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98年度 夏山山行記(つづき)


■出発前夜

 8/1の夕方、山路さんと指原さんが僕の家に泊まりに来た。これは、前々から決めていたことであった。指原さん宅には、何度か山に出かけるときに泊めて頂いたことがあり、機会があれば我が家にもぜひと考えていたので、今回集合場所を僕の家から近い大和駅にした時点で、「僕の家に泊まってもらった方が時間を気にしなくてもいいから、どうぞ…」と声をかけていた。さらに、山路さんにもせっかくの機会だからと声をかけておいた。狭い拙宅ではあるが、僕自身「雨・風さえしのげれば、立派な家」と考えている脳天気な男なので、カミさんが気にしているのもかまわずに、勝手に決めてしまった。まあ、「前夜際」でもやれればという魂胆があったことは確かである。

 男が3人揃って、家でチビチビ飲んでいるのもカミさんや子供に気を使わせると考え、近くにある「居酒屋(ホルモン焼き屋)」をチェックしておいたので、山の荷物を車に積み込むやいなや、早速飲みに出かけることにした。内心「明日は車の運転は僕がしないとまずいんじゃないか?」と思っていたので、少しは自制して「ほんの一杯。軽ーく」と最初は考えていた。しかし、飲み始めるといつもの習慣で、かなり飲んでも「軽ーく、一杯」の気分のままどんどん行ってしまう。僕は自分ではそうとは思いたくないのだけれど、かなり「飲める」方のようなのである。ビールは一人で飲むときには、350ml缶を1缶しか飲まないが、何人かで飲めば、相当に飲める。しかし、本当に好きな酒は「日本酒」である。名前だけのしゃれた「日本酒」などには興味はないが、やはり冷えた純米酒やにごり酒には思わずよだれが出てしまう方である。ほんの少しの肴と飲み仲間との語らい。これがあれば、ぐいぐい行ってしまうのが自分である。いちいち「酒」に説明など加え、能書きを垂れる人が最近増えているが、「酒は飲むものであって、能書きを垂れるものではない」と僕は思う。「飲んでうまけりゃ、それでよし」だ。酒の本場「会津」で鍛えてきた僕には、「能書きを垂れる飲み屋やそれで”通”ぶる御仁」がどうにも理解できない。酒なんてうまけりゃ、なんでもいいのだ。酒瓶のラベルを見て飲んでいる人は、僕の飲み仲間にはなり得ない。

 とか、ぶつぶつ言いながら飲んでいる間に、夜は更けていく。明日の朝は早い。ある程度飲んだところで、自然にお開きとなり我が家に戻った。自分にとっても車の運転はそんなに上手な方ではないことは自覚している。明日は「安全運転」で果たしてどの辺りまで行けるか、それが問題だ。まぁ、そう考えすぎても実際にどうなるかはわかったものではない。ナビの上手な指原さんにそちらは任せ、僕は運転に専念すれば何とかなるだろうと…などと考えているうちに眠りについてしまった。

■いよいよ出発

 8/2(日)の5時前にはいつものように起きた。というより、自然に目が冴えてしまって何だかぐっすり寝たという実感もなく、気がつくと明るくなっていたという感じである。山に行くときは、いつもそうなので今更興奮してということでもないだろう。身体がそうなってしまっているようなのだ。昨夜の内に主な山の荷物は車に積んでおいたので、今朝は軽い朝食と問題のトイレを済ませれば、あとは大和駅のロータリーで待つ3名を拾いに出かけるだけ。今朝はトイレもしっかり2回は行き、出発の段階では特に異常はない。天気ははっきりしないが、今年の天気は年始めからおかしいからもう気にしても仕方ない。残っていた品物を積みこみ、準備はできた。山路・指原の両氏も車に乗り込み、いよいよ出発である。運転は僕が、ナビゲーターは指原さんにお願いして大和駅を目指して出発。

 大和の駅までは20分ほどで着いた。途中、コンビニで朝食のおにぎりなどを買いこんだが、日曜とあって道路は空いておりスムースに駅に着くことができた。すでに、松田・鎌田・湯上の3氏は駅のロータリーのベンチに座って待っていてくれた。この山行を終えるとすぐに大雪山系にヒグマの写真を撮りに行く予定になっている湯上さんのバッグはさすがにデカイ。3人のバッグを積み込むためにはもう一度積みなおしをしないといけない。重い湯上さんのバッグを下にするようにして積みなおし、何とか全員のバッグを押し込んだ。総勢6名とバッグを積みこむと、車のシャーシもググーと下がる。

 ここからは保土ケ谷バイパスに乗り、そこから横浜ベイブリッジを通り湾岸線を使って葛西→小菅→川口に向かい東北道へ入る予定だ。日曜日の早朝ということもあり車は思った以上に順調に進み、途中お腹の具合もおかしくなることなく都内を抜けることができた。この経路は僕の田舎の会津に帰る時に何度も利用しているので、気楽に運転できるのがいい。川口の料金所からいよいよ東北道に入るが、郡山ICまではもう何度も、この先盛岡までは2回ほど運転したことがあるせいか、距離の割には精神的には楽に運転できそうだ。それに今回利用することになった我が家のトヨタ・エスティマ・エミーナは、まだ4月に購入(といっても僕は新車は買わないので、年式の新しい中古)したばかりでエンジンの調子も非常に良い。当然、他の車にスイスイ追い抜かれることもない。今までは、トヨタのスプリンターのオンボロ車(この車もまだ使ってはいる)で帰省していたので、坂道では次々と後方の車に追いぬかれて辛い思いをしていた(同乗の子供たちは追いぬかれるたびにため息をついていた…)のが、今回は違う。もう面白いようにスピードが出る。「やっぱりスピードが出ると気分がいいなー」とついついスピードも上がり勝ち。後部座席から「そんなにスピードを出さなくてもいいよ!」と声も聞こえるが、無視。平均1?0km/hのスピードで快調に飛ばして行く(これを正確に書くと問題あるよね)。気分いいなー!

 今日はできれば八幡平の近くまではどうしても行きたいので、どうしてもスピードを出す雰囲気になってしまう。東北道は福島や仙台くらいまではそれほど遠くには感じないが、不思議とそれ以北は格段に遠く感じてしまう。特に盛岡以北となると僕は始めての運転になるためどうしても心理的に遠く感じてしまうのかもしれない。途中で何箇所か休憩を取りながら北へ北へと向かう。昼過ぎにはかなりのところまで来たので、この分では八幡平の北部までは行けそうな感じになってきて始めて車のスピードを落とす気になった。

■ようやく今夜の宿へ

 この辺でもう今夜の宿を確保しておかねば、とナビをしてくれている指原さんが八幡平北部に位置する「八幡平オートキャンプ場」というのを見つけてくれ、途中のS.Aで電話して今夜の宿を確保してくれた。あとは地図を頼りに今夜の宿めざしてくる車を進める。夕闇の迫る頃、男鹿八幡平ICを下りて一般道に入る。この道路で少し南に戻る形で今日の宿へとだんだん細くなる道路を走っていると、宿の所在を示す標識も見え始め道路が間違っていなかったことを教えてくれる。ややあって、ゲートのある広い場所に曲がり、そこが「八幡平オートキャンプ場」であった。思ったよりきれいな建物でコの字型にコテージの並ぶなかなか感じのいいところである。キャンプといっても別にテントを立てる訳ではなく、木造の丸太小屋の棟つづきになっている建物の1室を借りて泊まるのである。食事は自炊でももちろんいいのだが、今回はズルしてこの建物の中央に位置するフロント近くの食堂で「カツカレー」を頼んで食べることにした。けっこう美味しい。もちろん、明日からの山登りの成功を祈念してビールでの乾杯は欠かせない。ここにはお風呂まであってまるで普通の宿と変わらない。はじめて泊まったオートキャンプ場を改めて見直してしまった。部屋も天井が高く、板間ではあるがかなり広く6人で泊まるには広すぎるほどである。

 お風呂も食事も終えると、部屋の中では特にやることはない。ラジオでナイターを聞きながら野球談義に燃えてしまった。というのも横浜ベイスターズファンの僕は、今となっては因縁のあの12対13で逆転勝利した横浜スタジアムにおける7月15日のナイターを最後まで見ていたのだ。同じくファンの息子も一緒に…。あのパワーを思い出すと、「今年はひょっとするとひょっとかな…??」と何やら期待めいたものを感じざるを得なかった。(追記:まさかこの2ヶ月後には現実になるとは正直なところ確信できなかった。)

 明日は6時過ぎに出れば楽に間に合うので、みんなでぶつぶつ話しながらいつのまにか眠りに就いていた。

★★★怠慢にも98年度の山行記はここまで書いてやめてしまったようです。すみません…m(__)m

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