終戦記念日に何をすべきか・・・。
2002年8月14日 午前0時43分

1945年8月15日正午、NHKラジオは天皇の肉声により日本の全国民に日本が
戦争に負けたというお知らせを流しました。一般にこれを太平洋戦争の終結と
して、この日を終戦記念日としています。

ポツダム宣言は7月26日に発表されました。これに対して、日本はいったん
これを「黙殺する」と声明した上で、ソ連に対して和平を斡旋してくれるよう
依頼します。ところがこの「黙殺」は海外では「無視」と誤訳されて報道され
てしまい、8月6日広島に原爆投下。斡旋を頼んだ相手のソ連は日ソ不可侵条
約を破って9日参戦。この日長崎にも原爆投下。

この9日頼みのソ連まで参戦したのではどうにもならないとしてポツダム宣言
受け入れを主張する東郷外相らに対して阿南陸相らは抗戦を主張、結論が出ず
深夜昭和天皇の判断を仰ぐ。天皇は即座に「外相と同じ意見だ」と言い、この
ままでは日本という国がなくなってしまう。ここは忍び難きを忍んで降伏する
しかない、と補足します。

10日この方針を連合国に通知。するとその返事が12日あり、「降伏のとき
より天皇および日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に
置かるるものとす」。この条項を巡って再び抗戦派がこれでは国体の維持がで
きないと反発、再び紛糾。しかし紛糾している内に連合国は14日、日本に通
知した内容を明記したビラを飛行機から撒いた。慌てた政府は再び天皇のご意
見をお伺いしたいと連絡、10時再度の御前会議。

「私の考えはこの前と同じだ。これ以上の戦争継続は無理である。この降伏に
よって日本が連合国に蹂躙されたとしても種子の一粒でも残れば再生は可能だ。
しかし今のまま戦い続けたら日本は完全に抹消されてしまう。明治天皇が涙を
呑んで三国干渉を受け入れた時の気持ちがよく分かるようだ。私がすべきこと
があれば何でもする。国民に私が呼びかけるのがよければすすんでマイクの前
に立とう。将兵には動揺があるだろうが必要なら自分が説得に当たる。詔を出
す必要があるだろうから政府は早速起案して欲しい。」

阿南陸相が泣いていた。天皇は彼に優しく声を掛ける。「大丈夫だよ。きっと
何とかなる」

午後、NHKの録音班が5人呼ばれた。「重大な録音があるので」としか言わ
れなかった。最新式の録音機を2セット持って宮中へ。録音は2台の録音機で
同時に行った。念のため2回取ったので計4組の玉音盤ができる。録音作業は
午後11:25頃から15日1:00頃までかかった。これは皇后官職事務官室の金庫に
収められた。

録音を終えたNHKの職員が宮中を出ようとした所、兵隊が彼らを拘束監禁し
た。終戦に反対する反乱軍であった。午前2時から3時頃にかけて反乱軍が皇居
を占拠、玉音盤を探すが見つからない。まさか女官の部屋にあるとは思わなか
ったためである。更に午前4時頃、反乱軍は放送会館をも占拠する。

午前5時頃、田中東部軍司令官が反乱軍鎮圧に乗り出す。5時半、阿南陸相が
自殺。8時頃までに反乱軍は鎮圧或いは自主退出する。8時半、玉音盤が搬出
され放送会館へ。この日の各新聞朝刊にポツダム宣言受け入れの報が書かれて
いたが玉音放送を待つため配達は差し止められていた。

午前11時、憲兵中尉が放送会館に乱入して放送をやめさせようとするが取り
押さえられる。正午。時報に続いて「ただ今より重大なる放送があります」と
和田信賢アナウンサーの声。この日は通常昼間の送電がストップされていた地
方にも電気を流しておく指示が行き届いていた。

君が代のレコードが流れた後、「朕深く世界の大勢と帝国の現状に鑑み非常の
措置を以て時局を収拾せむと欲し、故に忠良なる爾臣民に告ぐ。朕は帝国政府
をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。。。」
天皇の肉声が流れた。

涙を流す者あり、自刃する者あり、この日日本は天智天皇の白村江の戦い以来
の敗戦というものを味わいました。しかし天智天皇がその敗戦の後で日本の基
礎を築いたように、日本国民はこの敗戦をバネにして日本を真の超大国へと成
長させていきます。日本の戦死戦病死者数155万人、一般国民の死者数30万人。
この数字がどの程度の真実を伝えているのかは分かりませんが。。。

合掌。
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時代おくれのドンキホーテ
粋でいなせで泪にゃもろい
人呼んで平成の寅次郎と発します・・・。
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