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雑感2009


■今年もまたよろしく

 きょうは、1月の18日。今頃は、センター試験2日目の理科の試験がはじまっている。わたしの教えている生徒さんたちも、試験に必死に取り組んでいることだろう。わたしは、昨夜の山岳会の新年会を思い出しながら、しずかにパソコンにむかっている。これからが年間でも、もっとも寒い時期になる。こうして、暖房のない自分の部屋でパソコンにむかっていると、足元から冷気がシンシンと伝わってくる。こういう寒さは気にはならないが、今は腰痛がでていて、それがつらい。こうして、今年もこの「雑感」をつづけることにしているが、これは、自分の近況報告みたいなものでもある。どこかに、わたしや友人たちのようすを知りたいという人がおられるかもしれないので、そういう方には何かのメッセージが伝われば、うれしい。

 下に昨年5月にいったんこのホームページを閉じたあと、再開したときの言い訳が書いてある。

 「あれからほぼ5ヶ月。ときおり、以前に書いたものを読み返したり、メールアドレスを入れておいたものを全部削除する作業を細々とおこなっていた。今では、メールアドレスも悪用されるだけで何もいいことはない。ネットの当初は、メールアドレスを入れておくことは、ひとつのマナーであった。一旦悪用するものが出てくると、もう歯止めは効かない。毎日数百件のメール公害で辟易するばかりだ。もう、二度とメールアドレスの公開などはするつもりもない。本来ならば、これを媒介にいろいろ人と意見を交わすのがネットの楽しみでもあったのだが、今は、そういう牧歌的なことはのぞめない。せっかくはじめたこの雑感も自分の備忘録としてはとてもいいものなので、何とか残したいとおもい、再開設にあたって、このページも再開しようとおもっている。まァ、グチのはけ口かもしれないが、けっしてグチばかりではない。皆さんのお役に立つようなことでもあれば、うれしい。」

 この気持ちは、いまでもおなじである。ことしも元気でいれば、何とかつづけていきたいと願っている。ことしもよろしく。

 2009/01/18 (日) 10:09


◆2009/11/19(木) 07:46 縦書き本と横書き本
 本の話題をもうひとつ。あなたが日常的に読む本で、縦書きで書かれたものと横書きで書かれたものの割合はどのくらいだろうか?わたしの場合は、自宅で読む本、職場で読む本、いずれもほぼ2:8くらいの比率で横書き本がおおいようだ。生徒と使う物理の教科書は横書き本だし、自分で読んでいるものも文庫本や新書本を除くと、ほとんど横書きのものがおおいためだ。ちなみに現在これを書いているパソコン机の周囲にある本棚の本は、ほぼ98%くらいは横書きの本である。横書きで書いた小説などは、日本ではめずらしいというか、ほとんどない。理工系の専門書や実用書は、ほぼ横書きで、仕事上でもほぼ毎日目をとおす。屋名池誠『横書き登場』岩波新書という本がある。以前に買って放っておいたものだ。つい先日、本の配置を変えるために、ふと目について読んでみた。欧米などの横書きとはちがう日本式の横書きが定着するまでには、それなりの変遷をへてきたことがわかった。縦書きが一気に横書きに変わったのではなく、斜め書きなどいろいろな試みが出ては消えしながら、次第に左から右への横書きへと変わってきたらしい。音声では、縦書きも横書きも関係ないとおもうが、文字で書かれたものとなると、雰囲気はだいぶ変わる。素人の勘ぐりだが、横書きで書いてあるものは、文科系的なものでも、科学を意識しているようにおもえる。学校で使われている「日本史」「世界史」などの科目もほぼ横書きである。というか、学校で使われる教科書は、「国語(=日本語)」や「古文」「漢文」などをのぞくと、ほとんどが横書きである。この辺は、最近話題になっているちょっと愛国的な歴史教科書なども、この例にもれない。いっそのこと、古来の縦書き歴史書にすれば、もっとおもしろいのだが…。ま、少し目を通した本に刺激されてこれからもっとしらべてみよう、という段階なので、これ以上の感想もない。この問題は、わたしがおもっているのよりは、はるかに奥の深い面があるのかもしれぬ。
◆2009/11/18(水) 07:29 本を読む
 読書の秋である。というのもちょっとむなしい昨今であるが…。ある人いわく、「人間が一生のあいだに読める本は5000冊くらいだろう」と。その通りだ。いくら万巻の書などいって、本を自宅に積み上げても、実際に読める(目を通すだけでも)のは、それくらいであろう。読んでも、本当に血肉になるまで読みこなすことのできるものなど、この3割にも満たないのではないか。わたしも本は好きなので、つい買ってしまい、自宅や職場に本をためこんでいる。できるだけ、一通りは目を通すように(表面読み)はしているが、精読した本などたかがしれている。何度も何度もくりかえし読んでいる本となると、ほんとうに悲しくなるほどしかない。物理関係の本などは、仕事でもあるし、もっとも好きな分野でもあるので、あきるほど読むものもあるが、一般教養書などはほとんど一読すらしないものがおおい。いわゆる「ツマミ食い」という程度だ。本の著者には申し訳ないが、どう読もうとこちらの勝手だし、好きなように読むのがいいのではないか。そうおもって、長年そうしてきた。がしかし、つい最近何気なく、アドラーという人が書いて、『思考の整理学』筑摩書房で静かなブームを沸き起こしている外山滋比古氏が訳された『本を読む本』講談社学芸文庫を読み返してみた。ほとんど内容は忘れかけていたのだが、これを精読してみて、「本を読むこと」のむずかしさ、楽しさ、「本との」付き合い方など、再認識させられた。もともとの英語本『How to read a book』も読んでみたが、こちらは訳本にはないいろいろな分野の本の読み方などもていねいに解説してあり、じつにすばらしい本であることがわかった。英語の本を読むことは習慣化しているので、楽しく読めた。数理系の本の読み方にもふれてあり、著者の学識の深さがしんしんと伝わってきた。たしかに、冊数だけこなしても、読書は生きてこない。「じっくり読む本」「さっと読む本」「題名と目次だけですむ本」それぞれさまざまである。手元にふえてしまった本も、そろそろ整理して、処分するものは処分しようとおもっている。本など残しても、家族が迷惑するだけである。わたしが読んだ本を、家族のだれかが、これから読むであろうことは、まずありえない。書き込みのおおい本など「Bookoff」でも迷惑であろう。捨てるにかぎる。現在なら、amazonなどで簡単に手に入る洋書なども、学生の頃には相当に苦労して手に入れた。今は、まさに天国である。手ごろな値段で、それこそ、夢にみたような本も読める。ほんとうにうれしいが、ただ、もう読むための時間がそれほど残されていないのと、読むための視力もガタ落ちだ。専門書の数式の「添え字」など拡大レンズでも使わないと見えない。体力と気力もおちていて、集中度がでない。「本がそろったら、読める」わけではないことを実感している。それに、本になる前のプレプリント状態の論文も「arxiv.org」ですぐに手に入る。おそろしい時代になったな、とおもう。本を読む習慣が自然についたことだけは、ありがたいことだといつも感謝している。だれが教えてくれたのかはおもいだせないが
◆2009/10/29(木) 07:38 あいさつ
 1日で何回あいさつをしているのだろう?勤務している高校では、生徒さんたちがひんぱんにあいさつしてくるので、廊下でも絶えずあいさつをしている。「おはようございます」「こんにちは」などなど。高校は「道徳育成機関」ではないから、意識してやっているわけではない。それでも、生徒さんたちの生活態度レベルや知能態度レベルによって、あいさつが自然におこなわれているのは、いいことだ。それに反して、職員(同僚)さんたちのあいさつは、生徒さんにくらべると、恥ずかしいほどの状況である。あいさつは、人間関係を円滑にする最低限の潤滑油、とおもい込んでいる単純なわたしは、ほぼだれにでもあいさつをする。しかし、職員からあいさつが返ってくることは、よくみて3割以下である。人さまをとやかくいえるような立場ではないが、近年、職場にギスギスした雰囲気をかんじはじめているのは、そのせいかもしれないな。近年、職場にも民間のまねをした職階制度が浸透してきて、管理的雰囲気はますばかり。だれがこういう馬鹿げた制度をかんがえるのかしらないが、困った連中だ。管理職の不自然なハイモードは、職場をしらけさせるし、職員の気難しそうな顔は、職場に重苦しさをかんじさせる。廊下などでの自然なあいさつが職員間でもできるようになれば、こういう雰囲気がすこしでもかわるような気がしているのは、のんきな自分だけか。
◆2009/10/23(金) 07:52 私立高校も授業料無料?
 今朝のラジオの報道で、民主党政権が「私立高校の生徒にも授業料援助する」旨の方針を示しているいっていた。これを聴いて、「またまた馬鹿げたことを…」とかなり腹立った。私学出身が多くなった文部科学省などの官僚連中が、自分の後輩たちへのお手盛りで、こういう方針を民主党のもの知らぬ大臣などに答申したのだろう。私学は元々、税金からの援助を受けないのを条件に、独自の校風をつくってもいいようになっているものだ。わたしは公務員ではあるが、少ない給料の中から、相当額の税金をおさめている。娘たちは、訳あって、私立高校で学んだが、税金で援助してもらおうとはつゆかんがえたこともなかった。私学助成金というのが私学にでていることなど、百も承知だ。しかし、生徒個人まで援助が出るとなると、ゆるしておけぬ。自分で選んで私学にいっておきながら、公民の税金をあてにして学ぶとは一体どういうことなのか!公立の学校を批判する人はじつに多い。学校の施設は私学にくらべてボロである。教員の待遇もよくないし、部活動など勤務時間外の仕事も多い。私学では、部活など専門の人を雇っている。公立学校との学力差が広がっていると新聞などでもおおげさに報道しているが、もともと試験に強い生徒や部活動要員生徒をあつめているような私学とそういう活動を禁じられている公立学校を比較しても意味はない。私学が優れているから生徒が行くのではない。もともと公立に来ていた生徒が、制度などの改悪にあきあきして、私学に回ったために、今では私学全盛になったまでだ。その私学にまたまた「授業料無料」などのお手盛りをしたら、どうなるか?もう想像するまでもないだろう。これは、かんたんな政策だ。「貧乏人で能力のないものは公立へ、金があり成績もいいものはどんどん私学へ」ということだろう。アメリカ型といえば、聞こえはいいが、それに本当に耐えられるほど日本の人は成熟しているのか?おおいなる疑問をかんじる。「公平」ということばにだまされてはいけない。私学の生徒は、税金を受けないのが、本来「公平」なのだ。そんなこどもでもわかる理屈が、大臣ともあろう立場でわからないとしたら、これはたんなる「バカ」である。
◆2009/10/15(木) 07:43 新型インフルエンザで開店休業状態
 秋も深まって、気温が下がってきたとおもっていたら、勤務する高校でも新型インフルエンザが蔓延してきた。先週辺りからポツポツ出ていたが、今週にはいり、一気に広がりだした。どうも、部活動の大会が多くなったのと軌を一にしている。こればかりが原因ではないだろうが、不思議なことに、部活も引退し、棟のちがう3年生はほとんど無事なのに、1・2年生には多数の感染者が出ている。わたしは、3年生の物理Uの授業がメインで、2年生はほんの一部しか教えていないためもあってか、今のところ感染した症状は出ていない。うがい・手洗いはかならずしているが、どうもわれわれの年代のものにはすでに「免疫」ができているような気がしてならない。今回のウィルスは、ほんとうは以前にもすでにあったのではないか。そんなことは知らずに、もう体内に免疫ができてしまっているのかもしれない。新しいインフルエンザウィルスというので、「新型インフルエンザ」などと称しているが、知らぬは人間だけで、自然界ではとっくの昔にそういうウィルスは存在していたのではないか。どうもそうかんがえた方が適切ではないのか。現在の知識は――自然科学だけでなくほとんどすべての分野でそうであろうが――非常に偏っている。というか「わかるものだけ、とりあげている」のが現実だ。あまりに話を広げるとまた暴論になるのでこの辺で。さて、この新型インフルエンザの影響で、修学旅行からもどったばかりの2学年はあっというまに「学年閉鎖」になってしまった。さらには、玉突き状態になり、予定されていた中間テストが1週間以上も延期になった。感染してなくて元気な生徒も1週間の臨時休暇になった。中には家でヒマをもてあましているらしい生徒がときおり学校へ来ている。ちょうど、部活動の新人戦の時期にもかさなっている。部活の顧問はあちこちの学校へ電話を入れて、対応に忙しい。授業のなくなった職員は、時間を持て余しているようだ。公立の学校はこういうことには、役所の指示に躊躇なく従う。私立学校などは、そんなことはいってられないだろう。こういうときに、保護者から「授業をしっかりやってくれ!」という要望はない。おかげで、公立の学校はのんびりしていられる。馬鹿げたことだ。
◆2009/10/12(月) 09:06 本を捨てる
 今朝、本100冊ほどをを紙ゴミとして出した。本たちには申し訳ないが、もう我が家のせまい本棚には入りきれないためだ。昨日、カミさんや娘の圧力を受けて、わたしの本棚に本が移動してきた。元々わたしの本だが、娘の部屋においてあったものが閉めだされてきたのだ。「チェッ!まったく…」などと舌打ちしても、相手はまったく意に介しない。しぶしぶ、空間を空けるために、本棚に押し込んであった本を整理した。もう、これから読みそうにないもの、自分の仕事で使いそうにないもの、などを涙を抑えつつ処分することにした。選びに選んでその冊数、100冊以上。苦労して手に入れた本もあるが、この先読み返しそうな本を中心にして、仕分けをした。カミさんは「ブックオフにでも出したら」とか言っていたが、読んだ本には書き込みなどが多いため、そんなものを持ち込むわけにもいかないだろう。おもいきって紙ゴミとして出してしまおうと決めた。ちょっとヤケクソ気味ではあったが、やると決めたらやる。本の中身を見れば、なかなか捨てがたい。何も見ないようして、機械的に紐でくくった。そして、淡々とゴミ置き場に運んだ。最後の本を置いてくるときに、感謝の気持ちを「ありがとう」で言って、あとは見ない自宅にもどった。夕刻、仕事をおえて自宅に戻るときにゴミ置き場を見たら、きれいにゴミはなくなっていた。そのとき、ふと「本の写真を撮っておけばよかったなー」とおもった。これからもこういう処分を何度かすることになりそうだ。自分で集めた(読んだ)本など、子供たちにはまったく興味のないものだろうし、家に本を集めておくのもそれほど意味のあることともおもえない。用がすんだら、どんどん捨てたほうがいいのか、今でも迷いはある。しかし、あの世にもっていけるわけでもなし。身辺を整理しておくのは、自分の年齢をかんがえると、いい機会なのかもしれない。
◆2009/10/05(月) 07:32 同窓会
 08/21(金)に書いた同窓会が10/3(土)にあり、参加してきた。卒業して11年目という生徒さんたちだ。今、30歳前後で、社会の一番働きの多い人たちだ。今回は、幹事の方たちがネームプレートを作ってくれていたため、じつに助かった。顔は覚えていても(不思議なことに顔はほとんど覚えていた)、名前がなかなか出てこないからだ。恒例の卒業アルバムも持っていった。これは大好評だったみたいで、みんなに見てもらい、アルバムも大役をはたしてくれた。自分でも高校時代のアルバム(もちろん白黒写真だが)など、卒業して20年くらいは見たこともなかった。昨今のアルバムはいろいろな生徒たちの高校時代の場面を取った写真も数多くのせているから、その当時を思い出すにはいい材料になっているのかもしれない。職員側の参加は、当時の担任が3名、副担が3名の計6名とちょっと寂しかったが、なかなか会う機会もないので、こういう機会にお会いできてうれしかった。すでに退職された方や管理職になった方など、それぞれの事情があろうが、私自身はこうやって呼んでもらえるだけありがたい、とおもっているので、こういう機会は今まで欠席したことはない。在校しているときに生徒さんと付き合いがあるのは当然だが、むしろ卒業してからがその教育の結果を見れるいい機会だとおもっている。高校を卒業してからの10年間は激動のときであり、それを本人たちの口から聞くのはとても参考になる。この同窓会を企画してくれている松田くんや永島くんにはいつもながら、感謝している。わたしも幹事役が多いのだが、みんなに喜んでもらうだけが報酬みたいな、こういう地味な役をしてくれる両君には「お疲れ様でした。いい会でした。ありがとう。」といいたい。最近、苦情ばっかりいう人がふえて、みんながこういう人と人との出会いの場をつくってくれる人が減ってしまった。割のいい役ではないからだが、これでは殺伐とした世の中になってしまう。高々80年くらいしか生きられない人生。その間に、どれだけの人と出会えるか、出会った人とどう付き合うか、はどんな勉強よりずっと大切なことである。若い頃は「同窓会など…」とむしろ毛嫌いしていた自分が、こういうことを感じるようになったのも、卒業後の生徒さんたちと何度も会う機会に出てからのことだ。自分のしてきた仕事の結果をきちんと見つめて、これからの残り少ない教員生活を十分に堪能していきたいとおもっている。
◆2009/09/17(木) 07:39 秋のバス旅行
 15(火)・16(水)の2日間、秋のバス旅行にいってきた。中央アルプス千畳敷カールと下呂温泉・飛騨高山・白川郷をめぐる旅である。初日の千畳敷カールは、ガスで全く視界が利かない中をお花畑一周遊。雨の降られなかっただけでも、十分である。2日目はきれいに晴れた。飛騨高山・白川郷を駆け足ではあったが、それなりに堪能してこれた。このような平日の旅行ができたのも、先週の土・日に文化祭があり、その代休がとれたためだ。そうでなければ、この時期に休めることなどありえない。それも、部活動などの主顧問をはずれ、担任も今年はお休みという状態になったための偶然である。もうそのような年齢になったのか、という思いもある。しかし、こういうバス旅行に参加してみておどろくのは、平日にかかわらず、多くの人が観光地に旅行しているということだ。その大半は、ご婦人方とリタイアしたとおもわれるオジサンたちではあるが、「エェ!こんな若い人が…」というような、若者もいる。現在、わが国が未曾有の不況のおそわれているというマスコミやメディアなどの報道は実感できなかった。日本人もしっかり楽しんでいるのがわかる。それに、韓国や中国あたりからの観光客がじつにおおい。社会の深部をえぐるのを得意としているマスメディア関係の人たちには、こういう人たちは視界にはいらないのだろう。日本のご老人たちの元気さにも圧倒された。バスの中で、宴会をしていたのは、まさにそのご老人たちである。わたしのような年齢のご夫婦も散見されたが、まだ少ない。現役では、こういう旅行はまずできないだろう。わたしだって、本当にたまたま代休を利用できたから参加しただけだ。家で休養をとっていても、読書したり、ダラダラ寝たりで、返って疲れてしまうのではとおもい、好奇心もあり参加してみた。ま、これはこれで、いい時間の過ごし方だなとおもった。費用も丸2日間で1万円台である。これからしばらくは、こうして平日に旅行にでるというのはできるのかどうかは、わからない。しかし、こういう気楽な旅行が、多くの人々の楽しみになっていることを知って、それなりの収穫はあった。ただ仕事に邁進するだけでは味わえない世界があることを知っておくのは、本当は大切なことなのかもしれない。
◆2009/09/03(木) 07:34 自民党陥落
 1955年の結党以来、長らく政権の座(一時、社会党と連立した時期はあるが)を占めていた自民党がとうとう陥落した。じつに、あっけない陥落であった。そう、「なだれ現象」などとさもめずらしいことのように報じられているが、自然現象であれ、人間がつくった組織であれ、崩壊するときはあっけなくおこる。これは、自然科学の用語では”カタフトロフィー”という。すでに、地方選の方では崩壊現象がでてきており、先日30日の選挙で「臨界点」に達したのであろう。後付では何をいっても意味はない。よって、これ以上のことはいうつもりもない。ただ、自分の人生ともほぼ重なる自民党の歴史をふりかえって、わたしが実感するのは「変わるときは、変わるものだ」ということだ。どんなに堅固に見えるものでも、時期が熟せば当然のように変化するということを、学んだ気がする。自然は絶えず変化している。まして、人間がつくった組織などは本来実体のないもの。”ある”とおもい込んでいるだけのものだ。国民の一人でしかない自分としては、「もう自民党も飽きたな」というのが本音だ。民主党になにかを期待しているわけでない。が、少しは変わるだろう。それでいいとおもう。ま、頑張ってほしい。
◆2009/09/01(火) 07:18 シロとクロ
 きょうから、また生徒が登校してくる。以前なら、「2学期」がはじまる…、といっていたのだが、二学期制とかいう変なものを採用したために、どうにも季節感にあわない。ま、それはいいとして、今年の夏はほとんど暑い日もなかったので、いろいろなものを読むのには、ちょうどよかった。そういう意味では、温暖化は困るのかな。さて、何を集中して読んだかというと、「IPCC第4次評価報告書 第1作業部会報告書 概要及びよくある質問と回答」と「地球温暖化問題懐疑論へのコメント」「Climate Change 2007:Synthesis Report」などである。いわゆる「地球は温暖化している。そして、その主原因はCO2(二酸化炭素)の出しすぎだ」という報告書関係のものだ。今まで、意識的にというか、少数派にあたる「反温暖化論」を唱える人たちの話のほうが面白そうなので、そちらを読みつづけてきた。が、「温暖化論」を唱える人たちのほうの話も聞いてみようとおもったためだ。なお、IPCCの報告書は第3次と第4次については、すでに何度か読んではあったが。読んでみて感じたことだが、どうもお互いにデータや論理で相手をねじふせようとしているようで、わたしにはどちらの論が正しいかの判断はできなかった。「温暖化」を唱える側は、現在では多数派だ。国連の機関であるIPCCの報告書を弁護するのに必死のようである。若い人が中心のせいか、相手を論理や観測データで説得(というよりはねじ伏せるのほうが表現は適切なような気がするが)しよう、できる、とおもっているらしい。ま、正義の味方というような口調が若さを感じさせて、なんともこそばゆい。地球の温暖化が本当におこっているのかは、本当はまだだれにもわからないだろう。たしかに産業革命(1730頃〜)の昇温の傾向はあるのだろうが、ここ100年ほどの昇温の原因を二酸化炭素以外では説明が説明できない、とするIPCCの仮説はあまりに強引な論法で、わたしなどには違和感がある。かといって、二酸化炭素が温暖化促進作用をもつことは物理的・化学的にも証明されており、それを疑うつもりはない。それを、地球規模に拡大して論じる時点で、自分たちの論を補強するデータや観測データを無意識に選んでいる可能性があるようにおもえてしまうのだ。わたしとっては、温暖化でも寒冷化でも現状維持化でもいいようにおもえる。ただ、現在われわれが毎日経験している地球の状態がいつまでも維持していたい理想的な環境だ、などとはとても信じられないだけだ。「温暖化」論の人たちは、まるで産業革命を目の仇のようにおもっているのかもしれないな。産業革命後、人為的二酸化炭素の排出が多くなったために、それまでの地球の自然の環境が壊れてしまったのだ、と固く信じているようにおもえる。その恩恵をどれほど受けているのかを忘れて。そうそう、こういう温暖化を予想するのに使っている大層なコンピュータだって、その二酸化炭素をべらぼうに出していることは知っているだろうね。それと、その「もともと」の理想的地球環境にその人たちは住みたいとおもっているのだろうか、いや、無理であろう。こういう論を唱えながら、自分たちは、エアコンの効いた快適な環境で、研究しているのだろうから。1750年代頃は、世界的な小氷河期だったことがわかっている。北国生まれの自分には、寒いところで住むのはもう勘弁してほしい。「シロ」「クロ」をはっきりつけたい気持ちもわかるが、地球規模でしかも複雑な要因がからんでいる問題に、それができるのか、わたしには疑問がある。
◆2009/08/29(土) 07:53 部屋を借りている
 今朝は、物理夏期講習会の最終日ということで、いつも通りに出勤した。本日で21日間の講習をした。初日から来てくれた3名の生徒さんたちが、きょう最後の講習にくる。といっても、きょうは、模擬試験だけやっておわる予定だ。それにあたって、生徒さんたちが使っている物理室の机をきれいに拭き掃除していた。といっても、わたしはどうみても「論語」のような人間ではないので、自然にそういう気になってやっただけ。ただ、教員になって30数年、どうもわたしには、学校の「先生」といわれることには違和感をかんじつづけている。学校の施設を借りて、授業をやらせてもらっているという気持ちの方が実態に近い。そのせいか、今、こうして駄文を書いている「物理準備室」も、自分のもののようにおもい込むことはまずない。出勤してきたときは、部屋に向かって「おはようございます、きょうもよろしくお願いします」と声に出していってから入室するし、窓をあけて、毎朝掃除をする。床を掃き、汚れているところは雑巾で拭く。流し場も汚いとイヤなので、きれいにスポンジなどで拭く。気がついたところは、できるだけ拭き掃除する。それが終わってから、お湯を沸かしたり、パソコンの電源をいれて、このような駄文を書いたり、その日の授業の準備をしたりする。別段、変わったことをしているという意識はない。こうするのが、一番自分にはふつうだし、それで一日気持ちよく仕事ができる。

 わたしの住んでいる(?)物理準備室は、ふつうの教室と同じ広さがある。これは、かんがえてみると、ふつうの会社では社長でも望めないほどの広さだ。そこを、今、もう一人の同僚と二人で使っている。実験器具などいろいろおいてあるが、じつに広い部屋を無料で使わせてもらっていることに、いつも感謝の気持ちは忘れない。そう、われわれ教員(だけではない、他の仕事の人も)は、「部屋を借りている」のだ。それも無料でである。慣れてくると、もうそこが自分の当然の居場所のようにおもってしまうが、「無料で使わせてもらっている」という気持ちはわすれたくない。説教くさいことはいうつもりもない。だから、これは、わたしが勝手におもっているだけで、人にいうことではない。いずれ、時期が来れば、わたしもここを去る。仕事を離れれば、ここにいる理由はないからだ。部屋のカギは、次に入られる方にお渡しする。そうすれば、もうはいることのなくなるだろう。そう、自分たちは「一時的な住人」にすぎない。中には、我が家のように過ごして、汚しきったまま去る人もいる。というより、今までの回って来た職場では、それがふつうのことだった。在職中になんとかきれいにして、きれいになったかな、とおもうころにはまた次の職場に転勤ということをくり返して来た。どんな気持ちで、職場の部屋や用具などをつかうのかは、人それぞれでいいとおもっている。ただ、「一時的に借りている」という気持ちを持っていたほうが、きれいに使えるのではないかな、と個人的にはおもう。

 どうもこのようにおもうと、「人生そのものが借り物」のような気がしないでもない。
◆2009/08/21(金) 14:42 同窓会がつづく
 昨日、職場宛てで、同窓会の案内が届いた。もう10年以上も前に卒業した生徒さんたちからのものだ。横浜市内にある県立高校へ勤務していた当時の卒業生たちだ。3年間一緒に持ち上がり、本当に思い出にのこるいい学年だった。たしか、修学旅行は北海道の道東で、阿寒湖近くのスキー場を借り切ってのスキー修学旅行だった。現在のように、入試を前期・後期などと2回に分けてやるというような馬鹿げたことがなかった時代である。2月下旬の入試までには、すこしの時間があったので、その時期を利用して旅行が計画された。2月の北海道は、まさに北海道らしくてじつにいい。なにせ、本格的に寒い。それがいい。スキー場の雪はパウダースノー以上であった。のんびりと生徒たちとすべり、夜はおいしい食事と温泉だ。それに、教員には夜の晩酌もあった。今のように「24時間勤務」などというバカみたいなことはいわれなかった。網走で乗った流氷見物のオーロラー号もおもしかった。あのとき以降、修学旅行はまったくの難行苦行になってしまい、もうできるかぎりは行きたくない。こちらは、旅行業者をしているわけでもなし、旅行など行きたければ、個人的にどんどん行ってくれ!ともいいたくなる。ま、それはそれとして、そういう学年の生徒さんたちとひさしぶりに10月に会うことになった。行かずばなるまい。

 じつは、7月にも30年ほど前の生徒さんたちとの同窓会があった。わたしは、教員としてはどうも資質はよくないとおもっているので、生徒さんからのお呼びがかかるのは、酒をバンバン呑んで、生徒さんたちの酒の肴になるのにちょうどいいからだろうと、勝手におもっている。それほど教えることも好きでないし(自分で研究・勉強するのは大好きだが)、生徒の心情などへの温かい配慮もした覚えもない。どちらかというと、「冷たい」教員ではなかったかとおもう。あの当時に一緒に仕事をしていた同僚の方々にも他界する人も多くなってきた。まァ、生き残りということで呼んでもらえるうちが華であろう。今、中島みゆきさんの「時代」という暗い歌(?)を聴きながら、これを書いている。まさしくこの歌の歌詞にあるように、時代はめぐりめぐっていく。そして、このときのクラス幹事さんの話では、11月にも今度はクラスの同窓会をするからと予告を受けた。うれしいことである。が、しかし、愛用の手帳をみると、もうほとんどの土日は何かの予定がはいってしまっている状態になっている。「観光バスツアー」「秋山山行」「居合・抜刀関東大会」「山岳会いも煮会」「ビシッと決めよう会忘年会」「山岳会忘年会」などなど、もう自分でも管理できないほどで、うれし涙がでてしまう。この合間をぬっての呑み会もある。来週の月曜日には、「指定年齢人間ドック」がはいっている。もうやらなくてもどういう結果が出るのかは、ほぼ予想がついている。こうなると、この状態がつづいたまま、あの世に旅立つのが最高のフィナーレといっていい。自分の中学校時代や高校時代の同窓会もやってはいるのだろうが、どの場所にそれがはいるのか、とても見つけるのに苦労する。過去を懐かしむ気持ちは、わたしには不思議とない。今を精一杯生きるだけで手一杯というのが本当のところだ。もう、来年の計画ではいっているものもある。そこまで生きていられるのかもわかりゃしないのに、なんともおめでたいことである。
◆2009/08/10(月) 14:43 今年の夏山は不調
 実質的な「梅雨明け」などないままで、もうきょうには台風が近づいているという天気では、夏山もあったものではない。7/31から山岳会の夏山に出かけてきたが、散々な天気で、土砂崩れや風雨つづきで、計画半ばにして早めに終了とした。山の記録をみると、1980年にも同じような天気だったのがわかる。こういうことは、まァときどきある。目的にした山に登頂できないのは、残念でないといえばウソになるが、それほど登頂にこだわっているわけでもない。ダメならダメで、また登る機会もあろう。登るまで生きていられるかもわからんが、そんなことは、言ったら切りがない。今回の山行では、入山時に山道の土砂崩れがあり、タクシーが所定の場所まではいってもらうことができず、やむなく第2案でかんがえたいた山域にコース変更するというハプニングに見舞われたが、その山域でも天候悪化は避けられず、結局、以前に登った山頂を1つ踏んで下山するという結果になってしまった。しかし、わが山岳会の過去の山行でもこういうことは何度もあった。そして、10年ほどして、最終的にそれらの山々に登頂するという幸運に恵まれている。だから、何も気落ちなどしてはいない。もし、強行して遭難事故などになったら、それこそ、山岳会の歴史に汚点を残すことになっただろう。「あぶないとおもったら、すぐに撤退する」が、わが山岳会の鉄則である。会員の家族などでは、「軟弱山岳会」などという汚名を受けていることは知っているが、そんなことは気にしない。たしかに、今年の夏山は不調におわったが、また見事に登り切るときがくるだろう。わたしには、天気に文句をいう気持ちはサラサラない。天気が悪ければ、よくなるまで待てばいいだけだ。期間が限られている現在の状況では、天気とミスマッチすることは避けられない。それもいずれは、きっとうまくいく日がやってくる。それまでは、ブツブツいいながら山を楽しんでいきたい。
◆2009/07/21(火) 12:25 夏期講習会
 今年も、昨日から「物理夏期講習会」をはじめた。ほとんど来ないとおもっていたら、5名ほどの申し込みがあったので、本当はやりたくはなかったが、まァ、やることにした。一時は予備校や塾に出かけていた生徒が、不景気のあおりを受けたためか、学校の講習会に来るようになったのかもしれない。学校の講習会は、職員が勤務時間内にやるものなので、費用は無料である。テキストもふだん使っているものを繰り返し利用するようにしているから、実質何もかからない。必要なものといえば、自分自身のやる気だけだ。受講するかどうかは、本人の意思しだい。途中で来なくなるのも一向に気にしていない。「来るものは拒まず、去るものは追わず」そのものである。今回は、前期9日間、後期9日間やる。毎日、1時間半から2時間ほど。講習会などに来てどれほど効果があるのかは、わたし自身それほど期待もしていない。勉強などそもそも本人の問題であり、わたしなど単なる助言者でしかない。講習会の中でわたしがすることは、やる問題を指示することと、時間を指定すること、解答のわかりにくいところの簡単な解説くらいだ。わたし自身、人からあれこれいわれてやることが好きでないから、生徒にもあまりあれこれいわないようにしている。細かく教え込まないとできない生徒もいるが、そういう生徒はある範囲の勉強は乗り切れるかもしれないが、先々の勉学ではやっていけないとおもっている。自分で学んでいくという姿勢と気魄をもっていない人が伸びた例を知らない。だれかに教えてもらうことに慣れてしまった人は、どんなに世間体のいい高校や大学などにいっても、そこで「壁」にぶつかるだろう。養老猛司氏の表現を借りれば、「バカの壁」に激突だ。知っている人は知っているだろうが「ピーターの法則」の無能レベルに達したということだ。講習会では、最初に確認テストをする。テストの出来を見て、予定していた問題集にすぐにかかる生徒と基礎的なプリントをやってもらう生徒に二分する。高校レベルの物理でも、生徒にとってはけっこうむずかしい、とおもう。本当は何でもそうだが、「基礎」がもっともむずかしい。が、そこはあまりむずかしいことはいわない。入門レベルのところで落ちこぼれてしまった生徒は、まずはそこからじっくりやるしかない。いくら即席でできるようになりたいとおもっても、そうはうまくいかない。どんな高見も所詮は一歩一歩ずつ登っていくしかない。まさに、勉強は山登りそのものである。イチロー選手いわく「小さなことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただ一つの道だと思う」まさにその通りである。焦らず、自分のペースでたゆまず登りつづければ、かならず頂上には着く。本当はそこからがまたいろいろあるのだが、とりあえずの目標にむかっている人間に余計な雑音はいらない。しかし、この単純なことが、ほぼ99%の人間にとっては、じつにむずかしいようだ。わたし自身もこの歳になっても、まだまだ修行中といっていいだろう。最近では、どこが頂上なのかもよくわからんようになってきた。「ニセピーク」というのじつに多い。本当の頂上があるのか知らないが、勉強などそのわからないことに関しては最たるものだろう。とりあえず、「大学合格」などの目標設定でがまんするしかない。
◆2009/07/17(金) 07:23 ウォーキングと散歩
 今朝もいつも通り4:00に起きた。目覚まし時計をかけているわけではないが、若い頃から4:00±30分くらいに、自然に起きてしまう。日の出の時間が遅くなると、それに連動して起きる時間も遅くなるから、太陽の光に合わせて生きているのかもしれない。何の努力もするわけでなし、単にる習慣としかいえない。ただ、寝るのは必然的に早い。昨晩も21:30頃には布団の上で本を読んでいたから、おそらく22:00前後には寝てしまったとおもわれる。睡眠時間はほぼ6時間だ。これが、自分には一番すっきりする。毎日のゴミだしは、いつの間にか私の仕事になってしまっている。きょうは「生ゴミ」の日なので、あちこちのゴミ箱をあさり、そして外においてある大きなゴミ箱の中身もぜんぶまとめて、ゴミ袋の押し込み、所定の場所においてきた。それがおわると、ポツリポツリ降り出した空を見て、傘をもって、いつもの散歩へ。職場が遠かったときは、なかなかできなかった夢のような時間だ。服装は、普段着の甚平と雪駄。どう見ても、オッツァンである。本格的な服装で、ウォーキングにはげむ人もおおい。わたしのは完全なブラブラ歩き。早く歩くのはあまり好きでない。今までの勤めでは、毎朝駅まで早足が当たり前であった。今は、偶然にも職場まで歩いて12分ほど。急ぐ必要などまったくない。できる限り、のんびり歩くのがいい。雲や風の流れを肌で感じ、鳥たちの鳴き声を聞き、明け行く山々を眺めながら、至福のときである。健康のために努力をするという気持ちもサラサラない。そこまでして、長生きしたいともおもわない。足腰が弱って、頭がボケて、家族に迷惑をかけたくない云々、いろいろ理由はあるだろうが、そんなことはなってしまえば、こっちの知ったことではない。誰が好き好んでなる人もいまい。満87歳になる前日に逝ったわたしの親爺も、80歳のときに脳梗塞で倒れ、長男であるわたしが(というよりカミさんが…だな)世話をさせてもらった。頭でおもっているのとちがい、実際には大変だったが、これも順番だとふつうにおもっていた。それで、何とか耐えられた。朝、気がつくと、床の中で静かになっていた…というのが理想であろうが、そうは問屋がおろさない。この不確実性がまさに人生だ。だから、あまたの健康法には、まるで関心がない。健康で長生きしたい人は、いろいろ試みるのがいいだろう。ウォーキングも早足でやると効果があるという。でも、生活のほとんどを歩いていたついこの間までの人たちが、それほど健康的だったともおもえない。わたしなど、いつも楽したいとばかりおもっているから、歩くのは通勤とブラブラ散歩のときくらいだ。もちろん、健康に自信などまったくない。明日をも知れない命といつもおもっている。だから、元気なうちは、こうしてブラブラ散歩しながら、自然を感じていたい。何の目的もなく…。
◆2009/07/15(水) 07:30 政治家と官僚
 先日の都議選で、自民惨敗、民主大躍進と大騒ぎである。都議選の結果がいくら国政レベルに影響するといっても、この騒ぎようは異常である。まるで、選挙そのものが目的になってしまっている。何をするための選挙なのか、まったく論じられていない。わたしは、いわゆる”無党派”なので、どの党が第1党になろうが、ほとんど関心はない。が、たまには顔ぶれを変えるくらいのことはあってもいいとおもっている。民主党といっても、元々は自民党の片割れだし、体質もまったくおなじ金権政党である。この歳になっても、不思議で仕方ないのは、なんであのように議員の数が多いか?とか、政治家(屋?)がお金持ちなことだ。政治に関わると身代をつぶすといわれたのはもう過去のことなのだろう。わたしの願いは、とにかく議員さん(国政、地方を問わず)の人数をできれば半数に減らしてほしいこと、議員さんの報酬をガクンと減らすことだ。それでも、みんなのために政治をやりたいという篤志家に政治を任せたい。そういう人に、国民が身銭を切って応えるのに躊躇する必要はない。それこそ、「きれいな政治献金」だ。それと、官僚のレベルをおバカにした方がいい。新聞に載る何とか事務官の経歴など見ると、ほとんどが東大か京大、たまに一橋大だ。これらの大学にそれほど国のことをおもう人間が多いのか??これでは、おかしくなるのは当たり前だ。同窓会をやっているのではないのだから、もっと広く人を集めるのがいいだろう。しかし、これは無理だな。上級国家公務員に採用する試験をやっている連中が、元々おなじ穴のムジナなのだから。「公正な試験で採用しています」といわれれば、文句のつけようがない。そういうことには、じつに優秀な人たちが、まさに高級官僚をしているのだから。政治とは、「政治家」と「高級官僚」とのせめぎあいのことをいうのかもしれないな。それを支えるのは、バックにいる集金マシンたちだ。と、勝手におもっている。来月には、衆議院選挙があるとのこと。今まで4年も選挙をせず、首相が3名も歴任していることにほとんどマスコミもその非を指摘しない。どこかのマスコミの長も政治家と仲がいいかならな。選挙の結果がどうでるかはわからんが、自民党が惨敗しても、とくに何も変わらないだろうな、きっと。まァ、たまには顔ぶれが変わるだけでもマシなのかもしれないが。
◆2009/07/02(木) 07:55 授業と出張
 神奈川県の教員は、じつによく出張する。交通の便がいいからかもしれない。わたしは、極力さけているが、何年かに1回くらいはまれに出かけることがある。しかし、授業のあるときは、それが最優先なので、授業が終わらなければ出ない。中には、授業のある時間帯に出張を要請してくるばか者がいる。県教委もそうだが、部活関係のものも多い。部活など趣味にすぎない、とおもっているわたしは少数派のようで、”部活”を錦の御旗にして、堂々と授業を自習にして出張していく教員もいる。嘆かわしいことである。日本だけでないのかもしれないが、学校は勉強以外に抱え込んでしまったものが多すぎる。部活動に精出したいものは、部活専門高校にでもいけばいいのである。何でも学校に取り込んでしまう、という体質が学校をダメにしている。「学校はこれだけやります」でいいのである。管理職も、じつによく出張する。それが仕事みたいだ。事務的なことなど、メールですませばいいのに(そのためにこういう電子化がなされている)、わざわざ出かけていく。そこには、出張旅費というのがつくので、それが目的なのかもしれないな。学校の仕事をしないで、旅費が別途でるのだからたまらない。どんどん出かけていくという気にもなろう。いまはうるさくなったので、だいぶ減ってはいるようだが、以前は、管理職など給料より出張旅費の方が高額な人も多々いた。人の給料を云々するつもりもないが、わたしのような平教員にとっては、学校現場で授業をするのが、最優先の仕事だ。この根本を忘れてしまっては、「税金の無駄づかい」と言われても反論のしようがない。自分の本務を常に意識しておきたい。
◆2009/07/05 (日) 16:28: 職人技
 2週間ほど前に、車の左後ろタイヤがパンクした。まったく気づかなかったが、休日に職場に用事があり、近くまで走ったところで、異変をかんじて、車をとめて見てみたら見事にペシャンコになっていた。今の車を買ってからはじめたのことだ。すぐさま、自宅ちかくのガソリンスタンドへ車を持ち込み、とりあえずそのタイヤだけ新しいものに交換してもらった。修理してくれた人の話では、かなりタイヤが磨耗しているので、一緒につけたタイヤなら、他のタイヤももう寿命に来ているという。そういえば、もう3万キロほどタイヤ交換もしていない。「まずいな、ボーナスでも出たら、のこりも交換するか」と、カミさんとも相談して決めた。そこで、ボーナスもでた数日前に、のこりのタイヤ交換もしてもらった。ところが、どういうわけか、ハンドルの具合がおかしい。それまでは、直進ならハンドルを放していてもまっすぐに進んだのに、こんどは常時ハンドルをにぎっていないと左にまがってしまう。いつも右にすこしハンドルを切っていないと、直進できない。本当に微妙なことなのだが、はっきりとわかる。これは、タイヤ交換によって微妙なアライメント(整列具合)が狂ってしまっているのだと、直感した。今朝、そのタイヤ交換をしてくれた人が出勤する時間にまた直してもらいに行った。あれこれいじっていたが、どうもこころもとない。おそらく、臨時店員さんみたいな人なので、本当はそういうことも正確にはしらないのだろう。そこへ、日曜日にだけ来てくれているという、BMWの修理担当専門の方とかいう人が偶然来てくれた。店員さんが、その方に相談してくれて見てもらった。「タイヤの入れ換えをしてみましょう」と4本のタイヤを全部はずして、左に曲がるのを勘案して、付け替えてくれた。そのあと、その方が車に乗り、試運転をして来てくれた。「わたしの感触では、これで直っているはずですが…」と車をもどしてくれた。ちょうどガソリンも少なくなっているので、給油してから、お礼を行って、車を動かした。「直っている!」動き始めてすぐにわかった。うれしくなった。こういう職人技をもった人がまだまおられるのだ。ただマニュアルどおりに言われたようにしかできない人が大勢を占めてしまった中にあって、本物の職人さんがいたことに感謝した。そうだよな、こういう人が日本にはもともと普通にいたのだ。これでこそ職人なのだ。リストラだとかいって、こういう技能をもった人をどんどん減らしている日本の現状では、遠からず日本の技術もすたれるだろう。真の職人、こういう人を減らしてはいけない。その人に感謝しながらそうつくづくおもった。今度、車をみてもらうときは、その人が来るというのを確認してからでかけたい。気持ちのいい1日が送れそうだ。
◆2009/06/02(火) 08:15 うらやましい
 今朝は天気がいい。校舎の中庭では、明後日おこなわれる予定の体育祭に向けて、生徒さんたちのパフォーマンスの練習がおこなわれている。物理室準備室(2階)からは中庭がすべて見下ろせる。しばらく見ていると、男子と女子が仲良く手をつないだりして、なんともなごやかな雰囲気だ。わたしが中学校・高校に在学していたはるか昔は、女子の生徒と手をつないだりなどということは、とんとなかった。というか、わたしの田舎である福島県では、古い高校は男女別学であったし、中学の頃も男女で手をつなぐ機会などかんがえられなかった。ま、中にはませた生徒もいたであろうから、そういことを隠れてしていたものもいたにちがいない。が、わたしのように恥ずかしがりやで内気な生徒には(今から想像するとじつにうぶだったなー)、女子の手をにぎるなんてとんでもないことだった。今、こうして自然に男子生徒と女子生徒が踊りの中で手をにぎったりするのを見ていると、なんともうらやましい気持ちになる。あの頃の習慣をまだひきずっているだろう。こういう環境で育った生徒たちとわたしのような世代では、おそらく男女感もおおきくちがっているにちがいない。異性に対して多少の幻想を抱いていたほうがいい、とわたしはおもうが、教室などで見る若い生徒たちに屈託はない。男女のことにはとんと疎い自分には、よくわからないが、時代とともに異性感もかわっていくのが自然なのか。今の時代に自分が生徒であったらどうか…と想像してみるが、どうにもイメージがわかない。うらやましさを感じる気持ちの中には、ほんとうはそうしたかったというおもいがあるのだろう。ま、仲のよいことは悪いことではない。
◆2009/05/22(金) 07:43 インフルエンザ狂想曲
 日本中が”新型インフルエンザ”で狂っている。神奈川の高校生が感染していることがわかり、もうパニック状態だ。県教委もあとで責められないように、先手先手を打って、何の効果もない通達を出しまくっている。これは、国のトップからしてそうだ。首相がTVで「みなさん、落ち着いて対処してください」みたいなことを言っていた。最初に、ここまで大げさにしたのは日本政府であり、これではいつもながらの「マッチポンプ」的発言である。「本当にこれほど騒がなければならない感染症なのか?」と疑問をもつ。この大騒ぎは、まさに狂想曲といっていい。不謹慎ではあるが、こういう状態をじっくりと観察したい。こういう問題が発生したときの「世の流れ」が、この日本の政治や経済もろもろの本当の姿をおしえてくれるいい機会だとおもうからだ。はたして、日本はどんな曲をかなでているのか。
◆2009/05/20(水) 07:37 マスクが売っていない!
 現在進行形で、豚インフルエンザの猛威が日本国内にも広がっている。今のところ、関西の兵庫や大阪あたりに広がっているようだが、遅かれ早かれ、その他の地方へも波及しよう。こういうのは、人がたえず動き回っている現在にあっては、当たり前のことである。風評で「今、どこへいってもマスクが売っていないよ」と聞いた。まさか、とおもい、昨日の帰宅時に、近くのスーパーとドラッグストアに行ってみた。マスクは自宅にはそれなりに在庫はある。実際にそうなのかを確かめに行ってみたのだ。そうしたら、なんと!これが本当だった。もう、完全な売れ切れで、在庫はないという。それほど危険なはずもないインフルエンザ(それもどういうわけか、青少年に患者がおおい)で、すでにパニック状態がおこっているのだ。こういう光景を見るのは、2度目である。大学生の頃、「オイルショック」というのがあり、みんなスーパーなどに駆け込んで、トイレットペーパーを買いあさっていた。まるであのときのようだ。市販のマスクでウィルスで広がるインフルエンザが防げるはずもないのだが、マスコミも政府もあおるあおる。まァ、勝手にやってくれというしかない。毎年、ふつうのインフルエンザで1万5000人ほどの人が亡くなっているのをご存知だとおもう。それも、患者は1500万人ほどでるのだ。こういうデータは、公に出ているのだから、だれでもアクセスできる。それをおもうと、このような現象は、どうもだれかが作っているとしかおもえない。年間3万人以上もの自殺者が出ている現状をおもうと、なんともメデタイとしか、いいようがない。
◆2009/05/14(木) 07:37 末期症状か?
 最近、カミさんによく怒られる。何かを話しているとき、私が何気なく「そんなこと、どうでもいい」ということが多いからみたいだ。いわれてみると、たしかにいつもそうおもっていることが多いように、自分でもかんじる。ここ数年で、子供たちもなんとか成人してくれたし、3年間いっしょに学んできた生徒たちも3月に卒業していった。意識するともなく、一種の虚脱状態にあるのかもしれない。ただ、そればかりでなく、自分のやろうとしていること以外は、ほとんど関心がなくなってきているのも本当だ。定年まであと4年になったので、そろそろ、定年後の身のふりかたもかんがえねばならないな、とかかんがえだした。しかし、とくに仕事をつづけたい(現在では再雇用制度というのがある)わけでもない。かといって、田舎に帰り、余生を送るなどという牧歌的な時代でもあるまい。自分が本当にやりたいとおもっていることは「何か?」、といつもかんがえながら生活しているようなのだ。まァ、慢性のうつ状態にあるような…。やりたいことは、ほぼ決まってはいる。が、それを成し遂げられる能力と体力などが自分にまだのこっているのか、等等かんがえるといつも迷いが生じてしまう。それでも、日課としてはその準備だけは一歩一歩つづけている。そんな日々なので、いわゆるふつうの事柄には、ほとんど関心も興味もない。家族との会話もとくに何も意識していない。生徒のことは、職場をはなれれば忘れる。本を読み、論文を読み、計算し、かんがえる。そして、帰宅するとメールをチェックし、あとは酒を呑んで寝るだけ。朝は、日の出の早いこの時期はほぼ4:00前後におきる。そこでも同じ行動パタンだ。これでは、もう死期を目前にしている末期的状況とかわりない。自己診断では、いつもの「うつ状態」であることはわかっている。ただ、これがなかなかいい状態で、自分のやりたいことだけに集中するための方法でもある。今朝も、カミさんに怒られながら家を出てきた。「そんなことは、どうでもいい」まァ、無責任のように聞こえるが、無責任でない人などほとんど見たことがないな。人のことは何もいいたくないが。
◆2009/05/07(木) 08:05 連休のバカげた渋滞
 今年の連休はひどかった。この時期に出かけることは少ないのだが、父母の法要があり、止む無く帰省することなった。この時期にあわせるためもあってか、自民党のバカ政府が「高速道料金一律\1000休日限定」なる人気取りの施策を打ち出した。ETCの普及が思惑通りにいかなかったのを挽回しようとしてかんがえられたものにちがいない。こういう見えすえた方策に簡単にホイホイと乗るのは、わが日本人の悲しい性(さが)。わかっちゃいるけどやめられない、とはこのことだ。そのせいで、各高速道は大渋滞。わたしのように極力高速道をつかわないものも、あおりを食らって一般道もかなりの渋滞。一般道だけでのんびり自宅にもどろうというもくろみは、失敗におわってしまった。空いている高速道を利用すれば、4時間半ほどでもどれるのに、なんと12時間もかかってしまい、家族だけでなく、運転者のわたしもへとへと。まったく、めいわくばかりの「おもいつき政策」だった。まァ、こんな時期に法要を予定したのも失敗だったが、こればかりは、親戚一同の日程調整をした結果であり、どうこういっても意味はない。なにか、国土交通省の官僚や関係する政治家のおもわくが見え見えで、ほくそえんでいる姿が画像になってでてくる。腹立つなー!
◆2009/04/21(火) 08:00 何も知らないのでよろしく
 転勤してくる人は、決まり文句のように「何も知りませんので、よろしくお願いします」という。まァ、これは会話にはいるための枕詞のようなもので、何もしらないなんてことはない。すでに転勤してくる段階で、相当の予備知識をもってくるものである。まったくの新人さんでさえ、そうであるから、もう20年近くも同業をしている人なら、自分のやり方なり経験なり習慣なり、じつに多くのものをひきずってきている。わたし自身もそうである。それまでの経験やら溜め込んだ知識は、一種の財産みたいなものなので、それを変えることなど、まずない。わたしは、異動回数が多かったせいか、むしろそういうものを毎回捨て去るようにして職業生活をおくってきたが、それでも溜め込んだものは多く、それを捨てるのに苦労している。新しいものを新しいまま取り入れることは、じつにむずかしいことだとおもう。本心から「何も知らないので、教えてもらって自分を変えて行きたい」などとかんがえている人は、まずいない。もしいたら、その人は相当に創造的な人だろう。
◆2009/04/06(月) 16:04 新学期はじまる
 また、今年も新年度がはじまった。公立の学校は役所の出先機関みたいなものなので、新年度は、4月1日からだ。そのため、職員の辞令交付などは4月1日におこなわるが、生徒の新学期は6日前後の月曜日が選ばれるようだ。会社などの入社式はすでに4月1日になっているが、わたしはどうにもこの制度は好きになれない。まァ、どうでもいいようなことだが、省庁の予算執行が4月からはじまるのにあわせているだけで、季節などいろいろ理屈はつけても、どうにも中途半端でいけない。欧米の制度などにあわせる必要などまったくおもいもしないが、この通常の年度途中から新年度がはじまるという制度は、いつまでも悪弊としてつづいているみたいで、個人的にはもう飽きた。早く定年になって、カレンダー通りの生活がしたいものだ。手帳は、ズボンのポケットに入る小さなもので、これに何でも書いているが、この手帳のカレンダーも(4月はじまりのものも一応売ってはいるが)当然1月から12月までになっている。この年度食いこみがあるため、3ヶ月ほどはいつもダブルで使わなくてはいけない。まったく不自由する。一度、4月はじまりのものも使ってみたが、今度は日常の生活で、困る。早くどっちかに統一してほしい。明治5年に今の太陽太陰暦に変わったと聞くが、このときになぜ思い切って、予算などの執行時期も1月から12月まで変えなかったか、不思議だ。まァ、あの頃の役人など薩長の下っ端侍ばかりで大した判断もできなかったにちがいない。そういえば、「君が代」などの国歌らしきものも、このときの単なる思い付きで使われて今に至っている。まったくはじめはすべて単なる戯れ事だ。こんなことはどうでもいいか。また、元気に1年仕事ができれば、それでいい。
◆2009/04/02(木) 14:31 転任者来る
 3月31日に教員の人事異動の新聞発表があり、昨日4月1日に新しい転任者が勤務校にも来た。総勢11名ほどで、これでまた職場の雰囲気が少しかわるだろう。わたしが一人で居座っていた「物理室」にも、新しい住人が来られた。2年ぶりである。1日の大半を一人でいたため、それほど気づかいもなく、気楽に過ごしていた。これからは、少しだけ気づかいをしようとおもう。が、一人でいるときから、部屋の掃除もきちんとして、きれいに保つようにしたから、何もどうこう騒ぐことでもない。それに、どういう方かもよくわからないし、あわてて知ろうともおもわない。教室とおなじ広さの部屋に2人でいられるのは、じつにぜいたくで他の仕事ではかんがえらない。もちろん、実験器具などのおもしろい装置類もあちこちにおいてあるが、これが自分の仕事だし、何も気にはならない。好きな本も置けるし、とても職員室みたいな大部屋に常駐するつもりはない。教員生活のほとんどを理科室・物理室でほぼ一人で過ごしてきた。大部屋には大部屋の良さもあり、それはそれで楽しめる。同時に、1人部屋(今度は2人部屋)にも、それなりの居心地のよさと気楽さがある。もちろん楽しみもある。今度来られた方と仲良くやっていけるよう、ちょっとだけ努力しようとおもっている。それぐらいしないと、この部屋に対しても申し訳ない。
◆2009/03/17(火) 08:09 花粉症
 まだ花粉症がつづいている。今週末頃には終わるというが、中国からの黄砂とひのき花粉がひかえており、油断はできない。今年は1月の下旬から鼻がむずむずしはじめ、ここ数日は黄砂がひどく、鼻はずるずるだ。風邪を引いても、似たような症状なので、気がつかない。先日、沖縄に旅行したときには花粉症は出なかった。南の島で、スギなどないせいだろう。花粉症がひどいときは、お酒も呑む気にならない。味がわからなくなるから。スギ花粉情報では、あとしばらくでこの状態は緩和されるというが、代わりに出てきたのが黄砂だ。これも一種の公害であるが、中国ばかりを責める気にはならない。日本も昔やっていたことだ。大昔にお世話になった中国を蔑視しても、何も得るものはない。こうして書いている漢字も頂いて来たものだ。それにしても、海の水や大気は国境など関係なく動く。動かないものの代表とかんがえられている「大地」を巡っての紛争も絶えないが、その大地すら人間の時間感覚とはちがうレベルではしっかり動いている。変化しないものなど何もない。毎日おなじようにおもっていても、知らずに変わっている。それで、われわれは安心して生活できる。不思議なことだ。
◆2009/03/09(月) 07:43 沖縄旅行
 ホテルでの朝食時にようやく晴れてきて、ワンショット。きれいな海ですねー。3年生を送り出し、3年間の禁欲的仕事生活も終わったので、学年末テスト期間中を利用して、カミさんと沖縄に旅に出かけてきた。3泊4日のまったくのプライベートな旅である。卒業生たちと2年次に出かけた沖縄修学旅行は、あくまでも仕事としてのもの。表面的にしか観れないのは当然である。そのあと、プライベートでゆっくりと来てみたいとおもうようになり、1年ほど前から計画していた。あちこちの旅行企画をネットで検索して、とある旅行社の企画に頼んでみることにしたのは、半年ほど前であった。2泊3日ではとてもゆっくりはできないため、3泊4日(本当なら1週間ほど取りたかったが)で出かけることにした。飛行機とレンタカーとホテルだけのパック旅行であるが、団体で行く旅行ではないため、出発から帰りまで、まったくの個人旅行だった。ホテルだけは超有名なリゾートホテル(朝食付き)にしたが、あとは動けばいいくらいしかおもわなかったので、費用は2人でも相当な格安旅行であった。ふつうに沖縄に飛行機で行けば、片道の飛行機代だけでも4万円はする。それをおもうと、ホテルも立派だし、車もカーナビ付きのいい車だ。これで文句をいうことは何もない。自分たちで行きたいところには、自由に行けたし、買い物もゆったりとできた。毎晩、大浴場に入れたのもよかった。ただ1つ残念だったのは、カミさんに見せたかった海に沈む夕日が天気不順のために見れなかったこと。これだけは、いくら準備をしても、天気に文句をいうわけにもいかない。これは、次回の楽しみにとっておくことにしたい。
◆2009/03/02(月) 15:54 卒業式
 今、ようやく卒業生たちでおこなっていた「卒業を祝う会」が終わった。すでに、午前中に卒業式は終わっているが、午後まで多くの卒業生が残り、14:00から2時間ほどだが、自分たちで企画して卒業パーティーのようなスタイルでおこなっている。わたしも、ほぼ全部見せてもらったが、これで本当に彼らともお別れである。3年間こちらも本当にお世話になった。想い出に残る卒業生たちだろう。年齢的に、もうこれが最後の卒業生だとおもうと、ちと寂しい気もする。しかし、何でも終わりはある。気持ちよく送り出せたことで、十分に満足である。
◆2009/02/27(金) 16:11 卒業式予行
 今朝は、朝から冷雨が降りつづいていて寒い。卒業式の予行があるので心配していたが、案の定、途中で少し雪がまじってきた。まさに「なごり雪」である。まだ進路の確定していない生徒もおり、全員が喜びのうちにとはいかない。しかし、3年間の結果であり、本人たちもそれぞれに頑張ったことであろう。予行は、簡素なうちに終わり、クラスにもどった生徒たちには、卒業アルバムなどを配付した。このアルバムが懐かしくなるのには、10数年の年月が必要になるだろう。わたしが、彼らにしてあげたことはほとんどない。でも、3年間何とか付き合えたことだけは、写真にしっかりと記録されている。3月2日には、明るく彼らを送り出してあげたい。
◆2009/02/24(火) 08:05 映画「おくりびと」
 昨夜から今朝にかけて映画「おくりびと」がアカデミー賞外国映画賞を受賞したニュースで狂想曲だ。いつものパタンで、国内で評価されるのではなく、外国で評価されて再輸入の形だ。情けない。「お前はどうだ」といわれるかもしれないが、問題ない。この映画は、まだまったく問題にされていないときに、しっかりと観て、感動をあじわっていた。そのときは、カミさんと観にいったのだが、カミさんはこの映画のことをまったく知らなかった。わたしは、新聞の隅に小さく出ていた上映を告げる広告を見て、観にいくことにした。おもった通り、すばらしい映画だった。カミさんも「いい映画だね」といっていた。アカデミー賞なんて興味関心もないが、早く観ておいてよかった。しばらくは、この受賞で混みあうことだろう。なんでもそうだが、観る人はしっかり観ているものなのだ。
◆2009/02/24(火) 07:56 もうすぐ卒業式
 来週の月曜日(3/2)は、勤務校の卒業式だ。わたしは、この卒業式で、3年間担当した生徒たちを送り出す。3年なんてあっという間で…といいたいところだが、振り返ってみると本当にいろいろなことがあった。3年間担任をして生徒を送り出す気持ちには、いつもながら複雑なものがある。思い出すとつらいことも楽しかったこともある。そのときは必死でやってきたのだが、今になるともっとていねいにできたのでは…などと反省することも多い。まァ、あまり語るべきことはないが、静かに生徒たちを送り出したい。
◆2009/01/21(水) 07:20 ギックリ腰
 とうとう出てしまった。年末から右腰がズキンと重痛い感じがつづいていたが、先週末の夜遅く帰宅したあと、腰に力が入らなくなってしまい、自分で自分の身体を操ることができなくなってしまった。立っているのも辛い。座っても痛い。身体の向きを変えるときは、あぶら汗。とくに怖いのが、座っている状態から立ちあがるときの身体を走る稲妻。こういうときは、あきらめて寝ていればいいのだろうが、そんなことをしたら、一体授業はだれがしてくれるのか?現在の職場には、物理担当は私しかいない。現在やっているくらいの内容など、理数系の人ならだれでもできるとはおもうのだが、どうも同じ理科の先生でも、物理は苦手のようで、頼むにたのめない。一足前進するたびに、右足がつっぱるようで、動きはまさにロボット状態だ。「ゆっくり休んでください」という同僚の声も、こうなると嫌味にしか聞こえない。

 6年ほど前、前任校に勤務していたときに、はじめてギックリ腰になった。あのときも、駅での乗り換えなどで階段を上り下りするのに、大変だった。今回は、何となく来そうだな…と予感のようなものがあったので、十分に注意はしていたが、やはり3年間ほとんど休みらしい休みも取らずに無理をしてきた身体は正直だった。だいぶこじらせてしまったので、職場近くの整骨院に通うことにしたが、治るのにしばらくは時間がかかるだろう。それにしても、こういうときは、トイレほどこわいところはないですな。(T_T)
◆2009/01/06(火) 07:32 今年もよろしく
 昨年末も例年どおりに、忘年会や飲み会がつづき、雑感など感じている時間もヒマもなかった。まだ3月までは3学年のクラス担任をしているため、昨日から大学入試に出願するために必要な調査書発行に追われていたのもある。12月中に調査書をほしい、という生徒のおもいもわかるため、年末ギリギリまで発行手続きの仕事をしていた。それらの仕事を24日に終えると、今度は自分の家の年末仕事がある。自宅の周りにいつの間にか伸びに伸びてしまった雑木の枝落としや、台所の換気扇、風呂の壁のカビ落としとやれば切りのないほどでてくる。気がつくと、右腰が痛くなっていた。学生の頃に山で痛めた箇所が、ズキズキする。ようやく迎えた大晦日の夜も、年越しそばを少し食べ、晩酌をほんの少しして、21:30頃には床についた。TVの番組もお笑いや紅白などばかりで、ダラダラ見てしまうものばかり。どうせ見るなら、楽しい夢でも見たほうがいい、といつもどおりに寝る。1日経つのがそんなにおめでたいのか、よくわからん。

 元旦もいつもどおりに早朝4:00に起きる。お湯を沸かしてコーヒーを飲んでいると、我が家の娘が朝帰り。まァ、いつものことだから、どうでもいい。ふつうのお宅では、年頃の娘さんがいると頑固オヤジがガンガンお説教というパタンであるなー。しかし、わたしは、そんなことは関心がない。無事にもどってきただけで十分。すでに、立派に仕事をしている一人前の娘にそんなことをいうつもりもない。自分でかんがえてやればいいだけのことだ。わたし自身が、高校を卒業して、上京してきてから、そうしてきた。カミさんもおなじだ。自宅から通っているような大都会の人たちとはちがい、もう親ははるか離れた田舎だった。自分の好きなように、しかし、すべてのことは自分に降りかかってくることを十分に知りながら生活していた。そんな中で、今も自分を支えてくれる友人ができた。今も節度をもって付き合っているが、大切な仲間である。話が飛んだ、元にもどる。コーヒーを飲み終えると、7:00直前の初日(光か)を浴びながら、居合いの形稽古をする。肌に痛い空気が気持ちいい。ほんのりと汗をかいて終了。あとは、少し歩いてきて、そのあと読書。また、あたらしい1年がはじまる。毎日おなじことをくり返しているだけだが、時間に区切りをつけるのも、ちょっとは大切なのかななどとおもいながら、一応元旦らしい気持ちにもっていく。

 こうして、あたらしい年を迎えた。あと何回こうして何とか元気に迎えられることか。まァ、生きられるだけ生きよう。当たり前のことだが、この当たり前のことがいかにむずかしいかを、最近痛切に感じる。配達された年賀状を見て、遠くはなれている友がケガのリハビリなどをしていることを知る。そうか、それで昨年の年賀状は来なかったのか…。心配と同時に自分の体調のおとろえも実感する。定年まで、残りの年数も片手でかぞえられるほどになってしまった。まさか、60歳の壁を間近にみることなどないとおもっていたが、もうはっきりと見える。この幸運に感謝するしかない。今年がどういう年になるのか、まったく予想もつかないが、もう3ヶ月先まではある程度の予定がはいっている。そして、3年間いっしょに学んできた生徒たちとの別れもある。そして、あたらしい出会いも。ま、いろいろあるだろうが、今年も何とかがんばろうとおもうので、よろしく。

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