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雑感2006(その1)


■元日の初仕事

 またしても、新年をむかえてしまいました。昨夜、おおみそかの31日を何とか無事に乗り切り、現在(2006/01/01 (日) 12:11)いつものようにパソコンに向かい、新しい年の「雑感2006」のページ作りにかかったところです。まだ、お酒も飲んでいません。いつもどおり早朝に起きて、レンタルビデオ屋さんから借りてきたアニメをみておりました。何もしないでお酒でも飲んでいればいいのですが、どうも夕刻にならないとお酒は飲む気にならないため、少々退屈ぎみ。それでは…、と手始めにこのページの新年版を作りはじめてみることにしました。

 例年どおり、書き方はワンパタンの「積み上げ方式」。形式はスタイルシートでも使ってみようかとかんがえましたが、何か面倒そうでちょっと戸惑っています。とりあえずは、今までの形式をとるという安易な選択になりそうです。ご勘弁を。それでは、今年もよろしくお願いします。


■2006/12/28(木) 08:56 今年の出来事10
 年の暮れになり、今年もあと数日で終わりになった。今年も何とか大病もせずに送ることができて満足している。また、この歳になるまで生き延びれるとは予想もしなかったが、子供たちが学業を終えるまで頑張ってこれたのは幸運であった。まだまだ心配の種は尽きないが、いつまで心配していても切りはない。

 今年の自分自身にもいろいろなことがあったが、これはというのを10ほどあげるとするとどんなものになるか、かんがえてみた。
(1)年始の大江戸ツアーに無事参加できた(これは自分が計画しているから)。
(2)会津に住む母方のいとこ死去。いい人だったのに(T_T)/~~~
(3)またしても1年生の担任になった。これで3年生まで持ち上がり。
(4)5月から「居合」の道場へ通うようになった。これはつづきそう。
(5)友人のYさん消息不明になる。北海道にいること判明。12月無事もどる。
(6)夏山で集中豪雨の中を南アルプスへ。でも、いい思い出。
(7)居合の大会で、団体の部3位入賞。先鋒で緊張した。
(8)会津の義兄が上京した際に、丹沢の塔ノ岳に登った。関東でははじめて。
(9)12月の「第4回グローブ日本・生徒の集い」で、無事研究成果を発表できた。
(10)病欠の休みもなく、完全出勤した。これは例年どおりだが、両親に感謝。

 というような具合になるか。ほかにもいろいろあったが、細かいことは忘れるようにしているし、元気で仕事や遊びができれば、それでいたって満足である。出世などかんがえたこともないし、興味もない。好きな物理や数学を生徒たちと学べるだけで十分に満足している。新しい趣味もできた。これだけのことをするには、管理職などにうつつを抜かしているヒマはない。定年したあとは、一気にあの世へおさらばだ。余生を送るなんて、わたしにはどうも不釣合いな気がする。やりたいことは、すぐにでもはじめるのが、わたしのやり方だ。定年後に期待するほど気長ではない。今の仕事(教員)も結果的には好きだったのだな、と今はおもえる。
■2006/12/25(月) 13:52 いも煮会part3
 ついさきほど、今年度3回目の「いも煮会」が終わった。今回は、いつも物理室に来て勉強している生徒さんとその仲間たちが対象だ。1回目は山岳会で、2回目はPTAのまなび塾の講師として、そして3回目がきょうである。3年生の男子15名ほどが集まった。いも煮は冬休み物理講習会の一環としてやった。早く登校した生徒さんにはいつもどおりに勉強をしてもらっていて、その間にわたしが物理準備室のガスコンロを使って調理した。朝8:00から1時間かけて里芋を30個ちかく皮をむいて、大鍋にいれていく。鍋に半分ほどたまったら、水をいれて、一旦煮立てた。そこで、ひとまず湯をすてて、そのあとまた水をいれなおして、再度煮立てる。そのときには、ダイコン、きのこ類(今回は5種類ほど)、シラタキを入れてゆっくり時間をかけてグツグツ煮ていく。12:00から会をはじめる予定にしていた。大鍋は煮立つまでに時間がかかるが、一旦煮立てばそれほど冷めないため、具材がよく煮える。最後に、ネギを大きく切って、いれて、ちょっと煮立て、そこから味付けにはいる。ミリンと醤油だけで味付けをする。ほどよい味になったところで、ひとまず火を落とし、しばらく具材に味をしみ込ませる。11:30に完成した。

 12:00少し前に「いも煮会」をはじめた。山岳会でやるときと同じサイズの大鍋であるが、若い彼らが食べはじめると、あれほど一杯作ってもあれよあれよという間に、中身が減ってくる。わたしは2杯ほどいただき、あとは生徒たちにまかせた。彼らの会話にはとてもはいれない。隣の物理準備室にひっこみ、うとうとしていた。具材が少なくなったあたりを見計らって、中にうどんをいれて食べてもらうことにした。それらもあっという間になくなり、そろそろ[いも煮会」もお開きの時間になる。最後にちょっとだけ話しをして、終わりになった。彼らはこれからどこかにでかけるらしい。まァ、生徒たちとつかぬ間の時間だが、楽しめたのはよかった。職員は数名しか出勤していないため(ほとんどは年休でお休みだ)、本当にしずかにできた。来年もまたできればいいな、とおもっている。

 きょうは、いつもどおりに勤務したら、夕刻からはまたしても「忘年会」である。そちらはアルコールもあるので、盛り上がる。先週末に教科の忘年会でしこたま飲み、翌日は二日酔いですっかり元気をなくしていたが、きょうは完璧である。また、しっかり飲んでこようとおもっている。飲めるうちは元気だ。
■2006/12/20(水) 07:35 職員
 わたしの職場には、常勤・非常勤の人などもふくめて、職員が50人ほどいる。職員室にいる人も多いが、社会科や理科の職員はそれぞれに教科準備室などに常駐している人もいて(わたしもほとんどの時間は物理準備室にいる)、1年で数回しか話しをしない方もいる。転勤してきて、今2年目であるが、常時話しをする人は、同じ学年の職員の人などに決まってしまう。あとは、何となく気が合いそうな人を無意識に選んで話しているようだ。同じ職場にいるからといって、誰とでも仲がいいわけでないことなど、いうまでもない。わたし自身は、人の好き嫌いはそれほどない。自分ではそうおもっているが、どうも大雑把な性格が災いしてか、ビシッとやる方からはあまり好かれていないようだ。まァ、そんなことを気にするわたしでもないが。自分のペースでやるのを信条としているので、そういう方の言い分は左から右へ流す。子ども時代から、近所のガキ大将からいじめられたり、集団行動が好きではなかったことなど、いろいろあったが、そういうのは意に介せず自分のペースを守ってやってきた。それがわたしの性格なのだろう。

 教職という世界にいても、基本的には昔と同じだ。職員室に溜まって、あれこれ交流を持ちながら仕事をするというのはほぼ関心がない。できる限り、仕事以外での付き合いなどはご遠慮したい。それでも、人間関係。こちらが好むと好まざるとに関わらず、自然に気のあう人との出会いはある。それはそれで楽しい。そういう方とは、あまりベタベタした関係にならない程度に付き合う。ま、「水のような交わり」とでもいうか…。本当の付き合いになるのはそういう人だ。職場が変わっても、そういう人とは結構長く(数十年の付き合いも多い)お付き合いをしている。わたし自身にそれほどの能力(いろいろな方面の)があるとはおもえないが、そういう周囲にいる友人たちに助けられて今がある、と素直に感謝している。多くの人と職場を一緒したが、わたしは先輩たちや後輩たちにめぐまれていたようにおもう。一人の職員として、この仕事をまっとうできれば、それは自分には最高の人生だ。
■2006/12/18(月) 17:46 やっと終わったグローブ活動ヽ(^o^)丿
 この16日・17日の2日間、東京の国立青少年センターで行われた「第4回グローブ日本 生徒の集い」をもって、文科省から2年間の指定を受けて実践してきたグローブ活動にひとまずの区切りがついた。

 2005年4月に現任校に転勤してきたら、文科省の指定を受けて「環境のための地球観測学習プログラム=GLOBE(グローブ)」が決まっていた。まさか、転勤して来てすぐにこの担当がわたしになるとはかんがえもしなかったので、エェ!となった。第一、何をするものかもわからない。6月になって、化学のM先生と二人で、東京学芸大学での講習会に出席をすることになった(まァ、呼び出しである)。そこで、2日間実技研修を受けて、気がつくと「グローブTeacher」とかいうのになっていた。げに、恐ろしきかなである。即席教師である。「研修はしたから、さあ、はじめろ」というわけだろう。文科省のお役人も来ていて、「皆さんの学校は全国の学校から20校選ばれてこのプログラムをやることになったのだから、選ばれたという自覚をもって全校をあげて取り組んでほしい!」という檄を受けた。その言葉が重荷になって肩を落として学校へもどってきた。何をどうやるのかの指針もほとんどないまま、ただやれという姿勢に腹も立ったが、文科省などの指定はいつも同じである。とりあえず「大気調査」と「水質調査」に取り組むことにした。

 それからの準備は、それこそ手探りでのものとなり、大気調査のための百葉箱ができたのは、半年近くも経った11月30日。そのサイズを見て、観測機器を選び、そろったのが、今年1月末。1ヶ月ほどの機器の調整、施行期間を経て、3月からデータを取りはじめた。生徒さんにも当然手伝ってもらうことになり、データの見方・とり方など詳細に訓練をした。そして、日々の観測。土日や長い休みのときは、ほぼ休みなくわたし自身が昼12:30頃に学校へ来て、データを取った。先日の発表を聞いていたら、こういう地道な観測をしているところはほとんどなかった。GLOBEの趣旨は「長期観測」にあるはずなのだが、どうも実態はちがっていた。わたしの思いちがいなのか、その辺はよくわからない。まァ、終わってしまえばどうでもいい。やはり、お役所にとっては、こういうプログラムも単なる「事業」の1つでしかない。現場でどんな苦労をしようが、そんなことは知ったことではない。まじめにやるだけ、バカを見るのだろう。ただ、わたし個人はこの観測はそれなりに楽しかったので、指定の終わる来年3月以降も延々とつづけようとおもっている。今度は、こういう催しのためではなくて、純粋に個人的な研究のためにである。「大気潮汐現象」というのがあるので、その研究に今後は取り組んでみたいとおもっている。

 終わったら風邪でも引くんじゃないかな、とおもっていたが、やるべきことはあとから次々とでてくる。風邪を引いている時間もないというのが、実態である。きょうは、やはり眠い。身体の芯がなんとも重い。でも、隣の物理室で勉強に励んでいる3年生の声を聞くと、そう休んでもいられないな、と気が張ってくる。仕事があるうちが華なのだろう。
■2006/12/13(水) 17:52 若者とはすごいもの
 毎日、高校生と生活を共にしていると、若者のすごさにおどろくことも多い。担当している3年生の物理で、昨年まで志望が定まらず勉強意欲もほとんど見られなかった生徒さんがいる。ところが、この4月に3年生になった頃、突然物理室にやってきて、「昨年度授業でやったプリントをいただけませんか?」という。理由はわからなかったが、全部コピーしてあげた。それからは、怒涛のようにプリントに取り組みはじめて、どんどん消化していく。放課後には、有志の生徒が集まる物理室にも顔を出しはじめ、自分でコツコツ問題を解いていく。どうしてもわからないところは、質問をする。それも、2年生のときにはかんがえられないほど「的を得た」質問である。夏が過ぎると、もう物理の基礎は十分に付いてきたと判断できた。そして、ある日の夕刻、友達と話しているときに、ひらめくものがあったようで、「ぼくは建築家になりたい、そうだ!建築学科に行って建築家になるんだ、そうだ、そうだ…」と夢が大きくふくらみはじめたようだ。それからも、毎日、放課後に物理室に来て、遅くまで必死に勉強している。もう、相当の実力がついて来ているのが、顔つきを見てもわかる。いっしょに勉強している国立最難関大学志望の生徒さんもいい刺激を受けて、共に目標に向かって、受験科目と格闘している。若者はやるべきことが決まれば、それこそ信じられないほどの集中力で物事に取り組む。そういう姿をわたしは確かに見ている。

 「最近の若者は…」という話しをよく聞く。しかし、わたしにはとてもそんな言葉は信用できない。それをいっている大人自身に聞きたい。「あなたは若い頃そんなに努力をしていたのか?」と、そして「今もその努力をつづけているのか?」と。昔話はいい。わたしは、若い頃から歳をとったら絶対に禁句にしようと決めていたことばがある。それが「最近の若者は…」である。もう、50歳の峠も過ぎてみると、いかに大人といわれる世代が、それほどの努力もしないで、若者をあれこれ批評をしているかと情けなさを感じる。どの時代の若者もおそらく同じであったであろうと断言できる。若者に媚を売る気などサラサラない。が、彼らもいずれ年老いていく。彼らもまたそのとき「最近の若者は…」というだろう。それでも、本気で何かに取り組んでいる若者はいつの時代にも数多くいることを知っておいてもいいだろう。若者のすごさに日々驚いている。
■2006/12/06(水) 18:16 教員の楽しみ
 今、勤務時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。これで帰りたいところだが、部活動もまだやっているし、隣の物理室では3年生が真剣に受験勉強に取り組んでいる。わたしは、この3年生に勉強を教えることは少ないが、物理室はいつも開放してあって、いろいろな生徒たちが来ては、自分のペースで勉強している。彼らが書いている雑記帖は面白いので、ときどき読ませてもらっている。塾に通っているがときどき顔を見せる生徒、塾にも行かずに学校で居残り勉強に集中している生徒、友達と会話を楽しむために残っている生徒、さまざまである。学校というところは、生徒が自由に使える場所がほとんどない。仲間とともに勉学や情報交換のできる場所として、物理室を開放している理由はそれである。自分たちで掃除もしてくれるし、ゴミ出しもしてくれるため、わたしはとくに何のお手伝いもしていない。まァ、入試問題はたっぷり作ってあるので、それを渡してやりたい生徒にはやってもらっている。

 塾や予備校で、みっちり有名講師の講義を受けている諸君もいることだろうが、わたしの勤務校のような環境では、これくらいが精一杯である。まァ、それほど無理をしてまでやろうとしている訳でもないので、こちらはそれほどの負担は感じていない。放課後に物理室に集まってくる生徒たちは、みなそれぞれの課題や目標はもっているみたいだし、とくにこちらから何かを指示したりする気はまったくない。ときどき、雑談などして、こちらも若き日のことを思い出したりできるのは何とも楽しい。こういうことができるのも、勤務校と自宅が近く、通勤時間などをまったくかんがえなくてもいいことがあるからだ。今までの職場ではこうはいかなかった。まもなく、生徒下校の時間になる。わたしも時間が来たら帰宅する。田んぼ道をとぼとぼ帰れるのをつくづく幸せにおもう。教員になってよかったのだなーとようやく実感できる年齢になってきた。
■2006/11/27(月) 07:32 昇段試験
 昨日は、1日がかりで居合・抜刀の昇段試験に行ってきた。早朝4時くらいには起きていたので、しばらく手持ち無沙汰。ちょっと、刀を出して、外で練習。試験は、型(形)と試斬の両方がある。会場の道場に着き、あれこれ手続きをしていると、もう試験の開始の時間が迫ってくる。わたしは、初段にはまだ修行年数が足りず、とりあえず「1級」を受けることになった。といっても、やる内容は二段までの人と同じだ。もちろん、トップバッターは一番下のわたしからなので、「それでは始めます」の審判の方のことばで、わたしの出番。礼法からすべて審査の対象なので、焦る(^^ゞ。神前に礼、そして、刀礼。そのあと、基本型(形)の中から3本自由に選んで、型(形)を演武する。これが、けっこうむずかしい。刃すじが通っていないと審査員からきちんと減点されるようで、ていねいに斬り込む。静かに張りつめた道場内で、一人でやる。有段者ぞろいの中で、どうあがいてもアラは出る。しかし、何とか演じきって席にもどると、身体から汗が湧き出してくるのがわかる。すごく緊張していたのだろう。自分の番がおわると、次の人の演武を見る。もちろん、板間に正座である。さすがに、有段者の演武にはすごいものがある。わたしなど、刃すじが通らず、空気を斬り裂く音も出なかったところで、ビューンと独特の刀の音(刀音とでも呼びたいが)がする。最後の五段に挑戦する方は、型(形)はすべてやる。そして、組太刀という二人でおこなう型(形)もする。首筋一寸くらいのところで、真剣の刃先を止める。ものすごい緊張感である。この方だけで30分近く演武する。さすがである。

 型(形)がおわると、次は「試斬」の部。今度は、実際に、真剣で巻き藁を斬る。これは、演武とはちがい、きれいに斬れなければ即失格である。前回の大会で、この部で初太刀に失敗している。あの悪夢の再来がないように、前日には床屋に行って、薄い髪を「切って」きた。そして、手足の爪も「切った」。物理を専門とする者としてじつにはずかしいことではあるが、こうなると気持ちの切り換えに役立ちそうなことはすべてやるしかない。いよいよ、開始。トップはわたし。斬るときの型(形)である「初伝」の型(形)どおりに前に進み、気合をこめて初太刀。左袈裟斬りだ。それほどは力まなかったが、きれいに斬れた。次は、足をもどして、その逆の右袈裟斬り。刃すじの通りがイマイチであったが、ほぼ45度にきれいに斬れた。そして、型(形)どおりに血振り、納刀。席にもどると、他県の方から「良かったですよ」と声をかけられる。「無事おわった」と少し気持ちが落ち着いた。次からの人の試斬も落ち着いて見ることができた。

 試斬が終わると、講習会。礼法から型、試斬と高段者の指導を受ける。多くの高段者の方から、貴重なアドバイスを頂き、今後の練習の指針となりそうだ。午後も試斬の講習会で、ここでは緊張をともないながらも楽しく講習を受けることができた。この歳にして、修練することの楽しさを知ることができたのは、幸運だったとおもっている。解散して、今度開設するHPの件で、事務局の先生のお宅におじゃまして雑用をすませてから道場へもどった。そこで、お世話になった道場の先生とお別れして、帰宅した。家にもどっても、シーンとしていた。もらってきた段位書にはそれほど関心もないので、筒に入れたままタンスの上に載せてしまった。要は「腕前」であって、紙ではない。明日はまた道場へ行く。来年の昇段試験までに、さらに修練を積んでおきたい。
■2006/11/22(水) 17:17 作文大会
 10月中旬から、各種の報告書や文書などをつくる作業におわれている。聞こえはいいが、じつのところ、そのほとんどは「作文」である。実際にやっていることなど書いても意味はない。それらの作文はただ作ったという事実だけが大切なのであって、中身などだれも読むものはいない。ときおり、内容についての誤りを指摘して、もどってくるものがあるが、それは予算どおりに執行がなされていないことを叱責するようなものが多い。「出した予算は、ちゃんと使え」ということである。民間なら企業努力で節約したものは評価されるであろうが、文科省などの役所関係のものは逆に予算をきちんと使わないと怒られる。税金でやっているのだから、節約したほうがいいのに…などとおもうのは、ダメなのだ。単年度決算なので、出した予算は消化しないといけないらしい。これでは、税金のムダ使いといわれても仕方ない。でも、こんなことを役人に言ってみても、何の役にもたたない。彼らはそんなことは「屁」ともおもっていないのだから。困ったことである。報告書もどうようで、やってもいないことをやったように作文して、出す。これだけでいいのだ。何とも情けなくなってくる。こういう文書の催促が次から次へとやってくる。なるほど、公務員には作文は必須科目なのであろう。
■2006/10/31(火) 07:54 必修科目未履修問題
 大騒ぎである。茨城県の校長の自殺もあって、連日、報道の嵐が吹きまくっている。教育現場にいるわたしには、正直「何を今さら…」という想いが強い。富山県のとある一高校で発覚した「必修科目未履修問題」があっという間に火の手を広げて、とうとう全国の高校に広がってしまった。無傷なのは、数県を残すのみ。しかし、本当にそうか…?疑問は、というより、首都圏近郊の県と関西の大都市近くの県だけが無傷なのは、どうみてもおかしいとだれも感じないのだろうか?これだけの高校で起こっていることは、当然どこにもある構造的な問題であるとかんがえたほうがいいのではないか。わたしは、未履修問題ゼロになっている神奈川県の教員をしているが、現在問題になっているほどあからさまではないにしろ、同じようなケースは当然この神奈川でもあることを知っている(どこどことはっきり言うことはできないが)。首都圏には相当数ある私立高校では、今ごろ大騒動であろう。まず、私学のほとんどはそうであろう。文部科学省直轄の国公立の高校が槍玉にあがっているが、私学も蚊帳の外でいるわけにはいかない。文部科学省の高級官僚の相当数は、私学の進学校出身者であろうから、今、問題になっている現状を知らないはずはない。これから、私立高校のどれだけが該当校になっているか、わたしは興味深深である。そう、受験での実績などは、本当はフェアーな土台の上でおこなわれているのではない、ことなどすぐにわかるだろう。ちなみに、わたしの勤務校では、文科省のいうとおりに、それに「バカ」が付くくらいに正直に、やっている。結果、受験ではそこそこである。神奈川などでは、塾や予備校が多数あるために、自分の高校内で無理をするのは止めてしまい、受験のことはそちらに任せてしまっている傾向が、今回「吉」と出ただけだろう。まさに「人生万事塞翁が馬」である。(2006/11/01(水)朝刊では神奈川でも私学5校の名前が出てきた。ま、どことはいわぬが、氷山の一角に過ぎない)

 わたしは同じ教員だからというのではなく、地方の現状はそれほどに厳しいという意味で、ある種の同情を禁じ得ない。亡くなられた校長さんには「何もそこまで…」と素直におもう。きっと素晴らしい校長さんだったのでは、と想像する。今回の真の加害者は文科省とそれを後押しする政党にある。お隣の中国では、「政府に政策あり、地方には対策あり」という。中央のお役所が地方の現状もかんがえずに、机上のプランで教育政策を策定してきた結果がこれである。明治の昔にはじまった官僚主体の教育政策の体質は、現在も何ら変わっていない。何かことがおこれば、それは「現場がちゃんとやっていないからだ」と責任を転嫁する。自らの腹を切ることはない。もっとも悪いのは、自ら出した政策を「子供たちのために云々」と思い込んでいるフシがあることだ。「自分たちは善意でやっている」ということほど怖いものはない。悪人なら真の悪人の方がまだマシである。自らの反省を断ち切ってしまっていては、いう言葉はない。多くの一般人の方々の批判の目が中央を見てほしいと願っている。教育現場でも当然のことながら、反省すべき点も多い。同時に、中央にいる政策を立てる人たちにも大いなる反省を望みたい。正直なところ、わたしはこの問題がどういう風に推移するのか、興味をもって見ている。
■2006/10/23(月) 07:58 居合道大会
 昨日の日曜日は、年2回おこなわれる「居合」の関東大会に出てきた。わたしははじめての大会参加であったので、前夜から緊張感が高まり、ぐっすりは眠れなかった。出場者のほとんどは有段者であり、まァ、参加することに意義がある、と居直っての参加であった。自分では落ち着いていたつもりであったが、個人・型の部では、2つ目の型のとき、向く方向を間違えたりして、入賞はできなかった。試斬の部では、初刀に失敗(居合腰になってから刀を振るつもりが先に刀を振り下ろしてしまい、巻き藁が切れなかったため、失格!)。惨敗であった。気を持ち直してのぞんだ午後の団体戦では、先鋒で初太刀2本を何とか無事斬り、結果は3位入賞。おまけに努力賞も頂いて、何とか面目を保つことができた。それにしても、ひさしぶりに冷や汗ものの1日であった。帰宅してからのビールは充実感のある味だった。

 居合の大会に出るために、居合いをしているのではないが、いろいろな有能な方の演技や技を見せてもらうのは、普段はできないから、とても為になった。関東一円から強者が集まり、大会のあとには懇親会(酒なし・立食・お茶のみ)が近くの道場であり、いっしょに試合をした方々と話すことができた。学生さんあり、お坊さんあり、資産家あり、みなさんそれぞれの立場を越えて、「居合・抜刀」というひとつの道に精進している人たちの素直な話を聞くことができた。こういう世界があることなど、この歳になるまで知らなかったので、いい経験ができたとおもっている。これから、10年くらいは最低つづけていきたいと気持ちを引き締めて帰ってきた。明日は、また、新たな気持ちで道場へ練習に行く。11月には昇段試験もあるし…。
■2006/10/09(月) 18:03 体育の日
 「体育の日」だった。でも、少し「居合」の稽古をしただけで読書に明け暮れていた。この祝日が月曜日に移動することになって三連休になったらしい。なんでこういう風になったのかは、不勉強でしらない。気がついたらなっていた。本来は、10月10日と固定されてたようにおもう。毎年、ころころ該当日が変わるのはどうにも落ち着きがない。それに、連休にしても、それを行楽などに活用できる人はそうは多くないだろう。

 この連休の土曜日をつかって、秋の紅葉でも見てこようと、信州の蓼科山登山を計画していた。しかし、出発前夜までの台風くずれの風雨で、とても行けそうにないと判断。中止にした。ところが、この読みが大違い。よく土曜日は台風一過のいい天気になり、愕然。天気予報では、立科方面では当日はまだ「曇りときどき雨」とでており、雨に降られる可能性はあったものの、登る気があればできたとおもう。それをおもうと、かなり残念な気がしている。ところが、北アルプス方面では、この悪天で遭難が多数でているようだ。3000mの稜線では、たしかに厳しいだろう。蓼科山は2500mほどだが、行けば行ったで、強風だったはず。ま、わたしのような軟弱登山者はほとんど無理をしないので、一旦荒れれば冬山と化す今頃の山は怖い。亡くなった方々もわたしとほとんど同世代である。山は逃げないのになーといつもおもう。「体育の日」が「最悪の日」になっては、どうにもならない。
■2006/09/29(金) 13:02 秋休み
 いま、昼食を摂っていたところである。生徒は「秋休み」で、部活動の生徒たちはかなり来ているが、それでも校内のざわめきはない。昨日は、どこかドライブにでも行きたいような好天気であったが、ほぼ1日中、成績処理関係の仕事をしていた。夏休みが短くなったため、生徒にはこの秋休みを設けることになった。職員はそんなことは関係ないので、通常の勤務である。

 きょうは、午前中に成績関係の学年の会議があった。本来ならそれを受けて、学校全体の成績会議がおこなわれる予定であったが、校長の用事か何かでそれも延期。幸いにして、空き時間ができた。こういうときこそ、のんびりとくつろぐところであろうが、あれこれの仕事を抱え込んでいる情けない身。それを、あとしばらくはつづけてから、いつも通りに帰宅しようとおもっている。

 以前なら、華の金曜日。しっかり飲み会に出かけていたが、今夜は定例の稽古日。居合の練習がある。大会も近づいて来ているので、今夜も先生にみっちりしごかれるだろう。しかし、試斬の腕もだいぶ上達してきた感はあるので、それは楽しみである。気にいると、つづけることはそれほど苦になるタイプではない。俗に「三日坊主」というが、わたしはなんでもそう簡単にはやめない。目安は3ヶ月である。それだけやっても気にいらないときは、すぐにやめる。

 話しがあちこち飛んだ。この時期に生徒が休みというのははじめてなので、ちょっと戸惑いもある。しかし、後期に向けて、ここで一息いれるのもいいのだろう。本当なら後期の授業の準備をもう少ししっかりできる時間がとれればいいのだが、それは自分の問題であり、いうまい。まァ、授業の合間に忙しなく成績処理をするよりははるかに気分的に楽ではある。それだけでも「秋休み」に感謝せねばなるまい。
◆ 戻る
■2006/09/25(月) 08:07 文化祭2日目そして祭りのあと
 昨日の文化祭2日目をもって、今年の学校祭は終了した。幸いにして、天気にめぐまれ、すばらしい青空のもと、無事終えることができた。1週間前の天気予報では、この土日は散々な予報が出ていたので、予報がはずれてむしろ幸運だった。この天気のせいもあってか、予想以上の人出であった。昼ごろには完売する団体もあり、売れ行きはよかったみたいだ。わたしの担当するクラスも、かろうじて、元手をとることはでき、ホッとしている。会計の処理だけにはタッチしたので、昨日は一般公開終了後、生徒の解散をすると、会計担当の生徒と売上金をもって、いっしょに会計処理にあたった。けっこう遅くまでかかって、何とか無事処理することができ、担当してくれた生徒さんには感謝している。こういう仕事は向き不向きがあり、だれでもできるわけではない。幸いにして、几帳面な生徒さんだったため、最後まで粘り強く仕事に当ってくれた。イライラしたときもあったとおもうが、まずは「お疲れさん」といいたい。わたし自身は、実家が商売をしていた関係で、こういう売上金の処理などは門前の小僧よろしく、負担はまったく感じない。しかし、こういう経験のない生徒さんには大変だったろう。いい経験になってくれれば、と願っている。

 午後までかかってほぼすべての片づけが終わった。はじまるまでの喧騒と文化祭中の校舎内外のざわめき。腰を落ち着ける時間もなく、あっという間の2日間であった。クラスの生徒たちもそれなりに頑張ってくれた。こういう行事では、仕事量の格差で不平も出よう。でも、それはどんな仕事についても同じこと。不平をいっても仕事は進まぬ。自分でやるだけのことはやったといえれば、それが充実感につながる。「人がどうの…」と不平ばかりいう人がいる。でも、それは不毛である。自分に与えられた仕事をきちんとできない人(生徒)に、わたしは用はない。文化祭を楽しむだけも一つのあり方。それを支えるのも一つのあり方である。

 祭りのあとには、山のようなゴミが出てくる。物理室からもここ何10年間のゴミを出すことにした。これを見ると、文化祭というのはゴミ出しか、と疑問も沸いてくる。いまは、祭りが終わり、気持ちがしだいにゆるみはじめている。一抹のさびしさも…。
■2006/09/23(土) 15:50 文化祭1日目
 文化祭1日目、無事終了した。わたしの担当しているクラスは「ドーナッツ」と「ドリンク」の販売をした。まったく手伝わなかったが、仕入れも自分たちでしていたようで、きょうの分は、早々に完売したと聞いた。わたしはといえば、「後期総合学習コース別活動計画」の詳細をつくる作業をしていて、ほとんど行ってあげることもできず、申し訳なくおもっている。ただ、自分たちでこういうイベントをきちんとできるという自信は、これからもきっと役に立つ経験になるだろう。

 あまり期待することなく、他の参加団体で販売していた「うどん」と「カレー」も食べてみたが、それなりに美味しかった。きょうは昼食はもってこなかったので、ちょっと心配したが、これなら明日も大丈夫だろう。明日は、9:30からの開始である。わたしのいる物理準備室の冷蔵庫の中はクラスの販売品でパンパンである。明日までには、みっちり冷えているだろう。こういう文化祭なら、こちらの負担も少なく、気持ちよく見ていれる。ここまでの準備をしてこられた係の先生方は大変だったとおもう。まだ、明日もあるが、感謝したい。

 心配していた天気も何とかもってくれ、ネットでの天気予報でも、台風14号は大きく東にそれるようなので、ホッとした。どんなに準備をしても、天気だけは準備できない。この学校での文化祭は、担任もほとんど負担がないから、大変に助かる。昨日まではクラスの女子が「男子が動いてくれない…」と嘆いていたが、きょうはしっかりやってくれていたようだ。やるときにはやれる、そういう生徒に感謝している。担任としての仕事はあまりやっていないから、明日は少しお手伝いができれば(といってもドーナッツを買いに行く程度だが)、とかんがえている。
■2006/09/22(金) 16:11 文化祭
 明日から勤務校の文化祭が2日間ある。昨日ときょうはその準備のため、全日にわたり準備に明け暮れている。今も、吹奏楽部や軽音楽部の演奏が騒音のように聞こえてくる。昨年の文化祭のときは、転勤してきたばかりで、何もかもはじめてのことであったが、今年はクラス担任の仕事もあり、何かとやることは多い。ただ、クラスの出し物などにはまったくといっていいほど、関知していない。生徒会から出る準備金もすべてクラスの会計担当にまかせてある。わたしの仕事は、そのお金を帰りに預かって、鍵のかかるところに保管しておくだけだ。本当はあれこれ口出ししたい気持ちもあるのだが、そこはグッとこらえて、生徒たちに任せている。やればできる生徒たちである。失敗してもいいから、そういう機会をもたせることは大切だろう。普段の授業では見えない生徒の一面がこういう場面で見ることができる。

 昨年もそうであったが、台風14号が接近している。昨年は台風17号であった。幸いにして、大きく東にそれたため、それほどの風雨にはならなかった。さきほどネットの天気予報で見てきたら、今度の台風14号も昨年と同様に東にそれて通過しそうで、完全に雨の予報であった明日・明後日が「曇り」に変わっていた。晴天をのぞむのは無理として、何とかきょうくらいの曇りなら、万々歳である。中庭ステージで一生懸命にリハーサルしている生徒たちを見ると、あのエネルギーを発散させてあげたいとおもう。そのパワーの一部を教員ももらい、多少は元気がでる。お互いの交流が、またあらたな力を生み出してくれる。

 天気が持ってくれることだけを願っている。
■2006/09/15(金) 07:43 秋の山
 この10月の連休には、ひさしぶりに秋の山に登りに行こうと計画している。何年か前に3名ほどで谷川岳に登りに行って以来である。この時期、いろいろな行事などがはいり、なかなか山に登ることができないでいる。ことしは、山路さんが「断固行く」とスケジュールを入れておいてくれた。それで、行くことにした。しかし、肝心の山路さんは、別件の用事がはいったようで、行けなくなってしまった。こういうことは何度もあるので、何も気にはしていない。こういう世事に関わることが多い年台なのである。それでも、他のメンバーはすでにスケジュールを空けてあるはずなので、この機会を無駄にするのはもったいない。わたしが計画を立てて行くことにした。行き先は、山からもどってまた書くかもしれない。でも、山は静かに楽しみたい。

 山から下りたら、温泉にゆっくりつかって来たい。夏休みもほとんど出勤していたから、その疲れが最近でている。休むことも大切なことである。いつも全力で仕事に打ち込むのもいいだろうが、わたしにはそれは無理。自分のできる範囲でやるだけである。現在の日本の風潮では、わたしみたいにかんがえるのは「公務員だから云々」とかいわれそうである。いいたい人は勝手にいっていればいい。そういう表層的にしか物事を見れない人は、わたしには関係のない人である。

 秋の山は日の落ちるのも早い。雨が降れば、もう冬山と同じだ。油断することなく、安全に登ってこようとおもっている。
■2006/09/08(金) 07:30 山仲間
 自分で山岳会をつくってほぼ30年になる。このHPの山岳会のところにも少し書いてあるが、当初は山路さんと2人でできた。2人とも大学時代に山岳をやっていたからだ。偶然の出会いで意気投合。自然な形で山岳会をつくることになった。当時同僚だった甲地さんや松田さんにも声をかけて、正式には4名で立ち上げた。以来、いろいろな困難もあったが、ほぼ30年(学生時代もふくめると35年以上)も山に登りつづけている。いうまでもないが、当時は全員「花の独身」で、春・夏・秋・冬と時間をつくってはけっこう登りに出かけた。その足跡は「山岳会のあゆみ」というのに毎年まとめている。最盛期は山岳会員も8名までになった。しかし、とくに新規の人を募集するつもりなどなかったので、これ以上には増えなかった。それは、装備の面にも制約があったため、これはこれでよかった。新人を育てる意図もまったくなかった。

 ここ数年、会員で退職する人も出てきた。集会や山行にまったく来ない人には、申し訳ないことだが、退会してもらった。また、ひざの故障などでやむなく退会を申し出る人もいる。本当は「名誉会員」みたいにして残ってもらった方がいいのかもしれないが、山に登ることを前提につくった会であるし、形だけの会員は返って本人にも失礼であろう。潔く退会してもらうことにした。わたし自身にもいずれは登れなくなる日がくるだろう。自分でつくった会ではあるが、最後に残る人がおれば、その人に最後を託して潔く退会しようとおもっている。一歩山にはいれば、山の仲間といっても、身体的に頼るわけにはいかない。精神面では気の知れた仲間と共に行動できるし助かる。だが、身体的に故障がおきれば、だれも背負って登り降りできないのが山だ。わたしも苦境を何度か仲間に助けてもらったが、歩くのは自分の足でしかない。

 あと6・7年すれば、会員全員が退職して、ひとまず仕事をはなれる。本当は、この退職後にこそ山岳会の意味があると個人的にはかんがえていた。元気で仕事をしているときは、山岳会などなくても、各自で登ろうとおもえば登れる。毎日の仕事がなくなったときこそ、気心の知れた仲間とゆっくりと山に登りたいとつねづねかんがえていた。みんな、足腰も弱ってくることはとっくの承知。そういうときだからこそ、山での力量もお互いに知り尽くした仲間の存在は大きい。最後に残ってだれと登るか、山に登る気力も失せてしまうのか、はたして山岳会の最後を看取るのはだれか、などつらつらかんがえると、今までのこととあわせて感慨もある。しかし、「はじめがあれば、終わりもある」…いつかこの山岳会も終焉をむかえる。それでも、悔いはない。足のうごく間は何としても登りつづけたい。数少なくなった会員もみんなそうおもっていると信じている。
■2006/09/06(水) 08:13 剣の件
 本日より前期期末テストがはじまるので、さきほど教室の点検にいってきた。暗いので、だれもいないのかとおもったら、すでに男子がひとり来ていた。感心である。「先生、テストどんなところがでるのかな?」と訊く。当然教えるわけにはいかない。「いつも授業でやっていることが出るだけだよ」と答えておいた。「先生の話の中でおぼえているのは剣の話しかないよ」とぼやく。「剣」の話はそれほどしたことがない。というより、わたし自身まだまだ修行の身。人に話すほどの内容はもっていない。まァ、彼の印象では、そういう話が残っているのだろう。

 昨夜も道場で稽古をしてきた。18:30〜21:00までみっちりやった。小さい道場なので、弟子はわたしをふくめて3名。いつも稽古に来ているのは、わたしとY.Rさんの2人だけだ。前半は「型」の練習。ここでは、先生からみっちり細かい指摘を受けながら、汗まみれになって、何度も何度もくり返す。理屈でなく、型が自然にできるようになるのが目的なので、身体でしっかりおぼえないといけない。頭のてっぺんから足の先まで全体の動きがスムーズに動くようにするのは、じつに大変で、いくら練習してもこれでいいということはない。

 後半は、畳の表地を海苔巻きのように巻いたものを水につけておいて、使う前に水抜きをした「巻き藁」を台の上に立てて、本物の刀(真剣)で試し切り(試斬:しざん)をする。交代で5本ずつくらいずつ切ってゆく。右上から左下へ(左袈裟切りという)、左上から右下へ(右袈裟切りという)が基本の斬り方だ。よく、インターネットなどの掲示板などではこの斬り方など簡単であるみたいに書いている人がいるが、実際にやったことのない人だろう。力任せに斬ることは初心者にはよくあることで、これはこれで一応斬れる。ただし、力まずに切り口も45度のきれいな斬り方ができるようになるには、長年の修練が必要である。物騒であるが、これがきれいにできれば、ほぼ人の首は斬れる。左下から右上に切り上げる(逆右袈裟切り)、その反対の(逆左袈裟切り)などはさらにむずかしい。これに左右から水平に斬るのもむずかしい。

 そして、もっともむずかしいのは、真剣(もちろん切れ味はいうまでもない)を刀の鞘にもどす(納刀)ことである。鞘を見ないでごく自然にできるようになるまでは、一瞬も油断はできない。わたしは、すでに2回刀の先(切っ先)を人差し指にちょっと刺して、ケガをしている。刀の動きのスピードは必要であるが、そのために力む必要はない。しかし、それを身体で体現できるようになるのはやさしくはない。ミサイルも大砲もライフルも拳銃も、飛び道具はいくらでもある。そんな時代に、「刀」など古臭くてダサい。わたしもはじめるまではそうおもっていた。だが、やってみると、本当に奥の深い技である。わたしの専門である「物理」の「理」にじつによくかなっている。刃すじがあわなければ、ほとんど斬れない。円運動をさせることで、自然に刃がものを斬る。刃を当てただけでは斬れない。

 日本刀には機能美がある。ただ斬るだけだったら包丁もおなじだ。武器でしかないのだが、いかに切れ味がよく、折れない、刃こぼれしないものを追及したため、無駄のない実に機能的な姿におちついた。わたしが、型の練習で使っているものは模造の居合刀であるが、「和泉守兼定」というのを使っている。「兼定(かねさだ)」は、会津の刀匠である。新撰組の土方歳三も愛用したという。16代兼定は何と会津に住む高校の恩師の友達であることをこの夏に知った。人のつながりの妙である。真剣は値段がとても高いので、今のところは道場の先生が用意してくれたものをお借りしている。この刀は切れ味も姿もよく、気にいっている。子供たちに手がかからなくなったら、自分の真剣を一振り買うつもりだ。それまで元気にいればの話だが…。

 まァ、普段の運動不足を解消するのが主たる目的であるので、流派がどうの、とか、心身の鍛錬などということには興味はない。本当は段位などにも執着はないのだが、来月には大会にでることになりそうだし、11月には昇段試験があると先生にいわれている。好きでやっているだけだし、それに段位などが勝手についてくるなら、別段どうでもいい。そんなことはなくても「剣」は好きである。

 剣のことなど語るべきものでもないのだが、つい語ってしまった。修行が足りぬ。
■2006/08/25(金) 15:36 短くなった夏休み
 今朝のラジオを聴いていたら、この夏から都内などの小学校で、きょうから学校がはじまったところがある、と話していた。わたしの育った東北の会津などでは、むかしから雪の冬の休みを多少長くするために、8/25頃からはじまっていたのをおぼえている(ただし、小中学校だけで、高校は31日まで休んでいたが)。そのラジオでのアンケートでは、この短縮夏休みに賛成の人は4割、反対が6割だったとかいっていた。どうして短くなったのか、というと、土曜日が休みになり、授業時間が少なくなって
、生徒の学力低下が問題になっているためとかいう。しかし、おかしいよな。世界の学力テスト較べで1位になっているノルウェイーでもたしか土日は休みだったはずで、とくに日本に較べて授業日数が長いとか聞いたことがないのだが…。湿潤高温でまだ残暑のきびしいこの時期に、ほんの1週間ほど授業をしたからといって、学力が伸びるとかんがえる人は、よほどおめでたい。気持ちはわからんではないが、はっきりいって、心配のし過ぎを通り越して、「バカ」である。なにもそこまでして、「世界一」の学力をつける必要もあるまい。

 そういっている当のわたし自身の勤務する高校でも、なんと!夏休みが3日も短くなり、来週の29日から学校がはじまる。といっても、もう高校生の学力低下などさわいでも手遅れ。そういう理由ではなくて、今までの3学期制でなく、前期・後期の2学期制になっているため、区切りの9月下旬に1週間ほど休みをつくろうというために、夏休みの最後の日にちをその休みのほうへ移動したのだ。つまり「秋休み」をつくったためだ。ただ、何度もくどく書くが、これは生徒たちだけの話である。わたしたち教員には夏休みも秋休みもない。休むときは「有給休暇(年休)」をとる。実際には、部活動や仕事は山積みなので、のんびり休みなどとることなど無理である。「仕事があるうちが、華」と負け惜しみみたいなことをいってガマンをしているが、本当はゆっくり休んで読書などもしてみたい。もともと、教員に夏休みや冬休みがあったのは、そういう自己研修の意味もあったようだ。勉強しない教員には関係ないかもしれないが、わたしのように常時勉強していないとすぐに枯渇してしまう教員には、こういう研修の時期は貴重であったのである。ヘタな研修会などにいってウトウトしているより、涼しいところで、みっちり読書や勉強に打ち込んだほうがいいにきまっている。それが、生徒に還元されていけば、じつに見事な「食物連鎖」ならぬ「学力連鎖」になってゆくことも期待される。でも、もうそんな悠長なことをだれもゆるしてくれない。だれもが、せわしなく仕事をしたふりをし、他人の仕事にケチをつけ、休んでいるとサボっている、と文句をつけるこのご時世。あ〜ぁ、セチガライ世の中だなー。

 教員としては、夏休みも冬休みも何もいらないから、土日や祝日を確実に休めるようにしてほしい。それだけが願いだ。部活もボランティア活動もすべてやらない。そうなれば、何も文句はいわない。こう書いても、「教員はもっと仕事をしろ!」という激しい人がいることは、いつもの反応をみてもわかるが。まァ、そういう人は、多分、自分ではそれほど仕事などしていないだろうことも、これまたわかる。
■2006/08/22(火) 07:49 雑話
 昨日から、夏休み最後の「物理講習」をしている。この夏は、前期・中期・後期の3期に分けてやっている(合計15日、約30時間)。講習期間中は出席はとらないし、実際には何人来ているのかは、正確にはわからない。それでも、毎日来る生徒もいれば、ときどき来るもの、それぞれ自分のペースで来ているようだ。わたしは、やる教材は指示したり、プリント問題を用意したりはするが、講義などはほとんどしない。受験をひかえた3年生主体の講習で、講義で黒板に書いたものを必死でノートに写すような勉強が本番の入試で役立つとは到底おもえないし、自分の体験でもそう感じている。考えにかんがえて、それでもわからないとき、本当の質問ができるようになる。そういう質問は、的を得ているし、こちらも返答しやすい。質問の内容を知れば、その生徒の理解度はほぼわかる。なぜなら、自分で理解できている部分とそうでない部分の区分けを意識しているというのは、その分野のおおよその理解がないとまずできないからである。いい質問は深い理解につながる。

 ころっと話はかわる。12日から16日まで田舎(会津)に帰省してきた。12日は帰省ラッシュのピークといわれていたので、早朝5:00ちょうどに自宅を出発した。渋滞がなければ、5時間ほどで着く。この日は、当然のこと、ちがっていた。都内を抜けるのに3時間かかった。東北道にはいると、即大渋滞。SAやPにはいるのにも2、3km手前から並ばないと入れない状況で、こういうのははじめて見た。渋滞表示には112kmと出ていた。実は、この日、父方のおじの告別式が11:30から会津田島で予定されていた。式に出てくれることになった会津に住む姉と携帯でやりとりしながらじれったいおもいをしていたが、もう完全に間にあわないとわかると、焦りはなくなった。それでも、午後に予定されている火葬に間にあえば、おじを何とか見送れる。なんといっても、このおじがわたしの実家を建ててくれた主役なのである。昼もまわってしまい、車がかろうじて動きはじめた。西那須野ICで東北道を降りると、警察につかまらない程度の猛スピード(?)で会津に向かった。姉からの携帯で、火葬がおわるのは14:30頃という連絡をうけていた。なんとかお骨だけでも拾いたい。そういう気持ちだった。助手席のカミさんに「あんまりとばさないで…」といわれるが、元気だった頃のおじの顔がうかぶ。姉から「今、火葬が終わり、これからお骨拾いがはじまるよ」との連絡。飛ばす!火葬場が見えてきた。姉といとこが手招きしている。車を駐車場に放るようにおくと、駆け足で火葬場の中へ。わざわざわたしたちの到着を待っていてくれたとのこと。わずかにのこったお骨の中から3個ほど拾い、親戚の人に箸移しでわたした。おじの写真に向かい、感謝の念をこめて手をあわせた。こんなことが、帰省の最初にあった。

 帰省中は、高校の恩師に会ったり、早朝にお城(会津鶴ヶ城)の西出丸広場の隅で居合の練習をしたりして、それなりに充実していた。夜は毎晩大酒を飲んでいた。これはこれで、じつに楽しい。わずか5日間の帰省であったが、ひさしぶりに生まれ育った実家にも寄れたし(今は空き家である)、幼なじみとも話ができた。本当は、もっとゆっくりしたい気がするのだが、親戚の家とはいえ、あまりに長居するのは気がひける。頃合いのいいところで退散するのが付き合いのコツであろう。自宅にもどるときは、それほどの渋滞もなく気持ちよくもどれた。
■2006/08/07(月) 12:51 ようやく盛夏
 暑い〜!明日は暦の上では「立秋」であるが、梅雨明けの遅れた分だけ暑さが一気におしよせて来た感じである。外は、この時間で34℃近くありそうだ。湿度が高くない分だけ蒸し暑さがないので、助かってはいるが…。仕事はいつも通りの勤務ではあるが、授業や会議などはないため精神的には本当に助かる。ふだんは集中できないためなかなか取り組めないまとまった仕事にも取り組める。職員室にはエアコンが入っていて、けっこう涼しい。さきほどいってみたら、クセになってしまいそうである。ただ、わたし自身は冷房には弱くて、すぐに身体が冷えてしまい、頭痛がしてくる。だから、暑くても物理準備室で仕事をしたほうがいい。ここも風通しはよく陽射しもそれほどではないから、少しはしのぎやすい。まァ、暑いことは暑いが。

 わたしは朝起きるのが早いせいか、午後になるとちょっと居眠りがしたい。お昼の休み時間に15分でもうつらうつらすると、頭がすっきりしていい。ただ、腰をのばせるようなソファーなどはない。何かいいものがないかな、と生物教材室を探してみたら、なんとハンモック風のいかした椅子をみつけた。これが座ってみると、じつにくつろげる。過去に在職した職員がおいていったものだろう。だれかが使っているようすはない。「これはいい!」と勝手にもらってきてしまった。これで、このあと軽く居眠りをしてみようとおもう。

 夏の暑いときには、軽い昼寝が健康に一番いい。
■2006/08/01(火) 11:04 今年もあと5ヶ月、そして…
 早いものである。あっという間に7ヶ月が過ぎて、ことしも残り5ヶ月になった。まだ、5ヶ月あるともいえるが、手帳のスケジュール欄をみると、あれやこれやでかなりの予定がはいっている。これをこなしていけば、今年もすぐに終わってしまうだろう。少ないメンバーでつづけている山岳会にしても、秋の山、いも煮会、忘年会などの予定だけでも、ほぼ毎月のように活動している。つい先日、今年の夏山を終えたが、明日の夏山反省会では、当然のようにこれらのイベントの日程確認をすることになる。少々強引なわたしと山路さんがほとんどの日程を決めてしまうにちがいない。まァ、一応「山岳会」の創始者であるし、その特権をフルに利用するのは当然であるが…。

 上の部分まで書いたまま、途中にしていた。翌日の夏山反省会ではひさしぶりに会員が全員集まり、親交を深めた。スケジュールの話題はほとんど出ずに、資料が配布されただけだった。あとは、飲み会とカラオケで終了してしまった。かんがえてみれば、もう30年近くのつきあいだ。何も改めて話し合うほどのこともない。それぞれのメンバーが自分の役割をきちんとはたしており、自然に行動できている。ほぼ、理想的である。あたらしく配られた「住所録」には、何と「定年の年度」が記入されていた。これをみて、仕事上のゴールを蛍光板のように明示されたようで、ちょっとショックであった。だが、これは現実であるし、はたしてそのゴールまでも元気に勤め上げることができるのか、だれにもわからない。

 できることは、1日1日を悔いなく過ごしていくことだけだ。
■2006/07/28(金) 07:57 夏山登山
 7/22(土)から、悪条件(交通・天候)をおして、夏山に行ってきた。ことしは、当初の予定を変更して、南アルプス北部にある甲斐駒ケ岳〜鳳凰三山縦走にした。しかし、この計画も現地に出かけてみると、土石流と洪水による道路の寸断、橋の破壊のため、スタート地点の北沢峠にはいることができず、またまたコース変更して、鳳凰三山縦走だけになってしまった。広河原から白鳳峠を目指しての急登、雲海上での縦走とけっこうきつい山行になってしまった。日にちが短くなったため、早々の下山であったが、強い風雨の中での下山は、これまた長い道のりで、メンバー全員ヘトヘトであった(-_-;)。

 今現在、中部地方・関東地方ともに「梅雨明け」はまだで、きょうも長野県や山梨県あたりでは、雨模様である。北アルプスも天気はよくないようで、8月の声を聞かないと、まだ実質的な夏山は到来しないのかもしれない。勤務している高校のワンダーフォーゲル部も北アルプスに合宿にでかけているが、ちと可哀想である。天気が不順なときは、あまり力まずにそれなりに登れればいい。それが、35年以上も登りつづけているわたしの感想である。「山は逃げない」し、元気でいれば、また登れる。

 昨日から、今年の「夏山山行記」を書きはじめているが、まだ集中できないでいる。勤務校でおこなっている「物理講習会(前期)」には、1日くらい出れるかな?とおもっていたら、何と2日欠席しただけで、しっかり3日もやることになった。夏山が終わると、不思議と「夏は終わった」という気分になる。これから、梅雨も明けて、暑くなりそうである。中期・後期の講習会を終える頃には、夏休みは終わりだ。まァ、わたしにはあまり関係ないことだが…。
■2006/07/20(木) 17:02 夏休み
 勤務校では、生徒たちは明日から夏休みにはいる。うらやましい限りである。わたしたち教職員にも以前は夏休みがあり、けっこうのんびりと休めた時期もあった。が、今となってみれば、それも昔の話だ。現在では、夏期休暇という名称で5日間だけ休みがもらえるが、あとは通常の勤務と同じである。自分の都合で休みをとる場合は、どこの職場にもある「年休」という手続きをして休む。なんでも、以前は週6日制で、土曜日は授業があったのが、週5日制になり(まァ、ふつうの会社員などと同じになっただけなのだが)、「夏にも休ませるなんて、とんでもない!」ということになったらしい。おかげでというか、土曜日は一部の私立などを除くと、ほとんど部活動の練習や大会などに変身。土曜講習などもおこなわれるようになり、実質的には、週6日制のときより、休みは激減してしまった。まったく、皮肉なことである。

 幸いにというか、夏休みにはいるまでに「梅雨明け」しなかったため、涼しい中で休みに入ることができる。わたしの予定では、前期・中期・後期の「物理講習会」をいれているため、お盆の帰省と夏山のときだけ休む。年休2日、夏期休暇の5日の7日間だけ休む予定にしている。あとは、冷房などない校舎内の物理室で生徒たちと物理の演習にいそしむ。

 子どもの頃は、「夏休みの友」とかいう冊子を渡されて、近所の仲間が集まり、朝の涼しいうちにやったものである。あの頃の夏休みをおもいだすと、じつにのどかな休みだったなーと懐かしくなる。塾もないし、勉強などそっちのけで、きれいな川に行き、1日中泳ぎまくったものだ。もう、あんな夏休みは本やアニメの中だけである。
■2006/07/07(金) 07:54 北朝鮮ミサイル問題
 北朝鮮が現在の段階で7発のミサイルを発射した、と政府・マスコミなどでも大騒ぎしている。わたしは、正直なところ、まったく関心がない。すでに、シナリオのできた政治劇を観ているようで、つまらないし、勝手にやってくれとしかおもわない。北朝鮮も本気でミサイルを打つ気なら、弾道弾を積んで打ってほしい。もちろん、標的は日本でもいいし、韓国でもいい。なんなら、アメリカを直接標的にしてほしい。単なるおどしだけのミサイルなど、何らの意味もない。米軍は日本海に多くの艦船を配置して、すでに実戦体制にはいっているようなので、北朝鮮のミサイルなど打ち落とす気なら、打ち落とすこともできるのかもしれない。空母キティ・ホークからの艦載機が一斉に北朝鮮を狙うなら、北朝鮮などほどなく壊滅するであろう。原潜からのトマホークは数百発はあるだろうから、やる気ならば明日にでも北朝鮮はあぶなくなる。それをしないのは、両方とも本気でやる気はないからである。わが日本にしても、本気で北朝鮮に対峙するつもりなどない。韓国にも…。要は、すべて政治的な茶番劇である。本気でかんがえるなど、馬鹿げている。戦争でもはじまったら、それからかんがえても遅くない。

 出番の来た軍事評論家さんたちは、TVやラジオ、新聞などで忙しそうである。けっこうなことだ。たまには、こうしたイベントがないでは、稼ぎがなくなってしまう。いろんなことがいわれているが、本気ではないから、わたしにはあまりにおかしく感じてわらってしまう。自衛隊のアホな幹部が新聞で、「本当にミサイルを打つとはおもわなかった」などと語っていた。まァ、こうした状況で、日本を守るなどなどたわごとを言っている連中は、本気でそうおもっているわけではないことは明白だ。北朝鮮さんにはぜひ本気になって、東京でも大阪でもどこでもいいから、本物の火薬を積んだミサイルを撃ち込んでほしいものである。そのとき、本当の政治家はだれか、軍人はだれかがしっかりとわかる。
■2006/06/30(金) 08:01 習い事
 「五十の手習い」というか、習い事に通っている。週2回だ。習っているのは「秘密」である。ただ、身体をつかうものなので、理屈どおりにはいかない。あちこち、筋肉痛・関節痛があり、つらい。それでも1日も休まず通いつづけているのだから、まんざら嫌いではないらしい。もともと、習い事はそれほど好きではない。幼き頃、通った珠算塾も3日でやめた。当時、わたしの周囲ではほとんど行っていなかった私立の幼稚園も、どういうわけか、数ヶ月で退園になった。どうも、集団生活に向いていなかったらしい。これは、今でもそのなごりがある。今の習い事は、基本的には個人でもできるものだが、基本は先生に教えてもらうのがいい。だから、基本のできる3年間くらいは、よほどのことがなければ、休まずに通うつもりだ。気にいれば、打ち込むのがわたしの流儀でもある。この習い事のおかげというか、週に2回は飲みにでかける機会がなくなった。そのせいか、体調はいい。ただ、身体の疲れは年齢とともに取れにくくなっているから、あまり無理はしないようにしている。「健康のため」というのが主たる目的でもあるし、それ以上は、それほど望んでいない。ゴルフなどの高級な趣味にくらべれば、謝礼もそれほどでないし、じつに安上がりだ。あれこれ趣味の多いわたしであるが、いままでの路線とはまったく毛色のちがうこの趣味は、行く日が楽しみでもある。きびしい修行の面もあるので、年齢など口にはだせない。若い人とも対等にやらねばならない。思いきって、飛び込んでみて、正解だった。

 きょうの夜は職場の飲み会である。しかし、わたしは習い事があるため、欠席である。酒好きのわたしにしては、かつてかんがえられなかったことだ。まァ、人生何があるかわからないから、せいぜい修行にはげんでこよう。酒はいつでも飲める。
■2006/06/10(土) 11:01 夏山計画
 きょうは、学校は休みで、部活動の予定もはいっていない。しかし、このところ忙しくてなかなか手のつけられなかった「夏山計画」を立てておこうとおもい、学校へ来た。自宅でもできないことはないのだが、地図を広げたり、細かい時間の計算などをするには、仕事部屋である「物理準備室」の方がやりやすい。それに、毎日やっている気象観測もあるので、どちらにしても来る。それだったら、学校の物理準備室で心おだやかにやったほうがいい。こうして、つい来てしまう。

 さて、夏山の計画である。4時間ほどあれこれかんがえて一応つくった。ところが、今年登る予定になっている南アルプス南部の山は、奥深い。北アルプスのメインルートとちがい、山小屋の整備状況もそれほどでない。わたしが学生のとき、17日間をかけて南アルプス全山縦走をしたときよりは、かなり改善されたとはいえ、まだまだだ。わが山岳会も中高年登山隊になってしまっており、以前のように気楽にテント中心の山行も何となく気が重い。一旦、山小屋を利用しての登山になれてしまうと、あの狭苦しいテントでの山行は、荷物もかさむしな。しかし、今回の山では、嫌でも自炊しなければならない山小屋があるため、もう寝袋・自炊用具を持たざるを得ない。日々おとろえている体力を維持すべく、できることはしているつもりでいるが、まだ甘い。おそらく参加メンバーたちは甘い夢を見ているのかもしれないな。計画を立てながら一度登山している気持ちになっている(実際、そのようにして計画しないとうまくいかないのだ)自分には、あの南アルプス南部のうっそうとした山をおもい出して、ちと、梅雨時の天気のような気分になっている。それにしても、この山行をいいだしたのは、一体だれだったのか?不思議なことにおもい出せない。もう、すでに登っているわたしがいい出すはずもなし。計画するものの気持ちを少しは気づかってほしいな。などとブツブツいいながらも、まァ、好きなことなので、それほど苦にはならない。

 夏山の計画ができれば、あとは実行するだけなので、種々の準備にとりかかる。今年の荷物は、例年にくらべ、格段に重くなりそうだ。
■2006/05/30(火) 17:56 授業
 このところ、仕事がらみのことしか、想いがいかない。疲れているからだろう。それで、またまた「授業」のことである。きょうも、授業を4時間やった。週に17時間あるから、年間では35週くらいと想定して約600時間(600回)の授業をする。中学校で教えていたときにはもっと授業をしていたのを加えると、今までかれこれ20000回近くの授業をしてきたことになる。そのうちで、「いい授業ができたな」とわたし自身が感じ、生徒の反応をみてもそうだったな、とおもえるのは、ほんの数10回くらいではないかとおもう。謙遜していうなどという習慣をもたないわたしがそういうのだから、まずはまちがいないだろう。

 まァ、どういう授業がいいのかは、そのときの教育方法の理念で意見の分かれるところではあるが…。今までの知るところでは、自分ではつまらない講義をしている大学のお偉い先生が唱えるような授業を国立大学の付属校などでやってみて、それを基準にしているらしい。ま、こういうのはほとんど当てにはならないことは、学力不振生徒の多い現場で長年教えてきたわたしには嫌というほどわかる。塾や予備校のようなところでも教えて来たこともあるので、いわゆるできる生徒というのがどの程度なのかも、ほぼわかる。そういう背景をもって、現在教えている生徒たちをみると、じつに高校生の見本のようで、わたしには別段あれこれいうべき点はない。いい生徒たちである。こういう生徒たちと授業ができることをすなおに感謝したい。この生徒たちの学力面も含めて、入学してきたときより卒業するときに少しでも力をつけて送り出すのが、わたしたちの使命であろう。そうおもいつつ、授業をしている。けっこう授業に関してはきびしいほうだとおもう。予習はともかく、復習をきちんとしていない者は容赦はしない。叩き込むのがわたしの流儀である。暗記だとか理解だとかの議論など不要である。事にあたって使えないような知識や技能では、問題にならない。血肉になっていてはじめて、その後の応用に進める。

 授業が下手なのはわかっている。それゆえいつになっても悩みは尽きない。おそらくこの状態で、この仕事を終えるような気がする。今となっては、人間を変えるわけにもいくまい。「これで行くしかない!」と居直って授業に向かっている。真面目ぶっても仕方ないから、ほどほどでやっている。もちろん教材研究とかいわれる教員の予習などはするが、もうそれほど細かくはやらない。ウソを教えないことだけを注意している。それゆえ、わからないことは自信をもって「わからない」という。自分の実力不足は人さまからいわれなくても、自分が一番よく知っている。最近では、授業を調べに、校長や教頭が見学にくる。さぞや、こういう管理職などはすばらしい授業をしていたのだろうな、とおもうのだが、伝わってくる話でそういうのは聴かない。一体、学校のリーダーともいえる人たちがそれでいいのかは、わたしには判然としない。授業は教員といわれる職業の芯である。近代学校制度の核心は「授業」にある。これを再確認して、また授業に向かいたい。
■2006/05/29(月) 08:01 採点
 先週は5日間、前期の中間テストがあった。もちろん、そういう個別の学校のことなどかんがえていないのが、体育連盟などの上層部の連中なので、部活動などの大会は遠慮なくあった。この5月の土日はほとんどそれにとられた。中間テストの問題はこういうことがあるだろうとおもい、5月の連休前にはほとんど作っておいたので、問題作成に関してはそれほどの心配はしていなかった。何度か問題チェックもおこなったが、自分ではなかなか不備に気づかないもの。同僚のK先生の指摘で何とか試験当日までにはミスもなくなった。作問は嫌いではない。いや、好きなほうかもしれない。あれこれかんがえながら、問題を並べていき、ほぼ全問ができあがると気持ちがいい。

 試験がはじまると、教員はヒマしているとおもっている人がいるが、じつに認識が甘い。そんなことは、過去の話である。今は、この時期に研修会や出張などが目白押しではいり、ゆっくりと採点をしている時間もとれないのが現実だ。今回の中間テスト中には2回の研修会(いずれも事故・不祥事防止などの研修会…こんなのやっても意味などないのは、だれもが先刻承知。役人の既成事実作りのためだろう)があった。在職中にほとんど校長室に閉じこもり、荒れた学校そっちのけで、知らんふりを決め込んでいた元校長が講師で来た。昨年も来た。「そんなことをお前さんからいわれたくないな」と内心ではおもいつつ、うつらうつらしていた。まァ、訊かなくてもそのくらいはだれでも知っている。知ってはいるが、ついやってしまうというのが、「マーフィーの法則」ならぬ、人間の常なのである。大体、教員や役人が何にも問題をおこさないとしたら、むしろその方が恐ろしいことだろう。そういう中途半端な人間が、やむなく教育や公務に携わらねばならないところに、面白みもあるのだ。漱石の「坊ちゃん」の時代にもどうようなことは当然あったので、あの小説ができた。孔子も世の中の乱れがあったからこそ、「論語」ができた。そんなこと、古今東西常識であろう。今の時代の日本人の洗脳されたような潔癖症は、まさにアレルギー症状を呈している。

 さて、試験が終わると、採点がはじまる。これは、わたしの嫌いなものである。物理の試験などは、大問を10題ほど出して、1問10点などとじつに大雑把に配点している。観点別の問題などと凝ってみても、意味があるとは到底おもえない。普段、授業中に学習している事柄の復習的問題なのである。しっかり復習していれば、そこそこの得点はできるように問題を作っている。しかし、1年生に教えている理科総合の問題は、じつに細かい問題が多いため、その採点は苦渋を極める。87箇所で100点のテストなので、4クラスを担当しているわたしは、ほぼ14007個(87×161名)の○×をつけることになる。これを試験期間中に採点するためには、会議や研修会などいれないで集中しないと、まず無理である。ところが、こういう現場のことなどわかろうともしないのが、お役人さんたちなのである。ちなみに、今回だけの採点で、個人的費用で購入してきた赤ボールペンのインクがほぼ8割減った。肩は限りなく凝った。

 初任の頃は、テスト期間中には職員でソフトボールなどのリクリエーションなどをやっていたのを覚えている。今は、世知辛くなり、ひたすらくだらん仕事ばかりだ。別に楽しようなどとおもっているわけではない。こんなにピリピリしながら仕事をしても、それが生徒たちの学力向上などにはほとんど寄与しないということだ。むしろ、教員の側もいつも忙しなくしているため、生徒にも落ち着きがない。そんなに急いでどこへ行こうとしているのだろう?世の中で生きていくというのは、じつに疲れることだなー、といつもかんじてしまう。教育などのんびりでどこが悪いのだろう。

 採点のときにこんなことをかんがえる余裕はない。ひたすら採点マシンと化して、仕事に打ち込む。そんな中で、「これは、よく勉強してきたな!」という答案に出会うと気持ちがいい。そういう答案は、多少の細かいところは無視して、満点である。採点にはリズムがあるので、そのリズムが気持ちよくつづく答案はほぼまちがなく良い得点になる。こういうささやかな喜びだけでは、正直、採点もつらい。
■2006/05/06(土) 06:27 やっと休みが
 ゴールデンウィークももうあと1日。雑多な仕事でなかなか休みもとれなかった。一昨日は家を6:30にでて、夜9:00にもどった。1日がかりの大会があったからだ。てっきり、観覧席でのんびり眺めていればいいとおもっていたら、甘かった。大きな競技種目でないため、顧問はほぼ総出で試合運営にかかわることになっていたのだ。プログラムをもらったら、自分の名前がなんと試合記録の係になっており、おどろいた。ほどなく館内マイクでお呼び出し。本部詰めで、慣れぬ競技の得点集計の係につくことになった。次々にくる競技者の得点を細かいルールに従い、合計して得点を割り出す。わたしは、電卓が苦手なので、それは他の顧問におねがいして、本部内の雑務に徹した。それでも、競技の進行をスムーズにするため、休みは皆無である。唯一、昼食の時間がとれたが、それも15分ほどであった。夜19:00近くにようやく競技はおわったが、参加校にわたす得点のコピーなどは短時間で仕上げないといけないため、必死である。全部の仕事をおえて、放免になったときは、さすがにグッタリとしてしまった。長い一日だった。

 そして、昨日は好天。ようやく自分のための時間がとれて、故郷会津から用事で東京に来ている義兄と丹沢の塔ノ岳に登山にでかけることができた。自宅にもどっている息子も誘って、3人で出かけた。夏の山行に備えて、足慣らしの意味もあった。ここで、気になっている体重やももの痛みなどチェックしておく。3月・4月と右足の付け根あたりがときどきしびれる症状がでていた。これが一番の気がかり。小田急海老名駅で待ち合わせて、渋沢駅に。そこからバスで大倉まで。8:20から大倉尾根に取り付いた。おもったよりは軽く登れて、11:30に塔ノ岳頂上着。尊仏山荘でビールを3本買い、無事登頂を祝う。昼食。富士山も雲海上にきれいに見えて、気持ちがいい。12:30に頂上をあとにした。あとはひたすら大倉めざしての下山。いつもこの下山で足の指先を痛めるので、できるだけゆっくりと降りてゆく。それでも、休みはめったにとらないため、予定の14:30過ぎには大倉までおりてこれた。そこで、またまた大ジョッキーのビールで乾杯。息子はビールはほとんど飲めないため、義兄とふたりでしっかり飲む。家族だけの山行なので、気持ちはまったく楽である。都内に嫁いだ娘のところに来ていた義兄と海老名で別れ、家路についた。ほんとうに貴重で楽しい1日だった。きょうから、残りの休みはまた職場で雑務だ。こういうときしか、集中して雑務に専念できないため、やむを得ない。

 このゴールデンウィークの休日は1日である。
■2006/04/20(木) 07:37 試合、試合、…
 この新学期から、勤務校の剣道部の主顧問になった。というか、ならざるを得なかった。部活動の顧問など本当はやりたくもない。部活動などあくまで趣味の問題であり、校務でさえ忙しいのに、部活動などで時間をつぶしたくないという思いは、教職について以来、ずっとある。どこにも、この仕事の所在は明記されてないし、あくまでも、校務の一部という形であいまいなままなされている。ちなみに、わたし自身は、これはボランティアであろうとおもい、部活動に関して、金銭は一切受け取っていない。むしろ、いろいろな自前の出費がかかって、迷惑しているのが実態だ。現任校は、部活動がじつに盛んで、8割以上の生徒がなにかの部活動の参加している。それ自体は、生徒の問題であり、わたしにはどうでもいい。ただ、生徒たちは、部活動に顧問のいるのは当たり前みたいにおもっているようすがうかがわれる。困ったことである。部活動は、「顧問」がいないと成立しないしくみになっているのだ。きょうにでも、わたしがへそを曲げて、「部活などやってられるか!」と怒って辞めてしまえば、自動的に剣道部は廃部になる。他の職員も、ほとんどの人が複数の部活動を兼任しており、とても3つも4つも顧問になる余地はない。そういうわたしも2つの部活動の顧問をしている。

 さて、もうあさってから関東剣道大会の県予選がはじまる。この土日は2日とも大会だ。もちろん、引率するしかない。5月もほとんどの土日は大会がはいっている。それも、中間テストの期間の直前・直後にもはいっており、5月で休みを取れる日にちはほとんどない。もちろん平常は授業があるから代休などとれるわけもないから、少々しんどい。これも、すべて無給である。べつに金を払えといっているわけではない。大会には顧問が必ず引率することになっている。これが、馬鹿げているからだ。どの大会も何とか連盟がやっているのだが、この上層部の連中は、部活動が楽しくてしかたないものたちがやっているのだろう。しかし、ほとんどの教員は部活動など苦痛でしかないのが現実だ。大会の参加のための費用も顧問の一時立替である。この費用もけっこう馬鹿にはならない負担になる。生徒会から大会参加費についてはもどってくるが、振り込み料その他は顧問の負担である。給料はどんどん減らされているのに、こういう負担だけはますます増える。どのスポーツの大会でもそうだが、顧問の引率をはずしてくれるだけでも、負担はへる。ただ、大会運営をしている連中は、なにか事故があったときの責任問題をいつも気にしているので、まず引率をはずすことはないだろう。顧問など早くなくなればいい、と30年近くもおもっている。こんなのも、教育活動の一部に平気ではいっている日本の教育のおかしさである。
■2006/04/11(火) 17:40 ようやく平常授業に
 ことしは、また、新入生の担任をすることになった。4/6の入学式以来、彼らに対する種々のオリエンテーションがつづいて、少々疲れた。が、ようやく本日から平常授業になった。ホッとしている。わたしが担当する(理科総合Bと物理T・U、そして、後期は+サイエンスも)授業がはじまり、気分的にはだいぶ楽になった。いつでもそうだが、新入生への対応は気をつかう。「はじめが肝心」なので、あれこれ細かい指示をしたり、注意などをこまごまと説明する。種々の配布物の配布や提出物の回収など、漏れのないようにやるのは、本当にしんどい。若い頃はあまり気にもならなかったが、最近では物忘れも多い。メモをしっかり取って、一つの作業ごとにチェックをしていく。確かに時間は少しかかるが、それが一番の近道である。それが、ようやく峠を越して、ようやくの授業である。

 授業で使うプリントなどは、すでに前期分は印刷をおえてある。最初の時間は、シラバスをつかってのオリエンテーション。今は、まァ親切といえば親切である。わたしの高校時代にこんなのがあったかは記憶にない。すぐに授業の内容にはいったほうがいいとはおもうが、これも時代か。まだ、勉強の中身を学んでいない生徒たちに「この教科をなぜ学ぶのか?」など、あれこれ説明してもそれほど意味のあることとはおもえない。まずは、学んでみて、頃合いをみて、徐々に話していくのがベターではないか、と個人的にはおもっている。それでも、授業がはじまると、時間割どおりに進むため、気持ち的には楽である。ただし、今年は授業時間もおおく、ちょっときついなー。でも、仕事があるだけマシか。今年の時間割に慣れるまで、1ヶ月はかかるだろうが、連休明けごろには慣れている…はずだ。
■2006/04/02(日) 16:17 新学期を前に
 早いなー。3月学年末にバタバタしていた。学校では、この年度末が一番いそがしい。在校生は新学年に向けて、そして、4月から迎える新入生の準備。あれもこれもとかんがえれば切りはない。明日からは職員は新転任者を迎えて、新学期態勢にはいる。きょうは、日曜日で職員はほとんど来ていなかったが、昼の気象観測のためにちょっとだけ、職場に行ってきた。昨日には満開だった桜も、低気圧の接近に伴う強風と吹きつける雨で、花びらが舞っていた。あと、4日後に予定されている入学式まで桜がもってくれれば、春らしい気持ちで式にのぞめるのだが…。今年はまた1年生の担任だ。学年主任の仕事もあるので、少し気は重いが、過去にもこういうことはあったし、ま、何とかなるだろう。これから3年間は元気でいれば、持ち上がりでこの学年を卒業までもつことになる。いくら準備をしてもとても手の回る年数ではない。

 3年間は自分では、「1000日」と割りきっている。実際には、365日×3=1095日である。しかし、3年生は実質12月までであり、3ヶ月分差し引くと、ほぼ1000日になる。人間なんでもいいから1000日つづければ、なにかがわかるし、身につく。わたしの家は一応、天台宗の檀家になっているが、その総本山比叡山延暦寺には「千日回峰」とかいう修行がある。ちょっと調べてみる。

これ以下、引用。

<千日回峰>

 比叡山廷暦寺の「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」は荒行中の荒行とされていますが、そばが大変重要な役割を担っていることを示す絶好の事例といえるでしょう。千日といっても連続して3年間という意味ではなく、7年間をかけて通算1000日の間行なわれます。

 最初の3年間は、1年のうち100日だけ行が許され、1日30Kmを歩いて255ヶ所の霊場を巡拝ます。続く2年間は1年に200日、同じ修行を行ない、この5年間で通算700日となります。

 ここに至って、9日間の「断食、断水、不眠、不臥の行」に入ます。この行を修めないと次の行に進むことは許されません。通常、人間が断食・断水状態で生きられる生理的限界は3日間とされていることを考えれば、信じがたいほどの苦行といえるでしょう。

 この行の後、6年目は1年間に100日の行となります。1日に歩く距離は60Kmと倍増し、巡拝する場所も266カ所に増ます。

 7年目は、前半の100日間が1日84Km、300カ所の巡拝となります。1日にこれだけの距離を歩くとなると睡眠時間はわずか2時間。夜中の12時に起きて歩き始めるそうです。

 最後の100日間は当初の1日30Kmの行に戻ります。これで合計1000日間、歩く距離は地球1周に匹敵する4万Kmにも及びます。

 一連の行の中でそばが登場するのは、9日間の断食・断水という超人的な苦行に入る直前です。いよいよ厳しさの増す6年目からの行に備えて、「五穀断ち」の「前行」が100日間行なわれます。この間、修行者はそばと少量の野菜以外はいっさい口にしません。

 人間の細胞は3カ月で入れ替わるとされていますが、この期間に、その後の厳しい修行に耐え得るだけの肉体と精神力を養うのではないかと考えられています。

−−−引用終わり

 以上のようなことがでていた。宗教の修行なので、きびしい。高校などの3年間(=1000日)は、そんなことはない。でも、人間にとって、この3年間ほど一生でインパクトのある年月もないだろう。いろんな勉強や部活動、友人関係、遊びにバイトに、その他もろもろのこと。悩みも喜びも一番起伏のあることだろう。もうすぐ、新学期、ピカピカの1年生がやってくる。
■2006/03/31(金) 15:07 教員異動
 きょうの朝刊(朝日新聞神奈川版)に「教員異動特報」がついていた。毎年3月31日にこれが載る。昨日の「桜見」で相当に飲んでしまい、今朝はゆっくり新聞を読んでくる時間がなかった。その別刷りだけをぬきとって、職場にもってきた。いつも通りに出勤してから、それに目を通した。現任校からの転出も当然ある。また、転入されてくる方の名前も確認できる。公立学校では、この異動で相当数の人が新たな職場へとかわる。最近では、他業種との交流もおこなわれているため、この新聞の特報には載らない異動も相当数ある。昨年はわたしも異動したので、名前が新聞に載った。もう何度も載っているが…。べつに悪いことで載るわけではないから、それはいい。この異動は一般のひとにはそれほどの感慨はないだろうが、この業種についているものには、いろいろな思いがある。うれしい異動もかなしい異動もある。学校をかわるというのは、民間だと会社をかわるみたいなものであり、けっこうストレスにもなる。わたしなど転勤してきょうで丸1年になるが、まだ慣れていない。

 わたしの身近なところでは、山岳会でいつも飲んでいるS氏がとうとう校長になってしまった。まァ、年齢的に今年あたりは…とおもっていたが、まずはすなおにめでたい。昇進などにそれほどの興味はないのだが、飲み仲間に一人くらいは校長などがいてもいいだろう。役職など「世をしのぶ仮の姿」でしかない。定年がくれば、ただの人にもどるのだが、在職中はなにかの役につかざるを得ないことはよくある。だから、なれる人にはなってもらうのはいいことだ、とおもう。役職が目的ではない。その役職でどういう仕事をするか、が大切なのだ。役を離れたときにも一人の人間としていつまでも付き合っていけるのが理想である。これは、どの職種でもおなじであろう。

 新聞の特報には「学びやに薫る 新たな風」なんてある。現場でみているわたしなどからすると、なんともおめでたいタイトルだよなー。
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■2006/03/29(水) 17:40 桜も満開
 今朝もいつも通りに出勤。校舎の北側で陰になっている桜が不思議なことに開花している。南のグランド側にある桜は、まだつぼみの状態である。日当たりのよくない桜のほうが早く開花するのは昨年も同様で、いつもながら(・・?とおもっていた。同僚の生物の人に訊いたら、「きびしい環境の方が早く開花するのではないのかな?」などと、わかったようなわからんような話であった。まァ、桜は日本の国花でもあり、わたしもたいした理由はないが、一応きれいだなとはおもう。

 それよりも、わたしにとっては「桜見」を口実に飲み会をするのが楽しみである。そういういわけで、桜が呼んでいる。したがって、明日は「桜見会」を挙行する。山岳会恒例の会。メンバーもほとんど固定しているから、「例のところ」の案内だけで、他にはとくに連絡もなし。明日は、1日年休を取ったので、気合をいれて飲みに行く。4月からの新学期にそなえて、教材で使うプリント類も1年分をほぼ印刷し終えた。この「桜見」にあわせて仕事をしているから、今朝も早く来て、印刷室に閉じこもった。早めに準備をしておけば、万が一わたしが倒れても、あとを頼む人にも多少は負担が少なくなるだろう。もちろん、プリントの解答も準備は万端である。

 きょうもこんな時間になってしまっているが、あとしばらくは部活動がある。雇われ顧問なので、最後の点検だけだが、終了までは1時間以上もある。時間はたっぷりあるので、物理室の掃除でもしてから帰ろう。
■2006/03/22(水) 07:57 喜びと悲しみ
 一昨日、つい先日に卒業した生徒さんが物理室へ来てくれた。大学受験の結果報告であった。無事、国立大学へ合格したということで、ほんとうにうれしかった。授業中も一生懸命に勉強していた彼ならきっと合格してくれるとおもっていたが、入試だけは水もの。卒業式がおわっても、とくに何の知らせもなかったので、心配していた。不思議なもので、担任に聞けば情報は得られるのだが、本人が言ってこないものを訊きだすのも、どうも気がおもい。そのままになっていた。でも、これで何か一仕事おえたような気持ちになった。思い通りの進路が達成できなかった生徒もいることだろう。複雑である。

 一方、ある生徒さんからは、受験に失敗して、次年度に再度挑戦になった旨の連絡をうけた。2年生のときから懸命に勉強はしていたが、力を発揮できず残念であった。こちらは悲しい知らせであった。しかし、人生に無駄なことなどない。これを一つのきっかけにして、さらなる飛躍のバネにしてほしい。ヤワな受験秀才などになる必要はない。じっくりと腰をすえて、人生をおくってほしい。

 わたしの仕事(教員)は、生徒たちにどれほどのことをしてやれたかが、はっきりと見えない。いや、見えているのだろうが、人を見る目がないわたしにはよくわからない。もう人生の峠もこえて、棺おけに片足をつっこんでいるような歳になっても、生徒の合否で一喜一憂している。情けない。「喜び」「悲しみ」など幻想みたいなものであるといい切りたいが、どうもそこまではいかない。おそらく、「ベテラン」や「達人」にはなれないまま、この仕事を終えるのだろう。ま、それもわたしの実力であるから、仕方ない。
■2006/03/08(水) 16:23 師走
 暦の上では「師走」は12月である。が、日本のほとんどの学校ではこの3月がもっとも忙しい(=教師も走る)時期である。まァ、教員(どうも教師というのはわたしにはちと重荷であるので…)にとっては、師走=3月ではないかとおもう。この時期、年度末の成績評価を出したり、年度末の反省・次年度への課題、加えて人事異動に関係する諸事、次年度のクラス編成やら時間割の作成などなど、もう担当にあたる教員にとっては猫さんの手を借りても間に合わないほどだ。こんなときには、頭にくることに、県教委や文科省などから「来年度の予算、計画書を出せ!」みたいな通知もくる。予算は出しても、口数少ない役所なら助かるが、出すものは出さないで口だけはこれでもかというほど出してくる。よりによってもっとも忙しいこの時期に…。

 報告書の類は、ほとんど作文大会である。こんな作文をしても、一体だれが見るのだろうという疑念はいつもある。県や国からくる通達は、提出期限ぎりぎりにやってくる。ほとんどそうである。おそらく通達を出すほうもほとんど場当たり的にやっているだろう。計画的に先を見通してやっているなら、こんな時期にバタバタとくるわけもない。「思いつき」で仕事をしているのだろう。役人さんの困った点である。まァ、わたしたち現場の人間にも同じことはいえるので、そう偉そうにはいえないが。

 「忙しい」とは「心を亡くす」ことだ、とどこかで聞いた。仕事の遅いわたしにはつらい時期でもあるが、何とか健康に乗り切りたいとおもっている。まさに、今はわたしたちの師走である。
■2006/03/02(木) 07:51 卒業式
 後期選抜入試の合格発表が昨日あったために、本日2日に勤務校では卒業式がある。まだ、校内はシーンと静まりかえっているが、わたしはいつもどおりの出勤なので、今までのんびりと過ごしていた。今までいろいろな学校の物理室で過ごしてきたが、現任校の物理室もとても過ごしやすい。ほとんど一人で使っているみたいなものなので、本当に申し訳ない気持ちだ。そろそろ生徒もちらほら登校してきた。本校では、卒業式には全学年の生徒が出席する。昨日の予行でも、すばらしい合唱を聞かせてくれて、おもわず胸が熱くなった。式の開始まではまだ時間はたっぷりある。でも、式がはじまると、本当にあっという間に終わる。ほぼ1時間である。この日のために、それぞれの学年が合唱のパート別に集まり、合唱の練習などもしてきたと聞く。式のようすは、また、式が終わったところで書いておきたい。とりあえず、ここまで。

 いい卒業式だった。静寂の中にも生徒たちの想いが伝わってくるものであった。在校生全員で唄う「卒業生に贈る歌」、それに応えての「卒業生の歌」。父母の皆さんも感動しているようすがうかがわれた。卒業生代表のことばも形式的なものでなくて、式場全体がしっかり聞いているのがわかった。こういう生徒たちを教えていたのか、とこちらも身をひきしめられるような感じであった。バックで伴奏を担当していた吹奏楽部の生徒たち、放送部の生徒たち、みんなで式を盛りたてていた。1時間半(スライド上映もふくむ)にわたる卒業式は新たなる思い出をつくっただろう。

 まだ、この時間(2006/03/02(木) 15:17)になっても、卒業生たちは格技館で自分たちだけのコンサートなどをつづけている。なごりは尽きないだろう。教員はほぼ仕事を終えたという雰囲気でのんびりとしている。この年度末にのんびりできるのはきょうぐらいなものだ。わたしも、緊張感がとぎれたようで、本を読んでも文字が目の中にはいってこない。余韻はつづく。
■2006/02/23(木) 16:57 採点業務
 昨日の学力テストの採点を本日9:00〜16:00くらいまでやった。真剣に学力検査に取り組んでいた受検生に負けずに、こちらも真剣に採点した。わたしの担当の理科も昨年よりやや記述式のところもふえて、例年より少し採点時間もかかったような気がする。1つの作業がおわると、だれがやったかわかるように押印する。全部で13回押印した。つまり13行程あったことになる。相当に気疲れする作業なので、職員は午後にもなると疲労の色はかくせない。わたしもやはり疲れた。終わったあとは、しばらく何もする気にならなかった。チェック、チェックが何度もつづく。ボールペン、サインペンの色を変えて次々に変えて…。おそらく、採点ミスはないとおもうが、所詮人間のやること。これだけやってもミスがあることは、十分に予想できる。そもそも、こういうことが完全にできるとかんがえるひとは、文明的な幻想に捉われたひとでしかない。ミスがおこる可能性が0(ゼロ)でないかぎり、いつかはおこる。そういうことを見越して、余裕ある対処をしたいものである。
■2006/02/23(木) 07:42 後期選抜入試
 昨日は、神奈川県公立高校の後期選抜入試(学力検査)だった。1.29倍の志願であったので、それほどきびしい感じはないが、5教科の学力検査の最中は学校全体が静まりかえっており、廊下を歩くのにも気をつかった。平然といつものと同じ行動をしていたのは、厚木基地から飛び立っていた戦闘機くらいのものである。1時間目の英語ではリスニングのテストもあり、少し心配した。この場所では、それほどの騒音ではなかったが、近隣の高校では影響があったかもしれない。多少の遠慮はした方が、米海軍にとってもいいとおもうのだが、あの国の連中は聞く耳をもたない。なにせ、現代のローマ帝国気取りだから仕方がないか。

 試験監督には2回いった。今まで、入試選抜委員会にはいっていることがおおかったので、あまり試験会場に行くことはすくなかった。そのせいか、最初の監督のときは、こちらもかなり緊張していたとおもう。ただ、数年前から試験監督は2名態勢にになったため、多少ではあるが精神的な負担は軽減したと感じた。受検生の鉛筆の音だけが響く教室の中では、ただ教室で見守っているだけでもかなりの疲労感はある。あの独特の張りつめた雰囲気は、体験しないとなかなかわかってもらえないだろう。今ではほとんどの人が、一度は受検生として試験会場での経験はあるだろうが、試験監督というのは、それほど多くの人が経験することではないから。自分の高校受験のときを思いだしたり、いろんな思いが湧いてくる。なにせ、この時間はほかに何もしようがないからだ。最後の試験監督(5教科目)もしたが、終わったときはホッとした。受検生たちに「お疲れ様」と自然に声がでてしまった。この中の多くの受検生を4月からは教えることになる。もう彼らとはかなり歳幅があいてしまったが。
■2006/02/20(月) 07:55 またまた御通夜
 先日、山仲間から彼の奥さんのお母さん(彼からみると義母様)が亡くなられたと連絡を受けた。彼の家に二世帯で住んでおられた方である。東京にある彼の家には再三おじゃまして、奥さんにも相当にお世話になっているので、山仲間は当然のようにご挨拶に行くことになった。きょうの夕刻、彼の自宅ちかくの葬祭場で御通夜がある。しばらく闘病されていたから、本当にお気の毒なことだった。わたしにとっては、今月はじめの従兄弟の葬儀についで、お二人目の見送り人となった。生を受けたものの最後の勤めとはおもいながらも、やはり悲しい。直接、親しくお付き合いをしたというわけではないが、山仲間の彼との会話の中から、そのご様子はそれなりに察していた。きょうは、心をしずかに見送って来たいとおもう。

 わたしの両親はすでにない。両親関係では、亡父の妹さん(叔母)お一人だけ健在で、亡母関係はすべて他界している。もう、歯の抜けた櫛のように、上はいない。今度は、兄弟姉妹関係と自分の番である。まァ、自分のことはどうなるのかはわからないが、できうるかぎりは見苦しくうろたえたくはない。が、こればかりはどうなるのか全くわからない。だからこそ、明日も生きていられると楽観しているのかもしれない。いつかはくるそのときを自分はどう迎えるのか、興味はある。
■2006/02/15(水) 07:55 時は矢のように
 気がつくと、もう新年を迎えてからちょうど1ヵ月半になってしまった。毎日バタバタと過ごしていたら、もうこれだ。すでに6:00頃には薄明るくなる時期に変わってしまっている。ついこの間までは、その時間にはまだ真っ暗だった。確実に春はもう来ている。今年は少ないといわれているが、花粉もすこしずつ飛びはじめている。

 今朝の新聞では、後期選抜(神奈川県公立高校)の志願状況も載っていた。来週にその入試がおこなわれる。それが終わると、ほどなく卒業式が待っている。そして、学年末のバタバタが終わると、4月である。学校にとっては、新入生がはいって、また新しい年度がはじまる。

 学校現場は3年周期で動いている(最近の流行である中高一貫では2スパンの6年間)。生徒にとっては3年というと長いような短いようなはっきりしない印象であろうが、教員にとっては3年は本当に短い。3年といっても、実質は1000日に過ぎない。そのうち、3分の1の300日ほどは寝ているから、正味700日である。これを、長いというのか短いというのかは、わたしもよくわからない。ただ、実感としては、とにかく1日はほとんどあっという間に過ぎていく。もう、この加速は止まりそうにない。宇宙も加速度的な膨張をしているというし、ちっぽけな人間も歳をとると同じ現象か。
■2006/02/12(日) 11:46 こころの風邪
 今朝はめずらしく6:00過ぎまで寝ていた。昨夜、枕元で本をしばらく読んでいて、寝過ごしたのもある。それと、木曜日・金曜日と連荘で飲み会に出かけた疲れが出たのかもしれない。いつも早朝に顔をあわせている我が家の猫(チビ)が、枕元まで飛んできて、わたしの頭に「起きろ!起きろ!」というように激突してきた。うるさいので、たまらず、起きた。猫も習慣どおりに行動しないと気分が悪いのかな?わたしの睡眠時間はほぼ6時間で、早く寝れば早く起きるし、遅く寝れば遅くなる。今朝は日曜日だし、多少は気分的に余裕があったから、寝過ごしてみた。それでも、睡眠時間はちょうど6時間だった。

 酒もだいぶ弱くなった。40歳代までは毎晩かなり飲んでも翌朝にそれほど影響しなかったが、50歳代になったら、翌々日まで影響が残るようになった。身体は正直である。タバコはもう長く吸っていないし、いまさら吸うつもりもない。吸っているひとを見ても、とくに感慨はない。各自の好みである。酒はやめようとおもったことがないから、飲みつづけている。ただ、「酒は健康のバロメーター」であることは、先日の風邪のとき「酒がまずい」と感じたとおりで、まさに真実だ。本当に飲みたいという気持ちがうせてしまう。もちろん、食欲もなくなる。年齢をかさねて、ようやく自分の身体の声に耳をかたむけるようになったみたいだ。

 今、友人が体調をくずして、療休をとっている。体調は本人いわく「最悪!」とのこと。精神的にも「うつ状態」真っ盛りのようで、電話をするとじつに暗い。心身どちらかがおかしくなると、全体がおかしくなる。「心」と「身体」はワンセットなのだ。友には早く回復してもらいたいが、こればかりは本人にもわたしにもどうすることもできない。まさしく時間(とき)が解決してくれるのを待つしかない。彼とまた、おいしいお酒を飲めるのを静かにまっている。
■2006/02/01(水) 11:43 従兄弟逝く
 昨夜、故郷会津に住む姉から電話があり、母の実家(本家)の戸主で従兄弟でもある方が闘病むなしく亡くなった旨、連絡があった。昨年のちょうど同じ時期には父の実家の伯母が亡くなり、大雪の会津に行き見送った。今年はそういうことはないだろうとおもっていたら、何と1月の最後の日にまたしても尊い親戚の方を見送ることになってしまった。人の生死だけはどうにもならないものであることなど、もう嫌になるくらい身にしみているが、2年つづきはやはりつらい。彼には昨年3月に亡父の三回忌にも来てもらい、お互いの健康を喜んだ。それが最後の出会いとなってしまった。まことに、人の世はわからない。一寸先は闇とはこのことだろう。もう、会話を交わしながら飲む機会もなくなった。さびしいことである。

 父方・母方のおじ・おば(漢字で書くとあれこれむずかしいので、これで)たちもほぼすべて他界してしまった。唯一、父の実妹(叔母か)だけが健在である。でも、わたしの無作法で、最近はご無沙汰してしまっている。それぞれの方が寿命を全うして、順番に亡くなっていかれるのはしかたのないことだとおもう。そして、その順番が自分の番になってくることも年々自覚するようになってきている。

 子どもの頃から思春期にかけては、「死」というものが本当に怖かった。いまでも、怖いといっていいかもしれぬ。しかし、こうも周りが次々に没していくと、自然「これって、こわいことはこわいけど、順番だよな」という感じがしないでもない。ときどきというか、よくあることだが、ときに順番も狂う。でも、基本的にはほぼ年齢の高い人からこの世を去る。新しいひとのための空間をつくるように。寒い冬は病気をしているひとにとっては、とてもきびしい。先日、風邪で倒れたときにも実感した。雪の会津は今年も寒いだろうなー。
■2006/01/28(土) 10:52 前期選抜
 神奈川県の公立高校の前期選抜(面接試験)が昨日終わった。きのうと一昨日の2日間、そのための面接試験があった。最近ではいろいろな県でもおこなわれているらしい。わたしの勤務する神奈川県の公立高校でも数年前からはじまった。「調査書+自己PR書+面接」による選抜である。県全体の平均倍率が2.42倍と新聞にでていた。合格者数の約1.4倍の受検生が不合格になる。試験であるから、合否があるのは当たり前である。が、一人10分ほどの面接をして、何の意味があるのかは、現場でその仕事にあたっているものとしては、いつものことながら頭をかしげる。中学校ごとの絶対評価で底上げされた教科成績と種々の活動記録はすでに調査書からデータとして入力してある。そこに、面接点を加えて、合否を判定する。ちなみに、面接点は「ABC」の3段階と決まっているが、…(事情によりこの部分省略)…にする。どの高校でもおこなっている常套手段である。これは、全部県の指導である。人権問題・個人情報に関することは質問していけない旨も通知されている。必然的に、質問できることがらは決まってしまう。あたりさわりのないことを10分間質問して、上記の点をつける。当然、大きな差はでない。よって、調査書に記入されている教科評点と活動記録点の合計したもので、ほとんどの合否は決まってしまっている(面接で多少は上下することもあるが、稀である)。

 受検生と高校側双方の緊張した雰囲気の中で面接はおこなわれる。学校の中はシーンとしずまりかえり、靴音と咳くらいしか聞こえない。これだけの時間と手間をかけても、合否はすでにほぼ決まっているとなるとじつにむなしい。それより何より、いかにも生徒父母の選択の幅を広げているような印象をあたえながら、その実、合格者の1.4倍の受検生には「不合格」の経験をさせるわけである。だれが、こんな方法をかんがえたのかはしらないが、高校の現場から提案されたものではないことははっきりしている。2月にはまた後期選抜がおこなわれる。これだけの手間をかけているのに、公立高校は地盤低下を止められずに、「公立高校はたるんでいる」の叱責をうける。首都圏の私立中高一貫校人気だけが喧伝される。公立高校でがんばっている生徒諸君もいうまでもないが多い。公立高校出のわたしとしては、そういう生徒たちを応援してゆきたい。公立高校にも問題があることは自覚しているが、時間をかけて変えていくしかない。

 今朝は、部活動の当番で出勤してきた。土日も休むことなく部活に打ち込むのはいいのだけれど、顧問としてはちと苦しい。風邪で体調は最悪だが、当番の時間がおわるまではまだ少しある。帰ったら、ゆっくり寝たいな。
■2006/01/22(日) 15:42 センター試験
 昨日ときょうはセンター試験がおこなわれている。昨年の関東地方は「雪か」と騒がれたが、結局雨であった。今年は、予報どおり、いやそれ以上の雪になってしまった。しかし、雪による大きな混乱はおこらなかったようだ。それよりも、今年度から加えられた「英語リスニング」試験での機器の故障が400件以上あったようで、再試験を受けた受験生がかなりいたらしい。英語の専門家でもなし、わたしにリスニングテストの是非はよく判断できない。ただ、旧式の英語教育を受けてきたものとして、それほど英語のリスニングが大切なのかどうかは疑問におもっている。ラジオでFENを聞きかじり、英語の音に慣れてきたが、受験生のほとんどがリスニングテストを受けるなんてことは、どうかんがえてみても、何かの陰謀としかおもえない。そんな、実用英語を学びたければ駅前留学でも何でもして個人的にやればいいことのようにおもえる。英語なんて、そこまでしてやるほどの言語か、疑問はつきない。

 一転して、きょうは理数教科のテストだそうで、数学と理科がおこなわれている。昨年までは1日目におこなわれていた。今年は英語にリスニングがはいったため、大きな変更があり、理数教科は全部2日目に移動になったと新聞で知った。わたしの教えている生徒さんたちも今頃は会場でテストを受けていることだろう。十分にではないかもしれないが、12月からはセンター試験、個別大学試験に備えて、過去問題の演習などを相当にやってきた。1問くらいは同じような問題に出会うかもしれない。わたしは試験の当事者ではないが、やはり、多少は気になる。明日の新聞発表を待って問題をチェックしておきたい。みんな精一杯やってきてほしい。
■2006/01/19(木) 07:55 今年も入試が…
 昨日から前期選抜(入試)の願書受付がはじまった。昨夜、部活動指導を終えて、19:30ごろに帰宅するとき、職員玄関に貼ってある受付状況をみた。募集定員118名に対して256名の応募者がきていた(昨年、前任校では93名だった)。まだ、1日目であり、きょう、あすと3日間あるので、最終的にどれくらいになるのかはわからない。地域的な条件や交通事情などまったくちがうので、単純な比較はできない。けれど、学区が廃止されて2年目。交通事情のいい学校へ受検生が集まるのは必至である。もう、部活動や進学状況などでは集まってくれない。毎日通学するのだから、だれにとっても通学が楽なのはいいことだろう。

 前期・後期の2回の入試になって現場の負担は大幅に増えた。これを以前のように1回の入試にもどすことは、とうていできそうにない。しかし、これほど入念に生徒を選別してみても、生徒の質がとくによくなったようにはおもえない。むしろ、多くの教員の印象では学力は確実におちているという話だし、わたしもそう実感する。どこを基準に取るかでちがうが、20年前(ゆとり教育などが実施され前)よりは確実におちている。授業と並行しながらの入選業務で、現場ではたいへんな緊張を強いられる。お役人たちは、いかにもていねいな選抜をしているようなポーズはとれるかもしれないが、実際にやっているのは教育の現場である。そこが、猛烈に忙しい。そういう状態でも、「ミスのないように…」と執拗に通知がくる。いつの時代にもお上のいいぐさは同じである。

 明日で、願書提出はおわる。全職員を割りふって、願書・調査書などのデータ入力がつづいている。どの職員も授業の空き時間は、入力されたデータなどの読み合わせにかりだされている。もちろん、わたしも同様である。
■2006/01/15(日) 15:22 保温ポット
 自宅の保温ポットがこわれた。今朝、沸かしたお湯を入れてからコーヒーを飲もうとしたら、お湯の出るときに空気のもれるような音がして変だなと感じた。前年末に職場の物理室で使っている電気ポットもこわれたときに、やはり同じようにお湯をくみ出すときに変な音を立ててからこわれた。そのとき、絶えずお湯の中に浸されているプラスティック製みたいなパイプが固化してボロボロになっていた。自宅のポットも買ってからすでに5年ほど経つ。同じこわれ方かもしれないとおもい、ふたを開けて、中のパイプを取り出してみたら、案の定ボロボロになって朽ち果てていた。どうも4、5年経つと寿命がくるみたいだ。90℃くらいのお湯に常時ひたっているのだから、痛みもはげしいからだろう。今度は自宅でも電気保温ポットにしようかともおもったが、やめた。1日中保温しておいても、実際に家で使う時間は限られている。どうせ、本当に熱い湯が必要なときは、ヤカンに水を入れて、ガスコンロで沸かしたほうが省エネでもある。ちょっとカップ1杯くらいならすぐに沸く。

 職場でこわれた電気保温ポットも買え換えようかとおもったが、今書いたのと同じ理由でそのまま買わずにいる。毎朝、1回お湯を沸かして、2リットルほど保温ポットに入れておけば、仕事がおわるくらいまでは十分に間に合う。それほど、ガブガブ飲むわけでもなし、必要な分だけあればいい。それに電気保温ポットの内部には「水カス」がつきやすく、ときどき掃除はしていたが、どうにも安心して飲む気にはならない。一番シンプルで値段も安い単なる「保温ポット」でさえ、数年でダメになる。値段の高い電気保温ポットなど買っても、同じようにこわれることは確実である。本当はあんな吸い上げ式のポットでなく、以前のようにポットを手で傾けて注ぐタイプが一番いいのだが、お店を見てきたかぎりでは見かけなかった。道具はすべからく「単純で、こわれない」タイプのものが一番経済的でもある。決して便利ではないかもしれないが、お湯くらいは必要なときに、ヤカンで沸かすのがいいのかもしれない。
■2006/01/10(火) 15:23 ダッフルコート
 物理準備室で流しっぱなしにしているラジオで、「ダッフルコート」のことが話題になっていた。日本放送1242でテリー伊藤さんたちがやっている番組である。なんでも、年始におこった仙台での「新生児誘拐」の犯人がダッフルコートを着ていたことが許せない、と。というのも「青春のシンボルであるダッフルコートを着て、あのような犯罪をするとは…」と嘆いている人がけっこういるらしいからだ。そうか、あのダッフルコートは青春のシンボルだったんだ…。わたしの世代でもたしかに来ていた人がいたが、なにかお坊ちゃまの着るもののようで、わたしのような田舎者には似合わないし、値段も高かったようだったので、とても手の出るコートではなかった。ただ、友人できているのをみて、「格好いいな」と感じたことはたしかにあった。

 いい生地のものなら、あのダッフルコートのような作りなら、相当に年数ももつだろうとはおもう。わたしには縁がなかったが、けっして嫌いなコートではないから、いい歳をしたオッツァンであるが、一度くらいは着てもいいかな、などと放送を聞いておもった。もともとがノールウェーあたりの船乗りが毛布をはおり、浮きと魚網の糸をつかって留めたものという。それをイギリスの海軍などで採用したものらしい。ふだん着るものなどほとんど興味がない。着てればいい、という感じだ。衣服の着こなしなど縁がないものとおもっていたが、この放送を聴いて、ちょっとそういうのも着てもいいかな、などとふとおもった。まァ、買うかどうかはカミさんの見立て次第であるが…。
■2006/01/05(木) 10:41 冬休み補習終了
 ついさきほど、冬休みに予定していた物理Tの補習がおわった。昨年末の27日・28日、そして新年にはいっての4日・5日に予定していたものだ。対象は2年生の物理T選択者の中で、前期期末テスト結果の不振者である。とくに、運動方程式の立て方がよく理解できていないようなので、そこだけをていねいに指導することにした。現在の勤務校の生徒たちは、能力は高いものをもっているだが、自分で何でも取り組めるほどにはいっていない。あと一つ自信がないのか、思い切りができない生徒が目立つようである。ちょっと背中を押してやれば、そこからは自分できちんとできるように見受けられる。あまり、教えすぎてもいけないが、ほんのすこしのアドバイスがとても効果的だとおもえる。そこで、この分野のプリントを5枚ほど用意して、4日間のうち2日は必ず出席するようにもとめた。それぞれに都合も一応は考慮したからだ。

 4日間実施して、まったく来なかった生徒は1名だけ。まァ、こんなものだろう。来なかった1名は、ふだんから授業にも欠席がちの生徒なので、あとで個別に指導しようとおもっている。わたしもそうであったが、学習を進める上で「幹」になる箇所で、不消化をおこしてしまうと、そのあともその悪影響がどんどん積み残される。20年ぶりという寒波の中ではあったが、90分の補習に参加してくれたことはうれしい。この補習が本当に効果があったのかは、冬休み明けにおこなわれる県下一斉学力テストとそのあとにやる予定の単元豆テストで確認できる。生徒たちの学力が落ちていることは実感でわかるが、それは何も生徒たちの不勉強なせいではない。「ゆとりの教育」などと寝ぼけたことをいって、政策的に(意図的に?)教科内容を希薄にしてきたカリキュラムの責任が大きく原因している。わたし自身もそれほど立派な勉強をしてきたわけでもない。生徒を責めたりするヒマがあったら、いっしょに勉強する時間を作って、共に学んだほうがいいのだろう。「ああだ、こうだ」と論争をしているのは、あまり意味はない。生徒にとっては休み中に…とおもうだろうが、学校の門はいつでも開いている。いわゆる「役立つ」勉強ではないが、そういうものをがむしゃらに学べる時期はかぎられている。そういう勉強は長い目で見れば、それなりに役には立つ。そうおもいつつ、教壇に立っている。
■2006/01/03(火) 10:13 大江戸ツアー2006
 昨日、恒例になった「大江戸ツアー」にでかけてきた。今年の参加者は4名。のんびりと歩くにはちょうどいい人数だ。今年のテーマは「目白台の大名屋敷跡とたずねて」である。曇り空の寒い中、9:30に横浜駅集合。東海道線で新橋まで。そこからお隣の有楽町駅までいく。雨も降り出してきた。ここで、ツアーに入る前に、駅近くにある東京国際フォーラムの中にある相田みつを美術館第2ホールで行われている「アインシュタイン日本見聞録」特別展を観る。新聞で開催を知っていたので、この日に観ようと決めていた江戸川橋から見下ろした神田川。約1時間ほどの見学をおえて、有楽町線で江戸川橋駅まで移動。そこからでて、「大江戸ツアー2006」がはじまった。あいにくの空模様で、もうポツポツと雨もおちはじめていた。ここで記念撮影。そこから、神田川(むかしは江戸川)にそって、新江戸川公園までいき、関口芭蕉庵をたずね、すぐそばの椿山荘の庭園を見学。その後、閑散とした護国寺通り(?)を歩いて、護国寺をめざす。途中、昼食時なので、ファミレスに入って、食事。また、歩きだす。護国寺は雨と寒さにたたられていたせいか、ほとんど参拝客もおらず、精彩を欠いていた。次に、その隣にある雑司が谷霊園をたずね、大好きな夏目漱石などの墓に手を合わせようとおもったが、霊園管理所がどこにあるのかがわからず、まったく情報なし。広大な霊園とものすごい墓石に圧倒されて、どこがどこやらわからず、一応来たことにして、早々に退散。そこから、雑司が谷鬼子母神まで道がわからず迷いながらも、なんとか到着。ここも、参拝客は少なく、どうにも新年を迎えた気にならない。雨のせいもあって、当初のゴールである大塚駅には行かずに、近間の目白駅まで歩いて行き、そこでツアーはおわった。ちょうど午後3:00くらいになっていた。

 まだ、新年会には時間が早すぎる。そこで、「明治神宮にでも寄って、ひとつ気持ちをすっきりさせてから、横浜にもどろうではないか」となり、原宿までいき、明治神宮に参拝してきた。ここは、さすがに参拝客も多く、お正月の雰囲気があじわえた。それでも、例年よりはずっと人が少ないようで、スムーズに参拝して、近くのふれあい広場とかいうところで、軽くお神酒を少々。また、駅にもどり、横浜にむかった。昨年までは正月2日に店を開いている居酒屋さんは本当に少なく、探すのに苦労したが、今年はどういうわけか、かなりの店がやっていた。そこで、ときどき行く安い居酒屋に行ってみたら、なんとやっていた。そこで、新年会と反省会を2時間ほどやり、身体があたたまったところで、お開きにした。天気は回復していたが、みんな本調子ではないようなので、あまり無理をせずに、「大江戸ツアー2006」を静かに終えた。これで、今年の初遊びである。今年も元気に飲み、遊びたい。もちろん、仕事も。
■2006/01/01(日) 15:35 新年を迎えて
 大晦日の昨夜は、つい遅くまで起きてしまった。除夜の鐘も鳴り出し、気がつくと0時を過ぎて、元旦になってしまっていた。仕方なく、カミさんと娘に向かい、正座して新年の挨拶をしてから床についた。すぐに寝てしまった。

 いつもより若干ではあるが、遅く起きた。もう2006年になってしまった。50歳も過ぎてしまうと、正直いって元旦など何もうれしいことなどない。別段ふつうと変わらないし、気持ちも何も変わらないのが、わたしの場合だ。中には、こういう節目のときをきちんと大切にして、気持ちを入れ換える人もいるのだろうが、わたしにはそんなことはできないし、する気もない。いつもと同じく淡々と生活をするのを常としている。正月になろうがなるまいが、向かうところは、寿命というゴールをめざしてのばく進だけである。仕事も遊びも酒も山もそこへ至るまでの風景のひとコマのような気がしている。急いでいくゴールでもないし、のんびり行こうとおもっている。

 元旦の日は、晴れている(ここ関東では)ことが多いので日の出をみることがおおい。今年は残念ながら曇り空で望めなかった。一人で散歩しながら見るのだが、今朝は寒いし、無理はしなかった。代わりに、このところハマッているレンタルビデオの「紺碧の艦隊(全32巻)」荒巻義雄原作を観ていた。今朝は第14巻から第18巻までの5本を一気に観た。偶然に借りて観始めたのだが、じつに面白い。ふつう漫画本(これは小学生頃までは必死で読んだ(見た?))やアニメなどを観ることはない。が、どうしたわけか、このアニメは背表紙をみて、ちょっと観てみようかな、と感じた。すなおにその声にしたがって、借りてきた。当たりだった。これだけで、仕事がはじまる4日までは、楽しめる。毎日、5巻ずつ借りてきて一気に観ている。

 今年も元気で仕事や遊びや酒や山ができればいい。そんな、壮大な目標もないし、もうひと様に鼓舞されて何かに燃えるという気はない。自分のしたいように過ごしたい。まだまだ宮使いはつづくが、まあ適当に付き合っていきたい。わたしのささやかな夢は、のんびりとラジコン飛行機を飛ばすことくらいである。

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