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はじめての3000m峰ー槍ヶ岳


 今年の夏(99年8月)に久しぶりで槍ヶ岳に登りました(詳しくは99年夏山山行記を参照)。天気にもめぐまれ、すばらしい山々の光景を眺めることができ、よい思い出になりました。槍ヶ岳はたしかに何度登っても毎回「登った」という充実感を感じさせてくれる山だと思いをあらたにしています。

 私がこの山にはじめて登ったのは、20歳の夏だったと記憶しています。山行記録を書いた手帳が何度かの引越しでどこかに紛失してしまい(たしかに家の中のどこかにはあるはずなのですが…捨てた覚えはないのですから)、おぼろげな記憶にたよって書くしかないのが何とももどかしいですが。大学に入って、毎日きびしいトレーニング(早朝の10kmと筋トレなど)をしており、毎週のように丹沢・奥多摩・谷川岳などには出かけていたのですが、北アルプスにはなかなか出かける機会がありませんでした。

 夏休みにはいり(大学は7/10から休みに入った)、アルバイトの期間にまだ余裕のあるのを利用して北アルプスに行ってみようと思い立ち、槍・穂高縦走をまずやってみようと考えたのです。それまでに、槍ヶ岳は「日本のマッターホルン」といわれるようにその独特の山容で魅力を感じていました。そもそも「山に登ってみよう」と考えたのはウィンパーの書いた『アルプス登攀記』を読んで、自分もいつかヨーロッパの山々を登ってみようと考え始めていたからです。自分のそれまでのトレーニングの成果をためすためにも格好の目標であると考え、すぐに準備をして出かけることにしました。ザックにツェルトやその他の用具を入れ(とても山小屋など利用できるお金はないので当然ビバーク体制です)、夜行列車に乗り込んででかけたのです。当時は、新宿から松本まで鈍行の夜行列車があり、北アルプスなどに登る人は23:55発の列車に乗りこむのがふつうでした。列車の中はほとんどが登山客で、大きなザックが車内にあふれ、とても眠って行けるような状態ではありませんでした。若かったせいか、徹夜には慣れており別に寝たいとも思わなかったようです。それより、早く山に登ってみたいという気持ちの方が強かったのでしょう。もちろん、思い立ってすぐの山行ですから、「単独行」です。

 「単独行」…いい響きですね。私もそれまでに山に関する本をかなり読んでおり、「単独行」で有名な加藤文太郎の本やそれを小説化した新田次郎の『孤高の人』などを読んでいましたから、山に一人で行くことに不安や抵抗はありませんでした。むしろ、自分の力がはっきりと試せるこの山登りのスタイルにあこがれすら感じていました。今はほとんど若い人が山登りに行くことはないようですが、当時は徐々に少なくはなっていたものの山登りに行く若者はけっこういたように思います。

 さて初日は、上高地にバスが着くと休むまもなく歩き出しました。単独行の気楽なところで自分のペースでどんどん進んで行けるため、ほとんど休むこともせず徳沢→横尾→二ノ俣と足を進め、槍沢ロッジの辺で少し休んだような気がします。途中、槍見河原ではじめて槍の穂先をチラッと見たときには、登高意欲は高まる一方でした。槍までは上高地から20kmほどありますし、しかも槍沢に入ると登りが本格的になるのですが、若い肉体とやる気満々の活力のせいか、それほど疲れも感じずにどんどん登って行きました。天気は快晴ではなかったけれど、高度を上げていくと槍沢が大きく開け、槍ヶ岳が大きく見えてきたときには、「ついに来たか!」と感動を覚えました。

 槍沢の大ガレ場を登りつめる頃、「きょうはどこでツェルトを貼るかな?」と考えました。どうも槍の肩にある槍岳山荘周辺にもテント場はあるようなのですが、それほど広くない上に、水場が近くになく山荘から購入しないといけないというようなことを雑誌で読んでいたので、肩まであがることを止めました。そして、殺生小屋の近くでツェルトを貼って(かぶって)その夜を過ごすことにしました。下の石がでかくてとてもゆっくり眠れるような状況ではありません。でも、こんなことは最初から承知でやっているのですから、気にはなりません。夕食は当時売っていた「ジフィーズ」というのですませました。これは、アルミの袋に乾燥させた米と具が入っており、お湯を入れてジッパーをしておくと20分くらいで、「五目ご飯」みたいなものができあがるというものです。今でも山用具の店に行くと似たものが売っています。食べるとアルミっぽい味がしてあまり美味しくはないのですが、安かったので今回の食事はぜんぶこれだけでした。よけいな物はまったくもって行きませんでした。間食もなしで、もっぱら「水」と「ジフィーズ」だけでした。

 2日目は、早朝3時ごろに槍をめざして登りはじめ、槍の肩に荷物をおくこともせず、ダイレクトに槍の穂に取り付きました。ザックを背負ったままほとんど鎖や梯子も使わずにどんどん登って行き、2・3人しかいない頂上に立ったのは日の出前。カメラももっていませんから、自分の目で周囲を見渡しましたが、かなりガスがかかっていたと記憶しています。これが、私のはじめての3000m峰となったのですが、意外に簡単に登ってしまったせいか、ちょっと拍子抜けした感じでした。それでも、切り立った北鎌尾根は頂上から見てゾクゾクしました。「これがあの加藤文太郎が亡くなった尾根か。さすがにすごいなー」としみじみ眺めたものです。頂上には10分くらい居て、すぐに下山しました。これから、いよいよ北穂までの縦走に入るので、時間を無駄にしたくなかったのです。槍岳山荘をチラッと覗き、そのまま南岳の方に向かって歩き出しました。途中、雪渓が大きくのこっている箇所があり、そこでは手で雪を掘って少しきれいな雪を水がわりに口に含んだことを覚えています。南岳まではそれこそ「雲上の散歩」みたいに気持ち良く飛ばしました。大キレットの手前で、「いよいよこれからが本番だ」と気合を入れ、下りにかかります。鎖場や梯子などが何箇所もでてきて、正直「こわいなー」と思ったところもありましたが、独りでは誰にも感想をもらすこともできません。ひたすら北穂を目標に慎重に足を進めるだけです。両側がスパッと切れた痩せ尾根を岩にへばりついたり跨ったりしながら、進んで行くのです。幸いこのコースを来る登山者はほとんどいなかったため、自分のペースで進めたのはラッキーでした。このキレットの通過はけっこう時間がかかりました。落ちれば一巻の終わりですから。北穂直下のキレットの末端まで着いたときには(実は末端の直前にスラブ状の一枚岩が滝谷方向に傾いてあり、そこが滑りやすく緊張しました)、ホッとしました。後は北穂の頂上目指して300mの岩登りです。あちこちに梯子や鎖があるのですが、岩登りは好きなので、これまたそれらにはほとんど頼らずに、素手でどんどん高度を上げて行きました。岩が手にビシッと吸い付く感じなので、気分は最高です。気がつくと、もう北穂の小屋が近くに見えて来てピッチを上げました。北穂の小屋にまるで他人の家の庭先を通るように着いて、そこで小屋の裏手にある頂上を踏みました。今夜は松涛岩の向こうにあるテント場で泊まることにしました。夕食も昨夜と同じ。初日よりは少し寝やすかったかな。このとき、どんなことを考えていたのかは今となっては全く思い出せません。

 3日目は、涸沢槍を越え、奥穂高→前穂高→岳沢→上高地の縦走です。大キレットを越えてきたという自信のためか、難なく涸沢槍を越え奥穂高までアッという間に(本当は苦労したのかもしれないけど、今となってはそのようにしか思い出せない)登ってゆき、奥穂高の頂上でケルンの上に石を何個か積み上げて独りで登頂達成を祝いました。ここから前穂高までの通称「吊り尾根」も危険な箇所が多いと本では読んでいましたが、そんなことは全く感じず快調に飛ばし、前穂高も通常のコースでない岩場を選んで、勝手に登って行きました。前穂高から眼下に上高地の建物などが箱庭のように見えたのが印象に残っています。前穂高から岳沢への下山コースにも何箇所か鎖場や梯子がありますが、ここで出会ってしまったオバさんたち(今ではめずらしくないですが、その当時としては大変に珍しかったのです)が、長い梯子のところで「キャー!」だの「怖い―!」だのと大声をあげてなかなか動こうとせず、困ってしまいました。仕方なく梯子の上で声を出して「梯子から身体をはなして!」とか指導助言をしてしまったのには、我ながら恥ずかしいことをしたものです。

 岳沢に着いて一息入れ、持ってきたインスタントのコーヒーを飲みながら「いよいよ穂高とももうすぐ別れだな」としんみり思ったものです。岳沢から上高地まではそれこそ走らんばかりのスピードでグングン高度を下げて行き、河童橋が見えて来たときには、もうそこは観光客の大勢いる(といっても、このときはまだ7月中旬くらいでしたからそれほどでもなかった)「下界」でした。2泊3日の強行軍でしたが、こうして私のはじめての北アルプス山行、そしてはじめての3000m峰登山が始まったのです。

 槍ヶ岳(しかも槍・穂高縦走)は北アルプス入門にしてはちと軽率だったのかもしれません。もう少し経験を積んでとも言えますが、もっとも登りたい山にダイレクトに行ってしまうというのも、今思うと悪くはなかったと自分では思っています。あの若さあっての山行だったととても懐かしく感じています。

 1999/09/07(おぼろげな記憶を頼りに…)

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