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雑感2007


■今年もまたまた元日に仕事

 今年はきょう元日には何もしないで飲んだくれていよう、とおもっていたが、ダメだった。生来の生真面目さが災いして、居合の稽古にはじまり、散歩、気象観測としっかりやってしまった。こういうのは、容易になおらない習性である。まさに、慣性の法則が性格にも影響しているようだ。まあ、そんなことはどうでもいいが、今年もまたまた雑感を書き続けることにした。
 ほとんど、わたしのストレス発散のようなものであるが、人様の迷惑にだけはならないように書いておきたい。私自身の備忘録というところである。具体的な名前がでてくるのは数人であるが、その人たちには何の承諾も得ていない。しかし、許してくれるものと勝手におもっている。この2007年がどういう年になるのか、それは私にもわからない。でも、どんなに厳しい年であっても、自分自身は楽しみながらやっていきたいとおもっている。

 2007/01/01 (月) 17:20


◆2007/12/31(月) 09:45 10年間ありがとうございました
 とうとう、2007年も最後の日を迎えた。そして、10年間つづけてきた、このホームページもきょうをもって、ひとまず閉鎖することになった。昨日までの2日間は、自宅の大掃除などでバタバタしていて、この最後の挨拶をかくのをわすれていたが、けさはゆっくりとできそうなので、パソコンに向かってみた。そういえば、このところ、職場にいる時間が長すぎて、この「雑感」の駄文もそのほとんどを職場の勤務時間外で書いていた。短い時間で、思いつくまま書いていたので、ことば足らずの箇所、明らかな勘違いなど多々あることは、自覚していた。自宅に持ち帰り、アップする前に読み返してはいたが、それでもチェックもれはどうしようもない。「雑感」などはまさにわたし自身の備忘録のようなものなので、一体だれが読んでいるのかも想像がつかない。こんなものをこれからもつづけていくことは自分自身がはずかしいし、それにだんだん嫌気もさしていた。マンネリ化もはなはだしい。そこで、開設10年というちょうどいい時期に、一度ホームページを閉じて、今までの10年間をふりかえる時間を取りたい、と今年のはじめくらいからかんがえるようになった。そして、きょう、その最後の日を迎える。

 10年間いろいろな人からのコメントもいただきながら、自分なりには努力はしてきたつもりではいるが、それよりも作りながら楽しめたことも事実だ。現在のところ、大きな病気もなく、元気で過ごせているが、もういつ成人病やがんなどがでてきてもおかしくない年齢だ。ここで一度立ち止まり、今までのコンテンツをじっくり再検討しておきたいとおもっている。再開の予定は今のところまったく未知数。そのときがくればいいな、とは願っている。

 10年間本当にありがとうございましたm(__)m。これにて、終了とさせていただきます。ご愛顧のほど感謝しております。皆さんもお元気で…。(^^)/~~~
◆2007/12/20(木) 07:38 もうすぐ冬休み
 明日の全校集会(2期制なので学期末でない、ややこしい…)、大掃除を終えると、生徒たちはしばし冬休みにはいる。教員には、冬休みは実質上ない。自分で休みたければ、有給休暇(年休)をとって休むことになる。例年なら、3年生のセンター試験などの対策講習会などをしていたが、今年はやめた。3年生の意欲が伝わってこないからだ。おそらく、講習会をひらいてもほとんど参加者はいない雰囲気なのだ。塾や予備校などに行く生徒がおおいからだとおもう。

 わたしの担当する「物理」に関しては、教科書の内容については、すでに10月にはほぼ全範囲の学習を終え、すでに2ヶ月ほどセンター試験・2次試験の対策学習を毎時間やっている。十分とはいえないが、20大学ほどの問題を時間をきちんと測り、本番さながらにやっている。この段階で、あきらめてしまっている生徒もいる。おしいことだが、本人の意欲の問題であり、無理におしつける気持ちはない。ただ、理工系の大学への進学をかんがえている生徒にとっては、なんとしても乗り越えていってほしいひとつの壁かもしれない。

 受験前のこの冬休みは3年生のとっては、大変な時期になるだろう。しかし、この試練を乗り越えることは、将来きっと無駄ではなかったとわかることがくるとおもう。お手伝いのできることは、できる範囲でしたい。ただ、受験するのは生徒自身であるし、こちらの手助けにも当然かぎりがある。3月にそれぞれの進路にむかって、無事巣立っていってくれることを願うだけである。
◆2007/12/10(月) 08:09 いよいよ今月末で…
 今年もあっという間に師走を迎え、文字通りせわしない生活をしている。だいぶ前に、この私のホームページも開設して丸10年たったので、今年度末をもって閉じたい、と書いた。その時期も近づき、予定通りに閉じる予定でいる。ftpサーバーに載せているファイルを一気に削除してしまえば、それで終わりになる。ただし、それは、ある時期を待ってからにしようとおもっている。とりあえずは、更新を止めるメッセージを載せて、静々と消えていくつもりだ。元気なうちに一仕事を終えることができることをうれしくおもっている。

 10年間もつづけるとは、当初はかんがえもしなかった。第一、その当時はインターネットに接続している人もぼちぼち増えているという程度で、ホームページを開設している人もじつにすくなかった。ほとんど、同好の士みたいな感じで、開設する人はかぎられていた。私も、友人の佐々木くんのホームページに相乗りさせてもらって、駄文をのせてもらっていた。彼の助言で、現在のSo-netとNiftyのサーバーを借りて、10年前の今頃に年始から開設する決意で、作業をすすめていた。あれから10年。アクセス数は一向に伸びないが、別段気にすることもなく、気ままにつくりつづけてきた。

 今でも、とくにつくることに抵抗はないが、「10年一区切り」なので、ひとまずはここで閉鎖して、すっきりしたい気持ちになった。もう、内容が現実とおおきく乖離してしまったものも多々ある。10年一昔前は、「メールください」とメールアドレスを載せても、何も問題はなかった(アホではネットに接続できなかった)。現在では、ほとんど悪用されており、毎日の迷惑メールの数は100通を下回ることはない。そんなこんなで、ホームページを何とかしないといけないな、とはおもっていた。しかし、ゆっくりその作業に取り組む時間などとれそうにない。ちょうど、開設10年を区切りにこのホームページを閉鎖するのが一番だとかんがえた次第。まァ、元気でいないとこういうこともできないし、ちょうどいい。悔いはないし、またやりたければ再開設ということもあるだろう。ここ10年の中で、自分が本当に関心をもっているものもおおよそわかってきた。いい経験ができた。多くの人に自分の意見や感想を読んでもらうことの楽しさ、怖さ、そして何より、良し悪しはべつとしてネットのすごさを実感することができた。自宅のパソコンでゆっくり作業に没頭できる時間もとれない今、これがちょうど潮時だとおもう。あと、半月ほどでこのホームページの更新を止め、そして…。
◆2007/11/26(月) 07:37 居合・抜刀道昇段試験・講習会
 昨日の日曜日は、朝7:30に道場へ集合して、昇段試験・講習会のおこなわれる横浜青葉道場へ4名で出かけた。先生と兄弟子のRさん、そして、私と新人のIさんの4名だ。今回、昇段試験を受けるのはRさんとIさんで、私は講習を規定の回数受講していないため、今しばらくは受験できない。段位には正直なところ、それほどの執着はないのだが、やはり下から追い上げられると、「仕方ないな」となるところは私の俗物さ故であろう。兄弟子のRさんの実力は、毎回の練習と大会で十分に知っているので、二段は当然であろうとおもっていた。新人のIさんもすごい集中力で練習に励んでいるので、これまた一級どころか初段でも十分いける。ただ、物事には順序があるから、まずは規定どおりに昇段していくしかない。2人とも昇段試験では落ち着いてしっかりした形・試斬をして、文句なく合格した。先生も十分に満足されていたようだ。私は、試験はないので、お気楽極楽。昇段試験のあとにおこなわれる講習会で、得るものがあれば、と講習会の時間を待った。午前中の講習では、形の練習。これは、今までよりていねいに教えていただき、今まで疑問におもっていたこともきちんと教えてもらえた。午後の試斬の練習では、逆袈裟切り(左右下からそれぞれ右左への斜め斬り上げ)と水平斬りの極意らしきものを教えてもらい、これは得心した。ほぼ1日フルにつかった昇段試験・講習会であったが、来年に受験するであろう二段にむけての課題がはっきりと見えてきた。何でもやりはじめると奥はふかい。
◆2007/11/19(月) 07:50 同窓会
 先週の土曜日の夜、教員になってはじめて卒業まで一緒した生徒さんたちとの同窓会があり、参加させてもらった。1週間ほど前に、修学旅行の反省会(ま、飲み会)をしていたときに電話があり、そこでやることを聞いた。そのときは、突然のことで参加するかどうか保留にしておいた。予定がわからなかったからだ。が、その後、何とか時間のやりくりがついたので、参加させてもらうことにした。2年前にも学年全体の同窓会があり、そのときも出たが、今回は急遽有志だけで集まることになったみたいだ。この学年は今年42歳になる生徒さんたちだ。男性なら「本厄」の歳になる。ちょうど精神的にも肉体的にも青年期から壮年期に変わる節目の年台である。わたし自身もこの歳のときに、自宅の集落で幼いときから一緒に遊んだ仲間5人で、「お伊勢参り」に行ってきた。これは、会津ではまだ残っている風習である。よき思い出になった。その同じ年齢に卒業生たちがなったことをおもうと、なんともふしぎな気持ちがする。

 この学年で、ご一緒した同僚の方の中にはすでに亡くなった人もいる。大変なお世話になったA先生もご存命なら、かならずやこの同窓会にも来られたことだろう。先生の代わりに大いに飲んできた。自宅にもどったときは、すでに日付が変わっていた。次回はいつ集まるのかな?元気でいれば、また参加したい。
◆2007/11/19(月) 07:30 刀
 わたしの親父は、自転車屋をやっており、実家には今でもそのときに使っていたいろいろな道具類が多数残されている。その1つ1つに親父の手垢が残っているようで、懐かしい。仕事をしている姿を毎日見て育ったので、職人が使う道具には、言いようのない親しみを感じる。

 今、わたしは趣味として、「抜刀・居合道」をやっている。そこでは、刀という道具を使う。居合の練習で使う模擬刀と試斬のときに使う真剣(本身という)を自宅にもっている。模擬刀は3本あるが、実際の練習でつかっているのは、一番バランスがよくて気にいっている二尺四寸の「本拵」というものである。試斬のときに使う真剣は、二尺三寸五分の「剣白靖俊」という刀を使う。ものすごい斬れ味の刀で、手にすると気持ちがさっと引き締まる。模擬刀と真剣では、もちろん重さもちがうが、見た目の刃すじからしてちがう。すばらしい研ぎのはいった刀は、紙でもすっと斬れる。まさにカミソリのようである。刀も道具(まさに武器である)であり、親父が無言で教えてくれたように、大切に手入れをしながら使う。それが、その道具をつくった人に対する礼儀であり、単なる道具などとおもったことはない。刀は観賞用としても美しいとおもうが、わたしのように実際にそれで試斬をするものにとっては、やはり「斬れる」という、刀本来の目的を備えている必要がある。道具として使えるということである。

 真剣を使うときには気が張りつめる。油断すると自分の手を斬ったり、納刀のときにケガをしたりする。何度やっていても気がぬけない。そのとき、雑念はとてもおこらない。おそらく、それがストレスを忘れるにもいいのかもしれない。刀の機能美にはいうにいわれぬ魅力を感じる。その機能美は、道具を使う人の手入れのよさ、愛着をもって使うという行為からも生まれる。
◆2007/11/12(月) 07:44 科学倶楽部
 毎月第2土曜日に、地域の公民館で一般のかたがたと大人の「科学倶楽部」をやっている。わたしが言いだしっぺのようなのだが、何となくできた気もする。ことのおこりは、ことしの3月に同僚で同じ物理を担当していたK先生が退職され、せっかくのお付き合いがこれで途切れるのもおしい。酒友としてなら、ときどき会うことはあるが、科学の話題も出しづらい。そこで、地域の人も巻き込んで、科学の話題をつまみに雑談でもしてみよう、そのときにK先生にも来てもらおうともくろんだ。退職前にこの話をして、先生も快諾してくれたので、退職を待ってはじめた。K先生の人脈をつてに声をかけていただき、いつも10名くらいの人が来てくれている。我が家が事務局のようで、ときどき「行ってもいいですか」などの問い合わせもある。もともと、無料だし、市の広報誌にものせてもらっているから、いいもわるいもない。来たい人は遠慮なく来ていただければいい。話題の提供は、おもにこちらでしているが、来ている方で、ご専門のことを話したい人には、それを話題にだしていただいている。毎回熱心に来られる人もあり、こちらも準備する楽しみはある。科学の話題などはあまり好まれないのでは、と当初はおもったが、そんなことはなかった。こういう話題が好きな人も数多くおられることを知り、こちらもいい刺激を毎回受けている。

 この倶楽部は、まったく私的なものなので(一応公民館は借りているが)、学校で教えているような雰囲気はまったくない。専門的な物理のことなどで、質問を受けることはあるが、答えられないことは「わかりません」というしかない。まァ、少し時間をいただいて調べればわかるだろうが、何が飛び出すかは予想もできない。実験もできるものは学校から借り出したり、自作したりしてもっていく。自分の楽しみのためにやっているのだし、そういう準備はあまり苦にはならない。いつまでつづけるのかも、まったくかんがえていない。元気でやれるうちは、つづけて行きたいとおもっているが、来てくれる人がいなくなったらやめるしかないだろう。何でもはじめるのは簡単だが、辞め時がある。それを誤ると、大体が失敗である。むずかしい。
◆2007/11/07(水) 07:32 携帯メール
 携帯電話をもって、もう2年以上になった。最初は、公衆電話代わりにつかえればいいや、とおもっていた。しかし、こちらからかけることも少ないし、ましてやどこかから電話がかかってくることもほとんどない。あるのは、山仲間のYさんからの飲み会の誘いくらいである。だいぶ前に、携帯電話をもったけれど電話がかかってこない…、というような歌詞の歌があったが、まさにそれと同じである。大体、電話などもともと好きでないから、かかってこないのはそれほど気にはならない。しかし、まったく使わないのに電話代だけ取られるのももったいない。それでは、というので、メールを活用することにした。右脳の活性化をはかるため、左手で打つことに決め、練習した。今では、かなりのスピードで打てるようになった。そして、これはじつに便利である。職場につくと、すぐに携帯は机の上に置きっぱなし。これでは、電話がかかってきたとしても出ようがない。しかし、メールなら、気づいたときに見て返信できる。それも、気軽にメールを送受信できるから、今では生活の中でけっこう重宝している。小うるさい評論家のように、携帯にまつわる問題点をあげつらうのもいいだろう。でも、そんなことはまったく気にしていないわたしは、使えるものはすなおに使う。パソコンでのメールも便利であるが、ちょっとした用事などは携帯のメールのほうが、ずっと使いやすい。かんがえてみると、携帯電話はまだ子どものころに「こんなのがあったらいいな」という願望をほとんど満たしているようにおもう。生きているうちにこういう機器ができるとは、信じられない。すでに、他界している幼なじみたちにも、あの世で話してやらねばならないな、これは。
◆2007/10/29(月) 07:59 抜刀・居合道関東大会
 土曜日の午後から、群馬県の桐生市でおこなわれる「抜刀・居合道大会」に参加するため出かけた。大会は昨日28日(日)におこなわれたのだが、当日早朝から出かけるのは体力的につらい歳になってしまったため、泊りがけででかけることになった。道場の先生と剣友のYさんと3名で、台風の影響による大雨の中を現地にむかった。4時間ほどかけて、雨の桐生に着いた。こういう大会でもなければ、おそらく一生訪れることのない所だ。剣をやるようになったための偶然の訪問である。「稀銭堂」という刀屋さんをやっているK先生のところを最初に訪れ、刀を見せていただいた。100振以上も展示してある。気になるものは、実際に陳列ケースから出していただき、手にして見ることができ、大変な刺激になった。中にとても気にいった刀があったが、今回は刀を買いにきたわけではないので、ほしいのをぐっとこらえた。忘れられなければ、また電話をして、お願いすることもあるだろう。

 夜は、3人でホテルちかくの居酒屋さんでしっかり飲んだ。安くておいしいお店で、美味しいツマミも頂けた。11:00くらいにはホテルにもどり、そのあと、またYさんと2人で深夜の1:30くらいまで飲んでしまったf^^;)。

 大会当日は、朝ちと頭がおもかった。が、まァ、そんなことはいってられない。朝食を済ますと、早々に会場へむかった。胴衣に着替え、準備体操から打ち込み、形などの練習をはじめた。9:30大会開始。わたしは、形の部で2回戦でバランスをくずし、残念なことに敗退。組立ちの部では、準優勝。試斬の部では、4刀目の水平斬りで失敗してしまい、敗退。剣友のYさんは、試斬の部で見事優勝。先生も小太刀の部で準優勝と、健闘した。疲労が重なっている状態での大会参加であったので、結果はあまり期待していなかったが、まずまずの成績でホッとした。大会が終わって、帰途についたときは、眠くて仕方なかった。4時間半かけて、道場へもどり、費用の清算をして、自宅にもどった。9月から、文化祭→修学旅行→三者面談→学校説明会・体験授業と立て続けにあり、疲労の極地にあった。何とか、大会に無事参加できただけでもよかったとおもっている。しばらくは、ゆっくり休みたいな。
◆2007/10/26(金) 08:04 全国学力テスト
 昨日の神奈川新聞の1面に「学んだ知識活用できず」と大見出しで出ていた。見て、笑ってしまった。おそらく、文部科学省か何かの分析をそのままのっけているのだろう。全国の小中学校で実施された「学力テスト」の点数分布を統計分析して、そんな結果を出したのにちがいない。しかし、この種の分析を聞いていつもおもうのだが、一体いつの時代と比較して、そのようなものいいをしているのか、さっぱり明示されていないことにおどろく。社会統計方法の「ウソ」なのだ。その表現には、さりげなく「昔はもっとできたのに…」というのが隠されている。だが、本当にそうか?

 この種の統計分析がでるたびに、いつも腹立たしさを感じる。物言いが無責任なのである。それでは聞くが、「いつの時代の生徒たちが一番こういう能力に長けていたのか?」。近代教育がはじまって、ほぼ130年。一体いつの時代の生徒がそういう活用能力を身につけていたのか?教えてほしい。いつの時代も、おおくの生徒たちは精一杯がんばっている。毎日報道される記事を見ればいい。臆面もなく、恥ずべき行動をとっている(知識を活用しているのだろう)連中がぞろぞろいるではないか。次世代の若者たちを鍛えていくことは大切であるが、それは「今の若い者は云々」式のやり方ではダメなのだ。われわれ大人が、しっかりとした見本を見せずして、どうして「知識を活用できる」人間が育つというのか。マスコミの皆さんや文科省を含めてお役人さんたちは活用しているのだろうが、はたしておおくの一般人(当然わたしもはいる)は「学んだ知識を活用できていますか?そういう能力はありますか?」
◆2007/10/25(木) 08:05 久しぶりにノートPC購入
 20年近くぶりぐらいに自分用のノートPCを買うことにした。そして、とあるパソコン専門店に昨夜注文をいれた。職場ではもっぱらデスクトップのパソコンでいろいろな書類などを作っている。個人使用のものなので、職場のネットワークには接続していない。職務に関係するものは、県教委から支給されたネットワーク接続のノートPCを利用している。職務中にインターネットをWebページを覗いているような時間はないし、あったとしても、そんな無駄な時間を過ごす気もない。テスト処理や分掌に関係するものだけは、面倒だがそれらのノートPCを利用せざるを得ない。今、これを書いているのは、物理準備室においてある個人用のデスクトップPCを使っている。このパソコンだけで、残りの職務を終えようとおもっていた。しかし、未来のことはやはりわからない。来年度から、勤務校の耐震補強工事がおこなわれることになり、今いる物理準備室も半年以上の引越しを予定しなければいけない状況がでてきた。移転の間、用意されるプレハブ校舎には物理だけの準備室などはとうていのぞめない。せまい職員室の机などにパソコンを移動しなければならない。とても、今のデスクトップのパソコンなどおけない。そこで、やむなくノートPCを用意して、今とおなじ環境で仕事ができるようにしたいとかんがえた。HDDには120GBを、メインメモリには2GBと余裕のあるスペックにした。1週間もすれば、現物が届くだろうが、それが来たら、データの移動はUSBスティックメモリをつかって、少しずつやっていこうとおもっている。
◆2007/10/22(月) 07:32 USBスティックメモリ考
 パソコン(だけではないが)のファイル移動などにつかわれている「USBスティックメモリ」は、もう当たり前のものになってしまった。ノートPCなどでは、以前には定番だったFDDさえついていないのが、ふつうになってしまった。1.44MBしか使えないフロッピーディスクでは、デジカメなどで使われる大容量(GBサイズ)のデータ移動にはとても耐えられない。職場でも、ほとんどのデータは、このUSBスティックメモリかネットワークを利用して移動させている。わたし個人でも、いま書いているような文章は、128MBのUSBスティックメモリを利用して、自宅へもち帰っている。昔から、生徒などの個人情報などについてはいっさい自宅には持ち帰らないで通している。もっぱら、自分でつくったものだけだ。職場の物理準備室にあるわたしのパソコン周辺にはフロッピーディスクも相当な数のこっているが、今はほこりをかぶって利用することはまずない。ほどなく、「フロッピーディスク」なんて単語も死語になるだろう。ここ20年来のPCの進歩はいちじるしく、数年であたらしい技術がつぎつぎと市場を席捲してしまう。このUSBスティックメモリもあっという間に広まった。わたしは、当初はデジカメで使うSDカードをスティックのように使っていた。が、今は128MB、256MB、1GB、2GB、4GBと5本も常時持ち歩いている。このスティックだけでソフトを立ち上げ、種々のパソコンでも仕事ができる環境にある。まさに、おそろしいほどの時代である。

 昔、NECのノートPCにいれる40MBのハードディスクを求めて、秋葉原中を探し回ったことがある。一番安いバッタ屋で7万円した。それでも、それでパソコンが起動できる感激を今でも忘れていない。もちろん、DOSの時代の話である。あれから、ずっとパソコンの推移を見てきた。たまたま居合わせた時代がこのコンピュータが社会に広まっていく時代であった。手元にあるこんな小さなUSBスティックメモリが、べらぼうな記憶をする。もうイメージなどできない。最近、何のはずみか毛筆にはまっている。一字一字ていねいに書く。紙にそれを記憶させる。わずか、数個の字を。いいもわるいもない、科学にねざした技術は進歩をやめない。そして、わたしはついていけない…。
◆2007/10/18(木) 07:56 またまた仕事の話
 仕事上のことは、あまりグチらないで、淡々とすることにしている(と自分ではおもっているが…)。以前とちがい、職務上のいろいろな役割は、管理職がきめて上意下達で割り当てられている。昨年度から、クラス担任と学年主任(今は学年代表という)を兼任してきた。今年度は、クラス担任・学年主任・理科主任の3つを兼ねている。こういう割り当てには、特別な職務上の特典などはない。手当てもない。しかし、責任だけは当然ある。こんなことは、民間ではまずあり得ないことだろう。要は、役職名だけをあたえて、仕事をさせようというのである。管理職が勝手にきめていることなので、わたしはほとんど気にもしていないが、いろいろな雑務はふえていて、忙しい。上昇志向のある人には、こういう仕事も上にのぼるための大事なステップなので、やりがいのあることなのかもしれない。わたしは、そういう役職にはまったく興味がないので、できるだけ目立たないところで、ひっそりと仕事をしたい。クラス担任は、それなりにおもしろいし、生徒との関わりもできるので、きらいではない。だから、担任はできる環境にあれば、自分から申し出てやることにしている。それ以外は、正直なところは、気がすすまない。こんな状態なので、本来の仕事である「授業」や「ホームルーム運営」以外に、山のような雑務がある。

 毎朝7:00には学校に着いて、まずは雑務の処理。それから、授業の準備。空き時間も雑務。放課後は種々の会議(何せ、いろいろな係になっている)。それに、並行して部活動の指導。身体はいくつあっても足りない。仕方なく土曜日は、ほぼ出勤して(できる限り午前中だけ)残りの仕事をする。これだけやっても、給料は減る一方で、どんどん下降している。「教員の給料は高い」などと叫んでいる人たちもいるらしいが、代わりにやらせてみても、何もできはしないだろう。まァ、教員にもいろいろいるから、新聞沙汰になるような人もたしかにいる。が、ほぼ7割以上の人はこのような仕事ぶりである。人間のやることに7割以上のことを求めるとしたら、それは「罪」である。完璧を期したい人は「神になれ!」といいたい。プロ野球でも3割の打率で名選手なのである。物事「分」をわすれてはいけない。自分のできそうにないことを他人にもとめるだけの人は、自分のしていることを猛省すべきであろう。
◆2007/10/15(月) 07:42 修学旅行終わる
 先週の月曜日に沖縄への修学旅行に出発した。3泊4日の旅である。行きは「JAL Boeing 777-300」で、帰りは「JAL Boeing 747-400」を利用した。飛行時間は行きが2時間20分、帰りは2時間ちょうどだった。飛行機そのものは十分に楽しめた。

 修学旅行の全般は、沖縄での平和学習で、初日の夕食後には「ひめゆり隊」を生き延びた女性の方の体験を全員でお聞きした。沖縄戦は日本の政治・軍隊の恥部をさらけ出した戦いで、聞いていて「日本本土の政治体制」に情けない気持ちになった。何のことはない、沖縄を最初の犠牲にしただけである。2日目も、それぞれのクラスごとに日本軍・民間人がたてこもった「ガマ(壕)」の体験やひめゆり資料館・平和記念館での学習をした。こういう学習が、沖縄に修学旅行に行く一つの口実になっている。一般のツアーでは、このようなコースはあまり入っていないのかもしれない。わたし自身についていえば、この学習は大変勉強になった。このような過去の事実をきちんと若いひとたちに伝えていくことは、大切なことだろうと感じた。

 3日目からは、沖縄楽しみコースだ。マリンスポーツややんばる見学などコースにわかれて、丸1日を楽しんだ。もちろん、これは生徒たちのJALプライベート・オクマビーチの海、きれいだ。話。こちらは、何か事故がおこるのでは…とハラハラしながらの1日であった。1人ケガをしたときは、ちょっと心配した。大事にはいたらず、まずは安心。この件だけで1日が終わり、ホッと胸をなでおろした。明日はいよいよ最終日だとおもうと、それまでの日々があっという間のできごとのようだった。毎日の睡眠時間は3時間半ほどだったためか、気は張りつめているものの、疲労していることははっきり自覚できた。沖縄に来ているというより、24時間仕事をしているという印象だった。「もう修学旅行はたくさんだなー」と正直おもった。プライベートで沖縄旅行をしているなら、もっとちがった印象をもったことだろう。何度も修学旅行をしたが、最後の最後までこういう種類の旅行を好きにはなれなかった。

 何はともあれ、無事羽田空港にもどり生徒を帰宅させたあと、「ようやく終わった」とため息がでた。かなりハードな仕事であった。
◆2007/10/04(木) 07:50 修学旅行
 来週の月曜日から、修学旅行にでかける。勤務校では2年生で行く。今年は、昨年にひきつづき、沖縄に3泊4日の日程が組まれている。生徒と職員を合わせて250名ほどの大移動である。何度も書いているが、わたしは「修学旅行廃止論者」である。こんなものが、いつまでもつづいていることにいつも疑問を感じている。しかし、どうも同僚などをみていると、けっこうこういう行事が好きな人もいるらしい。むしろ、そういう人が多いためか、いつもわたしの意見など少数派として退けられてしまう。今回もおなじで、今の2年生が入学する前の3月には、もうすでに修学旅行で沖縄に行くというのは、決まってしまっていた。行くのが既成事実となっているのだ。業者は「早く予約をいれておかないと、もう取れませんよ」とプレッシャーをかけてくるからだ。入学してくる生徒たちも期待しているので、さらに始末がわるい。

 「旅行など個人的にいってほしい」といつもおもう。修学旅行の費用もふつうに見かけるツアー料金にくらべると割高である。大人数なので、ホテル宿泊代やその他の施設料金も割安になるかとおもうと、意に反して高い。生徒1人10万円近くかかる。目的地も北海道や沖縄どころか、外国まででかける公立の学校もある。何をかんがえているのか、わたしにはさっぱりわからん。引率する教員もこれに費やす準備でヘトヘト状態。帰ってからの後始末も大変。お気楽なのは生徒だけである。教員は、24時間勤務ということになっており、今は懐かしい二昔とはちがい、生徒を就寝させてから(まァ、寝ているわけもないが…)の反省会もアルコールなど厳禁である。わたしのように毎晩飲んでいるものにとっては「地獄の3日間」となる。自前で持ち出す費用もかさむ一方で、そのうち旅行費用も生徒とおなじにとられるようになったら、もう仕事ではなくなるし、絶対に行かない。そのときには、多くの修学旅行賛成派の人たちも行くのをためらうだろう。わたしとしては、だから、早く職員も実費を取られる修学旅行になることを祈っている。修学旅行などなくても生徒たちが来たがる学校こそ本物だとおもう。

 もう一度いいたい。「旅行など個人的に行ってくれ!」と。
◆2007/10/01(月) 07:40 地震
 深夜2:00過ぎごろ、かなり大きな地震があった。直下型だったようで、ほとんど縦ゆれとしか感じなかった。「ドーン」という一発型だ。震源は神奈川県西部とのこと。地震に敏感なわたしはすぐに目が覚めて起き、蛍光灯をつけ、次にくる大きな横揺れに備えていた。が、それは来なかった。あれほどの揺れにもかかわらず、カミさんは横で何事もないように熟睡していた。強い!やはり女性は(と一般化はできないが…)。ここ関東地域では、いつ大地震がきてもおかしくない状況にあるが、「来る、来る」といわれつづけているが、実際はまだ来ていない。これではオオカミ少年のような印象をもっている人が多いのも仕方ない。地震学者が「予知はできる」といいつづけているが、地震の予知などはできそうにない。せいぜい、きょうからはじまった地震速報的な対処ができるだけだろう。地震がおこる大雑把なメカニズムはわかるが、個々の地震がいつ、どのような規模でおこるのかは、複雑で予知はべらぼうにむずかしい。それに予知できたとしても、非難するくらいが精一杯で、家の倒壊や火災などを防ぐことは容易ではない。

 今回の地震は、真夜中だったこともあり、本当はこわい。が、気づかない人には何のことはない。それと、どんな大地震でも、人が多数住んでいないところでおきても、それほどの影響はない。人間は自分に関係があるときだけ、大騒ぎをするものだ。ここ数日は、余震に気をつけたい。
◆2007/09/24(月) 09:12 秋
 秋である。ほぼ1ヶ月前には猛暑であった。季節は確実に巡っている。今朝は、昨日の秋分の日の代休であるが、やっておきたい仕事もあり、いつも通りに出勤してきた。物理準備室の窓を開けると、秋のさわやかな空気が室内にはいってくる。現在の室温24.5℃。道理で、何もかけずに寝ていて寒気がしたはずだ。26℃以上なら、それほどの寒さは感じない。熱帯夜が少しずつ減ってきて、もう1ヶ月前の面影はほとんど消えてしまった。田んぼの稲穂も重そうに垂れて、刈りとられるのをまっている。

 この1ヶ月の間に、夏休みが終わり、課題テストがあり、そして文化祭もおこなわれた。その忙しさに追われ、落ち着いて周囲をみわたす余裕もなかったようにおもう。少し余裕が出てきて気がつくと、もう本格的な秋だ。あれだけ「猛暑、酷暑!」とさわいでいても、来るときがくれば、きちんと季節はめぐってくる。自然のサイクルはそれほどヤワではない。が、大きな傾向としては、温暖化は進んでいるのだろう。その原因については、わたしはよくわからない。

 10月上旬には、また修学旅行にでかける。今回は、沖縄。個人的には、それほど行きたいとおもうところではない。それに、修学旅行自体の意味が、もはや時代遅れのようで、よくわからない。旅行業者とのなれあいでつづいているだけではないのか、とおもう。現在でも、修学旅行の費用は、旅行業者にとっては大きな比率を占めるだろう。何せ1人10万円近くかかり、300人ほど出かけるのだから、単純計算で1回3000万円ほどになる。下手な団体旅行など問題にならない。はやく、この既成事実化した修学旅行が学校から消えてくれることを願っている。「旅行など行きたければ、個人的に行ってくれ!」というのが、わたしの持論である。教員になって30年以上もそうおもいつづけているが、これがいつまで経ってもなくならない。修学旅行の時期になると、憂鬱になる。秋は好きな季節だが、このために楽しさも半減する。

 そうだ、そろそろ忘年会の準備もしなければならない。忙しい。
◆2007/08/25(土) 10:51 補習
 今年度から、勤務校では、成績不振の生徒に対する補習を全校的にやることになった。期間は、8/27〜8/30の夏休み最終期間である。夏休みは8/30で終わり。翌8/31から授業がはじまる。といっても、この日は、大掃除が終わると、6時間まである「夏休み明け課題テスト」の日になった。主要5教科の正式な定期テストである。夏休み前に、問題集の何ページから何ページなどと課題があたえられ、その中からの出題となる。わたしの担当する2年・3年の物理でもこのテストをおこなう。暑い時期に問題作成をするのもイヤなので、わたしは、夏休みに入る前にもう問題を作ってしまった。テストの印刷も済ませ、ある秘密の場所に隠してある。話をもどすと、この課題テストでまたしても不振な結果を残さないようにと、補習が組まれたわけである。昨年度までは、担当の職員がてんでバラバラ勝手に「進学補習」やら「不振者補習」などをやっていた。今年からは、こういう足並みのそろわない形式はやめて、学習支援グループ(旧教務部)なるところが、音頭をとって計画的にやることになった。まァ、「全校で取り組む」といいことばかりのようにおもえるが、じつはそうでもない。まず、自由度はなくなった。こちらの都合でやれる部分が大幅に減少した。それと、これが一番大事なのだが、夏休み中のお仕事の一つになったため、やる側の「ことしは、昨年以上に気合をいれるぞ」という気迫がまったくでなくなった。本音でいうと、じつに楽になってしまった。これ以外は、余計なことはすまい、という気持ちがひとりでにでてしまう。校務の一つなら、それほど力むこともない。予想はしていたが、ほかの職員もおなじであろう。人の決めたレール上で踊る阿呆はそれほどいない。

 これが生徒にも伝染したのか、毎年自主的に物理室に勉強に来ていた生徒が、今年はまったくいなくなった。こちらとしては、自分の勉強もできるし、後期の準備も十分にできるので、助かっている。楽といえば楽である。が、何とももの足りなさはある。意欲をもった生徒たちと勉強するのは、それなりに楽しさも多い。それが教員の仕事の励みの第一だろう。それをおもうと、きちんと制度化してお膳立てを整えるのは一見やりやすそうにみえて、じつは教員の側の意欲をそぐことにもなることをかんがえておかないといけない。自由度は高ければ高いほうが、意欲のためにはいいのだろう。この夏は、そういう意味ではかなりもの足りない夏ではあった。が、そうあれこれ文句をいうつもりもない。係のひとはよかれとおもってやっているのだろうから。そういえば、最近ではすべて成果主義のモノマネばかりである。
◆2007/08/22(水) 10:00 藍畑
 PTA活動の一環ということで、藍染め教室で使う藍の栽培を校地を利用しておこなっている。活動の中心はPTAということになっている。建前的にはPTAの父母の方々が来校して、その世話をすることになっている。が、実態は、今年からPTAの担当になったわたしと副校長で世話をしている。今朝も、いつもどおりに出勤してから、校務のはじまる前の1時間20分をかけて、雑草取りと水やりをした。これは、自慢話でも苦労話でもない。本来やりたいといってやるべき方々が、日常の作業をしてくれないので、枯れてしまうのを見かねてやっているだけである。わたしの仕事にこの藍畑の世話などはいっていない。畑仕事など大嫌いなわたしは、毎日ブツブツ文句をいいながら、やっている。腹立たしいこと限りなし。自分たちでできそうにないなら、最初から「今年からはやりません」とはっきり決めておけばよかったのである。現在のところ、何とか今年の文化祭で使うほどの藍は無事成長をつづけている。今年のこの猛暑で、雨はほとんど降らないため、毎朝バケツ2つに水をたっぷりいれて、3往復しながら水やりをしている。夕方には副校長が水やりをしてくれているらしい(わたしがきょうはかったるいなーとおもっているときにも、きちんとやってくれていて、感謝のみ)。

 今年の3月で定年を迎えた前任のK先生が、「科学探求」という授業の中でやっていた藍染めの一環として、校内でもその栽培をおこなうようになったみたいだ。その退職をもって、藍栽培は終わりになるかとおもっていたら、理科の何人かの先生が「つづけてやってもいい」みたいにいいだした。てっきり栽培のほうもやってくれるのかとおもっていたら、いつの間にかわたしにほとんどの仕事がまわってきていた。こういうところは、いつもながら「いうだけなら楽」である。

 ただ、藍栽培も毎日世話をしていると、いろいろ教えられることも多い。まさに、農業はそれ自体が「教育」そのものである。手をかけすぎたり、水をやりすぎたりしてはいけない。育つものは放っておいても育つ。こちらは、それをお手伝いするだけ。植物を人間に置き換えれば、それはまさに「教育」ということばで語られていること、そのものである。そういう機会をあたえてもらったとかんがえれば、これはこれでけっこう楽しくもある。今まで、農作業など大嫌いなものの代表であったが、ま、適当にやるにはそれなりに楽しい、という気持ちも多少はでてきた。これも歳のせいかもしれない。が、なんでもいい。楽しみはどこにでも転がっている。
◆2007/08/17(金) 11:26 猛暑
 暑いぃー、(*_*)。きょうも朝からタオルは3本目だ。一昨日に、帰省からもどったが、田舎の会津も関東も同じで、とにかく暑い。現在、用事で学校の物理準備室にきているが、35℃ある。気圧は1010hPa。部屋の窓は全開しているが、ほとんど風もはいってこない。夏休み期間だから、生徒がいないだけ助かる。藍畑への水やりと気象観測のために来た。今週は夏季休暇(5日間)をもらったので、来るつもりはなかったが、どうにも気になり来てしまった。何とか無事だったので、ホッとした。だれかが水やりをしてくれていたようで、まさに天の助けである(多分、副校長だろう。彼は黙ってこういうことをしてくれる稀有の人である)。それにしても、この暑さはなんだ!ニュースでは昨日、とうとう74年ぶりに日本の最高気温が書き換えられたと報じていた。「40.9℃」まさに猛暑をこえて「酷暑」である。この暑さで亡くなっているひともおられるという。エアコンをガンガン効かせていればいいのかもしれないが、だれでもできることではない。ちなみに、わたしの職場にもエアコンは4箇所にある。事務室、校長室、職員室、PC教室。いうまでもないが、物理準備室にはない。これを書きながらも、汗が体中から絞り出されてくる。エアコンの苦手なわたしには、団扇とタオル、これだけが夏を乗り切る方法なのだ。おっといけない、夜のビールがあった。沁み出した汗で重くなったタオルをしぼりしぼりしながら、今年のような猛暑を乗り切るのもまた一種の快感である。夏に生まれたわたしでも、このような暑さは苦手である。が、暑さに負けるのもいやなので、全身でこの暑さを体感している。

 もう、お盆も過ぎた。なんだかんだといっても、あと1ヶ月もしたら、この猛暑を振り返っていることだろう。季節は確実に巡る。
◆2007/08/09(木) 15:27 帰省
 明後日の11日から会津に帰省してくる。お世話になった叔父・叔母の法事もあり、例年通りに行くことにした。実家が使える状態になっていれば、何の気苦労もせずに好きなだけのんびりして来れるのだが、実姉の家やカミさんの実家にそう長居はできない。お盆といっても、それぞれの家にはいろいろな親戚の方がたが来られるし、それを迎えるために、お嫁に来た女性たちはけっこうな気苦労をする。いくら親戚だとはいっても、そう甘えてばかりもおれない。以前、おなじ福島県出身の方とお話をする機会があり、「そうですね、どうも3日くらいが限度ですね。それ以上は、返ってこちらが気をつかってしまいますね。やはり、故郷は心の中でおもっているのが一番ですね。」という話になった。同感である。こちらも子ども連れのときには、言葉に甘えて長居したこともあるが、もう子どもたちも一緒に帰省することもなくなった。カミさんと二人で行くなら、早めに切り上げ、どこか知らない温泉にでも泊まって気楽に休んできたほうがいい。

 カミさんにも同じようなことをいわれた。それで、今回は早引けしてどこかドライブでもしながら、湯めぐりでもして、その流れで自宅に戻ろうかとかんがえている。都会に実家のある人などは、よく「帰省する田舎があるのはいいですね…」などというが、もう時代はそんな悠長なことを許してくれるほど甘くはない。みんな働いているし、日程を調整しながら一杯一杯でやっているのが実情なのである。帰省も両親がいるうちが華で、そうでなければ、できれば避けたい。それが本音である。
◆2007/08/04(土) 09:33 登山後のふしぎな気持ち
 8/1(水)の夕方17:00頃に新穂高温泉まで到着して、今回の山行も無事終了した。細かいことは、これから書く「2007夏山山行記」でふれたいとおもうが、7/29(日)の早朝に富山県の折立というところから入山して、薬師岳〜黒部五郎岳〜三俣蓮華岳〜双六岳〜新穂高とけっこう長い縦走であった。最終日は、早朝5:30頃に出発して、最終地新穂高についたのが17:00頃と、12時間近くの強行軍となり、メンバーには迷惑をおかけしてしまった。いろいろなハプニングも起きたが、何とか乗り切って下山できたことは、例年になくうれしい。
三俣蓮華岳より槍・穂高連峰をのぞむ。やはり、見事な山々だ。
 じつは、入山前の7/26に書いた「登山前のふしぎな気持ち」をネットに載せてから出発しようとおもったが、何かふしぎな勘がはたらき、無事下山してから載せることにした。あのとき、載せていたら、何かうまく縦走できなかったのではないか、という気持ちが今でもする。天候も心配したが、7/30(月)の薬師岳登頂(往復)の登りで、少し雨にたたられた以外は、すべて晴天にめぐまれ、最高の眺めを堪能することができた。この山域は、北アルプスでももっとも深い場所にあり、登山者はすくないだろう、と勝手におもっていた。実際には、関西方面からはアクセスしやすいせいか、想像以上に登山者は多かった。山小屋も太郎平小屋というところに2泊したが、布団1枚に2人で寝るという厳しい環境が2日つづいた。雨風をしのげただけでもありがたいとおもうが、メンバーからは辛口の評価をうけた。

 この山行で、北アルプスの主だった峰峯のほぼすべての山頂に立つことができた。平湯温泉でもいい宿に泊まれた。帰宅時のバス・電車の乗り継ぎも順調で、午後の早い時間に横浜までもどった。最後に残った、山路さんと横浜で飲んだ。「来年はどこへ行きましょうかね…」「登るのに大変そうなところを早めに登っておきたいね」「北海道で登りきっていないところも気になるね」…、こうして徐々に来年の山が決まっていく。まだ、登りおえたかすかな余韻を残しながら、もう来年のことを語っているふしぎさ。来年まで元気でいられるかどうかもわからないのに…。でも、こうして毎年の目標をつくり、我々は登りつづけてきた。来年もきっと。
◆2007/07/26(木) 12:59 登山前のふしぎな気持ち
 山に本格的に登るようになって、36年ほどになる。これだけの年数登っていると、日本中の主な山はほとんど行った、ということにふつうなる。わたしも、もちろんそうなのだが、あちこちに虫食いのように登っていない山(といっても、中・低山まで入れれば、もうそれは人為的には無理であろうが)がポツポツとある。この夏は、その中でも大物の「北アルプス:薬師岳・黒部五郎岳」を登りにいく。あさってが、その出発日だ。

 学生の頃は、山にいくためには、その費用の捻出に苦労した。両親が苦労して仕送りしてくれる金額ではとてもまかないきれない(今は亡き両親に深く感謝している)。当たり前のように、アルバイトをして、それに当てた。そして、山に向かうときは、心楽しくもあったが、ひきしまった気持ちがひとりでに湧いてきて、何か厳粛な場所にいくような気持ちになるのが常であった。あれから、何度山に向かったか数える気にもならないが、現在になっても、ふしぎとこの気持ちだけは変わらない。「もう、そろそろザックに荷物をつめようか…」という時期になると、やり残したことはないか、などなどまるで死地に向かうような気持ちになってくるのだ。単独行での登山も多かったせいか、山でいつ何がおこるかは不安ながらも、いつもそれに対処するための気構えはもっていたようにおもう。その名残りが今ものこっているのかもしれない。中高年になって登山をはじめられた人も多いだろうが、それらの人たちのもつあの屈託のない明るさは、どうもわたしにはないようだ。今でも、何で重い荷物(といっても、最近ではメインは酒だが…)を背負って、わざわざ地面のでっぱりみたいなところへ登りにいくのか、わからない。まァ、わからないことは歳とともにふえる一方で、さっぱり悟りが啓けない。50歳もすぎれば、それなりに知恵がついてくるとおもっていたが、見事にうらぎられた!

 今夜辺りからそろそろ準備にとりかかる。もう、計画書をつくりながらコースは十分にイメージできている。地図をみれば、ほぼわかる。天気はまだ梅雨明けもしておらず、不安定である。稜線に上がる前後には雨にも降られるだろう。山での雨は当たり前で、まったく気にもならないが、多少は景色が見られれば幸運である。足さえ動かしていれば、いずれは山頂にも小屋にも着くのが山。ごちゃごちゃかんがえごとをしながら、歩けばいい。今度の山もおなじだ。が、次第に気持ちは迷走化し、ときおりの高ぶりと静けきった波面のくり返しのような気持ちへとはいっていく。やり残している仕事は山のようにある。が、もうそんなことは忘れた。勝手にやっておいてくれ〜という気持ちだ。脳みそからアルプスの峰にストレートに光円錐がビームのように向かっている。月曜日の朝には、薬師岳の頂上から北アルプスの多くの峰峯にあいさつを送りたい。
◆2007/07/22(日) 11:16 期日前投票
 きょうも、ちょっとした雑務があり、学校へ来ている。先々のことをかんがえると、やるべき仕事は山のようにある。が、急いでも仕方ない。毎日、午前中だけ気分転換をかねて、つづけるようにしている。また、明日からは通常の勤務であるが、生徒さんは「夏休み」にはいっており、来ない。よって授業はない。昨年までだと、猛然と夏の講習会をしていたが、今年は辞めた。今年の2年生も3年生もこちらで誘いをかけてものってこない。こんな状態で無理やり講習会をしても疲れるだけ。それで、今年は、9月からの授業の準備をこの期間にみっちりやっておくことにした。それと、自分自身の勉強もあるので、それに時間をかけようとかんがえた。自分から飛び込んでこない者に、教える気など正直ない。そんなわけで、雑務がすむと、自分の予定している勉強をしていた。

 きょうの予定では、昼に気象観測をおえてから、市役所にいって参議院選挙の期日前投票をしてこようとおもっていたが、本を読みながらの計算にも少し飽きたところで、ちょっと投票にいってくることにして、今ほど投票をすませてきた。今まで、期日前投票(昔は不在者投票とかいっていたようだが…)にはいったことがない。日曜日に投票に来る人など少ないだろうと市役所に向かったら、駐車場がやけに混んでいる。市役所5階の投票会場へ行ってみると、これが驚いた。相当の人が投票に来ているではないか。どういう理由かはわからないが、おそらく旅行などに出かけるのだろう。じつは、わたしも来週の土曜日から恒例の「夏山山行」に出かけるため、投票をしておこうとおもったのだ。投票会場には若い人もお年寄りも来ていた。こういうのは、機会がないと経験できないから、いってみてよい経験ができた。それにしても、今回の参議院選挙にはみなさん気合がはいっているのだなーと感心してしまった。

 また、学校へ戻り、さきほどのつづきの勉強をしていた。何のことはない、好きな物理の本を読んでいただけなのだ。趣味みたいなもので、意識してやっているわけではない。この物理準備室でひとりで静かにこうしているときが、おそらく一番心のやすまる時間のような気がする。遅れている梅雨明けも間近のようで、雲の切れ目から陽射しも出てきて、室内が次第に暑くなってきた。観測を終えたら、帰宅して昼寝でもするか、夕方には家の雑務でもするつもりだ。
◆2007/07/21(土) 08:01 卒業生
 昨日までで、生徒さんたちは夏休みにはいった。わたしは、いつものように朝早く起きてしまい、家にいてもとくにやることもないので、いつも通りに学校へ来た。物理準備室はわたしの書斎&研究所みたいな場所なので、ここのほうが落ち着いていろいろできる。仕事ではないので、X JapanのCDをオンボロデッキで聞きながら、まずはこのどうでいいことを書いている。毎日のように雑文は書いているが、何の意味があるのか、本人もわかっていない。

 さて、昨日は夏休みにはいる前の球技大会の決勝と全校集会があった。球技大会では、わたしの担当するクラスはサッカーの部で準優勝になった。さすが、全国大会や関東大会にも行っている本校の生徒たちの技能は高い。選手たちには「もう十分にやったのだから、頑張らなくてもいいからな。テキトーにやりな。」といっておいたが、だれもいうことを聞いてくれなかった。決勝は観ずに、仕事をしていたら、何と準優勝ということでおどろいた。やりすぎである。午後には、全校集会で、またしても、校長のどうでもいいくだらない長話が職員や生徒のヒンシュクを買っていた。県大会で優勝し、全国大会に出る放送部や創作舞踊部の壮行会は実演もあり、それなりによかった。そんな中、今年の3月に卒業し、現在は大学に進学している2名の卒業生が遊びに来てくれた。いずれも、2年生・3年生のとき物理を共に勉強し、理工系の大学へ進学していった生徒さんたちだ。わたしは担任ではなかったが、この学年の生徒さんたちはいつも物理室にたむろしてくれて、なかなかハードな勉強をしていた。わたしは、それをただ眺めていただけだ。国立の最難関大学への合格も十分可能性のある彼らにはこちらもずいぶんと助けられた。「数理科学研究会」などという実態のない研究会を立ち上げ、物理室を常時開放してみようとおもったのも、彼らが自由に勉強できる場所を確保できれば…という思惑もあったからだ。わたしが受験するわけでもなし、ほとんど何もしなかった。ただ、彼らが勝手に勉強に雑談に来ていただけ。そして、それぞれの志望する大学へと進学していった。

 空き時間をみて、彼らと雑談した。一人は理学部物理学科に、もう一人は工学部(?、すまぬ。聞くのを忘れた…)。卒業して、わずか4ヶ月だが、もう立派な大学生だ。わたしなどどんどん追い越されていく。また、それでいい。これからは彼らの時代である。彼から新しい知識を教わることも多くなるだろう。学校の教員にそれほど入れ込んだこともないが、卒業していった彼らがさりげなく遊びに来てくれるのは、ほんとうにうれしい。言葉にすると恥ずかしいが、素直にうれしい。大した教育もできない自分でも、多少は生徒さんのお役に立てたのか、と多少はすがすがしい気分になる。「今年もいも煮会をやりましょう!」という声に、昨年末にやったときに大勢の3年生諸君が物理室にあつまってくれたことをおもいだす。「そうか、彼らはあれが食べたかったのか…」という疑念。だが、それもいい。閑散とした物理室を活気ある場所にしてくれた彼らに大いなる感謝を送りたい。ほどほどに頑張れよ。そして、それを長くつづけよ。それが、彼らを広大な高みにいざなってくれる。
◆2007/07/18(水) 16:51 酒
 酒はずいぶん長く飲んできた。高校の頃はそれほどではなかったが、大学に入ってからは遠慮なく飲んだ。みどり荘という学生アパートにはいっていたが、いい友人たちとの出会いもあり、じつによく飲んだ。物理学科の同級生だけでなく、いろいろな学科の人とも飲んだのが、今にしておもうと、相当な経験になったようにおもう。

 お酒は、基本的には何でも好きであるが、特に好きなのは「日本酒」である。今も、日本酒は原則的には、毎晩飲んでいる。ビール→日本酒→焼酎の3点セットで飲むのが定番になっていて、これができるとごきげんだ。「酒は健康のバロメータ」みたいなもので、体調が悪いときには美味くないので、途中でやめる。いくら酒が好きでも、飲まないと死んでしまうというほど入れ込んでいる訳でもないし、そんな義理もない。また、単なるお付き合いの酒は大嫌いである。それも自前でお金を出して出かけるのは馬鹿げているので、行かないようにしている(とはいえ、仕事でPTA関係のものをしていると、そういうときはガマンが必要ではあるが…)。人生の長さなど高がしれている。当然のことだが、飲める回数も決まっている。まずい酒、どうでもいい酒を飲んで、貴重な回数をムダにはしたくないから(まァ、酒など飲んでいるほうがムダといわれれば、それもそうだが)、飲むときは気にいっている美味しい酒を飲むようにしている。日本酒はほぼ味がわかる。しかし、ビールや焼酎やウィスキー、ワインなどの味に関しては自信はない。それらは、わたしの酒の範疇では脇役である。メインは日本酒に限る。

 現在、毎晩のように飲んでいるのは、自宅の近くにある「泉橋酒造」で作っている純米日本酒である。「純米無濾過生原酒 いづみ橋 恵(赤ラベル)」というのが気にいっている。値段は、冷蔵庫で冷やせる720ml瓶で1470円。一升でも2880円だったはず。味は好みがあるので、だれでも美味いかは疑問だ。そんな、人の味覚までわたしには興味がない。昨年のはじめに会津の義兄からもらってきた「末廣 山廃純米吟醸」という緑瓶の酒も美味しかった。先日、本屋で立ち読みした「日本の純米酒…」とかいう本にも、偶然この2本が紹介されていた。まァ、そんなことはどうでもいい。酒は飲むものであって、語っても仕方ない(とかいって、こうして語ってしまっている…矛盾である)。飲んで気持ちよくなれば、それでいい。学生の頃は、ツマミもない酒でよく物理の話をした。これは、何ものにも代えられない大事な思い出である。

 タバコは止めてもう久しくなり、吸いたいともおもわない。が、お酒は止めようとおもったことはない。日常的には、居合の稽古をしてきたあとに飲むビールの一杯は効く。できれば、お酒を飲んで気持ちよく眠り、そのままあの世に旅立ちたい。そんなこともかんがえる年齢まで生きてきた。よくもまァ、この歳まで…とおもう。だが、家族は、そんな甘い感傷などはゆるしてくれない。ということもあり、最低限、元気でいるうちは、お酒とも仲良くつきあって、そこそこの一生を送りたいものである。
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◆2007/06/26(火) 07:55 教員はもういらない(否定的な意味ではなく…)
 今年の3月に多数の教員が退職していった。いわゆる「団塊の世代」の人たちだ。そして、これからしばらくは毎年多数の教員が辞めていく。それを補うために、多数の若い教員の採用がおこなわれているが、応募者は少ないと聞く。これは、とてもいいことだ。国公立、私学に関わらず、現在の教員の仕事にはもうほとんど魅力はない(とわたしはおもう)。採用された若き教員も、某大都市では1年以内に3分の1近くが辞めてしまう。むろん、仕事に魅力がない上に、種々のプレッシャーは増える一方なので、現場で働くものとして、十分に理解できる。無責任な言い方であるが、教員になる人が減れば減るほど、日本の教育には返っていい結果をもたらすのでは、とおもう。大量採用の口車にのって教員になってみても、いずれは退職の時期には今回とおなじことになる。それに、教員の怠惰を是正しようと、自民党などのお偉い政治家さんたちが、「教員免許10年更新制」とかのおもしろい法律まで作ってくれた。わたしには、この法律はどのように影響するのかはわからないが、若い教員には気分のいいものではあるまい。こんな情勢の中で、若い学生さんたちに「教員はいい仕事だよ」とはとても勧められない。先日まで来ていた教育実習生の方にも教員は勧めなかった。

 それでもなりたい人は勝手になればいい。いつの世にもそういう奇特な人はいるものだ。しかし、時代のながれで教員志望者は減っていくだろう。今でも「質が落ちた」といわれ続けているが、これからはもっと落ちるだろう。有望な人材は、すでに他の分野に移ってしまっているからだ。わたしたちの母国・日本は教育の現場から崩れていく。しかし、心配はいらない。学校の教員が減っても、その分、どこかで教える人が現れてくるだろうから。明治とともにはじまった現在の学校制度は、もう制度疲労をおこしており、そろそろ年貢の納め時であるのかもしれない。もう社会全体が学校のようになっており、正直辟易している。人から教わることに慣れすぎて、自分で独学するという気風はまったくなくなっている。「生涯学習」なんてことは、文部科学省の坊ちゃん官僚の天下り先をますます多くするのに貢献するのみ。

 分野はちがうが、産婦人科医がどんどん減っているという。人間の誕生に立ち会う人間がその現場を疎みはじめているのだ。教育も同じ。教員は教育現場に息苦しさを感じて、病んだり、辞めたがったりしているものが多い。こういう生もの扱いの商売は、今のデジタル化された時代にはそぐわないのかもしれない。明日、日本中の教員が一斉に辞めたら、おもしろいだろうな、きっと。学校に行っても、管理職以外はいなくて、登校した生徒だけ。どんな学校になるのか、とても興味がある。
◆2007/06/19(火) 07:14 居合・抜刀道大会
 一昨日の日曜日、わたしの通っている道場が主管となり、「第31回全日本抜刀道連盟・全日本戸山流居合道連盟選抜大会」が催された。道場といっても、先生をいれて総勢7名で、実際に稽古に来ているのは3名の小さなところである。この小ささが気にいり、入門したのではあるが、こういう大きな大会を準備するのは本当に大変だった。会場の予約や手続きなどは兄弟子のYさんがやってくれたので、大助かりであった。実にこまめな人なので、いたらぬところの多いわたしでは、そのような仕事はできなかったであろう。先生も大会に使う道具類の準備など細かくメモにとり、怠りなく準備されていた。のこりのわたしたちは、試斬に使う「巻き藁」作りの手伝いをした。大会ではおおよそ120本〜130本の巻き藁を使うため、それを6月はじめの日曜日にみんなで道場に集まり、作った。聞くところによれば、こんな単純なもの(畳の表地を海苔巻きのように丸めて太い輪ゴム4本で留める)でも、買えば1本200円ほどするらしい。本来ならゴミとして捨てられる畳の表地だが、業者の人が捨てるときは結構な料金をとられるという。それゆえ、刀で細かく刻んでふつうの「燃えるゴミ」として出してくれるわたしの道場みたいなところは、畳屋さんにとっては、願ったり叶ったりのところで、無料ではこんできてくれる。それを倉庫にいれておいて、時期を見ながら巻き藁にして、稽古の試斬で使っている。1回の練習で、一人5本ほど斬る。稽古はほとんど休まないから、わたしも相当に斬ってきたとおもう。

 さて、今回の大会は運営にあたる側でもあるため、当日も会場整備など仕事はたくさんあり、とても練習などできる時間はとれなかった。一応、出場することにはなっていたが、「参加することに意義がある」という気持ちで、とても入賞などはかんがえる環境にはなかった。午前中の形居合・形の部での演技(準優勝)(かた)の部と午後の試斬の部、そして、最後の試斬団体の部にでる予定になっていたが、とにかく出るだけという気楽な気持ちでいた。それが、返って力みをなくしてくれたのか、午前の形の部では、どんどん勝ち抜いて、とうとう決勝まで行ってしまった。まさかとはおもったが、あとはやるしかない。今まで大会や昇段試験などでは形の最初の3本をやるだけにしていたが、今回は冒険をしてみようとおもっていたので、1本目、3本目、6本目というかなり動きのむずかしい形をやってみようと決めていた。最後の6本目で集中が途切れ、動きが不自然になってしまい、結果は準優勝。でも、自分では思いもかけない入賞であった。 午後の試斬の部では、下から切り上げる(逆袈裟斬り)で少し角度が深く入りすぎて失敗。一応、斬り残しはなかったものの、群馬の方に破れてしまい、1回戦敗退。まだまだ、これからが修業だと実感した。最後の試斬団体戦では、先鋒で出場した。こちらは、左右袈裟切りは現在のところ安定しているので、勝ち進み、何とか優勝できた。これは、先生も喜ばれていた。わたしも、何とか役目を果たすことができ、ホッとした。大会が終わり、各種目の賞状授与があり、わたしも2枚頂くことができた。会場の後片付け(これがおもった以上に大変)が終わり、道場にもどってきてから、大会の運営、そして優勝旗をもってこれたことを祝して、道場内で祝勝会をした。ひさしぶりに気分の高揚した中、べろんべろんになるまで、飲んだ。23時近くに道場までカミさんに迎えにきてもらい、帰宅。そのあとは、記憶が途切れている。 朝、目が覚めると、居間の床板の上で寝ていた。身体の節々が痛かったのは、そのせいだった。二日酔いというほどではなかったが、多少ボーとした頭で、いつものように職場に向かった。いい大会で、満足している。
◆2007/06/08(金) 07:14 体育祭
 昨日は、初暑をおもわせるような天気の下での体育祭だった。前日の予行練習のときも夏日で1日で日焼けをしてしまった。その午後からの準備作業。校舎の間にある中庭は係にあたっている生徒たちのパネルの取り付けや応援の練習など、まさに「青春の中庭」とでもいえるような、熱気にあふれていた。

 本番の日の天気予報は、曇りときどき雨。朝方の天気は、曇天で今にも雨が落ちてきそうな感じだ。とにかく、はじめてしまえば、雨が降ろうが体育祭は続行される。出勤すると、いつもは静かな校舎内も、ざわめていた。もう、準備にかかっているのだ。開始の時間が近づくと、生徒・職員もグランドにでて、所定の位置につく。3色に分かれた生徒たちが、開会式に集まるものじつに早い。何せ、この集合から採点に入るため、各色団の応援団員はいつになく生徒への指示もテキパキしている。あっという間に整列して、開会式。それが終わると、すぐに競技にはいった。この体育祭は非公開になっているのだが、年々、保護者や一般の人が見学にくるようになり、まるで小学校の運動会のような様相を呈して来ている。ビデオをもってきて、我が子のビデオを撮影していくのだろう。これも少子化という時代背景のせいか…。開始後しばらくして、少し小雨があったが、それもいつの間にか晴天に早変わり。強い陽射しの中で競技が粛々とつづく。色別の応援パフォーマンスは、短い準備期間にもかかわらず、見学者からも感嘆の声がでるほどの出来で、生徒たちのレベルの高さを感じさせられた。わたしは、今年からPTAの係になったため、役員さんたちが企画した「冷たい麦茶サービス」の手伝いで、それなりに忙しかった。しかし、天気のせいもあってか、大盛況で多くの人が利用してくれ、役員の方たちもやりがいがあったとおもう。

 午後の部も盛り上がり、最後の色別対抗リレーでは生徒たちの応援もエキサイト。周回コースのコーナーに立つ仕事を手伝ったが、走る生徒たちの若さに圧倒された。彼らの人生で、今が一番パワフルな時期なのだろう。素晴らしい体育祭ができたことを生徒とともに喜んでいる。
◆2007/05/28(月) 07:53 結婚式
 25日(金)から、会津に行ってきた。わたしの姉の息子(甥)の結婚式に出席するためだ。こういう機会でもないと、もう家族で出かけることもないので、カミさんと娘を連れて、参加することにした。姉のところは、この甥の結婚式で、子ども3人すべてが家庭をもつことになる。それぞれに、ふさわしい相手を自分で見つけ、そして結婚まで自分たちで企画してやっているのは、じつに頼もしい。わたしの家では、まだまだ修行中の身であり、そこまで行っていない。会津までは車で飛ばしても、簡単には着けないため、のんびりと行くことにした。いつもなら、首都高を通り、高速道をガンガン行くのだが、急ぐ理由もないため、都内を避けて、16号をのんびり回り、岩槻ICまで行って、東北道(本当なら、これも避けて一般道でもよかったのだが…)に入り、西那須野ICで降りて、塩原温泉経由で会津西街道で会津にはいった。これはいつものコースであり、もう回数も忘れるくらいに通っている。今回は、途中の塩原温泉で「日帰りの湯」というのに入って、少しくつろいでから、会津に向かった。これは、日頃の疲れをとるにもいいアイディアであった。この日は、カミさんの実家にお世話になる。この夜は、夕食もほとんどとらずに、カミさんの兄(わたしの幼なじみ)と一升酒を飲み、気分よく寝た。

 翌日は、前日の大雨が一転して、素晴らしい天気。結婚式にふさわしい日だ。わたしは、乾杯の発声をする仕事が回ってきていたので、多少は気が張っていた。ただ、挨拶などはないため、気楽ではある。結婚式の前に行われた両家の対面式には、残念ながら時間をまちがえ、遅刻。出席できなかった。かろうじて、両家の写真撮影に駆け込んで、写真にはしっかり納まった。無事、教会形式の結婚式も終わり、正午から結婚披露宴になる。気付けにウイスキーの水割りを一杯頂く。式がはじまると、いよいよ出番。余計なことはいわずに一気に「乾杯」の発声をしようと、マイクに向かったが、ここで仕事柄の悪いクセがでて、一言いったのが失敗の元。その後、ろれつが回らなくなり、訳のわからんことを言って、どさくさにまぎれて発声。みんなが乾杯をしている間に、隠れるように席にもどった。それからは、一気にペースを上げて、ガンガン飲みだした。飲んでしまえば、ことばはいくらでもでてくる。発声が終わってからいくら出てもむなしいだけだが、それを押し隠すように飲む。ビール、日本酒と定番コースをひた走る。3時間以上にもわたる披露宴がお開きになるころ、今度は2次会の話が出てきて、もちろんこちらはやる気満々。しかし、店が開くには時間が早いために、近くのレストランで時間待機。

 その後、「会津っ子」というなかなか落ち着いた居酒屋さんに親戚の若いメンバーが集うことになり、そこに便乗する。ここでも、ビール、日本酒、焼酎と飲みまくる。少しは酔いも回ってきたが、まだそれほどでもない。この店には会津弁で「さすけね」という名前の酒がおいてあり、これがとてもうまかった。「さすけね」とは標準語では「大丈夫」とか「問題ない」とかの意味に当る。自分でもよくこんなマイナーな言葉を覚えているものだと驚いた。同郷のカミさんでもあまり聞いたことのない言葉らしい。会津を出て以来、使ったこともない言葉である。脳のふしぎなところである。この店を出る頃にはようやく酔いも回ってきて、気持ちよく宿に向かうことができた。この結婚で、姉のところは子供たち全員が家庭をもつことになり、親としては一応の仕上がりである。まだまだ、問題はでてくるだろうが、それは当人たちが解決していくしかない。長い親としての生活に一区切りつけた姉夫婦に「お疲れさまでした」と労をねぎらいたい。
◆2007/05/11(金) 07:56 ホームページも本年で終了?
 今年一杯で、このホームページを立ち上げて10年になる。何でもそうだが、10年くらいやれば一区切りつけるのがいい。まだ、元気なうちに終了するのが、気持ちを入れ換えるにもいいのではないか…、と昨日からかんがえはじめた。ダラダラつづけていても、ネット上にゴミを垂れ流しているようで、申し訳ない。同じようなことをくり返して書いているのは、老いの繰言でしかない。

 そんな訳で、今年の暮れをもって、ひとまずこのホームページも閉鎖して、また気力が充実して来たら、再開するかもしれない。今年の年末までは、できる限り現在のレベルを維持しながら運営をしていきたいとおもっている。まァ、はじめあれば、終わりあり、である。何らおもい残すこともない。好きなことができている自分は幸運なのだろう。
◆2007/05/07(月) 07:31 5月の連休も終わり…
 4月最後の連休と5月の初めにかけての連休が昨日で終わった。きょうからは、ふつうの生活にもどる。といっても、部活動で顧問をしている剣道部の大会があったり、毎日定時に気象観測もしているため、連休中もほとんど職場には来ていた。ただし、昨年と同じで、会津に住む義兄が上京したので、この機会を使って、箱根の駒ケ岳〜神山〜早雲山までの縦走登山をした。山岳会の山路さん、友人の佐々木くんも誘っての気持ちのいい登山であった。足を痛めている佐々木くんには、ちょっときついところもあって、すまないことをしたとおもっている。下山して、強羅で温泉に浸かり、汗をながした。反省会は海老名までもどり、駅近くの雰囲気のいいお店でしっかりやった。これで1日休めた。あとは、連休最後の昨日、家族を乗せて、相模湖近くの藤野町にある「尾垂の湯」という温泉に出かけた。日帰りの湯が好きなので、昼前に出かけて夕刻までのんびり休めた。これで、2日目。そう、連休で2日だけ、休めた。これで、十分である。仕事も遊びもやるときには、集中してやることにしている。もう、疲れもすぐには取れない年代になってしまったが、ダラダラ布団の中で休むなんてことは、どうも性にあわない。自分のペースでできれば、それでいい。

 連休が終わり、生徒たちもクラスにそろった。ケガをしたり、病気になったものもいなかったようで、安心した。勉強や部活動などもこれからが本番だ。4月の緊張が一旦弛緩してゆるんでいる。これからは、気魄をこめて取り組む時期になる。生徒だけでなく、もちろんこちらもそのつもりだ。
◆2007/04/25(水) 12:40 昇段試験2
 昨年の11/26(日)に、趣味でやっている「居合・抜刀道」の昇段試験で1級に合格した(内容は、雑感2006にあるので、興味のある人は見てください)。あれから半年あまり、日々の稽古にも精進してきた。やんごとない事情でもない限りは、しっかり稽古にも通い、まァ、そこそこに上達はしてきたとおもう。が、正直いうと段位などにはそれほどの関心もない。健康体操の一つだとおもっているし、稽古で汗を流し、家に帰ると、うまいビールやお酒が飲めるので、つづけているみたいなものである。だから、昇段試験があるのは、何だかその気持ちに水をさされるみたいで、いい気持ちはしない。しかし、道場にも次第に新しい人が入門してくることが増えてきている。先生がいないときなどには、その稽古を代わってしないといけないこともある。そんなとき、段位という「箔(ハク)」は多少は役に立つ。人間、こういう肩書きには弱いからだ。そこで、年2回の昇段試験で、段位をとることになった。

 先日の日曜日(4/23)に、栃木県の二宮町というところで、この昇段試験があったので、同門のRさんと泊りがけで行って来た。昇段試験のあとには講習会もおこなわれるため、同行してくれたのだ。前日に行き、さえない旅館(1泊朝食付き\4700)に投宿。夕食は、外で済ませることにした。が、お店もほとんどなく、これまたさえないそば屋さんと中華料理店の2軒に入ってみた。やはり、味もさえなかった。仕方なく、近くのドラッグストアーで飲み物&つまみを購入して、宿で再度飲みなおした。その夜は、それほど飲みすぎることもなく、床についた。

 翌朝、朝食をとり、そのあと会場の体育館に向かった。車で10分くらいで着けたので、これは助かった。時間に追われて会場入りするのでは、実力(?)は発揮できない。開会式のあと、昇段試験に臨む人への注意があり、そのあと、すぐに昇段試験がはじまった。わたしは、初段を受けるので、1級受験者3名のあとの4番手。自分の番が回ってくると、すでに頭は真っ白状態。しかし、この日のために稽古をしてきたので、慌ててももうどうしようもない。広い体育館の中で、一人きりでまずは形の演武をする。これは、ほぼ稽古どおりにしっかりできた。受験者6名の形がおわると、今度は、「試斬」の部。真剣(本身という)で、巻き藁をきれいに斬らねばならぬ。斬り損ねると、即失格である。わたしの段位では、左右の袈裟斬りだけなので、それほどではないが、まま、失敗もある。だから、自分の番がくると、一息ついて、集中。頭を真っ白にして(こうしないと斬れない)、巻き藁を見つめ、一気に斬り降ろす。きれいに斬れた。血振り、納刀も落ち着いてでき、何とか大丈夫だったようだ。全員の試斬がおわったところで、今度は講習会。二段以上の人たちとそれ以下の人にわかれて、午前中は「形」、午後は「試斬」の講習があった。これは、いい勉強になった。

 最後に、昇段試験の結果発表があった。わたしは、無事「初段」に合格できた。ようやく、この道に入門できた気持ちがした。段位は入門の度合いを表すものなのだろう。わたしは、ようやくにして「居合・抜刀」の道の門に足を踏み入れたところだ。これからどういう道が待っているのか、わからない。が、一人でもできる稽古なので、健康体操に徹して、つづけていこうとおもっている。
◆2007/04/06(金) 12:40 入学式
 11:00前に2007年度の入学式が終わった。昨年のきょうは、わたし達が新入生を迎えた。もう、丸1年経ってしまったから、そのときどんなことをしていたのか、はよく覚えていない。新入生を迎えるのは実に疲れる。その大変さだけは記憶にある。何度も新入生を迎えてきたのだが、慣れることはない。何度やっても大変さを感じる。今年は、2年生の担任に持ち上がりのため、多少の気づかれはあるが、それほどのストレスは感じない。生徒たちのほうも、もう十分すぎるくらいに学校のシステムには慣れている。余計なことをいわなくてもスムーズに動いてくれる。こういう生徒たちに、あれこれ文句をいう気持ちはとても起きない。自分だって、高校生のころ、それほど完璧にできたわけでもなし…。まァ、適当でいい。

 今年度の新入生は1クラス増えたせいか、40名ほど多い。何でも、当年度の中学卒業生の人数が例年より多いと聞いた。それで、あちこちの高校で定員増があった。1学年12クラスも経験しているので、あの当時をおもえば、ほぼ半分の現在は増えたといってもさほどではないが。開花が早かったせいで、もう散っているかなとおもっていた学校の敷地の桜も、しばし寒気がはいったためか長持ちして、ほぼ満開の状態で新入生を迎えてくれた。やはり、入学式には桜が似合う。最近では、ご夫婦で式に来られるご家庭も多く、隔世の感がある。子どもさんにかける期待はそれだけ大きいのかもしれない。生徒さんたちには、これらの重圧に負けずに、伸び伸びと学校生活を送ってほしいものだ。
◆2007/03/23(金) 15:55 年度末
 学校の年度末は、役所と同じでこの3月。生徒のほうも今日で1年間が終わり、春休みにはいる。わたしたち職員には、春休みはないため、通常の勤務である。が、気持ちの上では、この3月が切り替えの時期になる。勤務先の異動も行われる。2年間ではあったが、物理の先輩教師としていろいろなことを教えて頂いたK先生も、この3月でめでたく定年を迎え、職場を去る。38年の長い教員生活のうち、現任校で16年という長い期間を勤務された。わたし自身も、元気で仕事をしていれば、この学校で定年を迎えることになるだろう。校舎はボロだが、生徒も職員も気持ちのいい職場なので、この場所で働けることに感謝している。

 きょうの終了式のあと、クラスでの最後のLHRがあった。事務的には成績通知書を渡して終わりなのだが、やはりそうもいかない。1年間をともに過ごせば、それなりの情が移る。この1年間にはいろいろなことがあった。あっという間に駆けぬけてきたようでいて、思春期真っ盛りの生徒たちといれば、あれこれあるのは当然。胃の痛いおもいもしたが、でもいい生徒さんの多いクラスであった。担任は持ち上がりなので、4月からも彼らの何人かはまた同じクラスになるだろう。また、新しい出会いがある。そういう楽しみを感じられるだけ、うれしいことだ。

 この年度末には、指導要録書きなどの事務作業も多い。それと並行して次年度の授業の準備もある。今年は、どんな風に授業を進めていくか、思案中である。昨年まではK先生と楽しい会話をしながら、いろいろ計画を立ててきた。今年は、一人になる。でも、仕事は楽しいし、生徒たちの役に少しだけでもたつように頑張っていこうとおもっている。
◆2007/03/10(土) 09:26 テストの採点
 昨日で2006年(H18)度の学年末テストが終わった。卒業式で3年生を送り出したとおもったら、次週からはこの学年末テスト。じつに慌ただしい。それもテスト日程によると、わたしの担当である「2年物理T」「1年理科総合B」のテストは両方ともテスト4日目の金曜日になっている。採点のことをかんがえると、ちょっと憂鬱でもあった。2年物理Tの方は、教えている生徒も23人と少ないため、こちらは1時間ほどあれば採点できるので、何も心配していなかった。もう1つの理科総合Bは、どうしても細かい知識のテストにならざるを得ず、何と解答数が94箇所。しかも、1年生6クラスのうち4クラスを担当している。採点する箇所の総数は、単純に計算しても94×40人×4クラス=15040個である。1個1秒で採点するとすると、ほぼ4時間ほどで終わるはずである。が、そうはいかない。ほとんどの問題が番号や記号でなく、漢字などの用語で答えさせる問題なので、その確認にどうしても時間がかかる。推測ではあるが、およそ3倍ほどの時間がかかるとおもう。そうなると12時間である。土日はすでに用事がはいっており、使えない。それに、解答用紙を自宅に持って帰り採点するのは、やらないようにしている(いちいち手続きが面倒なのだ)。学校内にいる間にこれをこなさなければならない。返却は来週の月曜日からだ。焦る。

 テストが終わった金曜日の午後からが勝負だった。物理Tの採点は予定通りに1時間ほどですませた。一息いれて、午後(テスト期間中は会議もほとんどない)から1年生の理科総合Bの採点にかかった。試しに1クラス目をやりはじめる。頭のモードを採点モード(周囲に誘惑されるようなものをおかない)にして、○/をつけはじめる。わたしの場合は、準備室の隣にある物理室の生徒用長机でやる。なかなかリズムに乗れずに、時間だけがすぎていく。14:00ごろからはじめたが、勤務時間終了の17:15になってもまだ残っている。そのままつづけて、18:30ごろにようやく終了。ほとんど休みをいれなくてもこれだ。先がおもいやられる。とにかく、物理Tと1クラス終えたことで、一応予定していたところまではできた。

 昨日は、いつもと同じ時間に出勤すると、すぐに採点をはじめた。この日はテスト監督ははいっていなかったので、丸1日必死に採点することにしていた。テストの採点は、頭脳労働とは関係なく、ほとんど肉体労働だ。ひたすら「採点マシン」と化して手を動かしつづける。朝のHR、そして帰りのHRに行っただけで、あとは採点だけ。3クラス残っているのから、単純にかんがえてもその日に終えるのは無理。しかし、モーツァルトのピアノ協奏曲をかけて、マシンと化す。昼はおにぎりを1個ほおばりながら手は動かしつづける。頭に解答全体がイメージできるようになったので、おもったよりスピードがアップしてきた。14:00ごろまでに2クラス終了した。残りは途中まででもやっておこうとおもい、手をつけてみた。何となくその日のうちに終わりそうな予感がした。猛然とピッチをあげて、集中してとりくむ。そして、16:45ごろついに採点が終了した。最後に、電卓を使い、総合点を計算して、それぞれの解答用紙に書き込む。それを教務手帳(閻魔帳とかいうもの)に転記して、仕事が終わったのが17:10であった。ついに、予定より早く終わった!赤ボールペン(1mm)のインクが1本半なくなっていた。腕、ひじ、肩はパンパンであったが、気持ちはスッキリしていた。帰宅につく足取りが少し軽く感じた。これで、土日の居合の稽古に集中できる。まァ、馬鹿げた話ではある。
◆2007/03/05(月) 12:42 春の嵐
 外は、小雨まじりの強風である。南風なので、低気圧がちょうど西の方角にある。さきほど気温を百葉箱の気温計で測って来たら、19℃あった。この時期としてはかなり高めだ。狂ったような暖冬もようやく終わり、もう暦の上でも実天気でも春になってしまったようだ。花粉も飛び放題で、花粉症のわたしは鼻水の垂れ流し状態にある。手持ちのティッシュはどんどん減り、鼻の下はますます赤くなる。春の嵐は、日本海側を通るようだが、関東地方では大丈夫なのかな。

 春の嵐は、何も天気だけに限らない。わたしのような教育公務員にとっては、この時期は1年の総決算の時期でもあり、予算執行、生徒の成績評価のまとめ、各種活動の報告書類作り、と本当にめまぐるしいほどの忙しさである。きょうからはじまった学年末テストも採点のことをおもうと、気が重くなる。木曜日に試験が2つあり、その採点は5クラス分あるので、それこそ死に物狂いにやらないと来週の返却には間に合わない。採点に使えそうな日曜日には「居合」の講習会が1日入る。こういうときには、何かエサをぶらさげて集中力を喚起するしかない。こちらの方もまさに「春の嵐」に近い。終わってしまえば、記憶からも消えてしまうのだが、その渦中にあるときは、それなりにしんどい。でも、これがずっと続くわけではないことはわかっているので、そう深刻にはならない。天気も同じだ。
◆2007/03/02(金) 14:35 卒業式
 今年もまた思いで残る卒業式が無事終わった。今回は1年生の担任として出た。在校生が歌う「卒業生に送る歌=大地讃頌」が4パートに分かれているため、クラスの生徒もパートごとに着席する。そのため、昨日の予行からちょっとだけ気を使った。が、生徒たちはそれほどの時間をかけたわけではないのだが、見事な歌声を聴かせてくれた。本番ではしっかりやってくれる生徒たちだし、心配はしていなかった。歌を聴いているうちにジーンと胸にくるものを感じた。予行のときよりも、はるかに声も出ていて、感動的すらあった。これに、応えて3年生が「在校生に送る歌=空も飛べるはず」も男子・女子のハーモニーがきれいで、保護者席で涙を拭く父母も多数みられた。もう、それだけで生徒たちの想いは十分に伝わっただろう。

 今年の3年生は、2年3年と物理を教えていたせいもあり、それなりにおもい入れがある。毎日放課後に物理室で懸命に勉強している姿を見ていた生徒も多い。それだけに、彼らが自分の進路を決めて、巣立ってくれることを願っていた。合格を伝えに来てくれる生徒さんもいれば、奮闘むなしく再起を期す生徒さんもいる。卒業式を終えた今、それぞれに自分の進む道にわかれていく。いつか会う日を誓いながら…。もう30年も卒業式で生徒を送り出しているが、自分の子どもは一人として式に参加したこともなく終わってしまった。この時期になると、我が子に対する申し訳のない気持ちになるが、目の前の生徒たちをおいて出かけることはできなかった。これが、わたしの仕事でもあるし、最後まで見届けたいという自分のわがままでもあったのかもしれない。多分、この仕事に向いていない自分を絶えず意識しながらやってきたからだとおもう。今担当している学年を送り出したら、わたしの担任生活も終わる。本当は、定年ギリギリまで担任をしていたいのだが、もう若い人に道をゆずる時期だろう。そのあとは、わたしもこの教職を卒業する。30年も仕事をしたが、一向に進歩した実感がないのだから始末がわるい。早々に逃げ出すしか道はない。
◆2007/02/26(月) 10:35 Microsoft社また悪さ
 02/20(火)からMicrosoft社がまたバカげたことをはじめた。修正パッチの中に「不正コピー防止用認証ライセンスプログラム」を紛れこませ、パソコンに詳しくない人ならすぐに引っかかるようにして配布した。「自動更新」にしている人なら知らずに入ってきて、インストールされてしまう。これを入れることによって、もしWindows XPの認証ライセンスに問題があれば、うるさいくらいに新しいプロダクトIDを購入をせまってくるというしかけ。まるで、他人のパソコンに土足で入り込んでくるようなもので、あいかわらずの「黒船外交」と同じスタンスである。これは、すでに米国などでは2005年からおこなわれており、非難ごうごうで、ついにはこのソフトのアンインストールの仕方を講評せざるを得なくなったもの。同じものをこの20日から日本・ロシアなどでも配布した。そうしたら、またしても同じような非難の嵐で、急いで米国で公表したものをそのまま機械翻訳して自社のHPに載せたのだ。まったく、いつもながら、わがままし放題のMicrosoft社である。ここでも、その論法は「自分たちの作ったWindowsの不正コピーをして使っているものを排除する」というもの。しかし、Microsoft社自体が、MSDOSを作って出すときに、ほぼ同様の手口を使って出来合いのものを、我が物のようにして発売していたことを、よもや忘れてはいるのではないか。Windows自体もMacintoshのものマネである。あちこちからモジュールを盗み出しては、新しい機能のようにしてつけくわえてきた歴史をわするべからずである。ネット配信を利用したこうした横暴なやり方は何としても止めにしてほしい。ほとんどのユーザーにとって、高い買い物と知りつつ、やむなくMicrosoft社のOSを買っている現状をよく認識すべきである。ちなみに、同じことはほとんどLinux等のUnix系統のOSでもできるようになっている。カーネル(OSの中核部分)は無料であるこれらのOSにみんな遠からず移行していくのでは…、とおもっている。わたしにしてもそうかもしれない。
◆2007/02/22(木) 09:39 後期入試(筆記試験)
 さきほど、1時間目の「英語」のテストがはじまった。わたしの担当は、テスト前の諸注意と3時間目の「数学」のテスト監督である。すでに4月からの入学者の半分(139名)は、前期入試で合格して決まっている。そのため、後期入試(調査書+筆記試験)は、残り半分の139名である。来年度のクラス数はどういう訳か、例年より1クラス多い7クラスになるため、募集定員は280名(2名分は転学してくる生徒用)になった。何でも聞くところでは、県内の卒業する中学生の総数が例年より多いとのこと。それにしては、試験会場の教室に行くと、志願変更をして抜けた受検生の空き席があちこちにある。出て行った分は空席にして、入ってきた分は受検番号のあとのほうにつけるためである。倍率はごくふつうの1.3倍ほど。ふしぎなもので、あれほど「学校の特色、特色…」などと騒いでいる管理職も、この志願倍率にはとんと関心がないみたいだ。この何気ない数値に受検生の高校を見る視点が隠されている、と見るのは、わたしのような数値マニアくらいなものか。

 神奈川県内の公立高校の最高倍率は「横浜翠嵐(すいらん)高校」の2.58倍である。横浜駅から歩いてもいける地の利と進学校としての伝統をもった高校なので、志願者も私立併願の強みもあってか、強気の攻めで来ているのだろう。神奈川でも学区が廃止されて、受検生はどこでも受検できる。当然、地の利などがあれば、受検生はあつまる。それと、やはり大学への進学率などは念頭にあるだろう。ここでも「二極化」の流れがあり、旧進学校組と底辺校組である。これらは、社会の需要上、自然にできてくる。その他のところは、この中間で前者に近いか、後者に近いかで、区分けできそうだ。大学だけでなく高校も「入れる高校」ではなく「入りたい高校」を選択する時代になったようだ。これは公立高校にもいいことだ。
◆2007/02/19(月) 07:36 江ノ島ウォーキング
 2/17(土)は、朝から相鉄いずみ野線弥生台駅まで出かけ、「江ノ島ウォーキング」に参加した。山岳会の山路さんが住むマンションの自治会の人たちに呼びかけて実施しているもので、今回で3回目だという。和泉川から境川に合流しているコースに沿って、江ノ島まで約20kmほどの距離を歩く。天気はくもりで、暑くはないが、この日は多少「花粉」も飛び始めており、相当にティッシュを使った。川沿いの道を行くのだが、サイクリングもできるようになっているせいか、歩いているとときおりかなりのスピードの自転車が来る。どうみても、これは道を分けたほうが安全だとおもう。自転車が人に与える運動量はかなりのものがある。後ろから追突されれば、命を失うこともあるだろう。こういう整備をするのは行政だろうが、作ればいいというものではない。実態をきちんと把握してつくる熱意に欠けているといわれても仕方ない。それと、無駄な河川周辺の工事が多数あった。ほとんど使いそうもない野球場などを使っている。大きなムダだある。ただ工事をするだけのために工事をしているみたいに感じた。こういうのは、日本中どこでも行われていることだろう。

 4時間半ほど歩いて、江ノ島に着いて、そこで宴会。夏ならすき間を見つけることもできない砂浜にシートを引いて飲み始める。寒いけれど、歩いたあとの高揚感もあり、ワイン2升、日本酒900ml、焼酎900mlが半時間もしないうちになくなる。その後、江ノ島をちょっと見学してから、散会。わたしと山路さん、佐々木くんは横浜へ向かう。何でも山路さんの友だちが横浜に来るというので、なぜか知らぬが、それに同行することになる。まァ、飲み会である。佐々木くんはかなり疲れたようなので、横浜にて別れる。夕方6時に待ち合わせの場所で、無事合流。山路さんの若き日の知られざる一面を聞きながら、飲む。いつものように、かなり遅くなって帰宅した。疲れた1日であったが、まァ、たまにはこういうのも悪くはない。
◆2007/02/14(水) 16:18 大学入試真っ盛り
 いつも、物理準備室の隣にある物理室に来ている3年生たちが、きょうはほとんど来ていない。きょうも都内の大学の入試ででかけいるのだ。昨日も来ていた生徒さんも今ごろは試験を終えて、帰途についたころか。多数の大学を受験する生徒もいて、そうなると受験費用だけでもかなりになる。私学だと1校35000円として、受験料だけで35万円もの大金になる。それでも、合格してくれればいいが、運が悪いと、すべてに落ちることになる。まるで、お金を溝に捨てたようなものである。

 当たり前のことであるが、試験会場には本人しか入れない。どんなに必死に教えたとしても、受験するのは本人である。本人が一人で実力を出し切れなければ、合格はできない。そんなこともあって、わたしは、普段から生徒が自分の力でやることを何度も何度もくり返す。試験会場で頼りになるのは、自分の頭と手だけである。受験はいつの時代でもきびしいものかもしれないが、「自分の力で乗り切る」ということを学ぶにはもっともいい方法であるとおもっている。

 受験した生徒さんたちは、学校へくるときに、入試問題をもって来てくれる。これは、じつの助かる。全部の大学の学部ごとの問題などなかなか手に入らない貴重なものである。それも、受験したときの生々しい鉛筆の書き込みのあとのあるものを見ると、胸がしめつけられる。「無事解いてくれただろうか…」と心配にもなる。それらをコピーさせてもらい、ていねいに分類して保管しておく。その場で質問が出て、一緒にかんがえることもある。受験生の盲点をついた出題もある。こっちもついひっかりそうになり、一晩かんがえたら、「なんじゃ、こりゃ!」というような問題もある。こんな紙一枚で人の実力などわかるわけない、などというなかれ。入試をする方だってそんなことは百も承知だ。ただ、入試の方が「ケンカや殴り合い」「顔のよさや家柄」云々より多少マシかなくらいでやっているだけである。これも、長い人間の選抜の歴史の結果である。はずれもあるが、当りもある。人間、その程度である。
◆2007/02/09(金) 07:53 マラソン大会
 天気が心配されていた校内マラソン大会がきょうある。天気は以前の予想が大きくはずれ、くもり時々晴れの予報になっている。毎日、気象観測をしているので、昨日の観測から、きょうは雨は降るまいということはおおよそ予想ができていた。自分の予報の方が当たることは、今までの経験でわかっていた。そこで、大会でつぶれてしまう授業でやる予定にしていた「単元テスト」を昨日に繰り上げてやっておいた。これも、まさに正解であった。気象データの解析と観天望気の2つをきちんとすれば、ほぼ2日間くらいに天気は予報できる。最近の気象官たちは室内でコンピュータの出すデータを眺めているだけで、空は見ていないに違いない。まァ、これでは自然科学なんていえないよな。まずは、空を見よ!である。そんなことはおいても、予定通りにマラソン大会ができるのは助かる。延期になるといつまでもひきずって、授業の進度にも大きく影響する。体育の先生方には「命!」のマラソン大会。サーッと終わってくれればまことにけっこうだ。生徒たちは、授業の成績も関係しているので、仕方なしにやるのだろう。しかし、走れるうちが華である。高校生ぐらいまではこういうのもいいだろう。
 自分が高校のときも、マラソン大会はあった。男子だけの高校だったので(決して男子校ではないが、女子ははいってこない状態)、スタート時などはひどかった。田んぼの中を走っていく者やずるをするものなど…。それでも、部活動対決のような雰囲気もあり、それほどきらいではなかった。あの頃は、走るのも苦にならなかった。今は、無理をして走ることもない。クラスの生徒たちの応援もできた。みんなよく頑張っていた。えらい。一緒に走るだけが能ではない。応援も大事な役目。それに徹していきたい。
◆2007/02/05(月) 07:56 自宅PCアップグレード
 昨日は、じつにせわしない1日であった。まだまだ先だろうとおもっていた自宅のPCのアップグレード(別に新しいのを買うわけではない。部品の交換だけ)をついにやってしまったから。土曜日に、友人の佐々木くんと横浜で会った。そのとき、少し早めに行き、PCショップを何軒かまわって見て歩いた。会話の中で、どうも今度出た「FlightSimulator X」は、CPUを換えるよりは、グラフィックカードを換えたほうが効果があるのでは、ということになった。前回のFS2004のときも同じで、このような3Dグラフィックを多用するゲームソフトの場合、グラフィックカードのメモリがじつに大きな影響を及ぼすことは、当然知っていた。そして、またしてもか、という気持ちになった。そこで、CPUの交換はひとまずおいて、グラフィックカードの補強をすることにした。あるショップで中古でいいのがあったので、買ってみた。メモリも256MBついており、十分なものだった。飲んで帰って、自宅PCのカードを交換してみた。しかし、電源供給不足のエラーメッセージが出て、ダメ。電源が400Wなので、もっと大きなものにしないとダメらしい。
 そこで、昨日、午前中の仕事を早めに切り上げ、横浜まで電源を買いに行った。550Wのものを比較的安い値段で購入できた。そして、自宅にもどり、電源を入れ換えてみた。この作業には、佐々木くんにも来てもらい、手伝ってもらった。もう、電源は十分だ。だが、いざ起動してみると、やはり電源供給不足のエラーメッセージが続発。「おかしいなー」となり、どうも中古のカードが不具合なのではないかと判断した。返品が効くのは1週間以内。そこで、思い切って、2度目の横浜行き。ショップで見てもらうと、同じエラーメッセージが出たが、そのあとはふつうに動くようだ。どうも、わたしのPCのマザーボードとの相性が悪いのかもしれない。そこで、返品してもらい、費用を返してもらう。そのあと、別のショップに見に行くと、今まさに返品した来たものと同等のカードで、しかもメモリが512MBあるものが、通常よりかなり安く売っていた。店員の方にていねいに質問して、思い切って購入してきた。帰りの電車の中では、「もし、今度のカードが合わなければ、いさぎよくアップグレードはあきらめよう」などと、悶々とかんがえていた。
 自宅にもどり、夕食前だったので、すぐに作業にはいる。グラフィックカードを差し換えて、祈るような気持ちで、起動。512MBはきちんと認識できている。次に、WindowsXPが立ち上がる。ここで、エラーメッセージが出れば、ダメだ。お、お、何も出てこない。しばらくあれこれのソフトで試したが、エラーは出ない。最後に、一番負荷のかかる「FlightSimulator X」を起動してみた。容量が大きいので、データの読み込みはどうしても時間がかかる。画像が出てきたが、エラーはなし。実際に飛行機を飛ばしてみたが、これまたエラーは出ない。「は、は、〜」とため息が出た。「やっと正常に動いたなー」とひとりでホッとする。その後、何度かPCの電源を切ったり入れたりしたが、異常は出ていない。夜まで何も口にしないで集中していたので、このときになって、急にお腹がすいてきた。電源を落とし、冷静な気持ちになって夕食についた。今回も何とか乗り切った。今まで、このようなことを何度経験してきたことか。それでも、この「FlightSimulator X」とは縁が切れない。今後もつづけていくのだろうな、きっと…。
◆2007/02/01(木) 17:51 あっという間に2月
 それにしても、早いな。もう2月である。つい先日、正月を迎えて、あれこれ仕事や新年会などをしていたら、ひと月などあっという間の出来事だった。誰だったか、10年毎に「時間感覚」は、Y(t)=a/tのような関数になっており、たとえば、a=10(歳)とすると、t=50(歳)の人の時間感覚Y(t)は1/5になる、とか言っていたのを聞いたことがある。これによれば、わたしが27歳頃に感じていた時間の感覚と現在では約1/2となる。たしかに、そのように感じることも多い。近頃では、起きて、仕事に出て、気がつくともう夕方である。きょうも、つい先ほど、授業がはじまり、あれこれ仕事をして、気がつくと、もう終業の時間をすぎている。何か充実したことでもしていたのか、といわれるとそうでもない。バタバタやっていただけである。特殊相対性理論などとおおげさなことをいいださなくても、時間感覚はたしかに歳をとるごとに短くかんじる。そんなことはかんじないという人もいるだろうから、これを敷衍することはできまいが、漠然とはみんなかんじているのではないか。この2月もまた後期入試があったりと忙しない。それが終わると、すぐに卒業式。昨年の4月に出会ったクラスの生徒たちともお別れだ。この4月からはまた新しいクラスの生徒と出会う。1年など本当に矢のようにすぎて行く。そして、そのまま元気でいれば、定年となる。そのあとには、一体何が残るのか、わたしは知らない。知りたくない。本当は、その時点で眠っているときにでも、痛くない心筋梗塞かなにかでそっとこの世を去って行きたい。老後のたのしみなんて、わたしにはないからだ。それにしても、加速度的な時間の推移に唖然とする。
◆2007/01/27(土) 10:22 ついにFSXが発売された!
 と、いってもほぼ99.9%の人には、「FSX?映画か?」というところであろう。それでいいのである。これは、飛行機マニアにはわかるし、わからん人に興味をもってもらおうともおもわない。この雑感は、わたしの勝手な雑事に対する感想なので、勝手に書くだけである。FSXとはMicrosoft社で出している「FlightSimulator」の10作目になる新しいソフトである。パソコンの性能限界ギリギリを念頭に3Dグラフィックをフルに活用した「パソコンで飛行機の操縦ができる」ソフトなのである。わたしのHPの容量のほとんどは、これを使って世界中を飛び回ったときのフライト日記になっている。この新しいソフト「FlightSimulator X」が昨日発売(リリース)されたのだ。「X」は「エックス」ではなくてギリシャ数字の「10(テン)」にあたる。ちょうど10作目になるからだ。わたしは、このソフトを友人の佐々木くんに教えてもらい、DOS/Vマシン(なつかしいなー)以来、飛び続けている。FS4の頃の何ともアニメっぽい飛行機がちょこちょこ動くのに感動していたのをおもうと、今回出た「X」ではもう想像もできないほどの隔世の感がある。居合の稽古を終えて帰宅すると、稽古着を脱ぐのももどかしいほど。すぐに、インストール作業にはいる。今回からはDVD2枚での提供である。容量が大きいので、時間は30分近くかかったのか。Demo版で問題なくインストールできることは確認していたが、じれったい。無事インストールを終えると、すぐに認証ライセンスの登録を継続しておこなう。これにて、DVDドライブにDisk2を入れておかなくても、そのまま起動できる。それが済むと、さっそく操縦桿を出して、お気に入りの「Baron58」で厚木飛行場から飛び立ってみる。設定はしばらくはいじらないで、ディフォルトで飛ぶことにしていたが、それでも今までのバージョンでは、特別なシーナリを入れないと表示されなかった相模川がきれいに辿れる。丹沢山系も毎日見ているのとほとんど違いはない。「すごい!」の一言。これで、当分はまた楽しみができた。生きているといいこともあるなー。
◆2007/01/25(木) 10:40 前期入試(面接)
 9:15から前期入試の面接がはじまった。きょうと明日の2日間でおこなわれる。受検生は、緊張したおもむきで昇降口からはいってくる。募集定員140名ほどのところへ、300名以上の志願者であるから、けっこう難関である。1人あたりの面接時間は正味10分ほど。質問の内容にどう答えるかではなくて、一連の態度などを見ているといっていい。中学校からは調査書が、本人からは願書提出のときに自己PR書が出されるが、面接のわずかな時間でその受検生の素質を見抜くことなど、だれにもできない。受験に強そうな中学生は私学の進学校などを受験するだろうから、公立の高校はその次のレベルをターゲットにせざるを得ない。本来なら、面接などというあいまいなものでなく、純粋に「学力」だけで取りたいのは本音であるが、そう無理もいえない。部活動の実績などを見て、入学してから部活動で少しでも活躍してくれそうな受検生を次善の策でとるしかない。これも、実際には、おもった部活動などにはいってくれないのは、私学とはまったくちがう(私学は部活動に入ることを前提に入学を許可している…部活動を辞めれば自動的に退学である、公立ではそんなことはできない)。

 明確な基準のないままに行われるこれらの前期入試には、現場の公立高校でも批判する人は多い。わたしもその一人である。こういう制度をかんがえる県教委などの役人さんたちの頭の程度をうたがってしまう。その人間をみる目の甘さがじつに情けない。学校の真の目的は、ゆるぎない学力をつけることである。部活動などは余裕のある生徒たちのものであり、そんなに運動がしたければ、スポーツ科学科などのある高校に進学すればいいのである。現にもう学区もなく、どこでも受験できる。幹と枝の見分けを違えてはいけない。学校は勉強するところなのである。これを、学校にまつわる言説の根幹に据えなければいけない。道徳心だとか公共の精神だとか、ごちゃごちゃいっているものも多いが、何を履き違えているかといぶかしくおもう。学校でやるべきことなど、じつは「学力=卒業後も学んで行くであろう学問の基礎」であり、それしかない。それだけできれば、学校は十分に存在意義がある。そうでは、ないのだろうか?
◆2007/01/17(水) 07:44 前期入試
 本日より、前期入試選抜の願書受付がはじまる。神奈川県では、公立高校の入試は前期と後期の2回あり、前期は「自己PR書・調査書・面接」の3つで、後期は「入学試験・調査書」の2つでおこなわれる。中学生のほとんどが高校に進学するこの時代に、2回もやる必要などありもしないのだが、県民に媚びて、県が勝手に決めてやっている。今まで何回も書いているように、わたしは、「入試は試験1本1回」でいいとおもっている。現在のこの制度はまったくのムダとしかかんがえていない。2回やっても1回で選抜したときと、生徒の質になんら違いが見出せない。前期入試のようなあいまいな方式があるおかげで、返って、高校の勉強についてこれないような生徒が合格してしまうおろかしい結果も多々ある。入学してから勉学面でまったくついて来れず苦労しているケースも現実にある。馬鹿げたことだ。

 入試の制度をいくらいじっても、結果的にはまた同じペーパーの試験にもどる。これが最善というわけでもないのだろうが、人間がかんがえつく選抜法に最善がない以上、次善の策でいくしかない。人間の長い選抜の歴史をみても、多くの受験生の中から何人かを選ぶ方法として、ペーパーテストはかなりの威力があるとおもっている。会社の人事部の人たちや大学の面接官が選んだ人たちが、どんどん辞めていったり、授業についてこれなかったりという話しを聞くと、尚のことそうおもう。方法の是非については多くを歴史に学ぶべきであろう。
◆2007/01/12(金) 07:57 トイレ
 歳のせいか、若いときよりトイレが近い。職場では職員用のトイレと生徒用のトイレがある。わたしが常駐している物理準備室は職員トイレには遠いため、近くの生徒用トイレをふつうに利用している。勤務校は、学校の外見はもうボロで、正直なところなんとかしてほしいと願っているが、トイレだけは生徒諸君や職員の方の使い方がいいのか、じつにきれいである。これが、わたしがこの勤務校の一番に好きなところである。これは不思議なことにどんな場所でも該当するようにおもっている。
 外見がきらびやかで豪華なホテルや旅館などでも、まず部屋にはいるとトイレをチェックする。くもの巣があったり、壁が汚れたままになっているところは、もう2度と利用しない。料理や温泉などはその次の問題である。トイレをきれいに保つには、人の目のあまりふれないところまで気づかう細やかな気持ちがないとできない。そういう点に気をつかっているところは、やはりその他の問題もすくない。わたしは職場を相当に変えたが、現任校はその中でもトップクラスにきれいである。早朝に職場に着き、便意をもよおしたとき、トイレに行き、そこがじつにきれいに掃除がしてあって、気分を害する人はまずいまい。わたしは、感謝の意味もこめて、次に利用する人のために、トイレのペーパーをとりやすいように三角に折ってくる。トイレが汚い学校や職場は、どんなに外見を飾ろうが、進学成績を高めようが、わたしには荒れた学校・職場でしかない。どんなボロの家でも(わたしの家もそうだが)、トイレをきれいに使い清掃をし、いつ誰が来ても気持ちよく利用できるようにしてある家に問題はほぼない。そういう意味では、トイレはその場所を利用する人たちの気持ちのありようを如実にあらわしている。下半身の問題なので、とってつけた頭の問題でなく、その人たちの本能的な真の姿をおしえてくれるのかもしれない。トイレとはじつに恐ろしいほどの鏡なのである。トイレなどといって侮ることなかれ。
◆2007/01/09(火) 08:10 気合いの入らぬ始業
 きょうから、生徒たちが登校する。勤務校は2学期制なので、とくに始業式などはない。1校時目に大掃除をして、2校時目からは1・2年生は冬休みの課題テスト、3年生は通常の授業をおこなう。1・2年生もテストが終わると、3年生と同じく通常の授業がある。何とも、しまらない、気合いの入らぬ始業になる。2学期制を無理に取り入れてみても、どうということはない。むしろ、季節感だけが失われてしまう。勤務校も2学期制にして4年ほど経つが、さっぱり根付かない。自然のリズムにあわないものは、どうしても「無理にやっている」という不自然さだけが目立つ。3学期制がそれほどいいともいえないが、それでも季節感だけは感じられ、生活のリズムはあった。テストが多くて嫌だという人も多いようだが、テストをしないで勉強できる人がどれほどいるのか、むしろそれがモチベーションになっていた人も多いはずだ。「授業時間確保」が錦の御旗のように合言葉になり、形だけが大学のような2期制になってしまった。困ったことである。まだ、基礎の勉強をしている小中高などの段階では、風土の気候にあった制度にすべきであろう。わたしのような、保守(ではなくて自然天候派なのだろうが)的な人間にとっては、季節感にそわない制度など自然に淘汰されてしまうだろうとしか、おもえない。まァ、はじまってしまえば、いつもの学校生活が淡々と進むのだが、何とも気持ちにメリハリがない。制度というのは、人間が作るものではある。が、自然の流れに逆らっては、そう長くはつづかないことは、古今の歴史が静かに教えている通りである。生徒たちにも気合いはかんじられない。これまた困ったことである。
◆2007/01/03(水) 11:01 新年恒例大江戸ツアー
 昨日、恒例になっている(勝手にしてしまった?)「大江戸ツアー」に行ってきた。天気予報は曇りから雨とでていたが、集合時間の10:00ちょっと前に上野の西郷さんの銅像前に着くと、少し陽射しも出てきてホッとする。何人集まるのかわからなかったが、山路さんが到着して聞くと、わたしをふくめて4人とのこと。声をかけたほかの皆さんもそれぞれ用件がはいっているようで、昨年と同じ顔ぶれになった。全員がそろうと、さっそく出かけることにした。今回のルートは指原さんが作ってくれることになったので、彼のあとについていくだけで楽。国立西洋美術館・科学博物館の並びの通りをのんびり雑談しながら歩いていく。まずは、谷中のほうへ向かう。このコースは歩いたことがないので、興味しんしん。ちょうど読んでいる池波正太郎『剣客商売十四 暗殺者』新潮文庫の舞台になっているのが、この谷中の周辺である。上野の山自体が寛永寺という寺だったようで、そこから谷中の方面には名前のとおり谷に向かう形になる。今回は谷中そのものではなくて、かすめるように進み、すぐに鶯谷駅に寄った。この駅周辺はラブホテル街で、ものすごく軒数が多い。夜はともかく、昼前のホテル街はちと気合のはいらない場所でもある。それぞれのホテルがいろいろと趣向をこらした作りになっており、こうしてみると楽しさもある。ま、元気な人たちはそれらのホテルで頑張るのだろう(ご苦労様)。わたしたちは、駅の改札のところで周辺の案内図をもらい、そこから「下谷七福神めぐり」の旅にでることにした。指原さんがインターネットで調べたらしい案内図をもっていた。こちらは気楽にあれこれ興味深げに周辺を見ながらついていく。

 最初に寄ったのは、入谷の鬼子母神。うっかりして職場(この3日まで入れない)にデジカメを忘れてしまい、仕方なく携帯電話についているデジカメで撮影して、そのまま自宅のパソコンへ添付メールで送っておく。こうしておけば、すぐにホームページなどにのせられる。まったく、便利な時代になったものである。七福神めぐりにはそれぞれの神社(不思議なことにお寺さんもある?)で押して印を押してもらうための色紙があるので、700円で購入する。それに、1つ印をもらうのに100円かかる。神様もいろいろと要りようのようで、神頼みするにもしっかりお金がかかる。昼前にはほぼ回り終えたので、昼飯を浅草で食べようということになった。浅草まではそれほどの距離でもない。もう何回行ったかわからないほど行った場所だが、わたしの好きなところである。とくに仲見世が好きだ。しかし、この正月の時期はとても歩けまい。案の定、近づくとどんどん人がふえていく。以前にも仲見世通りの近くで食事を取ろうとして、えらい待たされて食べた経験があるので、少し離れたところのなんとも昭和風の中華料理店に入る。元気なおばあさんが一人でお客の注文取り、配膳をこなしている。ここで、ビールを4本頼み、野菜炒め2皿と餃子2皿で飲む。最後にわたしはタンメン、みんなは五目麺を頼み、一気に腹をみたす。すでに、きょうのノルマは達成しているので、あとは新年会に向けて、気持ちを盛り上げる。店を出ると、ものすごい人出の通りを避けて、昔風に建て直したとかいう「伝法院通り」をぶらぶら歩きながら浅草寺のほうへ。この通りの途中で、ひょっとしたらあるかもしれないな、と予感していた「冬用作務衣」を偶然にも発見。しかも、夏用に来ているのとまったく同じ久留米産の日本製。最近はほとんどが東南アジア製なので、こういうのだけは日本製を着たいものである(などといっても別に美しい日本のためではない)。あちこち探したが、作務衣などは夏ごろにちょっと店に並ぶだけなので、こうしていろいろな和風のものがおいてある浅草はなんといっても貴重な場所だ。これを買いこんで、もう満足。浅草寺への参拝はあまりの人混みで断念。仕方なく、上野にもどって次をかんがえることにする。

 上野まで来て、アメ横を歩くか、通りに近づくと、これまたものすごい人。またまた、隣の人混みの少ない通りにはいり、御徒町駅まで。途中で、指原さんは靴を買い込んだ。それぞれ、何かをねらっているらしい。駅について、みんなが電車に乗り込もうとする寸前に、わたしが「そうだ、HDDをちょっと見たいので、秋葉原までこのまま歩こう!」と突然の提案。みんな「またかよ…」という(-_-;)をしたが、無視。ぐいぐい歩いて引っ張る。じつは、前夜に自宅PCにつけてあるSlave用のHDDが壊れたので、それを補充したいなとちょっとおもっていたのだ。Masterで160GBあり、30GBしか使用してはいないのだが、もしものときのバックアップを取るためにもう1台つけている。それを見ておきたかったのもある。かつての面影はなく、萌え系の町と化してしまった感がある秋葉原ではあるが、しかるべきところにはきちんとそれなりのPC部品もそろっている。が、今回はまたまた一転して、今まで大きな店舗のなかった駅東にできた「YODOBASHI-AKIBA館」に行ってみる。何でも7階には美味しい居酒屋さんもあると聞き、それなら途中でHDDも見て、飲むほうもそこでしようとなった。店は「日本海庄や」であった。な〜んだ、これなら横浜でもそこに行こうとおもっていた店である。ここで新年会をしても同じだ。となり、さっそく新年会の開始。まだ、夕刻の16:00前である。けっこう歩いたせいか、ビールがじつにうまい。ビール→日本酒→焼酎の定番コースを経ながら、次第に気持ちよくできあがっていく。

 そこで、19:00頃までやって、さてお開きにするつもりで、電車で東京駅まで行き、そこから東海道線に乗り換えようとしたら、何と年始そうそうから「人身事故」あり。電車はほとんど動いておらず、何とか品川まで移動したが、そこから先はJRでは、ダメのようだ。品川が大きく変わったという話は聞いていたので、これを機会にちょっと寄ってみようとなり、駅を出て歩くと、「いけない…」、目の前に薩摩何とかという居酒屋がうまそうにして、おいでおいでをしている。電車が動かないのをいいことに、またしてもそれを口実に、店にはいる。適度に混んではいるが、いい雰囲気だ。そこで、またしても、ビール→日本酒→焼酎の繰り返し。気がつくと、きょう2本目の焼酎のビンが空になっていた。新年会を2度やったようなおもいだ。それでも十分に満足したところで、駅に再度はいっていくと、またしても電車の遅延がつづいている。やむなく、京急に電車を変えてみると、あっという間に横浜へ。ここでは、もう飲み疲れてしまったので、おとなしく帰宅することに。それにしても、充実したいい新年会であった。そして、早々と来年のコースも決めてきた。それまで、また元気にしていられたら、これまた幸いである。

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