Home Page

97年度 夏山山行記


東北・早池峰&岩手山を登る
(山岳会結成20周年に想う)


■■南アルプス(赤石岳)は無理だったか?

今年度の当初の予定では、登る山は南アルプスの赤石岳だった。僕も当然のことながら直前までそのつもりでいた。しかし、計画を具体化していく段階で赤石岳へのアプローチは思っていた以上に大変なことがわかってきた。赤石岳への最短コースを考えても、その取り付きまで静岡駅からバスで4時間半もかかるのだ。さすが日本を代表する大きな山だけあって、その奥深さも並のものではない。それでは、いっそのことワゴン車で取り付きまで行けばとも考えて現地に連絡を取ってみると、車の乗り入れは禁止とのこと。結局のところ、よほど時間に余裕がないと行けそうにもないことは明らかであった。学生時代に登ったときは時間はふんだんにあったので、そのイメージで考えていたことが今回の計画段階での甘さを生んでしまったのだと思う。

全員の予定を合わせることは考慮しないにしても、行程は少なくても1週間以上の余裕をもたないと南アルプスの中部・南部の山域はむずかいしいように、今回感じた。それに、テントを使っての長い山行はメンバーの体力的な面(特に自分自身そうなのだが)で無理が出てきていることは、ここ数年何度も話題に上がったことなので繰り返す必要もないだろう。まぁ、南アルプスを再度登るとしたら、体力面・精神面・そして日程を十分検討して取り組む必要がある、と僕は今回痛切に感じた。

■■東北の山(早池峰山・岩手山)への変更

本当に忙しない計画の変更で、メンバーには迷惑をかけてしまったけれど、何とか湯上さんの適切なアドバイスで素晴らしい山に登る機会を得たのは嬉しいことだった。考えてみれば、東北にはまだ登っていない山がたくさんあったのである。僕自身も今まで岩手山に登ろうと考えなかったのは不思議でならない。何度も近くを通る機会はあったのに、ついぞ登ってみようとは思わなかっただから。

そういう意味でも、今回の早池峰山・岩手山への変更はこれからの上飯田山岳会の新しい目標となる山を示してくれているように思えた。

■■早池峰山

この夏の最初の山は、歴史的にも山岳信仰で知られた「早池峰山」である。8月2日の朝はいい天気であった。正面コースというのを登っていくことにして、朝5時過ぎに出発。
何のことはない。正面コースというのは、沢筋をつめていく直登コースのことで、歩き始めてゴロゴロの岩石だらけになると、後はひたすら汗を絞り出しながら高度を上げていくのだ。

運動不足で足が弱っているのは言うまでもなく、心肺機能もめっきり衰えているので、息づかいは激しくなる一方である。後からどんどん湯上さんが攻めてくるので(別にそんな気はないと思うけど)、ついつい頑張って益々疲労の色を濃くしてしまう。それでも、ひたすら足を動かし続けてほぼコースタイムと同じぐらいで登り切れたのは我ながらよく頑張ったと思う。

登山の様子は、いつものように山路さんの詳しい報告があるので、そちらを参考にしてもらえれば楽しめるでしょう(僕も何度も読ませてもらいました。素敵な文でした。)
少し、付け加えるとしたら、「早池峰山」(はやちねさん)という呼び方はどうも間違いのようで、「早池峰」(はやちね)でいいのだそうだ。これは、「日本百名山」深田久弥さんの本に書いてあるので、ぜひ読んでみられたらと思う。ちなみに、最近はこの本も新潮文庫の一冊になり安く買えます。ぜひ1冊はほしいものですね。僕がもっているものは初版で出た大判なのですが、中の山の写真が古くてはっきり言って駄目な本だ。特に、気に入らないのは、故郷の「磐梯山」の写真である。頂上が雲で隠れている上に、印刷が悪くてもともとそういう山のように感じさせてしまっているところは最低。文章ではいい文章で盛り上げているのに、肝心の「山の形」がちっとも名山の体をなしていないのは情けない。この辺は、著者のせいというより、編集者に問題があるのでだろう。まぁ、なんだかんだと言っても、深田さんの文章は、最近では珍しい趣のある文章なので、じっくり読むと「さすがだなぁ」と正直思う。

僕も今回、この文章を書くために久しぶりに読み直してみたが、「百の山を選ぶには、少なくともその数倍の山を登らねばならぬ。それも、自分の足ですべて頂上を踏まねばならぬ。」という気迫のこもった文章には深く感じ入りました。このことは、山だけでなくすべての分野で言えることかも知れぬ、とひとり反省してしまった。
今回の「早池峰」でのいくつかの幸運は、

(1)花巻でレンタカーを無事借りられたこと。
(2)河原の坊でのキャンプサイトが平坦で、しかも大変きれいであったこと。
(3)天気に恵まれ、気分よく登れたこと。
(4)急いではいたが、20数年前に一度訪れた「遠野」の町まで足を延ばせて、思い出 を新 たにできたこと。
(5)東北の百名山をまた一つ登れたこと。

などである。確かに、早池峰は名山にふさわしい。

それと、同じ本『日本百名山』によれば、早池峰で見られた「ハヤチネウスユキソウ」は日本国内でみられる「ウスユキソウ」の中ではもっともヨーロッパアルプスのものに姿・形が近いとのこと。別にそれでどうこうというわけではないけれど、例の「エーデルワイス」というのは、この花のことでしたよね?どうも、花にはまったく弱いので墓穴を掘る前にやめておきますが、それにしても、長年登山してきて高山植物にほとんどまったく興味が湧かなかったのには自分でも不思議に思う。興味・関心っていうのは本当に人それぞれなんだなぁと理屈ぬきに感心してしまう。

それと、深田さんが早池峰に登られたコースは今回僕らが登ったのと同じコースであることも本に書いてある。岳から入って同じ正面コースを登ったのだが、頂上ではガスで視界もきかず、残念ながら来た道をまた下山したとのこと。下山してからガスが切れ、山全体がようやく見えた、というパタンはわれわれもよく経験したものだ。

■■カプセルホテル

カプセルホテルに感服してしまった(何度も感心してばかりであるが)。初めての体験というのは何でもそうだが、年齢に関係なく新鮮な驚きと感動を引き起こすものである。今まで抱いていたイメージが見事に崩れるというのも、時には気分の良いものだ。今回の盛岡での「カプセルホテル」宿泊はまさしくそれであった。

「カプセルホテル」に対する僕の印象は、ほとんどが前の同僚(いつも物理室で2人で四方山話に花を咲かせていた物理のM教諭…今は県下でも有名な某進学校・厚木高校?!に転勤してしまった)の話で形作られたものといってよいでしょう。彼は、パチンコと酒が大好きで、遊びすぎて自宅(厚木のちょっと奥)に帰れそうにないとわかると、とにかく何とか厚木(本厚木)までは張ってでも帰り、そしていつもなじみになっている駅前の「カプセルホテル」にもぐりこむのを常としていたとのこと。これは、何度も聞いた話ですからおそらく真実である(その翌日の様子からはっきりわかりましたから)。このイメージからどんな印象を皆さんは持たれるだろうか?僕には、どうしても薄汚れた路地の片隅にジメーとした感じで薄ぼんやりと建っているボロ宿のような建物、しかもその寝床はやっと入れるほどの「土管」のような「カプセル」というようなものに思えてしまう。家に帰りそびれた人がやむを得ず泊まる「仕方なしのホテル」であるという印象を・・・。
だから、当然いい印象はなかった。多少、「閉所恐怖症ぎみ」の僕には「とても泊まれそうにないな」と自分なりに思い込んでいた。子供のときに、悪ガキ仲間と「土管」の中に入っていて、出口を何かでふさがれたような記憶が薄ぼんやりと残っている。あの「ここにずーと閉じ込められてしまうのでは…という恐怖感」が、この歳になっても似たような状況になるとジワーと身体の芯から沸き上がってくるのは本当に気分が悪いものだ。カプセルと聞いただけで似たような気分になるではないだろうか。

さて、前置きが長くなったけれど、今回の盛岡で利用した「カプセルホテル」は、な、なんとこのイメージとは全然違っていた。盛岡駅の真ん前にあるという立地条件もあるのでは、と考えたがそうでもないとのこと(よく利用するという湯上さん話)。チェックインをすませ、好奇な気持ちで割り当てられた番号の所に行くと、確かに見た目は「蜂の巣」みたいな造りになっていて四角い入り口がポコポコと開いて並んでいる。入り口は縦・横1mくらい。何か洞穴に入るような気分で中にはいってみると、天井に変な出っ張りが。これは良く見るとテレビなのである。暗いので奥を頭にしてもぐりこみ右の壁を手探りでさわると何かいろいろなスイッチ類がある。さっそくあれこれいじってみると、中が明るくなり思ったより広い。「なかなかいいんじゃないか」と調子に乗ってスイッチ類をいじりまわす。おおよその操作はすぐにわかった。「さすがメカに強い俺である」なんてすこしうぬぼれてみる。しかし、テレビでナイターを見ようとしたが、全然写らない。「変だな?」と思っていると、どこからかお金を入れる音が「カシャ」と聞こえたので、それとなく入り口の辺を見たら、あった。コイン入 れが。試しに100円を1個入れてみる。写った!と思ったら、これがなんと早々と「アダルトもの」。「ちょっと時間が早いんじゃないのか?」とか思いながらもしっかり見てしまうのが何とも情けない。

このカプセルホテルの上の階はサウナになっていて、しっかりネットワークが組まれている。僕はサウナは苦手なので、サウナしかないなら行くのは止めようかなと思っていたら、ちゃんと普通の湯船もあるという話。それならとさっそく風呂に入りに行った。けっこう広い風呂で一応「温泉みたいな」雰囲気が味わえて面白い。指原さんには「サウナに入ろうよ」と何度も誘われたが、あのムッとした熱気を吸い込むと頭がクラクラするので、残念ながら外から眺めて終わりにした。まぁ苦手なものが少しくらいあってもいいだろう。

結局、このカプセルホテルのあるビルは、1階にパチンコ店、2階に中華料理店(これがかなりの人気スポット)、3階カプセルホテル、4階サウナ、5階カラオケと完全に「できあがって」おり、もう「何も言うことはありません」という体制になっている。これ以上の合理性は追求できないと、その完璧さに独りでに頭が下がった。「実にすごい」

ちなみに、湯上さんの話では別にここのカプセルホテルが特別というわけではないそうで、横浜や新宿などどこでもほとんど同じ形式になっているらしい。「知らなかった!」この歳になるまで「カプセルホテル」を侮っていた自分の無知に驚くとともに、こんな安い料金で泊まれるなら、今まで料金の高い「シティーホテル」なんぞを利用してきた僕は一体どうなるのだ!!と心の中で怒ってしまった。やっぱり何でも毛嫌いしないで、一応は経験してみることは大切なのである。(教訓)

これからは、あまりのめり込まない程度に「カプセルホテル」も利用してみようかなと静かに思う僕だった。

■■山岳会結成20年

「もうそんなに経ってしまったのか・・・」という感慨が自然に沸いて来る。20年といったら、生まれた子供は成人式を迎える年月である。僕としては、そんなに長く感じなかったけれど、この間にいろんなことがあった。結成当時は、みんな独身。気楽な身分で(本当に体重も一部の人を除いてはみんな軽かった?)、山の計画もけっこう大胆なものを次々にたてたものです。今にくらべれば給料もはるかに少なかったわけだが、なんといっても独身の「経済観念」はほとんどマヒ状態だったから、好きなことができたような気がする。

つい先日も諏訪部さんの結婚式があったけれど、それぞれが家庭をもち、カミさんとの厳しい(?)環境の中、自分の信念を貫き通して山に登りつづけてきた(山岳会で飲みつづけてきた・・・)みなさんにまずは「ありがとうございます m(_ _)m 」と感謝の言葉を送りたいと思う。僕自身も17年前に結婚するにあたり、「山だけは何があっても登りつづけるぞ!」と気合を入れたことを記憶している。体重は増える一方で、年々山に登るのが苦しくなっているのも事実だが、何とか健康を維持しているのも(多少、精神回路に異常は来していますが…)毎年「山」があるからだと個人的には思っている。別に山岳会を過大に評価したりするつもりはないが、意志の弱い僕には何か「歯止め」がないと生活できないようなのだ。

この20年のあいだに、僕らも「りっぱな中年おじさん」になってしまった。松田さんのようにまだ若々しい人(これはホントにそう思う)もおられるが、なんだかんだといってもみんなの髪にも白いものが目立ち始め、あるいは「前方後円墳型」に頭部の崩壊が始まって、それなりに年輪を重ねている。とは言っても、この人生80年の時代にまだまだ弱気になっているのもいけないから、気負わず淡々と登りつづけるのもまぁ一つの「男のロマン」なのかもしれない。それにしても男性の弱気とは裏腹に、最近の「おばさんパワー」の凄さには山でも驚かされる。しかし、おばさんたちの強気も自然にはかなわない。先日も新聞で知ったのだが、僕らも登った鳥海山でおばさん2人が遭難して亡くなっている。猪突猛進だけでは、山は登れないと思うのだが。(冥福を祈り合掌・・・)

この山岳会がどこまでつづくのかはわからないけれど、誰か一人になるまでつづいたらそれはそれで実に面白いだろうなぁと思う。最後の一人が、先に旅立った仲間の写真などでも胸ポケットに入れ、晩秋の落ち葉の山道を独り淡々と登って行く・・・なんていうのも何か小説にでもありそうでいいんじゃないかな。僕はこういう雰囲気は結構好きだ。何でも長くつづければいいっていうものではないが、何か一つをものすごく長くつづけたというのは、「時の重さ」を実感として感じさせる。

というわけで、これからも登れる限りは「淡々と」登りつづけましょう!都合が悪くて登れないことも当然あるだろうけれど、仲間の誰かが登りつづけていればまた機会は巡って来るだろう。一緒に登れればこれまた楽し、ということ。それを肴(さかな)にまた一杯やれば、楽しさも倍増しになることは確実だ。
■■岩手山での撤退時の迷い

岩手山に登る当日は前夜からつづく大荒れの天気だった。朝、山に登る準備を始めるには始めたけれど、正直なところ「多分、この天気では頂上までは行けないだろうな。」という感じは薄々していた。なんと言っても決め手は「雷」だった。

夏山では「雷」に遭うことはよくあることなので、特に気にしている方ではない。がしかし、今回の「雷雨」はちょっとタイプが明らかに違っていた。朝から来る「夏の雷」は寒冷前線の南下によって起こるものしか考えられない。これは一般に「界雷」と呼ばれ、ふつう夏の午後に積乱雲によって発生する「熱雷」とは違い、長くつづく傾向がある。この雷雨の中に入っていけば、どこかで危険に遭遇する確率は高くなってくる。

ただ、登ってもみないで判断するのも、「せっかくここまで来て・・・」という気持ちが自然に起こってくるため、簡単にはできない。「とりあえず、森林限界を抜けて稜線に上がれば様子はわかるだろう。」というのが出発前の気持ちだった。リフトに乗るときは、「まぁこれくらいだったら、ひょっとしたら大丈夫かな?」に少し変わって来ていた。雨は強くなったり、弱くなったりでこれは仕方ない。やはり、気になるのは「雷」だ。山での「カミナリ」には何度も恐い目に遭っているので、平地でのように冷静にはなれないのです。それに、樹木帯の中を歩いていても決して「安全」とは言えないのが、山でのカミナリである。「カミナリ」に関する専門書も何冊か読んでいるので、自分なりにその怖さは知っているつもりだ。実体験(南ア縦走・谷川岳・飯豊連峰等)もあるのでなおさらである。

リフトを降りて、いよいよ雷雲の中に入っていくと、雨はますますひどくなって来た。「こりゃちょっと厳しいなぁ」と思いながらも、行ける所までは行ってみようと雨具の帽子をかぶりなおし、眼鏡につく曇りを取りながらかなりのハイペースで歩いて行く。雨の中では休憩を取るにもそういう気分にならないので、歩いて行くしかない。途中で1回道を間違えてしまう。何となく風向きの変化から回っている感じはしたのだが、皆から指摘されるまで、「この道で大丈夫だろう」と思っていたことも確か。さすが山慣れている山岳会のメンバーの目は鋭い。お陰で元の分岐に戻るのにさほど時間のかからない地点で引き返すことができた。正規のルートに戻り再度歩き始めましたが、天気は益々ひどくなる一方で、この調子では稜線まで行けるかどうかも自信がなくなってくる。道は雨で川に変わりつつある。カミナリも近くなったり遠くなったり。メンバーは黙って後に続いて足を止めない。先頭を行く僕は、次第に「どの時点で止めるべきか」を考え始めていた。

雨がバケツをひっくり返したように降り始め、カミナリが更に近く鳴り響く地点に来たとき、僕はみんなに「この辺で戻りましょうか?」と声をかけた。山では「民主主義」は通用しない。誰かが決断しなければ行動は決まらない。昨日、岩手山に登るために合流したばかりの松田さんには申し訳ないことだけど、無理して何か事故があったらもっと大変。「今年駄目ならまた来年登ればいい」と腹をくくり、「撤退しましょう。」とみんなにボソッと言った。「これで今年の夏山も終わりか・・・」と少し未練も残るが、仕方がないことだ。今まで何度も山で「撤退」したことか。いい思い出ではないけれど、この判断で何度も助けられていることも事実である。山では「臆病なこと」はとても大事なことだと思っている。「撤退」という単純な判断でも、それを決めるタイミングの難しさはいつも同じである。このときの気分は、自分の歩いてきた人生を振り返るときの、あの「もう少し、何とかできたのではないだろうか?」という後悔の念と不思議と似ているように感じる。でも、もう「決めたらお終い」。来年また出直せばいいだけの話だ。
1997.8.31

前のページへ ■ 来年につづくHome Page