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95年度 夏山山行記


95年夏・大雪ふたたび


◆はじめに

 今回の山行は、山路さんが湯上さんと相談して念入りにつくってくれた計画をもとに実施された。その為、行程的にも無理がなく、天気に恵まれれば最高の山旅になったと思う。山の天気は運、とは思えど天気を今回ほど恨めしく思ったことはない。とはいえ雨の大雪山もやはり素晴らしい山。記憶の新しい内に思い出のページに加えて置きたいと思い、パソコンに向かうことにする。

◆7月27日(木) 指原さん宅へ

 朝から、そわそわ。ザックに詰める荷物を何度も出したり入れたり。指原さんが用意している食料の分担がどれくらいあるのか、ザックに余裕をもたせねば…いろいろ考えながら余分なものは更に削っていく。昼頃、ようやく納得できる状態になったので、家を出る時間を確認して(これが実は最初の思い違い)、軽く昼寝でも、と横になる。今日は、指原さん宅に泊まる。明日の飛行機が7:25発と早い便のためだ。5:00に山路さんと蒲田の駅で待ち合わせすることになっている。

 自宅のJR相模線入谷発の時刻表を見ると、5:00に蒲田だとすると3:30頃に乗ればいいな…と思い、時刻表の方は16:22発の方をみてしまい、そして、その時間を頭にきざみこんでしまったのだ。4:10頃いよいよ荷物を担ぎ、駅に向かった。服装も荷が重くなるのが嫌なので、山の服装でビシッときめる。気持ちも引き締まり、普段の運動不足も一時的に忘れたかのように気合いが入る。予定の電車に乗り、まずは海老名まで。相鉄に乗り換え横浜に向かう電車の中でザックを降ろし、イスに座ると気が緩み、すこし眠気がおそう。ウトウトして二俣川駅を過ぎた頃、何気なく時計をみると5時!。
「あれ、何でもう5:00なんだ!蒲田の駅は確か5:00集合だよな。」
「しまった!。1時間、時間をまちがえたのか?!」

もう山路さんは来ているだろう。連絡の仕様もなく横浜駅に着くと、走って電話機へ。とりあえず指原さん宅に電話を入れて、遅れることを知らせておこうと受話器をもつ。奥さんがでて、事情を説明。あとは蒲田めざして急ぐだけ。

 駅につくと、「もう山路さんもいまい。」と、思いながらも改札口から出て、周囲を捜す。すると、山路さんが手を挙げて迎えに来てくれていた。時間に遅れること40分。全く申し訳ない。指原さんも車を駅の脇に止めて一緒に待っていてくれた。急いで荷物を車に積み込み、指原さん宅に向かう。家に着くと、荷物を整理して、酒・ビール等の買い込み。明日が早いので、今夜は余りやりすぎてはいけないな…と思いながら、とりあえず山の成功を祈願して乾杯。これは、正直言って少しやりすぎた。

 指原さんは食料を日毎に分け、しかも一人ずつパッキングまでしていてくれたので、食料計画にかけた気合いが強く感じられた。自分の分が配られるとザックもパンパン。やっぱりザックを60リットルのデカイやつに新調しておけば良かったとつくづく感じた。これで準備は終わった。あとは、明日の飛行機が無事北海道までわれわれを運んでくれることを祈って飲みつづける。羽田までのタクシーも朝6:00に迎えに来てくれるよう予約。完璧な体勢。
「明日は早いから今日は終わりにするか。」
と言う、誰かの声をきっかけに床につく。

◆7月28日(金) いよいよ北海道へ

 5時前に起きると、指原さんの奥さんがすでに朝食の用意をしてくれていた。昨夜も後片づけで遅かったのに、申し訳ない気持ち。朝食を頂き、用意を済ませるとすでに6:00近く。外に荷物を運び出し、タクシーの来るのを待つ。ほぼ時刻通りやってくる。今回は荷物が大きいので後ろのトランク一杯になり、しかも蓋が締まらないので、ひもで結わえての出発。奥さん、娘さんに見送られて一路羽田へ。蒲田からは空港まで実に近い。20〜30分で着く。普段飛行機も余り使う機会もないから羽田も久しぶり。たしか前に乗ったのは、原中学の学年親睦旅行で能登に行ったとき以来か。もう8年前ほどになる。

 JAS(日本エアーシステム)のカウンターは端にあるので移動。まだ手続きは始まらないので、待合所で待つことほんの数分で鎌田さんもやって来てこれで全員がそろった。今回の大雪山行はかなり日数と費用がかかるので何人行けるか計画当初より心配していたが、5人参加ということでこれ以上は望めない充実したものになった。みんなの顔にもヤル気があふれ、あとは山の天気良いことを祈るのみ。カウンターで搭乗券を受け取りザックを預ける。つまらぬことだが、ガスボンベを荷物の中に入れるのは本当は規則違反なのだが、旭川ではたして持参のバーナーにあったボンベが手にはいるかもわからない。時間的にも今日中に黒岳小屋まで入らなければ予定通り行動できない。こちらの心配をよそにアッという間にベルトコンベアーに運ばれていくザックを見ながら、少しの後ろめたさを感じながら「まあ、しかたないな。」と自分を慰める。

放送が入り、いよいよ搭乗の時間。ぼくは、たいした物も持っていないのでチェックも難なく通過。ところが、指原さんはブーの警戒音でボディーチェック。全員一列に近くの席が取れたので何となく安心感がある。予定の時刻を10分位遅れて離陸。北海道へは電車、フェリーと時間のかかる手段でしか行ったことがない。これが最初の飛行機による北海道行きだ。そして、山岳会で飛行機を利用するのも今回が初めてのことになる。飛行機のup・downも少しは気になるが、何と言っても子供の頃からパイロットになるのが夢だったくらいだから飛行機は乗るだけでも楽しい。乗っている時間は1:30ほどだから全く驚くほどの時間短縮だ。山から降りたら会津の実家に帰る予定にしているが、車で飛ばして5:30ほどかかる。電車でも乗り換えその他でやっぱり5:00ほどかかるから、北海道までこんな短時間で行けるとは考えると便利すぎて何か恐いほどだ。 機内で軽食(梅じそ入りおにぎり、つけ麺,etc)が出て食べ終わり、雑誌をながめていると、もう着陸体制にはいるというメッセージ。実に速い。天気が良くないみたいで視界が効かない。機体はググーと高度を下げ雲の中を翼 を揺らしながら降下していく。雲の下に地面が見え始めたと思ったら、軽くショックがあり、そこはもう北海道の旭川。9:00ちょうどに着陸。機体から出て空港の手荷物受け取り所でザックの出てくるのを待つ。ほどなく我々のザックも出てきてそれぞれが重そうに受け取る。湯上さんのは特に大きくしかも重そうで、これで本当に登れるのか心配になるほど。ここから旭川の駅までバスで行く予定だが、すでにバスにはかなりの人が乗り込んでいる。駅まで40分ほどかかるらしいのでできれば早めのバスに乗り出発したいので最後何とか補助席にもぐり込む。

 バスの中のことはすぐにうつらうつらしてしまったのでほとんど記憶にない。気がつくと、8年前に大雪に来たときの記憶にうっすら残っている旭川の駅舎前に着いていた。ここで、層雲峡行きのバスが出る10:45まで待つことになる。ザックをバスの乗り口の所に並べ、各自時間まで自由行動。ぼくは、まずトイレを捜して用を済ます。湯上さんのザックはここでも通りがかりの人が気にかけていくほどの異様さを感じさせた。間もなくバスは時間通りにやって来た。バスの一番後ろに5人並んで座り、荷物はその後ろにまとめて置く。バスが動き出すと誰からともなくうとうとし始める。天気が関東とはまるで違い、今にも雨が降り出しそうで、しかも肌寒い。そのうちにぼくも寝入ってしまう。

層雲峡の近くに近づいてことが周囲の岸壁群からもわかる。天気は雨が降ったり、陽が出たりと忙しく変わる。はっきりと見覚えのあるバスセンターが見え、予定通り12:30に到着。まずは昼食をとるために湯上さんの案内で近くの飲食街(といってもたいした数ではないが)へ向かう。北海道に来たらミソラーメンということで、喫茶店風の所に入る。早速、ミソラーメンを5人前注文。湯上さんは店を出て、近くのコンビニに買い物に出かける。このとき、ぼくは彼が何を買いに行ったのか全く興味も関心もなかったが、これがこの山行の食料計画に大きな衝撃を与えることになるとは知るすべもなかった。ラーメンは思いのほかおいしく、さすが北海道に来たなと実感させられた。店を出て、ロープウェイのある建物まで少し歩く。ここまで余りザックに慣れていない身体には、徐々に重さが滲みてきて汗がジワーと出てくる。天気が悪く暑くないのがせめてもの救い。 ロープウェイの駅で待つこと25分。13:40のロープウェイに乗車。天気のせいか一般の観光客も少なく余裕の状態で乗れる。少し高度を上げるともうガスの中に入り、周囲は何も見えなくなってしまった。登り初めに悪天は つらい。7分ほどで黒岳5合目に着き、今度はリフトに乗り継ぐ。このリフトはどうもスキー客用とは思えないほど斜面すれすれに動いている。15分も乗っているからけっこう長い。ところが、なかなか高度を上げず、最後になってようやくググーと急傾斜で登る。着いたところが黒岳7合目。ここまで機械で上げてもらうと正直言って実に助かる。できればこのまま黒岳頂上まで…甘えてはいけない!。

 ここからが本当の登山。登山靴の靴紐をしっかり締め、気合いを入れる。入山の記録を出す小屋の天気予報板を見たら、7/31頃まで天気が良くないようなので心配する(これが現実には見事的中するのだが…)。14:10黒岳7合目を出発。すぐに急登になる。山路さんが先頭でグイグイ登っていく。しかし、ザックも重い。陽が出ていない上に気温が低いので少しは楽か。途中、何本か休みを取っていると、小さなリスが人を警戒する様子もなくチョコチョコ出てきて疲れを癒してくれる。出発前、自分の体調をずいぶん心配した。なにせこのところ通勤も車がほとんどになり、運動らしいことを何もしていなかったのと血圧は正常なのだが脈がはやくなっているのが気になっていた。山でみんなに迷惑をかけるとしばらくの間何を言われるか、わかったもんじゃないのでとにかく弱気を出さないように用心しようと心に誓う。余計なことは考えないで頭の中で「いち、にー。いち、にー。」と無心に数えながらテンポを保つ。これで最終解脱だ。

 頂上が見え、最後の頑張り。16:00頂上に着く。霧雨状のガス。風も冷たい。天気が良ければすごく景色もいいのだろうが、今回またしても(8年前もやっぱりダメ)視界がきかない。誰だ!雨男は。全くもう…。ここからは石室まであと少し。ビールもある。湯上さんはさすがに荷物がすごいのでスピードが上がらない。しばらく遅れて頂上へ到着。みんなで記念写真を撮ると、急いで石室を目指す。15分ほどで石室に着く。小屋に入ろうか迷ったが、中が余り好ましい状態ではなさそうなのでビールだけ買いテントを張ることにする。ここは、利用者名簿に名前を記入するだけで無料。注意を聞き、すぐに設営場所を決め自慢の7人用テントをビシッと張る。

 設営が終わると、いよいよ夕食の準備。予定では鳥五目ご飯と味噌汁。この辺から今回の湯上さんのあの異様にデカイ荷物の中から考えられないような食料が次から次へと出てくることになる。食事の前にビールを乾杯しようとなり、小屋の前から購入してきた冷たいビールを用意していると、湯上さんは何やらジンギスカンをやろうとマトン肉ともやし・白菜などを取り出し鍋で炒め始める。量もかなり多い。あの焼き肉のいいにおいが食欲をそそる。まさかこんなものを持ってきたとは誰も考えなかったので、みんな(湯上さん以外)戸惑っているようす。そろそろできた、と頂くことにする。「うまい!。」「ビールに実に合う。」ご飯が炊きあがる前にグイグイ食べる。飲む。ぼくは調子に乗りそうとう食べてしまった。鳥五目ご飯ができあがる頃には、お腹ももう十分な感じになっていた。案の定、ご飯の方は余り食べられなくて申し訳ないことをしてしまった。これ以降、食事計画は指原さんの思惑とはかなり異なってしまい変更に次ぐ変更が続くことになってしまう。予定は未定とはこのことなり。まあ、これも山に来たときの楽しみと言えばいえないこともない。何がおこるかわからないのが 山の常だから…。ご飯もだいぶ残ってしまったので、明日の朝食はご飯の残りとジンギスカンの残り汁を混ぜて雑炊ということになってしまう。夕食が終わる頃には天気も徐々に下り坂になり、風も強くなってきた。はやくテントに入って歓談といこう。

 テントの中はさすがに暖かい。用具をテントの隅に片付け寝床のセッティング。
鎌田さんはテント担当だが、ザックが小さかったとかでシュラフを持ってこなかった旨。大丈夫かなと思いつつ最後まで気にかかった。寝酒をやり、雑談していると夜のふけるのも早い。明日からの長い日程に備え眠りにつく。久しぶりのテントの床はなかなか厳しいものではあったが…。

◆7月29日(土) 縦走開始

4時起床。風が強く雲の流れも速い。テントのフライシートはさほど濡れていないが、夜に雨もあったようだ。睡眠不足と言いながらこの辺の記憶がないということはけっこう眠れたのだろう。ガスコンロに点火し、昨夜の残りご飯にジンギスカンの残り汁と水を少し入れたコッフェルをかける。その間に、テントの片付けをする。まだ、濡れているという状態ではないので比較的たたみ易いが、これが水を含み始めるとテントを持つ人はつらい。日に日にテントが膨らみ、しかも重さも増してくるからだ。雑炊ができあがり急いで朝食。食欲はあまりないが動き出せばすぐに腹もへってくるからとにかく腹にいれておかねばならない。

 6時出発に準備が整い、いよいよ縦走に入る。例によって朝の大キジ打ちが完璧でなかったせいか腹に何か残っているようで、今一つ気合いは入らぬがどうせ歩く登山道は人も少なくどこでも大自然のトイレ。その気になればいつでもできる。これは何と言っても精神的に気持ちのいいものである。天気は、良くなる気配はなく、強風とガスは相変わらずだ。雪田も大きなものが残っており涼しさに通り越した寒さを感じさせる。休むと返って背筋がぞくぞくしてしまうのでどうしても休憩時間は短くなってしまう。美ケ原というところを通っているはずだから多分天気が良ければ雄大な素晴らしい景色が望めるのだろう。今日は残念ながらガスに巻かれながらモクモクと歩くしかない。

 7:30頃北海岳の頂上に立つ。頂上といってもなだらかな山頂なので丘の上という感じ。とにかくピークに立った証拠写真を撮らねばならない。風にあおられながら何とか決める。このあとの行程もほとんど視界が得られない状態が続く。雨もパラパラし出すと雨具を着けねばならず、着ければ雨具の中から蒸れてきて
どちらにしても衣服は濡れてくる。今回の自分の失敗は、夏だから北海道といってもセーターを着ることもあるまいと油断して持ってこなかったこと。それと雨に対する対策が甘く特にザックカバーを買ってこなかったことだ。更に1:30ほど歩くと白雲岳の分岐に着く。何人かの人がいて、それぞれ荷物を分岐の標識の辺に置き、白雲岳の頂上までピストンして来ているようだ。我々も同じ場所に荷物をまとめほとんど空身で山頂を目指す。最初は全く高度を上げないので道を間違えたかなと心配になったが、みんな同じコースを行っているので大丈夫だろう。風がものすごくなり雨具のフードを着けても肌に痛いくらいだ。斜面にはきれいなお花畑がガスの切れ目から見えるが、この風雨では味わっている暇もない。20〜30分も行くと岩場が現れどうもその辺が山頂らしい。

山路さんが風雨を避けるように岩の陰でみんなを待っているのが見える。ぼくもようやく山頂へ。周りの様子は全く見えない。とにかく写真をというので全員そろったところで標識の棒にしがみつくようにして記念撮影。こんなところで長居は無用。早々に分岐までもどる。あとは今日の宿泊予定の白雲岳避難小屋へ早くかけ込むことだ。天気が天気なのでもう小屋泊りは決定だ。この時間に小屋へはいれば湯上の言っていた2階のいい場所が取れるだろう。足は独りでに速くなる。

一旦沢筋に降りそこからちょっと小高い場所に小屋はあった。10:30小屋に着く。小屋に入るとさすがに暖かくほっとする。素泊まり料金(北アと違い素泊まりしかないが)を払い場所を決めてもらう。2階の1番〜5番というとてもよい場所を取ることができ、ぼくは1番をもらう。シートを出し、セッティングができるとまずはみんなで日本酒の燗をつけ乾杯。まだ午前中で小屋に入って来る人もほとんどいない。比較的広い2階を今のところ自由に使えるので腰を伸ばしてゆっくりくつろぐ。小屋には実に何もない。売店もビールもない。登山者の数そのものが少ない(8/21に湯上さんに送ってもらったアエラによると、この辺の縦走者は本当に少ないとのこと)から、商売にならないのだろう。おかげで静かな山小屋が楽しめる。外は天候が更に悪化し風雨が強くなっている。こうして早い時間につけたことがこの余裕を生む。山では「早起きは三文の得」のことわざは確かに成り立っている。昼食もパンなどかじりながらごまかす。夕食の準備にはまだ時間がありすぎるので各自昼寝などして過ごす。こんな時のためにと、本を3冊ほど持ってきたが、不思議と頭に入らないので読むのを止める。 考えてみれば山に来てまで本など読む必要はあるまい。自然の中に入ったら、自然を心ゆくまで堪能すればいいのかもしれない。知らぬ間に自分もウトウトしていた。

 午後2時頃からそろそろ夕食の準備にかかる。今日の夕食のメニューは予定ではレトルトのカレーとなっている。ところが、ここでまたしても湯上さんがザックから豚肉・ジャガイモ・タマネギ・にんじんなどを出し、やっぱり本物のカレーの方が美味しいから自分に作らせてくれ、ということになり一人で小屋の隅の方でジャガイモの皮剥きなど始める。彼のザックはまるでドラエモンの4次元ポケットのようにいろんなものが次から次へとでてくる。道理でザックがあのようにでかくなるはず。食料計画を立てた指原さんも困惑のようすではあったが、何と言っても本物には負ける。ぼくらは、カレー作りを彼にまかせ、ご飯炊きの準備にかかる。今回の山行ではハイパワーキャンピングガスバーナーと大型のボンベを5本持ってきてあるので火力の心配がない(結果的には、ボンベはあれだけ贅沢に使ったのに2本残り、今後の準備の良い目安を教えてくれた)。

 ご飯もカレーも完璧にでき、4時頃にちょっと早いが夕食にする。食べ始まるとみんなものすごい食欲で、ご飯もカレーも瞬く間になくなっていく。指原さんが盛んに福神漬けをみんなにすすめる。食料の分担はかなりあるので各自自分の食料を使ってもらい少しでも荷を軽くしたいのは誰でも同じ思い(重い?)。ぼくも雰囲気に負けてタップリ2杯食べ腹一杯。具がたくさん入っている上に、時間をかけてじっくり煮込んであるので普通山では食べられないレベルに達している。湯上さんの本物指向には本当に感心するばかりである。この後も湯上さんにはおどかされるのだが、それは日を追って紹介していくことにする。さて、食べてしばらくすると、どうも腹の調子が良くない。やはり先ほどのカレーの食べ過ぎだろう。外は次第に風雨がひどくなり、トイレに行くのも余り気がすすまない。しかし、とうとう我慢できなくなるのは自然の摂理。外に出ると、もう薄暗くなりつつあった。小屋の周囲を取りまく石垣の外側をものすごい勢いで風が吹き抜けていく。

この後、夕方に近づくとこの悪天候で行程を変更した人などが次から次へと小屋にかけ込んで来て、午前中ゆったりと休んでいた2階の床もシートやザックで一杯になってしまう。暗くなれば後は寝るだけ。シュラフに足だけ入れ寝る体勢になる。強風でときどき揺れる小屋を気にしていたのはどれぐらいまでか、記憶もいつの間にかなくなり、2日目の夜となった。

◆7月30日(日) 雨の中を忠別岳避難小屋へ

 4時前に目が覚める。外は相変わらずの悪天で外は暗い。他の宿泊者たちもまだ誰も朝の行動に移ろうとしない。仕方なくシュラフから出て起きることにする。
みんなもモゾモゾ起き出し、後片づけにかかる。ぼくはバーナーに火をつけ、お湯を沸かす。部屋のあちこちの場所でバーナーの火がつき始める。こんな天気の悪い日は誰でも余り行動したくないもの。しかし、これからの行程を考えると、われわれは何とか今日は行動して忠別岳避難小屋までたどり着いておきたい。今日の行程は今回の山行でも一番長い所なので、できれば早く行動を開始し次の小屋でも何とか良い場所を確保したいと、準備の手も素早くなる。

 バタバタと朝食を済ませ、出発の準備が整った。外は風は少し収まったものの雨が降り続くイヤな天気。出発前にトイレに行くと気圧のせいか、ウジがトイレの扉にウジャウジャと這い上がっていて多少不気味。小屋のそばで出発前の記念撮影をするが全員雨具に身をつつんでいるため、顔もはっきりしない。さて、気合いを入れて出発。この辺から大雪ではもっとも素晴らしい景色が味わえる所らしいが、歩く山道の周囲のお花畑と雪田などが少し見えるだけで、あとはハイマツとザレ石そして大きな水溜まりが続くだけ。ほとんどup・downのない平原みたいな道だが、見通しがきかない上に標識や目印のペンキも目だたなくて、果たして道を間違えているのでは、と時折不安にもなる。休むと寒い。鎌田さんも「寒くなる。寒くなる。」を連発し、みんなも同じ思いなので歩く時間間隔もだんだん長くなる。最後尾は湯上さんで、「先に行っていてくれ。」というので、遠慮なくグングン先へ歩く。彼は、大雪の主みたいな人なので余り気も使わずに、比較的荷物の軽い4人で早めの行動をする。先頭は山路さんでいつもながらペースは速い。それぞれが自分のペースで歩いている。これがこの山岳 会で最も素晴らしい所。時折先頭の山路さんの姿がガスで見えなくなることもあったが何とか付いていく。気がつくと、いつの間にか忠別岳山頂に着いていた。予定よりもだいぶ早く10時少し前に到着。何人かの登山者が休憩をとっていたが、それにしても実に少ない。写真を撮って何気なく山頂の後を見たら、すっぱり切れていていて恐くなる。ガスで見えなかったのだ。ここでも長居は無用。小屋めざして足早に降りていく。

 忠別岳避難小屋は、大きな雪渓のすぐ上にあった。小さな避難小屋である。水場は雪渓の末端にあり、小屋からすこし下った所にある。湯上さんの話では、この雪渓にヒグマが時折出るとのことで、ちょっと不安。小屋の中はすでに停滞したグループが一階のいい場所を取っていたので、われらは二階を使うことにする。ところが、二階に上がるハシゴが垂直でまるで岩登りの感じ。荷物を上げたり、小屋の外に出るのがなんともおっくうになる。でも、今の所、自分達だけなので勝手に床板を敷いたりしてバッチリ場所を確保。昼前にして完全な体勢に入る。バーナーで暖を取り(このあたりからボンベをたっぷり持ってきたことを本当に正解と思った)、残り少ないアルコールを頂き昼食。何食べたんだっけ?

 夕食の準備にかかる頃、又しても湯上さんの隠し技。必殺「オデン」の登場。ダイコン・じゃがいも・オデン汁(まあ、よく持ってきたと驚くばかり)の本格的なヤツを大鍋でクツクツ煮込み始めたのには、みんなもア然。ぼくの持参したヒトメボレも出番がなく、後へ後へと圧しやられてしまった。夕食が済んだ頃から小屋に入って来る登山者が増えて来て、いつの間にかわれらの”楽園”も終わりを告げた。シュラフに入って寝る準備に入る頃には、垂直のハシゴ壁の所も出入りに気を使わねばならないほどになっていた。もうやることもない…寝るか。

◆7月31日(月) トムラウシ断念!

今日も雨。全く回復する気配すらない。隣に陣取っていたカップルも今日はトムラウシ山を越えて下山しなければならないとかで早々と出発して行った。われわれは無理をしないでここで停滞?とも考えたが、できるだけ下山予定の天人峡に近づいていた方が無難と判断。今日は予定していたトムラウシ山のピストンは中止して、とりあえずヒサゴ沼避難小屋まで移動することに決定。こうなると、あとは朝食を素早く済ませ、出発に準備に取りかかる。今朝は、昨日の「オデン」が効いたのか、大キジ打ちも見事に成功。気分が良い。

5:10雨具に身をつつみ浸水でグショグショの登山靴に仕方なく足を入れ、出発。湯上さんが近道を知っているというので、雪渓を右に見ながらハイマツ帯の中を潜るように登っていく。木の根で足をひっかけたり、水溜まりで足を取られたりもうメチャクチャ。雨と汗とで眼鏡は役立たず返ってジャマ。時間の経つのも忘れ、登り続けると稜線の道とようやく出会う。ここで小屋から早立ちしていった隣のカップルとばったり。「なるほど、湯上さんの言うとおり近道じゃわい。」と少しほくそえむ。ここからもほとんど休むことなく(もう休めるような天気と状況ではない)ひたすら登る。お互いに会話もない。先頭の山路さんが口笛を吹き合図があったので五色岳の山頂が近いことを知る。気合いを入れる間もなく山頂に着く。出発して50分の時間が経過してしたが、コースタイムよりかなり短い時間で登ったことになる。恒例の記念撮影をするが、多分写っている自分の姿はひどいものになっていることだろう。この先は化雲平、神遊びの庭と続くそれこそ天上の楽園なのだそうだが、風雨の中で揺れる花花が足元に見えるだけで、沼地と化した道をもうヤケクソになって漕いでいく。靴の中は水が たっぷりは入り、それが暑くなる足の冷却液となりいつのまにか生温くなる。雨具の中の衣服は、外から濡れているのか(そんなはずはない。まだ新しい雨具だし)、それとも汗で内から蒸れているのか見分けがつかないほどだ。これが肌に張り付き気持ちが悪い。

標識が現れヒサゴ沼方面を示す方角に進路をとるが、あちこちに道があるようでどうも心許無い。ようやく下から登ってくる人と出会って、一安心。雪渓が出てきてそれをトラバースした辺りから更にひどい道になる。かすかにヒサゴ沼が見える頃には、道の悪さは頂点に達し泥川となっていた。代わるがわるに転倒、スリップ。小屋は見えるのになかなか近づいてこないいらだち。ようやく沼の岸に降り立った時には、「これで小屋でゆっくり休める。ここまで来たら後は安心だ。」と正直ホッとした。時間は頑張ったせいか、まだ8:00。この時間なら多少人が残っていてもゆったりと場所も取れるだろう。小屋は目の前。

 小屋はヒサゴ沼のほとりに小さく立っていた。小屋の周囲に広がるテント場は今や沼と化しとてもテントを張れるような状態にない。期待は小屋にかかる。小屋の扉を開け、中に入る。もう一つ扉がある。熊対策か。モア〜とした熱気に眼鏡が一瞬曇り、その後見えてきた泥だらけの土間に並ぶこれまた汚い靴の数の多さ。期待が落差の大きい失望へと変わる。ドド〜ン。更に追い撃ちをかけるように、所狭しと寝そべっている停滞者のトドの群れ。けだるい雰囲気の漂う中に申し訳なさそうに入っていく。1階はもうダメ。これまた垂直のハシゴを登った2階もすでに埋まっている様子。でもこうなると必死。頭をぶつけそうな鉄筋柱のわずかなすき間に何とか4〜5人分の場所を無理矢理見つけ、ぼくらも情けないトドの群れの一員となる。場所が決まればとりあえず濡れ物を乾すこと。こんな天気じゃ乾くことなどないが、ザックカバーのない自分はザックの中が濡れていないか心配。心配的中。中の物はビニール袋でしっかり包んだはずのシュラフまで濡れていてがっくり。ガスバーナーを空炊きして少しでも乾かそうと空しい努力が始まる。こんなときは本当に「持ってて良かったガスボンベ」であ る。こんな狭くて今夜は眠れるのか不安になる。

 少し遅れて小屋に着いた湯上さんは、いつの間にか新たに場所を確保してしまった。その後、なんと「枝豆でもやりましょう。」と信じられないことを言う。そしてあの不思議なザックから枝豆の入った袋を出してきた。これからゆでて食べようと言うのだ。「こんな所までよく持って来たものだ。」と半分あきれながらも、みんなでバーナーを囲むようにしてゆでて食べた枝豆は、ビールはなかったが実に美味しかった。彼は夕食には何とマーボーナスまで作ってみんなを最後まで驚かし続けてくれた。

 この山小屋には冬季用に2階に直接入れるハシゴと扉がある。ぼくらが夕食の準備をしている頃、突然その扉が開き変なオッサンが入り込んできた。みんな最初は何が起こったのかと驚いてしまった。その人はすでにこの小屋へ泊まっていた人で、この天気の中一人でトムラウシ山までピストンに行って来たとのこと。彼は背が低めでちょっと小太りの大阪人で、一人で車を運転しながら北海道の山を登り歩いているとのことで、一方的にグイグイ話かけてくる実にエネルギッシュな人でこちらも圧倒されてしまった。この山の後は知床峠まで行って、そこから羅臼岳へ登ると言っていた。(山を降りてから網走の友人、田島君に聞いたところでは、知床峠から羅臼岳へ登るコースは廃道になっていてとても普通の人が登れたものではない、とのこと)あのオッサン果たして登れたか。他人のことながらちょっと気になるのは、あのオッサンの奇怪さゆえか。

 この小屋での話題今一つ。狭い場所でしかも荷物は濡れまくり、すべてザックから出しつくして乾していた。床にシートを引き体勢を整えようと荷物の整理に取りかかった。ぼくは何気なくバーナーを入れてきた袋を捜すと見つからない。確かにこのバーナーがあるのだから、入れてきた袋がこの場にないとは信じられない。それに袋から出した記憶がはっきりある。まだボケはそこまでいっていない。みんなにそれぞれの荷物を調べてもらったりするが、全然見つからない。神経質なせいか一旦気になりだすと益々気になる。食欲はアッという間に落ち、夕食も砂をかむような感じになってしまった。この小屋のどこかにあることは間違いないし何かキツネに摘まれたみたいで変な気分になってしまう。元気がだんだんなくなって来る頃、「悪りぃ悪りぃ、これじゃないの。」と湯上さんの声。
確かに間違いなく捜していた袋。いっぺんに気が緩みヘナヘナになってしまう。
おかげで、この夜は最悪のコンディション(濡れたシュラフにキツキツの寝床)ながらぐっすり眠れたのは言うまでもない。

◆8月1日(火) いよいよ下山

 天気はみんなの願いに反し、またしても雨。昨夜のうちに、もし晴れていればトムラウシ山にピストンしてここにもう一泊する、ということにしていたが、この天気では結論は決まっている。天人峡へ下山するしかない。そうと決まれば、早めに準備し出発を急ぐことだ。何と言っても今日の行程は相当長い。朝食も早々と済ませ、ザックに荷物を入れていく。食料その他で湯上さんに残していけるものはまとめて彼に渡す。彼はここに残って14日位まで写真を撮り続ける予定でいるからだ。ぼくも最後まで残った米5合を彼に食べてもらうことにする。ボンベの体積はそのままだから、ザックはそれほど小さくはならないが、重さは少し軽くなった気もする。

 湯上さんと彼の写真仲間に見送られて5:40小屋を後にする。昨日のあの滝のような道をまた登るのかと考えると気分が滅入ってくる。小屋からすぐ近くに標識があり、それに案内されて登りにかかる。「あれ?どうも昨日の道と違うようだな。そんなに道も悪くない。これならいける。」 ほとんど休まないで登り続けるので高度はぐんぐん上がっていく。大きな雪渓も安全を考え、左側の岩場に逃げてやりすごす。雨具の中が蒸れて暑い。稜線近くまで一気に上がる。風が強まり、ガスも相変わらずだ。大きな岩が見え、そこがどうも化雲岳の山頂らしい。6:40山頂に4人で立つ。記念撮影も強風と雨でやっとのことで終える。 ここからは、天人峡までの長い下りが始まる。雨は強くなったり弱くなったりしながらも降り続けている。この段階では、この後に始まるとんでもない道を誰も予想していなかった。山路さんが作ってくれた計画表の地図を見ると、天人峡までのコースの中に道が点線で示された箇所がある。どういう意味なのか、わからなかったが、まもなく嫌というほど思い知らされることになる。それは、第二公園と呼ばれる一帯にさしかかる頃から始まった。やけに水溜まりが多 いなあと思いながら歩いているとだんだん道が川のようになっている。最初はこれ以上靴に水が入るのも嫌なので、川を避けるようにちょっと高めの土手の辺をバランスを何とか取りながら歩いていた。しかし、それにも限界があった。ついに、バランスを失い、転倒。靴に水が入るどころか雨具・ザックまで泥まみれ。もう、これには頭に来て、これ以降”滝”と化した道をヤケクソになってゴボゴボ漕いで行く。何度も転倒する。道は何本もの川になり、どこを通って行くのか判断に迷うところも頻繁に出てくる。「あの点線の意味はこれだったのか。」とようやく合点がいった。途中、沢登りに行った仲間を捜しに登ってくる3人の男性に会ったが、「これから登りじゃたいへんだろうな。」と同情を禁じ得なかった。5時間の苦闘の末、滝見台といわれるイスの置いてある休憩場所に着いたときには、ようやく腰を降ろして休めると一瞬気が緩んだ。ここまではとても腰を降ろして休むような所がほとんどなかったのだ。

 天人峡まであと40分ほど。早く靴を脱ぎ、衣服を着替えてスッキリした気分で温泉〜ビールと行きたいもの。気は焦るが足を痛めないようにゆっくり行くしかない。鎌田さんは先頭になり、ぐいぐい飛ばしていく。ぼくら3人は終点が近づいて来たので雑談などしながらのんびり降りていく。薄暗い樹林帯の急斜面でジグザグ道にはしてあるが、足の指先の辺が何となく痛いのでまた血豆が出来ているかも知れない。汗で曇って仕方ないのでメガネをはずしていたので良く見えないが天人峡温泉の建物が見えてきたらしい。足が独りでに速くなる。コンクリートの道路が見え、そこはもう温泉。やっと終わった!みんなと「ご苦労さまでした。」の声を掛け合う。何とか無事に下山できた喜びが静かに体内から沸いてくる。ヒサゴ沼の小屋を出発して5時間半ほどの苦闘であった。時計は11:05を指していた。

 天人峡には4軒の宿がある。しかし、時間が早すぎるので果たして入れてくれる宿はあるだろうか。1番でかいホテルはまずはずすのが無難。真ん中位のホテルに当たってみる。どうも支配人に聞いてみるとかで当たりが悪い。鎌田さんが1番端にあるちょっと小さ目の「ホテル敷島荘」というのに当たってくれ、何とかOKをもらったらしい。ぼくはいつのまにか体調を崩し具合が悪いということにされてしまい、それで宿の人も早めに入れてくれることになったようだ。とにかく宿が決まり一安心。雨具の泥を水道の水できれいに洗い流し、水でずっしり重くなった靴を脱ぐと、一気に気分がヘロヘロになっていくのを止めることはできない。水を滴らせながら部屋に入ると急いで着替えをする。実に臭い。なにせ

7/27に家を出て以来全く着替えをせず、1週間近くも同じ服のまま。汗のみっちり染み着いた服なのだから仕方ない。風呂はまだ準備に少し時間がかかるというので、やることは一つしかない。部屋の冷蔵庫を覗くとあるある。まずは、無事下山を祝ってビールで乾杯だ。身体に抵抗無く吸い込まれていく。アッという間に部屋のビールがなくなったのは言うまでもない。

山路さんは早々とホテルにある宅急便の表示を見つけ、荷物を整理しているのかなと思っている内に、もう荷物を出してしまったとのこと。遅れてはならじとぼくも荷物を2つに分け出す。これでもう重い荷物ともおさらば。まったく恐ろしい世の中になったものだ。この後は、恒例の温泉〜宴会コースと定番で決め、95年夏山の最後の夜を心ゆくまで堪能した。
 
      1995.8.8

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