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99年度夏山山行記
(その2)


2.最悪の初日

 計画を練る段階では、メンバーの体力や年齢を考え、出発は朝を予定していた。しかし、松本電鉄(アルピコグループ)に電話して確認すると、新宿から新穂高までの直通バスは夜11時に出発するものしかないとの情報を得て、やむなく8/1(日)の夜行バスを予約せざるを得なかった。ぼくも歳のせいか、最近では夜眠れないのはもっともツラク感じるようになっていた。そのため「夜行バスで行って、初日に本当に計画通り登れるか?」と不安を隠せなかった。予定の時間にバスは新宿を出発したが、予想した通りバスの中ではウツラウツラはしたもののほとんど眠れないまま翌朝5:05に新穂高のバスターミナルに到着した。以前にもこの場所には来たことがあるのだが、どうにも記憶がよみがえってこない。トイレも大変きれいで、しかも公衆温泉もありビックリしてしまった。

 バスは運転手さん(2名で交代しながらの運転)たちの配慮か、予定より1時間以上も早く新穂高に到着した。寝不足がなければ、山の初日には絶好の時間帯である。各自持参の朝食をとりトイレも無事(?)すまして、バスターミナルから歩き始めたのは5:50。計画では6:30となっていたが、これはあくまでこちらの希望であった。バスの運行予定では、新穂高に着くのは6:20となっているのだから、どう急いでみても出発は7:00前後になってしまうのは明らかであった。1時間ほども早く出発できたのは幸運としかいえない。そんなこともあってか、つい「早く笠新道の取り付きに着きたい」と欲がでてしまった。取り付きまでの約1時間の林道歩きをかなり早いペースで歩きつづけ、山路さんに「そろそろ1本つけましょうか?」の声ではじめて「ありゃー、ちょっとやりすぎだったなー」と気づくありさま。これがあとで大きなトラブルをもたらす原因になったのかはわからないが、とにかく気持ちの方が行き急いでいることはまちがいなかった。

 笠新道の取り付きは、休憩後歩き始めてほどなく見えてきた。すぐ脇には清水が沸いておりここで水を補給しておくつもりでいた。これからゆく抜戸岳近くの分岐下にも水場があると思いこんでいたため、ぼくも含めて水の補給をしなかった。これは大きなミスであったことを途中下山してくる人との会話で知ることになる。が、そのときはそこまで考えなかった。どうもこの夏は雪渓がほとんど残っていない状態だったのだ。梅雨の時期にかなりの雨量があり、それで雪が融けてしまっていたのだろう。

 7:05にいよいよ取り付きから笠新道の登りにかかった。ここから1000m近くの直登である。このところまったく運動らしいことをしていない身体にはきつい。トップはぼくが勤め、記録は山路さん、会計は指原さんにお願いした。歩き始めるとすぐに全身から汗が噴き出してきて、メガネに汗がしたたり落ちる。調子がでるまでは、15分行動5分休憩の予定で登って行く。2・3本登れば調子が出てくるはずであった。しかし今日は今一つ調子がでてこないのでちょっと不安になってきた。最終的には30分行動5分休憩にもっていこうと考えていたのだが、調子は一向によくならない。そのままの状態で1800m地点を通過した頃、槍・穂高連峰が背後にみごとな姿をあらわしてきた。その直後写真を撮ろうとザックを降ろした鎌田さんにトラブル発生!なんとそのザックが登山道から雑草の茂る斜面を転がってゆくではないか。ぼくは最初なにが起こっているのか理解できずにいた。「どの辺に止まったか、よく見てて!!」という誰かの声でみんなが斜面を注視する。ぼくもスローモーションでも見るようにそのようすを見ていた。ザックは途中で止まったようである。しかし、取りに行くにはかなりきつそうな斜面で「困ったなー、どうしよう…」と思っていると、鎌田さんが「上から場所を指示して!」といいながら斜面を降りてゆく。それをサポートするように甲地さんが斜面をトラバースする形で斜面を降りていった。登山道からぼくらが声を出して場所を伝えた。このときのメンバーの行動はそれは実に的確で長年一緒に登っているメンバーの経験の深さを感じさせられた。鎌田さんと甲地さんが無事ザックを拾い上げて、登山道にもどったときには「良かった!」と心底思った。その頃からぼくの右太ももに少しずつ異変がおこりつつあったが、まだこの時点では「何とかなるだろう…」と自分では思っていた。浜松からきたという女性3名のパーティー(彼女たちは下山途中であった)と同じ場所で少し長い休憩と食事をして会話をする中で、上部の水場は枯れていてないとの情報を得た。「やっぱり水を補給しておくべきだった。」と後悔したが時すでに遅しである。

 休憩後、登りを開始するとどうもぼくの右太ももの筋肉がピクピク痙攣するようで痛くなってなってきた。今までの30年近くの山登り感じたことのない異変がおこりつつあった。「ゆっくり登っていけば、大丈夫ですから…」とかみんなにいいながら登って行くが、その内に異様な痛みが太ももにおこってきて、右足が上がらない。みんなに事情を話すと、指原さんがサロメチールを太ももに塗ってくれた。風穴があってそこでは甲地さんが「冷やした方がいいよ」といってくれ、下半身を岩の間にもぐりこませ冷やしてみた。しかし、少し歩き始めるとまた痛みがおこってきて、右足がどうにも上がらない。時間はどんどん過ぎてゆき、ぼくも焦りを感じていた。それにせっかく万全の備えでこの登山に参加してきてくれているメンバーに対して申し訳ない気持ちが強まるばかり。「どんなにゆっくりでも足を動かしていれば、かならず登れる」という気持ちはあったが、いかんせん肝心の足が動かせないでは進みようがない。そのうちもう完全に右足が動かせない状態になってしまい、指原さんにキネシオテープを太ももに貼ってもらうことになった。これで、しばらくは何とか歩けるようになった。しかし右足をカバーするために左足を支点に足を動かしていたら、今度は左足の太ももが同じように痙攣するという事態に陥ってしまった。両足とも動かせなくなれば、もう万事休すだ。もう下山することもできない地点にきてしまっていたし、登ることもできないでは…。頭の中は最悪の状況が次から次へと浮かんできて不安感は増す一方である。みんなが「時間は気にしなくてもいいからゆっくり休み休みいこう」といってくれるのが本当に嬉しいのだが、それよりみんなに申し訳ないという気持ちが強かった。何とかこの痙攣が収まる方法はないものかと考えてみるがだめだ。カタツムリにでもなったように、少し進んでは休みを繰り返して何とか1000mを登りきり、杓子平に着いたときにはもうヘロヘロの状態であった。そこから見た笠ヶ岳ははるかに高く遠くにそびえていた。「あ〜あ、あそこまで本当に行けるのか」と愕然とした。

 杓子平で大休止をしていると、どこかの山岳会のメンバーらしい3人の人が下山してきて、こちらの事情を話すと「食塩をとるといいらしい」ということと「鎮痛剤を飲んだら効くかもしれない」とアドバイスをしてくれた。指原さんもこれ以前に「鎮痛剤があるから飲んでみたら…」と勧めてくれたが、正直なところ太ももの痛みが鎮痛剤で治るとは思えなかったので気がすすまず断っていた。ここに来て、もうこの状態を少しでも改善するためにはやれることは何でもやってみようという気持ちになり、指原さんから鎮痛剤(+筋肉弛緩剤)をもらい、少なくなってしまった水で飲み込んだ。そして、ちょうどぼくらの後に登ってきた単独行の男性に聞いたら、笠ヶ岳山荘までゆくとのことだったので、厚かましくも山荘へのメモをお願いすることにした。そのメモには「神奈川の大竹です。足のトラブルで山荘に着くのが遅れています。夜7時頃には着けると思うので食事の方よろしくお願いします。」と書いた。薬が効いてくれることは、本当のところあまり当てにはしていなかった。「効くならそのうち効いてくるだろう」と、まだピクピク痛み続ける足を引きずって、カールになった杓子平を歩き始めた。薬を飲んで30分近くたった頃、カールの奥の小さな雪渓の末端に着いた。ここから笠ヶ岳に通じる尾根に一気に岩場を登るのだ。気のせいか少し痛みが和らいできているようなので、この岩場を1本取るくらいで登れればいいなーと思いながら、山路さんに「この岩場を1本でいきましょう!」と声をかけ登りにかかった。痛みが少しずつ和らいでいるのは、確かに実感できた。途中で少し休もうかと思ったが、尾根の分岐まで何とか登れそうな気がしてきたので、気合を入れて登りつづけてみた。高度がぐんと上がり、そこに分岐を示す標識があった。このとき5:10になっていた。予定ではすでに山荘に着いてみんなで一杯やってくつろいでいるはずの時間である。太ももの痛みはほぼ消えていた。ようやく足が何とか動かせる状態に戻ってきて、鎮痛剤の威力に心底驚いてしまった。「山荘まで行ける」という確信がわいてきて自分でも驚くほどうれしかった。天気は安定しており、山荘まで明るい内に着ければいいなーとかなり遠くに見える笠ヶ岳山荘を見上げた。

 分岐からのゆるい登りは太ももの痛みの消えた(完全ではなかったが動くだけでも大変な好転)今では、ふつうのペースで行けそうだった。これ以前にメンバーはぼくのザックの荷物を少しでも軽くしてくれるべく、かなりの量を分担してくれていた。とくに今回ザックを20年ぶりくらいに新調した甲地さんには感謝のことばもない。山荘下のテント場近くに着いた頃にガスがでてきたが、もう山荘は目の前。しかし、ちょうど薬の切れる時間でまたしても太ももがピクついてきたが、もうすぐそこだ。大きな岩に白いペンキで書かれた矢印を見つめながら、のろのろと登って行く。山荘まであと50mほどの距離がなんと長く感じられることか。「着いた!」と山荘への最後の石段を登ると、もう倒れる寸前であった。6:35みんなの助けに支えられてついに山荘まで着くことができた。新穂高から歩きはじめて12時間45分のとてつもない長い初日であった。そして、今までの山行でももっともつらく最悪の状態での登りだった。しかし、メンバーに支えられて登りきることができ、「至福」ということばがひとりでに頭に浮かんできた。

 山荘の人には迷惑をかけたが、おそい夕食をとりながら、念願のビールで祝杯。ビールが汗で絞りつくした身体に気持ち良く吸い込まれて行く。「至福のとき」というのはこういうことをいうのだろうと一人で静かに思った。

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