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雑感2003




■2003/12/31(水) 09:11

 もう残り15時間ほどで2003年も終わろうとしている。29日から正月3日までは職場も完全封鎖になってしまったため、自宅でむずむずしながら生活している。入試関係の仕事で、ずっと考えつづけていたプログラムの箇所が何とかできそうなので、ぜひ確かめたいとおもっているのだが、今は我慢するしかない。焦らなくてもすぐに試せることはわかっている。いますぐそれをしたいという我慢のなさがそうさせているのだろう。今年も、仕事に遊びに飲み会に自分なりには充実した日々が過ごせたとおもっている。自己満足かもしれないが、それはそれでいい。一昨年からつづいていてなかなか完治しない「五十肩」もまた来年まで持ち越しそうだ。「うつ病」も同じ。でも、なんだかんだといいながら、元気な部類にはいるのかもしれない。もう、しっかり50代になりきってしまったが、どういうわけか、自分ではまだそれなりに頑張れる気がしているのは不思議でもある。身近に、100歳を迎える家内の祖母を見ているせいかもしれない。何歳になっても、歳など気にせずに仕事をする人はしている。ただそれだけのことだ。

 さきほどラジオで高田亘という人(どういう人かはしらない)が、「歌手は歌わなくなったらおしまいだ」と本に書いていると話をだれかがしていた。その通りだ。どんな仕事でも現場から離れたら、その仕事は終わりだ。わたしの場合「教室で生徒に教えられなくなったら、教員は終わり」である。校長や教頭など管理職はそういう意味では「元教員」であって、教育関係者でしかない。決して「教員」ではない。教員になった以上は、現役教員のまま終わりたいなどといっている自分は、おそらく「負け犬の遠吠え」みたいに、自分にも見える。でも、それでいい。

 わたしの願いは、生徒たちには迷惑であろうが、教壇の前でバッタリと倒れて死ぬことである。そうはうまく行かないことも知っている。わたしのS高校での同僚で、通勤も一緒だったため、懇意にして、よく飲んでいたMさん(問題教師のMとは違う!)は、転勤した先で、若くして見事にこれを実践してしまった。してやられたり。それにしても40代の若さで逝ってしまい、貴重な飲み友達を失ってしまった。さびしい。人は「死に場所は選べない」とかいわれているが、これもウソ。現に、年間3万にも及ぶ人は、しっかり自分の死ぬ場所と時間を選んでいる。この人数は、10年間で原爆の被災者にもおよぶ人数になる。これだけ人が亡くなっても新聞にもほとんど報道されない。マスコミは強烈なサングラスを掛けているのだろう。交通事故とあわせると年間4万人だ。これは、かなりの戦争状態に近い。

 わたしには、死にたいという人を止めようなどいうヒューマニズムはない。死にたい人は死ねばいい。生きたい人は生きればいい。どちらにしても、いずれはいなくなるのだから。わたし自身、「死にたい」とおもったことが何度もある。しかし、今は生きていてそれなりに楽しいので、もう少し生き抜いてみようとおもっている。「死ぬまで淡々と生きる」が正確か。おふくろも親父も無事見送ったし、子供たちも自分で生きてゆける年齢にはなったし(ま、動物的にではあるが)、寿命が来て死ぬ分には文句もいえまい。こんな風に、年末に「死」のことを考えるのは、時期的にふさわしい。「50歳までは生きられないだろうなー」などと考えていた学生の頃がウソのようだ。わたしもいずれはあの世に逝く(あの世があるなどと本当に信じているわけではないが)。こればっかりは、どうあがいてもダメである。ようやくそういうことが実感としてわかってはきたが、まだまだ甘い。こんなことを考えているうちに、ガンでも宣告されてあたふたしながら、この世を去るのだろう。ま、仕方ない。懸命に勉強して、いい職業に就き、いい嫁さん(婿さん)といい家庭を築き、いい人生を送ったとしても、終わりはいずれ来る。これが、悲しいことなのかどうかはわたしにはわからない。ただ、これは一般論ではなくて、わたしやあなたやあの人その人みんな個々人にかならず来る出来事でしかない。だから、わたしは今をムキにならずに生きる。それしかできない。

 階下から「そろそろ、そば作りお願いね」などと声がする。年越しのそばだ。これは例年わたしの仕事。また、ひとつ歳をとる…。

■2003/12/28(日) 09:07

 今年の忘年会も何とか乗り切り(笑)、これで年末をゆっくりと迎えようかとおもっていたら、1つ忘年会を忘れていた。大学時代からの友人と今年は忘年会をやろうと約束していたのだ。仕事が忙しいのか、彼から何の連絡もなかったので、わたしも忘れてしまっていたのだが、昨日おもいだし、さっそく連絡して、きょうの午後からやることになった。普段、日曜日の午後はホームページの更新のためにできるだけ時間をとっている。しかし、きょうはこの用件ができたため、7:00前には作業に入り、今また、この「雑感」を書いている。

 この「雑感」は、今年の8月31日から載せ始めた。でも、個人的な雑感はもうすでに何十年も前から日記という形で書いている。職場では「個人校務日誌」という名前でこれまた何年も書き綴っている。別に書くのが好きなわけではない。ただ、忘れっぽいので、記録を取っているうちに、自然に書き続けることになってしまった。だから、ほとんど事務的に書いているだけである。何かの悩みを書きつけたり、文筆家の日記のような凝ったことは何も書かない。天気、気温、湿度、何で通勤したか、所要時間、食べたもの、味、見たもの、出来事などまったくありふれたものしか書かない。

 それでも、昨年のきょうは、前夜に山路さんとかなり飲んで、7:00過ぎまで寝ていたこと、そのあと、年賀状作りに必死に取り組んだことなどが記されていて、すぐに様子がおもい出される。2年前、3年前のことも同様である。こんなことは、書いていてもあまり意味がないことなどはわかっているから、おそらく自分の気晴らしなのではないかと自分ではおもっている。「雑感」などいう、あいまいなコーナーを作ったのも、まったく他意はない。「個人校務日誌」などには、かなり具体的にその日の出来事や、仕事上のことなどが書いてあり、公にできない(もちろん、ほとんどのことは、実名入りで書いてある)。だから、自分に関係したことで、何も隠す必要もないことで、感じたこと、おもったことなどを書いてみようと考えた。本当に秘密にしなければならないことなどは、別の日記に書いている。しかし、そんなものはほとんどなくなっているのが現状で、ときたまにしか書かない。自己満足の極致みたいなもので、他の人には何の関係もない。「そんなものをネットに載せるな!」と怒られそうだが、他人の費用でやっているわけでなし、わたしの備忘録なので、そういう意見は、参考にもしていない。書きたいように書くだけである。

 不思議なもので、書きたいことは山ほどあっても、その通りに書けることなどほとんどない。頭でおもったこと、考えたことがそのまま文章になるくらいなら苦労はしない。書いても、何かすっきりはしない。本来なら、文章も推敲を重ねて、いい文章にするのがいいのだろうが、そういう趣味はわたしにはない。文章書きが本業の人はそうすればいいし、わたしのようにただ書いてみたい人は、自分のできる範囲のことでやればいいとおもっている。それと、時間のないときほど、書ける。時間の余裕のあるときには、他にやりたいことがでてしまうみたいで、ほとんど書けない。時間に追われていると「切迫効果」とでもいっていいような感じになり、急いでバンバン書ける。これは、何かの勉強をするときでも同じだろう。きょうも、あと1時間ほどしたら出かけるので、必死である。年末の清掃もあり、家内がバタバタと掃除にいそしんでいる。わたしは、自分のパソコン回りだけだ。まあ、ふだんそれなりに掃除は手伝っているから、多少は多めに見てもらおう。年末の忙しい時期なのだが、わたしには正直なところ、何でそんなにバタバタするのかよくわからない。別に正月になるからといって、時間の質が変わるわけでもないし、人間が勝手に決めた時間の節目でしかないのに…。でも、そういうのがないと、人間何もしないからかもしれないな。自分を振り返ってそうおもう。来年はどういう年になるのかな……。

■2003/12/18(木) 07:48

 昨日の朝は、出勤してすぐに取り掛かり、定期テストのデータの入ったExcelワークブックから、生徒に配布するテスト結果個人票をダイレクトに連続印刷できるVBAマクロ(簡易プログラム)を1時間半ほどで作った。何箇所かのミスがあり失敗は当然あったが、最終的にはきれいに打ち出せるものになった。このマクロを使って、約240人くらいの生徒個人別結果表を作って、担任に配布した。わたしは、この係ではないのだが、成り行き上で作って少しお手伝いができたみたいだ。どうも、本屋さんで見かける「Excel VBA」関連の本では、こういう連続印刷のマクロの組み方の説明は皆無である。需要が限られているのと、書いている人間が、こういうものを必要とする職種についたことがないためであろう。

 慣れている人には、それなりのものをつくるのに、それほどの時間もかからないとおもうが、VBAなどに慣れていないとコマンド(VBAではメソッドという)の使い方ひとつを理解するのにも手間取るのではとおもう。わたしも、一応『はじめてのExcel VBA』なんて本を買ってはみたが、さーと一読しただけで、面倒くさそうなので、ほとんど適当に作っている。VBAマクロといっても、プログラミングの一種であるから、そう簡単ではない。「マクロの記録」というので、操作手順を自動的に書き込む方法が本などでよく説明されているが、連続印刷のマクロは、すべてキーボードからの手入力で作る。条件分岐のさせ方が、打ち出す書式によってちがうため、さまざまな作り方が考えられる。わたしのは、ワンパタンである。大体、こんなマクロなどこのような仕事で使う場面しかないため、本当は興味もない。ただ、自分で少しでも楽したいために作っているみたいなものだ。

 同じ形式のものは、わたしの仕事(入選PC担当)になっている(されてしまった?)入試選抜のデータ処理(といっても、これで入試の合否はほぼ決まってしまう)、合否会議用資料の作成、県教委に提出するデータ資料などでも使うため、こちらはすでに作っておいた。コーディングの作業と検証は、ちょうど教師へのインストラクターとして来てくれていたWさんという方の協力を頂いて、約1ヶ月ほどかかってできた。何度もテストしてチェックはしたが、当然動きにおかしなところもある。直さなければならない箇所も一応は把握している。わたし自身も相当量のコーディングをしながら、これを何とか自分で作れるレベルまでは覚えた。完全マスターとまでは行っていない。また、そこまで凝るつもりもない。お仕事上のスキルというところだ。

 このVBAマクロというのは簡易プログラムなので、最初から実行できるプログラムとして作られたものとは相当にちがう。動きも、インタープリター式なのでコードを一行一行ずつ読みながら実行されるから、高速の動きを必要とするようなものには向かない。本格的にVBやVC++(これは多少は作れる)で全部1つのプログラム上で動かしたいのだが、何せ、提出書類の書式が届いたのが11月5日で、授業の空き時間に作るにはとても時間がないので、今回はVBAマクロで組んでやってみようと考えた。わたしは、学校での仕事は一斉自宅には持ち帰らないため、学校にいる間だけ空き時間を利用して、この作業に打ち込む。当然、静かなところで集中して作らないと正常に動くものはできないから、授業時間以外は物理室に閉じこもって作る。何度も何度も失敗して、ようやくある程度のものができた。ただ、直したいところもあるが、完璧とはいかない。これは、個人的に作ったものなので、次年度へは引き継ぐつもりはない。操作の手順を解説するマニュアルなど作っている暇もないので、実戦でそのまま使う。そのときにバグがでれば、作ったわたしでも直せるかは不安がある。まして、VBAに精通している人以外なら、ソースコードを見ても、解読するだけで頭が痛くなるかもしれない。要は他の人にはいじれないし、直せない。だから、同じ係の人や管理職には、「わたしが倒れたら、人海戦術で、手作業でやってください」といってある。コンピュータでできることは、時間さえかければ、人間の手作業でもほとんどはできるのだから。

 県教委のバカども(失礼!おエライさんたち)は、「各学校で独自にやってください」とかいいながら、「次の書類(受検生のデータ)は提出してくださいね」としっかりと手綱は離さない。その書類を作るための雑務がこういうところで、入選業務の妨げになっていることにまるで気づいていない(か、わざとやっている)。PC技術の高い人が集まっている職場なら手分けしてできるから、作業もそれほどではないかもしれないが、わたしの職場では、係の人に任せっぱなしである。その係というのはただ3年生の授業を持っていて、2月以降空き時間の比較的できる人などといういつの時代にできたのかわからんような方式で選ばれてくる。PCの技術などまったく考慮されないため、前任者からの引継ぎなど何もない。昨年もそんな中で仕事をした(わたしは昨年転勤してきた)。だから、今年度は引継ぎ用の記録を残す(資料のファイリングは引継ぎ用とはいえない)ことにして、作業手順やら操作手順などを細かく記録しておくことにした。ただ、わたしは今年度の仕事で最後にするから(もう誰がなにをいってもやるつもりはない)、できる限り正確な記録を残しておこうとおもっている。しかし、正直なところ、来年度のことにはまるで関心はない。仕事が終わったら、すっきり忘れようとおもっている。だから、おそらく来年にはVBAマクロの組み方などというのは、きれいに忘れていることだろう。そんなのは、忘れてもまた何とかなるものだからだ。当然、作ったマクロは、わたしのほぼ個人的なものなので、この作業が終わったら、すべて削除する予定でいる。それで次年度どうなるのかは、わたしの思考の外である。次年度の人がまたあたらしく作ればいいのだろう。

 まだ、入試が始まるまで1ヶ月はあるが、水面下ではこうした作業がつづいている。人の目に付きやすい仕事は、派手には見えるが、実質的な仕事ではない。ましてや、わたしのしているような仕事は、まったくの事務仕事で、淡々とするものである。人目にはつかないから、だれもこういう仕事がなされていることすら、職員でもしらない人のほうが多いだろう。わたしの作った入試選抜合否判定資料を前に滔々「どの生徒を取るか」が論じられるのを、わたしは黙って聞いている。か、ほとんど寝ている。入れられるデータはすべて入力して、判定会議資料を作っているのだから、結果はおのずと決まっている。こういうとき、自分は教師には向いていなかったなーとつくづく感じる。こういう仕事をしても達成感がないし、むなしい。ほとんどの職員の頭では、まだ入試は1ヶ月後の一幕ものであるが(今年度から前期・後期の2回ある。余計なことはしたくないな)、すでにわたしは臨戦態勢に入っている。好きでやっているわけではないが。この業務が終わる日が待ち遠しい。

■2003/12/11(木) 12:04

 2年生の物理の期末テストを返却してきた。テストを返すときの生徒の反応は、今も昔もほとんど変わらない。いい点数を取って微笑む者、悪い結果で内心落ち込むのを見せまいとわざと点数を見せたりする者、黙って結果を受け止めている者、さまざまである。わたしは、テストの解答は自分で解いたものを印刷して配布するので、問題の解説などはしない。点数のつけ忘れや合計点のまちがい、問題の正解に対する疑問などがあれば、受けるようにしている。きょう返却したクラスでは、だれもいってこなかった。物理のテストは数学に似ていて、できる生徒はほとんどコンスタントにできるし、できない生徒はほぼ毎回同じような点数である。頑張って点数を伸ばしてきている生徒は、その推移を見ているとわかる。テスト前に相当に絞り込んで、出題される傾向を話している(定期試験だから)にもかかわらず、その話もウワの空で悪い結果を必然的に招きいれている生徒も多い。わたしの高校時代とちがって、今の生徒には物理は選択科目の1つでしかなく、自分で選択してきているにも関わらず、どうも出来がいいとはおもえない。むしろ、わたしたちの世代の文科系だった人たちよりはるかに理解度が低いように見えるのは、わたしのおもい過ごしか。

 年に5回ほどある定期テストの結果を見て、生徒を責める気などはさらさらない。教えているわたしの方に原因の一端があることは百も承知だ。もっと教え方のうまい人が教えれば、おそらく違った結果になるのかもしれない。そういう意味では、生徒の出来・不出来はわたしの鏡であり、素直に反省の材料としたいと考えている。おそらく、わたしの高校時代の先生たちも同じような印象をもっていたのかもしれないなーなどと物理室で独りおもっている。いつかは、生徒に追いつかれ、追い抜かれてゆくのがわたしの仕事の宿命かともおもう。「先生」なんて、所詮「先に生まれた」というだけの意味。生徒より少しだけ先にものを見、ちょっとだけ考えて、さも知ったような顔をして話をしているだけに過ぎない。他の優れた先生方とちがって、少なくとも、わたし自身はそのような存在でしかない。

 わたしは、生徒たちの成績はほぼテストの点数だけでつけているが、こういうのを好まない風潮があることも承知している。ペーパーテストだけで、生徒の実力や能力を測れるなどとはわたしもまったくおもっていないし、そんなことができるのだったら、何も苦労することなどない。生徒の才能や能力はそれぞれがいろんな形で持っているのだろうが、わたしが知ろうとしていることは、「物理」という教科の理解度とそれを少し応用できるかだけである。人間との関わりとして生徒とわたしとの相性も当然あるが、わたしの好き嫌いを評価に入れることにはまったく関心がない。生徒一人一人(こういう表現はわたしは大嫌いだが)に隠された才能があるのかも知れないが、わたしにはそれを見抜くだけの能力はない。「そんな人が教員を…」などといわれるかもしれないが、わたし自身も困っている。人の才能や能力をどのように見つけ、伸ばせばいいのかはわたしの大きな課題でもある。ただ、在職中に見出せるかは問い詰めないでほしい。現状では、生徒の「立ち居振る舞い」と学力にはかなりの相関関係があることだけは自分なりにわかっている。わたしには、生徒の嗜好や内面まで立ち入る気持ちはない。そういうのは個人的に伸ばしてほしいとおもっている。

 テストのことが変な方にそれたが、要は学校の中のさらに一教科でしかない「物理」という勉強の一側面を見ているだけということである。全人教育、道徳教育、愛国教育、宗教教育、などなど何でもいいが、そういうエライ人がしているようなべらぼうな教育活動をしているわけではないのが、単なる「一教員」という立場なのである。そういうエライ人は自分で学校を創るのがいいだろう。そういう教育を望む(人に望む前に自分でもできる限りのことはしてほしいが)親は、そういう学校へ自分の子供を入れればいいだけのことである。公立の学校へ、ふつうそんなことを望んでいるのだろうか、一般の人は。少なくても、わたしも3人の子供を持つ親として、そんなことを学校へ望んだことは一度もない(まあ、子供たちの学校へ行ってやったこともないのでエラそうにはいえないが)。公立の学校はそれでいいのだとおもっている。「子供のしつけ」からはじまって、あれもこれもと要求だらけの現状をおもうと、正直「一体だれの子供なの?」とおもってしまう。さて、きょう帰宅したら、他人事ではないから、子供に上で述べたような対処をしたいとおもうが、はたして我が家の子供たちが素直に聞いてくれるか(またか…という顔で見るか)、はほぼわかっていることだ。「灯台(東大?)下暗し」人間の業か。

■2003/12/09(火) 14:49

 この「雑感」はおもい付きで書いている面もあるが、自分で読んでみると、何かの出来事があったときなど、自分で感じたこと、疑問におもったこと、そのときの印象などをかなり素直に書いている。もちろん、公務員という立場上「公務で知りえた個人情報などは外部に漏らしてはいけない」という倫理上の制約もあるが、一応は念頭においた上で、とくに支障がないと判断すれば、ふつうに書いている。

 テスト期間中なので、テストがらみの問題を2つほど書きたい。1つは、「カンニング」。昨日も1件見つかり、謹慎処分になった。これは、カンニングペーパーを堂々と机の上に出して書いているところをテスト監督の人に見つかった。本人も素直にカンニングしたことを認めているので、悪いことには違いないが一件落着。2つ目は、テスト時には今や犬でも猫でももっているのではとおもわれる「携帯電話」のこと。おそらくどこの学校でもそうだろうが、「電源を切り、自分のカバンの中にしまっておく」ことになっている。ところが、きょうのテスト中に、だれかの着信音がしずかなテスト中に鳴り出し、テスト監督の人が最初わからず、音の出る近辺に行き、ようやく特定。ところが、その生徒はテスト問題にも取り組まず、爆睡中(笑)。起こして、ようやくその音を止めさせるという一幕があった。携帯を取り出さずに、ポケットの中にある携帯の電源を切ったようなので、カンニング行為にはならなかったが、見ていれば、カンニングとなる。それより先に、上に書いた「電源を切り、自分のカバンにしまう」ということがなされていなかったための不注意ということで、校長から厳重な注意をしてもらうことになった。じつは、こういうケースが日々、増えている。授業中などはごくふつうの出来事になっている。

 現在の携帯は、計算機能から辞書機能、メモ機能と何でもありだから、カンニングに使おうとおもえば、何でもできる。そして、実際にそういう例もあると聞く。もう、高校生どころか、小学生でも携帯をもっている時節。この「携帯」については、どの学校でも困り果てているのではと想像する。確かに緊急を要するときなど、便利なものでもあるため、一概に禁止というわけにもいかない。かといって、生徒のマナーに訴えるなどというのん気なことで解決するなどあるわけもない。着信音は本人しかわからないから、下手に疑ったりすると、「人権問題」になるそうだ(管理職の話)。一体どうすりゃいいのか?わたしにはわからない。もう、学校などという閉鎖空間は「携帯電話」という手のひらサイズのものにいとも簡単に崩壊させられてしまっている。「携帯電話おそるべし」。もう来月からは入試もはじまるが、この問題は、そのときにもまたおこるだろう。情報機器はどんな「思想」よりも強いことが実証されているみたいだ。どんな小さなものでも、「情報」を伝えるものを侮ってはいけない。これこそが、次世代の「思想」を創り出すのかもしれない。

 わたしは、携帯電話はもっていない。あえて持たない(強がりいって…)。

■2003/12/02(火) 15:58

 もう12月になったのに、何だか季節がおかしくなっているみたいで「冬」という感じがしない。関東にいると、なおのことであるが、どうもこれは全国的な傾向であるらしい。昨年の12月9日には関東でかなりの雪が降った。ちょうど期末テスト中だったのだが、これで交通機関が乱れ、テスト開始時間を遅らせたと個人日誌に残っている。きょうなどは、昨日までの台風による雨がウソのように上がり、きれいに晴れた1日であった。気温も20℃近くまで上がり、少し暑いくらいだった。昨年はそのあとは暖冬になってしまったが、はたして今年はどうなることやら。地球温暖化の原因は科学的には特定できないが、データ的にはたしかに全地球的に平均気温が上昇していることはたしかだ。この冬も変な天気にならなければいいのだが。

 きょうは、めずらしく会議も入っていないので、6時間目の授業を終えて、期末テスト問題の解答を作っていた。テストに入る前にこの作業をしておかないと、問題文がおかしかったり、数値がまちがっていたり、解答欄がたりなかったりなどの凡ミスがチェックできない。生徒に解かせる前に、まず問題を作った自分が解答してみるのは当たり前のことではある。が、正直いうとやらないこともある。こういうのは、気持ちにゆとりがないと、なかなかやる気がおこらない(わたしは…)。幸いにして、きょうは、自分の関係する会議がないので、ホッとしている。…とおもっていたら、今放送がはいり、関係する会議が突然あるとのこと、まったくこれだから嫌になる。ほんと会議が好きなんだなー。「好きでやっているわけではない!」と怒られるかもしれないが、わたしにはどうもそうとしかおもえない。

 会議が終わり学校から帰る前に職員室の出張黒板を見たら、けっこうな人数が会議などに出かけている。よくもまあ、こう会議があるものだ。これだけ、話し合いが行われているとおもうと、何だか呆れてしまう。民主主義の原点は会議だみたいな論調を聞いたことがあるが、ホントかな?とわたしには疑わしくおもえる。出張という名目がつくと、いかにも仕事をしに行くという風に見えるが、実態はわたしより十分に承知している人が多いことだろう。官民問わず、会議という名の実態は??である。それも、何時間もやっているなどということなど、考えられない。会議はせいぜい15分で十分だ。それに、ほとんどの会議は同席していましたという「連帯責任の分担」が実質上の内容だし、居なけりゃ、あとで同意の印鑑などを求められる形式になっており、どっちみち、責任の一端を分担させられるのがオチ。だったら、居なくたって同じである。会議は嫌いだし、苦手である。ましてや、出張までして会議に出ようとは、よほどのことでもない限り、まず考えない。だから、授業をつぶしてまで、出かけてゆく人を、わたしは嫌味でなく尊敬してしまう。

■2003/11/28(金) 09:29

 授業の準備を終えて、ちょっと一息。タバコはもうやめてずいぶんと年数が経つので、コーヒータイムというところであるが、コーヒーはおもったほど飲まない。こうしてパソコンの前に座ることのほうが多い。このときが、一番休まる。

 1週間の経つのは本当に早い。とくに、今週は月曜日が勤労感謝の日の振替日だったせいか、実質4日しか仕事がない。そのためか、とても短く感じられた。公立の学校はすでに土日が一応休日になってしまっているから、5日間だけの授業だ。このことで、民主党などは、また学校を「6日制」にもどしたがっているが、学校だけ特別にというわけにももう行かないだろう。わたし自身は正直なところ、どっちでもいい。ただ、仕事の日にちが増えて、給与もそのままというのは、労働の常識から考えられない。その分の保障をきちんとしてもらえれば、何も不満はない。元々、6日制に馴染んでいる身体だから、すぐに対応できるだろう。まあ、体力的には年齢相応にゆったりと過ごす時間もあれば助かるが、適度に仕事をしていたほうが気分的にはいい。

 素直に感想を述べれば、学校5日制になって、忙しなくなったという印象はある。6日間でやっていたこととほとんど同じ内容を5日でやろうというのだから、最初から無理があるのは先刻承知。土日が休めるからいいのでは、とおもわれるかもしれないが、土日には運動部などの大会や練習がびっちり入っているから(部活の盛んでないところは、この限りではないが)、おもったほどの休みはない。休日なのに…という気持ちはだれにでもあるとはおもう。ただ、生徒や部活に燃えている職員のいる手前、あまりあからさまにはいえないだけだ。気分的には、土日には仕事が入っても、ふつうの勤務日に較べれば、ずっと楽なのは確か。ただ、何かあったときの責任についてはふつうの勤務日と変わりはない。以前の牧歌的な雰囲気はもうなくなっている。

 明日の土曜日は、部活動はテスト1週間前というのでお休み。そこで、友人と大学時代の下宿を久しぶりに訪問してくる。お世話になったおばさん・おじさんに会いに行く。懐かしいの一言だが、年月の過ぎる早さには愕然とする。できるだけ、過去を振り返らずに前を見つめて過ごしてきた年月であったが、タイムマシンのように今までの人生が押し寄せてくる。明日、おばさんの顔を見れば、また、田舎から出てきたばかりの学生にもどってしまうことだろう。わたしの両親はすでに亡く、あの当時のわたしを目の前で見ていたのは、まだ元気で過ごしていてくれるおばさんやおじさんだけになってしまった。当時よく歌った、井上陽水の「小春おばさん」の歌詞の一節が自然に浮かんでくる「……おばさん、会いにいくよ」。

■2003/11/24(月) 08:51

 きょうは、昨日の勤労感謝の日の振替日で休日である。が、部活動指導当番になっているので、いつも通りに出勤した。土日と湯河原での泊りがけの忘年会に出かけ、ちょっと身体がだるいが、仕方ない。この仕事はまったくのボランティアである。むしろ、余計な出費もあり、バカらしいといえばバカらしいのだが、部員たちのやる気をそぐわけにもいかず、こういう形での出勤となる。まあ、家にいても、みんなそれぞれの用事でみんなでのんびりと休日を過ごすなどというのも、もう我が家では過去の話になってしまっているから、学校で半分仕事みたいな感じで過ごすのも悪くはない。こういうときのために、学校のマシンにもFS2002がしっかり入れてある(FS2004は、グラフィックボードの関係で入れてない)。暇があれば、やってみよう。

 今、体育館に行って部活動の生徒に声をかけてきた。今朝はとても寒いので、十分に準備運動をしてからはじめるようにいい、物理室にもどってきた。あとは、昼過ぎに終わるときに行くだけだ。この間は、12月初旬にはじまる期末テストの問題作成をしようとおもっている。もうすでに、半分くらいは作ってある。いつも問題作成は早めに取り掛かっている。慌てて作るとミスが多いから。残りの問題を作れば、あとはプリントアウトしてみて、ミスのチェックをする。問題は、「MathNote」という理系文書作成用のソフトで作る。これは、シェアウェアソフトであるが、とても使いやすい。このソフトが作られてすぐに使い始めたから、もう手足みたいなものである。市販のソフトは、この作業ではまったく使わない。一太郎もWordももう飽きてしまった。それに使い勝手も良くない。まあ、こういうのは好みの問題だろう。

 問題作りはそれなりに楽しい。授業で教えたことを主にして作成する。現在の生徒たちは、応用問題にはからっきし弱いので、むずかしいのは出さない。物理の問題はそこそこにむずかしいので、数値などを変えると、まず解けない。情けないのだが、現実はそうなので、問題をステップ式(前の問いを使って次々にレベルを上げる)に作り直したりして出す。問題集も参考にするが、なかなかこちらの出題意図にあう問題は意外に少ない。だから、アレンジして出題することが多い。自分で解答を作ってから、問題にする。そうしないと、解答欄があわなくなったりの凡ミスが出る。いい問題は、年間で数題だろう。受験用には、週1回の演習の時間に取り組ませる。これは、定期試験には出していない。出しても、まずできないからだ。

 現任校は体育系高校であり、受験進学校ではないので、勉強に関しては、生徒に多くを期待はしていない。何人でもいいから、本当に大学で物理を勉強してみようという生徒を育てたいとはおもっているが、今の学校では無理な希望かもしれない。だから、この学校に長居したいとはどうしてもおもわない。物理を学ぼうなどという生徒は、全国的にも少ないことは、センター試験の受験率をみてもわかるのだが、教員になった以上は、一度はそういう生徒たちと一緒に授業をしてみたいというささやかな望みはもっている。わたしの望みはそれくらいで、管理職になろうなどという気持ちは教員になってから(なる前も)持ったことがない。大体、そういうのはわたしには性格的にあってないし、能力もない。自分の好きなことを生徒と勉強できるだけで十分だとおもっている。だから、それにも興味がなくなったら、素直にこの職を辞めたいとおもっている。この興味が定年まで持つかは、本人にもわからない。

 わたしが「デモシカ教員(もうこういう表現も通じないか)」であることは、本当のことである。ただ、なった以上は、きちんとした仕事がしたい(をする)という気持ちでやってきたことも事実である。そのとき、その時点で、自分なりには精一杯やってきたとおもっている。手抜きの方法もしっかり知っているので、やろうとおもえば、いつでもできた。が、どうも気が進まなかったせいか、それを行使することもなかった。先が見えてきたこの年齢になってみると、結局はこれで最後まで行ってしまうのだろうとおもえる。これでいいと自分では納得している。そこそこに好きで専門的にも勉強できた物理を生徒に教えて、生活の糧にできたことは、やはり幸運だったとおもわざるを得ない。そういう気持ちもあるためか、どの学校へ勤務しても、物理室(ふつうは物理準備室とかいわれている)に出勤すると、気持ちが引き締まる。だれもいないことはわかっているが、「おはようございます。きょうも一日お世話になります。」といって入室する。そして、室温と湿度をチェックして、自分用校務日誌に記録する。この部屋で、授業の準備をしたり、くつろいだり、読書をしたり、プログラムを練ったり、要するに1日の大半を過ごす。帰るときは「きょうも一日お世話になりました。」と声に出してお礼をいう。こういう生活をしながら、いずれ来るであろう定年の時期を迎えたいとおもっている。それまで、元気に仕事ができることが自分には一番似合った生き方なのだろう。

■2003/11/21(金) 07:50

 当然のことながら、いつもどおり静かだ。職場に着いてはいても、まだ勤務時間外だから、仕事はしていない。といいたいところだが、仕方なしにやってしまった。入試のときに使う、ExcelのVBAマクロ(簡易プログラム)のチェックだ。いま、パソコンのインストラクターとしてきてくれているW氏の協力を得て作っている。入試選抜で使う個別印刷や一括印刷をこのプログラムを使って、できるだけ負担のないようにしようとおもっているからだ。

 今年も不本意ながら入試選抜委員会(入選)のPC担当(のチーフ)にさせられてしまった。昨年度(といっても、今年の1月〜3月だが)の経験者がわたしと委員長をやってくれている方の2名しかいないため、またしてもPC担当ということになってしまったのだ。委員長から内々(いわゆる根回しというやつ)で話はあったが、わたしの不在時にしっかりと決まっていた。もう、愚痴をいう気力もないので、仕方なく準備にはいることにした。文句をいっていても、仕事は進まないから。そして、入選の仕事はすでにはじまっている。いわゆる「どういう生徒を取りたいか」とかの理念的なこともあるが、実務が伴わなければ、何の仕事もできない。わたしがしている仕事は、入試のそういう表舞台とはちがう実務的な面なので、ほとんど仕事は内々のうちに進められている。おそらくこういう仕事をしたことのない職員は、しないままこの職種を終えていくのだろう。知らない人にはわからない世界である。こういう仕事に向き不向きはあるかもしれないが、そんなことはあまりない。覚える気さえあれば、大概の人にはできることだとおもう。PCの技術は必要だが、これだって練習次第だ。こういう、本当に切迫した仕事の中でPCの技術も磨かないと、どうも本物にはならないようにおもえる。Excelでちょっと仕事ができます、くらいのレベルではほとんど使いものにはならないからだ。同じ係に3名の方が入ってくれた(どうも委員長が押し付けた?笑)のか、みなさん浮かない表情であったが、PC操作に慣れるいい機会だと無理やりおもい込んで、一緒に協力してもらえたらと願っている。わたしも、この仕事はこれで終わりにしたいといつもおもっているのだが、願いは毎年届かない。システムを作ったり、それに精通すればするほど、その仕事に固定化されてしまうという矛盾がいつも付きまとっている。だから、今年はシステムは極力簡単にした(というより、凝れば凝るほどほとんどの人はわからなくなるから)。ただし、簡単にすることほど、むずかしいこともないのは、わかっている人にはすぐ理解できるだろう。このところ、毎朝、このテストではじまっている。

 記憶はすぐに消えてしまうほうなので、昨年度の資料やデータを見ながら、仕事の流れを考えている。これ専用の時間などないので、この朝の時間や空き時間など利用して、できる限り無駄を廃して、取り組むようにしている。この仕事に専念できるなら、ソフト的にもある程度のものをつくることはできる。ただ、勤務時間内で(仕事の自宅への持ち帰りは厳禁だと管理職がうるさくいっているのでやらない)このレベルの仕事をするのは、授業など本業があるため、まず不可能である。ある程度のもので、お茶をにごすしかない。こんな仕事は、本務ではないのだが、だれかがやらざるを得ない仕事なので、やってくれといわれれば、やるしかない。やる以上は、きちんとした仕事をするつもりだ。ただ、本年度もPCのデータ入力作業以外の面ではほぼわたしが一人で作業しなければならないのは、残念ながら現実のようだ。風邪をひこうが、下痢をしようが、休めないのは昨年度と同じだろう。ちなみに、昨年度もこの作業には多少の手当てがついたようだが、そんなのは面倒くさくて一切請求しなかった。よって、完全なボランティア活動ということになる。それは今年も同じだ。

 また、憂鬱な日々がはじまる。いや、もうすでにはじまっている。

■2003/11/18(火) 07:54

 校内はまだ静かだ。出勤途中で晴れた空に何やら「地震雲」と称せられているような細長く伸びた白い雲が太陽の上にきれいに輝いていたので、持っていたデジカメで撮っておいた。これで、地震がおきれば、こっちのものである(何が?)

 仕事前のひと時にいろいろな書類を見ていたら、先日、校長から「ハイ、これお一人ずつ手渡しします」といわれてもらった教育長からの「事故・不祥事の再発防止アピールの周知について」という3枚つづりの文書があったので、読んでみた。最近、公務員全般に不祥事が相次いでおり、とくに教育公務員(要するに公立学校の教員のこと)にもいろんな新聞沙汰が増えているので自重せよ、という「おどし」の文書である。こんな文書をいちいち一人ずつ渡すことで、不祥事がなくなるなら、めでたいことである。こういう文書を出す人間は、大体文科系の連中なのだろうが、「てめえら、歴史を勉強してきたのか!」とおもわず、どなりたくなってしまう(ちょっと品位のないいい方だが…)。人間が文明・文化を築いてきた長い歴史の中で、官吏(公務員)が不祥事をおこさなかった時代などなかったことくらい、わかりきったことではないか。べつに、それでいいとはいってない。がしかし、そんな聖人みたいな人間だけで公務員をやっているわけではない、それが実態だ。

 こんな、わかりきったことをわざわざ文書にして配布するというのは、他意ありだ。「これだけ、言ってあるのだから、やったら終わりだよ」という状況証拠作りだろう。いかにも、「自分の在職中だけには、不祥事に遭いたくない」という役人の体質がモロ見え。こんな「お触書」みたいな文書ばかり最近来る。来るから、ますますやる気もなくなる。余計なことをして、バカを見たくないとみんなおもってしまう。よって、公務員は事務的にビジネスライクに仕事をするようになる。税収の落ち込みを理由に給与からすべて減額だ。それで、あれせい、これせいというだけ。困った役人(まあ、わたしも同類なのだが…教育役人か)たちだ。世間やマスコミなどは何でも「教育委員会に訴えてやる!」の時代だから、その付けは回りまわって関係のないごくふつうの(じつはこれが一番むずかしい生活態度だが)善良なる市民にはね返る。でも、それは必然的なものだ。これを「悪循環」という。あまりに潔癖を求めすぎると、ちょっとした細菌にも弱くなるという自然の流れと同型。賢くふるまったつもりで、自分の尻尾を噛んでいたという結末だ。

 こんな多くの人間が「無菌状態」みたいものを好む社会が長続きするとは、わたしには到底おもえない。ワル(悪)も人間の全体の一部分であり、誰にでもあるものだ。キリストじゃないが、「ワルをしたことのない」者だけが石を投げよ、である。わたしはもちろん、投げない。

■2003/11/09(日) 17:09

 昨日は、わが山岳会恒例の「いも煮会」をわたしの自宅でおこなった。わたしの田舎である会津では、よくこの「いも煮会」というのを、屋外(川原が多かったように記憶している)で開いていた。サトイモを基本に、いろいろなキノコ類を、そして豚肉(山形では牛肉らしい)や大根・ねぎ・シラタキなどなど適当に入れて、大鍋で煮込んで食べるのだ。もちろん、これを肴に酒を飲むのである。昨日も、全部で8種類の日本酒を用意して(先日の帰省の際、しっかりと買い込んできた)、万全の備えで宴会にのぞんだ。

 集まったメンバーは全部で5名(友人の佐々木くんにも参加してもらった)。単なる飲み会でしかないのだが、わたしはこれをやらないとどうにも落ち着かない。だから、自分のためにみんなを呼んでやっているみたいなものである。料理は「いも煮」の大鍋だけ。あとは酒のつまみを少々買い込んで、適当に食べてもらう。会費は3000円。会津でもなかなか手に入らない銘柄のお酒の純米酒・原酒・辛口・ふつう酒に他の銘柄の酒も加え、飲み比べの場と化してしまった。ふだん、ビールのあとはすぐに焼酎の梅お湯割りに切り替えてしまうメンバーも、昨日は一日日本酒党になり、大いに盛り上がった。食べ、飲み、話し、そして笑った。心地よい酔いとともに夜になり、気がつくともう閉会しないとまずい時間。ちょうど用事からもどったカミさんにみんなを車で近くの駅まで送り届けてもらうことにした。わたしは、すっかり出来上がって、飲み疲れてしまったらしい。いい酒だった。

 今朝は、ゆっくり寝たせいか、それほどの酔いの残りはなかった。少し頭が重いくらいは、昨日の飲酒量からすれば、当然のことだ。そのために、飲んでいるともいえる。「次の日に残らないように飲む」とか、トンデモナイことをいう人がいるが、そんなことを気にするなら、最初から飲まなければいいのだ。酒は飲んで、酔うためのものである。この酔いこそ、酒の最大の贈り物だろう。とか、能書きを垂れても仕方ない。飲みたければ、勝手に黙って飲んでいればいい。わたしゃ、昨日の残りがまだあるので、これからまた一人ではじめるつもりだ。

■2003/11/04(火) 07:55

 連休明けの火曜日。まだ、校内はシーンとしている。出勤して、きょうの予定を確認して、一息ついたところだ。心身の疲れがまだ残っている感じだ。じつは、この連休は、田舎の会津で幼なじみの息子さんが結婚するというので、その結婚披露宴に招かれ、出かけてきた。ちょうど紅葉の時期でもあり、車の渋滞は予想されたが、田舎での移動のことを考えると車で行くしかない。一番下の娘も行きたがっていたので、それではと2人で出かけることにした。

 11/1(土)の早朝3:00に起きて(といってもわたしにはそれほど早い時間ではないのだが)、4:00に出発することにした。まだ、眠たい盛りの娘も何とか起きて、定刻の4:00ちょっと過ぎに自宅を出発することができた。朝の1時間の違いは、こういう行楽シーズンには効く。東名横浜町田インターから入って、順調に飛ばし、東北道蓮田SAに着いたのは、6:00近く。予定通りの時間で、安心した。ここまで来てしまえば、あとは、それほど急がなくても大丈夫だ。事故渋滞も起きていなかった。わたしは、コーヒーで、娘はラーメンを食べて朝食をすます。いつもなら、それほど混んでいないこの時間帯に、もう駐車場は車でびっちり。やはり、紅葉見物に出かける車が多いのがわかる。わたしは、目的が違うが、少しでも渋滞を避けてという気持ちはみんな同じなんだなーと共感。ここからは、西那須野塩原ICまでは、ゆっくり行っても2時間くらいで行ける。そこで降りて、塩原温泉の紅葉を眺めながら、会津西街道と呼ばれる国道121号線に入り、会津まで行く予定でいる。のんびり行っても昼前には着く。

 那須塩原温泉周辺の紅葉は、ちょうど真っ盛りであった。車から見ていても目を奪われるような美しさで、娘も寝ぼけ眼で見入っていた。この時期に田舎に戻るの本当に久しぶりだ。美しい紅葉に出会えてよかった。会津のカミさんの実家には予定より、かなり早く10:00くらいに着けた。わたしの実家は今は空き家になってしまっているため、カミさんの実家に泊めてもらうことが、最近では多い。家の人たちは、「会津みしらず柿」の収穫に忙しそうだった。わたしたちは眠さもあったので、ちょっと昼寝。夜は、おいしい酒とつまみでしっかり飲んでしまった。

 翌日の午後からあった結婚披露宴では、幼いころからの仲間がけっこう集まり、もう完全な同級会の雰囲気。みんなそれなりに歳を感じさせる年代にはなっているのだが、お酒が入ってしまえば、すぐに子供の頃にもどってしまう。若い人の結婚式は華やかでいいものだ。こちらも少し元気をもらえた気分になる。ちょうどこの日は、わたし自身の結婚記念日でもあり、その会場のすぐ近くの式場で挙式したのをおもい出す。もう20数年も昔の話である。式の方はどんどん進行してゆくのだが、こちらは次々と出てくる料理にはほとんど箸をつけることなく、ビールやらお酒やら飲みまくり。といっても、そこは節度ある中年。先輩の方々へお酌に回ったり、最近のようすなどの報告とそれなりに忙しい。酒どころ会津でも、最近はめっきり日本酒を飲む人が減っているようで、寂しい限りである。「翌日に残る」とかで、ビールや焼酎などしか飲まない人もいると聞く。「小原庄助さん」の地元でもこういう時代であるから、他の土地はいうまでもないのかもしれない。日本酒党のわたしでも、最近はたしかに酒に弱くなっていることはまちがいない。こうして、祝宴も飲んでいるうちにお開きとなった。結婚式出席といっても、ただ飲みにきたみたいなのが、何ともおかしい。でも、結婚式も酒の肴みたいなものだし、当人たちと親族以外には、酒飲みのセレモニーでいいのかもしれない。若いお嫁さんがとてもきれいだった。

 こうして、当然のことながら、祝宴の翌日は頭が重い。頭痛とまではいかないが、まだ頭にアルコールの影響が残っているのはわかる。でも、体内時計はきちんとはたらき、いつも通りしっかり早起きしてしまった。しかたなく、寝床で本を読む。連休最終日は、紅葉見物に出かけた人たちのUターンラッシュが予想される。できるだけ早く首都高を切り抜けて自宅にもどりたい。早い朝食を頂き、早々に車を飛ばす。朝霧に霞む紅葉もまた美しい。曇り空から時折降って来る小雨の中、11:00頃には東北道蓮田SAに入る。まだ、渋滞は起きていない。軽く昼食を取り、急いで首都高に突入。オ!空いているぞ、こりゃ助かった。とぐいぐい飛ばす。東名の横浜町田ICはいつも出口で渋滞になるため、帰りは湾岸線を使って横浜に入り、保土ヶ谷バイパスから降りる。まったく渋滞に遭うことなくスムーズに走れて、昼過ぎには自宅にもどれた。忙しない帰省で、しかも毎晩飲んでばかりで、少し胃のほうも疲れ気味ではあったが、無事自宅にもどれてホッとした。娘にもきれいな紅葉を見せることができて、いい旅行だったかなとおもっている。

 今週は、きょう火曜日からのはじまりだし、金曜日までの頑張りである。部活動はあっても授業日とは気分的にちがう。明日あたりから疲れも出てくるとおもうが、何とか今週を乗り切っていこうと気を引きしめた。

■2003/10/28(火) 09:01

 火曜日は好きだ。朝の1時間目が空き時間だから(まあ、今年はそうなっただけだが)。授業は午前中にできるだけ終えたいが、学校の時間割はそれこそ教員全員の妥協の産物だから、自分にとっていいときもあれば泣きたくなるときもある。わたしの場合、中学校の教員も10年ほどやっていたから(昔なら当たり前だが、初任で担任)、1日のうち空き時間などというものはどこを探してもなかった。今でも中学校の教員の人は大変だと、つくづく頭が下がる。高校の教員はその点、なんだかんだといっても、空き時間はけっこうある。今年のわたしの場合、6時間×5日=30時間のうち、13時間は空いている。ときどき、雑件も入ってはくるが、まず高校の教員としては標準くらいだろう。中学では、この空き時間がほぼ半分に減る。わたしは、そういうわけもあって、授業が多い!とか文句をいうつもりはない。

 よく、空き時間は何をしているのか、聞かれることがある。どうなんだろうな…。他の人は知らないけれど、わたしは、物理室に一人でいるので、授業の準備をしたり、本を読んだり、雑務をしていたりすることが多い。もちろん、お茶も飲む。ただし、菓子類などは持ってきてないから、まず食べない。大体、一日一食(夕飯だけ)なので、食べ物などない。こうして時間があると、パソコンでくだらないこと(本人は意外に本気のような気がするが)を書いたりしている。何せ、昼飯がないと、夕飯までの長いことったらない。そうそう、柔軟体操は意識してするようにしている。この歳になると、身体が本当に固くなってくる。小さいときから身体に染み付いてしまっている「ラジオ体操」は、すばらしい。頭の中でちゃんと音楽も鳴る。これを第1・第2とやれば、軽く汗が出てくる。すごいものだ、この体操は。

 他の人たちのことはあまり興味もない。たまたま職場が一緒になったというだけだし、このあと長い付き合いになりそうな人もほとんどいない。仕事の場面だけの付き合いだから、そこはそれなりにというところだ。本当は、ちょっと顔を見て疲れていそうだななどと感じたとき、「どう、きょう軽く一杯」というのが大好きなのだが、今の職場にはこういう雰囲気はない。だから、飲みたいときには一人で飲みに行く。その方が気も楽だ。それに、昔からの友人たちと飲む機会も多いから、一人でゆっくり飲む時間もほしい。職場で喫煙している人たちは、「たばこ部屋」と称する部屋(1階の本当に隅にある部屋。ようやく換気扇もついたらしい。)でくつろいでいるみたいだ。わたしは、もうずいぶん前にタバコは止めてしまったし、長い間吸っていたけど、今ではうまいとも何ともおもわなくなってしまっている。そこまで、苦労して吸いたいともおもわない。ま、酒がありゃいい。その部屋ではいろいろな会話がされていることだろうと推測している。何せ、人間集まると男も女も同じで、噂話に花が咲くのはどこでも同じだろう。わたしなどいい話の肴になっている(いや話題にもならないか、ま、そのほうがいいが)かもしれない。職員室にもときどき行くけど、そこでは、教材研究をしている人(立派!)とか、スポーツ新聞やふつうの新聞を読んでいる人、だべっている人、パソコンに向かって仕事らしいことをしている人などなど、どこの職場にも見られる光景と同じだとおもう。学校も一つの職場だし、そんなに他の職場と違っているわけでもないだろう(と、他の仕事はしたことないけど、勝手に思い込んでいる)。人間がしていることだし、そんなに変わらないことなど、ちょっと考えれば当たり前かもしれない。

 まもなく、1時間目も終了。そろそろ、授業の準備に入ろうとおもう。授業時間が始まるのを待つのは、ちょうど出番を待っているお相撲さんや芸人の方たちと同じかな。終わるとホッとするけど、その前はけっこういろいろと緊張する。もう、何千回も授業はしたのだけれど、どうもわたしはこの仕事向いていないみたいで、役者になりきれていない。おそらく、あと10年後の定年まで(それまで持てばだけど)立派な教員にはなれそうにない。ダイコン教員で仕事を終えるだろうと予測している。税金を納めておられる方には申し訳ないが、あと10年だけ許しを請う。わたしを責めるのは簡単だろうが、こんなわたしを採用した人たち(多分みんな名伯楽だろうな)の存在を見逃さないでほしい。その人たちの慧眼(けいがん=眼力)で選ばれてしまったという過去があるのだから。ま、過去は過去。そろそろ授業の準備するか。

■2003/10/27(月) 17:04

 ようやく長い会議が終わった。授業が終わって、15:50からはじまった学年の会議であった。毎週月曜日の放課後に会議は設定されている。今回は、来年の修学旅行の下見に行って来た職員からの報告があり、いろいろな問題点も指摘された。B4サイズの用紙裏表にびっしりと経過報告が書いてあったが、少し読んでいる内に目が回ってうつらうつらしてし始めてしまった。どうもいけない。会議になると、すぐに眠くなる習性は、教職についたときからのものだ。この時間は、わたしには真夜中に近いのだ。今朝、起きたのは4:05である。夜型の人には、これからが目がランラン(^^♪の時間かも知れないが、わたしにはもう眠さとの戦いの時間となっている。そして、このすぐあとに、戦いに負けた。

 気がつくと、ほとんど議題は終わり、何となく気まずい雰囲気を感じた。みんなノートにφ(..)メモメモしながら話し合っていたのに、わたしはただ寝ていただけ。しかし、そういわれてもどうしようもない。勤務時間中ではあるが、眠いものは眠い。この会議で仕事に滞りができてしまうのなら、それはわたしの責任であるが、今のところそういう事態に陥ったことはない。大事なことならだれかが知っているし、そ知らぬ顔で、聞けばわかる。「会議か…、わたしは嫌いだな」。どんな会議でも眠くなるのはわかりきっている。なぜ会議が好きな人が多いのかと不思議におもっている。実際は、会議が好きでやっている人など少ないことなど知っている。が、それでも会議はなくならない。ほぼ毎日のように会議はある。勝手に決めてくれ〜!

 勤務時間が終わったので、会議も終わった。ホッとした。そして、今度は部活動の指導というので(といっても、部員が活動しているのをちょっと覗くだけ)、18:30まで残っている。この時間に明日の授業の準備やレポートの点検などをする。好きでやっているわけではない。現に、この部活動の手当てなどは一銭ももらっていない。ボランティアだとおもって、あきらめているので、請求も面倒くさくて出す気もない。これでも、事故がおこれば、わたしの責任が問われる。まったく変な時代になったものだ。いつか学校から修学旅行や部活動など余計なことは一切消えてくれれば、そのときは本当にうれしいだろう。ついでに、会議がきれいに消えてくれれば、もういうことなしだ。会議がどうしてもしたいなら、午前中にお願いしたい。

 さて、仕事でもするか。朝も、7:15頃に出勤してかなりやったのだが。どんなにやっても次から次へと仕事はやってくる。参るよ、ホント。

■2003/10/24(金) 08:16

 今年も大学等への推薦の時期を迎えた。わたしは、今年度3学年の担任ではないので、推薦書を書かなくていいぞとホッとしていたら、書かされる羽目になってしまった。授業で担当している生徒の推薦書と部活動関係の生徒の推薦書である。人を推薦などするのは大嫌いなわたしにとって、こういう推薦書なる文書を書くのは屈辱でしかない。人を推薦できるほど人物を見る目などわたしにはないし、そんな文書を作らなければならない義理などないとおもっているからだ。本当に推薦に値するような生徒なら、とっくに誰かが推薦しているだろう。

 推薦については、以前にも書いた文章がある。そこにも書いたが、現在の推薦制度はじつにおかしい。本来、推薦など受ける評価をもたない者まで、簡単に推薦が受けられるようなシステムになってしまっている。詳しいことは、それぞれの学校事情があるから書けないが、「こんな生徒にとても推薦書など書けないや」という生徒まで、平気で推薦書を書いてくれと言ってくる。人に物事を頼むときの最低限のマナーもわきまえない者に、何で推薦書を書かねばならないのか。教員にそんなことをしなければいけない義務はないはずである。生徒の進路は生徒が自ら動いて選べばいいのだ。それももう高校3年生であり、そんなこともできない生徒が、そもそも人に推薦してもらおうなんて考えていること自体、甘いのである。それを教員(大人)が甘やかしているともいえる。

 推薦書は、他の人はどうか知らないが、全くの作文である。担任として接触しているわけではないし、授業で教えているといっても、そんな接点はほとんどない。部活動にしても、本人にはまだ2・3度会ったことがあるだけで、何も知らない。情報もない。だから、当たり障りのないことを書き連ねてデタラメに書いている。生徒の不利益にならないようなことを書けばいいので、単なる作文だとおもって書く。おそらく、大学や専門学校の方もそんなことはとっくにお見通しである。同じことは、中学から高校へ送られてくる推薦書にもいえる。おそらく、こういうのが日本国内でふつうに行われているはずであるから、「デタラメの推薦書」が現在日本国内を飛び交っているのだろう。情けない現状だが、わたしにはこれをどうこうするつもりもないし、そんなことはできもしない。推薦入試で落ちたりしたら、推薦書を書いた教員に父兄が文句を言ってくることもある時代なのだ。まったく、これらのバカ親にしてこの子供ありである。今年も書くぞ!デタラメ推薦書。

■2003/10/20(月) 17:33

 きょうは、体操部の指導日(といっても学校内にいて、最後の確認をするだけ)なので、周囲が暗くなった中で、物理室で一人パソコンに向かっている。もう、廊下も真っ暗だ。学校は不思議なところもあり、生徒が下校して静かになっても、その余韻が残っているような気持ちがする。シーンとした廊下にも生徒たちの声まだ聞こえるようだ。この校舎も古くなり、壁はあちこちひび割れが走っている。今度大きな地震でも来たら、きっと崩壊するだろうな。

 明日は、この学校の創立30周年の記念式典が行われるため、授業はない。横浜の紅葉ヶ丘にある県立音楽堂を借り切って挙行される。わたしは、受付の係なので、さきほどまで式典に参加する保護者の方たちの受付名簿を作っていた。忙しい中、式典に来て頂くのは大変うれしいのだが、式典みたいな晴れがましいことの苦手なわたしはちょっと戸惑っている。まあ、30年というのは、人生でいえば一区切り。学校という組織にとっても一つの節目なのかもしれない。30年も経てば、世代交代の時期でもある。わたし自身も成人して何とか30年「おとな」をやってきたが、どうも世代交代するには、まだ少し宮使いをしつづけなければならないのが現状。自分がまさか50歳の大台を越えられるとは、若い頃は実感がなかった。いざ、なってみても、とても自分のことだという感じがしないのは不思議な気がする。これは、どの年齢でもそうなのかもしれない。

 明日の式典のあと、当然のことながら、それにつづく祝賀会が予定されている。本来なら、お酒の好きなわたしとしては、意地汚く「いくぞ!」というところであるが、昨今の公務員叩きの風潮の中では、隠れるようにおとなしくしていないとまずい雰囲気だ。会費5500円もしっかり払った。何でも、立食パーティー形式とかで、どうもわたしの好みとはちがう。それに、立ったまま刺身をつまんだりしても美味しくはない。本当は5500円も払うのなら、横浜駅周辺の居酒屋でも入って、気分よく飲みたいものだが、準備してくれた人に悪い気もする。ま、お付き合いということで参加することにした。人におごってもらうのも嫌いだが、自分の金で飲むなら気分よく飲みたいというのが、わたしのわがままなところだが、我を張っても仕方ないだろう。せめて、自分の好きなお酒のワンカップ(菊水)でも隠し持って行って、飲むことにした。翌日は仕事があるし、そう悪酔いもできまい。そうそうに引き上げてこようとおもっている。

■2003/10/14(火) 09:29

 この3日連休に田舎(会津)で法事があり、帰省してきた。カミさんと2人で遠出するのは結婚以来はじめてだ。近くの温泉などに日帰りで行くのは何度か経験している。子供たちも大きくなり、留守番を頼むことができるようになったこともある。うれしくもあり、寂しくもあり、ちょっと複雑な気持ちがする。

 帰省には車で行った。電車では費用がかかる。節約、節約だ。車の運転は正直あまり得意ではない。すぐに眠くなってしまうからだ。でも、帰省には車が一番便利だ。田舎に行ってしまうと、車なしでは移動が大変だから。都会のように電車・バスなどが頻繁に走っているわけではない。そのせいか、田舎ではどの家にも車が何台もある。成人ならほとんど一人一台という感じになっている。日本の車の台数が減らないのは、こんなところにも原因がある。「車はやめて、電車・バスを利用しよう!」なんて能天気なことをいっているのは、都会人だけである。田舎の人も生活のリズムだけは大都会なみになってきているのに、交通手段はない。だから、必然的に車に頼らざるを得ない。その人たちを責めることはだれにもできない。この手の話は、地球温暖化を懸念する先進国の論法にもよく見られる。みんな自分の都合だけでモノをいう。

 夏に帰ったばかりの田舎は、紅葉にはちょっと早かった。あと2週間遅ければ、すばらしい紅葉を見れただろう。そういえば、この4月に他界した親父が会津を離れたのもその時期だった。脳梗塞で倒れ、九死に一生を得て、何とか再起した。が、一人での田舎暮らしはかなわなくなった。そんな親父に神奈川の我が家へ来てもらうことにした。親父が神奈川にくる車の中で「磐梯山の紅葉はきれいだなー」とぼそぼそいったことばが今も耳に残っている。10月も下旬のときだった。このとき、親父にはものごとの判断能力はほとんど残ってはいなかった。この引越しも長男であるわたしが勝手に決めたようなものだ。そのあとの世話では、カミさんにも多大の苦労をさせた。磐越道を猪苗代に入ると、その磐梯山が山頂付近を紅葉させて、眼前に見えた。いい山だ。山腹をスキー場で痛めつけられてはいるが、形はじつに優雅だ。何度もこの山頂には立った。そんな見慣れた風景が、父や母をおもい出させる。

 法事のあとに、親戚一同で会津湯野上温泉に一泊した。親父の実家の近くなので、その民宿には親父も何度か来ているらしい。写真にそれが残っている。そこは民宿ではあるが、立派な旅館のようなところだ。戦前までは、造り酒屋だったと聞く。いい宿で、親戚とひさしぶりにゆっくりと飲み、食べ、話した。急ぎ足の帰省ではあったが、秋のひと時を楽しむことができた。こういう法事でもないと、この時期の帰省はまずないから、故人が田舎に呼んでくれたのかもしれない。

■2003/10/05(日) 17:18

 一昨日の社会見学(1年生の遠足)で、鎌倉散策をしてきた。天気は曇り空ながら、まずまずの遠足日和。いつもと同じ時間(6:15)に家を出たので、集合場所の北鎌倉駅すぐそばの円覚寺前に着いたのが、7:40頃。職員の集合時間は9:15でまだまだ時間はたっぷりある。そこで、静かな円覚寺をじっくり見てみようと境内へ。まだ、掃除中のところを失礼して、のんびりと見学させていただいた。以前は、こういう神社仏閣みたいなところは好きではなかった。ところが、歳のせいか、最近少し興味が出てきた。今回はそのいい機会でもあった。さすがにいいお寺さんだった。

 職員・生徒が集合して9:30前後からそれぞれ散策へ。わたしは、鶴岡八幡宮での本部詰めの係になっていたので、円覚寺から30分ほど歩いて、本部へ移動。そのあと、10:00〜11:00までの本部待機の仕事についた。まだ、順番になっていない同僚も集まってきたので、いろいろ話を聞いていたら、「鎌倉アルプス(天園ハイキングコース)」が話題に出た。そうだ!この機会に登って来てみようとおもいたった。この辺は、とても単純なわたしである。
天園コース最高点付近から鎌倉を見下ろす。 当番が終わった11:00。天園コースの一部に行く生徒もいるとの情報で、それではわたしがその巡回へとか何とか口実をつけて、11:05コースの入り口のある建長寺へ向けて坂を登りはじめた。建長寺に着くと、300円払って入る(何でもあとで聞いたら、この日は無料とか言っていたな、損をしたなー)。どんどん奥へ進んでゆくと人影はまばらになった。階段を登り続けて、かなり高度を上げた頃にはほとんど人はいなかった。静かな山道でよかった。神奈川に住んでいて、鎌倉も何度もきたが、こういう一人の山道はじつにいい。もう生徒のことも忘れて、一人もくもくと歩いた。途中で鎌倉を見下ろすいいポイントがあったが、どうもガスっぽくてきれいには写真も撮れなかった。12:50に下山して、すぐ近くの瑞泉寺を見学。そのあと、また鶴岡八幡宮へもどり、みんなと合流した。ひとときの一人旅であった。仕事中にもかかわらずこういう行動を取ったことは、責められるとつらい。すみませんm(__)m。

■2003/10/02(木) 20:19

 この10日間ほど、すこしけだるい状態の日々であった。文化祭が終わり、秋分の日とそれにつづく代休2日。いつもの生活のリズムと変わってしまった。こういう生活のリズムが狂う日々はあまり好きではない。貧乏性とおもわれるかもしれないが、毎日何かの仕事があったほうがいきいきできる。夜おそくまで残業などというのは苦手だ。でも、夕方までに終わるのなら、自分としてはいいリズムが保てる。

 朝は早いので、職場には毎日7:15に着く。それからの1時間で、放課後にやるような残業は終えてしまう。夕方暗くなってまで仕事をするのは嫌いだ。夜はゆっくりと飲みたい。そして、すぐ寝る。朝は4:00くらいには自然に起るから、時間はたっぷりある。朝は仕事はしないが、自分の勉強やら、読書はかかさない。この時間に電話がかかってくることはないし、TVなど見ることもない。この朝の時間が1日で一番好きだ。誰にも邪魔されないし、誰からも文句をいわれない。自分だけの時間である。夜型の人は夜楽しめばいいし、そんなことはわたしにはどうでもいい。わたしのような朝型の人間には、こういう楽しい時間がある。家族のだれにも文句をいわれることもない静かなひと時。我が家にはだれも早起きの家族はいないから、じつはそれで助かっている。朝からいろいろ会話をしなければならないのでは、この時間がもったいない。一人で好きなことができるからいいのである。この点では、家族に感謝している。

 時間の使い方は人それぞれだし、他人のことはあまり関心もない。どういう生活習慣であろうが、それはその人が決めればいいことだ。わたしは、今の習慣が長いから、おそらく病気でもしてボケない限りは、つづくことだろう。子供たちにも早起きの習慣をつけてやろうとおもって、一時取り組んだことがあった。失敗だった。こういう習慣は本人がその気にならない限りは、余計なおせっかいだったようだ。今は、もう声もかけない。彼らは自分で目覚まし時計などをかけて起きている。ただ、毎日それとなく目覚ましの音と起きる時間を調べてみると、いつも30分ほどのタイムラグがあるようだ。ちなみにわたしは目覚まし時計は使っていない。飲んで帰って、翌朝どうしても起きづらいときには、万が一のためにセットはする。でも、ほとんどはその時間の前に起きて、セットを解除する。そういう日は、職場でついうとうとしてしまう。午後はとくにそうだ。運悪くそういうときには会議が入る。会議で寝てばかりいるので、同僚にはあまり良くおもわれていないとおもう。でも、気にしない。本当に大事なことは誰かが教えてくれると勝手におもっている。習慣は変えるのに相当時間がかかる。朝の日の出が遅くなると、不思議とわたしの起きる時間も少しずつ遅くなる。どうも体内時計が、縄文人のそれと同じなのかもしれない。朝、いつまでも布団の中でまどろんでいられる人がうらやましい。

■2003/09/22(月) 10:33

 祭りのあとの少し物寂しい気持ち。廊下を歩いている女子生徒の「もう、文化祭もおわってしまったんだね。なんかさびしいね…」という会話。今は、昨日までの文化祭の後片付けの時間だ。わたしの担当の箇所は、もう自分でやってきてしまったので、きょうの仕事はもうお仕舞いだ。残っているのは、文化祭前にやった物理の小テストの採点だけ。これは、午後のけだるいときにとっておこう。祭りはきらいではないが、小さい頃からあまりのめり込むほどの遺伝子はもっていなかった。夢中になっている人たちを外から眺めているのが好きだった。自分ではどうも入りきれないところが、我がことながら何ともしがたい。日常の雰囲気とは変わった「ハレの日」。ただ、現代みたいに毎日が「ハレ」に近い社会情況になると、そう気分も変わらない。

 生徒たちは出店を出したりすることがとても好きだが(これ用のレンタル業も盛ん)、わたしは自分の実家がお店(田舎の萬屋)をやっていたせいか、あまり興味がない。店番を頼まれるのが一番嫌だったから、商売は好きでない。でも、門前の小僧よろしく商売のコツは身に付いてしまっているのか、やればできる。生徒から頼まれればてきぱきとやってしまうが、自分からはどうにもやる気がしない。わたしにとって、お店のような商売は日常の一コマでしかなかった。店番は嫌いだったので、お客が来ないときは、本ばかり読んでいた。これが、いつの間にか習い性になってしまい、今に至っている。その商売で得られた父母の稼ぎで、学校も出してもらったのに、感謝することを忘れてしまっていた。今は、空き家となってしまっている実家にもどると、父母にはすまないことをしたと申し訳ない気持ちになる。わがままで生意気な子供だったのだろうと今振り返っておもう。「ハレ」の気持ちがないと、祭りには参加できない。

 わたしは今は公務員だから、人さまの税金で暮らしている。公務員への風当たりは日増しに強くなる一方であるが、人さまのおかげ(お金?)で暮らしていない人など、現在の日本にはいないだろう。人は税金で生計を立てている公務員を責め立てるが、公務員全員が悪いことをしているわけではないことをみな知ってはいるはずだ。要は「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」の類で便乗批判をしている気がする。どんな商売だろうと、悪者のいない商売などない。そんな当たり前のことすら、ほとんど忘れている。不況のなると公務員の待遇を批判する。どの時代もおなじである。景気がよくなると、公務員のことなどすっかり忘れ、自分たちの儲けに酔う。その温度差が極端だ。こういう世の中になると、公務員は批判を恐れ、自分の殻に閉じこもる。最低限のことだけして過分なことはしなくなる。しても何もいいことはないからだ。公務員としての自分から見ても、おかしな税金の使い方はじつに多いことは確かである。ただ、景気のいいときの自分たちの金回りを忘れ、民間並みに給与を下げることだけ声高に叫んでいるのを見聞きすると奇異なものを感じる。もともと、公務員の給与など高級官僚を除けば、現場のわれわれなど人さまにいえるほどもらってはいなかった。それでも、現在は減給の一途を辿っている。わたしは、景気がいいときのあの銀行員・商社マン・証券マンなどの驚くほどの給与とボーナスを忘れてはいない。その民間並みに現場の公務員の給与が上がっていたという実感などない。あのとき、連動してくれていたら…とおもうのみである。「ハレ」はすぐに終わる。

 日常は「ケの日」である。わたしは、何にもない平凡な日が好きである。気疲れすることもなく、淡々と過ぎ去ってゆく日々。静かに学び、静かに飲み、そして静かに眠る。そういう日々がとても貴重におもえる。祭りが終わると、すぐにこんなこを考えてしまう。やはり、子供の頃からの習性は変わっていない。

■2003/09/21(日) 11:12

 台風と前線による雨が降りつづく中、文化祭の2日目が今行われている。わたしは警備担当なので、校内の巡回や正門・通用門での立ち番などをしている。さきほど、1回目の当番が終わり、午後の当番までしばしの休憩。風も出てきて、お客さんも少ないだろうなとおもっていたら、まずまずの入りでホッとしている。昨年は天気もよく、多くの方々が来てくれた。今年は、2日連続の雨にたたられ、熱心に準備をしてきた生徒たちには少し可愛そうな気がする。ただ、生徒たちはこの雨にもかかわらず、楽しそうにやっている。

 じつは、昨日の夕刻の職員打ち合わせでは、「2日目延期」の案が管理職から出されたそうであるが、職員が「流れがあるから、やれるところまでやる」という意思を示し、きょうの決行につながった経過がある。「祭り」には「流れ」が大切で、途中で間をおいてしまうと、白けてしまう。どこの祭りでも雨だろうが槍だろうがはじまったら、最後まで一気に駆け登るのは鉄則である。確かに、管理職としては、台風の接近が伝えられ、風雨も強まる中で決行して、「何か事故があったら大変だ」という想いあるのは、わかる。しかし、不思議なもので人間というものは気持ちが高ぶっていたり、気合が入っているときは、そうは事故には遭わないものだ。返って気が緩んでいるときのほうがあぶない。せっかく高まった気持ちを途中で萎えさせるほうが野暮というものだろう。残りあと半日、生徒・来客に盛り上がってもらいたい。

 わたしは、次ごう7回の警備担当(1回1時間)が入っているため、ほとんど内容は見れないでいる。空きにちょっとだけ「古本市」に行き、岩波文庫の放出本をもらってきた。図書館で古くなり、いらなくなったとかで、なかなか手に入らない古いものもありラッキーであった(^_^)v。昨年は何冊か買ったような記憶がある。職場の同僚たちの読み古した本もけっこう出るので、こんな本が!というようないい出モノもある。教員はたしかに本を読む人が多いみたいで、こういうときは助かる。わたしも昨年は何冊か出した(もちろん無料提供)が、今年は出す本を選ぶ時間が取れなくて断念。転勤してきたとき、この物理室にもかなりの本を持ち込んでいるので、処分しなければと常々おもってはいたのだが実行できなかった。来年には、半分くらいは放出したい。

 もうすぐ、体育館でいろいろなパフォーマンスがはじまる。昨日は、小雨の中、コの字になった校舎の中庭で演じられたが、きょうは雨がひどく無理になり、体育館へと場所を変えて実施される。これらの演目はけっこう見ごたえがある。生徒たちは休日も休まずに来て練習しているだけあって、よくまとまっている。体育系の得意な生徒が多い学校なので、こういうのはお手のものなのだろう。時間が取れれば、デジカメを持って行って撮って来たい。生徒たちの熱気が一番感じられるときだ。これが「青春」なのかな…。

■2003/09/18(木) 07:44

 昨夜、カミさんが近くのツタヤから借りてきてくれたVTR「たそがれ清兵衛」を観た。音楽はエンディングテーマの「決められたリズム」(井上陽水)だけで、じつに静かで淡々とした映画ですばらしかった。山路さんが「いい映画だった」といっていたが、その通りである。とくに華々しいところもなく、淡々と流れるストーリーに奥深さを感じた。原作である藤沢周平の作品『たそがれ清兵衛』は読んでいたが、あの短編が映画になるとこういう風にアレンジされるのかと参考になった。原作とはかなりちがっていたが…。

 わたしに映画の批評をするほどの眼識はないから、あくまでも印象でしかない。大体が、映画を見ることなど最近ではほとんどないのだから、無知もいいところである。原作を読んだのも、山路さんに「いい映画だから見たほうがいいよ」と何度もいわれて、じゃ観てくるかとおもったら、ほとんどの映画館ではすでに上映期間が終わっていた。仕方ないので、ふだんめったに読まない小説本を買って読んでみた次第。高校生や大学生の頃は、小説も相当に読んだが、今はまったくといっていいほど読まない。というより、興味がない。寝床で読むのは漱石の本くらいで、これまた小説ではなくて、随筆風の短編などが多い。話がそれたが、「たそがれ清兵衛」を観て、素朴な映画のほうが自分にはいいなと感じた。ハリウッドものはもう論外だ。CGを駆使した映画はどうぞ勝手にどんどんやってください、という気持ちになる。

 北杜夫の『楡家の人々』に出てくる斉藤茂吉の養父ではないが、人は歳をとると次第に愛国主義者になってゆく、という表現の意味が自分でもわかるような気がしてきた。

■2003/09/17(水) 10:20

 車にカーナビをつけてから、道路を走っている他の車のカーナビが気になるようになった。その1つに、車の屋根やリアウインドウにアンテナを広げている車が多いのに驚いている。みんな、走りながら「テレビ」を見ているのだろうか?というのも、あのV字型のアンテナは「テレビ用」であって、カーナビゲーション(GPS)とは、何の関係もないものだからだ。わたしの車のカーナビでもTVは見れるが、走っているときにはTVは見れない設定になっているから、見るとしたら停車しているときだけだ。あのアンテナを広げながら走っている車の大半の人がTVを見ているとは信じがたい。カーナビのアンテナは車のフロントガラスの下あたりにちょこんと置いてある、あの小さな四角っぽいものなのだが、みんなそんなことは知っているとおもう。まさかとはおもうのだが、あのV字型のアンテナがカーナビのアンテナだと思い込んでいる人はいないでしょうな…。わたしは、あのV字アンテナは邪魔なので、いつもたたんいる。使うこともないので、今度の車検のときにでも取り外してもらおうとおもっている。大体、カーナビをつけるときに、TVは見ないと業者にいっておいたのに、あんな余計なアンテナを立ててしまって迷惑している。「TVは見ない」という言葉でわかるとおもったのが、まちがいだった。こういうケースはじつに多い。それで、手間賃だけはしっかり取られてしまった。

 カーナビもまだまだ改善すべき課題はたくさんある。ただ、DVD1枚で済むようになったこと、さらにはHDDタイプのものも出てきて、新しい情報を取り入れやすくなったことは評価できる。あれば結構便利でもあるから、いずれはどの車にも標準で付くようになるかもしれない。どんな道具でも使い方次第である。上手に付き合っていければ、それで初期の目的は達せられたといってもいい。ラジオなどでもカーナビにまつわる笑い話(そのときは必死のはずだけれど)には事欠かない。わたしも何度か戸惑った。しかし、頻繁に使うようになって、どうにか使う要領がわかり、そこそこに付き合っている。全面信頼はできぬことは、だれでも経験でわかっているはず。原理的にはとても面白い機器なので、これからも愛用していきたい。


■2003/09/11(木) 16:21

 今週に入ってつづけて2件の金銭盗難が、校内でおこった。いずれも、プールに入るための更衣室で起こっている。プールは校舎からは少し離れているため、わざわざ用事のないものが、疑われるのを覚悟でそこまで行くことは考えられない。お金を盗んだのは、同じプールに入っているものの中にいることは、まず常識であろう。ただし、お金には名前は書いてないし、昔のように全員の持ち物を検査することなどは、「人権擁護」とかのバカバカしい屁理屈が蔓延しているために、現在の学校ではもう不可能になっている。こういう事情も知らない父兄の中には、「お金を盗まれたのに、学校は何もしてくれない」などと苦情を言ってくる人もいる。しかし、自分の子供が立場変わって盗んだなどと疑われて、持ち物検査などでも受けようものなら、今度は「何で子供を疑うのだ」とまた苦情を言ってくる。一体全体自分の言っていることが矛盾していることに気付かないのだろうか?もっと、もっとはっきりいうと、その矛盾すらわからない頭の程度なのか!とつい腹が立ってしまう。こういうのは、実例に事欠かない。こういうのって、どうなっているのか?親にしてこれである。子供はその親から生まれてきたのである。ふつうのレベルのわたしの高校でもこれである。もっと生徒指導の大変なところでは、こんなのは日常茶飯事である。聞いた話では、わたしの高校の近くにある神奈川でも有名な進学校ですら、盗難は頻発しているそうだ。結局どんなレベルの学校でも「手癖の悪い」生徒はいるものだという、当たり前のことを確認しただけになってしまった。まあ、こういうのは学力とは関係ないからなー。盗むやつが一番悪いのだけれど、盗まれる生徒もちゃんと貴重品袋があるのに、盗んでくださいと言わんばかりに無防備なのにも呆れる。高校生の身分でよく大金を平気で持ち歩いているのにもおどろく。泥棒はすぐそばにいるのである。

■2003/09/09(火) 12:53

 先週の土曜日に用事で姉と会った。同じ神奈川の川崎市に嫁いでいるので、ときどき会うことがある。そうしたら開口一番「あれ、だいぶやせたね?顔がほっそりしたよ」という。そして、ちょっと心配そうに…。姉には現在取り組んでいる「一日一食断食減量道」のことは話してあるのだが、それでも、以前に較べるとずいぶんとほっそりしてしまったわたしのようすを見ると、心配そうになるようだ。「身体に悪いから、もう無理はしないほうがいいよ」という人もいる。痩せてくる→どこか身体が悪くなっている、という認識パタンが人間には生来そなわっているのかもしれない。

 考えてみなくても、人間の歴史で「肥満」などという現象が多くの人に見られるようになったのは、本当にここ数10年のあいだであろう。食うものもろくに食べられないのでは、肥満などにはなりたくてもできない相談だったのだ。つい最近まで肥満は「裕福」の別名でもあったのだ。いつ襲ってくるかも知れない飢餓に対して身体が自然に防衛反応をおこして、栄養分を蓄えられるうちに蓄えておこうというのは、現在の「貯金」と全く同じである。もし、今、飢饉が起こったら、間違いなく痩せている人は早く死ぬ。食料がどこからか供給されるというのを前提にして、今のダイエットなどは成り立ってる現象なのである。

 不思議なもので、人間の各器官の状態が数値化されるようになり、はたまたその平均値を取って「標準値」なるものまで出現。わたしの場合だと、身長からみて体重は「63kg」くらいになるという。そこで、わたしは面白そうなので、この太った身体から本当にその「標準体重」なる数値まで下がるものかと、現在自分の身体で人体実験中である。ただし、医者はかなりいいかげんな連中で、この標準体重になったからといって、「健康でばっちり長生きできます」といってはくれない。そういう人が病気になっても「それはその人の体質というもので…」などといくらでも屁理屈は出てくる。要するに、人間ドックなどで示される数値は一種の遊びである。こちらもそれくらいしか、あれらの数値は信じていない。人間どんなに数値がいい結果を出していても、死ぬときは死ぬのである。病気になるときはなるのである。

 わが国は「やせたい、やせたい人たち」で一杯である。新聞広告やTVコマーシャルなど痩せることばかり取り上げている。そういう番組などを企画している人たちは大抵「肥満」である。自分で実行したこともないことを、人々には平気で情報を垂れ流している。医者や栄養士などにもこの手の人はじつに多い。わたしは、これらの話はほとんど聞き流している。自分の体調のことは特殊なものを除くと、大抵は自分でわかるものである。わたしの腹部には、まだ十分な脂肪がしっかりとついている。つまり、これらがあるうちは、わたしは餓死しないということだ。本当に何かの栄養分が足りなければ、そのときは自然に身体がそれらを求める。これは、本能ともいえる。だから、わたしはそれほど心配しないで、今「減量」という楽しみにいそしんでいる。楽しみで減量できる時代に生きていることはじつに幸福なことであろう。予定では、来年の4月頃には、この63kgになっているはずである。そのとき、健康でいるかどうかは、もう予想もつかない。だいたい、そのとき生きていることだってわかったものではないのだから…。ともあれ、自分の身体は自分で守るしかない。

■2003/09/05(金) 16:09

 学校の文化祭が近づいて来て、校舎内の廊下は至るところダンスやパフォーマンスの練習で占領されてしまった。わたしの勤務する高校は体育系の生徒が多いせいか、こういう身体を動かす出し物はじつに盛り上がる。レベルもかなり高い(わたしにはよくわからないが…)みたいである。休み時間も練習に夢中なので、廊下を歩くときには、ぶつからないように気をつけている。朝も早くから来て、放課後も残って練習している。悪さをするわけでもないし、きちんと後片付けもやってくれるので、何もいわずに見ているだけだが、いろいろな高校を見てきているせいか、こういう面での活動はとても熱心な生徒が多いなと感心している。

 一昨日に交通事故で亡くなった生徒のお通夜が本日の夜ある。職員や生徒たちも多数焼香に集まるだろう。わたしも出かけるが、正直なところ、気が重い。というのも、憔悴しきっているであろうご両親の姿を見ると、もう涙腺が止まらなくなってしまうのではと想像されるからである。人が亡くなるのはじつに辛いことだ。この4月にわたしも父親を亡くしているので、そのときの気持ちは痛いほどわかる。それにもまして辛いのは、若者が先に逝ってしまうことだ。もう、何をいっても彼が生き返ることはないのだが、何とも短い一生だったとおもうと切ない。交通事故などで生徒が亡くなると、そのときは、少しの間生徒もちょっとだけ事故について考えるようだが、いかんせん長続きはしない。所詮、他人事。「自分だけは、事故には遭わない」とおもい込んでいるのが、生徒であり、そしてわたしたち大人もそれは同じ。まあ、そういう気持ちでいるから、毎日何とか生き延びていられるのかもしれないのだが…。勤務時間が終わったら、出かける。

 夏休み中に1日だけ「研修」を取った。日本物理学会の科学セミナーに参加するためだ。この研修を取ると、当然職場を休むことになるため、現在はきちんとした「研修承認簿」を提出して、研修後には「研修報告(レポート・書類添付)」を出すことになっている。そこで、わたしも研修の内容をきちんとまとめ、提出したが、昨日教頭から「ちょっと簡単すぎるので、もう少し何かをつけてお願いできますか?」というような、催促を受けてしまった。本人としてはかなりていねいに書いたつもりであったが、A4サイズのレポートを両面印刷で1枚にしたので、量が不足したのかなともおもったが、仕方なく追加を書くことにした。宇宙物理学に関する専門的なことなので、簡単に要約するといってもそうはスムースにいかなかったが、何とか合計A4サイズの用紙に7枚ほどにまとめなおした。そして、分量を誇張するために、両面印刷はやめて、片面印刷でそのまま7枚にして閉じて、添付し提出した。今度は簡単にOKであった。「これくらいあれば大丈夫でしょう??」と教頭。内容など書いても文系の彼に理解できるわけはないし、要は何枚の紙が添付されているかが大切なのだろう。それにしても、1日研修を取るためだけにあれだけの分量の報告をしなければならないならば、もう、「研修」などは取るまいとおもった。自分で書いたことのない人間だけがあれほどの報告を求めるような気がする。自分で書いてみれば、そんなに書けるわけのないことなどすぐにわかるはずだからだ。ま、こちらもいじわるに、わかるはずもない数式や専門用語を多用して書いておいたのはいうまでもない。

■2003/09/03(水) 13:30

 きょうは書くまいとおもっていたのだが、書く内容が出てきてしまった。午前11:00過ぎ、わたしの勤務校の生徒が交通事故で突然亡くなってしまったのだ。連絡を受けて急遽全校集会。生徒の動揺を考えて、午後の授業はカットになった。各自が亡くなった生徒に冥福を祈ることになった。事故は、昨夜の9:30頃におこったようであるが、詳細はまだ職員にも連絡はない。急を聞いて駆けつけた担任ならびに校長・教頭などからの連絡を待っていた状態であった。朝の職員打ち合わせで前夜事故が起こり、緊急に病院に運ばれ、重体であることは報告されたが、それ以上の情報はなかなか伝わって来なかった。わたしも会議をしているときに、亡くなったという連絡を知り、愕然としてしまった。

 緊急に開かれた全校集会では、校長から「○○クラスの○○さんが、さきほど病院で亡くなられました。」と告げると、それまで多少ざわついていた体育館の中が一瞬静寂になり、そのあと、あちこちで男子や女子の嗚咽の声が湧き起こり、わたしも目頭が熱くなるのを押さえることはできなかった。昨日まで元気で登校していた生徒が、今は遺体になってしまったとおもうと、残念というより刹那さで一杯になってしまった。わたしも子を持つ身。亡くなった本人の無念さはいかほどかとおもうが、それにもまして、子供を交通事故で亡くした親御さんの無念さ・悲しさをおもうと胸が押しつぶされるような感じになって、涙が止まらない。わずか、17・18年の人生をあっという間に終えてしまった…。まだ何も残さずに…。

 まだ免許を取りたてで、バイクも買ったばかりと聞く。複雑な交差点でのトラックとの正面衝突だったみたいで、かぶっていたヘルメットは何の役にも立たなかったようだ。若い人が亡くなると、事情はともあれ、何とも悲しい気持ちになる。つい我が子と重ね合わせて考えてしまうからかもしれない。もし、同じことが我が子に起こったら、わたしはおそらく耐えることはできないだろうとおもう。

 本当に痛ましい出来事がおこってしまった。故人の冥福を祈るしかない。

■2003/09/02(火) 14:11

 きょうは、夏休みの課題・実力テストがあった。1・2年生は国・数・英の3教科、3年生は英・国(文系)、英・数(理系)のテストだった。夏休み明けには、こういうテストを中学校・高校などでは行事に入れているところも多いだろう。いきなり、授業でもいいのだけれど、夏休みに課題を出している教科は、それと連動させてこのテストを計画に入れているのかもしれない。かもしれないと推測で書いているのは、わたしの担当している理科(物理)では、やっていないからだ。クラス数が少ないので、やろうとおもえば、授業中などいつでもでもできるから。しかし、試験をすれば、採点もあり、決して楽できるとばかりは限らない。どっかで補いをつけなければならないのは世の常。

 3学期制をとっていると、どうしてもそれぞれの学期のはじめは、こういうテストを入れて、ちょっと一呼吸入れてから授業に、という流れになっているのかもしれない。わたしが勤務した4つの高校ではみんなやっていたようにおもう。生徒も休み明け早々に、長い授業より3時間までのテストのほうが(それも定期テストとちがって、それほど成績には関係ない、こういうテストのほうが)楽なのであろう。教員の側で考えても、授業をはじめる前に、1学期の復習もかねることができるという利点があるため、両者の思惑が期せずして一致したために、毎年つづいているのかもしれない。ただし、最近2学期制をとる(横浜市の中学校は来年から全校実施)ところも増えているから、これからこういうテストが減ることはまちがいない。

 テスト開始後、10分もすると、寝てしまう生徒もいる。われわれの世代には想像もできないことであったが、最近の生徒は悪びれることなく、しっかりと寝ている。きょうの試験監督でも、2年生のあるクラスに行ったが、やはり寝ていた。その人数もほぼ1/3くらいはいたとおもう。中には完全に熟睡している生徒もいる。いくら、休み明けとはいえ、テストの最中に寝ているというのは(解答用紙を見ると、別に問題ができているからというわけではないのに…)、われわれの年代のものにはちょっと理解できない神経をしている。現実には、入学試験のときでさえ、寝ている生徒を何度も見ているから、テストの価値などほとんど地に落ちているということか。無理をしなければ、ほとんどどこかの学校へは入れる時代になってきているから、気が緩むのも仕方ないのかもしれない。テスト監督をしていると複雑な気持ちになる。グランド周りにある木々からは、鳴き残したセミの声が聞こえている。

■2003/09/01(月) 10:00


 今、始業式が終わって、生徒はそれぞれ自分たちのHRに向かっている。帰りのHRにはまだ時間がある。どの学校でもそうだとおもうが(全くそうでない学校も知っているが…)、始業式などの全校生徒が集まる場所はおしゃべりがうるさくて、司会担当の教員の張り上げる怒声で体育館の中はなおうるさくなっている。こういう式すら成立しないところは、生徒を各クラスにおいて、放送で式をおこなっているところもある。人間集まれば、おしゃべりが絶えないのは、今にはじまったことではない。しかし、最近の日本の生徒たちは、教員が声を荒げるだけで、その他には何の手段も用いられない(体罰は厳禁だから)ことを、じつに巧妙に利用している。これも、生きるうえの知恵といってしまえば、それだけのことである。世に大人といわれる人たちだって、ちょっと集まればおしゃべりは絶えない。水を打ったように、シーンとした中で、話をしたい気持ちはわからないではないが、どんなにいい話をしようが、聞いていない者には、声は届かない。

 わたしは、人間の「性善説」は取らないから、生徒たちが自主的に人の話をきちんと聞くようにもってゆく、などというきれい事は可能だとはおもっていない。もし、話を聞く雰囲気や態度を作ってゆくとしたら、それなりの戦略を用いないといけないと考えている。おしゃべりしている生徒などへの体罰は厳禁である(というように法律ではなっているが、もう再考の時期に来ているのではと、個人的にはおもう。人間それほど言葉だけで動くわけではないから)。それでは、きちんと話をして…とかもダメである。そんなことは、最初からおしゃべりなどしないものたちにしか通用しない。大勢の生徒たちを黙らせるには、強権を発動して、おしゃべりしているものは、会場から追い出すというのがいいのだろうが、これも、最近の世相では受け入れる人は少ないだろう。悪い意味での「個人的権利意識」だけを身に付けてしまった若者には、そういう措置は、返って逆恨みのもとを作ってしまうだけのようにおもう。

 わたしは、「生徒は社会的にもきちんとしつけなければならない」とか、強くおもっているものではない。それに、生徒の大半は、むしろきちんと話も聞けるものであることも知っている。十把一絡げに考えることはできない。ただ、制度としての学校というものは、どうしても個別に細かく対応するというのは苦手である。一人一人を呼んで話をすれば、じつにいい生徒であることがほとんどなのである。それが、集団になると「みんなで渡れば怖くない」式の風潮にすぐに押し流されてしまう。つまり、周囲の影響をダイレクトに受けやすい傾向を持っているのが、現代の生徒ないし現代の日本人なのかもしれない。でも、これは日本人だけに限るまい。わたしたちは、毎日「メディア」に確実に操作されている。

 わたしに、このおしゃべりすぎる生徒たちをおとなしくさせる具体的な方策は、残念ながら今は頭に浮かんでこないが、本当に学期に1・2回の式で、校長やらの話をシーンとして聞かなければならないというほうが、無理難題のような気がするのだが、こういう考えは間違っているのだろうか?ちなみに彼らは、授業などは多少うるさいときもあるみたいだが、大体は静かに取り組んでいる。本当は静かになどできるのに、彼らはじつは人を見て行動していると、考えた方がいいようにおもえる。つまり、話す方が彼らになめられているのだ。なめきっている人の話を人は真剣に聞くことはない。これは、動物なら当然の反応である。人間も同じ。歌の文句ではないが、人間「なめられたらあかん」。なめられないためには、最初にきちっと本当の実力をおもい知らせておく(べつに脅す必要などないし、こけおどしなどすぐに見抜かれてしまう)ことと、簡潔にわかりやすく短く話すこと、常日頃から頻繁に話をしていること、生徒に媚びる必要はないがやさしく接すること、などなどが積み重なっていれば、たまにおこなう式の際にも生徒たちは、何もいわなくてもしっかりと話を聞いてくれるものと考えるのだが、これじゃやっぱりダメかな…。

 これって、どうも自分自身にいっているみたいな話になってしまった。まずい、明日からの授業で、早速これが試されてしまう。雑談はできる限り少なくして、ビシッと授業の内容を的確に簡潔に解説し、生徒が「わかった!」といえるような授業をしよう…とおもう。でも、そんな授業ばかりができることなど夢みたいなことだ。あまり無理をせずに、自分のできる範囲でやるしかないよな。現実は。

■2003/08/31(日) 08:14


 きょうで、夏休みも終わり。といっても、この夏休みに実際にどれくらい休みを取ったかというと、それほどでもない。7月中は全部出勤だったし、8月上旬の夏山は、法律で決められている「夏季休暇」5日間を利用した。新盆の帰省は、全部「年休」を使った。いわゆる、教員の夏休みとおもわれている休みは1日も取らなかった。それ以外は連日、部活動があり、取りたくてもとれないのが現実だった。

 本当は、もっと自分の勉強のためにも、いろいろな研修もしたかったが、残念ながらできなかった。唯一、研修らしいことができたのは、8月の22日・23日に東大の弥生講堂でおこなわた日本物理学会の科学セミナー「宇宙を見る新しい目」というのに出席できたことだけだ。当然これは、自前で参加したので、5000円出費したが、いい内容だった。とてもよい体験ができたとおもっている。この内容については、後日また報告をしたいとおもっている。パソコン関係での講習でも受けたいものはあったが、結局時間の取れないままで、断念した。

 夏休みというと、教員はのんびりできるとおもわれがちであるが、わたしは休みの取り方が下手なのか、ゆっくりとした休みはいつも取れない。教員の中には、しっかり休みを取っている(研修の取り方でできるらしいのだが)人もいるみたいであるが、わたしにはそういう知恵がないため、ほとんど動きっぱなしであった。これでは、いずれやってくるであろう「定年後」に、のんびりとした生活などおそらく耐えられないのではないかと考え込んでしまう。今のうちから、トレーニングを積んでおかないと、毎日が日曜日みたいになってしまう日々はきついだろうな。趣味で毎日を送れるほどの器量はないし…。当然、お金もない(一説ではわたしたちの定年時には退職金も出ないかもしれないとのこと)。まあ、元気で定年を迎えられると決まっているわけではないから、せいぜい精神的・身体的な健康を何とか維持して、あとはそのときはそのときと割り切るしかない。今から準備といわれても、実感もないし、定年後のことを考えながら仕事する器用さも持ち合わせてはいないから、今はできる仕事に精出して取り組むしかない。

 明日から、2学期。わたし自身は、もう8/18から通常の勤務にもどっているから、スタンバイOKである。ただし、夏休み中の気持ちはふつうの勤務時のときとはちがうため、ちょっと気持ちを引き締める必要はある。気持ちのエンジンはなかなかかからないけれど、自然にそうなっていくだろう。

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