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雑感2004




■2004/12/30(木) 16:32 冬

 昨日から、職場も休業になり、正月3日までは立ち入りができなくなった。自宅で過ごすしかないので、昨日のうちに年末の大掃除をしようとおもっていたら、雪混じりの寒い一日になってしまい、とても掃除する気力はでなかった。それで、何をしたかというと、こたつ(我が家にはこたつはないが、カーペットの上にこたつのように座卓をおいて布団をかけて代用している)もどきの中に身体をつっこんで、ゴロゴロしながら本を読んでいた。パソコンをするにも、火の気のない二階は、それでなくても寒いし、とても長くはやってられない。ストーブなどほとんど出したこともないので、まだ灯油すら買ってない。家族からもとくに文句もでないので、そのままにしている。エアコンで快適な生活をしている人からみると、ちょっとどうかしているとおもわれるかもしれないな。でも、夏は暑い、冬は寒い、それで当たり前とおもっているわたしには、とくだんどうともかんじていない。寒いときは、日本酒を飲んで、風呂にはいって、すぐに寝るだけだ。

 こういう生活では、早朝の寒いときはちときびしい。ただ、朝はちょっと散歩したり、体操でもしていると、多少は気晴らしになる。あとは、あちこち動きながら本を読むのがいい。この冬は暖冬らしいが、1月になるともう少し寒くなるだろう。でも、それもほんの短い期間だ。季節はおもったより早くめぐるので、気がつくと温かくなっている。できるかぎり、自然の気温をそのままにかんじて生活したい。それが、我が家のやり方でもある。とくに、家族と相談してやっているわけでなく、自然にこうなっていた。こんな調子なので、自宅の環境がいいとはいえない。でも、これに慣れてしまっているので、もう変えられない。下手に変えると、多分体調を崩すのでないかとおもう。人間、慣れが一番怖い。大体のことには慣れる。この冬もこれで乗り切ってゆくのが賢明であろう。

■2004/12/23(木) 15:15 年賀状

 昨年末は、喪中のため、久しぶりに年賀状つくりはおこなわなかった。11月の終わり頃から、喪中はがきをすでに出していたので、お正月は静かに迎える態勢でいた。そして、本当に静かな年末年始であった。

 今年は喪もあけたので、きょうの休みを利用して、年賀状つくりに取り組むことにして、スケジュールも空けておいた。9:00くらいまでのんびりと過ごし、さて、年賀状の宛名でも印刷するか、と準備にはいった。まずは、プリンタを久しく動かしていないので、不安もあり、点検してみた。印字のテストをしてみて、ショック!ここ半年、家ではまったくプリンタで印刷していなかったので、肝心の「黒色」がまったくでない。「まずいなー、これは…」とヘッドクリーニングを数回かけた。以前は、それですぐに直ったから。と、と、ところが今回はどうも変だ。何度やっても黒が印字されない。インクは先日買ってきて、新しいのをいれたばかり。あれやこれややって1時間ほどいじくりまわし、それでもラチがあかないので、友人の佐々木くんに電話で相談してみた。そうしたら、「インクジェットの黒は長い間つかっていないと、ヘッドのところのミクロの穴がつまってしまうことがよくあるよ」とのこと。しかも、わたしはインクタンクを入れるカートリッジホルダーはもう売っていないとおもい込んでいたので、これではまた新しいプリンタを買わないといけなくなってしまう、と焦ってしまった。OSの問題もあるので、新しいプリンタでは、はたして動くかも心配。今日中に宛名だけでもとおもっていたのが、どうも暗雲が垂れ込めてきた。

 心配していても仕方ないので、とりあえず近くの家電ショップを覗いてこよう、と車で出かけてみた。まずはインクのコーナーへ。すると、「あれ?これって、カートリッジホルダー付きのインクじゃないのか」と家で見慣れたのをみつける。もって行ったプリンタのマニュアルで確認すると、まちがいない。値段は\3500ほどだが箱の説明にはホルダー(これにヘッドが付いている)とインクが入っているものだ。これで、もし印字ができないときは、痛い出費になるが新しいプリンタを買うしかない。急いで、それを買って帰宅した。プリンタにセットして、まずは、ノズルチェックパタンを印刷してみる。さきほどまでは、これに黒色がまったく印刷されなかった。今度はどうか。ヘッドがシャカシャカ動いて、紙が出てきた。「オォ!うまく出てきた!」、当たり前だがじつにうれしい。これで、準備はできた。あとは、フリーソフトの「年賀じょ〜ず」というソフトで(これにデータはすべて入れてある)宛名の印字をはじめることにする。紙の設定をかえて、オートシーダーをはがきに変える。給紙の厚さをはがき用にして、さっそく試し印刷。1枚だけやってみると、きちんと所定の場所に郵便番号・住所・宛名・差出人住所・わたしの名前などがきれいに印刷されて出てきた。郵便番号のずれを少し調整してから本印刷にはじめることにした。40枚ずつ年賀状を入れて、印刷をはじめるときれいに印字されて出てきた。あとは、これの繰り返し。全部で70枚ほど印刷して、あとは予備に取っておくことにした。今日中には終われないかとおもっていたが、何とか13:00頃には終えることができた。少し乾かして、1枚ずつコメントを少し入れて、25日前には投函しようとおもう。

 今回は、不用意だったと反省した。インクジェット式のプリンタ(職場で使っているのはレーザープリンタだが…自分用)で半年以上も放っておいたら、ヘッドの穴がつまってしまうことは予想できたはずであるが、毎日パソコンを使っていて、まったく意識にのぼらなかった。自宅では印刷することなどほとんどないので、つい忘れてしまっていたのだ。プリンタは大切に使えば、これからまだまだ使える。今回の件は、自分でもかなりのショックだったので、今後は用はなくても、印刷してみることを日課にしようと壁に張り紙をした。1年1回の年賀状印刷では、プリンタはすぐにだめになってしまうのだ。あぶないところだった。

■2004/12/22(水) 10:17 第九

 山仲間で同郷のYさんはいつもシャレたことをする。先日の日曜日、朝8:00ごろに突然電話してきた。わたしはとっくに起きていたが、まだまだ寝足りないカミさんは当然まだ布団の中。電話にでると、「きょう、昼頃に会わない?ちょっと話したいこともあるし…」とお誘い。HPの更新作業もちょうど前日に終わって、ゆっくりと日曜日が過ごせるとおもっていたところで、とくにこれといって用事はない。暇といえば暇である。そこで、「いいよ、どこで会う?」と相談。いつもの横浜西口交番前ということで話はついた。

 時間に間に合うように昼過ぎには家をでて、所定の場所に行く。少し探すと、彼の姿を見つけた。わたしは、てっきり飲みの誘いだとおもっていたので、昼ごろからやっているところは、行きつけの店しかないと判断。そこへ行こうか、と話すと、じつは別の用事で呼んだとのこと。「エェ!何…」深刻な話でもあるのかな。そのとき、彼がおもむろにわたしに「これ、行かない?」と何かのチケットを出した。それは「読売日響 横浜「第九」公演」のチケットだった。それも、A席\8000のである。「これ、あげるから一緒に行こう!」ということだった。コンサート会場は横浜みなとみらいホールだったので、まずは桜木町駅まで電車で行くことに。それにしても、内心おどろいた。まさか、コンサート…それも時期もちょうどのベートーヴェン「第九」のころ…への誘いだったとは。そんなことは知らないから、じつにラフな格好で出かけてきたので、もう少しましな格好でもしてくればよかったとおもったが、すでに遅し。まあ、コンサートを聴くくらいで大げさにする必要もあるまい、と居直る。

 ホールにつくと、これまた知り合いのW氏も娘さんと来ており、Yさんからの招待とのことで、じつにこまめな彼らしい。久しぶりのクラシックで、しかも席は前から3列目とぜいたくなものである。合唱を担当する武蔵野音大の学生さんたち・読売日響の楽団員の方々が席につくと、いよいよ指揮者の方が登場した。外国人のマンフレッド・ホーネックという方であった。演奏は気合が入っていて、じつによかった。第4楽章の合唱に入る前に、ソプラノ・アルト・テノール・バスの独唱者が登場。ソプラノは何度も聴いている佐藤しのぶさんだった。薄い青色のドレスがきれいだ。最後の最後まで盛り上がりがあり、年末にふさわしい演奏になった。何といっても、生演奏で聴けるのは最高のぜいたくである。ベートーヴェンも好きなので、十分に堪能できた。それにしても、こういう突然の誘いでもないと、最近では自分でチケットを買ってクラシックのコンサートに出かけることなどないから、とてもラッキーなお誘いであった。演奏会が終わり、耳の奥で響く余韻にひたりながら、横浜西口の上記の店に直行したのはいうまでもない。彼といろいろ話して、適当な時間に帰宅した。いい音楽とうまいお酒、これに優るものはそうはない。彼の誘いは、いつも唐突だが、粋でシャレている。こういう誘い方はわたしにはマネできない。いい友をもった。

■2004/12/17(金) 08:00 盗難

 残念ながら、わたしの勤務している高校でも盗難がじつにおおい。昨日もクラスの男子の財布から1万円が盗まれた。しかも、その財布は貴重品袋というのにいれて、わたしが物理室に鍵をかけて保管していたものである。本来なら、最後のHRまで返却しないでおけばよかったのだが、途中で何人かの男子生徒がお金を出したいといってやってきて、わたしの仕事している隣で財布を出してもっていった。おそらく、状況からかんがえて、そのときに抜き取った者がいるはずである。急ぎの仕事だったため、それらの男子生徒がだれだったかは、全員を特定できない。また、特定できたとして、お金に名前など書いていないから、「これはぼくのです」といわれればどうしようもない。クラスの生徒なので、一応は信頼していたのだが、やはりこういう手癖の悪いものはどこにでもいるので、油断したわたしが悪かった。生徒を信頼するなどといっても、こういうことは何度もあったので、とても生徒が善良であるなどと信じることはできない。こういう点はふつうの人間社会一般となんら変わりはない。靴をとられた、財布を取られた、自転車をとられた、携帯電話をとられた、等々頻繁にある。これは、勤務している高校だけでなく、近隣の進学校でも同じである。学力のレベルとはまったく関係がない。むしろ、上位のレベルの学校ほど、悪知恵もはたらくのか、おおいという話はよく聞く。

 生徒たちは「とられた」とよく口にするところに、この手の犯罪を無意識に許しているような風潮になっているとかんじる。これは「盗難」であり、立派な「犯罪」なので、当然、社会的にもやったものは「犯人」である。現場を見つかれば、窃盗犯として警察のご厄介になる上に、ほとんど退学である。やっている当人たちにはそれほどの切迫感はないとおもう。それは見つかって、ようやくその現実に気づくのがふつうであるのをみてもわかる。学校の体質としても、そういう犯罪を内部で「穏便に処理する」傾向があるのだが、わたしは即、警察にお願いしてもいいとおもっている。学校は確かに生徒の失敗を大目に見て、教育していく場所ではあるかもしれない。しかし、「犯罪」に温情は必要ない。「泥棒」はどの視点から見ても「泥棒」でしかない。わたし自身も公務員という立場なので、「税金泥棒!」といわれないように、それなりには努力している。それにしても、社会全般の雰囲気はいろいろな「泥棒」が横行しているみたいで、何とも情けない。

■2004/12/13(月) 07:55 山岳会の忘年会

 毎年恒例の山岳会の忘年会へ泊りがけでいってきた。土曜日の午前中に出発して、これまた例年通りの宿に泊まっての忘年会である。電車に乗り込むと、すぐにビールで乾杯。つまみを出して、そのあとは日本酒での宴会だ。幸い、こんな早い時間帯には乗客も少なくて、静かに紳士的にふるまっているわたしたちのグループの宴会が他人さまの迷惑になるようなことはなかった(とおもう)。電車で昼ごろから飲んだせいか、目的地の駅に着いたときには、そこそこにいい気分になっており、徐々にできあがりつつあった。わたしは、この忘年会で、来年度の山のことも話そうかな、とおもっていたが、電車を降りるころにはそれもわすれてしまっていた。新年会でもはなしはできるからだ。ただし、夏山の記録と毎年つくっている「山岳会のあゆみ」はしっかり袋に入れて、参加者にくばった。

 宿につくと、さっそく浴衣に着替えて、温泉モードに変身。今回は、部屋の外に露天風呂があるというありがたい部屋になったので、早々にひと風呂あびることにした。大きくはないが、気分のいい風呂で、満足。もちろん、風呂からあがるとまたビールをいただいた。メンバがそれぞれ好きな風呂(大浴場・露天風呂もある)にはいっておちつくと、さらに全員で乾杯である。まだまだ陽は高い時間帯であったが、何の遠慮もなくのんでいた。わたしも日本酒を2リットル、つまみもどっさりもってきた。他のメンバも焼酎・ビールなどを買い込んできていたので、いくらでものめる。その調子で18:00からの正式な宴会時間になるころには、ほとんどできあがっていた。ほかのメンバーもこの夕食で、一体何がでたのかは、記憶にないみたいである。ただ、値段にしてはすごい内容だったみたいで、「旨かった」という印象はふしぎとある。食事がおわり、部屋にもどっても部屋に最新のカラオケセットがおいてあるので、遠慮なくつかい、歌いまくった。日本酒もたくさんあったためか、飲みきれないほどである。若い頃からの長いつきあいだけに、こまごまとしたことは気にせずに、楽しく飲んだ。わたしはのんびりとじっくり飲むの好きなので、そうしていた。

 まだ22:00前には、完全にできあがっていたようで、ひとりまたひとりとちゃっかり布団の上に寝そべりはじめてしまった。わたしはまだまだ飲んでいたが、気がつくと他のメンバーはしっかりいびきをかいて睡眠モードになっていた。仕方なく、飲み残したアルコールの後片付けやコップを洗ったりしてから、布団の外で寝ているひとは布団に移動させて、一通りの片づけがおわったところで、歯磨きをしてからいつも通りにねた。こういうとき、暴れるひとがいないだけでもたすかる。

 翌朝も何とかいつもよりはゆっくり寝たが、それほど酔いも残さずに起きれた。朝風呂につかり、温泉での気持ちのいい朝をあじわった。朝食もおいしかった。ふだんは、朝食も昼食もたべないが、こういうときは、無理に自分のパタンは通さない。素直に周囲にあわせる。いつもなら、宿からの帰りには、軽いハイキングをして小腹を空かしてから、磯料理の店で黒潮定食とかいうのをたべながら少しのむのだが、今年は珍しく雨。無理をしないで、そのまま横浜までもどった。そこで、最後の宴会。ここもなじみの店なので、本当にかるくのんで、昼すぎには自宅にもどった。おそらく、泊りがけで忘年会をしなくても、1次会・2次会・3次会…とやっていれば、同じような費用がかかってしまいので、かえってこのほうが安あがりだとおもう。しかも温泉につかりながらの宴会だから、気分は最高である。来年もまた同じ宿で、同じ時期に忘年会をするだろうが、こうしてみんなが元気にあつまれることは、じつにうれしい。飲み食いより、それを確認しに忘年会をしているような気もする。

 まだまだ忘年会もあるだろうが、この山岳会の忘年会をおえると、1年がもうすぐおわるなーという気分になる。それにしても、わたしもふくめて、みんな年々お酒に弱くなっているのをつくづくかんじた。

■2004/12/10(金) 08:02 試験と指サック

 きょうで、2学期の期末テストがおわる。わたしの勤務する高校では、ここしばらくは3学期制をとるみたいなので(2学期制の利点は、ほぼ何もない)、冬休み前にテストを終え、2学期の通知表をもらって休みにはいる。ごく、ありふれた年間行事である。テスト期間中は、ほとんどの部活動もないし、学校本来のすがたにもどったようで、わたしは好きである。もちろん、テストにいたるまではテスト問題の作問(今年は3つ作っている)とそのチェック。そして、正解作り。テストが終わると採点。テスト返却。採点ミスの修正、などなどをへて、ようやく2学期の成績をつける。テスト期間中は、精神的には多少はゆっくりできるが、採点作業(作問よりこちらのほうがわたしには疲れる)は、学校内でおこなうのが原則であり、集中力のたりないわたしは、となりにある物理実験室に採点に必要なものだけをもって移動して、そこで雑念をはらいながら作業する。それでも、4時間ほどつづけると目・肩・腰が痛くなり、どこかの薬の宣伝文句のような状態になる。生徒時代には、テストを受けるだけだったし、まさか、こういう裏側はしらなかった。まあ、気楽なものだった。

 試験中はテスト監督表にしたがって、テストの監督につく。テスト開始5分前にはクラスに行き、まず生徒の列ごとの枚数ずるプリントを分けておく。このとき、最近では「指サック」をもっていく。若い頃には想像もしかなったが、ここ数年、テストの問題配布のときに、指の湿り気がまったくなくなってしまった。そういえば、学生時代の頃まで、どうして教師は指につばをつけて、用紙を配布するのかわからなかった。今では、痛いほどにわかる。もう、指先までカラカラの状態になってしまっていたのだ。生徒に配布する問題プリントにつばをつけて数えるのも悪いような気がして、わたしは、「指サック」を白衣のポケットにいれておいてつかうことにしている。これだと、いちいちペロペロ舐める必要もないし、女生徒からも嫌われない。子どもの頃は、指サックの意味はわからなかった。でも、この歳にして、あのときの先生方の苦労もわかるようになった。わたしじしんは、子どもの頃からどちらかというと、手が湿気でむしろ気になるほうのタイプであったが(現在の末娘がそうだ)、今はしっかりと中年おやじになって、心も指先もカラカラである。人間が使う道具には、その年台にならないとどうして使うのかわからないものがある、とこの歳になって気づいた。老眼鏡もしかり。こうして、いやがうえにも自分の年齢をかんじながら年老いていくのだろう。落ち込みはしないけど、ちとさびしい。時間はとめられないし、これまた、仕方のないことだ。

■2004/12/04(土) 20:21 嬉しいけど少々つらい

 昨日(2004/12/03)は、午前中「優良教職員表彰式」とかいうのに行って、表彰状をもらってきた。べつに、わたしが優良な教員というわけではなくて、ただ問題沙汰になるような事件も起こさず、四半世紀以上も勤務したというので(これはわたしにしてみればすごいことなのだが…)、多くの同世代の方々と一緒に県教育委員会のお偉いさんたちからありがたい祝辞を頂き、そして、賞状をもらってきた次第。これに出席するために2コマの授業を自習(課題プリントは作った)にせざるを得なかったのは、生徒に誠に申し訳ないことをした。まあ、長い教員生活で一度しかないことなので、勘弁してもらいたい。しかし、よくもまあ、飽きもせずこれだけ勤めたのには、我ながら驚いている。おそらく勤務先を点々と変えたのが、幸いしていたような気がする。それよりも、この歳まで自分が生きているなんて、学生のときには想像もできなかった。ま、それはいい。

 表彰式の会場からは、寄り道もせずに職場に昼過ぎにもどった。午後に1コマの授業があったので、これはふつうに授業をしようとおもっていたからだ。2年生の物理Tという授業だったが、「物体の重心」の求め方を一応ていねいに教えた。どのみち、まったくわからん生徒もいたであろうが。授業が終わると、テスト前というので、何人かの生徒が質問してきた。当然である。それらの生徒にはこれまたできる限りていねいに説明した。これが終わると、自分のクラスの帰りのHRに行った。連絡事項を手短に話すと、あとは清掃もそこそこに放課にした。来週はいよいよ期末テストもはじまる。

 出席簿の整理と日誌への書き込み、職員室の出欠席黒板への記入等を終えて、やっと一息つけるかな、と物理室に戻っていった。きょうはこの時間まで、コーヒー一杯も飲んでいない。階段を昇って部屋の廊下を見ると、何だ!生徒の一団がいる。そうだった…、きょうの放課後、「質問したい人は来なさい」なんていってしまっていたのだ。もう観念して、物理実験室のドアを開けて、生徒を入れた。試験が近づいてるからかもしれないが、これだけ真剣に質問に来る生徒たちがいるのは、教師としては冥利に尽きる。が、ちょっとシンドクもある。が、おくびに出さず、それから1時間近く、生徒の質問に答えた。本当のことをいうと、このとき、わたしはこんなに生徒が来るとは思いもせずに、ある用件のために1時間の年休を取っていたのだが、そんなことは生徒に話しても仕方ない。黒板を目一杯使って、細かい計算をしてみたり、関係する数学の知識を教えたり、のどを嗄らして教えた。とくに「圧力」についてのかんがえ方がよくわかっていない生徒が多いみたいで、くどいくらいに説明した。何人かの生徒は「なんだ、そうか!」と納得してくれたみたいだが、すぐには理解できない生徒もいる。こればかりは、その生徒のキャパシティーの問題なので、おいおい理解できるだろう。わからないことを粘り強くかんがえつづける能力もまた才能の一つなのだ。時間も気になってはいたが、こういう生徒がいることを嬉しくも感じた。願わくば、試験前にだけ来るのではなくて、普段の授業のときにこれだけの質問をしてくれていれば、理解度は飛躍的に伸びるものを…と少しの残念さも。ま、これは自分も同じであろう。まだまだ質問が一杯ある生徒もいたようだが、キリがないので、頃合いを見計らって終了することにした。時間はもう少しで17:00だ。わたしの年休の時間はきれいに消えていた。生徒の真剣さには嬉しい気持ちであったが、少々つらい質問責めでもあった。これが、この仕事の時間で割り切れない面である。授業時間だけで片がつくのなら、だれも苦労はしていない。生徒のことを責める気はないし、質問しに来てくれただけでもありがたいことなのだが、これをビジネスライクに時間で打ち切る勇気のない自分は仕事人としてはどうなのかな?と少しかんがえてしまった。

■2004/11/30(火) 07:48 忘年会

 今年も忘年会シーズンがやってきた。先の土日は湯河原に泊り込みの忘年会に出た。もう18回目くらいになる「長ーい」忘年会だ。わたしは、その職場には種々の都合で3年間しかいなかったのだが、気の合う同僚が多かったせいか、今でも付き合いがあり、毎年恒例の「ビシッと決めよう会」忘年会に参加させてもらっている。幹事をしてくれているFさんは、新任としてわたしのクラスの副担任として来てくれた人である。長い間、幹事をしてくれているのには、本当に頭が下がる。こういう人がいなければ、この忘年会もどこかで立ち消えになっていたにちがいない。やはり、まとめ役をきちんとしてくれる人が大切なことをつくづく感じる。よく、持ち回りでとかいう会があるが、そういうのはどこかで消える。そういう集まりに対する「重みづけ」は人さまざまなので、重要だときちんと認識している人が継続してやってくれるのが理想である。もちろん、その人には負担がかかるのだから、周囲の人は多少は気を使うくらいのことをするのは当たり前である。

 職場でも忘年会はある。が、どの職場でも年々出席率も落ちてきていると聞く。出席は自由参加になっているし、個人主義が徹底している現在では、各自がいくらでも口実をつけて、欠席することも可能だ。第一、「忘年会」をする意味すら、もう気迫になっており、「そんなのいちいちやってられないよ」と平然と口にする人もいる。別にやらなくても、仕事とは関係ないのだし、全員が面倒くさいと感じているのなら、やる必要などない。わたしもそうおもう。個人的には、親しく付き合っている人たちと、年末の一時を過ごすという気持ちで、気持ちよく飲める忘年会なら、何もごちゃごちゃいわずに黙って参加する。気づかいやお付き合いで、自腹を切ってまで忘年会に出ようとはおもっていない。

 それより、この時期は忘年会が重なることが多いので、わたしは一番先に予約の入った忘年会を最優先している。後から来たものは、申し訳ないが断ることにしている。物事には優先順位をつけてやるようにしているので、忘年会も同じである。わたしの山岳会のように、すでに1年前に日程の決まっているものは、最最優先である。ズボンの後ろポケットに入れているボロ手帳に一番先に予定の入ったものが、最優先になる。あとのものは、身体が2つあるわけでもないので、無理などしないで、事務的に断る。これで、人間関係とかいうのが壊れるようなら、それほどの関係は壊れても仕方ないとおもっている。

 年々、参加する忘年会も少なくなっている。でも、厳選しているので、それぞれの忘年会に悔いはない。やりたい忘年会は一人でもやる。そういうつもりでいる。

■2004/11/25(木) 08:00 いも煮会

 一昨日の23日(祝日:勤労感謝の日)に、わが山岳会恒例の「いも煮会」をおこなった。今回は、場所を変えて、指原さん宅をお借りしてやることになった。例年なら、わたしの自宅でおこなっている(元々はじめたのがわたしだから)だが、今年は多摩川の近くもいいだろうと、蒲田に住む指原さんのところへ集まることになった。今回の参加者は、わたしの友人もいれて、計6名だった。この人数は、ほぼ毎年固定しているみたいで、山岳会のメンバーが全員そろうことはない。みなさん職場も違い、仕事環境もちがうため、どうしても用事で出れない人がでてしまう。まあ、定年後も全員元気でいれば、そのうちそろうこともあるだろう。

 いも煮会は、主に東北地方でやられているようで、関東では聞かない。わたしの実家のある会津では、稲刈りが終わり、秋の収穫がほぼ終わった頃に、集落の人たちが近くの河原に集まって、大鍋に里芋をメインに種々のきのこ類やダイコン・シラタキなどをいれ、豚肉をさらに加え、醤油味にして煮立てるのだ。それを肴に飲み会をするというのが「いも煮会」である。近年では、故郷の会津でもあまりやっていないのかもしれない。近くの山形では、豚肉ではなくて、牛肉を入れ、醤油味。宮城では豚肉を入れ、味噌味のようだ。今回は宮城風というので、味噌味である。前日から煮込んでいたということで、いい味を出していて、旨かった。昼前から飲みはじめて、夕方まで延々と飲んで、食べて、何やら話していた。内容はよく覚えていない。せっかく多摩川が近くにあるので、みんなで腹ごなしに、河川敷を歩いてみた。おもった以上に川幅もあり、大きな川である。こどもから大人までのんびりと過ごしているみたいで、久しぶりにゆったりとした気分に浸ることができた。川って本当に不思議なものだ。いも煮会も本来なら河川敷でやるのがいいのだが、このところ面倒くさくなってしまい、いつの間にか屋内でやるようになってしまっている。

 翌日の仕事もあることなので、夕方には早々に終了した。横浜方面にゆくメンバー(もちろんわたしも)は途中でまたまた回転寿司などに寄って、懲りずに飲んでしまった。年に1回こういう恒例の行事があるのもいいとおもう。とくに、何かの用事で集まるわけではないし、気分的にもゆったりできるので、これからもつづけてゆきたいとおもっている。人数は減るかもしれないが、わが家の者だけでもできるから。以前は職場でもこういう企画ができたのだが、最近の仕事環境ではとてもやれる雰囲気はない。人間関係も希薄になっているので、こちらも無理に企画をしようとはおもわない。やはり、仕事以外での人間関係のほうが長続きするように感じている。

■2004/11/21(日) 19:16 教科書

 以前に勤めていた中学校・高校ももう過去の想い出の一こまになりつつある。次に転勤することがあれば、年齢から鑑みて最後の勤務校になるだろう。現在の勤務校でもそうであるが、生徒は「教科書」をほとんど読んでいない。彼らは「教科書問題」など眼中にないであろうから、教科書を故意に読まないというわけではなくて、読む習慣がないのであろう。じつにもったいないことである。教科書は国内の小・中・高では建前では一応使うことになっている。私学などでは全く無視しているところもあるやに聞くが、公立学校では文部科学省や都道府県教育委員会に気を使ってか、一応は使うことになっている。わたしも、新年度を迎えるときには新しい教科書をもらい、一通り目を通してから、自分の教科作戦をかんがえている。

 わたしの実家には、本と呼べるようなものはあまりなかったせいもあって、わたしは教科書はじつに好きだった。とくに、新年度になって新しい教科書を購入する(私の世代は有料だった!)と、買ってきた教科書を手当たり次第に読むのがとても楽しみだった。そういうのに飢えていたのか、まるでスポンジに水を滲みこませるように、何の義務感もなく、楽しく読めた。その教科書がいいとか悪いとかはわからなかったが、あの新しい本のインクの臭いは今でも好きである。日本での教科書は、教師が教えることが前提になっているため薄いといわれている。それもあってか、本気に集中すると1日で全部読んでしまう教科もあった。何度か繰り返して読むから、小学校や中学校ではけっこう授業中はぼんやり外を眺めていたりと、少しは楽ができた。高校では、自然科学の方面の教科に関心が移ったために、この教科書読みもある程度はおさまったが、それでも教科書は好きである。歴史の教科書はよく問題になるようだが、そんなことはわたしには関係ない。別に教科書を信じて読んでいるわけではないからだ。本としては無駄が少なくて、手ごろにまとめてあり、いい。わたしの専門である高校の物理でも、教科書を隅々までしっかり読み込んでいれば、まず大抵の大学には進学できる。教科書はその辺の要約本などよりはしっかりしているのである。

 教科書検定が問題になる。とくに歴史関係の教科書で。わたしにはそういうのは正直なところどうでもいい。読んで面白い教科書なら、それだけの価値はある。たとえ、思想的にどうのこうのという問題があったとしても、教科書だけで一生を終えるわけでなし、いずれどこかの本と食い違いは出るだろうから、そのときが本当の勉強である。「教科書など」とあなどって、よく読みこまない生徒・教員も多い。まずはきちんと読み込んでから他の本に当たると、教科書は意外によくできているのがわかる。これは、大学での専門的な本を読むときにもけっこう役立つ。わたしは、今もって大学時代(直後)に購入した「ファインマン物理学1〜5」「現代物理学の基礎全12巻」(いずれも岩波書店)を読みつづけている。おそらくこれが、わたしの物理学での限界(壁)だとおもう。同じ本を何度も繰り返して読み、さらに読み込む。これが、いかに面白いことかは、すでに経験されている方も多いことだろう。教科書を捨ててしまう人が多いようだが、本当に捨てていいほど教科書を読み込んだのだろうか?もし、そうなら、それはきっとかなりの財産になっていることだろう。

■2004/11/16(火) 10:14 自動車任意保険のありがたさ

 昨日、わたしの家内(ふつうはカミさんと呼んでいる)が運転する車が事故に遭ってしまった。信号で停止しているところを後ろから追突(いわゆる”おかまを掘る”)され、車の後部がかなり損傷を受けてしまった。幸いにしてカミさんにケガはなかったが、後で出てくることのある「ムチ打ち症」もあるから、しばらくはようすを見なければならないだろう。相手の方は高齢の男性の方で、止まるタイミングを逸してしまったのかもしれない。その方を責める気持ちなど全くないが、こういう交通事故になると事故を起こした方も被害に遭った方もどちらにしても、心労が溜まる。わたし自身も加害者の立場になったこと(これまた、居眠りによる後ろからの追突)があり、保険会社の人にお任せしたものの、そのショックは大きく、しばらくの間、車の運転が怖かった想いがある。事故を起こした車はそれを機会に売ってしまった。

 現在では、交通事故はありふれた日常のことになってしまった感があり、事故が起こってもほとんど保険会社に任せて、自分が事故の相手の方と直接に交渉するということはない。人身事故で相手の方を死亡させてしまったというような深刻な場合は、そうもいかないだろうが、それ以外なら、保険会社と車のディーラーに頼んで、事務的に交渉してもらうのがふつうだろう。自分もはじめての事故のときは、気が動転して、眠れない日々を送ったこともある。今では、変に慣れてしまったのか、保険会社に電話を入れて任せてしまうと、夜も高いびきで寝ている。こういうのに慣れるというのもかんがえものだが、あまり深刻にかんがえても仕方のないことでもある。車に乗っていれば、いくら自分で気をつけていても、相手のあること。今回のケースのように向こうから追突されればどうしようもない。本当にこういうのは「お互い様」なのである。もう追突された車は修理に出してしまったし、代車も来るとのこと。とくに不便になるわけでもないので、助かった。保険のありがたさはこういうときには感じる。これで、相手の方が保険に入っていなかった場合などは、こちらの保険を使うしかないので、大変なことになってしまう。そういうケースを身近に知っているので、保険に入ってくれていただけで、ありがたい。保険会社から電話があって、ほぼすべてのことを任せて、ホッとしている。

 自動車の事故はだれにでも起こりうる。そのときの保険は本当に助かる。過ぎてしまえば忘れてしまうことなので、ここに記しておきたい。別に保険会社をヨイショするつもりなどないが、たしかに助かるときもあるということを…。

■2004/11/12(金) 07:59 独り酒

 ときどき、帰宅途中で大和駅前の酒処で軽く飲んで帰ることがある。以前は、独りで酒を飲みに行くことなどなかった。最近では何の待ち合わせもいらなくて、飲みたいだけ飲んで帰れる”独り酒”が気楽でいい、とおもっている。いつも頼むメニューは決まっている。ビール(瓶)と豆腐(湯豆腐or冷奴)と手羽先である。これで、締めて1200円ほどだ。まず、1500円を超すことはない。時間にして、30分。自分にとっては憩いの時間である。独りで決まった席に座り、決まった常連の方たちの会話に耳を傾けながら、自分のペースで飲む。ここで飲んだカロリーなどそのあとの歩きで飛んでしまうだろう。好きな日本酒は帰宅してゆっくり飲む。

 だれかと待ち合わせて飲むのも好きであるが、最近では相手に気を使いながら時間調整をして飲むことが、どうも面倒くさくなってきた。独りで飲むのは自宅での晩酌と同じ感覚で気楽になのがいい。飲みながらの会話が楽しかった40代までとは、飲み方が変わってきたらしい。職場で気軽に誘える人もいないし、それにみなさん車通勤の方が多い。「今度の何曜日何時からどこそこで」などと予定を組んで飲むなんてことは、わたしには面倒くさくてかなわない。飲みたいときに即効で飲めるのが一番だ。それには、独り酒にならざるを得ない。でも、これでいいとおもう。職場などいずれ時がくれば離れるものだし、独りになっても酒を飲む楽しみはつづけてゆきたいので、今から練習をはじめているみたいなものである。

 めっきり酒も弱くなった。というより、もうふつうの人が一生に飲むくらいの酒はとうに飲んでしまったようだ。あとは、ちびりちびり独りで飲むのがいいのだろう。まもなく今月末からは忘年会も入ってくる。今までだと、一人で一升瓶を抱え込んで飲んでいたが、今年からはおとなしく節度をもって、飲みたい。身体のほうが正直だから、もうそれほどは飲めないだろうが。付き合いの酒やら、気兼ねしながらの酒など身体に悪い。親しい友と飲むか、そうでなければ”独り酒”のほうがいい。

■2004/11/07(日) 08:23 抜歯の恐怖

 昨日、20数年ぶりに歯を抜いた。左下の犬歯(糸切り歯)のすぐ隣奥の歯が8月くらいから、少しぐらつき始めていたのだが、ここ数日で歯根の辺が炎症をおこし、左ほほまで腫れてきた。ものを食べても痛いし、ちょっと上の歯と噛み合わせても痛くて、首から上全体が何だか気分のよくない雰囲気。一昨日はとうとう授業で話すのも難儀するありさまで、もうこれは歯科医院に行くしかない、と判断して、何とか以前通ったことのある歯科医院に予約を取りつけた。

 土曜日には物理の講習をしているのだが、それも今回は中止にして、歯科医院に向かった。あの恐怖の椅子に座り、順番を待っているときの気持ちは子どものときと変わりない。前の人の治療で聞こえてくる器具の音が恐ろしい。隣が静かになり、いよいよ、わたしの番である。お医者さんが、来て、口の中を見る。ピンセットで問題の歯を動かしている。その少し前に看護婦さんにX線を撮ってもらっていたのを見て、「これは抜くしかないですね」と一言。こちらもこの痛さがつづくなら、いっそのことおもい切ってとおもっていたので、「おねがいします」というしかない。歯の周囲に麻酔のついたガーゼを筒状にしたみたいなのを何個も入れて、しばらく麻酔。それが終わると、何やら青色のシリンダーみたいなものを手に持った。「ちょっとチクッとしますからね」といい、いきなり、歯の周囲に針を突き立てる。「来た!」と身を固くする。「力を入れないでくださいね」などといわれるが、そんなことできるわけもない。歯の根の奥まで針を突き立てられ、悶絶。左ほほ全体がしびれている。そして、ついに歯医者さんは先端が「へ」の字のように曲がったペンチを取り出した。もうダメである。「少し痛いですが、すぐ終わりますからね」などといいながら、歯をぐりぐり引き抜きはじめる。脳天に響くようなガリガリ音と痛みでさらに悶絶。「はいー、取れましたよ」と軽くいう。こちらはしばし壮絶な戦いのあとのような脱力。抜かれた歯は見ることなく、どこかへ消えて行った。

 抜いた歯のあとに筒状のガーゼをあてられ、グッと噛みしめるようにいわれる。力をいれて噛みしめるがどうも歯に力がはいらない。「30分くらいしたら、ガーゼははずしていいですよ」という看護婦さんの声。椅子から立ち上がり、受付で代金を払い痛み止め・可能止めなどの薬をもらい、医院をあとにした。帰りの車の運転はかなりきつかった。口の中には唾液が溜まり、しかも抜いた歯のあとが痛い。しばらくは、痛みがありそうだが、次第に痛みもおさまってくるだろう。しかし、来週からは今度は部分入れ歯(情けない…)の治療がはじまる。自宅にもどって、しばらくは放心状態がつづいた。少し痛みが薄らいできたのは、夜寝る前だった。それにしても痛かった。

■2004/11/04(木) 08:04 映画「隠し剣 鬼の爪」

 11/02(火)の夜9:15から映画のレイトショーで「隠し剣 鬼の爪」を観てきた。このレイトショーは夜9:00以降に上映されるもので、格安の上、夫婦のどちらかが50歳を超えているとさらに夫婦割引があり、一人\1000で観れる。これはとても助かるので、映画の大好きなカミさんと年に数回出かける。ちょうどこの映画がはじまり、前作の「たそがれ清兵衛」で好印象をもったので、その続編にあたるこの映画を楽しみにしていた。そこで、翌日は文化の日でお休みであることを利用して出かけてみた。いつもなら、この時間には寝てしまうところだが、酒席と映画のときは別である。映画館内はほとんど中年の夫婦だけで、それも5・6組くらいしかいなくて、じつに快適であった。座席のちょうど真ん中に座れて、まるでプライベートな映画館の雰囲気を堪能できた。

 映画の内容は、秘密である。題名の「隠し剣 鬼の爪」がどこで出るのかがわかってしまうと面白くないからである。永瀬正敏と松たか子が主演であるが、前作の「たそがれ清兵衛」のときの宮沢りえがすばらしい演技をしていたので、松たか子ではあの雰囲気がでるかな…とちょっと心配であった。ところが、予想に反して、じつにいい演技で清清しい感じの余韻が残った。さすがに一流の女優さんだけある。わたしの映画の感想など全くあてにならないから、興味のある人は実際に観てみるのが一番だろう。印象は人によりさまざまだから、「くだらない」と判断される人も当然いる。それがふつうだ。自分で楽しめれば、それでいいだけのこと。途中で眠らないで、最後までしっかり観てしまう映画は、それほど多くはない。この映画で眠くならなかっただけでも、自分にはいいものを観たという実感がある。この時間帯に映画を観ると、身体が正直に映画の印象を決めてくれる。

■2004/11/01(月) 08:00 予備校の講師はそんなに優秀か?

 わたしのホームページにある掲示板に「代ゼミのサテライン単科ゼミ」の講義を公立高校でも受講できるようにという提案がなされている。公立高校の教員は、怠惰でほとんど受験勉強には役立たないから、予備校の有名講師の講義をインターネットなどを利用して、生徒にやらせた方がいいのでは…、という趣旨だとおもう。すでに、わたしの勤務する神奈川県でも何校かは実施している由。現在の公立高校にこういう資金の出どころはないから、おそらく生徒たちからの受益者負担という形で実施しているものとかんがえられる。それに対して、何もいう筋合いはない。勉強したければ、どうぞ、というだけだ。

 指摘されているように、公立高校の教員は怠惰で勉強不足で実力もない人も当然いるだろう。しかし、それを全員がそうだというような、ものの言い方はどうも妥当ではないようにおもえる。何でも十羽一絡げで事柄を一気に言い切るのは気持ちのいいことかもしれないが、それほど事は簡単だろうか。私立の教員や予備校・塾などの講師がそれほど優れているとは、どう考えても首を傾げざるを得ない。どの職種にしても、有能な人は経験的にはほぼ2割くらいだろうとおもう。予備校の講師にしても、同じである。彼らが専門教科の講義に優れているというが、本当にそうか、実際に授業を聞き比べて確かめられたのだろうか。風聞で言っておられるとしたら、それは正確にものをいう態度とはいえないだろう。ちなみに、わたし自身の受験時代には、予備校の講師のそのほとんどは公立高校(進学校)の教員か、大学の講師などのアルバイトだった。

 現在、予備校・塾などで教えておられる方で素晴らしい講義をされる方は当然いるし、わたしも著書やパンフなどで知っている。しかし、実際に予備校などに自分の子供が通ったり、現在通っている生徒たちの話を訊くと、いわゆる「名物講師」に方に授業をしてもらえる機会はそうはないのが現実だ。また、当然のことながら、そういう名講師の方は少ない。予備校や塾の講師の方で本当に生徒の実力を伸ばせる人は、多く見積もっても全体の3割くらいではないのか。それに、名物講師の授業を受けても、だれもが学力の向上に結びつくなんてことはない。不思議なもので、授業の内容は受ける生徒によって、さまざまな受け取り方がある。だから、そういう方の講義をビデオやインターネットで受けたからといって、だれにでもわかりやすいわけではない。こういうことをきちんと押さえておかないと、「予備校・塾の講師=優れている」「公立学校の教員=怠惰で実力なし」のステレオタイプの認識に陥ってしまう。実際にはどの現場にも優れた教員はいるのである。

 と、公立学校の教員を弁護するみたいな論になっているが、毎日、会議や雑務に追われて(しかも部活動まである)、教材研究もままならない現状では、公立学校の教員の分が悪いのは、その通りであろう。そういう点が改善されれば、元々の資質はほぼ変わらないのだから(と個人的にはおもっている)、多少の実力アップになるかもしれない。それにしても、個人的には、生徒の学力アップは教員の質などより、生徒の質に左右されるとおもっている(高校段階では…小・中では教員の影響はより大きいだろうが)。これも、わたしの独断なのだろうから、あまり目くじらを立てて、論破しようなどとおもわないで頂きたい。そういう論争に何か効能があるとは、全くおもっていないからである。

■2004/10/28(木) 07:54 口のきき方

 クラスの生徒の中にも多数いるのだが、どうも人に(とくに目上とかは問わない)ものを話すときの口のきき方が悪いものがいる。気がついたときにそれとなく注意することもあるが、あまりに無作法なものは放っておく。本来ならそういうものほど、きちんと注意した方がいいのだろうが、あえてしない。こういう生徒は、その注意すら「うるせえんだよ」と気持ちで聞いているだろうから。口のきき方の悪い生徒は、それだけで、家庭・学校・社会で大きな損をしている。本人はまだ学生だということで、甘やかされているが、いずれはその損をはっきりと知るときがくるだろう(それすらわからないで一生を終えるものも多いが…)。

 学校で生徒の話し方を聞いていると、家で家族とどのように話しているかは、ほぼわかる。人に好感を感じさせるような話し方が自然にできる生徒は、それだけで大きな財産をもっているのと同じだ。これは、若さからくる「なまいきさ」などとは別のことである。自分に自信をもっている生徒は、それほど気張ることはない。むしろ、自分に自信のない生徒は、妙に虚勢を張って、ため口をたたく。高校生を相手にしているので、数年後の彼らが、現在とそれほど性格的には変わらないことをおもうと、こちらも可哀相に感じる。しかし、それも本人のもって生まれたものである。本人が自覚しない限り、だれもそれを変えることはできない。本人が気づかなければ(あるいは気づくきっかけを見つけなければ)、一生それで苦労するだろう。

 生徒と話していて、ふとそんなことをおもった。誠実に話す、ただそれだけのことである。それが、一生に大きな影響をもつ。自戒の念を込めて。

■2004/10/24(日) 15:34

 昨夜の地震が、まさかこれほどの大地震であったとは…。昨夕、娘とTVを見ているときに、自宅が地震で少し揺れた。といっても、1階の居間にいたので、それほど大きな地震だとは最初おもわなかった。TVの地震情報で、震源地が新潟県の小千谷市の辺だということと、震度が「6強」と出たので、「エェ!」と驚く。それと、故郷の会津で震度5というので、それが気になった。かなり大きな地震らしかった。そのあと、2回ほど小さな揺れがあったので、会津の姉のところへ電話を入れてみたが、つながらない。「大丈夫かな」とちょっと不安になる。何度か電話しているうちに、ようやくつながった。姉はこの地震であわてて外に飛び出したらしい。「大きかったよ」と本当に怖そうに話していた。すでに、夜になっていたので、被害のようすはほとんどわからないようで、TVでも現地の町役場などの方に電話で話を訊く場面ばかりが目立った。夜では、被害のようすを確認することはできないから、無理もない。

 今朝になって、どんどん情報が入ってきて、TVは各局とも地震のニュースばかりだ。NHKは早朝からこれだけになっている。こういうときの対応は、さすが準国営だけあって、一番頼りになるのかもしれない。死傷者の数がニュースを見るたびに増えてゆく。道路はほとんどめちゃくちゃだ。新幹線も創業以来はじめての脱線。被災者への救援活動も交通網の寸断で、遅遅として進んでいない模様。今夜は外での避難はきついだろう。しかし、もう倒れる寸前の建物に入るわけにもいかない。小学6年生のときに「新潟地震」で、同じような経験をしたことがあるので、おおよその様子はわかる。こういうときは、近隣の人たちが一箇所に集まり、行動を共にするのが、一番気持ちが落ち着く。地震を恨んでも何の意味もない。何とかこの危機をみんなで乗り切ってゆくほうが大切だ。家や財産が気になることも事実だが、これも命あってのもの。まずは、何度も来る余震に耐えて、命を守ることが先決だ。そのためにも、迅速な救援活動が望まれるが、これも大災害のときはどうしても遅れる。どんなに備えてみても、自然はそれをいつも上回ってくる。こういうときは、不思議と普段は表面に出てこない人間の動物としての生命力が発揮される。これに、期待するしかない。被災者の方々が、一日も早く復旧活動に入れることを祈るしかない。

 いつか、わたしたち関東に住む者も同じような自然災害に襲われることは、いつかはわからないが、確実である。そのとき、きっと同じようになる。これだけは、どんな時代になっていようと変わらない。きっと。

■2004/10/21(木) 08:13

 まだ、台風23号の吹き返しで、多少の風雨が残っている。しかし、もう銚子沖に去ったということなので、午前中のうちに天気は回復してくるだろう。それにしても、今年は台風の当たり年で、よくも次から次へと来るもんだ。もう、いいかげんにしてほしいとおもうが、自然現象に文句をいってみてもはじまらない。やれ「温暖化」の影響だのといろいろ説を唱えるものもいるが、そんなことはあとあとになってみなければわかるものではない。

 回復といえば、回復の遅れているものがある。わたしの左足アキレス腱だ。この夏山下山後に少し腫れていて、少し痛みもあったが、歩いているときはとくに問題はなかった。それもあって「そのうち治るだろう」と気にもかけなかった。ところが、起床時に階段を下りるときなど、けっこう痛むので、気になりだした。骨に異常でもあるのだろうか…など素人考えで少し心配になってきた。そこで、中間テスト期間中で年休の取れる昨日午後、自宅の近くにある整形外科医院に診てもらいに行ってきた。診断は「アキレス腱炎症」とのことだった。「しばらくは余り歩かないようにしてください」という現実には不可能なことをいわれて、シップ、伸縮包帯による足首固定、炎症防止用の薬などを処方してもらってきた。山を降りて、すでに2ヶ月も経ってしまっている。その間、けっこうハードに歩いた。足の痛みは歩いて治す、と決めていたので、何ともおもわなかった。医者からはトンデモナイ指示を受けたが、もちろん従うつもりはない。歩かなければ、返って筋や筋肉には良くない。歩きながら治すという自分の方針は変わらない。ただ、多少控えめにするのだけは、止むを得まい。

 今朝、包帯を巻いた左足がスニーカーに入らないので、靴紐をかなり緩めた。1ヶ月くらいはかかるだろうから、慌てる必要はない。のんびり治そう。歩くのは好きだから、またふつうに歩けるようになるのを楽しみにしている。現在、痛みはなくなりつつあるので、多分大丈夫だろう。

■2004/10/20(水) 07:37

 今朝は台風23号の影響で、秋雨前線が刺激されて、大雨になっている。今年10個目の台風上陸が懸念されており、今夜辺りには関東にも再接近する模様だ。大型の台風のようで、風速15mの暴風圏が800kmとじつに大きい。きょうから中間テストがはじまるが、生徒たちの登校にも相当の影響が出るだろう。午後には影響が出てくるだろうから、年休でもとって早めに帰宅しようとおもっている。

 わたしが、温泉旅行にうつつを抜かしていたとき、じつは大変なことがおこっていた。長く付き合って頂いている山路さんの義姉さん(亡きお兄さんの奥さん)が、「クモ膜下出血」で倒れ、緊急手術が行われていたのだ。このところ、つづいていた不幸にまつわる心労が原因とおもわれる。旅行から帰宅して、このニュースを聞いたときにはびっくりして心臓が止まるかとおもうほどだった。われわれの山岳会でも、九州の山に登った帰りなどにお世話になったりしており、とても他人事ではない。それも、命にかかわるほどの重症とのことで、予断はまったく許されない状況だった。九州に戻られた山路さんからの連絡をびくびくしながら待つ日々だった。もし、万が一のことがあれば、すぐに九州へ出かけるつもりで準備だけはしておいた。

 昨夕、最高に嬉しいニュースが届いた。義姉さんの手術が奇跡的に成功して、意識を回復して、話もできるようになったという知らせだ。「いやー、本当に良かった…」と、それまで緊張していた気持ちが一気に緩んでしまった。最難関の手術だったようで、手術が成功してもその後の回復は危ぶまれていたようだ。手術が成功してみると、ウソのような回復ぶりで、お医者さんたちも「奇跡的だ」と言っていたと聞く。息子さんが出張先の東南アジアから急遽もどったのが契機になったのか、病院に着いた途端に意識が回復されたというのを聞いて、人間の不思議さをまたしても再認識した次第。それにしても、本当に良かった。山路さん自身も、先月のお兄さん(次男)の死去につづくアクシデントで、心労が重なっている。これも、わたしには、とても心配だった。彼にもゆっくり休んでほしいところであるが、まだ当分は忙しい日々がつづきそうだ。くれぐれも身体を壊すことのないよう願うのみである。

■2004/10/17(日) 18:59

 この土日を利用して、群馬県と新潟県の県境・三国峠下にある「法師温泉」に行ってきた。日頃からお付き合いしてもらっている湯上さんがこの人気抜群の温泉を半年前に予約しておいてくれたとのことで、それに誘ってもらい、いい骨休みの旅ができた。山仲間と湯上氏の学生時代の寮仲間との合同での旅行である。どんな人が来るのか、まったく知らされていなかったため(これは湯上さんの作戦だったのかも知れない)、東京駅での新幹線での出会いとなった。新幹線の乗車予定車両を間違えるなどのハプニングのため、メンバーが一体どういう形で全員揃ったのか、わたしにも定かではない。何せ、新幹線が東京駅を出た途端にもうビールを飲み始めていたからだ。とにかく、「大人なんだから、みんな何とか揃うだろう」と適当なことをいいつつ、飲んでいるうちに、上毛高原に着いてしまった。ここで、とりあえず予定の7人が揃ったことはわかった。が、名まえも知らない人たちともう旧知のように話しているのが何ともおかしかった。そこから、バス、タクシーを乗り継いで、法師温泉「長壽館」へ。まだ、午前中だったので、荷物をおかせてもらい、三国峠まで2時間ほどのハイキング。「熊出没中」の標識にビクビクしながら、登ってゆく。何とか峠のところまで着いたのはいいが、ものすごく冷たい風の中での昼食となってしまった。それでも、酒飲みはビールを出して飲んでしまう。これも悲しい性(さが)か。ビールを飲むと冷えているはずのものが、口の中で温かく感じる。帰りは、熊におびえたわけではないが、車道をもどった。

 宿に入ると、すかさず由緒ある法師の湯(混浴)へ。残念ながら時間帯のせいか、われら男子のみ。それでも、湯の掃除をしていた方からいろいろ温泉のことが聞けた。こういうのんびりした宿が最高である。上がると、またまた性懲りもなく、ビールで乾杯。それからは、日本酒1升半を夕飯まで飲んで、夕食でまた飲んだ。飲んでいるところで、ようやくみんなの自己紹介。何と、わたしの高校の先輩の田代さん(湯上さんから何度も話は聞いていた)にやっと会えた。みなさん、温厚な方ばかりで、じつに楽しいひと時であった。TVでやっていた日本シリーズもほとんど話題にもならずに、話に華が咲いた。気がつくとみんな勝手に寝てしまっていたので、わたしは風呂に入り直し、それから寝た。

 今朝は4:00前には目が覚めたので、さーて風呂にでも入るかとおもったら、すでに湯上さんは床にいない。法師の湯に行ってみると、奥の方で独りで入っていた。わたしも入り、2人でのんびりした時間を過ごす。「来れてよかった」としみじみおもった。このために、来週からのテスト問題作りも必死にやった。なかなか予約の取れる宿でないので、湯上さんに感謝である。普段食べない朝食も軽く頂いた。帰りもまた真っ青な秋空の下、猿ケ京温泉まで2時間ほどのハイキングをした。そして、またまた健康センターみたいな温泉に入り、トコロテンと残りのツマミを出して、ビールを頂く。何ともうまい。こう飲んでばかりでは、バスの中では当然うたた寝である。帰りの新幹線の中でも懲りずに日本酒とビールで盛り上がる。こういう旅行は、何とも楽しい。気づかれする人もいないし、皆さん紳士である。大宮駅で2人の方が、そして東京駅でまた何人かの方が、と別れたがじつにすがすがしい気持ちだった。こういう人たちとの出会いは、別れを感じさせない。また、近いうちに一緒に飲めるだろう。湯上さんにはいい企画をしてもらい、感謝感激だ。こうして、自宅にもどっても疲れを感じない旅行は、そうはない。秋のひと時をこういう気持ちのいい旅行で過ごせたのは、幸いなことだ。湯上さん、本当にありがとう。そして、いっしょに風呂に入り、楽しく飲み話した諸先輩方にも感謝。また、近いうちに飲みましょう!

■2004/10/09(土) 20:11

 昨日から台風22号の接近の影響で雨が降り続いていた。そして、きょうの午後に伊豆半島に上陸。あっという間にわたしの住む神奈川も過ぎ去ってしまい、今は雨、風とも止んで、ウソのような静けさだ。今年はじめて関東を直撃した台風は、まるでジェット戦闘機のように飛び去って行ってしまった。一体あれは何だったのだ…。

 話はまったく変わって、今している仕事のこと。つまり教員だ。それも公立の学校のこと。私学は経営は大変だろうが、別の意味での自由度は多少あるだろう。公立の学校(とくに首都圏や大都市の)はもう死んだも同然だ。あれもダメ、これもダメ、ダメ、ダメ、ダメ、…とダメのオンパレード。ホセ・オルテガの『大衆の反逆』ではないが、もう自由度がほぼなくなり、仕事をしていても全く面白くなくなった。

 といって、仕事を辞めて次の仕事といえるほどの技能も才能も金もない。何とか身体の動くうちは仕事をしなければ、家族を養うこともできないので、仕方なしの面もたしかにある。人の金(税金)で生活しているもので、甘い汁を吸えるのは、いつの世も高級官僚と政治家でしかない。わたしのような前線の兵隊では、定年前に倒れるか、定年までもって、それからほどなくあの世へというパタンしか思い浮かばない。そうはいいつつ、仕事は淡々とするしかない。教壇で生徒と授業をするのはいい。しかし、生徒も親も時代の波に飲まれて、大きく変質してしまっている。どこかおかしく肥大した部分をもっている。それが何かはわたしにもはっきりはわからない。でも、たしかにおかしくなっている。そういう状況で、教育など成り立つのかは、わからない。

 長くこの仕事をしてきたから飽きてきたというのではない。そのわけのわからない肥大してきた部分が、わたしにはどうも気に入らないのだ。こういう公立という枠の中で仕事をすることが息苦しくなっている。そういう自分を感じる。この仕事もそう遠くない時期に終わりになる。それほどの未練は感じていない。まだ辞めた経験があるはずもないからわからないが、そう未練はないだろうとおもう。こういうことを書くと、公務員は気楽でいいな、とかいわれる。そうかもしれない。そういう人には、あんたもやってみたら…としかいいようがない。わかる人にはわかるが、わからん人にはどうしたってわからんものだ。他人の気持ちなどめったにわかるものではない。いくら話してもわからん人にはわからない。昔から自分ではそうおもっていたが、なかなかこうして口に出したり書いたりすることはできなかった。そんなことを平気で書けるようになってしまったのは、やはり歳のせいか。

■2004/09/30(木) 07:45

 台風21号が関東に接近すると、昨日は帰りのHR時に放送まで入れて、今朝の対応を生徒に指示があった。「7:00の段階で警報が出ていれば、自宅待機」と。ところが、夜中に台風の進路が一転して、急激に北東に変わったため、結果的には関東への直撃はまったくなく、今朝はまるで台風一過のようないい天気になってしまった。さぞかし、生徒諸君はがっかりしていることだろう。気持ちはわからんではない。わたしが起きた4:00過ぎには、すでに雲も切れてお月様も見え、★★もきれいに見えていた。これでは、通常の日程だな、とおもい、いつも通りの時間に出てきた。

 今年は台風の当たり年ですでに8個が日本に上陸している。そのほとんどは西日本への直撃で、現在までのところ、関東への直撃はない。これから台風の本格的なシーズンのと心配されているが、どうもわたしには台風のシーズンはすでに過ぎてしまっているような気がする。というのも、季節のズレがおこっているようで、1・2ヶ月ほど季節がズレて進行しているように感じ取れる。これからの10月に台風がバンバン来るとはとてもおもえない。九州地方などでは何度も台風が来て、大変だろう。関東にいると、そういう大変さはわからないというのが、正確なところ。いずれ、このツケは大きな形でやってくるのかもしれない。十分に覚悟しておかねばなるまい。

 今回の台風の進路の急変は、予想できなかったといっていい。昨夜までの天気予報では、ほぼ関東への直撃を予想していたはずだ。こういう、カタストロフィックな動きは、自然の中ではごくふつうに起こる。今は、自然現象もかなりの確率で予想できるみたいに考えられている風潮があるが、「カオス」的は現象は容易に予想できないのが現状だ。これから多少の科学知識の進歩があっても、科学で扱えるものは、反復性のあるものでしかない。これは、いつの時代になっても同じことだ。科学の限界というのではなくて、人間の脳の限界かも知れない。まあ、こういう予知のできないこともたまにはおこらないと、人間の驕りは増長する一方だから、いいことなのかもしれない。

■2004/09/26(日) 14:41

 早いもので、文化祭が終了してちょうど1週間経った。先週の14:30頃といえば、ヤキソバの210人分を作り終えて、頭がボーッとしていたのが記憶にある。もうあの疲れもないといえばないが、あの精神的な疲れは今でも少しは残っているようだ。普段は、職場のことは校門を出るとスーッと忘れてしまうようにしているが、忘れられないこともある。終わったことは水に流して…というのは単純な日本人がいうことば。わたしは、忘れられないことはしっかりと何十年でも忘れない。だから、頭の毛も薄くなる。でも、これは仕方のないことだ、と諦めている。

 文化祭があったからというわけではないが、ここ2週ほどHPの更新もやる気がしないで、放ってしまっている。「そろそろやるか」と気合を入れてみても、やり始めるとすぐに集中できなくなる。こういうときは、機が熟していないので、何をやってもダメだ。パソコンのキーボードに手を乗っけたままウトウトして、気がつくとモニタのエディタの画面に同じ文字が何行にもわたり………と。きょうは、ゆっくりと寝たので、何とか大丈夫だ。ようやく、HPの更新作業もひとまず終えた。しかし、自分で作っていながら、あっちこっちに手つかず状態の箇所が多くて情けない。「時間がない」というのはいい訳で、実際にはどう進めればいいのか、迷いに迷っている内容が多い。こんな舞台裏を書いても意味はないな。

 職場の職員室にある職員黒板に「若い教員が自分のHPで女子生徒の個人情報的なことを書いていて、その情報を県教委に通報。その教員は辞職」とかいう記事が貼ってあった。何だか私に対する当てこすりみたいで気分は良くない。この記事のせいか、わたしに注意を喚起してくれる先輩教師もいる。教員で自分のHPを作っている人は多い。しかし、今度のような例は、これからも増えるかもしれない。わたしは仕事のことはあまり興味がないのか、生徒たちのことにこれほど入れ込むことはないが、まあ、気をつけることは大切だろう。しかし、何とか条例みたいな感じで、インターネットにも規制が増えて来ていることもたしか。

 ネットが一般に開放されて以来、いい悪いの判断はおくとして、たしかに乱れているような気がする。この中での情報価値はエントロピー増大の法則どおり、希薄化している。わたしのサイトもしかり。こんな中でも県教委はネットに情報公開をするように強要してくる。そして、それが問題化すると今度は処分だ。どっちが本音かだれでもわかる。ネットの可能性はつねに危険性と表裏一体の関係にある。いいとこどりはできない。そういうこともわからないで、ネットの活用を叫ぶ裏側に、何かそうしないとまずい事情でもあるのだろうか。米国でのネット事情とはどうもちがうものを感じる。インターネットに夢などない。これは情報技術にすぎない。

■2004/09/19(日) 17:47

 2日間の文化祭もまもなく終わりに近づいている。今、校舎の中庭では後夜祭が行われており、エレキバンド(こういう表現が古いか…)の歌と演奏に合わせてかなりの数の生徒たちが踊りまくっている。昨年は風雨で体育館の中での後夜祭で、参加者もそれほど多くなかったが、今年は天気には恵まれて、それなりの盛況である。あと数分でこの演奏も終わり、今度はグランドでのキャンプファイアなどがあり、18:30にはすべてが終わる予定になっている。若者のエネルギーはすごく、これで納まりのつかない生徒たちもいるので、19:00からの追い出しが大変だ。

 18:00にファイアーが点火され、グランドの中央で生徒たちが丸く囲んで何やら気勢を上げていた。これがいい想い出になってくれればいい。わたしも9:30から14:30まで全く休む暇もなく、生徒たちとヤキソバ作りに明け暮れており、校内のイベントは全く見ていなかった。せめて1つくらいと、今ほどグランド向きの教室からファイアを見てきた。三日月が出ており、ランドマークタワーもきれいに見えた。この炎が消えると文化祭もフィナーレを迎える。

 わたしのクラスの出し物であった「ヤキソバ」はけっこう人気はあったが、調理にホットプレートしか使えなかったため難儀した。食品関連の係の方の機転に助けられ、何とか予定していた分はすべて調理して販売することができた。いろいろ改善すべき点も多かったとおもうが、こういうお祭りではもう勢いでやるしかない。クラスの生徒たちも1日目の失敗を多少は素直に反省してくれて、きょうはみんな必死になって頑張ってくれたとおもう。素直に「お疲れ様」といいたい。わたしも疲れたけれど、生徒たちも同じだろう。そのせいかは知らないが、確実に髪の毛がまた少なくなった気がする。心臓も腰も足も痛い。あーぁ、もうダメかもしれない。

■2004/09/15(水) 17:21

 きょうの朝のHRでクラスの生徒たちを叱った。そして、授業でクラスに行った際も、早めに授業の内容を終えて、そのあと、また叱った。もちろん、個人ではなくて、全員だ。今度の土日に文化祭を控えているにも関わらず、一部の生徒以外は、ほとんど無関心で仕事を全くしていないからだ。わたしのクラスでは「ヤキソバ」の販売を予定しているが、麺や野菜などの食材、できたヤキソバを販売するためのパックなどは生徒たちからは何の動きもなかったため、止む無くわたしが手配をしたり、ホームセンターなどに出かけて購入してきた。これも、本来なら生徒たちが自分らで手配をして準備すべきことなのだ。今の生徒たちは、ほとんど自分たちで手を動かして仕事をするという経験に乏しいのか、あまり動いてくれない。学校の先生たちも優しい人が多くなり、生徒を叱ってでもやらせるというような人はあまりいない(部活動などでは当然あるが、これも行き過ぎると教育委員会から怒られる)。でも、生徒はちゃんと話して叱れば、きちんと仕事をするものだ、とわたしはおもっている。

 昨日までは数人の生徒が細々と居残って作業をしていたが、この時間、クラスではかなりの人数の生徒が、それぞれ手分けして仕事をしていた。買出しに出るもの、ポスターを作るもの、プラカードを作るもの、飾りつけをつくるものなどなど。もうわたしの出番は終わったとおもいたい。元々、彼らのための文化祭であり、担任のわたしなどただ居るだけでしかない、そういう状態が一番いいのだとおもう。彼らが、文化祭の最終日に、「いい文化祭ができた」と実感してくれれば、わたしにはもう何もいうことはない。彼らの作った「ヤキソバ」を200円で買わせてもらい、食べるだけでいい。もう生徒と一緒になって燃えるなどというパワーもないし、彼らがこういう機会で交流を深め、仲のいいクラスを作ってくれればそれでよし。18:30までは残って仕事をするようなので、わたしは物理室でのんびりと本でも読んでいよう。今夜も夕食は駅の立ちそば(\330)だ。これがわたしには一番旨い。帰宅したら日本酒を飲んで寝るだけ。今夜もパソコンは触らない。これが、日曜日まではつづく。でも、生徒たちが少しずつでも動き出してくれたのは、本当に嬉しい。わたしのような仕事(教員)では、こういうことが仕事の充実感なのかな。

■2004/09/10(金) 09:10

 さきほどまで、生活指導の一環として行われている通学指導に出かけてきた。といっても、学校周辺の3箇所(かなり危険な交差点など)にそれぞれ2名ずつの教員が出かけて、通学の状況を見ているだけなのだが…。朝の、しかも校外の一般道のところで、指導などできるわけはない。高校生なので、われわれが立っているのを見て、多少お行儀よく横断歩道などを渡るのを期待してのことである。見ていると、交通量も多い。交差点も入り組んでいて、いつ事故がおきても不思議ではない。よくこんな危なそうなところで、頻繁に事故がおきないのを、むしろ感心するほどだ。わたしのクラスの生徒たちも見かけ、「そうか、こんなところを、こんな時間に通って来ているんだ」と少し参考になった。それ以上は何もできないが、どの生徒も安全に登下校できることを祈るしかない。

 先日の放課後、かなり暑くてのどが渇いたので、わたしのいる物理室の近くに設置してある自動販売機にジュースを買いに行った(勤務校には3台設置してある)。そこに、ちょうど授業で教えているクラスの生徒が何人かいた。かれらも何か買うのだろう。そのとき、その中の1人の女子生徒がおもわぬことを訊いてきた。「先生って授業中にほとんど笑わないけど、笑ったところ見せて!」と。「エェ!なにいっているんだ、この生徒は…」と一瞬固まってしまった(笑)。が、慌ててもしょうがないので、「そうか…」などとブツブツいいながら、ジュースを買ってもどってきた。ジュースを飲みながら「そういえば、この頃、授業で心底笑ったことがないなー」と普段の授業のようすをおもいながら、ちょっとかんがえてしまった。授業中だけでなく、職場にいるときを通して、笑うことは滅多にない(大体が、授業以外はほとんど物理室で一人でいるのだから…別に孤独感などはないが)。その女子生徒に指摘されるまでは、かんがえもしなかったことなので、それ以来、どうしてこの頃笑わなくなったのかといろいろかんがえてはいる。

 職場自体がまじめな雰囲気のところなので、どうもおかしいことがあまりないのかもしれない。というのも、職場を一旦出ると、飲みに行っても家でも、それなりにおかしいときは笑っているからだ。どこか、この学校の雰囲気が自分にはあまり適合していないからかな、などとふとおもったりしている。部活などに燃えている人も多く、熱心な先生が多いのだろう。しかし、わたしの交際下手もあってか、この職場では気楽に誘って飲んだり騒いだりできる人はいない。仕事をしに来ているだけなのだ。生徒の礼儀もいいし、授業などで特に困ることもないのだが、正直なところ、それだけしか感じない。ふつうに仕事ができれば、何も文句をいう筋合いでもないから、それ以上は望まない。ただ、当然笑うようなこともない。職員室にぶらりといっても、どうも笑っている人はあまり見かけないのは、わたしのタイミングが悪いせいかもしれない。おそらくは、わたし個人の問題だとはおもうが…。

■2004/09/04(土) 08:37

 2学期がはじまったが、どうも「はじまった」という感じがしない。すでに8/23(月)から物理講習を1週間やり、8/30(月)からはクラス登校日・学年登校日と実質的にはもう夏休みは終わってしまっていた。今さら2学期といっても、生活の流れは通常の勤務状態となんら変わりはない。何か、気持ちの切り替え(ギアチェンジ)ができていないみたいで、すっきりしない。やはり、リフレッシュした気持ちで、仕事にかかりたいものだ。年がら年中ダラダラと仕事をしているみたいで、気分はよくない。きょうも部活動の指導で出勤してしまった。

 社会全体が、ゆっくりと休むことを許してくれない雰囲気になり、教員からも夏休みが消えた。それ以来、夏は返って面倒くさいものになってしまった。「自己研修」を取れば、はい!報告書。どこかに旅行でもというと、旅行願い。等々まったく馬鹿げている。おそらくウォルフレンあたりの本から仕入れたとおもわれる「アカンタビリティー(説明責任)」などという概念を、いつものようにその前提も知りもしないで、猿真似した結果がこれである。なんでも、報告書を出せば、責任のがれができるように証拠作りにいそしんでいる。また、そういう書類を求める社会的雰囲気(これがまさしく共同幻想なのだろうが)が解せない。不況で、自分は四苦八苦しながら仕事に追われている。だから、そんなときにのんびり休んでいるものは許せないという気持ちが根底にあるものとおもわれる。ということは、裏を返せば、景気もよくなり、給料や休みにゆとりができれば、またそれに連動して変わるということか。これじゃ、ヤジロベエだ。会社も役所もどこも、発想が幼稚化しているように感じる。

 教員のわがままだといわれようがまったく気にもしないが、ゆっくり休める日々が減り続けて、教員の仕事の面白さもほとんど消えてしまっている。元々教員には金などないのだが、唯一の楽しみであった「夏休み・冬休み・春休み」までもが失われてしまった。もう、教員に残されたものは、日々のストレス以外にないのか。

■2004/09/01(水) 16:24

 本日、始業式があって、2学期に入った。わたしの勤務校のある横浜市内の小中学校は今年の4月から全部の学校で2学期制に移行しているから、8月30日からすでに学校ははじまっていると聞く。わたしの勤務する高校でも、現在2学期制が検討されているから、そのうちに移行するのかもしれない。2学期制、3学期制と見かけは変わるが、どちらにも一長一短があり、どちらにしてもそれほどの優劣があるともおもえない。個人的にはどちらでもいい。「生徒の授業時間確保を考慮して云々」は口実にすぎない。どの時代の生徒も授業時間が増えることを喜ぶことなどない。勉強時間を増やして、それで効果がでるなんて、とても信じられない。大体、そんなことを言っている教師や世間の大人にして、生徒時代にそれほど勉強したのか?と問いたい。

 きょうは、始業式のあとの放課後に、文化祭でわたしのクラスが食品団体で「やきそば」販売をすることになったので、その試食会がおこなわれた。わたしは、一応材料となる具材をそろえてはおいたが、作るのは生徒たちである。7・8名の生徒たちが残ってくれて、調理室で実際に作ってくれた。正直なところ、ふだんの生徒たちの盛り上がりのなさから、期待はしていなかった。と、ところが、会場に行ってみると、ちゃんとつくっているではないか。しかも、改善すべき点などもそれなりに会得して、他のメンバーにもレシピを作って、伝えるという。わたしは、てっきり調理の大変さに根を上げて、この出し物を断念でもするのかと危惧していたが、どうもそうではないらしい。ちょっとだけ味見をさせてもらい、彼らの顔を見て、少しだけ見直した。生徒たちに自分たちでやってみる「場」を用意すれば、彼らはそれなりに頑張ってやってくれるかもしれないな、と少し安堵した。文化祭まであと2週間ちょっと。彼らがどういう風にこの出し物にチャレンジしてくれるのか、楽しみでもある。

■2004/08/26(木) 13:47

 この数ヶ月、カミさんがNHKで放映されている「冬のソナタ」という番組にはまってしまっている。先週の土曜日に最後の第20話が終わったので、この熱も下がるかとおもっていたら、この10月頃から再度ノーカット版が放映されるということで、一向に熱は冷めそうにない。その熱中さにはほとほと感心している。わたしも、付き合いというわけではないが、あちこちつまみ食い的に見ていたら、少しはまってしまった(笑)。韓国で作られた純愛ドラマとでもいうのか、不自然なくらいに男女の性愛表現を抑えている。この辺りが、何かというともう見境なくそういう行為を見せるようになってしまっている日本のTVドラマなどにはない新鮮さが中高年世代に受けたのかもしれない。わたしは、男女の愛情ドラマみたいなものは、どうにも気恥ずかしくて(というより苦手で)、愛情の機微みたいなのはからっきしダメである。この歳にしてダメなのだから、これから先もそういうのは望めそうにない。

 もちろん、こんなわたしでも人並みに初恋もあったし、多少の付き合った女性もあった。しかし、映画やドラマで放映されるような「恋愛」など、縁はなかった。大体が恋愛には不向きにできているせいか、恋愛小説や映画などもほとんど読まなかったし、見なかった。小説や映画での恋愛のような熱烈なものになると、相当な精神的エネルギーを必要とするだろう。自分には、そういうものに掛けるパワーがなかったのだとおもう。人(男性→女性、女性→男性)を想う気持ちはわかるが、自分の生活の大半をそれに費やすほどのエネルギーに不足していたのであろう。そういう価値観をもっていなかったのも確かにある。だから、今後のことはどうなるかは、わたし自身にもよくわからないが、あのような熱烈さが湧き起こるとはおもえない。

 この「冬のソナタ」の中でかなりの頻度ででてくる「人を好きになるのに理由はない」というのは、その通りだろう。ただ、本当は理由はあるのである。しかし、それをいってしまうと恋愛や愛情という崇高な感情も単なる生物反応と化してしまい、風情も何もなくなってしまうから、とてもいえない。あの主人公みたいな恋愛をしてみたいかといわれれば、わたしはどうも荷が重そうでとてもダメである。自分なりのレベルで人を好きになり、それが静かに成就できれば、それくらいでわたしは満足するし、それしかわたしにはできない。

■2004/08/23(月) 15:13

 きょうからまた、後期の補習をはじめた。今週1週間やる予定でいる。生徒は3人だ。3年生対象の受験対策補習であるが、3年生はあくびばっかりでやる気はあまり感じられない。惰性で来ているみたいだ。2年生で特別参加の1名だけが、しっかりと勉強している。これでは、3年生の名が泣く。

 自分で勉強できる生徒は、自分ひとりで勉強したほうが効率的だとおもう。わたし自身も人に習いに行くのはあまり好きではない。自分で計画を立てて、自分のペースで勉強したほうがいい、と今でもおもっている。わたしの担当している「物理」などもある程度のレベルまで到達してしまえば、自分一人でやったほうがどんどん進める。しかし、まだ、基本中の基本が修得できていないときは、その限りでない。敷居が高い科目なので、完全に独学できる人は少ないように感じる。式を立てたり、計算をしたり、とやることも多いし、ちょっとした式の変形に苦しむことも多い。そういうときに、ある程度の実力をもった指導者に目の前でそういう計算をしてもらい、その流れを掴むのは、勘所がわかってとても参考になる。

 現在おこなわれているアテネ・オリンピックでは日本のメダリストが多く出ている。その人たちの話に「基本、基本、基本、…」ということばが何度も出てくる。すべての技能(アート:art)は「基本」と呼ばれるものだけで、ほとんどのことができる。よくいわれる「80対20の法則=パレートの法則」が完全に成り立っている。ただ、「基本」といわれるものは、単調に繰り返していると飽きる。これを、いかにバリエーションを持たせながら、「基本」だと気づかせずに、鍛錬させるかが名コーチといわれる人たちの手腕なのだろう。「基本」と「応用」の境目はほとんどない。それは、どんな分野でもおなじことだろう。

■2004/08/19(木) 09:36

 一昨日の夕方近くに帰省からもどった。約1週間の帰省だった。とくに、何日に帰るとも決めていなかったが、お盆も15日を過ぎると、あまり居心地はよくない。そろそろ帰り時だなと感じたので、前日に決めた。田舎では、温泉に入りに行ったり、昼寝をしながらゴロゴロしたり、とのんびり過ごせた。仕事のことはまったく頭に浮かんでも来なかった。こういう時間が1年に1回くらいはあってもいいだろう。

 約半日の行程で自宅にもどると、郵便受けに恒例の山路さんの「夏山山行記」が封筒に入って届いていた。運転で疲れていたので、その日は読まずに翌日読むことにして、そのまま寝てしまった。昨日の早朝に読んでみた。山から降りて、すでに半月近くにもなっていたが、まだ記憶に新しいことなので、読みながら山でのようすがおもい出されて来た。そろそろ自分も山行記を書くか、という気持ちになってきた。

 昨年の夏山の山行記もきょうと同じ8/19に書きはじめた。今年も同じ日に書きはじめるのは、何とも不思議な気持ちになる。この夏山も何とか無事下山できたが、まだ左アキレス腱に少しの痛みがあるのと、右足中指辺りに少ししびれ感が残っている。歳をとると、ハードな山登りのあとには、何らかの後遺症が残るみたいだ。ただ、いい夏山だったし、無事登り終えたことには満足感もあり、充実していた。


■2004/08/09(月) 16:45

 夏山からもどり、気がつくともう4日も経っている。身体の疲れは取れたが、ちょっと左アキレス腱の辺りが少し痛む。登っている途中で若干腫れもあったので、降りてきてもまだ完治していない。ただ、切れたわけではないので、そのうち治るだろう。毎日歩いていたせいか、それ以外の部分の痛みはほとんどない。夏山もあっという間に終わり、これが終わると、気持ちとしては夏休みはもう終わった気がしてしまう。あとは、浮世の義理での付き合いなどに費やされるだけだ。

 明日からは故郷会津に帰省する。早朝には自宅を出る予定でいる。持ち物の準備もほぼ済ませ、車にガソリンを入れてくるだけだ。会津にはまっすぐに帰るわけではなくて、あちこち寄り道をしてゆく。まっすぐに帰るのも飽きた。それに、もう実家に帰るわけではない(両親がいないので閉めた)ため、どうしてもカミさんの実家などへ逗留することになる。こういうのは、けっこう気をつかうものである。向こうはそんなふうにはおもっていないだろうが、こちらが気を使ってしまうのだ。泊まれば食事の世話から寝床の世話といろいろ面倒をかけてしまう。いくら身内のこととはいえ、そこにはおのずと限度というものがある。だから、泊まる日数をできるだけ少なくするために、途中は温泉などに寄り道して、帰りもできるだけ速やかに戻るようにしている。もう、昔のように牧歌的は帰省などできる時代ではなくなっている。この夏も用事が済んだら、速やかに自宅にもどるのが一番である。それに、落ち着くのはやっぱり自宅だ。

 もう故郷の親戚も、ほとんどが代替わりしており、おじ・おばなどの直接お世話になった人たちもあの世に行ってしまっている。幼い頃のお盆とはもうまったくちがってしまっている。みんな仕事があり、休める期間も限られている。そこに長居はできない。こういう現実はあまりいわれることはないが、どの家でも同じであろう。こうして、知らず知らずのうちに、故郷は本当に遠いところになってゆくのだとおもう。まあ、それはそれで仕方のないことなのだが…。

■2004/07/31(土) 10:15

 夏山の出発準備もほぼ終わった。昨日まで仕事に行っていたが、きょうから1週間ほど夏山に出かけるため、来週はお休みすることにした。お盆の頃にある夏期休暇を来週に取ることにしたのだ。台風10号が変な進み方をして、現在九州・四国周辺に上陸かとか天気予報でいっている。当然、山には影響するが、天気が悪いときに出発するのは、実はいいことなのである。もうこれ以上に悪くなることはないし、台風もあと1日か2日で熱帯性低気圧に変わり、日本海に抜けていくだろう。それほどのことはないとおもう。ずっと天気の変化は見つづけていたし、それほど心配はしていない。ただし、山では天気の急変はいつもありうるので、油断は絶対にしない。あぶないときは、近くの山小屋に逃げ込むことにしている。

 今年の夏山は、北アルプスに行く。広い山域なので、もちろん全部の山を登ったわけではない。だから、ところどころにポツリポツリと登っていないところがある。そういう山をゆっくりと登ってみようとおもっている。この夏は、山岳会のメンバーのスケジュールが不思議と一致し(わたしが強引に一致させたという声もあるが…)、6名の参加を得た。今夜の夜行で出発するので、今頃はみんな荷物をザックに入れる作業をしているかもしれない。わたしは、バタバタするのも嫌なので、1週間かけてゆっくりとザックの整理をしていた。あとは、夕方に横浜に集合なので、自宅を出る前になったら、山服に着替えて出かけるだけである。この服装をビシッと着替えると、不思議と「登るぞ!」という気合が入ってくる。こういう意味では「〜服」というユニフォームは大切でもある。形が気持ちを作る例だろう。

 心配していた減量もほぼ予定通りまで落としたから、身体は軽い。いつでも、目的に応じて減量できるのは助かる。山では自分の余分な体重は足への大きな負担になる。荷物も余計なものは極力廃してある。ただし、各自に割り当ててある酒類はしっかり準備した(もちろんおツマミ類もだ…山路さんからきびしい割り当て表が手紙で送られてきたくらいだ)。ザックの半分はこれに費やすほどの気合の入ったものになった。山で8時間行動するのは、フルマラソン2回分くらいのカロリーを消費するそうだ。そんな自覚をもったことはないが、道理でアルコールがしっかり消費されてしまうのは、そういうわけだったのか。安全が第一なので、多少日にちはかかっても、全員無事に帰宅できるよう、気をつけて登って来たい。

■2004/07/27(火) 11:34

 ようやく本日の物理補習も終わり、一息ついている。2時間近くやった。要点だけをきちんと押さえるようにして進めても、そう短時間で終わるものではない。受験に必要な解法をていねいに教えて、その計算法も目の前でやってみせ、必要なら実験も見せる。そういうやり方がいいとはいわないが、わたしにはそうしないと物理はわからないという「おもい込み」がある。物理はやはり頭をふりしぼって汗をかきながらやることで身に付くとおもうのだ。楽しくて、楽にわかる・できるというのはわたしにはとても理解できない。それほど頭の出来の良くないわたしには、それが限度のようだ。これがわたしの「物理の壁」のようだ。

 さて、ふつう「山」のことは、雑感では書かないことにしているが、数日後に夏山に出かけるので、ちょっとだけ書く。山は高校を卒業してからはじめたから、もう30数年になる。浪人時代も登っていた。自宅の近くの小高い山などを除けば、本格的な山に登ったのは、多分小学校4年頃に登った「会津磐梯山(1819m)」が最初だとおもう。現在とちがって標高500mほどの翁島登山口から登ったから、けっこう大変だったように記憶している。会津は周囲がすべて山なので、正直なところ「こんな山奥で一生を終えたくない」と強くおもっていた。会津を飛び出すキッカケは大学進学か就職かのいずれかしか選択の道はないと当時はおもっていた。「山」など目の前にいつでも見えるから、全く眼中になかった。だから、登山などかんがえたこともなかった。部活動は水泳部だったし、水泳は今でも得意である(もう速くは泳げないが)。

 大学に入ってから鬼の霍乱というやつか、どういうわけか、山登りに夢中になった。じつによく登った。週末のたびに、丹沢やら谷川やらと出かけた。社会人の山岳会にも所属していたので、ルートのない沢筋ややぶこぎの登山も散々やった。もちろん、冬山も正月登山と称して、出かけた。寒いばっかりで、それも吹雪ばかりで景色など見たこともない。社会人(わたしの場合は教員)になって、まさか、登山をつづけるとはこれまたかんがえたこともなかった。あれは、学生時代のおもいでだとおもっていた。ところが、どういう運のめぐり合わせか、わたしの机の目の前に山関係者がいた。それが名前どおり「山路さん」だった。おそらく、この先輩教師がいなかったら、山になどもう登っていなかっただろうとおもう。初任のときに、山岳会を作り、あれからもう27年経つ。

 山はいまでも怖い。天候のいいときは運がよかったとしかおもわない。ふつうは悪いのだ。頂上でも油断はできないので、長居はしない。岩場は好きだが、もう身体が硬すぎて、ちょっとしんどい。山に登るために、いつも減量している。山は肥満がきらいだ。痩せすぎくらいでちょうどいい。今もって理解できないのが、ブームになっている「中高年登山」だ。「日本百名山」登山も流行っているみたいで、旅行業者もこれに便乗して、キャリアの少ない添乗員をつけてあぶない登山をしている。山の怖さを知らないというのは、本当に能天気である。「お花がどうの…」「自然がどうの…」と全く話にならない。わたしは他人事はどうでもいいことなので、ふつうは興味もないが、山ではこちらの身に降りかかるので、放ってばかりもおれない。山であのにぎやかなおばさん連中に会うと、がっくり来る。できるだけ会わないコースを歩きたいが、どこまでも入り込んでくる。岩場での基本が出来ていないので、危なっかしくて見てられない。ストックを手に持ったまま岩場に取り付いているのなど論外である。それで、こちらも待ち時間で時間を取られ、苛立つこと限りなし。「来るな!」とはいわない。山に来るだけの知識と鍛錬とマナーを身につけてから来てほしい。べつに山がわたしのものではないことなど承知しているが、山では結局だれかに迷惑をかけてしまうのだから。日本の山はどちらかというとなだらかなので、甘くみているのではないか、とおもう。山は旅行とはちがい、一旦天候などが崩れれば、いつでも遭難(最悪のときは死につながる)の可能性がある。しっかりとした準備をして登ってほしい。山の準備は装備だけではない。自分の登る山をしっかり研究しておいて、それに合わせて、自分の力量もかんがえて登ってほしい。お互いの安全のためにも…。偉そうにいっているわたしでさえ、毎日鍛錬しているんだから。

■2004/07/26(月) 14:16

 夏休みに入って、進学補習と保護者面談をつづけている。カレンダー通りの出勤であるから、とくに苦痛でもない。むしろ、雑用がない分、集中して取り組めるので、補習などは気持ちよくできる。9:00〜11:00までは、3学年(2年生でも受講は可)対象の「物理TB・U演習」をする。これは、3年の1学期までにやった物理の内容の復習とそれをパワーアップするための入試問題の演習を主目的にやっている。ちょうど、学校の授業のレベルと予備校などの講義・演習レベルの中間くらいをねらったものである。一般の予備校での講習会ではむずかしいというレベルの生徒たちに焦点を合わせているつもりだ。だから、おもったよりも、進度はのんびりしている。受講生は数名で、もちろん無料である(問題集だけ実費購入してもらった)。ほとんど、2時間近くぶっつづけでやるが、それほど疲れは感じない。汗はダラダラ出るが、べつに気にしていない。返って、夜のビールが美味しくなるというものだ。午後は、クラスの保護者面談を数名やっている。こちらも、休み中なのでのんびりしている。どちらにしても、雑用がほとんどないため(メンバーが全員揃うことはないため、会議はできないから)、気が楽なのかもしれない。

 7/28(水)までの計6日間をこれに当てている。物理の進学補習は8月末の1週間にも予定しているが、やる内容はまだ決めていない。今週の土曜日(31日)からは、夏山登山に出かけるため、講習会の日程も少し早めた。きょうも帰宅すると、少し山の準備をしようかとおもっている。主な持ち物類はいつもパッキングしてあるので、それをザックに放り込むだけなのだが、毎回、ちょっとしたものを忘れるクセがあるから、今回はそれがないように、一応チェックしている。このときが、一番楽しいのかもしれない。

 夏山と帰省などには、民間でも当然ある夏期休暇(教育公務員は5日)と自分の有給休暇(年休)を当てている。職場から緊急の呼び出しがあるかもしれないが、それ以外はしっかりと休める。すでに、1年間のスケジュールには1月頃に入れてあるので、のんびり休む。このために、無駄な年休はほとんど取らない。今年度は4月に風邪で1日年休を取ってしまったが、これはわたしの失態である。ま、人間いつ病気などをするかもわからないが、それは心配しても意味はない。1年のうちで、年休などを取る日は、基本的にはあらかじめ決めておいて、それをエサにして仕事をしている。こういうやり方をみても、自分がそれほど仕事好きというわけではないことがわかる。でも、こうしてバランスをとりながらやらないと、人を教えるなどという仕事はけっこうしんどくてできない。東京都の石原都知事も「教員は夏休みは年休をとって休め!」と偉そうにいっているので、その通りに実践させてもらっている。神奈川でもどうようのことをいいだす雰囲気になっている。バカは伝染する。

■2004/07/19(月) 07:56

 昨晩、風呂の順番待ちをしているときに、何気なくNHKでやっていた「トラック・列島3万キロ」というのを見てしまった。定期便のように長距離を走り回っている”追っかけ便”と呼ばれるトラックのドライバーたちの生活をカメラが追いかけていた。早朝の各市場への定刻までの配送に、命を削るように取り組んでいる人たちのことだ。以前は、各市場には荷降ろしのための人員もいたが、今は人員削減のために、荷降ろしもドライバーの仕事になっているとのこと。定刻までに荷物を届けられないと、遅延になるため、その賠償をしなければならないため、ドライバーはほとんど休みなしに運転をつづける。ほとんど1年中トラックでの生活がつづく。TVの番組だから、相当の演出が加わっていることは当然としても、これに近い生活があることは事実だろう。こういう「綱渡り」的な仕事を基盤として、わたしたちの日常生活が成り立っている。あまりにもろい基盤に、愕然とする。こういうシステムでは、早晩に崩壊を起こすだろう。仕事の量は増える一方なのに、それを処理する人間の数はどんどん減らされている。事務職ならともかく、物流を担当する部門でもこれでは、安心した供給は望めない。長距離トラックのドライバーたちの生活をまったく知らなかったとはいえないが、ここでも人間の酷使がやむなくおこなわれている。人間の心身的な能力など、短期間ならいざ知らず、長期間に及べば、たかが知れている。ドライバーたちの苦悩の上に、あのスーパーやコンビニの安売り競争がおこなわれている。これでは、どうみても、そう長続きしそうにはおもえない。当然のことながら、こういう過酷な仕事は大企業ではなくて、その下請けのさらに孫受けの地方の零細な企業が担当する。不安定なシステムはカタストロフィックに崩れる。道路一本壊れただけで、こうした事態はおこる。日本だけでなく世界の先進国のインフラ(社会の基盤)は、じつにもろい。

 何気なく見た番組で、深刻がっても仕方ないが、参考にはなった。NHK辺りでしかやりそうにない番組なのが、ちょっと気にはなったが。4割引で見ると、確かに実態に近いのかもしれない。

■2004/07/15(木) 09:16

 暑い〜、(~_~;)。今、この物理室で32℃ある。座っていても汗が身体全体から噴出してくる。きょうは、3年生は水泳大会。そのほかの学年は50分授業で3校時目まで授業がある。わたしの授業は2・3校時目に2コマ入っている。休み前のこの時期は、職員は成績処理に追われながらの授業で、教員にとっても生徒にとっても「消化試合」みたいな感じである。生徒も大変であるが、それまでいろいろな行事でつぶれていたクラスの授業が数合わせのように入ってくるために、正直なところ迷惑でもある。実質はもう授業としては2学期の分に入っているのだが、生徒にそんなことをいっても通用しない。職員の側の勝手な論理である。わたしは特に芸もないので、通常通りの授業をするだけだ。すでに「梅雨明け」もして、真夏に入った中で授業がまだ成立しているだけでもありがたいとおもう。指導の大変な学校では、もうこの時期はどうにもならない。スポーツ学校のような勤務校では、比較的暑さにも強い生徒が多く、感心している。わたしの担当のクラスは、2日前の水泳大会では、見事1位(学年ごとに開催しているため)の栄誉を手にした。ふだん教室で見ている彼らとはまた違う一面を見ることができて、とてもいい大会だった(わたしは授業の関係で、少ししか応援にはいけなかったが…)。よく頑張ってくれた。

 きょうの3年生の大会は、暑くて大変だろう。かれらにとっては、高校生最後の水泳大会であるが、こんな水泳大会自体をやっているところも少ないから、卒業後もきっといい思い出になってくれるだろう。水泳部を長くやってきたわたしから見ても、彼らの泳ぎはけっこういい。こういう機会でもないと、水泳の大会などまずやることもないから、多少強制的にでも経験を積ませておくことはいいことだと、個人的にはおもっている。きっときょうの大会も盛り上がっていることだろう。

■2004/07/14(水) 10:18

 成績処理も終えて、ほぼ1学期の成績が出揃ってきた(最近では2学期制のところも増えているので、勤務校も今年度が最後かもしれない)。今年度担任をしている1年生も入学して早くも3ヵ月半になる。この間に、定期テストが2回、その他教科ごとの種々のテストなどがあり、成績が決まってくる。教科ごとに成績を出す過程はさまざまなので、じつは学校に勤務していても、そのすべてがわかるわけではない。とくに、実技教科などはおおよその見当はつくものの、どのようにして成績を出しているのかは、正確なところはわからない。どのような形にせよ、学校と呼ばれるところでは、この成績表がついて回る。わが国では、ほとんどの人が学校へ通った経験があるので、この成績表(通知表とか通信簿とか学習の記録などなどの名前あり)をもらったことのない人は、まずいないだろうとおもわれる。学校での成績表のつけ方は、他の分野に比べれば、単純なものだ。最近、観点別評価とかいって、わざわざことをむずかしくるすような評価法が幅を効かすようになったが、いじればいじるほど改悪になる典型的なものだ、とわたしはおもっている。あわせて「絶対評価」とかいうのもおおげさに取り出されているが、じつに虚しい。これを小中学校に持ち込むことで、何か生徒の資質に向上のあとが見出せるかというと、何もない。高校などでは以前からずっとこの評価法であるが、それで高校生のレベルが上がったなどの兆候はない。むしろ、学力は確実に低下している。教育の成果はすぐに見えないことをいいことに、教育委員会の連中や教育学者が好き放題のことをいい、それを現場に押し付けてくる。まったく、バカな連中は跡をたたない。

■2004/07/09(金) 15:01

 期末テストがはじまって、あっという間に終わり、そして採点。「仕事は迅速に正確に」を心がけているので、その日にあったテストはその日のうちに採点を終えることにしている。今回、2日目の3年物理だけは人間ドックとかち合ってしまったために、翌日の土曜日に職場に来て、1時間半ほどで採点を終えた。それ以外の2年物理、1年理科総合Aの採点は、予定通りその日のうちに何とか採点を終えた。すでに「梅雨明け」したような、熱気の中、滴る汗を拭き拭き採点するのは正直いえば大変だ。でも、生徒には4月のはじめの時間にいってあるので、やるしかない。先に先にと延ばそうとおもえばできてしまうから、自らを追い詰めるためにいっているみたいなものである。採点のときは、正解をつくったものと、生徒の解答用紙、赤いボールペン以外は持たないで、物理実験室の広い机の上で集中してやる。午後の暑い中であるから途中で眠くなるのは避けられない。そういうときは、すぐ近くの水道で顔を洗って気持ちを引き締める。誘惑になるものは、一斉持たないでやらないと、すぐに集中の糸が切れてしまう。1組ごとに区切って、それが終わらないと、トイレにも行かないと決めてやらないと、いくらでも逃げ口実は自分自身で作ってしまう。採点がきちんと終わったときの快感と、帰宅時にちょっと寄り道して美味しい「大生ビール」を飲んで帰るのが、自分への褒美なのだろう。いい歳をして褒美もへったくれもないのだが、目の前に「にんじん」をぶら下げないと、なかなかやる気も起こらないときには、こういう方法もそれなりに効く。こうして、採点を火曜日のテスト最終日には終えた。

 よく水曜日からは3日間のテスト返却日。わたしは、テストの解答を黒板であれこれ説明するのは好きでないので、自分が採点用に使っている「解答」をそのまま印刷してテスト返却時に解答用紙と一緒に生徒へ配布している。細かい配点もすべて書いてあるので、それを見て、生徒は点数のミスなどあれば、訂正することにしている。今回は、総勢8名ほどのミスがあった。点数幅は1点から5点までである。単純な点数の足しまちがいが1件。あとは、正解のものを×にしていたものだ。これは、おなじ箇所で同じまちがいをしていたから、おそらく眠さと戦っていたときに採点した箇所であろう。内容に関して質問してきたり、自分の解答の理を説く生徒は、残念ながらいない。わたしはそういう生徒になってもらいたいのだが、どうも出てこない。生徒のほうに理があれば、わたしは何の躊躇もなく、正解を変えることは気にしない。そういう訓練を受けてきたし、それがわたしの科学に対する態度だからである。科学に歳など関係ないし、目上とか目下とかない。より理の明らかなほうに従うまでである。専門が専門なので、理屈にはうるさいとおもう。ただ、教師だからとかの権威は自分にはあまり似合わないので、そういうのはほとんど関心もない。

 大流行(おおはやり)の「情報の公開」とかで、テスト問題も毎回作ったものを解答も一緒に各教科ファイリングしている。だれがこれを見るのかはわからない。が、一旦作るとなったら、誰かが「やめろ!」というまでつづける。こういうのを情報理論では「バナナ原理」という。物理の問題など内容の批判までできる人などどれくらいいるというのだろう。日本国内の8割は文科系の人間で、物理など問題の意味さえちんぷんかんぷんだろう。裁判沙汰になったとして、裁判官や弁護士にその力があるとは到底おもえない。まして、父兄のほぼ99.9%は物理の問題を解くことなどできない。そういう状況で、なんで猿真似のように「問題のファイリング」などしているのかさっぱりわからん。わたしの感想はただ簡単で「バカか!」である。高が高校の物理の問題などというなかれ。わたしの勤務校でも物理を選択している生徒数は、2年で学年の2割、3年では1割にも満たない。こういう生徒たちが大人になってゆくのである。どこかの国で、物理を選択にしようとしたら、PTAの父母たちから「科学の基礎である物理を学ばないで、化学や生物を学んで何の意味があるのか?」と学校当局へ抗議があり、物理を必修にしたという話を聞いたことがある。そういう国は、21世紀の国であろう。我が日本は20世紀までの国のようにおもえて仕方ない。そういう国とはたして対等にやっていけるとはだれしもおもわないであろう。

■2004/07/03(土) 12:19

 昨日は、人間ドックへ行ってきた(終わってすぐに出張も入っていたが)。昨年の5/23からはじめた「一日一食断食減量道」の1年間の成果をみる絶好の機会だったので、結果が楽しみだった。検査は、8:30頃からはじまり、10:00前後には無事終了した。そのあとは、11:00から昼食があり、13:15から問診があった。一番で受診しようと、早朝の5:50には家を出たが、受診する病院に着いたのはちょうど7:00。まだ、人気がなかったので、「やったな」とおもって中に入ると、やっぱり上には上がいるもんだ。もう、2人来ていた。わたしは、残念なことに受診番号3番であった。返す返すも悔しくてならない。けっして油断などした覚えはないのだが、電車の中をしっかりと走らなかったのが原因かもしれない。ま、それで、仕方なしに3番目に受診を開始した。

 この日のために、ここ1ヶ月は「減量道レベルA」という勝手につけた一番シビアなレベルに生活を変えていた。これは、完全一食とどんなに飲んでも、歩ける天気ならすべて歩いての帰宅を励行するもので、まるで修行僧になったような生活である。飲み会が多いと、すぐに2kgくらいの体重増はあるので、飲むときにも油断はしなかった。ここ数ヶ月はほぼ70kg前後をキープしていたので、そのままの態勢で人間ドックになだれ込もうという作戦でいた。高が「人間ドック」と侮るなかれ。ここでの数値次第では、今月末に出発する夏山合宿に大きな影響を及ぼす(とくに精神的な影響は大である)可能性が高い。そこで、下界での体調を万全にしておいて、夏山を迎えるのにちょうどいいところに、人間ドックを入れてみたのだ。それまであったいろいろな健康的な問題がどれくらいクリアできているかがはっきりとわかる。結果はどうだったか。おどろくなかれ、コレステロール値が基準値よりほんの少し高めに出た以外は、今までの諸問題がほぼ全部なくなっていたのだ!体重は最大時の80kgから10kg落とした70kgで臨んだ。これ以上に落とすには、酒をやめるしかないだろうから、それは止めた。血圧もまったく正常。何といってもおどろいたのは、ここ10年近くもいわれつづけていた「脂肪肝」が消えてしまったことだ。映像にはきれいな胃、胆のう、肝臓、肺、などがくっきりと映し出されており、問診した医師も「よく減量できましたねー!」とおどろきの顔。わたしは、「一日一食断食減量道で痩せました!」などと脳天気に答えることなどはしなかった。「まあ、ちょっと運動しまして…」とぼかしておいた。下手に説明など不要である。もう、身体がきちんと答を出してくれている。1年以上も実践して、栄養不足にもならなかったし、死にもしなかった。毎日ちょこっとしか食べないのに「鉄分もカルシウムも十分に取れていますね」とのこと。栄養のことなどまったく考えもしないで生活していたが、あれでこの結果なのだ。一体人間の身体ってどうなっているのかと、不思議な気持ちになる。

 まだ、前かがみになると少しだけ残っているお腹の贅肉。これを完全になくしたときが、おそらく65kg前後になるのだろう。でも、何だかもうこれでいいなという気持ちでいる。なくすつもりならいつでもできるからだ。ちなみによく問題になる「体脂肪」は、それまでの26前後から一気に18(基準値は13から24とのこと)になり、まったくの正常値になってしまった。そうだよな…、もう脂肪分などわき腹の一部にしか残っていないもんなー。ここ1年間、別段トレーニングなどしないようにして、歩きとこの減量法だけで効果を試してみたわけだが、一番安上がりの方法で(食費も助かる)一応の成果を出すことができたことは、正直うれしい。夏山にも朗報だ。山に出かける残り20日ほどで、あと少しの減量をして、夏山に気持ちよく登りたい。精神面での問題(慢性うつ病…と自分ではおもうのだが)も、それなりに落ち着いている。あれこれ悩んでいる前に、自分で実践してしまったことが、功を奏したとおもっている。実際には、これからの維持のほうが大変なのだ。これは、自分にいいきかせている。元気なうちは、これをつづけようと。

■2004/06/28(月) 08:05

 今週の木曜日から1学期末定期テストがはじまる。前回の中間テストでは、問題作成が遅れ、ちょっと焦った。何とか間に合ったが、急いで作ると作成ミスもあるため、この期末テストでは、テスト20日前ほどから、作成に入った。すでに、問題は完成しており、見直しと図の貼り付けのため、最終的な印刷をきょうまで延ばしてきた。今日中には印刷まで終えて、施錠のできる隠し場所にしまう予定だ。

 今年度は定期テストを3種類作成している。年間5回の定期テストがあるから、合計で15回分の問題をつくる。1種類につき大問10題だから、年間で150問作成することになる。テスト時間は50分なので、1問5分で解けるような内容にするように努力はしている。定期テストという性格上、授業で扱った内容のものだけに限定して出題している。これは、できる生徒には少し程度が低くおもわれているようである。が、大勢の生徒にとっては、それでもおもったような結果はなかなか出せないようだ。平均点が60点前後になるようにと、ヒントなどもあちこちに入れてあるのだが、まず気づかない。テストを作問する側の心理に立てば、定期テストはほとんどどういう問題が出るかは予想できる。その辺のコツを意識している生徒は稀である。中にはまったくトンチンカンな対策をして、的をはずしている生徒もいる。

 生徒には、この定期テストが評価を出すときにもっとも重要視するといってあるが、もちろんそれだけでつけているわけではない。普段のときの豆テストや、自由課題を出しておいてそれを提出させたり、授業中に口頭で質問してみてどれくらい答えられるか、的をキチンを把握しているか、などなどを参考にする。テストで評価をするといっても、テスト自体に問題があることもときとしてあり(かなりあるかもしれない)、決してテストの点だけで生徒の評価を決めることはおもったほど簡単ではない。教師個人の好みなどが入るのは、問題外として、「関心や意欲」などというあいまいな観点を重視しようとする傾向には、わたしは疑問を感じている。

 減る一方の時間数(2年・3年では選択が増えてくるため。3年の文系の生徒だと週5日のうち3日は3校時目までで終わってしまう生徒もいる…こういう自由選択は百害あって一利なしなのだが)、を何とかしないと生徒の学力は極端に悪くなるだろう。現場で見ているとできる生徒とそうでない生徒の二極分化がはっきりと現れている。学校の成績など…と侮ってはいけない。最近流行の「推薦入試」では、こういう風に出されてくる学校の成績で進学先もほぼ決まってしまう。国公立や私学の難関大学を狙うには、それなりの勉強が現在でも必要で、そういうところは「推薦枠」もはるかに少ない。きちんと勉強してきた生徒を望むのはどの大学などでも同じであるが、私学の大多数は学生確保が大きな課題になるため、どうしても安易な「推薦入試」に頼らざるを得ない事情あある。そのうちに、大学も高校も自然淘汰されるであろうが、具体的にはどこがどうなるのかはわからない。

■2004/06/25(金) 15:49

 授業も終わって、部活動のある生徒以外はテスト前というので、いつもより早めに下校していった。帰りのSHRのときに、英語科から今度の期末テストの範囲がプリントで配布された。黒板に貼ると、時代ですねー、みんな携帯のカメラで撮りに集まるんですね。これが、見ていておもわず笑ってしまった。中には、写真の撮りすぎでメモリがなくなってしまった女子生徒などは、仕方なく紙にメモをとっている。ほとんどの生徒は、黒板のあっちこっちに書いてあるテスト範囲をこの携帯のカメラで撮っている。こういう光景を見ていると、つい5・6年前の高校生たちの姿が、まるで夢だったかのように感じられる。こういうようすを「まったく困った現象だ」と見る人もいれば、わたしのように「うまい使い方をするなー」と感心するものもいる。彼らの時代の次にはどんな情報機器が出てくるのかはわからないが、どんどん変わってゆくことだけははっきりしている。こういう携帯用カメラもそのうちもっと違うものに変わってゆくのだろう。技術の流れをだれも止めることはできない。

■2004/06/23(水) 13:15

 暑くなった。今昼休みだが、物理室で30℃ある。座っていても汗がじわーと顔に滲み出てくる。この暑いのに、わたしの服装は、理科教師定番の「白衣」である。いつも親しく声を声をかけてもらっているY先生から「大竹さん、この暑さで白衣とはガマン比べだね」といわれてしまった。そこで、わたしは即座に「これは、理科系のプライドです」と答えておいた。おそらく、理科の教員からもらって、寒いうちは着ていた他教科の職員も、もうこの時期になると、みんな退散してしまう。これからは、年季の入った理科教員だけが、暑い中でも白衣を着続ける日々になる。やはり、本物には毅然としたプライドが必要なのである。わたしは、白衣の下にはTシャツを何枚も持ってきておいて、汗をおもう存分かくようにしている。汗びっしょりになって授業をすると、「やったな」という気分になれる。

 白衣はなぜ着るのか?過去のことも調べてみたがよくわからない。でも、物理の実験などでは着ていると助かる。まもなく参議院選挙の公示であるが、昔、ギリシアやローマでは選挙に立候補する人は、白衣をまとって街頭を歩き、演説したそうな。立候補者のことを英語で「Candidate」というが、「Candid」は「白い(服)を着た」「ate」は「人」を表すのが語源である。身の潔白を証明するために着たものとおもわれる。理科教員が着ているのにも、自分の私利私欲は捨てているという意味があるのかもしれない。自然に忠実であることの証明かもしれない。

 最近の選挙をを見ていると、どうも白衣を着た人は見かけない。ひょっとすると、白衣を着なくなった(あるいは着れなくなった)ことが、政治の腐敗を招いているのかもしれないなーなどと勝手なことを考えてみた。

■2004/06/20(日) 11:01

 ここ1週間は「梅雨の中休み」のようで、晴天がつづいていた。が、現在、沖縄辺りに台風6号という大型の台風が近づいているとのこと。次第に天気は下り坂になっている。南風がつよく吹いていて、ジメッとする。室温はほぼ30℃。キーボードのキーが指に張り付く感じがする。今まで、日曜日恒例のホームページ更新の作業をしていたところだ。昼過ぎには、少し散歩にでも出かけて来ようとおもっている。

 メールをチェックしていると、相変わらずウィルスの入ったものが多い。わたしは、プロバイダにメールのチェックとウィルスの削除をしてもらう設定にしてあるので、直接ウィルスの入ったメールを受け取ることはない。しかし、ウィルスを削除したという報告のメールがたくさん来る。メールチェックのたびに来る。そこで、メーラー(わたしは、JustsystemのShuriken Pro3 R2を使っている)で、そういうメールをそのままゴミ箱に直行するように設定していた。現在は、それも面倒になったため、「nPOP」というフリーの小さなメーラーを使い、メールサーバー上でそういう余計なメールはダイレクトに削除してから、受信するようにしている。ときおり、まちがって大事なメールも削除してしまっている可能性も無きにしもあらずであるが、それは致し方ない。メールのタイトルを見て、問題のないものだけを残して受信するのだ。入れてしまってから仕分けするのでなく、入り口前でチェックして、不必要のないものは中身にふれるまでもなく、即削除という形式にしている。手間といえば手間であるが、受信後にメールを読みながら削除するのよりは、時間的にもまったくあっという間に100通くらいの迷惑メールが削除できるので、こちらのほうがじつは簡単だとおもっている。130通くらい来て、そのうち受信まで行ったのが3通などというのはザラである。自分のHPにメールアドレスを紹介しているせいか、よくもこれほどというくらい来るときがある。きょうも朝から50通くらいは削除した。メールサーバーの段階で余計なものを削除してくれるのが一番いいのだろうが、どれを削除するかはクライアント側の判断を仰がずにはできないから、これくらいの手間は止むを得ない。これだけの防御をしていても、完全ではないだろう。やれる範囲でやっておく、という程度でいいとはおもうのだが。

 受信したメールの中には、ホームページに関する苦言も多々ある。書いてある内容に対するお叱りもある。こちらに非があれば、素直にお礼をし、あやまる。すぐに特定のできるページならば、訂正して直している。そうでないものは、とくに気にしない(ようにしている…ほとんど無視)。氏名をきちんと書いてきているメールには、それなりの敬意を払いつつ、返信を出すようにしている(努力はしている)。個人的な印象では、インターネットの匿名性を楯に、かなり感情的なメールを書いている人が多いとはおもう。気軽にメールできるようになったのはいいのだが、その分節度はなくなっているのだろう。それに、文章で的をはずさないものを書ける人はそんなにいるはずもない。先日あった小学生同士の悲惨な事件も考えさせられた。あの歳にしては早熟な…という印象を受けたが、どうも早熟というより単に幼稚園児に道具を与えた結果のような気がする。世は、猫も杓子も「IT化」と騒いでいる。どんなものでも使いようである。道具に文句をいってもはじまらない。道具をきっちり使いこなすにはそれなりの知識と訓練が必要だ。「操作法」だけの世界になっているような気がして仕方ない。これは、自分自身に対する自戒に念もふくめてである。

■2004/06/13 (日) 14:44

 昨日の午前に出発して、伊豆の湯ヶ島温泉に行って来た。友人に誘われていたのだが、どうしようか迷っていた。ちょうど、教育実習の期間も終わったので、いい機会だとおもい、連れて行ってもらうことにした。宿は、川端康成氏が「伊豆の踊り子」などを執筆した「湯本館」という由緒ある旅館とのことであった。わたしの目的は、湯にゆっくりと浸かることとちょっと飲むことだけだったので、文学的なことはあまり興味もなかったが、偶然にも川端氏が執筆していた部屋のすぐ近くだったので、その部屋(見学用に開放している)を覗いて見た。6畳くらいの狭い部屋で、真ん中に座卓が置いてあるだけだった。ここで、あの有名な本が書かれたといわれても、「ヘーェ、そうなんだ」という感じではあった。部屋に光が入ってなかったのと、フラッシュの調子が悪かったせいか、あまりきれいには撮れていないが、載せてみる。ここは、2階にあり、他の部屋とは離れて、一つだけぽつんとある。長く投宿していたので、この部屋になったみたいだ。フロントのある1階の壁には、歴代の「伊豆の踊り子」の主演をした女優さんの写真が何枚も飾ってあった。わたしは、そういうのには関心はなかったが、一応見た。川べりの露天風呂がよかった。湯の熱さもわたしにはちょうどよくて、4回入った。気持ちよく飲めた。夜、近くの川にホタルを見に行った。あんなに多くのホタルを見たのは、子どもの頃以来だった。いい旅に誘ってくれた友に感謝したい。

■2004/06/08(火) 09:59

 つい先ほど、1時間目の授業が終わった。2年生の物理の授業で、実習生に授業をしてもらった。正直いって、1時間じっと黙って見ているのもつらい。指摘したいことは多々あっても、よほどのまちがいを教えることでもないと、声をかけることはできない。見ていてじれったい気持ちを抑えながら我慢するしかない。貴重な授業時間を使っているのだから、できればこちらの意図するレベルの5割ねらいをするのだが、実際には2割もいかない。実習生の責任ではないのかもしれないが、いかんせん、物理そのものの知識と理解があまりに粗雑すぎる。生徒に教える以前の問題だ。おそらく、わたし自身のときにも、実習を見てくれた恩師たちは同じようにおもっていたのかもしれない。しかしである、どうも実感として(単なる実感でなくて、そのときの実習ノートも見てみた)、大学生の学力レベルはかなり下がっているというのが偽らざる感想だ。考えてみれば、当たり前かもしれない。もう、同年代の半数近くが大学へ進学している時代である。少なくても、大学入試の難関を突破しないと進学できなかった時代とは、大きく進学情勢がかわってしまっている。それを考えると、これからの子供たちは、そういうレベルの教師たちに学ぶわけか、とちょっとため息が出てくる。

 教育実習の期間は、体育科を除くと、大半は2週間である。これだけの日数なので、見る方も手を抜こうとおもえば抜ける。実際に適当に見ている人もいるだろう。しかしである、それでなくても少ない物理の時間(週3回)を2週も手放すのだから、現場での影響はある。実習生に授業体験をしてもらった時間の保障はない。その時間のやり直しなどはないのである。定期テストまでの日数は決まっているから、そんな時間はまず取れない。実習生がやった内容で、テスト問題の作成もする。だから、実習生がやったからといって、その範囲が出ないわけではない。わたしの代わりに実習生が授業をしたというだけなのだ。だから、間違ったことなど教えないように、こちらもけっこう気をつかう。教員の後継者を育成するという名目で、まったくの無料奉仕としておこなわれている(以前は当然、謝礼が必要だった!わたしはそれが礼儀だとおもうのだが)。全員が本当に教員になるわけではないのだから(むろんなれる訳ではない)、教員免許取得のためにだけ来る学生も多い。最近、本当にこういう状態でいいのかと、自分のことは棚に上げて、嘆きも出てくる。現場では本当はやりたくない。しかし、「卒業生だし、特に断る理由もなければ、仕方ないか…」というのが本音なのだ。2週間面倒をみるのは、もっと長いのより、返って疲れる。あと、3日だとおもっても、気は重くなる。

■2004/06/05(土) 11:29

 土曜日の校舎内は、じつに静かだ。運動部の生徒たちは外で練習に励んでいる。わたしの指導にあたっている「ライフル射撃部」は、隣の物理実験室が活動場所なので、準備室でこうして書き物などして過ごしていても見れるのがいい。というより、物理実験室でないと距離10mの射的に向かうこの練習はできないので、昨年度末に現在の顧問と部員に泣きつかれて(ま、実際に泣くわけはないが)、貸すことにした。わたしの私物であるはずもないが、実質的な管理人はわたしなので、条件付で部室まで含めて貸すことにした。それもあって、今年度はその顧問の1人として、名前がはいった。指導など何もできないが、ただ練習のときに校舎内にいるだけでいいので、気は楽である。ライフル射撃自体が、精神の集中は必要だが、他の運動系とはまったく違うため、安全上の問題はほぼない(とおもうのだが…)。そんな部活動なので、ぼんやりしていてもいいのだが、つい来週の授業の準備をしたり、こんな気休め文を書いたりして、時間を過ごしている。13:00までだから、あと1時間半ほどある。

 休みの日の学校は、静かで好きだ。家でゴロゴロしているのは、自分にはあまり似合わないから、学校で過ごしていた方が気分はいい。ただ、自宅と職場としての学校は遠いので、本当は歩いてすぐに行けるような学校へ転勤したい。そうなると、もう学校はわたしの書斎代わりだ(定年までだけど)。そういうところに転勤できるように毎日15分念じている。これは、きっと効果があると信じている。現在のこの職場には少しの不満はあるものの、取りたててブーイングを出すほどの不満はない。クラスの生徒も気持ちのいい連中が多いし、職員もいい人が多いのだろう。何かいうと、「ぶっ殺すぞ!」などと脅す怖い教員もいないので、気の弱いわたしにはじつに助かる。今の1年生を卒業させるまではいようなかともおもうが、実際にはどうなるのかは、まだ迷いの中にいる。定年というゴールがもう見えかけているためか、いろいろなことを考えることが多い。若い頃の「とにかく前をみて邁進する」姿勢が、まるで夢のように感じる昨今である。

 時の流れがこれほど速いとは、実感としてはわからなかったが、今や実感どころか毎日流されないように、どっかにしがみつかないといけないほどだ。時とは、じつに非情なものだと身に沁みてわかる。

■2004/06/02(水) 07:43

 今週の月曜日から、教育実習生が来ている。わたしの担当する「物理」でも、実習生が1人来た。めずらしいことである。大体が、最近はどの都道府県でも理科の教員の採用はほとんどない状態であるから、教員免許をとってもほとんど使い道はないのが現状だからだ。今年度は、理科では他にもう1名「化学」の実習生も来ている。総勢7名ほどだが、やはり文科系の実習生が多い。大学における、理工系学部の総数自体が非常に少ないのだから、当然といえば当然だ。

 今、物理で来ている実習生さんは、工学部の電子工学科に在籍しているとのこと。わたしの在任中とは重ならないので、勤務校の卒業生といっても、わたしとは何の面識もない。あるのは、学校という一つの組織という細い糸でつながっているだけである。現在では、同じ学校に長く勤務することは、制度的にも戒められており(現在わたしの年代で最長12年…それでも長すぎる。わたしは7年説を取っている)、まったく面識のない学生さんを実習生として指導することがほとんどだ。個人的には、その方がやりやすいのだろうとおもっている。下手にお互いを知っていると馴れ合いになりやすいからだ。ただ、正直にいえば、学校で実習生を迎え入れるのはあまり歓迎しない。実習生がくれば、1日の仕事の大半を空き時間もなく過ごさなければならないからだ。空き時間は指導。自分の授業もある。会議は普通通り。昨日は、いつものように昼食なしだったからできたものの、休み時間は皆無だった。以前のように、実習生にクラスを任せられるほど、現在の学生さんは精神的にも大人になっていない。教えている高校生とほとんど同じレベルである。だから、来なければ来ないほうが、自分の年間ペースを乱されなくて助かる。それに、この実習の指導は、すべて無報酬の善意でおこなわれている。自分たちの後輩を育てるという意味で…。ただし、教員になれる人は、ほんの一握りの人に限られる。それも、何年間も非常勤講師などを経て。はたして、今年担当している学生さんが、本当に教壇に立つのかは、わたしにはわからない。

 わずか2週間(体育などは3週間…来年度からすべて3週間になると聞いた)の実習で学べることは、わずかだ。教員のやっている仕事の一部をサーとなぞってみてもらうというのが、実習での現状である。授業の仕方がメインになるが、それ以外のさまざまな仕事については、ほとんど見せることさえできない。週5日制なので、実質10日間である。その間に学校行事も入るため、いいとこ8日間くらいの実習になる。授業を体験してもらうのも多くて6回だ。アルバイトで予備校や塾で日常的に教えているという学生さん以外には、ほとんど問題にならないだろう。ちなみに、わたしの場合は、学生時代から、塾の講師、家庭教師もやっていたので、授業の仕方についてはある程度の素養はあったようにおもう。それでも、教員になろうなどと考えたこともなかったのだから不思議である。仕事なんて偶然だといつもおもっている(実際には無意識の何かがあるのかもしれないが)わたしには、教員もただの仕事の一つでしかない。

■2004/06/01(火) 08:13

 梅雨に入った。風もなく雨が鉛直に落ちてくる。梅雨の典型的な降り方だ。そのせいで、本日予定されていた「体育大会」が明後日に延期になった。昨日から準備に入ったが、天気には逆らえない。次も雨だったらどうなるのか…、まだ聞いていない。順延というのは行事がたて込んでおり、無理だろう。となると、今年は中止か。この学校へ転勤してきてはじめてのことになる。願わくば、曇天でもいいから、体育大会ができる天気になってほしい。記録を作ろうと、練習してきた生徒も中にはいるので…。この学校での体育大会は「体育祭」ではないので、みな必死にやる。それはとても感心している。これが、この学校の特色であり、伝統なのだろう。

■2004/05/30(日) 16:46

 もう5時近くだというのに、きょうはやけに暑い。現在、室温30℃ある。キーボードを叩く指先が多少べとついている。明日辺りから関東も本格的に「梅雨入り」しそうな模様であり、湿度はますます高くなる。この季節がしっかりとないと、夏もだらけた季節になってしまうから、まあ、降るときはしっかり降ってもらわないといけない。自宅の近辺の田んぼでもきょうは田植えのところが多かった。夜になると、その田んぼから蛙たちの大合唱が聞こえてくる。「蛙は今までどこにいたんだろうね?」と妻がふと疑問を投げかけたけれど、ホントにどこにいたんだろうな…。

 きょうは、娘の学校の日曜参観日に出かけてきた。彼女の小・中・高の学校生活で、わたしが学校へ出かけるのははじめてだ。そして、おそらく最後だろう。家庭での一面しか見ていないのだから、学校でどういう生活をしているのかは、わからない。授業をちょこっと見たくらいでは何ともいえないし、よそ行きの顔をしていたであろうから、ふだんはもっとちがっていることは推測できる。それにしても、けっこうむずかしそうなことを勉強していたなー。あれじゃ、彼女は着いていけるのか、心配になった。わたしの仕事も同業なので、親から見た授業の様子という意味で、いい教訓にはなった。生徒たちは眠そうではあったが、それなりに真剣にやっていて、けなげであった。


 昨晩、映画「トロイ」を観てきた。「トロイア戦争」を映画化したものであるが、ほぼ170分の大作で、途中で寝てしまうのではと不安もあったが、最後までしっかり観ていた。めずらしい。何せ、戦争ものなので、ほとんどが戦闘の場面であり、これではわたしは眠るはずはない。べつに戦争が好きではないが、こういう場面をきっちり見るのは習性になっている。ブルフィンチ:野上弥生子訳『ギリシア・ローマ神話』岩波文庫の第27章〜第29章にかけて書いてある「トロイア戦争」の流れとほぼ同じに映画は作られていた(もちろん何十年にも渡る戦争を時間短縮してあるのは止むを得ないが)。もともと、史実がはっきりしているわけではない時代のことであり、適当に脚色すべきところはしてあり、観ていて飽きはこなかった。終わったのは11:30近くになっていた。帰りの車の中で、カミさんが「トロイの木馬ってあういう意味だったんだね」とはじめてわかったみたいであった。映画好きな彼女には本で読むより、映画で観たほうがわかりやすいのかもしれない。わたしも、ひさしぶりの映画に刺激を受けて、この文庫本を引っ張り出して読んでみた。こういう機会でもないと、そんなに目を通す本ではないから、やはり外圧(眼圧?)はときには必要だなとおもった。こういうスペクタクル映画は、やはり映画館の大画面で観るのがいいのだろう。迫力は十分にあった。

■2004/05/25(火) 08:01

 最近は、出勤すると職員室の施錠を開けることが多くなった。昨年度までの教頭は出勤だけは早かったので、わたしが着くと、大体は職員室が点灯しており、出勤簿に捺印すると、そのまま物理室に上がってしまっていた。今年度(今年の4月から)に入り、どういうわけか、わたしが一番に着いてしまい、職員室を開けることが増えている。機械警備になっているので、暗証番号を押して、部屋に入ると、ピーピーという警戒音を消すための作業もしなければならない。それを終えると、ようやく捺印。その後は、蛍光灯を点けるところまでやる。本来なら、職員室内で使っているネットワークのサーバーの立ち上げもやればいいのだろうが、そこまではやらない。誰も出勤していない職員室で、パソコンだけが動いているのも変だからだ。それ以外は大した手間でもないから、いつもほとんどいない職員室へのお礼ということで、やらせてもらっている。

 話を変えて、一昨日で、「一日一食断食減量道」をはじめて、丸1年になった。早いもので(じつは長かった…ハーァ)、昨年の5月23日が一日一食の初日だった。その日は、昼頃に死ぬかとおもった。あれ以来、多少の気の緩みはあったものの、何とか基本ラインは一食を通してきた。結果、死なないし、別段身体に変調がおこったという気配はない。体重は、はじめたときの80kgから一時は68kg近くまで落ちたが、身体がフラフラすることもあり、今は70kg前後を変動しながら推移している。本来の目標は65kgであるのだが、体重を減らすことが目的というより、登山用の身体を日々維持しておくことなので、歩いていて違和感がない状態でいいとおもっている。天気が極端に悪くない限りは、50分近く歩いて、帰宅する。ちょうど小汗をかく程度なので、気にはならない。歩くのは好きだし、ボヤーと歩いてるのはいいものだ。こういう人体実験は最低でも3年はつづけないと、どういう効果があるのかわからない。だから、あと2年はつづけようとおもう。現在、体重がほぼ一定の状態にあるのは、この段階で、夕食に食べる量にあわせて、身体が平衡状態に達している(ホメオステイシス)からであろう。これで、夕食を減らしたり、運動量を増やしたりしたら、またまた体重は減り始めると予想できる。だけど、そこまでやろうとは今のところは考えていない。医者に褒められても、健康を維持できる保障は何もないからだ。自分の身体は自分で守るしかない。

 この断食減量道を1年間やってみてわかったのは、わたしの場合、13:30から14:00くらいの時間が一番腹が減り、何かあれば口にしたくなるようだ。この時間をお茶とか水でやりすごすと、もう15:00前には食欲はしばらく落ち着く。これ以降になると、夕食までは数時間だし、もう面倒くさくて口に入れようという気にならなくなる。帰宅時に駅から自宅まで50分ほど歩くが、このときは、ただダラーと歩いているだけで精一杯だ。あちこちにポツリポツリとある赤提灯はものすごい誘惑になる。ひたすら、家に着いたときの冷たいビールを目の前にイメージして、淡々と歩く。急ぐ気力はまずでない。胃酸の出やすい体質なので、空腹になると、胃がシクシク痛むため、こういう断食法には無縁でいたが、慣れてしまえばそれなりにできることがわかった。わたしのように、遺伝的にも太りやすい体質の人には、それなりに効果があるかなとはおもうが、それ以外の人がわざわざやるほどのものではない。健康法とかの意識はなくて、ただ山に登るときに少しでも体重を減らし、足への負担をなくすこと。そして、それが、メンバーに迷惑をかけないための方策だと信じて、実践してきた。もちろん、とくに体調に異変がでなければ、これからもつづけていくつもりだ。

■2004/05/24(月) 11:34

 きょうは中間テスト2日目で、3年生の自由選択科目のテストが現在おこなわれているだけで、ほとんどの生徒はテストを終えて下校していった。この時間に校内が静かになっているのは、テスト期間中くらいだ。今年度から科目数の少ない1年生は1日試験日数が減り(その1日は3校時目まで通常の授業)、きょうからテストがはじまった。クラスの生徒には、朝のHRに受験時の注意をしたが、最近とみに増えて困っている試験中の携帯の着信音対策には、「電源を切る」ように厳重に注意した。これは、カンニング行為とされないための自己規制である。こんなことを書いていたら、さっそく2校時目のテストで、これが出た。緊急の職員会議が招集されて、生活指導案件として提示された。幸いにも、カバンにしまっておいた携帯が鳴ったというので、厳重注意になっただけだが、これが手元にあれば、完全にカンニング行為として扱われる。便利なものができると、こういう昔なら考えられないようなことも日常的におこる。テストの監督もこういうことがあるため、以前よりはるかに疲れるようになった。

 テストといえば、私のHPの掲示板でも、高校入試の問題について話題が出ている。千葉県の公立高校の入試問題(国語)で、何だかちょっと問題自体に問題のありそうなものが出題されたということである。わたしも、その問題を見せてもらったが、問題文そのものがどうも論理的でなくて、これでは受検生がうまく説明できるのかどうか、疑問を感じた。問題がいい悪いというより、入学選抜試験という場での出題に問題はないかという疑念である。入試については、わたしがあちこちに書いているように、わたし自身は「入試一発選抜」が一番公平だとおもっている。しかし、これはあくまでも「問題自体が公正かつ厳格に作られている」というのは当然の前提だ。これが崩れていれば、試験問題での選抜を云々しても意味はない。そういう意味では、出題する問題のチェック体制がきちんと取れていないと、それはできない。おそらく、問題の漏洩を恐れるあまりに、特定の少人数で作問するであろうから、チェック機能はほとんど働いていないはずである。これは、千葉県だけでなくどの都道府県でも同じであろう。作問はじつにむずかしいものだ。

 現在、中間テストの最中と書いた。わたしも自分の教えている科目の問題を作問したが、3つ作った。これは、ごくふつうのことである。ただし、勤務校では自分の教えているクラスの作問は、教科担当者が個別に作るので、教えているクラスが違えば、当然問題内容もちがう。昔はどの高校でもこの方式だった。以前は、どの教科にも複数の教員がいたので、問題自体におかしな点があれば、多少なりともチェックがかかった。が、現在では、わたしのように物理は1人というような学校がほとんどだ。そうなると、自分で何度もチェックする必要がある。いくらチェックしても本番になると、不備が見つかることはたびたびである。自分の力不足といえば、そうであろうが、教員の人数の削減がこういうところに影響を及ぼしつつあることは、意外に部外者にはわからない。テストを作問していてふとそんなことを考えた。

■2004/05/23(日) 17:17

 一日中陽も射さず、どんよりとして休日であった。現在、中間テストの最中で、金曜日まで、問題作りに必死であった。何とか3つ作り、テストの準備はできた。1つは金曜日の初日にテストがあったが、急いで作ったせいか、誤字が3つあった。そのうち、生徒に指摘してもらったのが、2つである。いつもなら、テスト問題は、実施1週間前にはできている。表現や誤字・脱字、図のおかしいところなどもチェックして、解答もすべて作って本番を迎える。そうしないと、どうも落ち着いてテストを迎えることができないのだ。今回は、新しいカリキュラムで入ってきた科目(物理Tと理科総合A)があったため、どの範囲までいけるか、テスト直前までなかなか見通しができなかったのが原因だとおもう。3年生の選択物理TB&Uはすでに範囲をはるかに終えて、十分に進んでいたので、当然早めにできていた。久しぶりにテスト直前まで問題ができないで、多少あせってしまった。

 学校の仕事は家には持ってこないから、土日はゆっくり休もうとおもっていた。テストの期間でないと、部活動もあるからだ。しかし、昨日土曜日から、どうしたわけか、Webサイト作成に使えそうなMIDI音楽などを求めて、珍しくネットを探しまくってしまった。求めていたのは、作曲家ホルストの作品である「惑星」である。何とかいい音のものが英国のサイトで見つかり、ダウンロードできた。無料のもので、著作権などにかからないものは、なかなか見つけられない。それに、演奏の質も大切であり、聞くに耐えないものでは意味がない。これに没頭していたため、今週の更新は見送らざるを得なくなってしまった。FSで飛ぶことなく、土日を送るのも稀にはあるのだ。面白いサイトで、効果音ばかりのところがあり、ちょうど現在よく飛んでいる「F/A-18」と「P-51Mustang」の飛行音を見つけたので、それをそれらのページに挿入してみたのが、この休日の成果といえるかもしれない。興味のない人には、単なる雑音だろうが、この飛行機の音がまた堪らないのが、飛行機ファンだろう。

 おとなしく家で過ごした休日だった。家の中の3箇所で、蛍光灯がおかしくなりはじめたので、その交換のために新しいのを買いに出かけたくらいだ。それと、TVでも宣伝していた飛行機100年の歴史を記念して、思い出深い飛行機のミニダイキャスト製飛行機モデルの付いた特集本が出たので、それも買った。創刊の今回は980円で、飛行機はコンコルドである。これは、持ってないので、買った次第。家に置いてないものが出たら、買おうとおもっている。もう、パソコン周りも飛行機があちこち置いてあり、カミさんにもよくあれこれいわれる。だけど、これがないと落ち着かないので、おそらくわたしの「精神安定剤」代わりなのだろう。たまには、飛行機を飛ばさない日もいいものだ。明日からは、またテストで、その採点がある。テスト問題の作成もけっこう疲れるが、採点もそれにもまして疲れる。生徒の何気ない落書きなどをみると、ホッとすることもあるが。きょうの更新代わりに、これを載せて、更新したことにしたい。

■2004/05/20(木) 07:53

 先日、見知らぬ人からメールが来た。わたしのHPについての感想などがよく来るので、いつものように読んでみたら、書き方がまるでいいがかりである。こういうのは、いつも即削除してしまうのだが、どうもわたしが以前在職したことのある高校の卒業生らしいので、一通り読んでみた。内容は、わたしが「底辺校の日々」という題名で書いたものに腹を立てて書き送ってきたものらしい。こういうメールは数限りなくくるので、いちいちメールを返信することなどまずない。が、けっこう真剣に問い詰めているみたいなので、返信を書いてみることにした。要点は簡単で、「何で自分が在籍した高校をそんな低レベルにしたか、答えよ」という問いである。おそらく、年齢的には40歳前後(おそらく42歳のはず)の方と推測したが、問い自体があまり的を得ていない。わたしの責任を問われても、学校のレベルを故意に落としたわけなどないし、わたしの在職期間にその高校のレベルが下がったということは、データ的にもないからだ。今でも、雰囲気にいい学校だったと個人的にはおもっている。何かの誤解をされたのかもしれない。

 その方は、高校卒業後、有名私大のK大学を卒業して、現在はどこかの会社の管理職をしており、毎日、会社の車が迎えに来て出社するとのこと。立派に出世されて、元関係者として素直にうれしくおもった。が、こういうことは、人に自慢すべきことでもないだろうな、ともおもえた(相手が子供ならすごいとおもうかもしれないが、もうわたしの年齢ではそんなことは何ともおもわないから)。管理職といっても、40代ならともかく、まもなく50代になれば、不要になればいつでもリストラの対象になってしまう。時代はもう経営者と一般社員がダイレクトに協議できる時代になっており、いわゆる中間管理職といわれる人たちは、実際にはほとんどいらない時代になっている(確実になる!)。高い人件費を払って、会議しかできない人たちを遊ばせておくほど余裕のある会社は、そうは多くはないだろう。旧帝大や国立の一流大学を出ていても、必要のない人は、どんどんリストラされているのが現実だ。どの会社でもそのほとんどは、銀行からの借り入れと株式などの証券を元手に成り立っており、それらの本家がもうガタガタの状態なのだから、そこから資金を借りている会社などはいつでも足元をすくわれる可能性は常にある。もう出身大学などを旗印にして仕事ができる時代などとうの昔に終わっている。求められているのは、今、どれだけの仕事ができるかだ。というような内容を書いて返信した。返信して、また、メールが返ってくる確率は0.5%くらい(わたしの場合では)なので、まず来ないだろう。

 さかんにわたしを「世間知らずめ」とか書いてあり、面白かった。おそらく、相当の「世間通」の方にちがいない。しかし、できることなら世間のことなど知りたくないというのが、わたしの希望でもあるから、それを指摘されてうれしくないわけはない。第一、わたしには、何を持って「世間」といっているのかもよくわからない。学校で仕事をしていれば、学校外のことをあまりしらないのは当たり前だし、一般の会社に勤めている人は、会社関係のことは知ってるだろうが、それ以外は疎いだろう。それは、当たり前の常識であり、いろいろな職種の人や生活があってはじめて社会が成り立っているのだから、「世間知らず!」などとわめいてみても、無意味である。わたしの場合、科学や教育関係の仕事をしているから、そういう方面のことは知っていて当然だ。だからといって、知らない人のことを「科学知らず」とわめいたりするなど、まずない。「世間」とかいうのを十分に熟知しているとおもっている人は、自分でそうおもっていればいいだけのことである。自分の狭い常識がすべてではないことは意識しておいた方がいいとはおもうが。ただ、どの分野でも、すぐれた人物は世事にも長けている人が多いことは経験的にもよくわかる。

 わたしとしては、「お仕事頑張ってください」みたいなことくらいしか、書けなかった。気合の入った人みたいで、仕事でも燃えているのであろう。せいぜい、元気に働けるうちに精一杯仕事に励まれることを願うしかない。それ以上は、ご本人の問題だから。

■2004/05/18(火) 08:04

 毎年恒例の「教育実習」がまもなくはじまる。今年は、わたしの担当している物理でも、実習生が一人くる。昨日、挨拶に来たが、授業のはじまる直前で、ほとんど会話をする時間もなく、名刺と使う教科書などを渡して、あとはメールでもくれるように話して別れた。あまり、話もしなかったせいか、顔も覚えていない。何か、ボーとしたような学生さんだったような気もする(本人には失礼ながら…)。人間はじめた会ったときの第一印象はとても大切なので、もう少し、インパクトがほしかった。

 わたしも「教員免許」を取得するために、母校である会津高校で教育実習をさせてもらった。その当時は、まさか教員になるとは考えもしなかったが、亡くなって久しい母が、「教員免許だけは使う使わないはいいから、取るだけは取っておきなさい」と手紙などで何度も書いていたので、そんなものかと、一応取ることにした。ちょうど高校には、わたしの高校1年次の担任でもあり、現在も長くお付き合いさせて頂いているW先生がおられたので、相談したら「ぜひ来い」という。その縁で、実習をさせてもらった。ちなみにW先生は国語の先生だが、物理を教えてくれたS先生もおられたので、気持ちを楽にして、実習に臨んだ。記憶では、行ったその日からS先生は物理の授業をほとんどわたしに任せてしまい、ときどき教室に見に来る程度だったとおもう。母校では、こういう期間は、先生方はいい保養の期間とでもおもわれていたのかもしれない。わたしは、毎時間悪戦苦闘して授業したのであろう(覚えていないから)。ただ、放課後は先生方とのんびりいろいろな話ができて、充実した実習であったことが、今でも残っている実習ノートからわかる。当然、終わったあとには、お礼を持って行って、ていねいに挨拶してきた。いくら、母校であっても、通常の授業の邪魔をしているようなものであるから、それは当然のことである。母の助言が現実のものとなってしまい、今は教職で生計を立てる身になってしまっている。人生わからんもんだ。

 現在にもどって、今は実習生からのいかなる金品やお礼も受け取ってはならないとお役所からきつい指令が来ている。要するに、教育実習生の世話はタダでやれ!ということらしい。ボランティアという言葉の意味ともちがう。わたしたち教員にはほぼこの実習を断る権限はないから、いわば強制である。別に金品など必要はないが、こういう風潮は気になる。教育現場での技術も決してタダというほど、ヤワなものではないのだ。現に教育の現場で倒れていく人も多い。身体的な面、精神的な面、授業をこなす技術面などなど、どの職場でもそうであろうが、それなりの修行も必要である。それを少しでも体験させてあげるという機会が「教育実習」である。当然、通常の授業の進度は狂わされる。本来なら、来ない方が助かるのだ。卒業生ということで、後輩を育てる意味でもって、あえて授業を任すのだ(現実に教員になるかどうかは不問にして)。そういう点を考えると、それなりのお礼はあってしかるべきもので、それができぬでは、現場無視もはなはだしい。それなら、そういうお役所がその役目を果たすべきである。人に押し付けておいて、あれはするな、これはするな、といちいち指図するべからずだ。自分ではできもしないことを、偉そうに他人には要求する、そういう体質が嫌いだ。ちなみに私学では、授業の妨げになる実習生は特定の高校以外は受け入れていないだろう。

 月末からくる実習生は、物理専攻の学生さんではない(おそらく勤務校の卒業生で物理を専攻している学生はほぼいないはず)。でも、来る以上は少しでも力になれればとおもっている。現在、神奈川では理科教員は、小・中学校で少し採用しているだけだ。高校での採用はここ10年近くない。道理で、理科の新採用という人が見当たらないわけだ。そういう職種としての狭さはあるが、強い希望があれば、教員などどこでもできる。そのためには、専門的な学力は当然として、ごくふつうの常識と忍耐力と体力をぜひ身につけておいてほしい。わたしの苗字だからというわけでもないが、「竹」のように簡単に折れないしなやかさと強靭さを望みたい。

■2004/05/16(日) 16:01

 きょうからの週間天気予報を見ると、毎日雨と曇りの予報が出ている。天気図でも本州の南岸に停滞前線の長い帯ができており、ほぼ「梅雨入り」した感じだ。これからしばらくは、ぐずついた天気がつづくのだろう。この時期を迎えると、花粉症もきれいに消えて、鼻の通りもじつによくなる。天気一つにしても、決して悪いことばかりではない。おそらく、すべてのことは、こちらの受け取り方の問題の気がする。

 5月のまさに半ばというこの時期になって、何ともお恥ずかしいことに、ようやく石油ストーブを仕舞った。先の冬季は関東では暖冬だったようで、ストーブを出したのは、年が明けて今年の1月下旬頃。2月に入れば寒い日も出てくるだろうとおもっていたら、ホットカーペットの上にコタツ掛けをかけたもので、十分に間に合ってしまい、ストーブはほとんど使わずじまいで終わった。そのせいか、片付ける意欲も湧かないまま、放置していた。が、今朝カミさんに「そろそろストーブしまいましょうか…」と声をかけられた。これは、「早く仕舞ってくれ!」ということだろう。HPの更新作業も終わった午後になって、仕方なく片付け作業に入った。残っている灯油を元の灯油タンクにもどし、ストーブ内に残っているのは、古雑巾を詰め込んで吸い取った。しばらく乾燥させて(といっても、この雨による湿気で無理だとはおもうが)、先ほど押し入れの中にしまいこんだ。大きなゴミ袋にすっぽりと入れてしまい、ガムテープで密封した。それを見たら、どうもこれから先、このストーブを使いそうにないような気持ちになってきた。家族にも「ストーブ炊くと、空気が乾燥して嫌だ」と嫌われているストーブなので、なおさらだ。ちょっとかわいそうになった。ひょっとすると、来冬には家から姿を消しているかもしれないな。我が家にはエアコンは当然ないが、ストーブもなくなると、暖房器具はホットカーペットとコタツもどきだけになる。それでも、冬が越せてしまうとは、まさに温暖化のせいか。

 地球の温暖化の原因は「二酸化炭素の増加」である、との説が真らしく喧伝されているが、科学的にはほとんど特定されていないといっていい。確かに二酸化炭素の大気内の量は微量ずつ年々増加しているというデータがあるが、それが地球全体の大気温度を高めるほどの効果をもたらすのかは、じつは大変疑問のあるところなのだ。というのも、地球にはその表面の7割ほどを占める海洋が存在するが、二酸化炭素は海水に取り込まれる。この取り込まれる二酸化炭素の量は、正確には不明である。大気圧が増せば、海水に溶ける二酸化炭素の量も増えるが、大気圧が地球全体で上がっているというデータは今だない。二酸化炭素の増加を唱える科学者たちも多いが、データ的にはまだ高々200年近くしか調べていないのである。ひょっとしたら、地球温暖化の原因は別のところにあったなどということは、当然考えられる。地球内部からの熱流量が増大している可能性も否定はできないのである。地球の大気温度一つとっても、容易に原因を特定できるほど、自然はヤワではない。もっと、腰を据えた研究が必要なのだとおもう。

■2004/05/14(金) 07:50

 友人の再就職が気になって、メールした。彼は、60歳過ぎても伸び伸びと働いていける仕事を探すという。慌てるようすは全くない。立派だ。わたしの方が、余計な気づかいをしてしまい、恥じ入った。今までしていた仕事には捉われないで、いろんな可能性を模索しているようだ。

 そういうわたし自身にも、もう両手で数えられるほどの年数で、定年が来る。それまで元気に働けるかどうかは、自分自身でもわからない。健康に恵まれ、仕事でもそれなりにやっていれば、無事に迎えられるかも知れない。できれば、そうなってほしいと願っている。問題は、定年後である。もし、無事に定年を迎えたとして、そのあとの人生をどう送るかである。そのときになって考えてもいいのかもしれないが、せっかちなわたしには、そんなのん気なことは考えられない。もう、49歳のときから考えている。秘策はまだない。ただ、何かの本で読んだ「人生三分論」というのは気になっている。

 それはこうだ。「人間、一日の1/3は寝て、1/3は仕事を、そして1/3は自分のために時間を使う。人生も一生を75歳とすると(今ではちょっと長めにする必要があるが
)生まれて25歳までの25年間は社会人になるために学ぶ時期、次の25年間は仕事をして社会に恩を返す時期、残りの25年間は自分のために好きなことをする時期」という考え方だ。これは、多少の年数のずれを修正すれば、現在でも立派に通用する考え方だとおもえる。わたし自身ももう社会に恩を返す仕事は、ほぼ終了したとおもっている。まだ、在学中の子供がいるので、すぐに仕事を辞めるというわけにもいかないが、徐々にスピードを落として、定年後には現在の仕事とはちがった分野で仕事をしてみたいとおもっている(家のローンも終るだろうから)。べつに今の仕事が嫌いとかではない。しかし、いつまでもしがみついている仕事でもないだろう。「先生、先生」などといわれて、いい気分になっている時代ではない。人生50年の時代には、仕事を終えるかその直前にはもう寿命を迎えていた。現在では、元気でいれば、嫌でも仕事後のことを考えざるを得ない。明確な目的をもって生きている人は、ほとんどいないのは今も昔も同じだ。わたしも同類だ。自分自身が「生きた!」とおもえるような、人生がを送れるように、日々そのことを念頭において、計画と熱意をもって生活していきたいと考えている。

■2004/05/13(木) 07:51

 今週も半ばを迎えた。今朝も4:00過ぎには起きたから、すでに4時間ほど経つが、頭の動きも正常、体調も悪くない。ただし、ここ数十年「慢性うつ状態」がつづいている(これじゃ、持病としかいいようがないか…)ので、すこぶるいいという日はない。医者のだれかがいっていたが、生き物に完全なる体調良好という状態はないそうだ。どこかに必ず調子の悪いところがあるとのこと。そういえば、おもい当たる。「あそこがよければ、ここが…」というのは、日常よく感じる。うまいことをいうもんだ。素人がいっても、あまり重みはないが、一応医者がいうと、それらしく聞こえるから不思議だ。きょうは、ちょっと左鼻水が出ている。こういうもんだ。

 話は変わって、授業のこと。5月も中旬になってようやくペースが掴めてきた。授業の下手なわたしには、この1ヶ月近くの間は、いかに苦しかったことか。毎年のことながら、生徒たちはわたしの真意を理解してくれるのに時間がかかる。本当に基本的なことからていねいに説明して、安易な暗記にならないように、心づかいをしているのだが、若葉マークの生徒諸君にはなかなかこの気持ちがわかってもらえない。苦慮している。教科書もほとんど読んでこない生徒たちがほとんどなので、話が継続的に、しかも体系的にできない。教科書も年々デタラメなものが多くなり、内容はぶつ切りだ。教科書というと、すぐに歴史教科書みたいなものだけが大きくマスコミなどでも報じられるが、理数の教科書はほとんど騒がれない。騒げるほどのマスコミ人がいない(ほとんど文系の人なのだろう)のと、内容を新聞やTVで出しても、無関心なあるいは理解できない人がほとんどだろうから、騒がれない。「何で、力学も勉強しないで、電磁気学を先に学ぶのだ!」などとクレームをつけれる人はまずいない。大体、「力学」も「電磁気学」もその区別すらつかないのがふつうのことだ。ほとんどの人が高校までは行く時代になっても、事態は悪化する一方で改善の見通しは暗い。じつに嘆かわしい。

 理科や数学などの教員に対する一般的な反応は、ほぼわかっている。職場の中にあってもそれは感じるから。前にもどこかに書いたが、教員の中でも、理数嫌いな人はごまんといる。文科系の教科を教えている人で「高校生頃までは数学は得意だった」という人もいる。とてもいいことなのだろう。でも、今はどうか?日常的に数学の問題を考えたりしているのだろうか?どうもそういう本を職場でも読んでいるという人は皆無に近いように見える。正直な感想では、理数系の人は、本はどんな分野の本でも読む。しかし、文科系といわれる人たちの読む本は、文科系の本がほとんどであろう。こういうちがいは、人生全体を見ると、ちょっと異常に見えてくる。だれの責任とかのことでなく、何にでも興味を持てて、どの世代になっても文理両道の広い知識をもつことは、大切ではないかと、ちょっと考えてみただけ。

■2004/05/10(月) 07:58

 週のはじめは、かかりの悪い車のエンジンのようで、何となく身体も気持ちも重い。休むときはしっかり休んでいるのだが、どうも疲れの抜けが年々悪くなっている。歳といってしまえばそれまでだが、単純に家でゴロゴロしていると疲れがとれるわけではないことははっきりわかる。むしろ、土日に軽く出かける程度の方が、月曜日に身体というエンジンのかかりはいいような気がする。土日に山に出かけることも検討して行きたい。

 現在、日曜日は、できる限りHPの更新の日と決めている。土曜日までに準備をしておいて、日曜日にアップするというのが、一応の流れだ。どこかに出かけることが前もってわかっているときには、この作業を土曜日までにすることもある。ただ、このときには、FSものは飛べないから、載せない(ほとんど土曜日に飛ぶ。訓練はほぼ毎晩)。FSものは下書きなしで書いている。何も参考にすることはない。自分で飛んだ体験をそのまま書いているだけだから、意外に苦労はしない。自分でパタンを決めてしまえば、そこそこに書ける。ただ、マンネリになりやすいから、これは十分に注意が必要だ。これについては、もうそろそろ変え時かなと自分では感じている。

 あれこれ書いておきたいいうようなことは、なかなか書けない。この種のものは、自宅では不思議と書けないので、職場で勤務前や放課後に書いていることが多い。勤務時間中は、無意識にストップがかかるのか、全然ダメである。授業や実験の準備などがあるし、落ち着いて考えられないからだ。わたしのHPの中に途中で進んでいないところは、ほぼこれである。科学関係のことなど、本来なら専門にやっているのだから書けそうなのだが、授業などでいろいろ話して吐き出してしまうためか、書く気力が湧いてこない。教育関係のところもそうだ。階層社会学研究のところは、このところ、まったく進んでいない。もう、看板を下ろしたほうがいいのかもしれない。

 こんな風に日曜日を過ごしていると、精神的に疲れてしまうので、それで上記のような結果になっているのかもしれないな。かといって、現状では、部活指導のない土日しか、この作業はできないので、けっこう気にしている。HPの更新作業は、好きでやっていることなのだが、疲れるときのほうが多い。いずれは、このHPも閉じるときがくるであろうが、それまでは何とかつづけるしかない。あまり当てにはならないけれど、カウンターが10万人を超えたら、それが一つの目安になるかな、と今は考えている。い、いけない。もうすぐ仕事だ。

■2004/05/07(金) 07:41

 連休の5/4(火)に下の娘と幕張メッセで開催されている「ペット博2004」に行ってきた。友人の佐々木くんも写真を撮るというので、同行してくれた。当日、低気圧の接近で、強い南西の風が吹いていて、ひょっとすると風に弱い京葉線が止まるのでは、と心配したが、何とか動いていてくれた。自宅からは電車を乗り継いで、およそ2時間半かかるので、かなりの遠出だった。会場に着くと、大きなイベントホールの約2/3は、ペットのエサの出店だったり、ペットそのものの販売店、ペット関連の道具店、それと食事コーナー・飲食店などで占められていた。肝心のペットの展示は残り1/3ほどのスペースで総数500匹ほどの展示がおこなわれていた。娘のお目当ては、彼女の好きなアニメ「名犬ジョリー」に出てくる「グレイト・ピレネー」という大型犬である。見学の列に並んで、ゆっくりと一通り見て歩いた。しかし、残念なことに、この目指す犬の姿は見ることができなかった。娘は多少ガッカリしたようすで、何とも元気がない。これだけの数の犬(展示の約6割近く)を集めてあっても、このような大型犬はなかなか見れないのだなーと諦めた。

 だが、わたしには、何となく予感があって、見物客の中にきっとこの犬を連れてきている人がきっといるはず、と確信があった。そこで、ペット展示場の入り口近くに陣取り、入ってくる客を注意深く観察していた。娘がトイレに行くといって、離れているときに、それは現実になった。入り口から、白い大型犬を連れた夫婦が入ってきた。よく見ると、それはアニメで見たのと非常によく似た犬だった。大きい!顔つきも、「グレイト・ピレネー犬」そのものだ。わたしは、その犬を見失うまいと、ガッチリと跡を追うことにした。ちょうどそのとき、トイレから出てきた娘の姿が見えたので、手を振って急げ!と合図した。娘がもどると、すぐにその犬のところへ連れて行った。娘は一目でわかったようで、うれしそうにその犬のそばで見ている。恥ずかしがり屋なので、自分からはなかなか犬を触ったりできないので、わたしが、持ち主に話して、触らせてもらった。娘もようやく顔をなぜたりしていた。その顔には、満足の色が見えた。この犬を見るためだけに、ここまで来たのだから、当然である。その犬とは、もう一度、展示場の外で出会うことができた。飼い主から、大型犬であるが食はそれほどでないこと、現在4歳ほどのメスで体重は52kgある、などの話も聞いた。娘は無心に犬を触っていた。いい出会いができて、来て良かった。

 それにしても、絶対に来ると予感していたことが、現実のなったことは、考えてみると不思議なことである。何の根拠もないのにどうして、そうおもったのか、自分でもよくわからない。ただ、ペット博にはペット同伴ができるいうことだったので、おそらく、ペットを飼っている人たちは、ペット自慢もあって、かなりの人が来るであろうとは予測できた。しかし、わたしたちと同じ時間にくるということは、全くの偶然でしかないのだから、やはり幸運だったといえばいえるだろう。ただし、その会場へ出かけなければ、この幸運もありえなかったのだし、出かけたことで出会いの確率を高めたことも確かであろう。自分から行動を起こすことが、幸運を呼び込む最初の一手であることは、何事においても同じだ。娘の熱意が通じたのかもしれない。帰途、娘の満足そうな顔を見て、連れてきてよかったとしみじみおもった。

■2004/05/03(月) 08:14

 きょうは、高校生の娘と幕張メッセで開かれている「ペット博覧会2004」というのに出かける予定でいたが、天気がよくない(現在霧雨中)ので、止めた。昨日「行くか」と決めた際に「もし、天気がよかったらだよ」と言っていたこともある。が、じつは、早朝にメールをチェックしていたら、どういう風の吹き回しか、とんと連絡のなかった息子から、「パソコンを買いたいので、一緒に見てくれないか」とのこと。これくらいの霧雨なら、幕張の方へ行けないこともないのだが、久しぶりの息子の用件の方を優先させることにした(ふつうは優先順位はまず変えない。先に決めた方を必ず優先させる)。ペット博覧会の方は、明日にすることを娘にも伝えた。

 いつも「犬を飼いたいよ」といいまくっている娘は、まだ寝ている。どうせ、犬など飼っても最初の3日間くらいは早朝散歩などにも行くだろうが、すぐにわたしの日課にされてしまうことは目に見えている。犬を飼ったところで、早起きの習慣が身に付くとはとてもおもえない。わたし自身は、犬・猫・ヤギ・ハト・ウサギと実家では飼っており、その世話もしていたが、どうも最近のペットみたいな飼い方は気に入らない。あの手の動物を家の中で飼うとかいう感覚がまずわからないし、わかりたくもない。人それぞれだから、とやかくいう気はさらさらないが、わたしは飼う気はない。万が一実家にでも帰ることがあれば、それなりの土地もあるから、存分に外で飼える。ま、食事は昔風に残りご飯に味噌汁をかけたものになるだろう。飼い犬などが、人間様よりいい食事などしているというのは、世界の飢餓人口のことをおもうと、とても考えられない。現在の家で犬や猫を飼う気はまったくない。子どもたちには、「飼いたければ、自分の家を持ってからにしてくれ」といってある。それまで、飼いたい気持ちを持ちつづけられれば…の話であるが。

 息子のパソコンはちと遅すぎた。もう大学も後半。何で今ごろともおもうが、何でも大学で使うらしい。大学ではMacを使っているらしいが、この機種はほとんどマニアックであり、一般的でない。Windowsマシンがいいとか悪いとかの問題ではなくて、仕事になると、ほとんどが(世界の9割はそうだろう)Windowsのパソコンなのだ。もう大型コンピュータの時代は終わったし、LinuxなどUNIX系のOSを使うことも出てきているが、まだまだこれまたマニアックの世界だ。そういうわけで、息子も卒業が近づいてきて、ようやくWindowsマシンに手を出さざるを得ない状況になってきたのだろう。それにして、大学によってはこのMacなどを使う(東大などぜんぶこれにするという、バカか!)というのは、大学の先生の個人的な趣味を持ち込んだものとしかおもえない。使うなら個人的に使ってくれ!、といいたい。Macの愛好家には大学人とか医者が多いようだ。人間ちょっと社会的地位が上がると、すぐに庶民とはちがうものを使いたくなるのは、今も昔も変わらない。どうせ、もともと庶民なのだから、家電ショップで買った安物のWindowsマシンでいいではないか。それとも、高価なMacを使わないとできない仕事でもしているというのだろうか。わたしにはわからん。まあ、そんなことはどうでもいいが、そういうわけで近くの家電店で一式パック(パソコン+プリンタ+DION接続)のできるだけ安いのを紹介しよう(少しは費用も援助せねばならないかな、ま、止むを得まい)と心積もりしている。昼には待ち合わせているから、きょうのうちに決めてしまおうとおもっている。パソコンなど機種より、それで具体的に何をするのか、どんな仕事ができるのか、の方が優先する。使いもしないお飾りのパソコンなどじゃまな箱にすぎない。買ったあとにどれくらい使うのかは、わたしにもわからない。娘たちのようすを見ていると、なおさらそういう不安がよぎる。「パソコン買いました、ときどき使ってます」にだけはなってほしくない。

■2004/05/01(土) 09:01

 きょうは休日であるが、部活動の指導(といっても指導などできないが)で出かけてきた。今年はライフル射撃部という部活動を見ている。物騒な名前の部活動である。こんなへんな部活動がなぜあるか?というと、わたしのはるか以前の物理の教員が自分の趣味で作ったものが、まだ残ってしまっているからである。物理実験室のような広い教室でないとできない部活動なので、昨年末から部活動の場所として貸している(以前は別のところで活動していたが、そこを追い出された)。物理教材室という本や器具を置いている場所を部室として提供している関係上、管理的な問題もあり、今年から顧問の1人として加わった(顧問は3名)。本当は、場所を貸すことには気が乗らなかったが、活動場所を失った部員たちがちょっと可哀相になり、少し考えて貸すことにした。もちろん、これらの場所の管理責任者はわたしである。きれいに使ってくれることを条件にした。汚くなったら、即追い出すつもりでいる。

 ライフル射撃というのは、わたしも知らなかったのだが、元々は本物のライフルを使っていたようだが、近年は危険性もあり、レーザーみたいな光線(じつは部員たちの使っている銃をまだ触ったこともない)を出して、的に命中させるみたいだ。一応、発射時の音は出る。その音が、隣の部屋から聞こえる。部員たちが練習しているからだ。部員はわずか6名ほど。こんな珍しい部活動はほとんどのところでやっていないから、ちょっと練習するとすぐに関東大会とかに出てしまう。全国大会もすぐだ。何せ、こんな種目をやっている高校などわたしもほとんど聞いたことがない。古い前任者の方が物好きではじめたことが、その人が去ったあともこうして残存していることは奇跡に近い。というか、一旦はじめると止めるのはなかなかむずかしくなるのだ。そういう過去の遺物みたいな活動は、山ほどある。職員の人数が多かった昔の学校なら、そういう変わった部活動もいいだろうが、今となってはちょっと「お荷物」に近い(部員たちには大きな声ではいえないが…)。わたしにとって、部活動は完全にボランティア活動であるから、金銭はいっさい請求しない。むしろ、自前で出費していることがほとんどだ。本音はやりたくないが、勤務校の部活動の実態を考えると、しょうがないのでやっている。

 活動場所がすぐ隣の物理実験室というのは助かる。おかげで、気楽に物理室でこんな駄文を書きながら部活動が見れる。こういう休みの日は、不思議なもので、気持ちも楽なので、学校へ出てくるのは何ともない。仕事日とは違った気持ちになるからかも知れない。授業の準備などものんびりできるし、これも普段の仕事日とは違った気持ちでできる。気持ちの持ちようで、同じ作業も違ったものに感じるのは、何とも不思議な気がする。部活動の終わる13:00まではたっぷり時間もあるので、あれこれやっておきたい。

■2004/04/30(金) 08:12

 昨日からゴールデンウィークがはじまったとメディアが何度も何度も繰り返している。まるで、日本国内の人がみんなこの4月下旬から5月上旬の大型連休に休みが取れて、海外旅行などに出かけているような報道のされ方をしている。がしかし、今朝出勤してくるときに観察してみると、ほとんどいつも見かける人々がいつもと同じように電車やバスに乗り込んでおり、とくに休んでいるようすは感じ取れなかった。一体、マスコミが報じている映像や情報はどういうところから取材したものかと疑念を感じた。わたしの住んでいる地区だけが特殊ということはちょっと考えられないから、これはどうもおかしな印象を受ける。ひょっとすると、マスコミは何か思惑があって、情報操作をしているのではないか、などと考えることも可能だ。

 わたし自身はカレンダー通りの勤務だし、むしろ、休みを取るどころか部活動の指導などで明日土曜日も出勤である。大学生の娘だけが休みのようだが、アルバイトに忙しそうだし、のんびり休んでいる家族はだれもいない。家族そろって旅行でもなどという話もまったくでていない。それはそれで、車の運転係であるわたしとしては、苦労がなくて助かるのだが。子供たちが小さいときには、家族でそろっての休みも取れたが、もう親とどこかに出かけるという年齢でもない。各自が自分の生活のスケジュールに従い、夜だけ顔をあわせるということも多い(これだって、そう頻繁にあるわけでもないが…)。わたし自身が、お正月の元旦だけ休みという雑貨店で育ったせいか、こういう環境にそれほど違和感はない。わたしの記憶では、実家で生活していた間に、家族全員で旅行などに出かけたというはない。休みにしても、現在地方公務員という職種にあるから、土日は一応休みということになっているが、わたしの両親などから見たとしたら、休みを取っても生活できること自体が夢のようなことだろう。

 パレートの法則という経済学でいわれるものによれば(日本でも妥当するのか保障の限りではないが)、日本の富の8割は日本の人口の2割に当たる2500万人の人たちが所有していると推測される。残りの1億人でかろうじて残りの富の2割を分配している計算になる。2500万人といえば、かなりの人数だ。道理で、この大型連休に海外へ出かける家族がが100万人近くいるといわれているが、なるほどなーと気がしてくる。「お金の保存則」に従えば、お金はどこかに必ずある。ここになければ、どこかにあるのである。だから、自分にお金がないというときは、誰か他の人がしっかり持っていると考えてまず間違いない。世の中、不況が続いていると喧伝されているが、本当にそうかは現実の人の動きと合わせて、しっかり調べてから判断した方がいい。お金持ちは黙っていて静かに行動している。あるところには、あふれるほどあるものなのだ。お金がひとりでに蒸発して消えてしまうことなどないのだからこれは当然だ。

■2004/04/25(日) 10:40

 きょうは、天気もよくなったので、もう少ししたら散歩にでも行ってみようとおもっている。先日ひいた風邪が完全に抜け切っておらず、鼻づまりがある。声が鼻声になり、せっかくのいい声も台無しの状態だ。外の風はおもいの外冷たく、寒暖の差が大きい今年の春の特徴を示している。抜けが悪いのもこのせいかもしれない。

 毎週日曜日におこなっているホームページ「Kazutake Box」の更新作業も、このところ日曜日ごとに入るいろいろな行事で滞りがちであった。今朝は昨日中に何とか準備ができて、今朝の早い内にアップしてしまった。作るのには時間がかかるが、アップ(アップロード…ダウンロードの反対でホームページ上へ新しいページをFTPという専用のソフトで送り、閲覧できるようにする)は、ほんの数分で作業が終わる。もう、日課になっているから、自分では意識などしないうちに操作が終わってしまう。こういう慣れが一番怖いのだが、もう何度も失敗しているから、滅多なことではミスはしない。ホームページはIBMの「ホームページビルダーV7.0」で作っている。V8.0もあるのだが、面倒くさくて入れていない。それに、そんなに凝ったページを作っているわけでもないから、高級な機能などほとんど必要としない。ソフトのバグさえなければ、それでいい。今のもので(といっても修正はしたが)十分である。このソフトもかなり使い込んでいるおり(このソフトとの付き合いも長い)、もう使う機能は決まってしまっている。ソフトにはあまり執着しない(FlightSimulationものを除いて)。何でもいいけど、使っているうちに、やはり使いやすいものに限定されてくるみたいだ。このソフトもそうだった。

 ビジネスソフトは性格的に好きではないから、人並みに使えればそれでいい。仕事でのソフト利用は、あまり凝らない程度にしている。MS-Office XPなども仕方なしに使うが、正直なところ飽きた。プログラム作りには興味がある。が、どうもセンスと才能がないみたいで、時間をかけるべきか迷っている(Visual C++は少し勉強しているけど)。FSの機体作り・シーナリ作りなどにも関心はあるが、何せ時間がない(本当は時間など何とでもなるのだろうが、その熱意がまだ熟していないのか)。パソコンの前に座っているのは、何日でも苦痛ではないが、「おたく」とかいわれそうなので、適当にやっている。自分では「おたく」とも「じたく」とも何ともおもっていない。ただ「凝る」ときにはめちゃくちゃ「集中」する。何でもそれくらいにやらないと、自分の場合は身に付かない。ただ、それだけである。

 娘たちのパソコンには「Windows XP Professional Edition」がOSとして入っている。そんなことは、娘たちにはどうでもいいことだろう。わたしのこの自宅PCのOSは「Windows98 Second Edition」である。OSなんて知らなくても今のパソコンは使えるが、Flightものをやっていると、XPでは動かない名作ソフトが山のようにある。だから、わたしはOSのバージョンアップはしていない。一方で彼女たちのパソコンの設定はほとんどわたしがしている。何にも参考にすべきものなどないから適当にいじっている。ネット関係の機能とアプリケーションの保護関係の機能はアップしているみたいだが、Windowsそのものの操作性能はほとんど変わったとはおもえない。これも、毎日使っていれば、それがあたり前になってしまう程度のことだ。OSなど意識して使っている人は稀だろう。こういうのに凝った世代である、わたしのパソコン観はもう古いのだ。古いけど、パソコンの見えない部分では、そういう基本ソフトがしっかりと動いていることは知っておいても、無駄にはならない。「基本」の部分を見えなくする傾向がつよい。「基本」なしでできるものなど、何もないのに。「基本」はダサいのか?

■2004/04/24(土) 15:09

 個人情報の保護とかで、学校関係でもかまびすしい。仕事は好きでも自宅まで持ち帰ってするほどの習慣のないわたしは、以前から学校の仕事は一切自宅には持ち帰らない。たとえ、その仕事が緊急で間に合わないとしても、それはそれ、仕方のないことと割り切るようにしている。そんな状態なので、生徒の自宅の電話番号や住所の書いた名簿も学校外へは持ち出さない。だから、当然自宅には何もない。緊急のことがあったら…といわれても、それほどのことならば、学校から自宅に電話が入るはずとおもうしかない。

 そうしたら、昨夜、帰宅してみるとカミさんが学校から電話があったという。わたしのクラスの副担任の方の電話であった。「何かあったのかな?」と内容を訊くと、クラスの生徒が野球部の練習中にボールで爪をはがして病院に行ったという。そういえば、学校を出るときに野球部の連中が降りだしそうな曇天の中で練習していたことをおもい出した。おそらく、一昨年もあったケースと同じで、まだ硬球に慣れていない生徒がボールを受け損ねて、爪をはがしたのだろう。副担任の先生が、すでに生徒の自宅には電話を入れてくれたとのこと。本来なら、わたしの方からも自宅に電話を一報すべきところではあるが、上述の通りの理由で、自宅の電話がわからない。もう、副担任の先生も帰宅している時間なので訊くこともできない。まあ、爪がはがれたのは痛かろうが、月曜日になったら電話を入れるしかないとその夜の電話を諦めた。心配しないわけではないが、連絡の取りようもなし。本人と家族には申し訳ないが、気配りのない担任に当たってしまった不幸だと諦めてもらうしかない。

 わたしは、最近とみに増えている個人情報の漏洩を恐れて、個人名簿などを自宅においていないわけではない。じつは、学校を一歩出ると、学校の仕事は出来る限り忘れようとしているだけなのだ。6:15に家を出て、ほぼ12時間近く学校にいるのである。1日の半分を過ごしているので、残りの半分はできれば個人的な時間に使ってもいいのではと考えている。権利の主張だとか面倒なことは一切考えていない。ただ、ゆっくりと飲み、食べ、少しパソコンをして、読書もして、明日の活力をつけないでは仕事もまともにできなくなるではないか。これは決してぜいたくな望みではないだろう。そのための時間を確保することは、多少の努力を必要とする。ときには、批判もあるだろう。でも、それを気にしていては、とても確保はむずかしい。自己犠牲という言葉は、わたしにはあまりにきれいに聞こえすぎて、欺瞞としかおもえない。

■2004/04/23(金) 07:51

 昨日は、春の社会見学と称する「遠足」があった。今年は1年生の担任になったので、クラスの生徒とバスに乗り、神奈川県の西のはずれにある「丸太の森」というところまで出かけ、野外炊飯(カレー作り)をして食べてきた。生徒の中には「カレー作りだったら、わざわざこんな遠くまで来なくても、学校でもできるよなー」などといっているものもいたが、まさにその通りである。がしかし、別に4月のこの時期に野外炊飯をするのが、本当の目的ではない。それぞれのクラスの生徒たちに班ごとの共同作業をさせてみて、その様子を観察することで、生徒の性格、行動の仕方などを担任が把握するためなのである。行き帰りのバスの中での行動一つ見ても、いろいろな人間関係ができつつあるのが、はっきりとわかる。目立ちたがるもの、自分の殻にしっかりしがみつくもの、交友関係を円滑に作り上げることのできるもの、などさまざまなようすが見える。こういうものは、教室で授業をしているだけではわからない。わたし自身、自分のクラスに授業に行くのは、週に2回しかないし、授業のときに、それらの観察をしている時間はない。正直なところ、まだクラス全員の顔と名前が覚えきれていないのだ。昨日の遠足では、その辺も念頭において、できる限り名前と顔を覚えることに努めてみた。その結果、何とか顔と名前が一致する生徒も数も増えた。あとは、機会を捉えて随時覚えていこうとおもっている。生徒たちもそれぞれクラスのメンバの名前を確認しあっていたが、彼らは若いからすぐに覚えるだろう。わたしの記憶力は、どうもこういうものには、向いていないみたいだ。

 教員にもさまざまな人がいるから、すぐに生徒の名前や顔を覚えてしまう人もいる。わたしは、若い頃からあまりこれは得意ではなかった。クラス全員覚えるのに今では2ヶ月くらいはかかってしまうみたいだ。授業で担当している生徒たちに関しても、状況は同じだ。何度も名前を呼名しながら、少しずつ覚えてゆくしか、方法をしらない。よく間違えるので、生徒にはあまりいい印象はもたれていないことは、承知している。でも、故意に覚えないというわけではないのである。こういう面での記憶力があまりよくないのだろう。まあ、1年間も一緒にいれば、知らずに覚えてしまうものではあるが。だから焦る必要は感じていない。それに、生徒だって担任のわたしの名前すら覚えていないものもいるだろうし、教科担当の教師の名前などは、ほとんど覚えられていない現状は、職員室に担当教員を尋ねてくるときに、きちんと名前をいえる生徒がそれほど多くないのを見ても、わかる。他人には、自分の名前をきちんとおぼえてほしいという願望が強いのだろう。自分のことは棚に上げて、人にはちゃっかり要求だけはするという昨今の風潮がそのまま出ているようだ。

 じつは、恥ずかしながら、今年転勤してきた校長の名前も教頭の名前もわたしは知らない。もちろん、一般職員の名前もいうまでもない。まだ、話したこともない人がかなりいる。現任校でも学年ごとに仕事をしている傾向が強く、所属学年や分掌などがちがうと、1年間全く話す機会もない人が何人も出てくる。まんざら、わたしの怠慢だけが原因というわけでもないようなのだ。こういう組織のあり方もときには再考してみる必要があるのではとおもう。

■2004/04/19(月) 12:26

 ようやく空き時間になったので、今昼食(といってもコーヒー1杯)にした。ようやく担任の仕事にも慣れてきたが、先週には風邪で休むというアクシデントもあり、まだまだ油断はできない。今週も、半ばには春の社会見学(=遠足)があり、その準備もしなくてはならない。クラスの生徒たちも入学して10日目である。あれもこれもと忙しなくつづくが、5月の連休まではしょうがないだろう。

 ふと、カレンダーを見ると、きょう19日は昨年亡くなった父の命日である。ちょうど1年前の19日午前9時42分に父は息を引きとった。わたしは、連絡を受けて急いで病院に向かっている車の中であった。あれから満1年。あっという間だった。まだ、父の息遣いが残っているようで、遠くに逝ってしまったという感じはしない。あまり親孝行らしいこともしてやれずに見送ってしまったようで、それだけは気になっている。実家も空き家になってしまい、今後どうするか、相続人として考えていかねばならないのだが、何もおもいつかない。わたしが生まれ育った家(建物)が消えてしまうと、何だか父母とも永久に離れてしまうようで、決断がつかない。こういう親子のことには自分では割り切りのいい方だとおもっていたのだが、どうもそうではなかったことを今にして知る。末っ子長男の典型みたいで、あまりに世事に疎いことは自覚しているが、こうして親が2人ともいなくなってみると、陰で親がしてくれていたことの大きさをつくづく感じる。情けない男ではあるが、これで何とか乗り切ってゆくしかない。

 先週の風邪がまだ残っているようで、鼻づまりが多少ある。週末ゆっくり休もうと予定していたが、娘たちの使うパソコンを設置する作業(自作機+周辺機器+ソフト入れ+ネット接続)に追われ、結局治りきれないまま月曜日を迎えてしまった。冬場とちがって、この時期の風邪は治りが悪いので、注意したい。そういえば、花粉症になった30代半ばのときも、この時期の風邪をひきずったあとだったと記憶している。そう、身体は確実に衰えはじめている。なんといっても、わたしが高校生になった当時の父とほぼ同じ年齢に自分もなってしまったのだから。今の末娘に抱いている気持ちが、そっくり父の気持ちだったのかなとおもったりもしている。人間も何か順番でいろんなことをしているようなところがあるなーなどいう気もする。

 何気ないことではあるが、こうして毎日を仕事しながら送れるというのが、とても大切なことなのだと感じている。仕事ができることが…。

■2004/04/16(金) 08:07

 昨日は、じつに8年ぶりくらいで風邪を引いてしまい、年休を取って1日寝ていた。前日の帰宅時から、多少悪寒があり、しかも喉・鼻の症状は最悪。例年通りの花粉症が今年は少し重いのかなとおもっていた。しかし、どうも身体が熱っぽい。自宅にもどり、体温を測ると、37.2度ほどある。「こりゃ風邪だな」と直感。その夜は、晩酌もしないで、風呂に入ってすぐ寝た。一晩眠れば治るだろうと…。

 いつも通り、4:00前後に起きると、身体が熱い。しかも、フラフラする。喉もヒリヒリで声が出ない。すぐに体温を測ると38度近くあった。こんなに熱が出るのは、本当に久しぶりである。風邪で仕事を休むなどということは、まずなかったので、焦った。仕事に行くべきか、行かざるべきか、まさにハムレット的苦悩である。そんな状態を2時間ほどした挙句、「これでは、途中で参ってしまう可能性大」と判断。年休を取ることにした。この日は、春の遠足の班決め・係決めもあるので、休むと副担任の方に迷惑がかかってしまうから、休みたくはなかったのだが、止むを得ない。教頭が出勤してくる7:30頃に職場に電話を入れて、年休をお願いした。しばらく寝て、8:15頃に、副担任にきょうのLHRに班決めの内容と授業の自習のお願いをして、すぐに近くの病院に歩いて出かけた。身体がフラフラするのが自覚できた。この感覚は久しく味わっていないものだ。症状は風邪。薬を処方してもらう。ボーッとした頭で、自宅にもどり、軽くパンを1枚腹に入れてから、薬を飲む。頓服薬も入れると5種類もある。効果のほどはわからんが、飲んですぐに布団に寝込む。その状態で、1日じっとしていた。軽い頭痛と喉の痛み、痰の絡みは少しずつ取れてきた。熱も6度台には下がったが、平熱までは下がらなかった。夕方になるとまた上がるだろう。1日中布団で寝ていることなど、体質的にできないので、目が覚めると文庫本を読んでいた。読みかけのものが5冊ほどあったから、とっかえひっかえ。他に何もすることもないので、2冊読み終えた。もちろん、頭にはほとんど残っていない。夜には予想通りまた発熱してきたので、早めの夕食を摂ると、薬を飲んで早々に床についた。「明日は絶対に仕事に行く」と決めて…。

 今朝は、まだ微熱は残っているもののその他の症状もかなり軽くなってきたので、いつも通りに6:15に家を出た。途中の乗り継ぎで毎朝200mほど走るのだが、体調を診るために走ってみた。胸が痛かったが、何とか走れた。いつもは汗など出ないのだが、微熱のせいか、額に汗が湧き出してきた。身体も熱い。職場に着くと、昨日の年休を年休簿に書いて提出。職員室の机の上には文書のプリントが何枚も置いてあった。たった1日休んだだけで、これである。仕事のあるときは、ほとんど休まないように十分に注意して生活はしているつもりであったが、どこかに気の緩みがあったのかもしれない。まだ、完治しているわけではないので、マスクをしながらの授業になりそうである。若いときと比べ回復力も落ちているだろうから、せいぜいこの週末はおとなしくしていよう(飲み会は断固拒否…できるかな?)。手洗い・うがいをきちんとして、早寝早起きを励行していても、人間病気になるときはどうやってもなるということを再確認した1日であった。医者がいうのは、あくまでもスローガンである。

■2004/04/14(水) 15:55

 4時間連荘の授業を終えて(間に昼休みはあったが、それも会議)、走るようにHRに向かい、帰りのSHR。連絡事項を伝えると、各自の椅子を机の上に上げさせて(掃除の邪魔になるのと、盗難防止の効果も兼ねて)、生徒は帰宅、部活とそれぞれに教室を出て行った。ようやく昨日の会議で掃除分担が正式に決まったので、切りのいい来週から清掃をさせることにした。それまでの間は、わたしが一人で教室と廊下、そして朝に男子トイレを掃除している。掃除はきらいではないので、まったく苦にはならない。返って、掃除をしないものを追いかけているほうが疲れる。生徒がやらなければ、担任がやればいいと考えている。どの職場に行っても同じようにしてきたし、これからもそうするだろう。掃除は、身体を規則的に動かしていれば、それなりにきれいになるし、授業で多少疲れた神経を落ち着かせるにはとてもいい運動だ。きれいになった教室は、自分の部屋のようで、気持ちがいい。

 6校時目は、2年生の物理の授業。毎時間この部屋の隣にある物理実験室で授業している。生徒が来てくれるので、何だか申し訳ない気持ちもあるが、それは顔には出さない。実験室で授業をしていると、おもい付いた装置や実験をすぐに見せられるので、わたしにはとてもやりやすいし、ありがたい。しかし、6時間目ともなると、どんなに勉強好きの生徒でも、やはり集中力は落ちるし、眠くもなる。わたし自身、この時間は「魔の時間」である。今朝は(というより真夜中だが)、花粉症による鼻づまりがひどく、口で息をしていたせいか、もうのどがヒリヒリで、2:30に目が覚めてしまった。幸い、昨夜寝たのが、9:00過ぎくらいだったので、そのまま起きてしまった。いつもよりも相当に早い時間に起きたので、きょうの午後は正直なところ、夢見るように授業をしていた。この6時間目に生徒のまぶたもずいぶんと重そうだ。ちょうど、摩擦電気のところで、「電荷保存則」の話をしようと、エボナイト棒と毛皮をもって摩擦をしていると、何となく意味ありげな気配。そう、若い男子生徒(このクラスは男子生徒のみ)たちにはおなじみ(?)のピストン運動である。そこで、そう焦る授業でもないので、わたしの幼き頃の体験談も交えて、「男として、人間としての訓練の必要性」(要は男の性のトレーニングの話)をしてみた。それまで、眠そうにしていた連中も、顔を上げてニヤニヤしながら真剣に聞いていた。そういえば、自分自身もそういう話を聞いて大人への道をあゆみはじめたことをおもいだした。「男っていうのはホントしょうがねえもんだな…」とかおもいつつも、こういう話をあまり深刻にならずに話せるようになってしまった自分を「歳をとったのかな」とかおもった。おそらく女子生徒の前でも同じように話せるだろうとおもう。「性の話」がじつは「人生の話」そのものだと、ようやくこの歳にして実感としてわかるようになった。こんなことを授業中に話すことはまずないのだが、どういう雰囲気のせいか自分でもよくわからない。おそらく、風邪で頭の回路が壊れてしまったのか。まあ、こういうこともあると、生徒には勘弁してもらうしかない。父兄には教育委員会に訴えられるかもしれないな、最近流行りだから。

 「助べえ丸出し」の自分であるが、今さら隠し立てするほど人間の奥も深くない。時には理性も必要だが、日常的には理性は2割であろう。あとは、本能丸出しで生活しているにちがいないと、自分ではおもっている。何十億分の1の確率で、出会い一緒になる男女。本当は、理想のタイプでも何でもないのだが、そう生物的におもい込むことで、男女は結ばれてゆく。「愛」だ「恋」だなんて、わたしの辞書にはないのだが、わたしもいつの間にか3人の子孫を持つ身になっていた。げに恐ろしきことなりだ。もう、まぶたは重くて、これでは、自宅に着くまでにまぶたが地面についてしまいそうな雰囲気だ。もはや、こっくりさん状態である。とんでもない、早起きをしてしまい、しかも鼻炎用カプセルを飲みながらなので、もやは正常な頭の機能はない。ま、あったとしてもそれほどのことはないが。早起きも度が過ぎると、1日がこういう泥沼状態になってしまうことを教えてくれた1日だ。

 これで、また明日も早く目が覚めてしまうことになれば、明日はさらにひどい授業と思考能力破壊状態に陥ることだろう。今は、必死で眠さと戦っている。

■2004/04/12(月) 08:07

 昨日、久しぶりに東北新幹線に乗って郡山まで行ってきた。結婚式に出席するためだ。結婚したのは、わたしの従兄弟の長男で、大変にお世話になった叔父・叔母の孫に当たる。数年前に、叔父も叔母も相次いで他界してしまい、残念ながら、孫の結婚式には参加できなかった。でも、きっとあの世で、この結婚を喜んでいることだろう。きれいで可愛い、気立ての良さそうないいお嫁さんであった。わたしは、先月一周忌で帰省したばかりではあったが、親戚の人たちとの再会でまたしても飲みすぎてしまった。すっかりいい気分になって、祝宴が終わると、引き出物を手にヨタヨタとタクシーに乗り込み、駅まで。帰りの新幹線の中でも、ウトウトしていた。

 新幹線は往復ともMAXやまびこというのに乗った。2階建ての車両の2階に乗ったので、眺めが良くて、春の東北・関東の田園風景を楽しむことができた。乗っている時間は1時間、あっという間ではあった。いつもなら車で飛ばすところであるが、日帰りでお酒も飲む席なので、新幹線を利用してみた。こういう一人旅もまたいいものだな、とおもった。こういう機会を与えてくれた従兄弟にも感謝している。大安ということもあって、駅のホームでも式服姿の人を何人も見かけた。ここ数年、式というとお通夜や告別式などの仏事が多かったせいか、久しぶりの目出度い席に参加できて良い気分であった。親戚の方と談笑していた際、「最近、結婚する人が本当に減ってしまったなー」と、嘆くように言っていたのがおもい出される。たしかに、自分の職場で見ても、実感としてわかる。個人的には「結婚」しようがしまいが、本人の決めることであり、特段の意見もない。結婚する人が減る一方なのにも、それなりの理由はあるのだろう。しかし、自分自身を振り返っても、結婚することがそれほど有意義なことだ、と人に推奨する気にもなれない。現代の日本では、結婚によるメリットよりデメリットの方が多いのかもしれない。少子化とか騒いでいるが、それでなくてもこれっぽっちの日本の土地に1億2000万人もの人間がいるのだ。むしろ、少子化を喜ぶべきであろう。わたしは、子供が減ることに全く不安はない。大人が心配しているのは、子供が減ることでなくて、自分の年金問題があるからだ。いかにも、国の未来を憂いているようなポーズをしていうのは、ウソである。結婚から余計なほうへ話がそれてしまった(いつものことであるが)。

 まあ、若い二人がこれからも仲良く生活していってくれることを祈るのみだ。結婚なんて勢いで一気にしてしまわないと、なかなかできるものではない。ただ、これからの長い(かどうかは本人たちの努力次第であろうが)結婚生活がそれほど楽しいものであるかどうかは、わたしには自信をもっていえない。

■2004/04/09(金) 09:23

 新年度のはじめは、ゆっくり座っている時間がない。4日目の今日からようやくふつうの授業がはじまり(といっても、いろんな検査がポツポツはいるが)、少しホッとしている。2年間空きの担任で、初日は少しもたついたが、2日目からは勘ももどり、何とか仕事をこなしている。担任の方がやはり教員としてはおもしろい。今度のクラスは、わたしの教員生活の中では19回目の担任になる。

 中学校で教えていたときには、初任からずっと担任だったので、担任しているのが当たり前とおもっていた。が、高校へ転出してからは、フリーとか副坦だとかがあり、なかなか順番が回ってこないため、正直なところ嫌だった。担任でないと、雑務ばっかり回ってきて、そういうのも好きではない。教員なら、担任していて、それで当然だとおもう。自分のクラスをまずはきちんと把握し、それから学年全体、そして学校全体というようにしっかりと構造的に捉える。そうすると、その学校がくっきりと理解できる。担任のないときは、翼のない飛行機みたいなものだ、といつもおもっている。みんなで順番に担任を持ちましょうというのは、公平平等的にはいいのかもしれないが、担任がだれでもできるかというと、どうもそうとはおもえない。教科の指導が優れていても、担任になるとダメなどということはごくふつうにある。同じことは、教員が階層を上がり、教頭、校長となり、今度は大人である職員を把握しなければならなくなると、そこで破綻する人もじつに多い。それぞれの人の能力には、ある限度が存在するということだ。日本ではそれを「人間の器」とかいっているが、わたしがあちこちで書いている「ピーターの法則」とは、まさにこれをはっきりと法則として捉えた例である。

 きょうは、今年の時間割ではやっと空き時間ができた。さきほどまで、授業の準備をしていたが、どうも心電図検査の引率の仕事にあたっているようで、授業は半分もできないみたいだ。どの授業もはじめの1時間は「オリエンテーション」ということで、生徒氏名の確認や使う教材の説明、勉強内容の概要説明などをする。が、こういうのは、わたし自身は好まない。すぐに本論に入りたいといつもおもっている。授業は、1年間淡々とつづけてはじめて力になる。体力をつけるのと大差ない。授業のいい悪いを論じるには、最低でも3ヶ月は必要だろう。一日一日をきちんと送ってゆくことがゆるぎない力をつけてくれる。人も集団も組織もみんな同じだとおもう。

■2004/04/02(金) 10:32

 昨夜、例によって晩酌していると、先輩教師で山仲間でもあるY氏の家から電話が入った。先日の「花見」のときに、息子さんの高校進学を祝って本を贈ったお礼であった。その本とはE・T・ベル:田中勇・銀林浩訳『数学をつくった人びとTUV』ハヤカワ文庫全3巻である。数学が一番好きな教科だと聞いていたので、贈ることにした。もちろん、わたし自身も全部読んでみて、いいと判断したからだ。ただし、中学を卒業したばかりの息子さんには、十分にむずかしいことは百も承知のこと。一度通読するだけでも大変だろう。ただ、途中で諦めないで、とにかく一度は通読しておけば、あとは高校に入って勉強が進んできたときに(もちろん大学等へ進んでも)、何度も読み直してみれば、きっと得るものがあるだろう。数学も人間が創りあげてきたものだということがわかれば、それで十分だ。細かな定理や式などは、その都度自分の手で紙と鉛筆(古いなー)を用いて体感(ウンウン苦しみながら)するしか、学ぶ方法はない。しかし、それでも、若いうちからこういう事実(数学も人間が創りあげてきた)を知っているのと、ただ数学のテクニックを使えるというのでは、雲泥の差がある。わたしの専門である物理でも事情は同じだ。得てして、問題解きのテクニックなどにハマりがちなこれらの勉強において、その背後に多くの人間の限りない努力があったことを知っておくのは決して無駄にはならない。

 すぐに役立つことを学びたがる傾向が顕著な今、慌てず急がず人間の創造物としての数学や物理などをきちんと学んでおくことは、返って後に多くの実りをもたらしてくれるものだと実感する。「すぐに役立つ」とは「すぐに使えなくなる」と同じことだ。役に立つか立たないかをはじめに知ることはできない。実際に学び使ってみてはじめてそれがわかる。学ぶ前から、これは役立つなどとわかるものはない。いわゆる「基礎」としての読み・書き・ソロバン(これは現在はパソコンか)は当然のことながら、それ以上のものになると、どれが本当に将来の役に立つものかなどは、誰にもわからない。こういうときにこそ、過去から現在までに人間がどのように学んできたかを冷静に見直してみる(これこそ歴史なのだろう)のが、もっとも近道であると信じる。特殊な専門の道に入れば、おのずとどういうものを学ぶかは決まっている。しかし、まだ多くの経験を積まなければならない初期の段階では、できる限り間口を広くして、いろいろな観点から学んだほうがいいだろう。早い段階で自分の進む道を見つけた人は幸いである。しかし、多くの人はそうはいかない。学んでは失敗し、また失敗し、を繰り返してようやく自分の進む道を見出せれば、それでも幸運な方だ。数学は多くの人に嫌われている。学校での教え方にも問題はあることはたしか。しかし、数学そのものがもつ冷徹さや極美をすぐに理解できる人は稀である。何でも「これって役にたつの?」と訊きたがる人に、数学は冷たい。

 残念ながら、わたし自身の子供たちには、数学でつらい想いをさせてしまったのかもしれない。結果的にはだれも理科系と呼ばれる分野へは進まなかった。小学校・中学校で数学が好きな生徒でも、高校からが一番の山だ。高校数学を乗り切れれば、まずは数学の世界の入り口へ到達だ。これから先は、大学等でのいわゆる高等数学になるが、これは数学の専門家になる人以外は、分野ごとに必要とされる内容は多岐にわたる。わたし自身は、高校での数学はそれほど好きではなかったが、大学からの数学は自分なりには楽しめた。人生の中で、どんな時期でもいいから、数学のような抽象的で論理的な世界を体験しておくのは、大切なことのようにおもう。そういう意味では、数学が得意でなくてもいいから、数学を学ぶことにあまり抵抗感のない生徒を多く育てられたらいいなーと個人的にはおもう。数式を見ただけで、ゾッとするなどという人が多くいるみたいなことを聞くと、とても残念でならない。数学も人間の活動の一部だぞ!と大声を出して叫びたい(なんだ、これじゃ、何かの小説のタイトルみたいだな…)。そんなことを、友人の息子さんにわかってもらいたかった。

■2004/03/31(水) 14:45

 今朝の朝刊は教員にとっては、いつも目を皿にして見る特別のものだ。別刷りで配布される「教員異動特集」がそれだ。昨年まではけっこう真剣に見ていたようにおもうが、今年はどういうわけか、ほとんど興味がわかず、中身も見ないで出勤した。一般職員で転勤する人、職を離れる人、などは一応わかっていたからもある。管理職も教頭は2年満期なので、転出するとはおもっていた。校長は、1年目だからまだだろうと…。職場について、どうも雰囲気がちょっとちがう。食事コーナーには、校長からの菓子折りなどがおいてある。「あれ?なんで」、と不審におもったが、わざわざ人に訊かなくてもいずれ内容はわかるだろうと高をくくっていた。

 昼になり、食事コーナーの近くを通ったので、菓子を1つ頂くことにした。そのとき、分掌が一緒でよく話すN先生がいたので、「これってどういうこと?」と何気なく訊いたら、その理由がわかった。校長は、今年度おこったあれやこれやの事件で心身ともに疲労してしまい、現在病気療養に入っているという。「エェ!それホント」と驚く。本当にはじめて知ったのだ。疲れているようすはわかっていたが、まさかそこまで疲労しているとは。入選でも一緒に親身になって作業にも加わってくれて、近年にない、すばらしい校長だと尊敬の念をもっていただけにショックであった。現在の管理職は県教委と現場の職員との板ばさみになって、大変にストレスのある職になっている。誠実でまじめな校長はそれを精一杯こなしていたが、とうとう限界を超してしまったのかもしれない。そのため、校長の職を辞し、行政職の方へ異動し、しばらくは療養するという。何とも痛ましい。わたしたちのいろいろな不手際も原因しているかもしれないことをおもうと胸が痛む。昨年、わたしの父が亡くなったときも、あたたかい言葉をかけてくれた。そして、校長の親父さんも同じ年に、ほとんど同じような病で亡くなった。教科の専門も同じ「物理」ということで、特に意識したことはなかったが、親しみの情を感じていたことはたしかだ。残念でならない。なんで、こういうすばらしい人が倒れなければならないのか?無念だ。この際は、ゆっくり静養されて、また現場に復帰して頂く事を祈るしかない。本当は、こういう人をわれわれ職員が守ってゆくのも大切だったのかもしれない。また、いつの日か、一緒の職場で働けたらと願っている。

 それにしても、県教委にすれば、管理職も一般職員も単なる「駒」でしかない。一体、このエラそうに上から指示や強要ばかり出してくる教育委員会ってなんだ。こんなのがどうして存在しているのか、わたしにはさっぱりわからない。早くつぶしてしまうことが一番いいようにおもう。もし、わたしが県の知事にでもあったなら、最初につぶすのは、この教育委員会であろう。国がダメというなら、文部科学省がそのつぶす筆頭である。国家の教育のために、これほど害になる存在はない。

■2004/03/30(火) 08:27

 今は春季休業中(ふつうにいう春休み…教育用語は狂っている!)ゆえ、校内はシーンとしているし、職員室にも数人の教員が来ているだけだ。今、8:30の職員打ち合わせのチャイムが鳴ったが、虚しい響きである。もう数年前から、教員の春休み・夏休み・冬休みは消えた。わたしなど、これがあるから教員になったような気もするが、世間の教育公務員バッシングに遭い、あえなくこの素晴らしい制度も消えた。生徒も休みで授業もないのに、教員が校内で所在なくうろついていることのどこに意味があるのだろう。それより、気分転換に旅行に出かけたり、普段おもうほど読めない本を読んだりと、新年度に備え、気分を新たにした方がよっぽど生徒にはいい影響を及ぼすとおもうのだが(ちゃんと法律にも教員は心身共に健康であることが求められているのだ)。どういう訳か、教員も休んでいては世間様に顔向けできないと考えたものすごく正義感の強い人たちが、あっという間にこの貴重な休みをもぎ取っていってしまった。悲しい人たちである。

 こういうことを書くと、「公務員とくに学校の教員は甘えている!」とかわめく人々がいる。一年中働き詰めの人たちかとおもうと、しっかり完全週休2日制の人だったりする。どの仕事でもそうであろうが、もちろん教育公務員の中にも、こういう長期休業を利用して、しっかり遊び呆けていた人たちもいる。しかし、多くの教員はそうではないとわたしの観察ではおもう。自分のことは棚に上げて、教育公務員などにはエラク「完全を要求する傾向」があるが、感心しない。

 現在の学校制度がはじまって以来、学校の教員はふつうに人がそのほとんどをやって来たに過ぎない。中には、名教師がいたり、破廉恥な教師がいたりと時代時代であったであろうが、ほとんどの教員はごくふつうのおじさんおばさんたちでしかなかったことなど、考えれば当たり前であろう。それでは「教師の権威」が落ちるというなら、勝手に落ちればいいではないか。ふつうの勤め人に権威は必要か、必要であるはずはない。それとなんら変わりはない。ふつうの教員がふつうに教育活動をして、ふつうの生徒たちが勉強してゆくのが、ごくありふれたふつうの学校ではないのか。いい高校、いい大学、いい大学院に行きたいものは、自分で(今は家族総出か)頑張ればいい。学校などで学べるものなど、本当は高が知れているのだ。

 と、話の方向がカーブしてしまった(フォークか)が、要は教育の話ではない。休みのことである。教員は、こういう長期の(でもないか)休みのときには、「研修」というのが取れるようになっている。「場所」「時間」「内容」を明記して、きちんと研修することを条件に、勤務に代えることができるのだ。ただし、その証明として、あとで研修内容のレポートなどをしっかり提出して承認をもらわないといけない。わたしは、こういうものを書くのが嫌なので、いつもと同じように出勤して、物理室でのんびり教科書を読んだり、授業の構想を練ったり、休み時間はFSで飛行機を飛ばしたりして、過ごしている。部活動指導があれば、それも見ている。

 今ほど、職員室を覗いてきたが、職員は少なかった。みんな、自宅などでしっかり研修しているのだなーと感心してもどってきた。いうまでもないが、年休を取れば、誰にも何もいわれずに休める。これは、勤め人の常識である。わたしが、ほとんど年休を取らないのは、じつは夏に華々しく年休を取る計画があるからだ。実際には、部活動指導(わたしは正直なところ、これはあまり好きではないが)などで、それほど年休も使えるわけではないのだが、休める日にちを確保しておけば、余裕をもって仕事ができる。年休を取れば、研修と違ってレポートなどない。他人から見張られているような休みを過ごすくらいなら、堂々と年休を取ってしっかり休み、遊びたい。ただそれだけのために、年休を大事に取っておくというのがわたしのやり方だ。現在の時点での年休行使日は2日。まだたっぷりと残っている。もう、年間のスケジュールには、年休を取る日はしっかりと書き込まれている。それも、十分な余裕をもって。
東京都などでは、「夏休みは年休で休め」とかいっているそうだが、仕事のできる環境整備(公立の学校では冷房のないところはザラ。勤務校にもない)もしないで、役所感覚でものをいうバカが多すぎる。石原都知事は冷房なしのところで仕事をしているのか、そうであれば、見習いたい。

 まあ、人様のことなど、この際考えない。夏のスケジュールに向けて、今は静かに仕事に精出しておこう。生徒はいないけど…。

■2004/03/28(日) 13:06

 昨日は我が山岳会の恒例「花見会」に行ってきた。横浜の二俣川というところにある”大池公園”の桜の下が会場だ。まだ、ちょっと早かったみたいで、わたしたちが飲んでいた場所にある桜だけが三分咲きくらいで、あとはまだつぼみだった。人の出もそれほどでなく、こりゃ早すぎたかとおもったが、飲んでしまえばもうこっちのものだ。総勢7名の男が集まり、盛大に宴会をした。ビール、日本酒、焼酎と流れに乗り、ほとんどのツマミを食べつくした頃には、もう吹く風も冷たくなっていた。場所をお店に変えて、2次会へ突入。それも終わると、今度はカラオケへと暴れまくってしまった。帰りに電車にも行かれてしまい、トボトボと45分も歩いて帰宅したのは、いつものパタンであった。おかげで、先ほどまで頭はどんよりと重く、外の天気とは対照的な気分であった。あれだけ飲んだのだから、自業自得であろう。

 毎年やっている「花見会」ではあるが、今年は当初の計画では一昨年と同じ時期である4月3日にしてあった。ところが、3月に入り、気温は上がる一方で、桜の開花予報がどんどんと早まる。これでは、桜が終わった頃になってしまう。というわけで、急遽、1週間早めて実施することにした。ところが、今度は、冷たい雨と気温の低下で咲きはじめていた桜のつぼみがしぼんでしまい、開花は一時ストップ。26日の夕方から日が照り始めたが、27日の「花見会」には間に合わなかった。残念ではあったが、これも自然現象であり、文句をいってみても仕方ない。きょうは、気温もかなり上がってきて、陽射しもちょうどいいので、開花は進んでいることだろう。しかし、明日は通常の勤務だし、二日酔いでは仕事はできないから、止むを得ない。楽しく飲めたので、十分に満足している。

 現在、気温は20℃。陽射しもあり、自宅の部屋でこれを書いている分には暖かいが、外の風はちょっと肌寒い。日陰では寒いくらいかもしれない。季節の変化に身体がまだついて行ってないみたいで、まだ春用には仕上がっていない。こういうときに、体調を崩しがちになるので、注意は必要だ。もう数日もすれば、4月で新学期を迎える。また新入生たちの元気な声が校内に響く。今年からは担任なので、少し気持ちを切り替えるつもりだ。それぞれの人の新しいスタートだ。

■2004/03/24(水) 09:45

 きょうの午後にある入選委員会で今年度の入選業務がすべて終わる。昨年度の個人校務日誌(自分で勝手につけている)を見ると、この仕事が終わる喜びと次年度にまたやらされるのでは…という予想が書いてある。まさに、その通りになってしまい、2年間もつづけて入選委員(それもPC担当ばかり)をやることになってしまった。来年度は、クラス担任に決まり、もうこの仕事はしなくてよくなった。ほんとうにホッとしている。もう頭の中では、入選業務のことはさっぱりと忘れてしまった。きょうの会議では、次年度への申し送り事項などが話し合われると予想しているが、正直な気持ちではもうどうでもいい。次年度の係の人たちが自分たちの好きなようにやればいいとおもっている。とくに申し送りたいことなどない。

 2年間ほとんど自己流にやってきた(わたしの前任者からは何の申し送りもなし…転勤していってしまったので当たり前か)。わたしの作ったシステムも入選業務の終了とともにすべて削除した。システムなどというほどのものでもないし、自分で仕事を楽したいから作ったまでで、あちこちに欠陥もあり、とても人前に出せる代物ではない。改良にはあと3年はかかるかもしれない。来年度もまた入試の内容が変更されるだろうから、そういう変更点を含んだものを次年度の人たちが作り上げてゆくのが一番いいのだろう。あれこれいう気もないのはそうした可能性が高いからでもある。わたしは自分に与えられた仕事は、きちんとしたつもりでいる。自己満足でなく、実績がそれを証明している。だれでもできる仕事ではないから、今度やる人も大変だろう。こういう仕事はやったことのない人にいくら説明してもわかることはまずない。ふつうにできて、それが当たり前の仕事だし、どこにも派手さはない。仕事が終わって、ホッとするときだけが、少し充実感に浸れる瞬間かもしれない。

 新しくこの仕事に就く人の健闘を祈るだけである。

■2004/03/23(火) 12:04

 きょうの2校時目の2年物理の授業で、今年度(2003年)の授業をすべて終了した。明日も授業はあるのだが、わたしの担当する授業はなく、本日で終わりになった。2年生の物理は年間で82回(定期テスト5回を含む)だった。勤務校では、3単位になっているので、法定では年間35週として105回になるが、いろいろな行事などでつぶれたり、祝日などの関係で実際にできる授業数は大体8割くらいなので、ほぼ予定通りであった。1回50分だから(特別時間割のときは45分、40分というときもある)、合計で4100分(=約68時間)になる。これくらいの分量なら、1日2時間もやれば1ヶ月で終わってしまう。それなのになぜこんなにダラダラやっているかといえば、それがカリキュラムだからである。それに、同じ勉強を長々とつづけているとダレてしまい、集中できなくなるから、適度にいろいろな教科と並行して勉強するのには、一理ある。有名な化学者オストワルドの著書『化学の学校』岩波文庫にも、こういうカリキュラムの利点について述べた箇所があるから、それなりの意味はあるのだろう。が、わたし自身の考えでは、集中して一気にやってしまった方が効率はいいようにおもう。

 カリキュラムなどの考えのなかった時代には、各人がやりやすいように学んでいたようだ。福沢諭吉の『福翁自伝』などを読むと、昼夜徹して学んで、疲れたら爆睡するみたいなことが書いてあり、あの時代の学び方の参考になる。現在の学校はあれもこれもといろんなことを広く浅くしか学ばないようで、あまり身に付きそうにない。人生の中で、ほんとうに集中して学べる時期や時間というのは、ある程度決まっているようだ。その時期を逃すと、なかなか普通人には学ぶ機会がない。だから、時間的な余裕のある青少年期にしっかり集中してやっておくのは理にかなっている。ただし、現代の学習は、学校での定期試験に備えたり、入学試験の準備だったり、資格を取るためだったりなどが目的のことが多いので、やはり継続的に毎日少しずつ勉強するのがいいのかもしれない。こういう勉強法にも時代が関係しているといってよい。

■2004/03/22(月) 11:18

 3/19(金)の早朝に出発して、田舎(会津)に帰った。父親の一周忌を営むためだ。家族を車に乗せて、東北道を西那須野ICまで走り、そこから那須・塩原温泉街を抜けて南会津から会津若松に向かった。山沿いに入ると、まだ相当な雪が残っていた。関東ではこの冬は「暖冬」だ、などといっていたが、東北は雪が多かったようだ。正月にはまだそれほどの雪ではなかったようだが、中旬くらいからどんどん降りはじめ、例年にない大雪だったとのこと。道路沿いの家の北側には、まだ軒高く雪が残っていた。関東を走っているときは、外気もそれほどの寒さを感じさせなかったが、会津に入ると、底冷えのする寒さだった。厚手の服を持ってこなかったことを後悔したが、ときすでに遅し。ま、何とかなるだろうと、いつもながらのいいかげんさ。

 法要に集まってくれた親戚とは久しぶりの再会である。父親を会津から引きとっていた8年近くの間はあまり帰省もしなかった。昨年父親が亡くなり、会津で葬儀・納骨などをした際に帰省して以来、ほとんどご無沙汰していたためだ(秋頃に、友人の息子さんの結婚式出席時には帰省したが)。天台宗のお寺さんでの法要のあと、市内の割烹で「お使い」と称する(会津では)食事の席をもった。最近は、飲酒運転は田舎でもありえない。そのため、運転手はお決まりのウーロン茶、そうでない人はビール・お酒ときちんと分かれている。わたしは、みなさんに集まってもらっている立場なので、慣れないお酌で、料理にはまったく箸をつけなかった。親戚の人たちと話していることが、何よりの酒の肴だ。父親が亡くなって、親戚のつながりがようやくわかるようになった。世代交代しない限り、こういう席に出ることもないからだ。親戚の人の前では、格好をつけることなど無用であり、その点は助かる。両親の親戚はみんな気持ちのいい人たちで、感謝している。

 来年の同じ時期には、三回忌を予定しているので、また行くことになる。こうして父や母への想いも少しずつ昇華されていくのかもしれない。

■2004/03/18(木) 08:53

 まもなく球技大会がはじまる。現任校は体育の盛んな高校なので、学期末には毎回のように球技大会をしている。その試合(男子:サッカー&バレーボール、女子:バスケットボール&バレーボール)もかなりのレベルである。とくに、サッカーは全国大会にも出たこともある県内では公立校トップの実力校なので、試合は生半可なものではない。審判等も全部生徒が仕切ってくれる(わたしなどルールもよく知らないので助かるが)。その試合の合間に、職員は成績処理などをしている。この学校の生徒は、体育関係の試合などがあると、じつに燃えるので、その点では青春を謳歌しているといってもいいだろう。教員は、じぶんの当番の時間になったら、試合会場(グランド&体育館)へ行って、試合を見ているだけでいいので、本当に助かる。体育会系的な雰囲気が校内に漂っており、廊下や教室でも挨拶はじつにいい。こういう生徒たちと接していると、こちらも元気に挨拶を返す習慣ができて、気分がよくなる(この挨拶の元気さが授業の中でも発揮されていれば、なお格別なのだが、そこまでは欲張れまい)のを日々、実感している。

 わたしはある程度の年数が過ぎると、すぐに転勤したくなるという悪い習性があり、先日もある先輩教師の方から「あんたは、腰がすわっていない」と苦言を呈された。まことにごもっともなことで、恐縮するしかなかった。こういう雰囲気のいい生徒たちに囲まれて仕事ができるのは、ありがたいことだとおもっている。わたしには、この学校に何も不満などない。1つだけ気になっているというか、自分の思い過しなのかはわからないが、どうもこの生徒たちにはわたしの教えている「物理」などという科目はほとんど不必要なのでは?とつねづね感じていることだ。底辺校勤務の長いわたしには、「物理が必要」とか「物理は不必要」などという議論は、贅沢な話であることは百も承知である。しかし、しかしである。物理の教員として採用されて、「物理」を本格的に教えてみたいという気持ちは、いつも心の隅にある。自分にそれだけの実力があるとかの問題ではなく、生徒たちと物理を楽しみながら(こちらも教えられながら)授業ができたらというささやかな願いがある。今教えている生徒たちの中でも、それは可能なのかも知れないが、本音をいえば、「ちょっと無理かな」と印象をもっている。役職などより、「物理」を勉強しようとおもっている生徒たちが、ある程度の人数いる学校で教えてみたいというのが、わたしが転勤を希望する本当の理由である。それ以外の望みはとくにない。「情報」などの教育には、わたしは正直なところ関心はない。パソコンを人に教えるのは苦手でもある。

 体育系の好きな生徒たちは、自分自身が体育系の部活動で育ってきたせいか、好きではある。できれば、こういういい雰囲気の学校に長居したい気持ちもないではないが、定年までの間に自分の願いが叶えば、こんなにうれしいことはない。あくまでも、希望であるが。先日の新聞によると、「物理」は高校生にもっとも嫌われている科目だそうだ。数学も似たようなものだが、数学や物理が好きだという生徒たちも少数はいるだろう。そういう生徒たちと出会いたい。受験のためであってもいいが、できれば、この科目が本当に好きな生徒たちであれば、それはなおうれしい。この願いは、在職中では無理かもしれないので、定年後も視野には入れている。わたし自身も定年後には再度、物理の勉強のし直しもしたいと考えている。定年後にも勉強したいことは山のようにある。どこまで、気力がつづくかはわからないが。

■2004/03/16(火) 07:57

 通勤してくる途中に老人ホームがある。バス停で降りて、そこから職場まで7分ほど歩くが、そのバス停のすぐ前にある。昨日帰宅するときに「あれ、もう桜が咲いているのかな?」と1本の木が気になった。全部で10本ほど道路沿いに桜の木があるのだが、その中のちょうど真ん中にある木だけがピンクの花を開かせはじめたのだ。今朝、見たら、まちがいなく桜の花であった。まだ満開ではないが、三分咲きというところか。その道筋には梅園のようなところもあり、こちらも白・紅などの花が満開になっている。早咲き・遅咲きなどというが、たしかに一斉に花を咲かせるわけではない。わたしは生物学にはくわしくはないが、花を咲かせる(つまりは受粉をする)時期をずらすことで、多くの花が受粉できるチャンスを確率的に高めているともおもえる。別段、植物である桜が意識的にそういう風にしているわけでもあるまいが、それぞれの桜の木にあった時期に合わせて開花するのには、不思議な感がする。

 人も生き物であり、おそらくこちらの方はもっと「生物戦略的に」花を咲かせているのかもしれない(といっても、人間の花って一体なんだ?)。いわゆる「能力」のこと…この能力の意味も捉えにくいが…だとすると、桜の開花とおなじように、時期をずらすことが理にかなっているのかもしれない。同じ時期に同じように開花するのは返って無理というものか、という気がしないでもない。人間にも早咲き・遅咲きといろいろあるのだろう。どっちがいいとか悪いとかは関係なく、それぞれの人が自分の能力を十分に発揮できる時期というのは、ある程度決まっているのかもしれない。どの時期がそれにあたっているのかは、本人にも他人にもわかりにくいが、それに気づいた人がある程度の仕事を成すのだろう。

■2004/03/15(月) 08:03

 今週の土曜日に故郷会津で父の一周忌の法事をする。父の命日は4月19日だが、新学期がはじまってしまうと、みんな忙しくなるので、子供たちの春休み直前に予定してみた。まだ、田舎の山々には残雪が残っている時期だが、季節は春。一番いいときだろう。我が家のボロ車に家族5人が揃って乗るのも、ほんとうに久しぶりだ。息子の姿を見るのも、昨年の9月以来だから、半年ぶりである。何とか大学生をやっているみたいだ。わたしはほとんど関知していない。彼には彼の人生があるだろうから、自分の決めた路を歩んでくれれば、何もいうことはない。わたし自身そうしてきたし、当然息子もそうするのがいい。わたしが両親と暮らしたのは、高校までの18年間だけだった。他界した父とは、晩年に7年ほど一緒に暮らしたが、それも元気なときの父とは違い、止むを得ずの結果である。父も元気であれば、決して同居など望んでいなかったに違いない。我が家は父の代から「核家族」だったし、子供たちも自分の路を見つけて旅立つのに違和感はなかった。長男とか長女などというのは、財産のある大きな家の話だとおもっていた。だから、息子にも家を出ることを勧めた。息子が家を出たあとは、しばらく気持ちにぽっかりと穴が開いたような気持ちだった。

 父は、末っ子で長男のわたしを確かに可愛がっていたようにおもう。口数の少ない父だったので、そういうことを面と向かって聞いたことはない。大学に入り、ほんのたまに帰省すると、一緒に黙って酒を飲むだけだった。「何を勉強しているのか?」などと聞くこともなかった。趣味である夕刻の川釣りには、車で同行した。2人でそれぞれのポイントで黙って1時間ほど竿を操り、終わると黙って車で帰宅した。そのあと少し飲むだけだ。これは、わたしが所帯をもち、帰省した際も同じだった。職人だったので、余計な話をする前に、自分の手で何でも作るのが得意だった。口で仕事をしている現在のわたしとは全くちがう世界の人だった。この歳になり、ようやく父がわたしに残したものの大きさを感じるようになった。自分の仕事に打ち込み、形にしてゆく。その仕事に手抜きはない。それを誇ることもない。当たり前のことを当たり前にする。自分の決めた路をだれに決めてもらうでなく、自分で決める。役職などにはこだわりがなかった。職人として生きた父の姿が今ではやけに大きく見える。いつか、あの世に行ったら、父、そして母に会いたい。

 父の孫たちもみんなそれぞれの路を歩みはじめた。一番下である我が家の次女ももう高校生だ。上は、それぞれの職業に就いたり、まだ学生をしているものもいる。この孫たちは、わたしにとっても大切な存在だ。彼らも今週末には会津に集まってくれる。それが何より何よりの供養だ。父もそして母も同じ墓の中で共に喜んでくれるだろう。墓のすぐ近くにある会津鶴ヶ城の桜には少し早いのが残念である

■2004/03/12(金) 07:42

 卒業式も終わり、気持ちは次年度のことに移りつつある。こういうときの学校(といっても公立だけだろうが)の話題は、「転勤」についてだ。どの都道府県でも似たような状態かもしれない。おそらく地方では、かなり強引な異動が行われているやに聞く。わたしの勤務する神奈川県では、転勤については、比較的穏便なやり方(一応、転勤に関する覚書みたいなのはある)が踏襲されている。しかし、最近になって、これも次第に崩れはじめている。昨年度は、わたしと一緒に転勤してきたばかりの人が、1年間在職しただけで、もう転勤になってしまった。あまりの短さに、今ではその人の顔もおもい出せなくなっている(これは、わたしの記憶の悪さか)。原則では、3年間は異動希望は出せないことになっているが、そういうのはもう機能しなくなっている。

 わたし自身あまり一箇所に長居するのは好きではないので、それなりの年数が過ぎると、また新しい職場に移って、気持ちを入れ替えるようにはしている。しかし、1年しかいないで転勤では、ほとんど仕事もできないまま次へということになる。ふつうに考えると仕事はほとんどできないであろう。学校現場は3年周期で動いているので、最低でも3年くらいは同じ職場で仕事をすれば、おおよその概要は掴めるという気がする。どうも、こういう短期での異動というような風潮になってきたのは、県で進めている学校(高校)の統廃合や、単位制高校への移行など、めまぐるしく変わる制度との関係が考えられる。とにかく、忙しないことといったらない。高校の総合化も単位制化もフレキシブル化もすべて、欧米の(とくにアメリカだが)真似である。それも、彼の地ではすでに失敗であったという認識が一般的で、とっくにこれらの制度は別のものに変わってしまっているのだ(これは80年代のこと)。20年遅れで、しかも新しいやり方のように喧伝されて、わが国で実施されているのだから、なんとも嘆かわしい限りである。少子化など統計的にはすでに20年以上も前にわかっていたことなのだから、もう少し早めに手を打ちはじめるのが当然のことであったのだ。今頃になって動いても時すでに遅しだ。そういう身軽が動きができないところに行政の魯鈍さが現れている。

 転勤の話である。この3月の終わりに、かなりの人数が入れ替わる。どの職場でも人の入れ替えによるストレスはある。わたし自身もすでに6校を経験している。それまでの職場・同僚との別れ、新しい職場での出会いはいつもリセットをかけるのに似ている。神奈川に知り合いのほとんどいないわたしには、転勤はちょうどパソコンを再起動させるのにじつによく似ている。過去を消し去るのではなく、メモリをリフレッシュすることである。だから、保存されていない情報は消えてしまう。が、しっかりと記憶され、いつまでも残るものも多い。同僚として仲が良かった人も、離れてみてはじめて真価がわかる。長く付き合う人は、ひとりでに選別されてゆく。ろ過されてほんとうに気持ちの通じた人だけが水のように淡々とした友人になってゆく。多くの人に(生徒にも)出会い、そして別れ、そして消えてゆく。立場も役職も時の流れの中では一時の装飾である。そういうものが取り払われたときに、真に交友できる人となるようにおもえる。わたしは、人付き合いは苦手であり、そういう友は少ないが、一人一人すばらしい友であり、わたしには過ぎた人々だ。そういう人と出会えたことがほんとうにうれしい。今年もひょっとすると、新たな出会いがあるのかもしれない。まもなく新年度になる。

■2004/03/05(金) 07:46

 合格発表のあった3月1日(月)から3月3日(水)まで、毎晩「〜の会」と称する飲み会に参加していたため、さすがに昨日は頭がボーっとして、一日中「三日酔い」みたいな状態であった。飲み会は好きなので、すぐにOKしてしまう。そして、最初にちょっと食べ物を口にするだけで、あとはほとんど飲むだけになってしまう。ビール→日本酒→焼酎(余裕があれば)のコースが定番だ。中でも、日本酒は特に好きだ。とくに銘柄などにこだわることはないが、いい酒ならそれにこしたことはない。ただ、味覚に優れているわけではないため、ほんとうは味などそれほどわからない。日本酒を飲みなれているというだけだとおもう。若いときはかなりの量でも飲めたが、中年といわれる歳になってから、たしかに酒量が落ちてきたのは実感する。人間飲める量はおそらく人によって上限があるとおもわれるので、そろそろ頭打ちになっているのだろう。まあ、酒を飲んでどうでもいい話をするのが好きなだけなのだろう。どうも、そういうときに、仕事の話は苦手だ。職場を出ると、仕事のことはぺロッと忘れる(ようにしている)。だから、自宅に仕事を持って帰るという人の心情をほんとうはわからない(わかりたくもないが)。そういう人はほんとうに仕事が好きなんだな、と感心してしまう。仕事は職場で、できなければ諦める、がわたしのやり方である。朝早く来る理由の一つは、仕事を早めにやってしまうためもある。この時間だと、じゃまする人はだれもいないし電話もない。だから余裕をもって落ち着いてできる。

 まだ勤務時間外なので、物理室でくつろいでいる。このときが、1日で一番好きな時間だ。コーヒーを飲みながら、これを書いている。先ほどまでに、テスト問題を2題作った。あと、3題作る予定にしている。それで完成になる。コーヒーは1日3回。もちろんインスタントコーヒーだ。味覚には自信がないから、「NESCAFE GOLDBLEND」という無難なものにしている。以前は、コーヒーなど飲まなかったが、いつの間にか飲むようになった。ま、こんなことはどうでもいいな。今、8:00のチャイムがなったので、そろそろ仕事モードに切り換える。授業は3年生の授業が減ったので、だいぶ楽になった。こういう時期に次年度の準備をしておこうといつもおもっている。が、実際に準備したことはない。おもうだけである。でも、そうおもうだけでも立派だといえる(ごり押し)。いつも15分ほどで雑感を書いているので、もう止める。入試も終わり、完全に糸の切れた凧状態になってしまっている。こういう浮遊感がとてもたまらなくいい。

 入選の仕事が終わって、次年度のことが何も決まっていないこの時期は、ほんとにホッとできる。もう、しばらくは入選の仕事も勘弁してほしい。だれに頼んだらいいのかわからんが、だれかに押し付けて、次年度はのんびりしたい…な。

■2004/03/03(水) 07:41

 きょう、卒業式がおこなわれる。年々外部からの圧力が強くなり、もう形ばかりの式になりつつある。やれ「君が代」だ、「日の丸」だ、とバカらしいこと限りなし。いかにも国を憂いているらしいポーズをとる連中が、すわ国難というときに、どういう行動を取るかは、過去の例がはっきりと教えてくれている。わたしは、賊軍「会津」の出身なので、国体の維持だとか、愛国心だとか、口でえらそうにいっている人たちが最後にどういう行動を取るかは、疑心暗鬼でみている。中央に位置しているものたちをわたしは信じない。保身これあるのみだ。中央官庁の役人も同じような、行動を取るであろう事は論を待たない。これすべて無責任体制ばかり。

 靖国神社問題もわたしにはバカらしい。靖国神社など国の英霊を祭るところなどと勝手にほざいているが、あそこは薩摩・長州のいも侍たちを祭るために建てたもので、明治政府(藩閥政府)が自分たちの利権のために作ったものである。あそこに、会津武士の墓はない。会津人も先の大戦までは祭られることはなかった。こういうことを知らずに、国の英霊を祭るだのなんだのとふざけたことをいっているのを聞くと、笑ってしまう。明治時代をいかにも日本を国難から救った時代みたいにいう論調があるが、あれは単なる成り行きである。薩摩・長州の連中が自分たちの利権のためにやったことが、結果として日本の欧米化につながったというだけのことである。わたしには、あの時代を評価するつもりはまったくない。「日の丸」「君が代」にしても、明治政府が自分たちの正当性を誇示するために作り上げた虚構である。先の大戦で多くの国々にこの旗・歌のもと(下)迷惑をかけたから…などという論は、わたしには関係ない。戦争になれば、そんなことはどの国でもすることで、中国、朝鮮半島も過去には他の国に同じようなことをしたことは明白である。なぜ、日本がそこまで卑屈になる必要があるのか、わたしにはまったく理解できない。戦い慣れた欧米の連中のあのずうずうしさを少しは見習うべきであろう。と、意気込んで書いてはみたが、これはどうも時代錯誤の感がつよいか。

 学校の式など、その学校で好きなようにやればいいのだ。一々政府が口出しすべきことではない。こういうことを、本気でいっている政治家や役人、商売人などがいるということは、何か下心があると勘ぐられても仕方あるまい。「愛国心」を強要するものに真に国をおもうものはまずいない。これも、過去の歴史と行動がしっかりと教えてくれている。別に歴史の教科書に載っているからとかのつまらん理由とはちがう。そんなに明治の世が好きならば、その時代に勝手に飛んでゆくがいい。わたしには「愛国心」はない。が、この国の風土と人は好きである。それで、十分である。それ以上をなぜ望むのか?不思議である。

 卒業する生徒を気持ちよく送り出すのに、国家を前面に出す必要などない。

■2004/03/02(火) 08:06

 やはり案じた通り、昨夕、勤務時間外の17:45頃、緊急の生活指導部の会議が召集され、それから延々と20:00近くまで話し合いがあった。入選の反省会へ遅れることを連絡したが、どうもそれにはほとんど間に合いそうにない。問題になっているケースは、中身が入り組んでいて、なかなか意見がまとまらないまま、時間だけが過ぎていく。朝から、合格発表やデータのまとめなどほとんど仕事の連続で、昼も食べる暇はなかった。それもあって、夕刻からの反省会では多少くつろげるかなとおもっていたが、甘かった。まあ、酒など一人で飲んだ方が気が楽なので、どうでもいいことだが。

 勤務校も実態は、リーダー不在であり、ここぞという決断ができる人はいない。いつもどこかを気にしているようで、肝がすわっているとはいえない。全員が宮使いなので、とても強気に出る雰囲気はなく、どうしたら穏便に事を処理できるかに終始している。これは、わたしのところだけでなく、いずこも同じであろう。性根のしっかりすわってもいない管理職などにいくら研修などしても何の効果もない。せいぜい、委員会のメッセンジャーとしての仕事をこなすだけが、精一杯ではないかとおもう。

 きょうもむなしい臨時の職員会議があるだろうが、もう議論はし尽くしている感じで、とても発言する気にもならない。勝手に決めてくれ!と正直おもう。外目にはそこそこに見える学校の内情は、ほとんどこんなものである。わたしには、今はやりの”内部告発”などしようにもネタがないけれど、どこもかしこも自分の属する組織の死守に懸命であることは同じのような気がする。組織に固執しているのは、組織によって恩恵を受けている人たちなので、一般的な職員には、ほとんど関係ない。わたしもなんの恩恵もないので、本音でいえば、今の職場に入れ込むつもりもない。自分が勤めたい間は、仕事を精一杯やるだけだ。

■2004/03/01(月) 17:01

 学年会が終わると同時に、勤務時間も終わった。といっても、今夕は入選委員会の厳しい反省会が待っているので、帰宅はまだ先のことになる。12:00で合格発表も無事終わり、合格者には合格通知書が渡された。発表の直前まで、点検作業をしたせいもあって、それなりに自信をもって臨んだが、それでも終了20分前くらいに最後の合格者が通知をもらいに来たときは、正直ホッとした。これで、ようやく、気持ちを落ち着けて授業に行けた。まだまだ残務処理もあり、それらが終わって、正式にはこの入選の仕事も終わるのだが、ひとまずは区切りがついたといっていいだろう。

 長かった。それが、正直な気持ちだ。気楽に取り組める作業なら、それほど意識をすることなく仕事はできる。間違えば、その受検生の今後に(おおげさにいえば、人生に)大きく影響するし、県教委からは怒られるしで、目も当てられない状態になる。何事もなくできて当たり前なのだから、気疲れすること限りなしである。おかげで痩せましたといいたいところだが、毎晩飲んでいては、変わり映えしない。ゆっくり休みたいなどというほど身体的にハードというわけではなかったから、そういう気分ではない。が、精神的にはちょっと疲れた。こういう疲れは、返って動いて癒すのがいいのだろう。まあ、仕事の愚痴のいい合いなどしたいともおもわないが、一緒に仕事をした同僚たちと、静かに一献酌み交わすのが一番の疲労回復剤かもしれない。

 こういう忙しい時期には「マーフィーの法則」にもあるように、さらなる忙しい出来事がおこるもの。実際に現在もそうだ。いろいろ問題発生しており、入試の仕事だけでは済まないのが現実だ。だが、そういうのもまた良しと考えることにしている。どうせ起こるときには何をしても起こるのだから。気持ちは滅入るが、気にしていてもどうにもならない。身体を動かして、ちょっとだけ頭を使えば、大体のことは何とか乗り切れる。きょうは、寒い1日で、なごり雪まで降った。もう雪もこれで終わりかな。ここ数日の春めいた天気に身体がゆるんでいたせいか、ちょっと寒さが身に沁みた。

 自分自身に入選お疲れ様といいたい。(^_^)v

■2004/03/01(月) 07:40

 後期選抜の合格発表まであと2時間20分だ。無事終わってくれればそれでいい。この仕事を2年間やっているので、正直疲れた。PC担当の責任者として、いつも段取りとデータ処理をやっていた。事務的な仕事である。ただ、入試全体の流れを知らないと、どういう手順でデータを処理して、最後にはどういう形で示して行くのかはわからないしできない。とくに、昨年度と今年度では、入試の形態が一変したので(幸いにも、勤務校では昨年「推薦入試」という形でリハーサルをしていたので、助かった)、どこがどう変わったのかをきちんと把握していないと、データの処理そのものができない。そのデータ(つまりは、調査書の点数化や面接点、学力検査の点数など)にまちがいがあったり、入力時にミスがあったりすれば、出てくる結果もまちがったものになるのは当然である。だから、いつも肩に重石を乗せて仕事をしているみたいなものだ。適度の緊張感は仕事にいい影響を及ぼすが、絶対にミスをしちゃいけないとなると、それはむしろストレスにしかならない。あと、数時間でこの仕事の結果が出るのだが、昨年の9月くらいから(それ以前にもいつも頭の隅にはあったが)、実際の流れを追いながら、何度もシミュレーションをして、必要なプログラムの準備や手順を考えつづけながらやってきたことの結果が出る(前期は無事終了。後期が終わってすべての仕事が終わる)。もう、悔いはない。やれることはやったとおもう。

 話はころっと変わり、花見である。今年は、関東では暖冬だったようで、今朝もバス停から職場まで歩いてくる道端に梅林があり、満開できれいだった。この調子だと桜の開花も早いかもしれない。来月の3日に山岳会恒例の「花見」を予定しているが、開花が早まれば、予定を繰り上げなければならない。いつもは、同じ場所で宴会を開いているが、今年は、ある情報筋からかなりいい場所があるやに聞いているので、ひょっとすると場所変えもあり得る。何といっても花見は大切だ。しっかり桜花を鑑賞しながら、その下で厳粛に飲むという行事は古来の伝統を守る上でも死守したい。何も酒を飲む口実としていっているのではない。この辺、よく誤解されている方が多いが、そうではないのだ。あくまでも「花」が主、「飲」は従である。花粉症のわたしが、それに耐えながら、屋外での宴会に燃えているのは、こういう深い訳があったのである。はっきりいって、待ち遠しい。

 またもどって、学校のこと。もうすぐ卒業式がある。勤務校でも間近かだ。自分が高校生くらいの頃までは、3年間というのはかなり長く感じたようにうっすらと記憶しているが(このところ、過去がどこかへ消えつつある…)、人生も半ばという年齢になると、1年が50km/hくらいのスピードで過ぎてゆく。高校卒業時くらいだと、さしずめ18km/hくらいのスピード感だから、まだ景色もよく見える。もうこの歳では、景色もおぼろげながらしか見えない。そういうわたしの歳では3年間はほんとうに短い。さてそろそろ仕事でも…などと腰を上げる頃には、3年目というようなことはザラである。想いおこせば、高校生の頃は、バカだった。この歳になって現状を見ても、あの頃とほとんど変わっていない。やはり、バカである。なんとも情けないが、これで一生を終えるしかないのかもしれない。こうなると、もうできることは、「バカに磨きをかける」ことくらいしかない。今年、卒業してゆく諸君もほとんどバカであろうが(それにしても最近は”バカ”流行だな)、何かにバカになるくらい打ち込んで、しっかりした「本物のバカ」になってほしいものである。そう、人間の歴史は、バカ(になって打ち込んできた連中)が作ってきたのだから。

■2004/02/29(日) 11:03

 きょうで2月も終わり。明日からは3月。そして、いよいよ明日は神奈川県の公立高校の後期選抜の合格発表が行われる。わたしの勤務校でもすでに発表の準備は終えて、静かに明日の発表を待っている。昨日も仕事があり、職場に行ったが、1日がかりの会議であった。これは入試とは関係ないが。明日の発表が無事終われば、ひとまず今年度の入試の仕事は終わりになる(残務処理がけっこうあるのだが)。今のところ、何度も点検しているので、まず発表に関わるミスは考えられないが、それでも万が一ということは、いつも念頭にある。別にミスを恐れているわけではなく、ミスを発見したときに、いかに迅速に対処できるようにするかを考えているだけである。無意識にミスをしている可能性はいつもあるからだ。まだ、気持ちが張り詰めているうちはいいが、仕事が終わりそうになると、少しずつ気が緩んでくるのは、どうしても避けられない。そういうときに、いとも簡単にミスする。気持ちを緩めるのは、いつでもできるから、今しばらくはこの状態を持続したい。

 この1月・2月は時間の経つのが本当に早かった。お正月の三が日がつい昨日のようにおもえる。3学期がはじまったとおもったら、もう気がつくと、明日からは今年度の最終月になる。合格発表、卒業式、学年末試験、合格者説明会等々、行事は目白押しだ。教員に春休みなどないから、そのまま新年度へ突入だ。以前には教員にも春休みらしきものが多少はあったのだが、今はまったくの通常勤務だ。これがあたり前のようにいう世間の目はきびしい。というより、他業種の「嫉妬」であろう。自分たちの景気がいいときは、調子に乗って悪乗りするのに、景気が悪くなると決まって公務員叩きがはじまる。いつの時代も同じだ。こういう不景気そうに見える時代は、儲けている連中は、しっかり静かに蓄財していることなどを知ろうともしない。お金は「お金保存則」に従うから、ここになければ、どこかにあるはず。だから、全員が揃って不景気などということは、まずあり得ない。そこをしっかりと掴んでおかないと、すぐに騙されてしまう。不景気に見えるときは、じつは「儲け時」でもあるのだ。

 子供が大学生などになったものなら、それこそ、収入など左から右へと矢のように吹っ飛んでいく。わたしの財布など小銭ばかりで、もう壊れそうだ。たまには、福沢さんともじっくりとお会いしたいが、夏目さんが2人、3人では安心して飲みにもいけない。道理で、最近「漱石」さんの本を読むのが多いとおもったら、こういう原因もあったのだ。やっぱり、日頃から福沢さんの本をしっかり読んでいないといけないなーと反省している。まあ、宮使いともなると、1円以下の端数までしっかりとぜーんぶ取りつくされて、プリントアウトされた紙一枚もらうだけだから、仕事などした気にはぜんぜんならないのが昨今だ。カミさんにお願いしても、源流が涸れてしまっていては、わたしのところへ届くまでには、ほとんどなくなっている。懐どころか、からだ中に寒さが染み入る晩冬である。春はあと10年は来そうにない。

 今回も例によって、暗い話題になってしまった。どうしてなんだ!オレは…。

■2004/02/26(木) 07:47

 やはり恐れていたことは現実になった。昨日、すべてのデータの処理を終えて、合格判定のための資料つくりに入って、それもすでに終わり、一息ついているときだった。午前10:30頃、県教委からFAXが入り、国語の解答に訂正ありとのこと。「またか!」とおもわず腹が立ったが、彼らのやることは通達を出すだけで、現場に対する何の謝罪もない。世が世なら、責任者は「切腹」ものなのだが、シャーシャーとしている。通達1本で現場に指示できるとおもっている。現場は、それから大混乱。授業と並行して空き時間のある国語の教員、入選委員も加わって、国語の答案全部を再チェック。その作業が昼過ぎまでかかり、わたしの予定していた仕事は先送り。国語の解答で訂正がきたところは、案の定「60字で解答を書かせる」問題で、一昨日の採点のときから、国語科の教員の中でもいろいろなケースが考えられると困惑していた箇所だ。こういう問題は、ここしばらくは出題されなかった。が、どういうわけか、バカな作問者とそれをチェックできない、愚かな作問委員会の連中がそれを問題に入れてしまったためだ。解答にぶれがでては…と解答の訂正を出してきたとおもわれるが、国語の問題など「ぶれ」があって当たり前なのだ。それに、問題の内容もおかしかったと多くの国語の教師はいっていた。採点では、国語が一番時間がかかった。

 今回の後期選抜学力検査では、前期で合格者を不合格にしてしまったという、不幸な出来事がかなりあったため、現場への県教委からの「お叱り」は相当なものだった。ほとんど「教員不信」といっていいくらいであった。マスコミもバカだから、調子に乗って、現場の怠慢さというスタンスで報道していた。それじゃ、聞くが、今回の県教委の作問した学力検査の問題で社会で「問題訂正」そして、今度の「解答訂正」と一体これはどうなっているのか?マスコミは取り上げたか?新聞には何も載っていない。載るわけもないな。マスコミなんて宣伝マンだから、お客(大衆)の喜びそうな話題だけを取り上げて(つまり情報操作だ)、それをいかにも真実かのように紙面に貼り付けているだけだからだ。心あるマスコミ人がいたら、もっとなぜこういう現場の混乱が起きるのかを、その根本まで遡って考察してみよ。

 昨日、わたしはこれらのトラブルもあったため、朝の8:50から夜8:00までほとんど休みなくパソコンの前でデータの処理に追われた。その間、授業もあったが、生徒には申し訳なかったが、課題を出して、自習をしてもらった(こういうとき、本校の校訓:「自主自律」は役に立つ!)。入選委員の同僚たち、そして、校長と一緒に仕事を終えた、応接室で並んで出前の「てんぷらうどん」を食べた(校長!ごちそうさん!)。

 合否の判定はきょうの午後予定されている合否判定会議で決まる。が、すでに、昨夜の段階で決めてある。この案を変えることは校長でもできない。

■2004/02/25(水) 07:46

 昨日は、採点日で在校生はまたも休み。これまた、例年にない緊張感漂う中で採点がおこなわれた。国語の試験に60文字で文章を書く問題が出たため、その採点にズレがおこらないように慎重に採点したためか、例年より受検者数は少ないにも関わらず、9:00から15:30までかかって、採点を終えた。ものすごい数の点検をするのだが、ほとんど偏執狂の人間が考えたような厳格なマニュアルで(もちろん県教委からの指示文書)。いろいろな色の「○」や「/」やチェックのあとで、解答用紙はまるでこどもの落書きをした紙のようだ。

 採点が終わると、わたしたち入選委員のPC係(4名)に5教科の主任、校長立会いで入選用PCへのデータ入力。解答用紙の点数を読み上げる人、読み上げにミスがないか確認する主任、データを打ち込む人、画面を確認する人、管理職とものすごい緊張感の中で入力がおこなわれた。国・社・数・理・英の点数の入力後、それぞれの検査会場ごとにデータを区切った点数照合用の表を打ち出し、再度入力データにまちがいがないかをチェック。最後の最後まで気はゆるめられない。点検が終わって、入力ミスなし。少しホッとする。その段階で、順位は出ている。あとは、順位で並べ替えれば、合格者は公表された基準に従って、自動的に決まる。関数のミス、ソートのミス、コピー&貼り付けなどのときの操作ミスがなければ、まずミスはありえない。ただ、人間のやることには、ミスはつきもの。可能な限り(無意味な反復は返って、ミスを誘発するのは衆知のこと)の再チェックをして、ファイルを閉じた。

 きょうは、合否判定会議の原案を立てる。すでにデータチェックは終えてあるが、万が一ということもあるので、データのもとになった調査書・解答用紙との照合を再度、係でチェックをしながらほぼ1日がかりで原案を作る。原案は、確定版になる。私情の入る余地はまったくないから、基準通りにやれば、だれがやっても同じ結果になる。もし、基準を変えるとしたら、それは次年度の課題になるだろう。今年度は今年度の基準通りにやるしかない。「機械的にやる」ほどむずかしいことはない。どうしても「ここで何とかしてあげたい」とかの私情がむくむくと顔を出す。それを押し殺しての作業は、ストレスが溜まる。スパッと割り切れる人なら、何も文句はないのだろうが、わたしはそういう点で「甘い」人間なのだろう。現在の気分は最悪である。わたしが、もし私学校でも造るとしたら(もう公立はがんじがらめで期待は持てない…現場の人間でも感じ方はさまざまだろうが)、こういう方式の選抜はしないだろう。異常なほどの公平化は、長い目で見ると、返って厳格な差別化に転化すると予想する。わたしが評論家になっても仕方ない。今は、現場で自分の仕事をきっちりとすることだけを考えている。

■2004/02/23(月) 07:43

 いよいよ本日、後期選抜の筆記試験がおこなわれる。昨夜の嵐も去り、一転して快晴になった。交通機関の乱れもなし。試験は正常に実施される。昨日の日曜日も、試験問題の点検のために、出勤(ついでに部活動指導も)した。いつもの通り、ボランティアであるが。雨が残ると受検生も大変だろうなと心配していたが、快晴で本当によかった。試験だからみんな緊張しているだろう。全力を尽くして頑張ってほしい。こちらも厳正に選抜をすることはいうまでもない。合格する者も、健闘むなしく不合格になる者も、とにかく悔いのないように、精一杯やってほしいと願っている。こちらも身の引き締まるおもいで、試験の準備に携わっている。まもなく、8:00。入選委員のメンバーは、集合してそれぞれの仕事にかかる。受検生はポツポツ集まりだしているが、会場に入れるのはまだなので、今はシーンとして、彼らを待っている。このつづきは、またのちほどだ。

 受検生より、職員のピリピリした緊張のうちに(管理職はとくに)無事15:05試験が終了した。本当に気疲れする1日だった。試験会場の後片付けを終えて、最後の打ち合わせをする頃には、グッタリとしてしまった。帰りにちょっと寄り道でもして、軽く飲んで帰ろう。もちろん、一人で。

■2004/02/21(土) 18:19

 昨夜の学年の新年会(ずいぶん遅いが、仕事の都合で延び延びになってしまった)で、わたしのHPをよく見てくれている、同僚のYさんから「大竹さんのページはどうもイメージが暗いんだよなー」といわれてしまった(^_^;)。自分でも気にしていたことなので、「ごもっとも」と黙っているしかなかった。そう、わたしは自分でもとても暗い人間だと、自負しているので、当然作っているこのHPも暗い話題がじつに多い。別に暗く書こうとしているわけではないのだが、自然に暗くなってしまう。いつも暗い環境の中で書いているからかと、明るい時間に書いてみたり、部屋の電灯を明るいものに取り替えてみたりしたが、無駄だった。自分でも「マイナス思考」には自信があり、どんなに楽しいことでも、すぐに白けてやる気を失うような雰囲気を作り出すことができる。人はめったに誉めることはないし、ましてや、自分を誉めようなことはしたくてもできないでいる。

 飲み会であまり仕事の話をしないのも、すぐに悪いほうへ悪いほうへと話しがいってしまうので、その予防の意味もある。本当は、仕事の話も好きなのかもしれないが、そうなると自分や同僚の悪口をいいそうで怖い。趣味も明るいものとはいえない。普段読んでいる本も暗くてまじめな本が多い。どこをどう叩いても、明るい話題が出てこない。これでは、一生暗いものになってしまうので、何とかせねば…とおもっているが、そういうことを真剣に考えてしまうと、また暗くなってしまう。これを「暗さのスパイラル現象」と呼んでいる。どうも、わたしは本当は「暗い」のが好きなのではないか、とおもうようになった。この傾向は、子供のときからあったみたいで、それが今もつづいているのだろう。

 おもしろおかしく人生を送れるのが、いいのかもしれない。はやりの「プラス思考」とやらも練習してみたが、どうにも違和感があって身につきそうになかった。最初は面白そうだなとおもったことでも、すぐにのめり込んでしまい、返って楽しめないというのがどうも多すぎるみたいだ。もっと気持ちに余裕をもって、楽しむことができればいいのだが、もうこの雑感自体からして暗くなりつつある。だれかのように、「もっと光を!」と叫びつづけないといけないな。こりゃ、疲れるぜ。

■2004/02/19(木) 10:22

 もしかしたらあるのでは…と心配していたことが現実になった。今年度からはじまった新しい入試制度(前期選抜・後期選抜)で、前期選抜時に本来なら合格していたはずの受検生を不合格にしていたという報道だ。わたしは、今朝の新聞(学校で見た)で、その詳細を見たが、さもありなんと名指しでミスを指摘された高校に同情の気持ちを禁じえなかった。同じ仕事を現にしているものとして、決して他人事とはおもえない。昨日の午後、県教委からのFAXが入り、すぐに入選のメンバーが集められ、データの見直し作業に追われた。幸いにもミスはなかったが、後期選抜に向けて油断はできないと気を引きしめた。

 新聞の報道で気になったのは、その取り上げかただ。読売の方は「県立横浜南陵高の合否判定に誤り 不合格1人を合格に(大文字)」の見出し、神奈川新聞の方は「不合格一転、合格に(大文字) 調査書の一部得点化忘れ 横浜の県立高入試ミス(小文字)」の見出しになっている。まるで鬼の首でも取ったような見出しのつけ方はマスコミのいつもの習性だから、どうでもいいが、県立高校でのミスだというのでおおげさに報道している点だ。国立や私立の学校だったら、こういう報道の仕方はしないだろう。ミスを批判する姿勢ばかりで、なぜこういう事態が起きたのかは不問にしている。この報道では(2社の新聞しか見てないが)、なぜこういうミスが生じたかの本当の原因を取り上げてはいない。ただ、調査書に記載されている事項を点数化する際に、それを加点していなかったということだけを述べている。これは、じつは大きな問題点なのだ。どういうことかというと、調査書に記載されているいろいろな活動状況は、詳細にほとんどすべて「点数化」されているという事実だ。点数にならないものを点数にせざるを得ない入試制度とは一体何なのか?の疑問を全く喚起していないのだ。県教委は「総合的に判定すること」と何をいっているのかわからないような呪文ばかりを唱えており、それを現場に押し付けてくる。「総合的に判定する」とは具体的に何をどうすればいいのか?は、ここの学校で考えよと投げ捨てる。現場では、調査書に書かれた内容を仔細にチェックする。そして、その活動の記録や実績にある点数を与える。ちょうど内容は逆になるが運転免許証の減点制度のように。部活をしていたので、何点。どこかのコンクールに入賞したので何点等等。このバカバカしさにだれも文句をいわない。何か変な感じがしないのだろうか?わたしは、この評価の仕方に疑問ばかりが湧いてくる。

 これを書いているわたしは、今まさに入試の現場でそれをやっている人間である。昨日は、外面は「ミスはまず考えられない」と落ち着いていた風を装っていたが、内実は「心臓バクバク」であった。どこの現場でもあり得ることだからだ。マスコミでは批判口調であったが、わたしは学校側でそのミスに気づき、それを速やかに公表したことに、ある種すばらしい決断を見たようで、敬意を表したい。もし、該当生徒が後期も同じ高校を志願しなければ、まずこのミスは見つからなかったこと、見つけた職員がそれをきちんと報告したこと、ミスはミスとして公表して、正式に謝罪。その受検生も無事合格になったこと、等等を考えると、立派な措置であったと高く評価したい。隠そうとおもえばできたことなのだ。それをきちんとした形で時期的にも遅れることなく対処したことは、危機管理上の問題をしっかりと乗り切ったということで、評価されることはあっても、批判されるべきことなどあるはずがない。もし、批判するものがあるとしたら、「あなたなら完全にできるのか?」と問いたい。失敗してもそれをすぐに回復できることが、不完全な人間にできる最善の方法なのだから。もしも、学校側があとでわかって批判されてはいけないという”逃げ”の姿勢からでなく、ミスで合格にしなかった受検生のことを本当に案じて、そういう措置を取ったとしたら、の話ではあるが。(追記:これを書いたあとに、また、ミスが判明した。ということは、こういう事態は、制度的・構造的な問題があるとしかおもえないのだが…)

■2004/02/17(火) 16:04

 あと半月ほどすると、今従事している入試関係の仕事も終わりになるだろう。正直なところ、ようやく先が見えてきてホッとしている(まだまだ気を緩めることはできないが…)。昨年の10月ごろに準備に取り掛かったから、約5ヶ月間もダラダラと仕事をしていたことになる。現在は、後期選抜の準備をしていて、来週の月曜日におこなわれる学力試験に向けて最終段階に来ている。仕事は、空き時間を利用して、やらざるを得ず、気疲れすることもおおいが、文句をいっても、誰もしてくれるわけではないから、ミスのないように集中して取り組んでいる。

 学力試験が終わると、あとは採点・点数入力という流れで、ほぼ機械的に合格者が決まる。前期と同じで、私情の入る余地はないので、その点は楽である。昨日の調査書からのデータ入力(教科の成績の入力だけ)では、わたしの関数の操作ミスがあり、ちょっとヘマをしたが、幸いにして3人で入力していたため、1人の人が異常に気づき、早い段階で修正することができた。こういうときに、係の協力があると助かる。わたしも操作ミスには十分気をつけてはいても、そろそろ疲れも溜まってきている時期なので、こういうちょっとしたミスをしやすいのだろう。その後の、チェックでは問題なかったので、ホッとした。

 わたしの数少ない趣味である登山やパソコンでもそうだが、最後の詰めのところで気が緩むと大きなミスにつながりやすい。最後の最後まで駆け抜けるくらいの気持ちで集中して、はじめて全体が無事完成することは、何度も経験している。ゴールが見えると、だれでもが気が急いてちょっとした油断をしやすい。心して、最後まできっちりとした仕事をして、気持ちよくこの仕事を終えたい。今は、ゴールのことは、考えないようにしている。

■2004/02/15(日) 11:16

 昨日、春を告げる嵐があった(春一番)。強い南風で砂ぼこりがひどく、ちょっと掃除で窓を開けていたら、部屋の畳がざらついてしまった。洗濯物は強風であおられて、物干し竿ごとベランダのコンクリートの上に散乱していた。関東地方では、このところずっと乾燥した日がつづいていたので、どこもカラカラ状態で、ほこりの舞いもすごかったのであろう。

 今朝は、一転して北西の風に変わり、外は昨日に較べると寒い。ただ、こうして部屋で過ごしていると、窓から部屋を照らす陽射しでちょうどいい気温になっている。まだまだ寒い日はあるだろうが、日々春に向かって季節は変わっているのが実感できる。つい20日ほど前の天気がまるでずいぶんと以前のことだったように感じてしまう。もうあと半月もすれば、3月で卒業のシーズンを迎える。今年の卒業式はどんなだろう。ここ数年、入試の仕事に追われ、卒業式関係の仕事もしていない。式は一つの区切りを共有する(まあ、幻想に近いが)ものだから、生徒たち・親たち・教師たちがそれぞれに気持ちの整理ができるものならば、形は出来る限り「質素」なもののほうがいいと、わたしは考えている。日の丸・君が代など政治的な問題も抱えており、教育の現場では悩みも多い。政治家先生たちは自分の主義主張でいろんな要求をもっているみたいだが、本当に日本のことを考えているとおもわれる意見は少ない。政争の具として、学校を利用するのもいいかげん止めてもらいたいと切に願っている。

 我が家の長女にも大学の合格通知がポツリポツリと届きはじめ、彼女にも新しい季節が確実に来ている。4月からはいよいよ大学生か…。あの真ん丸と太って重かった娘ももう大学生とは、何とも時の流れのはやさを感じざるを得ない。この子供たちが次の時代を作ってゆく。いいも悪いもない。それが世代というものだ。学力がどうの、生きる力がどうの、と世間はうるさいが、そういう戯言は無視して、自分たちの世界を作っていってほしい。今、偉そうに若者の頼りなさを歎いている大人たち(老人から中年にかけてか)も、若い頃はその当時の大人たちから同じようなことをいわれて、歎かれていたのだから。

 地球の未来はだれも知らない。おそらく神であっても…。

■2004/02/09(月) 08:51

 ショックだった!昨日、久しぶりに我が家に遊びに来てくれた友から、「今度退社することになったよ」と話を聞いたからだ。土日も惜しまず出社して、会社のシステム部門を現在の状態まで作り上げてきた彼が、突然の退社。「円満退社」とはいえ、ほとんどリストラに近いといった方がいいような感じだ。経営者には、もう用はなくなったのかもしれない。システム部門も軌道に乗ってしまえば、あとはそれを運用するのには、人はそれほどはいらない(と経営者は考える傾向がある)と判断したのかもしれない。本当は、そのシステムの維持・管理というのは作るのと同じほどに大変なことなのだが、そんなことがわかっているのは作っている人たちだけだ。システムが正常に稼動している間だけは、のん気に構えていられるだけなのだが。まあ、そのうち、事の重大さがわかるかもしれないが、わからん人にはいつになってもわからない。

 そんなわけで、昨夜はうつらうつらしてよく眠れなかった(というより、何だか眠る気がしなかった)。つらつら考えるに、企業や役所などのいわゆるコンピュータシステムなどというのは、だれでも使えるように完全に近いものを作れば作るほど、それを作った人間を不要にしてしまうという矛盾を抱えている。頻繁に故障したり、不具合をおこす程度に作っておくのが、得策なのかもしれない。「代わり」がいない状況を作っておくのだ。たしかに代わりがいないのは、忙しいしつらいが、その本人には有用さがいつまでも残る。ただし、そこまでして残る価値のある職場ならばであるが…。今回の彼の退社は、正直なところ、「それでよかった」とおもっている。会社の内情を聞くにつけ、そこまでして残るほどのところでもないとわたしにもおもえた。彼の能力を生かす職場は、現在の社会状況においても、いくらでもあるだろう。ただ、来月に迎える退社のあとは、しばらくのんびりしてみたらと話した。何も慌てることなどないし、きっと何とかなる。

 わたしの義兄も、東京の本社で多くの人をリストラする立場にあり、そして身を裂くようにして、その仕事を終えた。そして、最後の仕事として、自らその職場を去ることにした。その潔さに感銘もし、涙した。人としてやるべきことを見事にしたと今でも身内として誇りにおもっている。今は、故郷にもどり、新たな職場で仕事をしているが、気負いも見せずに淡々と生活している。見習うべき先輩の姿だ。人間のやること、はじめがあれば、必ず終わりもある。はじめるのは勢いで何とでもなるが、終わりはじつにむずかしい。自分で自分の仕事に幕を降ろせる人はそうはいない。やがてくるわたし自身の終幕のとき、潔く幕を降ろせるか、自分自身が問われる。友は、少し早めの終幕(彼はすでに何度か終幕を自力でしっかり降ろしている)を降ろすことになったが、幕などまた上げればいい。そんなことは、すぐにできる。今は、長年の激務を少しだけ癒してほしいと願っている。いずれまた、新たな仕事がはじまるから。

■2004/02/05(木) 07:55

 この時間は、まだ始業前でのんびりできて、1日のうちで一番好きな時間だ。校内も静かで、生徒たちのざわめきも聞こえてこない。コーヒーをゆっくり飲みながら、きょう1日の予定を組み立てる。教職は、ほとんど毎日、同じようなパタンの連続だから、これといって予定を組むほどのことはない。が、私的にはあれこれやることもあるので、そちらの方がメインだ。予定は、できるだけ具体的に手帳に書いておく。使っている手帳はごくありふれた「能率手帳」。もうこれを使い出して相当の年月が経つ。ズボンの後ろポケットにいつも入れているので、ほとんど何でもメモを取る。一時、システム手帳にしたこともあるが、かさ張るので止めた。手帳は肌身はなさずもっていないと、肝腎なときにメモれないから、カバンなどに入れておくのは、わたしにはダメだ。筆記用具はボールペン。これは、本で感化された三色ボールペンをたっぷり買い込んであり、それをあちこちにおいて使っている。便利だ。

 中身はじつは大したことは書いてない。そのほとんどは「だれだれとどこで飲んだ」とか、「つまみはどうだった」とか、たわいないことが多い。あと、仕事でやっておくこととか、どこかで聞いてこれはいいぞ、とおもったようなことなど。買いたい本なども書いておくと、本当に不思議なほどよく見つけられる。何かアイディアをおもいついたときもすぐに書く。その大半は、役には立たないが…。何でも書いておく。文字だけでなく図でも描く。その日の欄に書くため、自分でも判読できないことも多い。でも、書いたときの印象が残っているから、おおよそはわかる。携帯電話も同じように使えるとおもうが、どうも紙の手帳でないといけない。この辺りが時代に乗り切れていないせいかな。あと、便利なのが小さなボイスレコーダだ。これも安いの買ったが、なかなかいい。自分の声でぼそぼそいって、吹き込んでおく。こういう、グッズは基本的に好きだ。グッズを集めるのが趣味ではないので、数はもっていないが、新しいものは一応試してみている。気に入ったら使い込んでみる。物忘れの出てきた最近になって、こういうものを使っていたのが、役立ちはじめている。

 もともと文房具は好きで、いろいろ凝ったが、最近ではシンプルなものしか使わなくなった。いつでも、ポケットなどに入れておけて、すぐに使えるのがいい。いつもポケットに入れて読んでいる文庫本の余白などもメモにはよく使う。その本の内容とはまったくちがうことなど書いておくので、自分でも「なんでこんなこと書いてあるの?」とわからないことは頻繁だ。飲んだ帰りなどに書いたメモなど字がのたうっていて、まず解読不可能だ。どうせ大したことは書いてないのだろう。書いたことすら忘れていることが、最近とみに増えている。カミさんに「本当にお酒が弱くなったみたいだよ」といわれているが、たしかにそうだ。お酒はやめようとはおもっていないけれど、歳とともに弱くはなっており、量は飲めなくなっている。静かにゆっくり飲むようにして、無理をしないようにしたい。もちろん、飲んだときのことは、しっかり手帳にメモしておくことはいうまでもない。

■2004/01/30(金) 07:45

 昨日の前期選抜合否判定会議で募集定員の50%の合格者が決まった(発表は2/2)。考慮すべきデータはほぼ尽くして判定会議の資料は作ってある(データの処理はすべてわたしがした)ので、少しの質問は出たが、ほとんど審議の必要もなく短時間で会議は終了した。あらかじめ募集要項に公表してある通りの手順で、厳正に資料は作られているから、まず覆すことはできない。私情の入る余地はまったくない。それでいいとおもう。あまりにあっけない会議だったせいか、司会の方がもう少し意見や感想でもなどと気を使っていたが、無意味である。会議は、必要なことを短時間で決めればいい。会議のあとには、入選の係はすぐにかからねばならない仕事が控えている。

 判定会議の結果の入力は、管理職立会いでおこなわれるが、PCの操作ではあっという間に終わってしまう。その後は、諸書類の印刷をおこなう。ここで、わたしがそれなりに苦労して作ったVBAマクロの登場である。といっても、どういう操作をするのかは、わたし以外は知らないから、他のメンバーはただプリンターから打ち出されてくる書類を見ているしかない。出力後、枚数のチェックはしてもらった。データの入力さえ間違えなければ、正確に出るはずではあるが、本心はちょっと心配。でも、何度も試行をしてきたので、まず不具合がおこる確率は低いとおもっていた。必要な全部の書類が打ち出されて、まずはホッとした。こういう仕事は、うまくいって当たり前で、ミスがあれば責められるだけだ。作り上げたプログラムはきちんと動いてくれた。顔には出さなかったが(他の人にはその意味さえわからないだろうから)、一人で安堵感に浸った。このプログラムについては、係の人には教えておこうとおもったが、パソコンの初心者ばかりなので、止めた。おそらく次年度もやる人はいないであろうから。

 まだ後期選抜もあり、仕事はつづくが、仕事の流れに乗ってきたので、あとはその流れに乗って、残りの仕事をしてゆくだけだ。次年度への引継ぎなどと考えもしたが、管理職のいうようには、そう簡単にはいかない。だれもがやりたくない仕事だし、またやれるだけの技術や知識を持っていない人には無理である。できない人に無理に押し付けるわけにもいかない。みんな「逃げ」の態勢でいる。しかし、もうわたしも2年間連続でやっているのだし、次年度は勘弁してもらいたい。入選の手当ては少しだけ出るようだが、わたしはそんなのは手続きが面倒で昨年も何にももらっていない。今年も同様だ。まあ、ボランティア活動だとおもってやっているだけ。多少、自分のパソコンの技術アップにはなるのかもしれないが、今さらアップなどどうでもいい。だれか、代わりにやってくれそうな人が転勤してきてくれればそれが一番うれしい。本当にパソコンのことやプログラムのことなどを気軽に話せる技術と知識をもった人がいて、飲みながらでもそれらを話せれば、それが最高だ。残念ながら、現在はそういう環境にない。今年度の作業が終われば、次年度のことはもう関知したくない。今年度が最後だと決めている。だから、できる限りのことはするつもりでいる。

■2004/01/29(木) 07:46

 このところ、関東では晴天がつづいており、毎日出勤のとき、降車駅を出たところで丹沢の大山と並んで富士山がきれいに見えている。ちょうど日が昇りはじめた頃なので、山肌の雪が紫色に近い色になっていて、冬の山らしい光景だ。美意識に乏しいわたしには、芸術的な表現はできないが、この富士の姿を見ると、1日の仕事が何となくうまくいきそうな気持ちになる。

 昨日は、放課後もまた入試選抜の会議と仕事で疲れていたので、帰途、だれを誘うこともなく、独りで途中下車して飲んだ。夜しか食事はしないので、最初の一杯はとても大切だ。まずは、生ビール(小)を頂く。じつにうまい。つまみは毎度決まっていて、湯豆腐、そら豆、そして手羽先のから揚げだけ。ビールを飲んでから、日本酒の純米生酒小瓶1本を頼む。自分のペースで飲めるのでひとり酒が一番好きだ。会話に気疲れすることもなく、好きな本を片手にのんびりと飲む。これで\2000以内だから、ときどき、疲れるとその店で飲む。店の人も余計なことは何もいわないし、静かに飲ませてくれる。もう、初任のときから通った店なので、四半世紀も通っている。ボロいけど、わたしには一番飲みやすい店である。40分ほどで飲み終えて、何もなかったように、店を出る。これで、今夜の夕食は終わりである。飲んだ日はほとんど食事をしないが、酒があるので死にはしない。「栄養?」そんなことは気にしていない。身体の求めるものを自然に少しだけ食べる。それで、十分だ。これがわたしのストレス発散なのかもしれない。

 「面接」が終わって、一般職員は「あーあ、とりあえずは終わった」という気持ちでいる。当然である。その立場ならわたしも同じだ。しかし、わたしの入選の仕事はずーとつづく。しばらくは、この店にもときどき寄りたくなるだろうな。愚痴などいい合っても大して意味もない。毎日の仕事が、自分なりに満足のいくものであれば、それでいい1日が送れる。その積み重ねが、最終的にはそれなりの結果を生んでくれるとおもっている。淡々と毎日を…。

■2004/01/28(水) 07:48

 昨日で、2日間にわたる「面接」が終わった。受検生たちは、廊下であってもきちんと挨拶をして、とてもいい感じであった。できれば、全員合格してくれればともおもうが、そうもいかない。それに、そのときはどんなにいい生徒に見えても、入学が決まればすぐに地が出てくる。まあ、よそ行きの姿でもあり、それはそれで、しっかり演技している姿はけなげでいい。

 面接と並行してデータ入力の仕事はつづいているが、全員の面接が終わると、これからがデータ処理の本格的な仕事になる。データを入力画面に入れるのは、単純な作業なので、だれでもできる。正確を期すために複数で入力&チェックをするので、まずミスは考えられない。わたしはこの入力作業は苦手なので、立会いはするが、あまり手を出さずに係の他のメンバーでお願いしている。みんな、緊張してやっていたので、正確に入力できた、とおもう。こういう作業は慣れが怖いから。入力が終わると、わたしがデータの処理をする。この作業は、仕事の流れとシステムの知識、それにソフトの操作技術がないとできないので、作ったわたししかできないだろう。できれば、こういう作業の部分を見ておいて覚えてほしいのだが、みなさん入力作業が終わったところで、疲れてしまい、そこまで見ている人は残念ながらいなかった。技術などは人から盗まないといつまでも身に付かないのだが、そういうことをする人は稀である。人のやっている仕事から技術を覚えない限り、その仕事はできない。マニュアルなどをうるさくいう人が最近増えているが、そういう人はファーストフード店にでも勤めることをお勧めする。管理職などはのん気なもので、「他の人は仕事覚えてくれた?」などと言っている。そんなに簡単に覚えられるような仕事なら、だれも苦労はしていない。こういうことを平気でいう人は、この選抜の仕事をきちんとやったことのない人だとすぐにわかる。これは、わたしの現場の管理職だけではないだろう。

 ここに書いていることは、不平でも不満でも批判でもない。自分の仕事に本当に精通している人はじつに少ないということ、わたし自身も日々精一杯やってはいるつもりであるがそれでもまだまだ甘いということ、メンバーに気分よく仕事をしてもらう雰囲気つくりをするのはとてもむずかしいこと、などなどを感じたからである。

■2004/01/26(月) 07:51

 本日より2日間、前期選抜の「面接」が実施される。在校生の校内立ち入りは禁止なので、廊下もシーンとしている。心配していた天気も晴天で、ホッとした。今年度から神奈川県の公立高校では、入試選抜が前期・後期の2回になり、前期選抜では「調査書」と「自己PR書」「面接」の3つを総合して選抜することになった。その「面接」が今日と明日おこなわれる。

 すでに新聞にも公表されていることなので何も問題はないが、わたしの勤務校では倍率が2倍ほどなので、何とか2日間で実施が可能だが、今年はじめて面接を実施するところで、4倍以上の倍率のある高校では、はたして正常な面接がおこなわれるのか、他校ながら心配である。先日、神奈川県内のある方から、お子さんの受検で「一体、面接にどれだけの意味があるのか?」との質問メールが届いたが、それについてはわたしには何とも答えようにない。この制度に対するわたしの感想はすぐ下に書いてある通りで、付け加えることもない。ただ、教育公務員としての仕事は仕事として、きちんとしなければいけないので、私情をはさむことはない。

 受検生のデータはすべてわたしのところに来るので、責任は重い。データが集まれば、すべてPCを使った作業になる。手違いは許されない。いつも、このときは緊張する。しかし、何度もシミュレートしているから、それほどの重圧感はない。ここでも、ほとんど機械的に処理する。わたしはデータを職員に提示し、そこで合否が正式に決まる。このデータ処理に関しては、正直なところどうやるのかを知っているのは、わたしだけである。だから、絶対に休めないし、代わりはいない。やり方を説明してもまず覚えられないから諦めている。次年度のことは気になるが、新しい係にまかせるしかない。

 もう、この時間に来る気の早い受検生もいる。面接開始は9:50からだ。気合の入った生徒だが、早ければ受かるわけではない。

■2004/01/21(水) 08:02

 いよいよ神奈川県の高校入試もはじまった。昨日から、前期選抜の願書受付が開始され、22日まで受付。来週の26日・27日に面接が実施される。合格発表は2月2日になっている。わたしの勤務校でも完全に入試モードに入った。

 今年度から、前期選抜・後期選抜の2回の入試が行われる(もちろん公立だけ)。何でこんな面倒なことをするのか、わたしにはさっぱりわからないが、多分相当におエライ方たちが考えたのだろうから、深い意味がきっとあるにちがいない。わたしは、入試選抜の業務を担当する単なる一職員だから、そういうむずかしいことはわからない。まあ、別段知りたいともおもわないが…。それにしても、今までやっていた入試選抜制度のどこが悪くて、どこが良かったとかの総括はまったく聞いた記憶がない。火事場泥棒的に、いつの間にか、また新しい制度に移行している。何の権限があって、こういうことができるのか、これもわたしにはわからない。制度を変える投票でもやったのか。そんな覚えもない。県教委が勝手に変えている。

 例によって、県教委からの通達。「入試に関することは一切他言無用」とのこと。そうだろうとも、自分たちの保身に関わるような不祥事をされてはかなわないから、いかにも公務に携わるものたちの義務みたいに緘口令を敷く。最近は、個人情報がどうのこうのとじつにうるさいからかもしれないが、どうもわたしにはすべて自分たちが批判されないために先手を打っているとしかおもえない。小役人たちの考えることはいつの時代でも変わらない。せいぜい、頑張ってください。

 わたしのように現場の人間は、淡々と業務をこなしてゆくだけだ。

■2004/01/17(土) 10:31

 今朝、田舎からまたしても訃報が届いた。伯母が本日の6:00に息を引きとったという知らせであった。わたしの母の姉で、たしか今年で87歳くらいだったはず。これで、母の兄弟姉妹7名は全員あの世へ旅立ってしまった。この伯母にも小さい頃から大変にお世話になった。おもい出すと切りがないので、冥福を祈るだけだ。会津に行って焼香して来たいところだが、入試を間近に控え、今はとても動けない。3月になったら、線香を上げに行きたい。

 今、外は雪が舞っている。小さな雪粒で、こういうときはけっこう積もる。今冬、関東でははじめての雪である。部活動の指導担当日になっているため、出勤した。今、シーンとした校舎内の物理室で、雪を眺めながらこれを書いている。普段は、電車通勤であるが、きょうは娘をセンター試験の会場まで送り、そのまま車で出勤した。本当は、届出を出さないといけないらしい。しかし、この雪では、電車・バスに影響が出るかもしれないから、車で来た。もちろん、昨夕こういう場面に備え、怠りなくタイヤをスタッドレスタイヤに交換しておいた。何事も準備をきちんとしておけば、そう慌てることもない。あとはスピードを40km/h以上には出さないようにすれば、安全に家までもどることができる。こういうことは、雪国会津で育ち、雪道を運転しなれている者にとっては当たり前のことである。

 部活動が行われている間に、きょうはする仕事があった。まもなくはじまる高校入試(今年度から前期選抜と後期選抜の2回)の後期選抜用システムの修正とチェック。昨年度のものを参考に作ったものだが、選考基準が変わったため、それにあわせて変更した点の再チェックである。来週から前期選抜の願書受付がはじまり、26日から面接がある。こうなるともう、後期選抜用のチェックをしている時間は実質的に取れないため、最後の見直しになる。これで、ミスがあれば、その場で臨機応変に対応せざるを得ない。まあ、できるだろう。きょうも一人での作業であるが、こういう静かな中でのんびりとチェックしておいた方がまちがいはない。室内はストーブは点けているが、部屋が広いため、まだ10℃。手が凍えるため、指先だけがでる手袋をつけている。何だか、高校時代の勉強風景をおもい出してなつかしい。ついでに、3年生の卒業テストの問題も作ったので、もう仕事はいいだろう。

 きょうからはじまった「センター試験」では、生徒たちに教えた問題に似たものが出題されるかなー。わたしは物理を教えており、センター試験対策もそれなりにはやったけれど、試験を受けるのは生徒たちだ。代わってはやれない。ぜひ全力で頑張ってきてほしい。わたしの娘も受験しているので、何とも変な気分ではあるが、こういうことに関しては、わたしは不思議なほど関心がない。自分のことは自分でやるのが当然だとおもっている。たしかに周囲の応援は大切だ。だが、本番は一人で乗り切るしかない。それが、「自主自律」(これ、勤務校の校訓)ということだろう。

 外を見ると、もう木立はうっすらと白くなっている。雪景色はいい。

■2004/01/13(火) 13:59

 この1/10(土)から1/12(月)までの3日間を使って、伊豆一周の旅行に出かけてきた。メンバーは田舎に住んでいる幼なじみの3名とその奥さんたち、そしてわたしの夫婦の計7名。用事で来れなかった1夫婦以外は全員そろってのはじめての旅行である。わたしの実家の集落にはちょうど同い年の男性5名がおり小さな頃からの遊び仲間だった。意識が生まれる頃から一緒に遊んでいたとおもう。そのメンバーがそれぞれの進路を選び、田舎に残るもの、都会に出るものと年を重ね、今ではわたしだけが関東に残っており、他のメンバーは田舎で家の跡取りとして、一家をなしている。わたしは親父を現在の住まいに引き取ったあとに、実質的に実家を閉めてしまっているため、この幼なじみの仲間とは、地理的に滅多に会うこともない。しかし、もう20年以上も前から「錦会」という講(こう…伊勢講などのようなもの)を作っており、毎月の積み立てもして、いつ旅行になってもいいように準備している(わたしは、親父を引き取った時期から、これが滞ってしまっていた…みんなに申し訳ない)。これまで、男性5人で本厄年に伊勢参り(+バリ島旅行)を、奥さんたちは女性たちだけでシンガポール旅行などへ出かけている。今回は、はじめて男性・女性合同で出かけてみようと計画した。

 計画は、昨年の夏の帰省の際、ひさしぶりの飲み会で決まった。会津では雪に覆われる1月に暖かな伊豆にでも出かけてみようということになり、関東に住んでいるわたしが旅行の幹事ということで、昨年の9月から計画に入り、田舎の代表幹事とも何度も連絡を取り合って、計画を練り上げてきた。12月の下旬に宿・コースも決まり、正式に旅行の手続きをして、1月の出発を待つだけになった。わたしとしては、せっかく田舎から出てきてくれる仲間たちに「最高の天気と最高の宿と食事・風呂・コース」をと願っていた。ただ、それだけしか考えなかったといっていい。はじまってみると、本当にあっという間の旅行ではあったが、3日間とも晴れてくれ、宿・食事・風呂と普段ならとてもできないような贅沢な旅を堪能した。みんなが喜んでくれる顔を見ているだけでうれしかった。2日目の西伊豆観光では見えていた富士山が、最後の3日目には雲に隠れていてどうしても見えず、有名な「柿田川湧水」見学でもその雄姿を望むことができず、残念な気持ちで三島の駅へと向かった。何とか最後に富士の雄姿をみんなに見てもらいながら、この思い出深い旅行の最後にしたかった。まもなく帰りの新幹線がホームに入ってくるので、15分前ほどにホームに上がりはじめた。階段を上りながら、「ひょっとしたら…」とおもいつつ、北西の空を見上げると、なんと「富士山」が見事な姿を見せてくれていた。願いは見事に通じた。みんなで、急いでホームで記念撮影。本当にウソのようなタイミングであった。

 わずか40分で、わたしたち夫婦は新横浜で降りることになっている。40分という短い時間で、話せることは知れている。気心は知れているので、そう会話もいらない。新横浜に着くと、ホームで会津まで戻る仲間を静かに見送った。またの再会を願いつつ。この10年近くを一気に埋めることはできないけれど、みんなと寝起きをしながら、昔話に花を咲かせたり、お互いの健康を確かめ合ったりして、少しでも絆を深めることができたような気がした。作ろうとおもってもそんなに簡単に作れないみんなそろっての旅行のチャンスを与えてくれた幼なじみたちに心から感謝している。今年の夏には帰省するが、「田舎にくるときは、必ず連絡しろよ」という友のことばがずっしりと胸に沁みた。都会には住んでいても、いつでも迎えてくれる仲間が田舎にいることだけで、わたしは大変な宝物をもっているんだという気持ちがする。こうやって都会で元気に働けるのも、こういう友の見えない後押しがあってのおかげだとつくづく感じた。

 会津に着いた仲間から電話が入った。外は雪らしい。「お疲れ様、みんなによろしく。楽しい旅だった。」と電話を切った。夏にはまた思い出話にふけることだろう。

■2004/01/06(火) 15:03

 お正月気分もあっという間で、昨日から通常の勤務に入っている。まだ真っ暗な6:15に家を出て、職場に着く7:15頃にようやく陽があがってくる。今朝も同じ時間に出勤してきた。まだ、仕事はじめになっていない人も多いのか、通勤で使っているバスはそれほど混んではいない。始業式は1/8であり、それまでは出勤しても、通常の仕事はない。ただ正式には出勤日になっているため、職員で来ている人もそれなりにいる。わたしの予定では、部活指導のある1/5以外は年休にしておいたのだが、家でゴロゴロしていても不健康だし、入選関係の仕事もまだやることがかなりあるため、昨日から出勤しはじめた次第。

 おかげでというか、年末にさんざん苦労して考えたが、どうしていいかおもいつかなかったVBAマクロの問題が、試行錯誤の末解決した。「こんな使い方ができるのだ…!」と一人でおどろいてしまった。そのあと、「よくできたなー」とホッとした。不思議なもので、できあがってしまうと、それが当たり前のような(当然の道筋のような)気がしてくる。数学の難問があるきっかけでスーと解けたような感じである。もちろん、プログラムではパソコンが途中で止まることなくスムーズに動くことで(プリンターからも正確に印字されて出てくる)、その正しさを教えてくれる。「やった!」と一人でうれしがるだけだが…。どんなVBAの本にも出ていない手法を使ってやってみたので、これはとても自信になった。結局、自分の頭で試行錯誤しながら考えただけなのだが、この手法はいろいろな場面で使えるのかもしれない。まあ、あまり凝ろうとはおもっていないけれど。

 まだ出勤している人が少ないため、会議などはもてない。しかし、幸先のいいことに、きょう職員室に行ってみたら、入選のPC担当のメンバーが全員そろっているではないか。こういうのんびりしたときに、「入選の流れ」について、簡単な打ち合わせをもつことにした。実際の作業に入ってしまうと、こういう説明の時間はまず取れないからだ。みなさん嫌がらずに、この物理室に来てくれて、作業の流れをPC上で実際にダミーデータを使いながら、説明した。こういう時間だと本当にゆったりした気持ちでできるので助かった。もう来週からは本格的な準備に入らねばならないから、貴重な時間が持てたことがうれしい。いろんな困難もあろうかとおもうが、何としても乗り切って、無事最後まで仕事をやり遂げたい。昨年もそうであったが、今年も気持ちに変わりはない。

 元気で仕事ができることが一番の幸せである。仕事だけが人生ではないともいわれるが、仕事がなければ人生の楽しみの半分はないも同然だ。こうして、仕事に従事できていることがじつはとても幸福な状態なのだろう。今年も無理などしないが、仕事を楽しんでできることを願っている。

■2004/01/01(木) 07:47

 大晦日の昨晩は、めずらしく「紅白歌合戦」を少し見て、あとはFS2004で飛行機を飛ばしていた。11:00過ぎには床に就き、今朝もいつも通り4:30くらいに目が覚めて、読書などしていた。もう、この歳になると「新年の抱負」もない。6:57に雲の切れ目から初日の出を見た。いつも通りの日の出でさしたる感慨もなかったが、日の光でそれまでボーとしていた眼がすっきりしたくらいだ。

 昨年の元日は、親父もそこそこに元気でいたので安心していたが、1月中旬に倒れた。そして、今年はその姿はない。でも、おふくろと並んで仏壇の中に納まり、何だか、ようやく家族が全員そろったみたいで、ホッとしている。仏壇には親父が好きだった日本酒やそばもたっぷり添えて、朝のひと時を一緒に過ごした。おふくろの写真でもっといいのを作って飾ろうとおもっている。

 今年2004年(平成16年)は、明日の「大江戸ツアー(東京散歩)」からはじまる。ここ4年前くらいから、1月2日は東京に残る「江戸風情」を求めて、小さなグループで1日散策に出かける。わたしの発案ではじめたものだが、正月の三が日を家でゴロゴロして酒を飲んでTVを見ているのも不健康であり、それなら、静かな東京見物に行ってみるのも悪くはない。東京はあまり好かれている街ではないかもしれないが、どうも東京全体をじっくり自分の足で散策して、それで結論を出している人はそれほどいない気がしている。歩いてじっくり見てみれば、東京(大江戸)もそれなりにいいところだと、わたしは感じている。明日は、江戸の歓楽街であった吉原あたりから両国の辺までのんびり歩いてみようとおもっている。もちろん、歩いたあとは、新年会である。

 この1月も仕事がはじまれば、入試の準備にすぐに入る。もう、3月中旬まではのんびりするヒマもなくなる。この3日間をまずは充実して過ごしたいと願っている。受験生の娘にはすまないけれど、留守番を頼んでいる。大学で家を出て行った息子は、行ったきりもどってこない。まあ、それもいいだろう。わたしも大学時代に実家にもどったことはほとんどない。自分の道を元気に歩いてくれれば、それが一番の孝行である。

 この正月は、喪中のため、静かに過ごしている。

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