ありえない
2003年2月21日 午後11時32分

課題:最近の若者用語「ありえない」についてレポート。
提出期限:2/16(日)AM10:00


【総評】
提出率が非常に悪く、最近の若者用語としての「ありえない」を
肯定している方々も多くいると解釈して良いのだろうか?
このメールが届く方々は、議論を避ける現代日本の一般人とは
違うと信じているのだが残念でならない。
ただし、提出頂いたレポートの質はかなりのレベルにあり、
明日からも日本国で生きていくにあたり、自信を深めた。

【言の葉コラム】
「てゆうか」という言葉がはやり始めたのが5、6年前であろうか。
その時に、この言葉に対して出した私の結論は、
『中途半端な自己主張』であった。
「○○君はそういうけれど僕はこう思うよ」
英語でいう所の「But」ほど人を傷つけたくない。
相手と真剣に議論することを避けるための使い方。
はまだ良いのだが、その後、言葉は生き物のため間違って発展し、
相手が話していることに割って入るための使い方になった。
 「てゆうか、昨日テレビ見たんだぁ。」
 「てゆうか、今日寒くない?」
 「てゆうか、思い出した。」
こんな会話(?)をしている若者が増えてしまった。
「てゆうか」ということばを介し、話がまったくつながらない使い方に
落胆したことを覚えている。

最近の若者が「ありえない」を連発する。
 「あの看板ありえないよね〜。」
 「ありえな〜い。」
こんな使い方をする若者に
「今のは、なにがありえないの?」と聞いてみた。
2人にそれぞれ紙に書いてもらうと、
 「あの看板では、お客が来るはずがない。」
 「あんな看板見た事なくってとってもかわいい。」
驚いたことに全く考えていることは違うのである。
しかしながら、「ありえない」と言葉をつなぐことにより
会話は意見の対立に目をつむり流れていく。
この言葉に対して出した私の結論は、
『中途半端な協調性』。
しかしながら、本質的には、「てゆうか」に共通する何かがあるように感じてならない・・・。


【再放送】
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、
雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。
                                   『伊豆の踊り子』


「天城峠に入る頃、雨が降ってきた」という情景説明の一文が言の葉の組み合わせでこうも変わる。
川端康成の文章は、黙読よりも、ラジオから流れてくる静かな朗読で味わうのが一番心に染み入る。
ひとつひとつの言葉が、まるで宝石のようだ。
『雪国』と『スノーカントリー』のあいだにはニュアンスのズレがある。
英訳するとこぼれ落ちてしまう語感にこそ川端康成の本領がある。
川端の文章によってはじめて私は、美しい日本語とはどういうものかを知った。
美しい日本語には、世界を官能的に捉える感覚が溶け込んでいるのである。

  言の葉研究会 会長
  芹澤 芹之介
  〜座右の銘・感動したコトバお聞かせください〜


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時代おくれのドンキホーテ
粋でいなせで泪にゃもろい
人呼んで平成の寅次郎と発します・・・。
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HOTLINE jjjj3jjjj@docomo.ne.jp
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