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雑感2010


 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆2010/06/22(火) 09:34 人生はつらい
  6/17に、竹馬の友である五十嵐邦男くんが急逝した。翌6/18の朝早くに、田舎の友から電話で連絡を受け、すぐに会津に向うことにした。幼なじみ5名で作っている仲間講「錦会」の元締めだった彼の急逝は、本当に信じがたいことだった。仕事に精魂こめて打ち込んでいた彼は、見事に人生を生ききったのかもしれないな。50代で逝ってしまったが、その人生は濃密で、80年、90年に相当したのかもしれない。それでも、友としてはじつにさびしくかなしい。両親を見送った自分でも、彼を見送ることは、それ以上のかなしみを感じる。わたしもいずれは逝く道であるが、まさか、彼がこんなにも早く逝ってしまうとは。逝ってしまった彼よりも、残されたわれわれ友人の方がかえってつらいのかもしれない。
 ◆2010/06/01(火) 07:32 今年は厄年か?
  このところ、いいことがない。年のはじめから体調がすぐれないし、足を捻挫したり(顔面強打も)、車の事故がつづいたりとふんだりけったりの状態がつづいている。ふつうには、お祓いでも受けるのだろうが、そんなことは信じる柄でもない。こういうことは、つづいておこることがままある。あまり気にしていてもしかたない。淡々と嵐の去るのを待つしかない。幸いにして、致命的な事故にはなっていない。それでよしとしたい。こういう調子の悪い日々は、静かにしているのが一番なのかもしれないが、それではおもしろくない。なるようにしかならないから、いつも通りのペースを崩さずに過ごす。三国志の中で、張飛かだれかの言葉に「人生五十にして、禍福なし」というのがあったと記憶している。まさに、物事は自分自身の捉え方でどうにでもおもえる。福も禍もともにたのしみたい。
 ◆2010/05/24(月) 13:44 勉強もフェアプレーで
  先週の木曜日から前期の中間テストがはじまっている。そして、明日は最終日で、わたしの担当する2年生選択必修科目「物理T」のテストがある。きょうは、午後は少しのんびりできると、普段なかなかできない事務仕事などをしていた。ところが、放課後になって何人もの生徒が「先生、傍用問題集の解答を見せてください…」とやってきた。そのたびに、ていねいにおことわりしている。この解答集は、普段は各教室においてある。「時間のあるうちに見ておいてください。テスト開始の前日には撤収しますから」と何度も言って。授業中にノートをとるもの、居眠りしているもの、塾の内職をしているものなどなどいろいろいるが、ほとんど気にしていない。ただ、テストの直前になってあわてて付け焼刃をしようとするものには、ちと厳しいかもしれないが、口上通り、テストの前日には解答集を撤収した。テスト科目も多くて大変なのはよくわかる。しかし、明日テストというので「見せてください」などと言ってくるのは、わたし私に言わせると”勉強熱心”どころか、じつに”卑怯”な態度である。同じ土俵で勝負をするのは、スポーツでも勉強も同じだとおもう。そういう意味では、学校の授業時間以外に、夜こそこそと塾通いなどして成績を上げようとしているのは、世間の人は「努力している」というのだろうが、私からすれば、人より時間と金をかけて勉強ができるようになって何の意味があるのか、とおもう。同じ条件で勝負をする。それで勝つもよし、負けるもよし、すっきりと相手をほめ、自分の不勉強も反省する。それでいいのでは、と昔からおもっている。いいところのお坊ちゃま、お嬢ちゃまたちが、幼き頃より塾や予備校通いをして超難関大学などの合格しても、「どうもご苦労様なことで…」としかおもわない。自分に与えられた環境と時間をフルに活用して、できる範囲で工夫・努力してみる。それで、世間的には二流でも三流でも自分の力で入れば、それは立派なことである。陰でこそこそ隠れるように勉強して、いい成績をとっても、それが本当に本人の実力なのか?そういうことをして上級学校へ進んで、挙句は高級官僚や政治家などになっている人たちが、今の日本をこのような状況にしている。そういう連中が跋扈しているというのが、日本の今日の姿であろう。やっかみや嫉妬もあるかもしれないが、勉強だろうがスポーツだろうが、フェアプレーでやってほしい。それがわたしの偽らざる気持ちだ。
 ◆2010/04/23(金) 08:45 役人の八つ当たり
  神奈川県のいろいろな役所で、不正会計が見つかり、上から怒られた。こういうときには、きっと下の現場にもきつい管理めいた話がくるだろうな…と予想していたら、きょう来た。朝の打合せで、事務長さんから「これからは、物品の購入もかなり厳しくなりますので、よろしく」と。そんなことはわかりきっている。以前から、きつきつの予算で、やっと必要なものを購入していた。だが、いつも年度末になると、予算を消化しろ!と無駄な物品を無理やり買わせていたのも上の役人の連中だ。自分たちの無能さで、上から怒られると、今度は下の現場にその八つ当たりをする。この体質は、まるで戦時の軍隊と同じ構図で、まったく変わっていない。政治家のメンツを換えてみても、役人たちはしぶとい。巧妙な方法で、蓄財したりする。不正がばれると、まるで「なんとかの腐ったような」方法で、下に八つ当たりをかます。そういっている、われわれ教育現場でも同じような体質が至るところにある。自分自身がそれほど身奇麗な人間だともおもえない。だからこそ、できる限りはそうならないように努めるしかない。情けなや〜、情けなや〜。
 ◆2010/04/20(火) 07:32 自然の驚異
  昨年につづき、今年の春もおかしな天気がつづいている。日照時間は極端に減っている。これは、雲の発生が多いからだ。しかも、今年はアイスランドの火山爆発やら中国の大地震などいろいろ自然現象が相次いでいる。これらに何も関係はない。ポアソン分布のように偶然が重なっているだけだ。自然は、人間の都合にあわせて動いているわけではないので、その辺はクールに割り切ったほうがいい。おもしろいことに、国内のマスコミやニュースなどでは、欧米で日本以上の天候異変がおこっていることは報道されない。出ても、新聞のすみっこにちょっとだけ。詳細はここでは述べないが、どうも地球全体の気候は、徐々に人為的温暖化論の唱えるところとはちがう方向へ変化しつつある可能性が考えられる。今、その壮大な地球規模の実験がおこなわれようとしているように見える。どの仮説が当っているのかを知るのに絶好の機会だ、と個人的にはおもっている。自然には、いうまでもないが、人間の思惑など通じない。
 ◆2010/04/12(月) 07:22 ムダな予算
 ここに書いておいた内容について、諸般の事情により削除することにした。一番の攻撃は足下にあった。無念。
 ◆2010/04/02(金) 16:37 仮設校舎への引越し
  年度末の3月24日から、まずは生徒のクラス教室の移転がおこなわれた。2日がかりでとりあえず机・椅子などを移転して、生徒たちは春休みにはいった。26日からは職員室などの移転というので、われわれ職員も総出で移転作業にかかった。40年近く溜まったゴミを処理しながら、必要な物品を梱包し、業者の方々のお手伝いを頂きながら、これまた2日がかりで移動だけはすませた。移動しただけで、その後の再配置などはそれぞれの職員が時間をみながら整理していくしかない。物品がなくなって、職員室がこれだけ広かったか、とちょっと感慨深かった。この部屋に次にもどるときには、わたしはもうこの学校を去っている。すでに定年退職になっているだろう…(ま、生きていればであるが)。
 ◆2010/03/23(火) 08:03 モンブランとマッターホルン
  先日、何気なくTV番組で「ワンダー、ワンダー」とかいう特集ものを観た。今まで観たことがなかったが、ヨーロッパアルプスを題材にしているようなので、気が引かれた。わたしが山に登るようになったのも、高校生のはじめ頃に読んだと記憶しているウィンパーの『アルプル登攀記』の影響だったからだ。いつか自分の足で、あのマッターホルンの頂きに立ちたいという静かな想いが体内に巣くってしまったようなのだ。あれから40年近くも山に登りつづけているのも、そのときの想いがつづいているのかもしれぬ。世界にはもっと標高のあるすばらしい山々が多数あるのだが、どうもそれらに登りたいという気持ちは、不思議と起きない。山に情熱をぶっつけるなどという気持ちもない。困難な山やルートを登って、その世界で何者かになりたい、などという気持ちももったことはない。あくまでも登山は趣味の一つでしかない。ほかにもやりたいこと、楽しみたいことはいくらでもある。どうも、わたしは一つの道を究めるという気魄には欠けているのだろう。それにしても、映像で、モンブランの頂上へ登っていくようすやマッターホルンのヘルンリ陵の登攀現場を観てみると、若き頃抱いた想いがまたよみがえってきた。年齢的には、たしかに体力も落ちている。しかし、この想いをたんに青春の夢にしたくない。じっくりと準備をして、TVで観たように、自分もいつかあの頂きに立とうとおもう。機は次第に熟しつつある。
 ◆2010/03/18(木) 07:50 山岳会定例会
  以前はやっていたが、いつの間にかなくなってしまっていた「山岳会定例会」を再開した。仕事の関係で土・日にどうしても時間の取れないメンバーがいるため、原則毎月第3木曜日とした。3月の定例会は、われわれのような仕事では猛烈に忙しいため、時間を合わせるために昨夜に変更しておこなった。場所は横浜のとある居酒屋。仕事でどうしても都合のつかない1人をのぞいて、メンバー全員がひさしぶりに集まれた。もう、退職されている方もいるので、こういう定期的に集まる会は大切だ。家が近ければ、いつでも会えるだろうが、東京、神奈川と離れている。お互いの健康状態の確認もかねて、定期的につづけていこうとおもっている。わたし自身も定年までそう長くない。いままでも、できる限りはマイペースでやるようにしてきたが、仕事に打ち込んできたのも事実。飛行機ではないが、そろそろ着陸態勢にはいらないといけない。ソフトランディングをするためには、滑走路を向けて機首を合わせ、徐々に減速・降下をしていく。仕事もまったく同じであろう。急激な降下や無理な着陸は事故のもとだ。よく「最後まで全速力で…」でなどという人もいる。おろかなことだ。短距離走ならそれでもいいだろうが、人生はまさにマラソンと山登りをあわせたようなもの。歳相応に仕事などすればいい。定年退職後に楽園が待っているわけではない。今さら、ガキじゃあるまいし、「目標や趣味をもって頑張りましょう!」などと余計なお世話はいらない。自分が今までやってきたことにちょっと羽をつけた程度のことしかできまい。人の生活は一寸先はだれにもわからない。時おり、集まって、お互いの調子を確認しながら、好きな山登りをつづけていけたら、それが最高だ。淡々とした付き合いが、いかに大切かが今にして実感できる。
 ◆2010/03/12(金) 07:35 ようやくPTAの仕事解任
  この4年近くつづけてきたPTAの仕事から離れられることになった。正直ホッとしている。昨年も管理職にこの仕事からの解任を申し出たが、聞き入れられず留任して仕事をつづけてきた。仕事は仕事なので、手抜きなどは極力(?)せずに、きちんとしてきたつもりだ。書記という仕事だが、係の名前に反して、職場でのPTA関連のものはすべてわたしに来る。事務仕事が多いが、学校行事とのタイアップなど、やることは多岐にわたっている。なにより大事なのは、保護者の方々の代表で仕事をしてしてくれる役員さんたちとの協力関係を維持することだ。四季折々の行事のあとの反省会にも嫌な顔をせず、淡々と参加するようにしていた。午前さまになることもしばしば。ま、呑むのは嫌いではないから、それは気にはならなかったが。学校側の書記は2人いるのだが、どういうわけか、もう1人の方はいつもほとんど仕事もしないで、1年で交代していく。もちろん、反省会などには来ない。管理職もめったに顔を出さなかったから、係のわたしが出ないと形にならないため、これもお勤めとやや消極的に参加していた。もちろん、会社などの接待とはちがうから、全部「自腹」である。役員さんたちは、じつによく仕事をしてくれる方々が多かったので、そういう面では何もいうことはない。ただ、同じ人間が同じ分掌を長々やっていれば、馴れ合いも出てくる。そういうのを避けたかっただけだ。仕事の手順など1年もやれば、ほぼ流れはわかる。このままつづけていても、何も困らない。むしろ、段取りは知り尽くしているから、楽だろう。でも、それでは仕事に気合がはいらないのは必然。どんな仕事も慣れると怖い。だから、辞めることにした。想像はつくとおもうが、学校の教員は保護者が苦手だ。だから、できれば付き合いたくない。子供との付き合いだけでも大変なのに、まして保護者まで…というのがふつうの教員の本音だ。当然、その接点になるPTA書記の仕事などだれもやりたがらない。わたしもそうである。前任のK先生がおなじ物理で、PTA書記の仕事をしておられたので、その後を引き継いだだけ。定年退職されたので、ま、しばらくやってみるかと引き受けた。今でもいい経験ができたとおもっている。役員さんたちとの付き合いも楽しかったし、生徒の親御さんたちの本音も聞けて、仕事に役立つことも多かった。こういう経験は、いろいろな教員の方々に経験してほしいというおもいもある。また、これからのお付き合いもあるだろうが、今度はただの教員として、楽しく談笑できればと願っている。

 そうそうついでに。PTAも全国的な上層部は他の独立法人と同じで、文部科学省高級官僚などの天下り場所になっている。全国の学校に在籍している生徒さんの保護者さんから集めた上納金で成り立っている。相当な給料をもらい、あっという間にいなくなるのも同じ構図だ。有名人の講演会などにはサクラとしての動員もかかる。どんな仕事も上部へいけば、官僚の天下りと出会う。参考まで 
 ◆2010/03/10(水) 08:04 沖縄離島ツアー 
   卒業式も終わり、学年末試験もはじまる4日から3泊4日の日程で「沖縄離島ツアー」にカミさんと行ってきた。教えていた3年生はすでに卒業しており、幸運にも時間がとれたからだ。このために、今年にはいっても年休はまったく取らずにきた。この辺で骨休みというところ。昨年は、沖縄本島巡りをしたが、今年は最初から離島(八重山諸島)だけ。個人旅行もかんがえたが、一度旅行社などで企画しているツアーというのも体験したかったので、某旅行社の「はじめての沖縄離島8島巡り」ツアーに申し込んでみた。オプションで竹富島巡りもあったので、それも申し込んだ。これで「9島巡り」になる。1週間ほど前から天気予報を調べていたが、いずれの予想も「雨か曇り」ということで、天気に関しては昨年同様まったく期待できそうにない。それでも出発日が近づいてくると、予報もだいぶ変わり、少しは天気のいい日がありそうになってきた。人間の心理は不思議なもので、いいとおもって悪いと印象がよくない。悪いとおもっていていいと、幸運にかんじる。それを利用して、カミさんには「天気はまったく期待できないよ」といっておいた。羽田には昼頃に集まればよかったので、ゆっくり出発できた。曇りの羽田を離陸して、2時間20分ほどで沖縄の那覇へ。飛行機を降りると晴れており、むっとした南国の暑さ。すぐに汗が出はじめた。そこからまた飛行機を乗り換えて、宮古島へ。そこはもう南国そのものだった。気温は28℃近くあり、着ていったブレザーなどは、耐え切れずカバンにしまう。宮古空港からホテルへは直行だったので、ホテルの部屋に荷物をおくと、売店に出向きTシャツを購入して、それに着替えた。ズボンも短パンに換えたかったが、それは自制した。ホテルでの夕食は自分たちの希望時間にあわせてゆっくり食べれて満足。翌日からの行程も、修学旅行のようにギスギスしたものではなく、ゆるく調整されており、負担はなかった。天気はほぼ快晴状態で、関東で予想されているのとはまったくちがっていた。関東では「雨」と出ていた日々も、現地のバスのドライバーさんから聞いたところでは、雨はそれまでほとんど降っていなかったという。この辺、どうなっているのか?携帯の日本気象協会のサイトで、宮古島・石垣島の天気をしらべると、それは実によく当っていた。午後になると、多少の雲は出たが、30℃近くになる夏模様の中、すばらしい海の色と景色を堪能できた。回った島は、宮古島、池間島、伊良部島、下地島、来間島、石垣島、西表島、由布島、竹富島の9島である。下地島では、幸運にもANAの飛行機の離着陸訓練を見ることができ、デジカメのシャッターを切りまくった。周囲の海はエメラルドブルーであった。日焼けした両腕が多少ピリピリしたが、雨に打たれることもなく、すばらしい旅行ができたことがうれしい。ツアーには、杖をもたれたお歳をめしたご婦人も参加されていたが、やはり人間さいごは足である。自分で自由に歩けることの大切さをしみじみと感じた。行き帰りの飛行機は、本州南岸に横たわる前線の上を通過する際、けっこうゆれたが、これもまたよし。飛行機に5回も乗りまくり、大満足の旅であった。当初は、「ハワイ4島巡り」を計画しようとおもったが、日数と費用を勘案して、この計画にした。しかし、地図を見ると、石垣島などはほぼハワイのホノルルと同じ緯度にあたる。ま、日本のハワイに行ったことになる。元気でいれば、世界中どこにでも行ける。あとは、しっかり仕事をして、そのための費用を稼ぐことだ。またいくぞ!
 ◆2010/03/01(月) 15:28 卒業式 
  きょうは、卒業式があった。昨年は、わたしたちが3年生を送り出したが、今年は裏方になり、いろいろ様子を観察することができた。受付担当の係だったので、生徒昇降口前で保護者の方々への式次第などの配付をおこなった。当初、保護者用に卒業生の人数にプラスαの人数分だけ、式次第のプリントを用意した。ところが、来訪される保護者の方々を見ていると、ご夫婦で来られるケースがじつに多い。途中で不安になり、プリントの増し刷りを100部ほどお願いした。式がはじまり、来場される保護者の方々も一段落してみると、その増し刷りして分もふくめて、プリントの残部は本当に少なくなっていた。かなりの保護者の方たちはご夫婦で来られているのが配付したプリント数からもわかった。きょうは、月曜日であるから、おそらく勤めに出られている父親の方々は、仕事をお休みして来られているのであろう。みなさん、手には超小型のビデオカメラをお持ちなのもほぼ同じだった。大切に育てたお子さんの卒業式にご夫婦で来られるのは立派である。頭の下がる想いがした。わたし自身は、3人の子供のだれも入学式・卒業式などに行ったことはない。自分が担任をもっていることが多く、仕事を優先するのが当たり前だとおもっていたので、行かないことを気にも留めなかった。もう、成人してしまっている3人の子供たちに聞けば、当然、非難の嵐であろう。たしかにどこから見てもいい父親とはいえまい。何とか無事仕事をしている子供たちを見ながら、大病もせずにそれぞれの学校を卒業し、自立している姿に心の中で手を合わせている。健康に育ってくれただけで、もうそれ以上を望む気持ちはない。きょう卒業して行かれた生徒さんたちにも、次はこれ、その次はあれ…などの望むことはない。元気で生活できれば、それでいい。 
 ◆2010/02/23(火) 08:12 この仕事に向いてない 
  朝、出勤して雑用をしていたら、ふとおもった。「やっぱり、この仕事は自分には向いてなかったな…」と。「人を育てる」という仕事は、自分でぜんぶやってしまってはだめだ。やってみせて、いってきかせて、させてみて、ほめるのがこの仕事のやり方だろう。わたしは、なかなかやらない人をみると、「そんなの待ってられるか」と自分でさっさとぜんぶやってしまう。その方が、気分もすっきりするし、いちいち人に指示したりして時間をつぶすのは好きではない。自分でどんどんやって、人のペースなどあまり気にもしない。こういう性格では、とても「人を育てる」という気長な仕事には不向きである。かといって、今さらいっても遅い。向いてはいなかったが、それほど他の人に迷惑をかけてきたわけでもあるまい(と自分ではおもっているが、わからん)。仕事としては、そこそこにやってきたとおもうので、あとしばし、迷惑をかけないように仕事をし終えたい。向いていなくても、仕事はできるということだ。 
 ◆2010/02/22(月) 07:59 友人の教員観察
  大学時代からの友人が、一昨日、貸していた漫画本の「−JIN−仁」全17巻を返しに、自宅に遊びに来た。彼は、今、ICT講師みたいな仕事で、神奈川の県立高校2校で仕事をしている。その彼との雑談で、県立高校の教員の印象がでた。「身分が安定しているせいか、新しいことを学ぼうという意欲がない」「自分の専門の勉強をしっかりつづけている教員がすくない」「プライドはえらく高い」「会議ばっかりやっている」「自分でやれば勉強になることでも、教員補助の人などにやってもらっている」などなど。わたしも自分の職場でつねづね感じていることと同じような内容だった。彼は、自分自身「教員免許」ももっているし、某県の教員試験に合格もしたが事情で辞退した経歴もある。下手な教員など足元にもおよばないほどの経験もある。そういうことはおくびにも出さずに静かに観察した内容だから、まずまちがいないだろう。わたし自身もこの話を自分のこととして反省すべきであろう。自分ではそうおもっていなくても、もう無意識化していることもある。忌憚ない批評をしてくれる友人はありがたいものである。同僚たちにどうこういうつもりもない。そんな余裕もない。自分のことだけでもせめてやれるところから直していきたい。
 ◆2010/02/17(水) 08:09 東大出の心底おもしろい人にあったことがない! 
  今まで、何人もの東大出身者に出会ってきた。高校の同級生にもいたし、大学のときも。そして、教員の同僚としても。しかし、そのいずれもの人に圧倒される人間性とか、「さすが勉強のできる人だなー」などと感じたことはない。いっしょに飲んでも、話はおもしろくないし、いつも眉間にシワをよせて、気難しそうな顔をしている人が多い。「お前さんたちにはないだろうが、俺はむずかしい問題をかんがえているのだ…」みたいな雰囲気である。こちらとしては、「せいぜいあれこれかんがえてくださいな…」と放っておくしかない。大学内でのことは知らぬとして、高々、高校生までの学校の勉強が人よりちょっとだけできた、というだけであそこまでのプライドと自信をかもしだせるのは、さすがである。自分の「東大コンプレックス」を棚にあげて、偉そうに言えた義理ではないが。本当は、向こうもそういう気持ちなどなく、こちらのそういう気持ちを察して、そういう風にふるまっているのだ。そう解したい。まァ、自分の幻想を自分で見ているだけなのかもしれぬ。

 相手の話を黙ってジーと聞くのは、相手を観察することではない。話を聞いて、それに応え、対話をするためである。合いの手も出さずに、ジーと聞いているのは、返って相手に不信感をもたせる。そういう話の聞き方をするタイプがどうも東大出身者には多いようにかんじる。こんな感じなので、職場では孤立する。付き合うにも気が重くなるので、敬遠する。職場でも同じ物理で部屋を共有した同僚がいたが、くだけた会話などはしなかった。こちらから話しかけない限り、向こうから話をすることもないし、特段、それで困ったこともない。こちらも、面倒くさいから話さない。ケンカしているわけでもないが、打ち解けるということがないので、空気の一部だと割り切っていた。「東大出」が単なる学校秀才であることがしみじみわかり、いい勉強になった。某週刊誌のタイトルに、「東大までの人、東大からの人」とキャッチコピーがでていた。ほんとうに面白い人がいるとすると、「東大からの人」なのかもしれないな。そういう心底おもしろそうな人には、まだ会ったことがないが…。 
 ◆2010/02/16(火) 08:06 風邪
  風邪をひいてしまった。かかりつけの医院で診てもらったら、流行の新型インフルエンザではないらしい。1週間ほど前から、鼻水が出たり、のどが痛かったり、口内が渇いたりで、違和感はあった。いつもの花粉症がはじまったのかと思い込んでいた。金曜日の午後から、身体がふらふらする感覚があり、これはいけないとおもい、帰宅してすぐに寝た。土曜日にも症状は回復するどころか、ますます悪化。発熱もひどく、ひさしぶりに38度。すぐに、かかりつけの医院に駆け込んで診てもらう。流行の新型インフルエンザではないが、「風邪」だという。薬を処方してもらい、帰宅してずーと寝ていた。昨日は、まだ症状がぬけてはいなかったが、年休をとるのも面倒なので、とにかく出勤して仕事をした。身体は、まだちょっとふらつく。以前なら、これしきの風邪ごときでダウンすることはほとんどなかった。本当に情けない。それにしてもおどろくのは、平熱は36度くらいなのがちょっと上がっただけで、これほどの状態になる身体の繊細さである。微妙なバランスの中で、生命が維持されているのがわかる。人間の平均体温がなぜ36度前後なのかは、だれからも聞いたことはない。身体で活動する酵素類の適温がそれくらいだ、というのは答えにならない。酵素類はなぜ36度くらいを好むのかという、新たな問いを生む。地球の過去において、生命の誕生した時点での適温が36度くらいだったというのは、かんがえられる。それが、ヒステリシス(履歴)として今に至っているというなら、そうかなともおもう。それにしても、ここ1週間ほどの気温の低さは身体にこたえる。今も日射しはないどころか、雨である。回復は遅々としているが、あわてることはあるまい。治るときは自然になおる。自然に逆らわなければ…。
 ◆2010/01/27(水) 07:41 気力が出ない
  つい先日、元旦を迎えたとおもったら、もう月末。2日に恒例の「大江戸ツアー」で、東京(大江戸)を探索してきた。今年は、愛読している池波正太郎さんの『剣客商売』の舞台になっている鐘淵辺りから浅草まで、隅田川沿いをぷらぷら散策した。風もなく、快晴の中、のんびりと歩けてよかった。わたし以外には、この小説を読んでいる人はいないが、こちらのわがままに付き合ってもらった。総勢12名ほど集まり、久しぶりに活気のあるツアーとなった。元々、ふだん忙しない東京が静かになる正月をねらって、江戸風情の残る場所を散歩してみようと、わたしが発案したもの。当初は、山仲間などでこじんまりと歩いていたが、最近は参加してくれる人もふえてきた。むずかしい理屈などないので、単なるおもいつきでコースを決めている。今年も、最終的にコースを決めたのは3日ほど前。ほかの人たちには、当然、小説で描写されているこの地のようすなど想いもつかないだろうが、わたしには主人公秋山小兵衛の隠宅や秋山大治郎の小道場などまるで実際に見えてくるようだった。わがままな企画におつきあい頂いた方々には、感謝している。

 それはそうと、そのあとはまったく気力が出ずに、きょうまで来てしまった。4日からは通常の勤務にもどり、それ以来、淡々と仕事をしていただけ。ちょっと田舎にでも顔出しに行ってくるかなどともかんがえたが、それも大雪になっているとの報道で、なんの迷いもなく止めた。秋山小兵衛のように寒いときは、コタツ(といっても我が家にはカーペットの上にコタツもどきをつくったのが1つあるのみ)にはいってトロトロしているにかぎる。肩こり、腰痛、かかとのひび割れなどなど、あげれば切りはない。これも更年期というやつか。もうがんばる気力もでない。落ち込むこともない。これが自然のながれなのだろうな、とおもい、それにすなおに従うだけだ。
 ◆2010/01/01(金)元旦 今年をなんとか無事に迎えて
 昨年末から体調が思わしくなく、どうも「男の更年期」にでもなってしまったような気がします。腰痛やら動悸・息切れなどなど、もう心身ともにガタガタです。仕事も「飽き」を通りこして、「偉大なるマンネリ状態」に突入というところです。ちまたでは、デフレや構造改革などなどいろいろなむずかしい難題が山積みのようです。現場で仕事をしていると、グローバル的視点とか国家的な視点などいうのとは無縁な気がしています。今年も何とか元気に仕事ができればと願うだけです。

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