2002/03/05 (Tue) 天保十二年のシェイクスピア
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見てきました。初日でした。仮にも新感線を見て「つまんない」と思ったのは初めてでした。(「ゴロー」ですら呆れたけどつまらなくはなかったぞ)これからどう手直ししていくのかが楽しみです。と言っておこーー。<以上、棒読みで

珍しくわたしも、アンケートを書かずには帰れなかったくらいだもんなぁ
(初日でなけりゃ諦めて書かなかったかもしれないけど)
あそこまで「ヒドイ!」と思い、「これは絶対に手直しが入る!」と感じたからには、修正版を見たいです。
というか、修正版で頭の中を上書きしたいのかな〜。

とりあえず、どうにも不満なのは2点。
まず、第1幕はシェークスピア作品のオムニバス風なのに、第2幕も後半になるとリチャード3世路線一本になっていることでしょうか。
どうせならどちらかを押し通して欲しかったですね。その方がとっちらかったあげくに「あれ?」と思わなくて済んだんではないでしょうか?
本を読む。映画を見る。芝居を見る。
これらを味合う時に共通することとして、事前情報や導入部の展開で「だいたいこんな感じの作品なんだな」「じゃあこう楽しもう」というような無意識のセッティングがあると思うのですよ。レセプター(受容体)の用意みたいなものですね。
納得のいくどんでん返しや裏切りならともかく、シリアスだと信じて真剣に読んでいたらギャグだったというのは、かなりショックなものです。え?それはわたしだけ?
今回は、そこまでのものではないですが、シェークスピア作品をいかに上手く取り入れて一つの舞台を作っているかを見て楽しんでくれよ!と訴えかけられているんだと思っていたらば、“悪の美学”がオチだったという……。
ちょっと待ってよ。わたしのこの意気込みはどうすればいいの?振り上げた拳はどこにおろせば?的なモヤモヤがたっぷり残ったのでした。
そしてもう一つは「歌」。
普段の新感線舞台であれば、歌は見せ場(というより見得を切っている感じ)か、状況説明・人物説明か、距離的移動または時間的進行の役目を負っています。
でも今回の歌の場面は、ストーリー停止。
だからとっても退屈。
おまけにただでさえ長くて、笑いどころも少なく、忍耐力の勝負か精神力の鍛錬かという状態なので、歌を耳にしながら思うのは「尻が痛い……」。
唯一新感線らしかったナンバーはおなじみQueenの曲「Somebody To Love」のパロディで、これは親分衆登場&説明で場も進んだし楽しかったです。はい。

初回の観劇を終えて数日たち、たぶん新感線だと思って見なければいいんだろうという気がしてきています。
演出は確かにいのうえひでのりだが、脚本が井上ひさしという点がノリの違いなのではないでしょうか?
例えば、エロいシーンがかなりあるんだけど、つくづく思ったのは「新感線のエロいは“明るいお色気”だったんだな〜」ということ。
カラッとすけべなのが新感線のエロだったんだ。
今回のは、なんかホントに“エロエロ”で、笑えない。
一方、いい意味で新感線ぽくないと思ったのは、女優の扱いです。
新感線オリジナルの舞台と比較して、女優の役の重さが違っていました。
新感線はたとえ女が主人公の舞台であっても(ロストセブンとか)、人物像にどうも深みを感じられなかったのです。なんだかヒロインの役割は、回転ケージの中でカラカラ走り回るハムスターみたいに思えていました。
ですが、この舞台の役は肉付けがしっかりされていてよかったです。悪女も、復讐を誓う妻も、心根が感じられましたから。

佐渡の三世次:上川隆也、お光・おさち:沢口靖子、尾瀬の幕兵衛・国定村の忠治:古田新太、蝮の九郎冶・利根の河岸安:池田成志、きじるしの王次:安部サダヲ、よだれ牛の紋太・百姓(亡霊のバイト):橋本じゅん、お里・安中の老婆:西牟田恵、お文・真岡の老婆:村木よし子、お冬・大間々の老婆:高橋札恵、小見川の花平・笹川の繁蔵:粟根まこと、土井茂平太:山本亨、鰤の十兵衛・飯岡の助五郎:小林勝也、ぼろ安・大前田の栄五郎:森塚敏、清滝の老婆:熊谷真美、八王子の老婆・清水港の次郎長:右近健一

演出:いのうえひでのり、脚本:井上ひさし、企画監修:鴻上尚史

<赤坂ACTシアター PM6:30〜10:25 休憩25分>