育てゲー感覚とPCの死 ◇


はるか昔、『家族電子計算機』という家庭用コンピュータが人類の前に現れました。
そして、『竜探索』というソフトが出たのでした。

『竜探索』というソフトは、それまで日本人にはほとんどなじみのなかった、
ロールプレイングゲームというものを教えたという意味で、
大変支持されたのでした。

ハイ、昔話おしまい。

当時、RPGという概念が無かった一般ピーポーはこれをどう捉えたかというと、
「敵を倒してお金と経験をつみ、キャラクターが強くなる」
「コツコツ地道な作業を積み重ねて大きな目標を達成する」
というようなものでしょうかね。

1番目にあげたもの。
コレ、コレこそがその後の日本でのRPGの浸透に
多大なる悪影響を与えたんだと思うんですけど、
どうでしょう?

RPGの楽しさって、
主人公(キャラクター)を育て上げ、
そのシステム内で通用する「最強」を手に入れることだけなんでしょうか?
例えば、『竜探索』初号機でいえば、
口卜(くちうらべ)の武具を集めてレベル30にすることに相当します。
ウィザードリィとかだと際限なくレベル上げられちゃうんで、
とりあえずヒットポイント6000とか全部の呪文使える忍者でAC-200とか、
アタリマエのようにMURAMASA BLADE! 引っさげておくとか、
そのへんでとめておきましょう。
もはやこのパーティでは、ワードナ爺は2ラウンドもちません。

とめどなく進化していくゲーム業界では後に、
「Aボタン飛ばし」と呼ばれる、超壮大なCGムービーによる演出がなされるようになり、
マシンの性能をこれでもかといわんばかりに顧客にアピールし、
「召還するたびにまたアノムービーかよ!」
と、ゲームとは異なる部分で消費させられる時間の多さに対して、
「ウゼェー」
との評価を得るのです。


さてさて、話は少し戻りますが、
当然ですが、竜探索初号機におけるレベル30の実現や、
ウィザードリィにおけるヒットポイント6000は、
到達までに大変な時間がかかります。
(うぜーCGムービーにも時間をとられるのですが)
コツコツ地道な努力を続けてようやく実る成果であります。

当然ですが、私も竜探索初号機でRPGを憶えたので、
先にあげた二つの誤解をそのまま引き継いでいました。

いまでも、コンピュータRPGしか知らない人にとっては、
上の二つの項目こそがRPGだと誤解したままなのではないでしょうか。

さて、上記の誤解をいだいたままの人に、
Role Playing の意味を尋ねてみましょうか。
するとどう答えるのでしょうか。
英語の知識がある人なら、役割演技、と答えてくれるでしょうけど、
役割演技と、コツコツ努力&キャラクター強化って、
どこがどうつながるのかまではわからないとおもいます。

つながるわけないぢゃないですか。


次の昔話。

間違った概念を植えつけたままのコンピュータRPGから派生したものとして、
つまり、「コツコツ努力&最大パラメータ」という要素のみを抜き出したものとして、
人々は、『多摩墓っ地』(たまぼっち)という謎のキーホルダーに明け暮れる時代を迎えるのです。
その後、多摩墓っ地の大ヒットによって、似たようなゲームが登場したわけですが、
いつしかそれらのゲームを「育てゲー」とかカテゴライズしたと思います。
『ポケット怪物』とかにいたっては、
育てあげた怪物を友達に自慢することができる、つまり、
「このオレ様の光り鼠の0.1mega volts のダメージは●●なのだー」
とか、
「私の育て上げたサワムラー(若いコにはわかんないよな、元ネタ)の蹴りのダメージを見よ」
とか、
いままでかけてきた時間の多さを誇らしげに語れてしまふのですよ!

というか、それが目的なので、それが正しい遊び方だと思います。
というか、時間をかけることで『やりこみ大賞』とかに選ばれるのです。
というか、RPGではないんで、数値の自慢のし合いでよいのだと思います。


コンピュータRPG = 育て要素

という黄金律ができあがっているわけです。

そして同時に、

コンピュータRPG ≠ RPG

なのです。

だって、RPGではわざわざ戦わなくてもいい敵と戦い、
お金と経験点を地道にコツコツと稼ぐことなんて、
やらないでしょ?
シナリオ上で戦わなくてもいい敵と戦ったところで、
その敵から経験点が発生しますか?
その辺を歩いている人畜無害な一般ピーポーを襲って命を奪ったところで、
ノーマルマンを倒したことによる戦闘経験点5点とか、
発生しないでしょ?
ましてや、その無害なノーマルマンの所持品を奪いとって、
「金を稼ぐ」とはいわないでしょう?
それじゃまるで、追いはぎですよ!

おっと!

追いはぎをゲームする「追いはぎRPG」だったとしたら、
その限りではないですな。
ただし、面白くなさそうだけど。


しかしながら、コンピュータを使ってしまった以上、
このように時間をかけて数値を上げることが重要視されるようになるのは、
いたしかたないことだと思います。
だって、コンピュータRPGにおいては、
それ以外にプレイヤーができることってないんですから…。


それでは、コンピュータRPGにおける最強、つまり、
「パラメータMAXが最強である」という図式にのっとった場合において、
RPGであるD&Dゲームではどういった状態になるのかを考えて見ましょう。

1) アビリティスコアは全部18
2) ヒットダイは常に最大値
3) ソード+5&グランドマスター
4) ヘイスト+スピードポーション
5) ジャイヤントストレングスガードルでダメージ倍
6) ファイター36レベルでマルチアタック4回
7) ソード二刀流
8) スーツアーマー+5
9) …
…もうやめましょう。見苦しい。

そう、RPGでパラメータMAXを追求するのは、
実に見苦しいのです!
(あるいは暑苦しいのです)


さてさて。
「コンピュータRPG=育てゲー」な感覚で、
RPGの世界に来てしまった場合の悲劇を想定してみましょう。
基本的に、コンピュータRPGでの悲劇はデータ喪失です。
「だからHDDを新しいのに変えておけばよかったんだ!」
とか悔やむ理由として、
「あのパラメタの実現までに、どれだけ時間をかけたと思ってるんだ…絶望」
というのがあるはずです。

まあ、これに限って言えば、例えば、
2週間も放射線ばら撒き研究所に軟禁されて、
ようやくとった実験データなのに、
バックアップとらなかったから消えた。
という事象もあてはまります。
…アレはひどい、ヒドすぎる事件だよ…(実話

本質は、「コツコツ努力が一瞬でパァ」という部分です。

コンピュータRPGでは、パラメタをMAX(「最強」)にすることが目標なので、
HDDが壊れてしまうということは、
かけた時間がまったく無駄になるということなのです。
(だからバックアップとりましょうね)

こういった観念の持ち主がRPGをやり、
そしてそのPCが生き残り、
「地道な努力」の結果、
「経験値をためて強くなり」、
「パラメタが高くなる」につれて、
次第にひとつの感情が芽生えるわけです。

「死んだらいやだな…」

RPGにおけるPCの死は、
コンピュータRPG感覚でいえば、
データロストに相当すると考えられないでしょうか。

そして、データが消えてしまうということは、
すなわちいままでの努力が一瞬でパァ。


RPG感覚でならば、
「このPCの生涯が閉じようとしてるいま、
 プレイヤである私ができる最後の演技はなんだろう?」
と考えられることでしょう。
なぜなら、そのPCの最期の一瞬まで、
プレイヤはそのPCの役割を演じなければならないからです。
がしかし、コンピュータRPG感覚では、
「かけた時間が無駄になる」
となってしまうので、PCの死を受け止めきれないのだと思います。
(ネガティヴにとらえてしまうということ)

確かに、RPGであっても、
長いこと遊び続けてきたそのPCとのお別れは寂しいと思いますが、
それはそれ。
ダイスの神様のしわざなのであきらめよう 「我が生涯に一点の曇りなし」
をプレイヤが演出あるいは演技し、
ストーリとして確立してあげようではありませんか。
そのPCをきちんと見送ってあげようではありませんか。

たとえヒットポイント0であったとしても、
「最期の演技」くらいは認めてあげましょうよ、DMのみなさま。
ザコキャラじゃないんだし。
シンだってケンシロウに負けた後にユリアのことを語っていたし。
丞太郎なんか1秒しか時間とめてないのに散々DIOのことばかにしてたし。


さて最後です。

育てゲー感覚でRPGを遊ぶのはやめましょう。
あなたのPCが死亡したときに、
多大なる喪失感から見苦しく復活をDMに頼むことになり、
それが不可能であることがわかったときにヤケクソにならないために。

RPGに大切なのは創造力と想像力なのであって、
コツコツ地道にキャラクターを育て上げることではないです。

もちろん、戦闘パラメタだけを重要視するなんてのは、
論外です。



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