は600mほど、時間にして3時間くらいである。きつい状況ではあるが、やむを得ない。弁当はビニール袋にいれたまま、甲地さんたちが持ってくれた。ハプニングは毎回おこるが、まさか、初日そうそうにおこるとは、なんとも情けない。トイレに行ったりして、準備をすませると、13:30に北沢峠登り口から千丈岳登山道に足を踏み入れた。

 千丈岳は、学生時代の「南アルプス全山縦走(17日かけて達成)」で仙塩尾根側から登って以来、もう30数年以来だ。何か、ダラダラした尾根だったような記憶はあるが、ほとんど覚えていない。きょうは、逆コースで登っていく。樹林帯がつづき、陽射しは弱いので、じつに助かる。当然、涼風などは望めないが、幸いにして、短パン・Tシャツの服装なので、汗がふき出すということもない。できるだけ早い時間に着きたいというおもいが無意識にもあるのか、いつもよりもハイペースで登っていく。1本目も、湯上さんから声がかかるまでは、一気に40分以上も歩きつづけた。急勾配の尾根でないため、とても登りやすい。登山靴のかかとの部分がすれないようにロウをぬっておいたのも、十分に効いている。最初に休んだのは、2合目の地点。めざす藪沢小屋はほぼ6合目くらいにある。その後も快調に飛ばし、予定時間よりかなり早く5合目の分岐に着いた。ここから右に折れて、馬の背ヒュッテに向かう途中に小屋はある。はたして小屋は空いているか、の不安はあるがとにかく行ってみるしかない。泊まれなければ、そこでまたかんがえるしかない。

 どんな小屋か気にしながら登っていくと、樹木の中に、煙の出ているちょっと傾きかけた小屋があらわれた。時間は15:50頃で、予定時間よりかなり早く着けた。小さな小屋だが、狭い入り口の脇に、「予約不要」の文字がある。ようやく正統派の山小屋に着けたらしい。宿帳に記帳してもらい、中に荷物を運びいれる。ホッとした。「きょうは、何とかここで眠れる…」とおもうと、計画が変更になった無念さより、安堵の念のほうが強くかんじられた。小屋は、峠の長衛荘などにくらべれば、まったくの質素さであるが、牧歌的でいい。なんといっても、ほとんどの登山者は泊まりに来ない。素泊まりではあるが、テントにくらべたら、もう天国である。斜面にへばりついているような小屋で、たしかに小屋自体が傾いている。こういうのは、個人的には好きである。そして、水はおいしい水が豊富にでている。ただし、トイレは斜面から今にもくずれ落ちそうなもので、これまたアクロバティックで楽しい。小屋の主人の話では、今年になって泊まったのは12組ほどのこと。素泊まりとはいえ、料金は1泊5000円也だ、けっこうな値段ではある。すでに、先客がいたが、キツキツにつめられるというようなことはない。大体、ほとんどの登山者(もう圧倒的に中高年の大人数グループ)は、このような小屋にくる可能性はまったくない。

 荷物をおいて、酒宴をはじめようとすることした。もう今夜の宿は決まったし安心して呑める。ここで、思いもかけないものが登場する。この小屋にビールなど置いてないことは、外見からしてわかっていたが、なんとそのビールが湯上さんのザックの中から出てきたのだ!それも、全員分の6本。さすがである。みんなでありがたく頂き、無事今夜の宿が見つかったことを祝い、乾杯!そのあとは、各自がめいめいに持ちよった酒とツマミを出して、宴はつづく。これも気持ちの持ちようではあるが、「要予約」のキツキツの山小屋で身動きもとれずに寝なければならないことをおもうと、部屋はぼろいが、ゆったりと眠れるこの小屋のほうが自分としては、好ましいことだとおもった。夕飯の弁当を食べながらの酒宴はつづき、そして夜の帳の到来とともに、ハプニングではじまった山行の1日目がおわりにちかづいた。きょうは、朝も早かったので、みんな口には出さないが疲れている。山路さんも指原さんも甲地さんも、ちょっと布団に横になっているとおもったら、寝息を立てていた。薄い布団と毛布2枚。寝具はこれだけだが、夏ならこれで十分だ。わたしは、傾いている床を考慮して、高いほうを頭にして、床についた。ハプニングではじまった山行だが、また別のハプニングがおこるような予感を持って、眠りについた。スペースは十分だったので、ぐっすり眠ることができた。

■8月3日(日)千丈岳登頂、そして今夜の宿は…

 早朝4:00前には、もう目が覚めていた。人の睡眠時間は、人によりそれぞれ決まっているようだ。わたしは、いつも6時間ほどで十分なので、どうやってもそれぐらい寝ると目覚めてしまう。天気は、きょうもいい。薄い布団と毛布だけでも、まったく気にならずに寝れたようだ。朝食は、行動を開始してからでもとれるので、昨日買ってあった弁当をサブザックに入れて、あとは雨具類やちょっとした菓子、そして水を500mlのペットボトル2本に入れて、ザックのサイドポケットに差し入れた。今回のサブザックは、金曜日の準備で、近くのスーパーに菓子類などの買出しに出かけた際に、定期的にやっている露天のお店で買った。なかなか外見もよく、気に入った。値段は税込み1050円。

 朝の大雉打ちには失敗した。が、いつも朝はそれほど出ないことが多いから気にしない。自然に出そうになったら、適当な場所を見つけて失礼してしまう。うっすらと白みはじめた5:00出発。本当は3日目に登るはずだった千丈岳に向かう。サブザックはあまりに軽く、ほとんど荷物をかついでいるかんじがしない。今回の山に間に合うように5Kgほどの減量をしてきているせいか、身体はじつに軽い。足取りも軽く、先頭を飛ばしているうちに、振りかえるとみんなからだいぶ先に来てしまっていた。別に急いでいるつもりはなかったが、上にある千丈小屋あたりで待っていればいいだろうと、そのままのペースで登っていった。あとで、山路さんに「あんなに飛ばしていたのは、例によってトイレのせい?」とかいわれたが、じつは、そんなことはない。勝手に足が動いてしまったというのが正解だ。

 登りながらかんがえていたのは、今夜の宿をどうするか?であった。山路さんは、一度広河原ロッジまでもどって泊まり、明日再度バスで広河原から北沢峠に上がり、2つ目の甲斐駒ケ岳に登るのがいいのでは?と言っていたので、他にいい案はないかな?などとかんがえながら登っていたら、いつの間にか、ずいぶんと早く千丈小屋に着いてしまったのだ。わたしとしては、一旦上げた高度をまた落とすことにどうも気持ちが傾かずにいた。一番気になっていたのは、広河原ロッジも同じように混んでいると予想したこと。泊まれても昨夜ほどは眠れないだろうということ。そして、明日の始発で来ても、登りはじめは8:00くらいになり、最終バス15:30までに余裕をもって登り終えることができるかという不安だった。

 学生の頃なら、甲斐駒ケ岳も本当に走るように登れた。でも、もうそんな自分はいない。猛烈な風の吹く千丈小屋に着くと、風を避けて休んでいた。お腹の具合はべつに大丈夫だった。いつも山行記では、わたしのトイレの話題が必ず出るが、このところ小食にしていたせいもあり、自然に出るのを待つという習慣になっていた。山路さんに訊かれたときには「トイレのため」と答えているが、このときは、万が一をかんがえて一応有料トイレに30円だけだして入ってみたが、特段でる気配はなく、短時間で出てきた。外に出ると、みんながようやく千丈小屋に到着したところであった。ここで、弁当を食べるというので、みんなは食べていたが、ふだん朝食は摂らないから、わたしは食べなかった。

 ここからの千丈岳頂上までの高度差は200mほどなので、行動を開始するとあっという間に頂上が近づいてきた。風は強い。ただ、天候は今のところ安定しており、景観は360度の大パノラマである。7:05頂上へ着く。学生のときに来たときに、どんな天気だったかはまったく思い出せない。自宅のどこかに紛れ込んでいるはずの登山手帳が出てこないかぎり、細かいことは不明だ。ただ、北岳から一旦急激な下降をして、両俣小屋の河原に下りて、そこでテントを張り一夜。この川で泳いで汗を流した。それから、翌日に再度「仙塩尾根」に登り返し、稜線をずーと歩いて、千丈岳まで来たことははっきり覚えている。それはともかく、この日の頂上は最高の出来。遠望も利き、登りに登った山々の姿をあれこれ思い出しながら、しばし感慨にふける。わたしの頭には、山々の位置関係はほぼGPSで見ているように浮かんでくるので、名前のわからない山は、ほとんどない。最近では、2巡目、3巡目という山も多く、自分にとってはじめての山は、数年ごとにしか回ってこない。まァ、これは山岳会というグループで登っているかぎりの中ではやむを得ない。登っていないところは、個人的に一人で行けばいいのだが、現在のところ、そんな時間を作れるほどヒマではない。山は今のところは現状で手一杯だ。

 頂上で記念写真などを撮り、長居することなく、下山にかかる。この下山時にも、数多くの中高年登山ツアーの面々が登ってきた。1グループ47名などというのもあり、正直、あきれはてる。どんなに、名ガイドをつけてもせいぜい6名くらいしか把握できない。日本の山は、そのなだらかさからこういうグループの存在を許しているが、岩峰ばかりのヨーロッパアルプスやヒマラヤなどでは、決してありえない。いずれ、大きな事故が起きて、また評論家などが御託をならべるのが見えるようだ。団塊の世代の人たちの退職時期にあたっているせいか、このところ、じつに同じような光景に出くわす。もちろん、われわれとて、同じ中高年山岳会。年季だけは重ねているが、体力面などでは、さほどの違いはない。悪口をいうつもりなどない。ただ、山は少人数で楽しんだ方が、いいですよ、というだけ。それに、人数が多いことは、山の安全とはまったく関係ない。旅行業者のコンダクターだって、事故がおこったときに、人ひとり担いで登り降りできる人などいない。山を甘く見ているようで情けない。

 千丈小屋にもどると、そこで、まずは登頂祝いというので、ちと早いがビールを購入して(もちろんコーヒーの人もいる)、自炊部屋にて乾杯。あいかわらず外の風は強い。この小屋での話から、今夜の宿をどうするかが、切実な問題としてあがってきた。わたしは、個人的には昨夜からお世話になっている藪沢小屋にもう一泊お世話になり、早めに北沢峠まで下山して、そのまま甲斐駒ケ岳にアタックするというのが、時間的も気持ち的にも流れがいいとおもっていた。ただ、山路さんが言っている広河原ロッジに泊まり、再度出なおすというのも、もちろん視野にはいれていた。山に民主主義は通じるとはおもえないが、みんなで登りつづけてきた山岳会なので、みんなで忌憚のない意見を出し合い、決めたことを実行していくというのが筋である。だから、とくに自分のかんがえている案が一番ベストであるなどとはまったくかんがえてもいない。一度決めたら、それでいく、というだけである。とりあえず、電話の使える馬の背ヒュッテまで降りて、そこで予約満杯の山小屋へ再度電話をいれてみて、空いているかを確認してから次の行動をとることする。それと、万が一をかんがえてカップラーメンを人数分確保しておくことした。何事も、予測できることは準備をしすぎてもし過ぎることはない。

 馬の背ヒュッテで、ほとんどの山小屋に電話をいれてもらったが、ダメか通じないで、広河原にもどるにも一種の賭けという状況になった。仕方なく、結論を持ち越す形で、荷物のおいてある藪沢小屋にもどることにした。わたしもあれこれかんがえたが、みんながいいという方向で、行くしかないと決めた。藪沢小屋が近づいてくる頃、甲地さんや指原さんから「やっぱり藪沢小屋に泊まり、明日早く出て、少しでも時間を有効に使い、甲斐駒ケ岳にアタックしたほうがいいのでは」という意見が出てきて、みんなの意見が自然にその方向へ動いてきた。どうも、広河原からのバスの始発で来ても、行動開始時間が遅れるというのが心配のようだった。早朝の1時間の時間差は山ではけっこう大きく響く。小屋にもどる時点では、ほぼ、そのかんがえに集約されつつあった。そして、山小屋に着く頃には、自然な形で、藪沢小屋連泊が決まった。ただし、今夜の夕食と明日の心配が残る。だが、ここでまた湯上さんの「心配ご無用」が出た。あのドラえもんのポケットのような湯上さんのザックの中には、大鍋もはいっていれば、今夜みんなで食べるだけのソーメンまではいっていた。もちろん、めんつゆ・薬味も…。いやはや、あきれかえるほどである。北海道の大雪山系をフィールドにして、長年ヒグマの写真を撮りつづけている人である。いつも、食事には貪欲で、重さよりも食べたいものをしっかり担ぎ上げる意欲が強い。今回も、これがわれわれの窮地を救ってくれた。夕食もあり、そして、明日の行動食は、小屋から下山するという2人の方(山小屋のご主人の知り合いのようだ)が、下の小屋に予約しておいてくれることになり、解決した。この辺の連係プレーというか、人情というか、そういう不思議なつながりが自然にでき、それで行動がある道筋を描いて実現していくというのはうれしい。ありがたさと同時にネットワークのできる現場を見ているようで、じつに楽しくもある。

 もう、明日の行動への不安がある程度解消されると、もうやることはまたしても酒宴しかない。まだ、午前中の10:30だというのに、小屋の前にある丸太のベンチで早々と呑みはじめる。わたしのもってきた純米無濾過原酒(恵)もだいぶ減ってきていた。次第に盛り上がる中、最近ではほとんどお酒を呑まなくなった松田さんが、用意してきたガスコンロを出して、チキンラーメンを作り、ふるまってくれた。じつに美味だった。こういうときのラーメンは、どんな名人が作ったものより、その心づかいだけで味が優る。昨日にくらべると、雲の流れが徐々に多くなっている。明日までは天気がもってほしいと願いながら、呑んでは食べ、空をみては雲をチェックしていた。昼ごろには、丸太のベンチにも強い陽射しがくる。暑くてかなわないので、小屋の中でやろうということにして、ひとまず、休憩。松田さんは画家らしく、時間が空くと、画材を出し、せっせと絵を描いていた。山でこんなにのんびりするのもめずらしい。いつも縦走などになると、ほとんど歩きづくめで、こういう時間もとれない。いい絵ができることを願いながら、小屋の中でしばし、くつろぐ。わたしは、基本的に一度起きると、本格的に寝るまで、昼寝などはできないが、他のメンバーはじつによく寝る。

 午後の2時ごろになると、今度は湯上さんがお湯を大鍋に沸かしはじめた。明日の早朝からの行動に備え、今夜の食事は早めにしたのだ。ソーメンを持ってきて、山で食べるというのは、わたし自身はかんがえたことがない。それも、めんつゆから薬味まで、さらにはみんなの分の割り箸・カップまで用意してくれていた。なんとも、いうべき言葉が見つからない。こういう人と出会えたことを心からうれしくおもう。ソーメンができあがると、みんなそろっておいしく頂いた。それからしばらく、またゆっくり呑んだ。そして、明朝3:30には起床ということ決めて、それぞれ残りの時間を過ごした。今回は、どういうわけか、本は1冊ももってこなかったので、わたしはダラダラといつまでも呑んでいた。小屋の主人から、毛布1枚追加のサービスがあった。今夜の客はわたしたちのグループだけだからと。感謝。夕方5:00頃にはみんな寝る態勢になっていた。山では早寝早起きが原則なので、当然である。まして、明日は、4:30に下山開始。6:00からは甲斐駒ケ岳へのアタックが待っている。酔いと睡魔で、わたしもいつもより早くぐっすりと寝込んでしまった。おどろいたのは、柱をはさんで寝ていた湯上さんがものすごいはっきりした声で、「コノヤロー!フザケンジャネー!」というような喧嘩でもしているような寝言を大声で言ってときだ。ちょっとの間だけ目が覚めてしまった。が、また、寝た。彼にもいろいろと「リビドー」が蓄積して、それが寝言になって発散されたのかななどと、あとで話題になった。

■8月4日(月)長丁場の「山の団十郎」、そしてまたしても…

 今回の山行では、ほぼ3000mの山を登るというので、着てゆくカッターシャツで少し迷った。夏場の最盛期とはいえ、以前にも寒いおもいをしたことがあるため、最終的に昨年購入した厚手の山用カッターシャツを持ってきた。この日の朝もそれなりに寒かったので、下着(速乾性の山用アンダーシャツ)の上に、その厚手のカッターシャツを着て、行動することにした。昨日、お願いした弁当は、結局、駒仙小屋で作ってくれるように手配してもらったとのことで、そうなると登るコースは、仙水峠から駒津峰に登り、そこから北沢峠からの登山道と合流して、頂上を目指すことになる。南東から登る形になるため、時間的に背中から強い陽射しをあびる。日焼けはわたしのもっとも苦手なものなので、長袖のシャツはきちんと手首まで下ろし、日焼けしないようにした。首にはタオルを巻き、襟足の日焼けも防止した。このときは、これが万全だとおもって、自然にそうした。

 朝3:00過ぎに起床した。湯上さんがすぐにお湯を沸かしてくれて、昨日購入しておいたカップラーメンを食べた。起きがけの食事はどうしても食べづらい。こういうスープのあるものは、じつにいい。それに、これまた昨日中に作っておいてくれたゆで卵。ありがたい。食事をすませ、ザックの整理もすむと、まだ真っ暗な外に出た。小屋のご主人も起きていてくれて、ていねいに感謝の念を伝えた。本当にこの小屋があったため、助かったのだから、感謝も当然である。まだ、日の出までは時間があるから、安全のため、ヘッドランプをつけた。地図の表示では、この小屋から北沢峠までは、下り90分とある。これは、休憩などを含まない時間であるが、山での時間表示は、あまり当てにはならない。が、登ってきたときの感触で、ほぼこの時間で降りられるとはおもっていた。予定通りに4:30に小屋を後にした。また、来る機会があれば、この小屋を利用しようとおもった。朝のまだ涼しい(寒いのほうが適切か)うちは、上記の服装でもあまり汗もかかず、快調に高度を下げていった。物理的にどうかんがえても、登りよりは下りのほうが楽である。できるだけ、ひざに負担をかけたくないので、ある程度のスピードで降りていくのがいい。だから、下りはかなり早い。

 みんなの先頭を行くのだが、スピード違反を繰り返し、相当なハイスピードで飛ばした。重いザックを背負っている湯上さんには申し訳ないとおもいつつ、何としても6:00には、北沢峠に着きたいという一心であった。時計を見ながら、速さを調整して、2本ほど休憩をいれただけで、ちょうど6:00に峠に降りることができた。ここで、トイレ休憩を取り、さらにザックをにっくき長衛荘に預けた。準備が整うと、いよいよ弁当を受け取りに、駒仙小屋をめざして出発。小屋に着くと、弁当を受け取った。今度の弁当は、おにぎりタイプのようだ。受け取りが終わると、そのまま川沿いの道を上がり、仙水小屋をめざす。ここは、「南アルプス全山縦走」の際には、甲斐駒ケ岳を登頂した後、早川尾根に下りたときにキャンプ地としてテントを張った場所だ。今は、キャンプ禁止になっている。小屋に着くと、冷たい水でのどを潤した。今おもうと、ここで、朝方の服装をもっと薄着にしておけばよかった。しかし、このときは、帰りのバス時刻を念頭において行動することばかりかんがえていたようで、まったくその余裕すらなかったようだ。山路さんの記録では、7:15に仙水峠に着いた。案の定、背中からは雲が多いながらも強い陽射しがあった。「日焼けはいやだからなー」とおもい、熱の発散場所をほとんどふさいだ状態のまま、ちょっと休憩して駒津峰に向けての500mの登りにかかった。減量もして、足は軽いのに、どうも暑苦しい。血圧も高ければ、ふらふらするが、そうでもない。でも、なんとも登る足に気合がはいらない。登るスピードはどんどん落ちていく。自分でも原因に気づかなかった。こんな初心者的なトラブルに気づかなかった自分が腹立たしい。これが、毎日のように剣道部の生徒たちにも気をつけるように指導している「熱中症」だったと、あとで気づく。

 登りのスピードが上がらないので、予定の時間はどんどん過ぎていく。自分でもみんなに申し訳ないとおもいながらも、どうにも足取りが重い。荷物はサブザックだけで、ほとんど体重だけだ。その体重もかなり減量して、問題ない。それがこのザマでは、我ながらなんとも情けない。何のために山にくる前日まで体重調整をしてきたか、ふがいないおもいで一杯だった。何とか駒津峰に着き、それからさらに遠い山頂を見たとき、若き学生のときには、長い縦走のフィナーレがまもなくくるといううれしいおもいで、それこそ飛ぶように山頂に駆け上がったのが嘘のような重苦しい気持ちになっていた。「バスの最終まで何とか間に合わせたい」というおもいとは裏腹に、足はますます重くなり、遅々として進まない。ものすごく長くかんじられた時間の末に、もうそこに山頂がある、という地点で、本当に足が動かなくなってしまった。これでは、自分のためにすぐ目の前にある山頂にみんなが登れなくなってしまう…、という気持ちで、先に山頂まで登っていてくれるようにみんなに言って、ちょっと休ませてもらうことした。朝からほとんど食べていないからかな、という意見もあったので、少し食べてみようと、おにぎりを口にしたが、口の粘膜に張り付いてとても食べられない。水を飲んでも、すぐに渇きがくる。ここで「服を脱ぐ」といういともかんたんなことになぜ気づかなかったのか、今もわからない。山路さんが付いてくれていたが、彼にも申し訳ないので、先に登ってもらった。ほんの200mほどが本当に遠くかんじられた。みんなが山頂から降りてくる頃、「何とか山頂だけは行っておきたい」という気持ちが強くおこり、重い足取りで山頂を目指した。仲間は、途中で止まり、わたしが山頂に登って来るのをじっと待っていてくれた。山頂の石を触り、すぐに下山することした。とても、この調子では、最終バスに間に合わないと思い込んでいた。

 下山は得意なはずなのに、いつもの調子がまったくでない。時間を気にしながらも足がいうことをきかない。駒津峰にもどるまでが、また苦しかった。ここまできても、まったく気づかなかった。「服をぬげ!」この声がどこからも聞こえてこない。駒津峰にもどったとき、時計を見たら、バスの最終まで時間がない!ともう断念の気持になった。こうなったら、あのにっくき長衛荘に頼み込んで泊めてもらうしかないな、くやしいが…。思い込みは本当に怖い。そのまま歩きつづけて、双児山にへろへろになって着いたときには、もう完全にバスの時間には間に合わないと思い込んでしまっていた。水ももう切らし、甲地さんから分けてもらう始末。情けない。

 そのとき、松田さんだったか、山路さんだったか、忘れてしまったが、「暑そうだから、上着を脱いだら」と声がかかったような気がする。「そうだな、もう陽射しも弱いから、日焼けもないだろうから脱いだほうがいいかな」と厚手のカッターシャツを脱いでサブザックの中にしまった。そうすると、今までのことが嘘のように身体の熱が抜けていくような感覚になった。それまでの喉の渇きも薄らぎ、足のけだるさも急激になくなっていくようだった。まさに、自分の体温調整に失敗したのだ。反省すべきではあるが、そんなことを語っている時間はない。気落ちするように、「あと50分しかないから無理だな」というと、みんなが「なに言っているの、まだ1時間50分もあるよ」という。エェ!嘘だろー。しかし、自分の時計できちんと見ると、たしかに最終バスの15:30まで1時間50分ある。これには、自分のことながら、ぶっ飛んだ。何たる勘違い。そして、今までの体調の悪さがまさに「熱中症」そのものであることに気づいた。あれほど、養護の先生にも熱中症の症状やその対処法などを何度も聞いたりしていたのに、肝心の自分がそれになるとはまったく思いもしないでいたことの恥ずかしさと情けなさ…。こんなために、多く無駄な時間と心配をメンバーにかけてしまったことの気まずさ。

 体調がもどってきたので、もう余計なことはかんがえずに、バスの時間までに峠にもどることだけをかんがえて、飛ばしに飛ばした。少しでも早く着いて、なんとしてもバスに乗るんだ、という気魄すら沸いてきた。下っても下っても峠らしきものは何も見えてこなかった。みんなも休憩すらとらずに下りまくるわたしのわがままに、何もいわずについて来てくれた。15:00が過ぎ、もうダメかなとちょっと弱気になったとき、下に何か建物らしきものが見えてきた。「やったー!バス停だ!」気持ちは高ぶり、もう一目散にバス停のテントに駆けて行った。15:10に念願のバス停に着いた。バスは待機しており、そろそろ乗車がはじまるような雰囲気だ。大急ぎで、長衛荘にザックを取りに行き、急いでバス停にもどる。メンバーもそれぞれのペースでザックを取ってもどってきた。バスは3台あるので、一番最後のに乗ればいい。もう1台目のバスには乗車がはじまっている。

 全員そろい、バス停でベンチに座り込んでいると、1台目のバスにどこかで見かけたような顔の人が乗っている。一瞬わからなかったが、すぐに「あ!みなみらんぼうさんではないか?」とみんなにいう。すると、バスの中のらんぼう氏も気づいたのか、軽く手を振ってくれる。ミーハーのわれわれのメンバーはさっそくそのバスの傍らに行き、一緒の写真を撮り始める。これが、われわれへの最後のおみやげだった。彼の書いた「山の団十郎」(=甲斐駒ケ岳)は、その後、読売新聞夕刊(月曜日の3回分)に載った。もちろんわれわれのことは書いてないが、彼がおなじ仙水峠からこの山に登ったことが書いてあった。さらに、宿泊した仙水小屋は予約制で混んでなく、快適であったとある。そうだよなー、おかげでわれわれも傾いた小屋で貴重な経験をさせてもらったのだ。

 それにしても、帰りのバスに乗れて本当によかった。というのも、この日がじつは好天の最終日で、われわれが芦安の岩園館という宿に入った頃にはもう山はものすごい雷雨になり、それから数日はおそらく誰も山には来なかっただろう。当然、強気のあの長衛荘もキャンセルの嵐に見舞われたはず。そう、山の神様はいつも人間の予約など眼中にはない。都会のシステムが大自然で通じるというわけではないのである。まァ、天罰じゃ!な。ちなみに、わが山岳会が宿で厳しい反省の酒宴を催しているときに、すごい雷雨が山梨県全域を襲い、われらも宴会中に停電というハプニングに襲われた。宿では気を使い、ロウソクを数本もって来てくれたが、それは消して、薄暗い中での異様な盛り上がりをして、夏山の終わりを迎えた。

■8月5日(火)おわりに

 なんともハプニングの多い山行であった。帰りの電車からのことは、山路さんの山行記に詳しく書いてあるので、そちらを読んでほしい。わたしとしては、個人的に反省すべきことが多く、思い出深い山行になった。30数年をおいて再び立った山頂。もうそこには、若き頃の自分とはちがうわたしがいた。あのとき、もう2度と来ることはないとおもっていた山に立つ、不思議な感覚。ここまで、長生きできた不思議さ。すでに亡くなっている山の仲間などを思いおこすと、この年まで登りつづけてきたことに、偶然とはいえ、不可思議なおもいがおこる。

 今回も山岳会のメンバーには、いろいろな迷惑をかけてしまった。が、全員無事下山できたことで、勘弁しほしい。いつまで登れるのかは、本当は自信がない。下山後の人間ドックでは、今のところ「ガン」のような恐ろしい病にはなっていないようだった。が、もう、いつお迎えが来てもおかしくない年齢だ。

 カミさんや子供たちは、わたしのこの山にはほとんど干渉しない。それが、ありがたい。結婚しても止めようとしなかった山。毎年のように登りつづけていたら、もうそれが、夏の恒例の行事になっていた。まさに、山に登るときと同じで、たゆまず歩みつづけることが、こういう環境をつくることになったのかもしれない。家族あっての登山だと、いつも胆に銘じている。いつもありがとう。

 2008/08/24(日) 19:43 1日中雨降る夏のおわりの日に

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