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雑感2008


■今年は気持ちを入れ換えて

 きょうは、5月の11日。昨年末にこのホームページ自体の更新作業を中止し、そして3月には完全にページの削除をおこなった。もう10年以上もやっていると、どうしてもダレてくる。それに、最初の頃につくった文章などを読み返す時間もとれない現状にあり、どこかで一旦更新をやめて見直す機会をつくりたかった。それで、10年を機会に閉鎖にした。

 あれからほぼ5ヶ月。ときおり、以前に書いたものを読み返したり、メールアドレスを入れておいたものを全部削除する作業を細々とおこなっていた。今では、メールアドレスも悪用されるだけで何もいいことはない。ネットの当初は、メールアドレスを入れておくことは、ひとつのマナーであった。一旦悪用するものが出てくると、もう歯止めは効かない。毎日数百件のメール公害で辟易するばかりだ。もう、二度とメールアドレスの公開などはするつもりもない。本来ならば、これを媒介にいろいろ人と意見を交わすのがネットの楽しみでもあったのだが、今は、そういう牧歌的なことはのぞめない。せっかくはじめたこの雑感も自分の備忘録としてはとてもいいものなので、何とか残したいとおもい、再開設にあたって、このページも再開しようとおもっている。まァ、グチのはけ口かもしれないが、けっしてグチばかりではない。皆さんのお役に立つようなことでもあれば、うれしい。

 2008/05/11 (日) 15:03


◆2008/12/01(月) 07:55 今年も忘年会
 この土日で、山岳会の忘年会で湯河原に出かけてきた。両日とも快晴に恵まれ、いい旅行&忘年会ができた。山岳会の面々は普段からの付き合いも多く、気心もしれた仲なので、気楽に出かけられる。企画は会長の山路さんがすべてやってくれた。いつもながら、感謝である。美味しい酒を呑みたいという気持ちもあり、私はいつも持っていく「いづみ橋無濾過純米吟醸酒(恵)青ラベル」を、特別ゲストで来てくれた湯上さんは、何と名酒「雪中梅」を…。当然のことながら、どの宿も「持ち込み禁止」であるが、これを徹底すれば、宿自身が不利益に陥るだろう。持ち込みなど高が知れているのである。宿においてある自販機の酒や出されるお酒の程度が低すぎるのである。というより、法外な値段をつけて買わせる無神経さが問題なのである。とか、いいながら、自分たちでも確信犯的な行動をとっているのは本当はよくない。が、宿にももう少しのゆとりをもってほしい気持ちもある。持ち込み料金をきちんと明示し(当然安いのが望ましい)、客も気持ちよく持ち込めるようにしてあれば、両方とも変な詮索をしなくてもすむだろう。

 忘年会などなくても何も変わらないのだが、不思議なもので、これをすると1年間を無事送れたという手ごたえみたいなものを感じる。ま、気持ちの切り替えかとおもう。単なる酒を呑む口実でもあるが、こういうムダも必要である。最近の世相のように「あれもムダ、これもムダ」と物事の削減ばかりの風潮があると、天邪鬼のわたしは、返ってこういう会に力がはいる。ムダ、大いにけっこうである。人生などムダの集積みたいなものだから…。
◆2008/11/03(月) 09:39 結婚記念日
 昨夜は、わたしら夫婦の結婚28周年というので、家族全員で近くの回転寿司屋さんで食事をした。もうそんなに経ったのかというおもいと、3人の子供たちがそれぞれに自立してくれていることに、ありがたい気持ちで一杯だった。普段、それぞれが自分の仕事でなかなか顔をそろえることもないが、子供たちも立派に成人してくれた。父親として何もしてやれなかった。その役目をカミさんがぜんぶしてくれた。感謝している。自分にはもったいないような嫁さんに恵まれて、両親も悔いなくあの世に旅立ってくれたとおもう。それにしても、学生の頃には、自分が結婚するなんてことは実感としてなかったが、自然の流れはおそろしいもので、気がついたら結婚していた。若気の至りである。自分でもわがままな性格だと自覚はしていたから、そう長くはもたないかもしれないな、と少しは気にしていた。ただ、姉2人の末っ子としての環境からか、女性に対して、それほどの幻想を抱くことはなかったのが、幸いしたのかもしれない。淡々と生活を送り、気づくと28年も経っていた。TVドラマのような劇的なこともなく、ごくありふれた生活である。でも、これでいいのでは、と最近はおもっている。子供たちも順々にこの家を出て行くことだろう。自分もそのようにして実家を出てきたので、とくにあれこれいうこともない。自分の力で生活できるようになったら、好きにすればいい。

 わたしは、自覚的にも自己中心な人間なので、家族のことも本質は他人に対するのとおなじだとおもっている。3人の子供たちももうわたしの手ははなれた。それぞれの道を歩いていってくれればいい。失敗もあるだろうし、挫折も幸福もあるだろう。共に喜んだり悲しんだりはできるが、本人の代わりはできない。だから、もう対等の人間として付き合っていくだけだ。偶然だろうが、わたし自身の結婚生活も28年目になってしまった。熟年離婚が多いと聞く。わたしもその当事者になるかもしれないが、まァそれもいいだろうと諦念している。何も長くつづくことがどうとか、まったくおもっていない。偶然に出会い、偶然に別れる。それも人生だろう。今、こうして平穏な生活を送れているだけで十分に満足している。
◆2008/10/28(火) 07:58 無料でクラシック音楽
 ネットで、クラシック音楽がかんたんにダウンロードできる(それも無料で)。ファイル形式はMP3が多いようだが、ふつうにパソコンでそのまま聴けるので、重宝している。わざわざステレオのある居間に行かなくても、パソコンをやりながら聴けるからだ。ヒップポップのような音楽はあまり好きではないが、それ以外ならほぼ何でも聴く。なぜかな?とかんがえてみたら、ラジオを子供の頃からよく聞いていたから、その習慣が残っているのかもしれない。職場では、空き時間は「FM横浜」を聞いている。受信状態があまりよくないので、自分でアンテナを作って物理準備室の窓に張り付けたら、だいぶ改善された。大好きなクラシック音楽も適度にかかるので、いつも気持ちよく聴ける。AMの「ニッポン放送」もよく聞くが、こちらは歌謡曲などが多いのとおしゃべりばかりが目立ち、まァ、適度に付き合う程度である。TVより、静かに音楽を聴いていたほうが好きだな。クラシック音楽では、モーツァルトの曲が一番好きだ。次は、バッハ。ベートーベンやブラームスなどもけっこう好きだが、毎日は疲れる。モーツァルトは毎日でもいい。

 昨夜は、「のだめカンタービレ」で取りあげられて耳にする機会がふえた「ベートーベン交響曲第7番」を聴いた。指揮はオットー・クレンペラーだったとおもう。第1楽章のゆっくりした演奏は、彼の得意とするところだ。いい演奏で、おかげで第4楽章まで聴いていたら、風呂にはいる時間が遅くなってしまった。でも、気分はすこぶるよかった。床についても頭の中で、音楽が鳴っているようで、心地よく眠れた。こういう音楽が、CDも買わずに聴けるようになったのかと、ありがたい気持ちだ。時間があったら、またゆっくり聴きたい。
◆2008/10/21(火) 07:28 液晶モニタ
 液晶モニターの値段が安い。今までは、高いので見送ってきた。しかし、このところの安値に、とうとう2台も買い換えてしまった。自宅のPCのモニター(ディスプレイともいう)は、すでに使って6年をすぎていた。とくに異常はなかったが、ブラウン管式のSONY製17インチのもので、発熱は多い。パソコンラックの上部は、この発熱でかなり熱くなる状態だった。そこで、思い切って24インチワイドの液晶モニタに換えた。反応速度もブラウン管式のものと変わらなくなっており、とくに迷いはなかった。ちょうど息子も新しいPCにしたのと同時に5年ほど使った15インチ液晶モニタを新しいものに換えた。この余ったモニタをもったいないので、わたしがもらって職場で使っている私物PCのモニタに換えた。それまでのものも、すでに丸8年使っていたもので、近々のうちには…とおもっていたからだ。ちょっと使ってみて、どうも画面全体が暗くて昼間の仕事では使いづらい。もう少し、大きめで画面の明るいものがほしくなった。といっても、値段的には2万円以内しか、かんがえられない。そこで、先日、横浜に飲み会があったので、ちょっと「DOS/パラ」に寄ってみた。そうしたら、何と17インチ液晶モニタが\15800で売っていた。もちろん、ネットではその値段であることは知っていたが、現物があれば、見て買えるから安心。さっそく、店員の人にモニタの状態を訊いて、問題ないようなので、購入することにした。今まで使っていた17インチのモニタでも、4万円以上したのだ。だから、この値段で買えるとは何ともありがたい。重さも3kgほどで、今までの20kgと較べたらもう問題外。これで、仕事がしやすくなるかな…などとめずらしくおもった次第。

 翌朝、出勤してすぐにモニタを交換してみた。そうすると、じつにきれいな画面だ。解像度を最大にあげても、文字がくっきりはっきり見える。これは、交換してよかった、と素直におもった。画面も明るいし、熱もほとんど出ない。これで、仕事に精出そうという気持ちに少しはなった。それにしても、こんなに安くていいの?とちょっと不安にもなった。メーカーさんはこれでやっていけるのだろうか。
◆2008/10/20(月) 17:27 DVD版「剣客商売」
 池波正太郎の『剣客商売』は、もう何回も読んでいる。何度読んでもおもしろい。不思議なことに、他の池波ファンとちがうのか、この作品以外はとくに読んでみようとはおもわない。『鬼平シリーズ』や『藤枝梅安シリーズ』など有名なものはいくらでもある。が、わたしは、この『剣客商売』だけが好きで、それ以外はまず手を出さない。TVで放映された藤田まこと主演のものも10年ほど前にポツポツ観ていた。しかし、当時TVを観る時間などほとんどなかった。その作品がDVDになって5つのBOXになって発売されている。新聞でそれを見て、ほしいとおもった。カミさんに相談してみると、値段が9万円ほどもするというので、言下に却下されてしまった。残念。しかし、最近カミさんがよく利用しているレンタルのTUTAYAでそれを見つけたという。さっそく借りてきてもらい、3巻ほど観てみた。そして、本で読んでいる主人公「秋山小兵衛」のすがたそのものを、藤田まことさんが演じられているのに痛く感激して、はまってしまった。わたしと同じ趣味をお持ちの人がおられるようで、レンタルでなかなか借りれないときも多かった、らしい(いつもカミさんに借りてもらっていたので…)。しかし、ポツポツ借りてもらって観ているうちに、何とほとんどのDVDを観ることができてしまっていた。残るはあとDVD2枚だけ。最後になるのはさびしいが、本とほぼ同じような感覚が味わえたので、満足している。最後の2枚はじっくり観るつもりだ。蛇足:(本当は、レンタルDVDからコピーを取って、何度でも見ることは可能なのだが、どういうわけか、1回観れば満足なので、そんな手間はかけるつもりもない)
◆2008/10/20(月) 17:17 中島みゆき
 中島みゆきが好きだ。今も、PCで彼女のCDを聴きながらこれを書いている。2000年に出た「Singles 2000 中島みゆき」というCDがお気に入りである。もう飽きるほど聴いているから、全14曲のほとんどは頭の中でいつも鳴り響いているようなものである。だれでもある経験だが、前の曲が終わると、次の曲の頭がひとりでにわかる。これほど聴いても、聴くたびに「いい曲だなー」とおもう。彼女独特の世界が、歌を通して伝わってくる。ほぼ同世代なのかもしれないからかもしれないが、すばらしい歌手に出会えてよかったといつもおもう。このCDの曲のなかでは、とくに「たかが愛」という曲は本当にいい。目をとじて聴いていると涙がでてくる。
◆2008/10/14(火) 07:44 先生逝く
 居合・抜刀道を指南して頂いていた山口匠先生が、この8日に逝かれた。この半年ほど、闘病生活をされていたが、ついに病に打ち勝つことなく、この世を去られた。無念である。教えを受けること半ばにして、師を失ったショックは静かにつづいている。稽古中は、非常に厳しい先生であったが、稽古が終われば本当に気さくな方だった。まだまだこれからという69歳での他界であった。治療中の痛みにも、決して弱音を口にされることなく、「稽古をしたい」といつも口にしていたと奥様にうかがった。ご自分でも、まさかこんなに早くこの世を去ることなどおもわなかったようだ。容態が急変して、あっという間に去られた。

 先生のご遺体が自宅に戻られてすぐに、ご自宅に先生のお顔を見に出かけた。静かに寝ているようであった。奥様と病院でのご様子などを話していると、ついこみ上げてくるものがあり、何度もハンカチを目に当てた。自分の両親を見送ったときとはまた別な想いがあり、順番とはいえ、まだ早すぎる逝去が悲しい。

 五十を過ぎての入門であったが、新しくできた道場だったため、二番弟子という形になり、毎週2回の稽古日は極力休まずに出かけた。自宅でも、形の練習や素振りなど稽古に励んだが、最低10年はつづけたいとかんがえていたので、焦りはしなかった。当然、先生もその位は長生きされて指導してもらえるものとおもい込んでいた。まさか、こんな形になるとは…!それだけに落胆は大きい。しかし、この現実をきちんと受けとめざるを得ない。これからの稽古をどうするか、道場の存続はどうなるのか、など門弟一同で相談すべきことは多い。結果的には「なるようになる」と諦念しているが、できれば修業はつづけたいという気持ちは強い。まだ、先のことはかんがえられる状況にはないが…。

 あの世にいったら、また先生と剣談を交わしたいものである。
◆2008/10/06(月) 17:16 勤務時間終了
 去年からだったか、くわしいことは忘れたが、勤務時間が8:30〜17:15になった。それまでの終了時間が17:00から15分遅くなり17:15までになった。昼の休みが12:30〜13:15までの45分取れると勘違いした役所の連中が、自分たちの職場環境をもとにかんがえたのかもしれない。バカだよな、あいつらは。毎日、昼休みに何かの指導があったり、会議が平然とはいっている現場のことなどかんがえもしないのだろう。ちなみに、きょうの自分の行動をふりかえると、昼休みはなかった。3校時目の空き時間に、7分くらいで、昼食をすませた。授業の準備はしなけれならないし、推薦を受けて大学進学を予定している生徒たちの推薦書の下書きつくりなど、やりだすと切りのないほど仕事はある。係のPTA関係の大会参加者の集計やら人数の報告など…。定型の仕事なら、同じことを繰り返せばいいが、わたしの仕事はことばはよくないが、「生もの扱い」である。どんどん仕事は向こうからやってくる。そして、気がつくと、もう勤務時間など、あっという間に終了になる。これで、帰れるかというと、そんなわけにもいかない。今もちょっと様子を見てきたが、部活動がある。18:30くらいまではやるので、その時間までは待機しながら、雑務処理にあたる。部活動など担当はしたくないが、2つの部活(わたしは主顧問なので、1つだけ)をもつことになっており、これも仕事の中だ。しかし、いわゆる「会社」などでの残業とはちがう。手当てなどほとんどない。手当てはないが、何かの事故があれば、責任だけは取らさせる。何とも勝手なものだ。残業なら残業で、きちんと払うべきものを払ってほしいと、いつもおもう。公務員だろうが、会社員だろうが、働くものとして当然のことである。

 人の善意をアダで返しているとしか、いいようがない。
◆2008/09/16(火) 16:25 文化祭のあと
 ようやく、文化祭が終わった。先週の木曜日の午後から本格的な準備がはじまり、14日・15日の2日間に文化祭があった。きょうは、その後片付けの1日だ。ほぼ午前中に片付けを終え、午後は後期の生徒会各種委員会の委員決めなどをして終了した。先週の月曜日から9日間つづけての仕事で、生徒も職員もきょうはグッタリしていた。わたし自身は、こういうのはそれほど苦にはならないが、それでも身体の芯が疲れているようで、ちょっと気をゆるめるとウトウトしてしまう。それに、昨夜は係でもあるPTAの役員のかたがたと、職場の近くの居酒屋さんで反省会をして、深夜に帰宅。寝たのが2時。そして、今朝起きたのが4時過ぎ。睡眠時間2時間ほどである。眠くないわけがない。ふつうなら、もう帰宅してゆっくり休むところである。しかし、きょうは、このあと、職員のほうの「お疲れさん会」があり、それに参加する(というか、その発起人の1人がわたしなのである、ホント、我ながらよくやるよ、呆れるな)。そもそも、このお疲れさん会は、わたしの提案ではなく、Oさんが言い出した。「この職場では、何かのイベントをしたあと、反省会もなくて、さびしいよな」と話していた。その話を廊下で再度聞いたとき、「大竹さんも発起人になってくれるよね」といわれ、気の弱いわたしはつい「いいですよ」と言ってしまった。どうも、これは大事になりそうな予感がした。

 翌日の朝の打ち合わせで、Oさんが「しかじかの会を催したいとおもうので、ぜひご参加を…」と提案した。ここまではよかった。こういう公式の席でいうことは、職員全員に言っているのだから、当然管理職なども枠にはいってくる。このとき、「もし、校長などが参加するといいだせば、他の職員はボイコット的に参加を拒否するだろうな」と予感した。その予感は、次第に的中しはじめた。校長を嫌っている職員は多い。案の定、Oさんのところに、「校長は参加するのですか?」という問い合わせが何件かあったようだ。そして、当日間際には、わたしが聞いたところでは、参加するのはわたしとOさん、そして校長、あと1人は若手の人だけという。それでも、当初予想したとおりだったので、別段おどろきもしなかった。個人的には、校長に何もうらみつらみもない。学校運営や授業方針などに関しては、意見の相違は当然ある。職員会議のような公の場所では、こちらの意見も辛らつにいうこともある。しかし、そんなことは、どの職場でもあること。個人的にどうこういう話ではない。まァ、飲み会で議論するつもりもないし、酒の席はそれはそれで楽しいから、行くことに決めていた。

 さて、当日の朝には、文化祭の後片付けがあり、どの職員にも疲れのようすが見られた。わたしといえば、前夜の酔いも多少は残っていたものの、どうせまた飲めばなおると、そう気にもしていなかった。この日の勤務時間は、割り振りの関係で、15:15までであった。が、その時間では肝心の居酒屋はやっていない。こういう仕事には、雑務はいくらでもある。それらをちょいとこの空き時間を利用してやっておいた。けっこうはかどり、次週の分までやってしまった。おまけに、今年度下半期の授業時間数のカウントもしておいた。こういうどうでもいいような作業も、飲みに行く前の片手間としてやる分にはそう苦にもならない。それが終わったころ、ちょうど店もあく時間になり、他の参加者など気にもせずにOさんと居酒屋に向かった。店もすでに開いており、ちょうどいい座席にもぐりこんだ。「このスペースでは、それほどはこないな」とすぐにわかった。何人でもいい。来たい人がくればいい。他に来る人を待つでなく、さっそくジョッキのビール(外で飲むときは、最初の1杯は本物のビールでしょう、これは…)で乾杯。だれが来るとも聞かない。そんなことは、どうでもいいことだ。ほどなくして、来ると聞いていた校長がやって来た。飲んで、仕事の話などおもしろくもないので、一切しない。あれこれ、たわいもないことを話していたようだ。それからしばらくして、今年度新採用で来られた若い2人が来られた。こういうときに、つい仕事の話などで、「昔はこうだった…」みたいな話しになるものだ。注意して、そういうことはほとんど触れなかった。若い人も、自分たちなりにやればいい。それをお説教がましくいうのもばかばかしい。校長は、この辺は、教えたがりのようだ。基本的にわたしには興味のない話である。飲み会で議論するほど馬鹿げたことはない。適当な話題で、楽しく飲めればいいだけ。そういうことをくどくど話す人とは、二度と飲まないようにしている。

 結果的には、わずか5名の慰労会であった。それも、慰労したい係の人はだれも来なかった。9日間つづけて出勤していて、疲れていたのもあるだろう。しかし、こういう会をもう一度やろうという気持ちは、正直なところない。これなら、自分の家でゆったりと呑んでいた方が気が楽である。こういう職場環境になってしまっていることも、じつにさびしいことである。
◆2008/09/09(火) 14:49 推薦入試
 今年も大学や短大、専門学校などの推薦入試がはじまった。「教育関係」のボックスにも何度も書いたが、わたしは基本的に(というか生理的にというか)「推薦」が大嫌いである。時代遅れかもしれないが、卑怯な入学方法だとおもっている。AO入試にはじまり、公募制推薦、自己推薦、指定校推薦などなど、もういろいろな方法がデタラメにおこなわれており、こんな制度があること自体に不快感をもっている。なぜ、ペーパーテスト入試一本でいけないのか?いつも疑問におもう。ペパーテストがベストだとはおもわないが、少なくても人間が作ってきた選抜法の中では、もっとも公平な方法である。形だけ、欧米でおこなわれているAO方式などを真似てみても、実質はほとんど「青田買い」である。第一、面接を1回やっただけで、数日もすると合否が出てしまうなど、あまりに受験生をバカにしている。そういう大学も現実にある。こういう大学に志願するのは、学校での成績がかんばしくなく、入学試験で得点できそうにない、自信のない受験生がほとんどである。実力もあり、試験に強い受験生は、まずそういう大学を志願したりしない。レベルの低い大学が、見栄をはって、最初の受験生をふるい落とすことなどはもう衆知のことである。まァ、そんなことをしているうちが華である。最後は定員にも達しないで、もうだれでもいいという状態になるなどすぐに予想できる。見栄をはらずに、素直に入れておけばいいのである。

 何度も書いているが、入試など単純な方法が一番いいのだ。どっちみち、他人の脳の中身など見えるわけでなし、紙の問題をやって、その結果でいれるだけで、何が悪いのか?面接などやってみても、受験生の資質を見抜ける大学教員などほとんどいるまい。高校でも最近は面接ばやりであるが(そして、わたしもその任にあたるが)、10分前後の面接で何がわかるのか?さっぱりわからない。わたしだけでないが、A・B・Cの3段階評価なら、無難な「B」にしておくのが、せいぜいできることだ。プロの面接官とかいうのがいるらしいが、本当か?たしかに、本屋さんにはそういう本がかなりの冊数おいてある。が、それが本当なら、その本を買って会得すれば、達人技の面接ができるのだろうか。わたしには信じられない。

 わたしの勤務校でも、指定校推薦がかなり来ている。大学等が提示している条件をクリアしてさえいれば、だれでもが推薦希望は出せる。しかし、ほとんどの生徒は、自分の行きたい大学等がないのと、自分の成績などの条件がクリアできずに、推薦希望を出せないことが多い。でも、わたしはそれでいいとおもっている。推薦など受けずに、自分のペーパー学力をどんどん伸ばして、見事栄冠をつかんでほしい。現在の入学試験など実に簡単になっているのだから、これからの集中で、十分に合格できる。自分の努力を信じ、努力が合格にむすびつくように精進してほしい。若い諸君にはそれがいつでもできる。頑張ってほしい。
◆2008/07/09(水) 17:50 酒との付き合い方
 最近、めっきり酒に弱くなった。毎晩呑んではいるが、少量しか呑まない。缶ビール350ml一本とコップ1杯の日本酒か焼酎だけだ。呑まない人から見れば、それでもかなり呑めるとおもわれそうだが、自分自身にすれば、何とも嘆かわしいくらいの衰弱ぶりである。先日は、とある懇親会で3軒ほど梯子し、そのあとヘロヘロになって帰宅したらしい(カミさんの話では…)。2軒目のカラオケへ向けて歩いているところで記憶が途切れており、そのあともう1軒行ったらしいが、まったく記憶にない。またまた、カミさんの話では、タクシーで帰ってきて、そのあと玄関でフラフラになり、上記のような話をしたそうだ。そして、訳もなくピアノに寄りかかって「酒に弱くなってしまった…」とホロホロ泣いていたという。泣き上戸などあるはずもないのだが、話ではそうなっているから、本当なのだろう。しかし、酒のことで泣くなどとは、涙が本当にもったいない。これが事実だとすると、かつては、一升瓶2本くらいは呑めた自分はもうどこにもいないのだ。酒は呑んでも、呑まれることのなかった自分が、今では前後不覚になって、やっとのことで帰宅するという、恥ずかしい状況になっている。酒のマナーだけはきちんとしており、呑んでも人の悪口をいうでもなく、淡々と会話を楽しみ、自分でもいい呑み助だとおもっていたのだが、それも過去の話になりつつあるようだ。

 酒は好きだ。本格的に呑みはじめたのは、20歳を過ぎてからである。ここでも、法令順守の傾向が自然にあらわれている。こっそり呑むなんてことは、当然その前にしている。が、いずれも表ざたにはならなかった。もうあの世に旅立って久しい私の親父も酒は好きだったし、お袋も好きだったから、これは家系のせいかもしれない。ビールは呑みはじめの頃はそれほどおいしいとはおもわなかった。しかし、勤めに出るようになり、職場の先輩で長年お世話になっているYさんと呑むようになると、ガンガン呑むようになった。今でも、ビールの味のちがいがわかるほどにはなっていないが、毎晩、仕事がおわると呑みたくなる。まずはビールで…というのが形である。しかし、ビールは腹が張る感じがして、それほどは呑まない。次に呑むのは、日本酒。これは、けっこううるさい。ほとんど感覚的ではあるが、うまい日本酒はしっかりわかる。腰のしっかりした濃厚なものが好きだ。新潟の水のような酒は好まない。人との付き合いは淡麗を旨とするが、日本酒はどういうわけか、こってりしたのが好みだ。青森の三沢市周辺で作られている「田酒(でんしゅ)」や新潟の新発田市で作られている「ふなぐち菊水一番しぼり」などは、これを書いただけでよだれがでてしまう。実家のある会津も酒どころでこってりした酒が多い。たぶんそれが私の嗜好を決めてしまったのかもしれない。会津では、末廣酒造の「末廣純米大吟醸(緑瓶)」が好きである。このほか、北は北海道、南は九州、と全国のおいしいといわれる日本酒はほとんど呑んできたが、自然に好みは決まってきて、ほぼ毎日同じような酒を呑んでいる。そうそう、我が家の近くには、泉橋酒造というのがあり、そこで作っている「いづみ橋純米無濾過生原酒・恵(赤ラベル)」というのが、ここ数年の愛飲酒である。勤務の帰りに駅近くの酒屋から一升瓶で買って帰るところをよく生徒に見られている。この酒造は、近年、酒米を山田錦に限定して、しかもJR海老名駅周辺の田んぼを借り切って、契約栽培している力の入れようだ。田んぼで稲の段階から見ているので、でき具合がわかる。もちろん、酒造の中には何度も行っているので、ようすもわかる。そこでの試飲もいい。歩いていけるところなので、安心して買って呑める。日本酒は田舎ものの自分には一番合っている。背伸びしないで、ふつうに呑める安心感がある。1本何十万円という酒を呑む人もいるようだが、人間生きているうちに呑める量など高が知れている。見栄で呑んでいるのもつらいだろう。私もかんがてみるに、もうふつうの人が一生に呑むほどの量は呑んでいるだろうから、これ以上はおまけみたいなものだ。いつ、お迎えが来ても文句はいえない。

 酒といえば、最近は「焼酎」ばやりだ。学生の頃、呑むのがないと、安い焼酎が定番だった。悪酔いする典型の酒だったが、今はブランド化している。水で割って呑む人が多いが、それでは作った人に申し訳ない。私はせいぜいそのままか、ロックだ。こちらは、残念ながら味のちがいはよくわからない。泡盛の53度というのを沖縄で買ってきて呑んだが、それはうまかった。ただ、焼酎はやはり私の守備外である。ワインやウィスキーなどその他の酒は、めったに呑まない。こちらから買うことはほとんどないし、買って呑みたいともおもわない。造っている人には申し訳ないが、まァ、相性があるし、無理はしたくない。

 と、いろいと「酒」について書いてみたが、どうもいけない。酒など呑んでなんぼのものだし、酒という字を口に入れても酔わない。もう、本当に適量しか呑めない身体になってしまっているようなので、付き合い酒はたくさんだ。自分の呑みたい酒を気持ちいい程度に呑んでいれば、それで十分である。単なる嗜好品で、呑まないと死ぬというわけでもない。「好きで呑んでいる」だけなので、本当は一人でのんびり呑むのが一番だ。お酌などされると変に気をつかって酒がまずくなる。「適度に呑めば、酒も健康にいい」などと言い訳もしたくない。人を呑みに誘うのも面倒くさい。職場でも呑みに行く同僚もほとんどいなくなり、ちょっとさびしいが、反面せいせいしている。呑みたけりゃ、勝手に呑みに行く、のが理想だ。自宅でも、息子や娘に酒をすすめることなどない。みんな成人だし、自分で呑みたけりゃ、好きに呑めばいい。私の醜態を見ているから、呑みすぎればどうなるか、はわかっていよう。あくまでも嗜好品にすぎないものだ。職場のグチをいい合うために呑むのも勝手だし、ただアルコールが恋しくて呑むのも同じだ。あれこれ、理屈をつけずに、好きに呑みたい。ただ、それだけが願いだ。
◆2008/06/03(火) 07:20 教育実習生
 今年も、昨日から教育実習生が来た。4週間実習の学生さんはすでに先週から来ている。物理の実習生は3週間の日程なので、昨日からはじまった。現任校に来て、3人目になるが、今年も真面目そうな学生さんだ。毎年10名前後の学生さんが実習に来る。そのほとんどは、勤務校の卒業生であるが、ときおり高大連携で関係のある大学から頼まれてくる学生さんもいる。教育実習は、原則的には自分の卒業した学校(小中高)でおこなうことになっているおり、受付は1年前の5月いっぱいというのがふつうだ。できるだけ、希望に沿うようにはしているが、受け入れ人数にはどうしても人数的な制限があるため、希望に沿えないときもある。ただ、教員免許を取得するためには、けっこうな単位が必要なので、以前のように「とりあえず免許を…」というような学生さんは減っているかなとおもう。

 神奈川県での理科教員の採用は、数年前までほとんどなかったが、近年の団塊世代の大量退職に伴い、すこしずつ採用がはじまっている。ただし、物理教員の採用人数はそれほどない。物理自体の選択者がそれほどいるわけではないからだ。

 今年来た実習生も勤務校の卒業生である。すでに、とある塾に就職は内定しているらしい。ただ、教育実習受け入れの原則は、将来教職につく意思の強いことである。実習期間中には10数時間の授業をお貸しする。その間、実習生は教員と同じ立場で、授業をする。わたしの場合も、この間の授業のやり直しなどはしない。生徒はある意味では、実験材料にされていることになる。単に教員免許を取るために来る学生さんの犠牲になることでもある。実習受け入れにあたっての審査はじつに杜撰なので、担当教員が意思確認をすることなく、係の方でほぼ勝手に決めてしまう。なお、一般には知られていないが、公立の学校の場合、この実習費は無料である。昔は、ある程度の費用をもらっていたようだが、現在では、まったくの無料である。実習生の指導をするのも完全に無料。何の報酬もない。また、そんなものを期待して、実習生を受け入れる教員もいないとおもうが、これでいいのかは、相当な問題を含んでいる。

 免許更新制が導入されるから、教員免許も自動車免許と変わりはない。そうなると、自動車免許を取るために自動車教習所にそれなりの費用を払って免許を取っている現状と教員免許の場合のちがいは一体何に起因しているのか?明確にする必要はあるだろう。おそらく、ここでも、教員の善意をうまく利用するという文科省の常套手段はいつものように発揮されるだろう。文科省…これこそ、偽善者の巣窟である。
◆2008/05/16(金) 07:54 原書?
 このところ、いろんな事情で英語で書かれた本を読むことが多い。日本語に翻訳されていない本や日本語の本で絶版になってしまっているものなどで、英語で書かれたものがある場合はそちらを読むことにしている。学生の頃は、大学の生協の本屋さんなどに頼んで取り寄せてもらったりしていたが、現在では本当に便利になった。愛用している「amazon.co.jp」を利用すれば、英語で書かれたものなら、ネットで注文して数日で手にすることができる。もう、今月にはいって、5冊も注文してしまった。ただし、値段の高い本はできる限りひかえる。上限¥2000にしている。それでも、日本語に翻訳されたものなら¥8000近くするものが、¥2000を下回る値段で買える。もちろん、英語で書いてあるので、日本語のものより読みこなすのに時間はかかる。が、それを割り引いても、日本語で読める範囲のもの以上の圧倒的に多数の本の中から選べるので、じつに重宝する。正直にいうと、自分にそれほどの英語力があるとはおもえない。しかし、別に英語の試験を受けるわけでもないから、大きな誤読さえしなければいい。おおよそのことがわかればいいので、読んでいてそれほどの苦痛はない。もちろん知らない単語などはいくらでも出てくる。そういうのは、文の流れから「たぶんこんな意味だろう…」と推測してしまい、英語の辞書などは引かない。とはいっても、物理の専門書などを読む場合は、専門用語についてはきちんと辞書か用語集を引く。数式などが出てくれば、むしろわかりやすいから、物理の専門書などは英語で読むことの方が多い。日本語には訳されていない本もペーパーブックで安価で読める。ネットなら英語の新聞なども気楽に読めるので、それも助かる。

 さて、英語の本を読んでいたりすると、「原書ですね」などといわれることがある。そんなとき、不思議な気持ちになる。「原書?何か江戸時代か明治時代みたいだな…」と。もともと英語などで書かれ、それを翻訳したものがあるのなら、もともとの本を「原書」と呼ぶのかもしれない。しかし、英語やその他の言語で書かれたもので、日本語に翻訳されるものは、年間にしてもそれほど多いわけではない。手元にある「日本理学書総目録2004」を見ても、わたしの専門の物理にしてもわずか84ページほどの分量しかのっていない。冊数にしてもせいぜい何千冊かであろう。ところが、上記のサイトで検索すると物理だけでも9万冊ちかくある。それらの本を全部翻訳するだけの時間も人的な数も圧倒的に少ない。また、翻訳するに足る内容をもった本などそれほど多いわけではないのは衆知のこと。たとえ「この本はいい本なんだけどな…」とおもっても、翻訳する人がいなければ、そのまま英語なり他の言語なり、そのまま読むしかない。英語が専門の人は、ややもすると、誤訳がどうのこうのとうるさいが、そんなことは、どうでもいい。自分の関心のあることなら、多少の誤読など恐れていては読みたいものも読めない。

 こんなかんがえで、安い英書をどんどん買って読む。日本語に首尾よく訳されていれば、それはそれで読むのが楽だし、それを買って読む。なければ、そのままのものを手に入れて読む。それだけのことである。自分の専門の論文などはほとんど英語で書かれているので、それをネットで手に入れて、読む。こういうことが、手軽にできるようになった現在を、本当にうれしくおもうし、ありがたい世の中になったと誰かに感謝したくなる。尊敬するEinsteinのドイツ語で書かれた初期からの論文もネットで手に入る。まさに、感激の一語につきる。「原書」などという意識はまったくない。読めない言語なら、少し勉強すれば読めるし、いろんな言葉を知るのは楽しみだ。

 困ることが一つある。英語の本などを読んでいると「英会話」もできるとおもわれることだ。わたしの英語会話能力はカタコトでしかない。また、それをスキルアップすることに興味もない。日本語会話だけでも苦労しているのに、何で英会話などに習熟する必要があるのか、まったくもってわからない。そういうのは、英会話の上手な人にまかせる。会話力と読解力は比例するのかもしれないが、自分の日本語による観察では、どうもそうともおもえない。会話はダメでも、じつに深い理解をされている方はいくらでもいる。言語学的外挿が成り立つとすれば、どんな外国語でも同じであろう。よって、わたしは、きょうもデタラメ英語で英語の本を臆面もなく読み続けている。
◆2008/03/07(金) 09:44 男の更年期
 最近、男性の「更年期」についての話題をときおり聞く。自分にはあまり関係ないとおもっていたら、そうでもなかった。一昨日来、頭が重かった。普段、あまり頭痛などはないので、風邪でもひいたのかと体温を測ってみても平温である。異常は、昨日の2時間目の試験監督のとき、来た。目の前に何やら「く」の字のような形に異常な反射光が見える。左半分の視野がせまくなっていくような感覚。フラフラ感。テスト終了後、保健室に行き、熱でもあるのか、と測ってもらいに行く。身体の調子を養護の先生に話すと、血圧のせいかもしれないと測ってもらうことにした。そうしたら、驚くべきことに、106-165と信じられないような高血圧。わたしにしてみれば、これはギネスブック級の最高記録である。そういえば、このところ血圧の上がりそうなできごとがつづいている。自分でも意識はしていたが、かなり疲れてもいた。それが、一気に血圧の急上昇になって表れたのかもしれない。ゆっくり寝ればなおる、とおもっていたが、そうではないようだ。養護の先生のアドバイスで近くの病院で診てもらうことにして、すぐに予約。そのあと、年休をとって、帰宅後、車で検査を受けに行ってきた。

 病院で順番を待っている間は、「もうここで倒れても悔いはないよな」などと自分にいい聞かせていたが、諸般の情勢をみると、そうもいかない。しかし、脳に異常でも見つかれば、覚悟はせざるを得ない。順番が来て、診てもらう。血圧を測ると、107-180に上がっている。これまた新記録。頭部のCT検査もあり、心配していた脳での内出血などは見られなかった。それでも、一応MRIで詳しく診ておくのがいい、というお医者さんの意見で、それも予約をいれたおいた。血圧を急激に下げるのはよくないため、少しずつ下げる薬をひとまず処方してもらい、帰宅した。

 思うに、この現象はいわゆる「男の更年期」症状の一つではないか、と家にもどりかんがえた。転勤して来て、まる3年。年休すらほとんど取らずに仕事に打ち込んで来た。その疲れに身体がついていけずに、悲鳴をあげたような気がする。そうおもえば、いい機会をもらったともいえる。自分の身体と精神をたいせつに守るのは、自分でしかない。「節制しろよ」と身体が無言でおしえてくれたのだ。もう、身体がそう無理のきかない年齢になっているのだ。自分の身体の調子と相談しながら、仕事を進めることも大事なのだな、とつくづく感じさせられた。自分が60歳という大きな壁の前で、心身ともに壁を乗り越えるための局面にいることを自覚して、生活を送らねばならないことを。
◆2008/03/03(月) 14:58 卒業式
 きょうの卒業式で、237名の3年生が卒業していった。今は、式のあとの虚脱感でただボーッとしている。今年度は、3年生の担任ではないが、いよいよ来年度は自分たちの番になる。式は、じつに厳粛に、そして気持ちの入ったものだった。先週の金曜日におこなった予行では、生徒にはあまり緊張感はかんじられなかった。ちょっとダラケているようにかんじられた職員もおられたとおもう。しかし、わたしは毎年この高校の卒業式を見ていて、本番ではほんとうにきちんとした思い出深い式をしてくれる生徒たちだとかんじていた。それが、今年もおなじようにいい式をしてくれた。在校生代表による送辞では、生徒会長が嗚咽しながら送辞を詠んでくれた。式場は水を打ったように静かであり、会場からも保護者の涙ぐむ姿があちこちで見られた。それに答えての卒業生代表による答辞でも、3年間を走馬灯のように思い出させてくれるすばらしいものだった。こちらも感極まって涙ぐむ場面もあり、こちらも目頭が熱くなった。保護者席ではあちこちでハンカチをだして涙を拭く人が多かった。

 在校生による「卒業生に贈る歌」は、練習のときとは打って変わって声も十分に出ていて感動的なものになった。「大地讃頌」はいつ聴いてもいい曲だ。それに答えての卒業生による「ベストフレンド」もよく声が出ていて、おもわずグッときた。これだけの式ができる(全校生が参加する)生徒たちをやはり誇りにおもわずにはいられない。

 式の最後には、恒例の放送委員会製作のスライド上映があった。じつに優れたもので、さすがに全国大会常連校の実力である。卒業式で1回しか上映しないものだが、貴重な時間をつかってていねいに仕上げてあり、その苦労がしのばれた。土日も登校してつくってくれるもので、ほんとうに頭がさがる。卒業生は、これを見ながら3年間を振り返るのだろう。そして、これが終わると、県大会金賞の吹奏楽部の生演奏で退場になる。本番でしか見られない生真面目そうな顔、顔、想い出を胸に静かに巣立っていった。今年もすばらしい卒業式を見れて、幸せであった。来年の自分たちのときにはどうなるのか、予想もつかないが、今年とおなじような卒業式ができれば、いうことはない。
◆2008/02/25(月) 17:46 勤務校まる3年
 現在の勤務校に転勤してきて、あと1ヶ月でまる3年を迎える。いつもなら、3年間ほどすると、次の転勤先を求めてウズウズと転勤虫が騒ぐのだが、今年はまったくでてこない。現在の職場には、十分に満足している。生徒も落ち着いているし、そこそこに勉強もする。管理職などは好かないが、同僚の職員には気持ちのいい人が多い。ま、飲み会にすぐに誘えるというような人はほとんどいないが、それはお酒の好きなわたしの勝手なわがままであろう。自宅からも徒歩で15分ほどなので、勤務条件としてはこれ以上を望むのは罪というものだろう。ずっと、こうした勤務を望んでいたが、長い教員生活の最後にこういう職場が回ってきたことは、幸運以外の何ものでもない。理科の教員の場合、専門科目の関係で、転出(あるいは退職)される方の科目と自分の科目が合わないとなかなかそうした転勤はできない。奇しくも、こうした偶然があって現在がある。3年経とうとしているが、今度は最後までしっかり勤め上げられそうである。ただし、最後まで健康でいられるかはわからない。変なストレスはないから、あとは遺伝的に病気などがでなければ、大丈夫かな。

 この転勤で、それまでの生活も一変した。なにせ、朝はのんびりできるし、今までやったこともない「ゴミだし」もするようになった。居合の道場へも通いはじめた。読書もそれまで以上にできるようになった。授業の準備も十分にできるようになった。実験用具の開発にも手が出るようになった。職場にいる時間もじつに長くなった。しかし、通勤時間が1日ほぼ30分なので、その余った時間がそちらにまわったかんじだ。帰宅時間を気にして仕事をする必要がなくなったせいで、気のすむまで仕事ができるし、勉強もできる。もちろん、校舎が閉まってしまう時間は決まっているから、それほど無理はしない。ただ、帰りたくなったら自然に帰るようにしている。それで、夕食の時間には余裕をもって帰れる。多少夜更かししても、遅刻することなどない。第一、早寝早起きなので、朝など時間がありすぎて困ってしまう。毎朝、本一冊くらいは読めるほどなのだ。これで不平をいったら、罰あたりにきまっている。ここで、教育公務員という仕事をまっとうできれば、本望である。その先は、なにもかんがえていない。

 「天職」という言葉がある。この学校に来て、この意味が実感をもってかんじられるようになった。多くの学校を回ってきたが、どこも何か仮住まいのような印象を払拭できなかったが、まさに今は我が家のような気持ちだ。こういう奇遇に出会えたことが、自分にとっては幸福なことだった、と今もしみじみおもう。
◆2008/02/01(金) 07:37 前期入試(面接)
 あと、10分ほど1日目がおわる。受検生には申し訳ないが、このような面接が実際問題何に役立つのか?やっているほうとしてもさっぱり意味がわからない。面接官として質問できることなどは、決まった定型のことしかない。評価の出し方も「A・B・C」の3段階で(高校によっては、Bをさらに+B・B・−Bと分けるところもある)、ほぼBしか評価できないしくみにうまく調整してある。まァ、シナリオ通りに演じるだけの余地しかないのが実態だ。わたし自身も、「B」以外は絶対につけない。また、つけるだけの意味も見出せない。受検生にも自分自身にもさしさわりのない「B」をつけて、面接を終える。茶番といえば、茶番でもある。こういう入試制度を「いいものだ」として、県教委が決めているのだから、県職員としてはお上に逆らうわけにもいかないし、そんなエネルギーももちあわせていない。

 2日目の面接も問題もなく終了して、前期入試がひとまずおわった。そのあとは、1日おいての合否判定会議である。ほぼ、面接の前に合否はきまっている。面接の評価は、全員「B」であり、かんがえれば何も面接などする必要はなかった。これは、例年のことである。面接では、本人から直接確認をとらないといけない受検生がいるため、その情報を得るためにだけあるようなものだ。結果はもうわかっているので、わたしなど、会議中ウツラウツラしておった。気がつくと、40分前後で会議はおわっていた。運動部の顧問の人たちは、自分のほしい受検生が気になるのか、けっこう真剣に会議に耳を傾けているようだった。わたしには、そんな気持ちは微塵もない。剣道部員をそこまでして集めることなど、かんがえたこともない。

 来週の2/4には前期入試の合格発表になる。こんな入試制度のために、ほぼ受検生のほぼ半分は不合格である。その生徒たちは、すぐに募集のはじまる後期入試に志願することになる。どうも、県が2回もわざわざ試験をしているのは受験料でもあつめたいのか?その辺はよくわからない。いつも「受検生にできる限りのチャンスをあたえたい」みたいなきれい事しかいわない。自分たちには直接は関係ない仕事なので、なんとでもいえる。こういうお上意識で事をなす制度がなくならないうちは、公立高校の低落は止まりそうにない。毎年入試の仕事をしていて、そうおもう。
◆2008/01/05(土) 10:36 今年もまた…
 昨日3日から学校も完全閉鎖が終わり、校内に入れるようになった。仕事始めだとおもい、出勤した。おもったとおり職員はすくなかった。わたしは、PTA関係の仕事があったので、予定通りの仕事はできて、午後には年休をもらい帰宅した。外は少し雲が出たりはしていたが、ほぼ1日快晴で、気持ちのいい仕事初めの日であった。

 今朝は、土曜日で校内もまったく静かである。10:00に職場に来たが、きょうの仕事は特別にはない。冬休み明けの8日におこなわれる「冬休み課題テスト」の最後の点検に…という名目で家をでてきたが、そんなことは年末を待たずしてすませてしまっている。ひさしぶりにのんびりした冬休みを過ごすことができたのはいいが、もう身体がなまってしまった。ただし、年末年始のゴロゴロした生活は自分には無理なので、普段なかなか時間がとれなくて読めない本を集中して読んでいた。それと、昼の気象観測をいれると、けっこう規則正しい生活をしていたようにおもう。年中やっている部活動は、この休みはやらないことにした。部員たちの一部からは、それこそ、ブーイングもあったが、完全無視。顧問のわたしが決めたのだから、したがってもらうことにした。わたしは、部活動は否定はしないが、それほど入れ込むようなものだとはおもっていない。趣味だと自分ではかんがえている。学校の基本は「勉学」である。それ以上でもないし以下でもない。ふつうに勉学するのが学校であり、時間や勉強量に余裕があれば、部活動でも遊びでもなんでもすればいい。文武両道などというが、実際にはこれほどむずかしいことはない。実践できそうにないことをいうだけの勇気はわたしにはない。自分でやれることを精一杯やればそれでいいのだろう、とおもう。

 きょうで、わたしのホームページ「Kazutake Box」をはじめてちょうど丸10年になる。すでに、昨年末の大晦日に閉鎖することはお知らせしておいた。12/30に最後の雑感をアップして、それでひとまず閉鎖することにした。すぐにファイルをすべて降ろしてしまうことはしないで、しばらくはそのままにする予定。というのも、もしいつかまたはじめるときにカウンターの人数をちょうどいいところから出発したい。現在、195500ほどなので、キリのいい200000になったところで打ち止めにしたいとおもっている。これから1年ほどかけて、今までのファイルからメールアドレスを削除して、不要になった文章も削除しよう。まだ、構想はできていないが、もう少し項目もしぼった形にして、作り直してみたい。今年は、この雑感はアップしないが、今までどおりに書いておこうとおもっている。

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